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名古屋高等裁判所 平成14年(ネ)200号 判決 2002年9月18日

主文

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第1当事者の求めた裁判

1  控訴人

(1)  原判決中,控訴人敗訴部分を取り消す。

(2)  上記取消しにかかる被控訴人の請求を棄却する。

(3)  訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人の負担とする。

2  被控訴人

主文と同旨

第2事案の概要等

1  本件は,被控訴人が控訴人に対し,信用金庫との連帯保証契約及び根抵当権設定契約が,被控訴人の意思能力の欠如ないし錯誤により全部(主位的主張)又は一部(予備的主張)が無効であり,代位弁済により根抵当権を取得した控訴人による権利行使が一部(予備的主張)権利濫用ないし信義則違反として許されないと主張して,不当利得返還請求権に基づき,控訴人が根抵当権の実行により取得した配当金の返還を求めた事案である。

原審は,錯誤による全部無効の主張は採用しなかったが,錯誤による一部無効の主張を採用して,予備的請求を認容したため,控訴人が控訴をしたものである。

2  前提となる事実(証拠によって容易に認められる事実)及び争点(当事者の主張を含む。)は,以下に当審主張を付加するほか,原判決「事実及び理由」の「第2 事案の概要」欄に記載のとおりであるから,これを引用する。ただし,原判決4頁9行目の「最高価競買人」を「最高価買受申出人」と改める。

3  控訴人の当審主張

(1)  原判決は,要素の錯誤を認めた根拠について,次の点を挙げている。

ア 被控訴人は,アルツハイマー病に罹患していて,言葉としての発音はほぼ正常で,意識も正常であるものの,知的能力としての理解力,判断力が低下していたと認められること。

イ 岡崎信用金庫及び控訴人は,貸付1について,被控訴人を訴外会社との金銭消費貸借契約及び信用保証委託契約の連帯保証人としているが,岡崎信用金庫は,極度額1200万円の根抵当権として本件担保設定契約を締結していたから,貸付2ないし4についても,被控訴人に連帯保証させることも可能であったと考えられるが,その後の貸付2ないし4については,被控訴人を各契約の連帯保証人としておらず,また,連帯保証契約を締結しなかった理由は明らかでないこと。

ウ 岡崎信用金庫の担当者としては,訴外会社の取締役でもなく,同社代表者と親族関係もない高齢で一人住いの女性である被控訴人が,それまで何らの抵当権等も付けていない本件土地に,訴外会社の今後の信用金庫取引を担保するため極度額1200万円もの根抵当権を設定するのは通常でないと考えるのが相当であること。

エ 平成10年1月26日に担当者Aが作成した保証意思確認記録表(乙5の2)には,1200万円の特定債務保証につき被控訴人の保証意思を確認した旨の記載はあるが,根保証ないし本件土地につき極度額1200万円の根抵当権を設定する意思確認をした旨の記載はないこと。

(2)  しかし,上記は,被控訴人の要素の錯誤を根拠付けるものではない。

ア (1)アについて

原判決は,被控訴人が「普通抵当権」の意味を理解する能力を有していたと判断している。そうであれば,「根抵当権」の意味も理解する能力を有していたと考えるのが論理的である。前者が「当該1200万円の岡崎信用金庫の金銭消費貸借限りの担保だよ。」というのに対し,後者は「上記の他に1200万円を限度にその後の岡崎信用金庫の債務に対する担保だよ。」というものであり,担保という点では同じであって,前者の意味が判る能力があれば後者を理解できないとはいい難い。

イ (1)イについて

連帯保証と物上保証は,法律効果も異なり全く別個の法律行為である。連帯保証人になったが,物上保証人になっていない例もあるし,連帯保証人にはならないが物上保証人になる例もある。もとより,双方になる例もあろう。原判決は,物上保証人であればその後の金銭消費貸借契約の際には必ず連帯保証人になるはずであるという特異な考えに基づくものであり,両者が別個の法律行為であることをも忘れている。

岡崎信用金庫が訴外会社に対する貸付に本件担保設定契約に加えて連帯保証人になってもらわなかったのは,同社の財務内容から見て,同貸付条件として被控訴人などの第三者の保証を要しなかったからに過ぎない。すなわち,当該貸付には第三者の連帯保証を必要としなかっただけであって,被控訴人の本件担保設定契約とは無関係のことである。もとより,原判決が述べるような要素の錯誤を裏付ける根拠とはなり得ない。

ウ (1)ウについて

1200万円の普通抵当権を設定するのは常識的であり,極度額1200万円もの根抵当権を設定するのは通常でないというのは,証拠に基づかない独善と偏見に基づく判断である。

被控訴人は,所有不動産を自ら主体的に抵当権を設定するか否かを選別し判断していたのであって,物上保証のなんたるかを判断できる能力を有していた。また,岡崎信用金庫の担当者Aが,平成10年1月26日に被控訴人と面談して連帯保証人及び根抵当権の内容を説明した事実が認められるのであるから,被控訴人は,本件担保設定契約が「極度額1200万円の根抵当権」の設定契約であることは当然のことながら認識できたのであり,現に認識していたのである。

エ (1)エについて

岡崎信用金庫は,保証意思確認記録表(乙5の2)とは別に,「担保提供意思の確認書」(乙7の3)のとおり,被控訴人が極度額1200万円の根抵当権を設定することに関しての意思確認を行っている。

(3)  被控訴人は,平成10年1月26日ころ,日本生命に勤務しており,生命保険契約の締結業務を行っていたのであり,本件担保設定契約に関しても登記手続に必要な印鑑登録証明書を区役所に取りに行ったり,登記済権利証が紛失していたことから保証書の作成を司法書士に依頼するなどの法律行為等を行っているのであり,契約締結日には自分で自動車を運転して訴外会社まで行くなど,同人の知的能力としての理解力,判断力に低下がなかったことを示す事実が認められる。

(4)  仮に,被控訴人に錯誤があったとしても,本件担保設定契約に至るまでには司法書士事務所での助言などを受けているのであるから,通常の注意を払うだけで容易に錯誤に気づいてしかるべきであった。したがって,被控訴人には重大な過失が認められる。

4  被控訴人の当審主張

(1)  根抵当というのは,普通抵当と違って,アルツハイマー病で能力が衰えている人でなくとも,極めて理解するのに難しいものである。

現に,訴外会社の代表取締役Bも,原審における証人尋問において,抵当,根抵当の違いを理解していなかったという趣旨の証言をしている。

(2)  岡崎信用金庫の担当者Aの説明は,極めて簡単なものだったようで,Aは,1200万円の融資については50万円ずつの返済で2年間で終わるという説明をしたのであるから,被控訴人としては,「50万円ずつの返済で2年間で終わる。」との説明が強く印象づけられて,乙7の3の「担保意思の確認書」があっても,「50万円ずつの返済で2年間で終わる。」という説明と矛盾する内容の「根抵当」の方は理解できていないと考えられ,現に同席した訴外会社の代表者Bは,そのとき借り受けた1200万円だけを担保するために被控訴人から担保提供を受けたと思い込んでいたのである。

(3)  甲4(医師の鑑定書)によれば,本件担保設定契約がなされた平成10年1月26日には,既に被控訴人はアルツハイマー病に罹患していたのであって,そうであれば,その程度はともかく,知的能力としての理解力,判断力が低下していたことは明らかである。

甲19の1・2及び原審における証人Cの証言によっても,平成9年秋ころから,Cは,被控訴人から,実印等の紛失の話を電話で聞いており,同年末には,物忘れが激しく,異常と感じる程度になっていたことが認められる。

被控訴人は,本件担保設定契約等の書類に自署するのに1時間くらいかかったものであるが,普通の人であれば20分でできるところであり,このころ既にアルツハイマー病の一つの症状である「手が震えて字が書けない」という症状が顕著に出ていることがわかる。手が震えて自署するのに1時間くらいかかったことは,極めて異常なことであり,脳の異常を疑ってしかるべきである。

そもそも,訴外会社の役員でもなく代表者の親族でもない第三者が,将来の貸付金までも担保する根抵当権の設定に応ずること自体,アルツハイマー病に罹患していない正常な判断力のある人が通常やることではない。

日常会話が一見成り立つように見えることは,アルツハイマー病を否定する材料にはならない。

自動車の運転は,「根抵当権設定」などの法律行為とは違い,習慣でする運動的なことなので,理解力はさほど必要なく,アルツハイマー病に罹患していても,出来て不思議はない。

本件担保設定契約の約4か月後である平成10年5,6月に,被控訴人の勤務先からCに電話で退職の勧告があったことは,それ以前から物忘れが激しく,いろいろなことがあったので,勤務先のほうでみるにみかねて上記勧告に及んだものと思われる。実際には,本件担保設定契約当時,既に知的能力としての理解力,判断力が低下していたと認められるのである。

(4)  控訴人が,被控訴人は司法書士事務所での助言などを受けていたと主張する平成9年12月11日ころの時点では,既に被控訴人のアルツハイマー病は発病していたと認められるから,被控訴人に重過失があったとはいえない。

(5)  控訴人のその余の主張についても争う。

第3当裁判所の判断

1  当裁判所も被控訴人の予備的請求は理由があるから認容すべきものと判断するが,その理由は,原判決9頁7行目の「欲しいと依頼した。」を,「欲しいとの依頼を受けた。」と,同頁11行目「無関係は」を「このような」と,それぞれ訂正し,以下に当審主張を付加するほか,原判決「事実及び理由」の「第3 当裁判所の判断」欄に記載のとおりであるから,これを引用する。

2  控訴人の当審主張に対する判断

(1)  同(2)アについて

控訴人は,原判決が,被控訴人が抵当権の意味を理解する能力を有していたとしながら,根抵当権の意味を理解する能力を有していなかったと認定したのは誤りである旨主張するが,原判決は,被控訴人がアルツハイマー病に罹患していて,知的能力としての理解力,判断力が低下(これを本件についていえば,根抵当権と抵当権の被担保債権の内容や法的性質の違いについて容易かつ正確に理解できないなどの理解力,判断力の低下)していたことから,本件担保(根抵当権)設定契約を本件連帯保証契約と同趣旨の特定債務についての抵当権設定契約と誤信した趣旨の認定をしたものであって,控訴人主張のような認定をしたものではないことは判文上から明らかであるから採用できない。

(2)  同(2)イについて

原判決が,物上保証人であればその後の金銭消費貸借契約の際には必ず連帯保証人になるはずであるという特異な考えに基づいているものか否かはともかく,原判決認定のとおり,訴外会社の役員でも代表者の親族でもなく,又格別利害関係もない被控訴人が,信用金庫取引に基づき訴外会社が将来負担すべき債務を担保する根抵当権の設定に応ずるということは,希有な例に属するというほかはない。しかるに,そうした希有な例に属する本件担保設定契約と根保証ではなく単純な連帯保証契約のもとに貸付1がなされたにもかかわらず,その後の貸付2ないし4がなされた際は,岡崎信用金庫及び訴外会社から被控訴人に対し,連帯保証等何らの話しかけもなかったことは,貸付1の場合に対比して,岡崎信用金庫の訴外会社に対する融資の方法等に関し不審の念を惹起させるものであるから,これが要素の錯誤を裏付ける根拠とはなり得ないと断ずることは相当でない。

(3)  同(2)ウについて

上記認定のような被控訴人と訴外会社及び岡崎信用金庫との関係に照らすと,被控訴人が岡崎信用金庫との間に極度額1200万円もの根抵当権を設定するのは通常でないと考えるのが相当であるから,これを証拠に基づかない独善と偏見である旨の控訴人の主張は採用できない。

控訴人は,被控訴人が物上保証のなんたるかを判断できる能力を有していたから,信用金庫取引に基づく将来の債務をも担保すべき本件根抵当権の設定についても,当然理解できたかのようにいうが,これが採用できないことは前記アに対する認定判断のとおりである。

また,控訴人は,本件融資がなされた際,担当者Aにおいて,被控訴人に面談し,連帯保証人及び根抵当権の内容について説明したから,被控訴人は本件担保設定契約の内容を認識し得たはずであり,現に認識していた旨主張し,これに沿う原審証人Aの供述及び供述記載(乙1,18)が存する(以下「Aの供述等」という。)。

そこで,Aの供述等についてみてみるに,担当者Aは,本件根抵当権設定につき,「原則的には従来トラブルが発生した経緯もあって,第三者には根抵当権を設定することはありません。」「なぜ,今回だけ根抵当権なのかについて控訴人の都合なので分かりません。」と,今回の担保設定が従来とは違った異例の取り扱いである旨供述をしているが,そうなった理由も分からないままに,「予め訴外会社の経理担当のDに対し,被控訴人にその旨説明し承諾を得ておくよう伝えておいたところ,上記Dから被控訴人の承諾を得たとの連絡を受けたので,本件融資を実行することになった」旨,本件担保設定契約の際は,被控訴人が関係書類の署名等に手がふるえて字が書けないため,1時間もかけて漸く署名等を済ませ,しかも,「怖いねえ」「怖いけど大丈夫かね」などと不安な気持ちを表白するなかで,「本件融資は毎月50万円の分割弁済が条件であるが,残高が減っても訴外会社から融資の申込みがあれば担保の対象になる」,「訴外会社が返せなくなったときは,本件担保物件を売って返済して貰わなければならない」などと,「少なくとも2回以上繰り返し説明した」旨,さらに,担保提供意思の確認書に署名を貰うときは,「抵当権ではなく根抵当権であることを念を押して」署名してもらった旨供述(記載)している。しかし,上記供述及び供述記載は,Bから,訴外会社のため,岡崎信用金庫から1200万円の融資を受けるにつき連帯保証と併せて担保提供をして欲しい旨依頼されてこれを承諾し(なお,原審証人Bの証言によれば,担保提供が根抵当権の設定であることを具体的に説明していないことが認められる。),本件担保設定契約に臨んだものの,署名の段階に至ってもなお担保提供への不安を口にし,消極的態度を示し,そのため本件融資計画そのものの再検討が必要となるおそれも考えられるなかで,これまで本件融資契約成立のため,必要な保証,担保設定等の融資の条件を整える方向で準備してきた担当者Aが,さらに不安材料となるような事項を被控訴人に説明し,その理解と確認を得たというものであって,不自然であってにわかに採用できない。他に担当者Aがそのような充分な説明をしたことを裏付ける確実な証拠もない(ただし,担保提供意思の確認書については,次項に認定のとおり)。

以上の被控訴人の本件担保設定契約に至る経緯に照らすと,本件根抵当権設定が希有の例に属するものであり,そのような状況のもとにおいて,前記のとおり知的能力の低下が認められる被控訴人が,担保提供の意味を理解して物的担保の設定自体は承諾し,かつ,物的担保の一つである根抵当権という文言を認識していたからといって,当然その法的性質と責任の程度等の内容についてまで正確に理解していたと認めることができない。よって,この点の控訴人の主張も採用できない。

(4)  同(2)エについて

上記保証意思確認記録表及び担保提供意思の確認書は,いずれも,訴外会社が岡崎信用金庫から融資を受けるに当たり,被控訴人が,前記B,Dらとともに同金庫大池町支店に来店した際,担当者Aにおいて,被控訴人が保証人及び担保差入人本人に間違いないことを確認し,本件連帯保証契約及び担保設定契約等関係書類が同人の面前で作成されたものであることを確認した書面であり,上記担保提供意思の確認書中には,特記事項として,「根抵当権が訴外会社の今回借入分だけではなく,借入金全般に及ぶことを説明する」との記載のあることが認められるけれども,上記記載からは,どの時点で,どの程度具体的詳細に説明したのか,とりわけ,同時に締結された1200万円の連帯保証契約との関係及び通常であればこれと併行的な設定が考えられる抵当権との違いについて説明したのか明らかではなく,この点に関するAの供述等が上記のとおり不自然であることも併せると,上記担保提供意思の確認書によっても,担当者Aが,被控訴人に対し,本件根抵当権設定について,充分な説明をし,被控訴人の理解と認識を得たことを裏付けるには足りないというべきである。

(5)  同(3)について

被控訴人は,本件担保設定契約当時,すでにアルツハイマー病に罹患しており,自己の住所氏名を容易に書くことができず,重要な権利証の保管場所を忘れるなどの同病を窺わせる症状も出ていたこと,アルツハイマー病は初期症状から重篤症状まで障害の程度に段階差があり,いずれも不可逆的であるが,同じ段階でもその発症形態にばらつきがあること(甲11,乙26),本件担保設定契約の後,数か月を経ずして,アルツハイマー病に特有の見当識障害を発現し,長年務めた生命保険の外務員の仕事を事実上辞めざるを得なくなったことなどの原判決認定の事実に照らすと,本件担保設定契約当時,アルツハイマー病の影響により被控訴人の知的能力としての理解力,判断力の低下が認められ,本件担保設定契約当時,被控訴人が自動車を運転していたことや本件担保設定契約の際あるいは登記申請手続を司法書士に依頼する際に,通常人のように会話を交わしていた事実があるからといって,被控訴人がアルツハイマー病に罹患していたことを否定するには足りず,他に上記認定を左右するに足りる証拠はない。

(6)  同(4)について

本件担保設定契約につき,司法書士から格別の助言を得た事実を認めるに足りる証拠はなく,被控訴人に重大な過失が認められないことは,原判決認定のとおりであって,控訴人の主張は到底採用できない。

第4結論

よって,本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 福田晧一 裁判官 安間雅夫 裁判官 倉田慎也)

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