名古屋高等裁判所 平成14年(ネ)246号 判決 2002年9月25日
主文
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1当事者の求めた裁判
1 控訴人
(1) 原判決中,控訴人敗訴部分を取り消す。
(2) 被控訴人安藤証券株式会社は,控訴人に対し,357万円及びこれに対する平成13年1月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(3) 訴訟費用は,第1,2審を通じて,被控訴人の負担とする。
2 被控訴人安藤証券株式会社(以下「被控訴人」という。)主文同旨
3 被控訴人A(以下「参加人」という。)
控訴人の請求を棄却する。
第2事案の概要
1 本件は,控訴人が,被控訴人に対し,控訴人の亡夫Bの遺言に基づき,亡Bが被控訴人に寄託していた原判決添付別紙株券目録1ないし8記載の各株券(本件株券)及び現金5万0265円につき,同目録8記載の株券(本件冨士工株)を除いて,その引渡しを求めるとともに,本件冨士工株については,被控訴人の本件冨士工株の引渡債務不履行の間に無価値となったとして,本件訴訟提起時の価額に相当する損害賠償金357万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である平成13年1月25日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めたのに対し,参加人が,控訴人には相続欠格事由があり,本件株券及び現金は,控訴人以外の亡Bの相続人である参加人らが取得した(参加人の相続分は2分の1)として,被控訴人に対し,本件株券及び現金の2分の1の引渡しを求めた事案である。
原審は,本件冨士工株についての損害賠償請求を棄却し,その余の控訴人の請求を認め,参加人の請求を棄却したところ,控訴人が本件冨士工株についての価格相当の損害賠償金請求部分につき控訴したものである。
2 前提事実及び争点は,以下に当審主張を付加するほか,原判決の「第2 事案の概要」の各該当欄に記載のとおりであるから,これを引用する。
3 控訴人の当審主張
(1) 本件は履行不能に準じた不完全履行に該当すること
ア 原判決は,「本件冨士工株が冨士工の倒産によりその価値が著しく低下し,あるいは無価値となったとしても,そのことによって,本件冨士工株の引渡義務が履行不能になったということはできない。」(7頁1行目)として,冨士工の倒産による損害賠償請求を棄却した。
しかし,本件は,履行不能に準ずる不完全履行に該当するものと解すべきである。
イ 倒産会社の株券の引渡は,証券会社を通して株の売買取引をなし,株券を証券会社に預託している者との関係では,「債務の本旨」(民法415条)に従った履行ということはできず,明らかに不完全履行というべきものである。かつ,この不完全履行は履行不能に準じた類型の不完全履行に該当する。
証券会社の一般顧客(個人投資家)が,証券会社を通して株を売買するのは,あるいは資産形成を目的とし,あるいは,差益の獲得を目的としている。かかる株取得目的は,当該株に流通性と換価価値が認められることが必要不可欠の前提である。倒産会社の株券は,流通性も換価価値も皆無に等しく,個人投資家にとって必要不可欠な前提を欠く。したがって,倒産会社の株券の引渡は,証券会社の一般顧客(個人投資家)との関係では,履行不能に準じた不完全履行と解さざるを得ない。
控訴人の亡夫Bは,被控訴人を通して多種類の株式の売買を繰り返しており,同人の株取得目的も,資産形成あるいは売買差益の獲得にあったことは明らかである。したがって,本件冨士工株の返還は,履行不能に準ずる不完全履行に該当する。
しかも,本件冨士工株は,東京証券取引所1部及び大阪証券取引所1部の上場株である。上場株には,投資家保護を目的として厳しい上場要件が課されている。控訴人の亡夫が取得し,被控訴人に預託したのは,かかる上場株であり,普遍的な流通性と換価価値を有する株である。倒産により上場廃止となり,あるいは売買停止となり,流通性と換価価値を失った株ではない。
倒産した本件冨士工株の返還は,「債務の本旨」に従った履行とならないというべきである。
(2) 冨士工の倒産は被控訴人において十分予見可能であったこと
ア 原判決は,冨士工の倒産による損害は,特別事情による損害であると解しているが,仮に特別事情による損害としても,被控訴人は,冨士工の倒産を十分に予見し,あるいは予見し得べきものであった。
イ 冨士工は,平成13年3月23日,負債総額約830億円を抱え,民事再生法の申請をなして倒産した。
冨士工は,子会社のゴルフ場事業の失敗により経営悪化が表面化し,平成11年4月に営業基盤の拡充・品質及び利益管理の徹底・経費の削減・関係会社の体質変革等を内容とする3か年計画を策定して経営再建を目指していた(甲11の52頁)。
しかし,経営の悪化は続き,平成12年3月期決算では123億円の連結債務超過に転落し,さらに同年9月期中間決算では,債務超過は133億円に拡大した。
平成12年11月には株価が額面を大きく下回る27円まで下落し,信用不安が増大し,受注額も減少した。銀行の債権放棄を含む抜本的な経営改善計画を検討し,さくら銀行を初めとする主要取引銀行に債権放棄を求めていたが,最終的に銀行側が受け入れなかったことから倒産に至ったものである(甲8,10)。
ウ 被控訴人は,いうまでもなく,証券取引に関する豊富な知識,経験,情報を有し,平成10年12月改正前の旧証券取引法31条による大蔵大臣の免許を受け,証券取引業務等を営む者である。
また,激しい企業間競争に勝ち抜くためにも証券取引に関する知識や情報収集能力を高めることが求められている。証券発行会社の経営状態,経営危機にある会社の帰趨等についての正確な情報をいかに早く入手し,自社の投資方針に反映させるかに凌ぎを削らざるを得ないものである。
エ 冨士工については,平成12年3月期の有価証券報告書(甲11),平成12年9月期の半期決算報告書(甲12)を見るだけでも,素人にすら経営状況の著しい逼迫が見て取れる。資金繰も著しく悪化していることが容易に理解できるものである。監査報告書によれば,「前記3か年計画の進展次第では,次期以降の会社及び連結子会社の財政状態及び経営成績に重大な影響を及ぼす可能性がある」と指摘されており(甲11の22頁,甲12の13頁),冨士工の経営が重大な段階に差し掛かっていることが端的に指摘されている。平成12年9月期の半期決算が伝えられた以降,同社の株は前記したとおり額面を大幅に下回る27円にまで下落するのである。
証券取引法に基づいて公開され,また,一般紙によって容易に入手できる情報だけでも,同社の経営危機が極めて深刻な段階にあることは素人目にすら明らかである。まして,証券取引の専門家として豊富な独自情報を有する被控訴人会社においては,冨士工の倒産は極めて容易に予見できたものである。
オ 被控訴人は,本件冨士工の倒産は予見可能ではなかったとして,「企業の倒産は,ぎりぎりまで金融機関との調整が図られ,その結果金融機関の支援打ち切りなどの事情から自力再建を断念し,突然発生するもので,それを第三者が予見するなどできようはずもないことは説明を要しない。」と主張する。
しかし,この主張は特別損害に対する賠償義務の成立範囲を不当に狭めるものであり,不当である。
特別損害について債務者に責任が認められるためには,債務者において当該損害の発生を予見することが可能であれば十分なのであり,特別損害の発生を確定的に認識する必要はなく,被控訴人が冨士工倒産による損害の賠償義務を負うためには,冨士工の倒産が予見可能であればよいのであり,これを確定的に予見している必要はない。
予見可能性としては,金融機関が支援を打ち切れば,倒産するであろう財務状況にあること及び金融機関が支援打ち切りを決断することがあり得る財務・経営状況にあることを認識していれば十分である。すなわち,金融機関の態度決定如何に企業の存続がかかっており,金融機関の支援打ち切りが予断を許さない情勢にあることを認識していれば,当該企業の倒産の予見可能性を肯定するに十分である。金融機関が支援を打ち切れば倒産必至の財務状況にあったことを被控訴人が認識していたことは,被控訴人自身がその主張において暗黙の内に認めている。
カ 被控訴人は,冨士工の株価が平成13年2月以降,再び持ち直したことをもって,冨士工の倒産が予見不可能であったかの如く主張する。
しかし,控訴人代理人が被控訴人に対して株券の引渡を請求していた当時,冨士工株は30円から40円前後で推移しており(平成12年11月17日の終値は36円,同月29日の終値は42円),控訴人が提訴した同年12月にも40円前後で推移しており(提訴当日の12月26日の終値は42円,訴状送達日の平成13年1月24日の終値も42円),額面割れの状態が続いていた。
その後,冨士工の株価が持ち直したとしても,株券の引渡請求を受けた時点(すなわち履行遅滞に陥った時点)で,冨士工が倒産する可能性があることを認識できれば,予見可能性を認めるに十分であり,いつ倒産するかまで予見可能でなければならない理由はない。
株価は,投資家の様々な思惑によって上下するものであり,これのみを指標に冨士工の倒産可能性を云々するのは誤りである。冨士工の株価は,確かに平成13年2月に急上昇し,その後,上下しながら,漸次下落するという推移を経て,倒産に至っているが,冨士工株ほどではないにしても,倒産間際に株価がやや持ち直すという傾向は他の倒産事例でもまま見受けられるのであり,被控訴人が短期的な株価の上下をもって冨士工倒産の予見可能性を否定するのは控訴人の専門知識の欠如に乗じた主張というべきで不当である。
冨士工の財務・経営状態は財務諸表の数字が最も客観的に物語っており,被控訴人において冨士工の倒産を予見することが可能であったことは明らかというべきである。
4 被控訴人の当審主張
(1) 被控訴人が控訴人の本件株券の引渡しに応じなかったのは,履行遅滞ではない。
被控訴人においては,相続の場合には公正証書遺言がある場合か,印鑑証明書付の遺産分割協議書がある場合以外は,被控訴人所定の書類に全相続人の承諾印をもらう取り扱いをしており,本件もその取り扱いによったわけであるが,銀行実務上も同様の取扱いをしている由であり,同取扱いは十分合理性がある。したがって,被控訴人が控訴人の引渡し請求に応じなかったとしても,被控訴人の履行遅滞となるものではない。
(2) (控訴人の当審主張(1)に対し)
控訴人は,倒産した本件冨士工株の返還は債務の本旨にしたがった履行とならない,本件において債務の本旨に従った履行とは換価価値を有する株券の引渡に他ならないと主張する。
しかし,誤りである。証券会社が顧客から預託を受ける株券は換価価値を有する株券であろうが,証券会社は返還するまで当該株券の換価価値を保証するものではない。上場会社の倒産も最近では珍しいことではないが,仮に倒産した場合でも証券会社は当該倒産会社の株券を返還すればそれは債務の本旨に従った履行になるのである。控訴人の立論に従えば,その場合,預託者が預託を受けている証券会社に不完全履行であるとして責任を追及しうることになるが,それは証券取引の社会通念に照らし,全くの誤りであることは明らかである。
(3) (控訴人の当審主張(2)に対し)
ア 仮に,被控訴人に履行遅滞があったとしても,控訴人の主張する損害は特別損害に当たるところ,被控訴人がこれを予見し,又は予見し得たとされる事実はない。
企業(特に上場企業)の倒産は,直前まで金融機関等との調整が図られ,その結果,金融機関の支援打ち切りなどの事情から自力再建を断念し,突然発生するものであり,それを第三者が予見するなどできようはずがない。
イ また,冨士工の株価の経緯をみても(乙2の1ないし5),平成12年11月ころは1株30円から40円台であった(同様の株価のゼネコンは何社もあった)が,平成13年2月には値上がりして80円台まで値をつけ,民事再生を申し立てた同年3月23日でさえ60円台の値をつけており,飛島建設,フジタ,長谷工コーポレーションなどより高い値がついていたものである。このような株価の状況で,被控訴人に冨士工の倒産が予見可能であったとはいえない。
ウ 控訴人は,金融機関の支援打ち切りが予断を許さない情勢にあることを認識していれば,当該企業の倒産の予見可能性を肯定するに十分であると主張する。
しかし,昨今の構造不況下において,冨士工程度の財務状況にある企業は枚挙にいとまがなく,そのような企業が,すべて近い将来の倒産が予見可能であるとすることはあまりにも非常識である。現に,平成12年11月の前後1年ほどの他の建設業の株価の動きを見ても,冨士工と同様2ケタ台の株価ないし額面割れを継続しているところは何社もあるが(乙3の1・2),その間において冨士工以外に倒産した会社はないのである。また,控訴人提出の冨士工の有価証券報告書(甲11の43ページ以下)をみても,単体決算においては債務超過でもなく経常利益も出ており,富士工の倒産につき予見可能性があったとすることは到底できない。
エ なお,控訴人が本件冨士工株の返還を受けていたとしても,冨士工の上記値動きからみて,控訴人が倒産以前に本件冨士工株を売却し,本件請求額を所持していた可能性は低いと思われることを付言しておく。
オ 本件冨士工株につき,被控訴人に責任が生じる場合があるとすれば,それは控訴人から冨士工が危なそうだから返還してほしいとの請求があったにもかかわらず,被控訴人が返還に応じなかった場合であろう。しかし,本件においてはそのような事実は全くない。
5 参加人の当審主張
本件原判決の争点(1)につき,控訴人は亡Bを強迫し本件遺言をさせ,かつ,これを取り消すことを妨げたものであるから,相続欠格事由があり,亡Bの相続人となることができない。したがって,本件訴訟の当事者適格に欠け,その請求は棄却されるべきである。
平成12年10月11日午前7時30分ころ,参加人は控訴人と電話で会話をした。その際,控訴人は「本件遺言は私がBに言って,書いてもらいました。相続は夫婦の問題です。本件遺言の封筒の封緘を開封したのは第三者です。」旨言っていた。すなわち,控訴人は上記電話で,亡Bの生前にBを強迫して本件遺言を書かせたことを告白している。また,相続は夫婦の問題とするが,相続人が数人あるときは相続財産はその共有に属するのである。さらに,本件遺言を第三者に開封させているが,遺言書の保管者は相続の開始を知った後,遅滞なく遺言書を家庭裁判所に提出してその検認を請求しなければならず,封印のある遺言書は家庭裁判所において開封しなければならないが,これに反している。
なお,遺言執行者が就職を承諾したときは直ちにその事務を行わなければならない。また,遺言執行者は,遅滞なく相続財産の目録を調製して,これを相続人に交付しなければならないが,行っていない。
第3当裁判所の判断
当裁判所も,控訴人の本訴請求は,被控訴人に対し,本件株券(本件冨士工株を除く)及び現金の引渡しを求める限度で理由があるから認容し,その余は理由がないから棄却し,参加人の請求は理由がないから棄却すべきものと判断するが,その理由は,次のとおり当審主張に対する判断を付加するほか,原判決の「第3争点に対する判断」のとおりであるから,これを引用する。
(参加人の当審主張について)
参加人は,原判決の争点(1)に対する判断を非難するが,原判決の認定判断に参加人指摘の誤りはないから,採用できない。参加人主張の平成12年10月11日の控訴人の電話での会話の内容も,参加人主張の強迫を認めたものとは到底言い難い。なお,本件全証拠に照らしても,本件遺言に遺言執行者を定めた条項が存することを認めることができない。
(控訴人の当審主張について)
1 控訴人は,被控訴人ら証券会社を通して株の売買取引をなし,株券を証券会社に預託している者は,当該株に流通性と換価価値が認められることを必要不可欠の前提としているのであるから,その返還請求に対し,流通性も換価価値もない倒産会社の株券を引渡すことは,債務の本旨(民法415条)に従った履行ということはできず,履行不能に準ずる不完全履行である旨主張する(当審主張(1))。
しかしながら,株取引は自己責任で行われるものであって,亡Bと被控訴人との間で特段の合意が存したことの主張立証もない本件においては,被控訴人が負担している義務は本件冨士工株の引渡義務にすぎず,本件冨士工株が流通性と換価価値を有することを前提としているものではないというべきである。
控訴人の主張(1)は採用できない。
2 控訴人は,仮に特別事情による損害としても,被控訴人は,冨士工の倒産を十分に予見し,あるいは予見しうべきものであった旨主張する(当審主張(2))。
証拠(甲6,乙2の1ないし5)によれば,冨士工の株価は,控訴人代理人が被控訴人に最初に本件株券の引渡しを求めた平成12年11月中旬ころは40円前後であったが,同月下旬に一旦29円まで下がった後,同年12月(本件提訴は同月26日)から平成13年1月中は40円台であり,同年2月には次第に高騰して同月下旬には一旦80円台まで値をつけ,同年3月は概ね60円台を推移した後,民事再生を申し立てた同月23日に60円であったが,翌週以降はほとんど無価値となったことが認められる。控訴人が本件請求額の基礎とする提訴時の株価42円よりその後も一時およそ倍額まで高騰した上記冨士工の株価の推移からすれば,被控訴人において,冨士工の倒産を予見しうべきであったとは到底認めることはできない。また,冨士工が民事再生を申し立てて事実上倒産したその日まで60円の株価であったことからすれば,仮に被控訴人が遅滞なく本件冨士工株を控訴人に引渡していても,本件冨士工株の引渡しを受けた場合に直ちに売却する予定であったなどの特段の事情が認められない本件においては,控訴人が倒産以前に本件冨士工株を売却し,本件請求額の価値を保有したとは考え難い。
控訴人は,当該企業に対する金融機関の支援打ち切りが予断を許さない情勢にあることを認識していれば,その企業の倒産についての予見可能性を肯定するに十分であると主張するが,本件提訴時ないし本件口頭弁論終結時において,いわゆる構造不況下にあることは顕著な事実であり,乙3の1・2によれば,冨士工より株価が低く,額面割れをしている上場企業も存することも認められ,同事情に鑑みれば,控訴人の同主張は採用し難い。
控訴人の主張(2)は採用できない。
(結語)
よって,これと同旨の原判決は相当であって,控訴人の本件控訴は理由がないからこれを棄却し,控訴費用の負担について民事訴訟法67条1項,61条を適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 福田晧一 裁判官 藤田敏 裁判官 倉田慎也)