名古屋高等裁判所 平成14年(ネ)47号 判決 2003年2月20日
主文
1 控訴人・被控訴人A,同B及び同Cの本件控訴に基づき原判決を次のとおり変更する。
2 被控訴人・控訴人国は,控訴人・被控訴人Aに対し,1352万6633円,同B及び同Cに対しそれぞれ676万3316円並びにこれらの金員に対する平成4年11月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 控訴人・被控訴人A,同B及び同Cのその余の請求をいずれも棄却する。
4 被控訴人・控訴人国の本件控訴を棄却する。
5 訴訟費用は,第1,2審を通じ,これを4分し,その1を被控訴人・控訴人国の負担とし,その余を控訴人・被控訴人A,同B及び同Cの負担とする。
6 この判決は,第2項に限り,仮に執行することができる。ただし,被控訴人・控訴人国が1500万円の担保を供するときは,この仮執行を免れることができる。
事実及び理由
(以下,略語は,原判決に準ずる。)
第1当事者の求めた裁判
1 控訴人・被控訴人A,同B及び同C(以下,同3名をまとめて「1審原告承継人ら」といい,各人を「1審原告承継人A」等という。)
(1) 原判決を次のとおり変更する。
(2) 被控訴人・控訴人国(以下「1審被告」という。)は,1審原告承継人Aに対し,6153万3962円,同B及び同Cに対し,それぞれ3076万6981円並びにこれらの金員に対する平成4年11月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(3) 1審被告の本件控訴を棄却する。
(4) 訴訟費用は,第1,2審とも,1審被告の負担とする。
(5) 仮執行宣言
2 1審被告
(1) 原判決中,1審被告敗訴部分を取り消す。
(2) 上記取消しに係る1審原告承継人らの請求をいずれも棄却する。
(3) 1審原告承継人らの本件控訴をいずれも棄却する。
(4) 訴訟費用は,第1,2審とも,1審原告承継人らの負担とする。
第2事案の概要
1 本件は,1審原告亡D(以下「亡D」という。)が,1審被告病院(岐阜大学医学部附属病院)において心臓バイパス術を受けた後,真菌性眼内炎を発症し,両眼失明に至ったことにつき,①1審被告病院の医療従事者らには,亡Dが真菌に感染しないように院内感染防止のための注意義務を怠った過失,②真菌血症の治療として適切な抗真菌剤の投与を怠った過失,③亡Dからの視力障害の訴え又はその兆候を見落とし,真菌性眼内炎の発症の発見が遅れ,早期に適切な治療行為を行わなかった過失があり,④各過失と亡Dの両眼失明との間に因果関係があり,⑤亡Dに1億2306万7924円の損害が生じたとして,1審被告に対し,準委任契約(診療契約)の履行補助者である1審被告病院の医療従事者の過失を理由とする債務不履行(不完全履行)に基づく損害賠償,ないし選択的に,被用者である医療従事者の同過失による不法行為につき民法715条の使用者責任に基づく損害賠償として,1億2306万7924円及びこれに対する平成4年11月10日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を求めたのに対し,1審被告が,①ないし⑤を否認して争った事案である。
原審において,①及び②の過失は否定されたが,③の過失及びこれに関する④の因果関係が認められた上,⑤につき過失相殺の法理の類推適用等がなされて,診療契約の債務不履行(不完全履行)に基づく損害賠償として2548万3640円及び結果が発生したと認められる平成4年11月10日以降の遅延損害金が認められたところ,双方がこれを不服としてそれぞれ控訴し,控訴審係属中に,亡Dが死亡し,相続人である1審原告承継人らが承継した。
2 前提となる事実,争点(当事者の主張を含む。)は,次に改めるほか,原判決「事実及び理由」の「第2 事案の概要」の1及び2のとおりであるから,これを引用する。
(1) 原判決3頁14行目の「(証人E)」を次のとおり改める。
「〔証人E。以下,E医師,F医師(10月5日以降について判示する場合はF医師に代えて後記のG医師),H医師,I教授の4名を『担当医師ら』ということがある。〕」
(2) 原判決6頁23行目の「自宅で生活している。」を次のとおり改める。
「自宅で生活していたところ,平成14年8月31日死亡し,その相続により,1審原告承継人Aが2分の1,同B及び同Cがいずれも4分の1の割合で,亡Dの権利を承継した。」
第3当裁判所の判断
当裁判所は,1審原告承継人らの請求は,不法行為(使用者責任)に基づく損害賠償として主文掲記(認容額合計2705万3265円及び遅延損害金)の限度でいずれも理由があるものと判断する。その理由は,当事者双方の当審における主張・立証も踏まえて次のように改めるほか,原判決「事実及び理由」の「第3 当裁判所の判断」の1ないし5のとおりであるから,これを引用する。
1 原判決39頁22行目の「内因性の感染」の次に「(本件では,カテーテル等の外部から加えられた措置に起因する真菌感染を外因性の感染といい,そうではなく手術以前に体内に潜んでいた真菌の活動により真菌症を発症する場合を内因性の感染という。)」を加える。
2 原判決42頁10行目末尾に次のとおり加える。
「1審原告承継人らは,解熱の原因につき,8月17日にカテーテルを抜去するまでの間の亡Dの発熱の状況は,解熱剤を投与すれば解熱がみられるものの,数時間でまた熱が上昇し40度以上もの発熱がみられていたのに対し,カテーテル抜去後は,8月18日,19日とも,37度台の熱で推移しているのであって,解熱はカテーテル抜去によるものと考えられると主張する。しかし,当時の亡Dの体温の状況は,8月17日の午後1時30分ころ38度台の発熱中にカテーテルが抜去された後,むしろ上昇し,午後3時過ぎに39.5度の発熱に至っている上(乙3,4),発熱の原因が敗血症性ショックで,かつ,急速な発熱後に体温が低下するという経過をたどることもあり得たこと(乙78)からすれば,この点が8月17日の発熱より8月18日,19日の発熱が低いことの原因であった可能性があり,控訴人主張の発熱状況から,解熱の原因がカテーテル抜去によると特定することは困難である。」
3 原判決42頁16行目末尾に次のとおり加える。
「1審原告承継人らは,真菌の感染源につき,腸管由来の菌が血中に移行するという機序は,IVHが長期に行われ,また,ステロイド剤が長期間投与される等して,腸管粘膜が萎縮・破綻することが前提となるところ,本件ではそのような前提を欠くと主張するが,1審原告承継人ら引用の証拠(甲45,乙16)において,IVHが長期に行われる等しない限り腸管由来の菌が血中に移行することはない等が積極的に明示されているものではなく,本件の証拠上,上記主張を裏付ける的確な証拠は存しない。また,1審原告承継人らは,8月17日に抜去したカテーテル先端の培養がなされていないことを患者の不利に判断することは認められないとも主張するが,担当医師らは8月17日に採取した血液を培養して8月24日ころには起炎菌を特定し,亡Dの病名をカンジダ菌を起炎菌とする真菌血症による敗血症と診断できたのであるから,それ以上に,8月17日に抜去したカテーテル先端の培養をすべき義務が生じていたとは解されず,これをしなかったことにより後日の訴訟において患者が病院側の責任を追及する際に証拠の不足による不利益が生ずる可能性があるとしても,条理に反するとまでは解されない。1審原告承継人らは,便の培養がなされていない点も指摘するが,同様に,担当医師らにおいて,亡Dの便を培養すべき義務が生じていたとは解されない。」
4 原判決42頁25行目の次に行を改めて次のとおり加える。
「なお,1審原告承継人らは,少なくとも他に明らかな感染巣が考えられるのでなければ,2日以上の発熱がみられる場合には,直ちにカテーテルを抜去すべきであるところ(甲12,36),8月13日に高熱を認めながら17日までカテーテル抜去を行わず,これが原因となってカテーテル菌血症からカテーテル敗血症,さらには敗血症性ショックを発症したと主張するが,本件の証拠上,亡Dの敗血症がカテーテル敗血症である可能性が高くないことは上記認定(原判示)のとおりであるから,17日までカテーテル抜去を行わなかったことが真菌血症等の発症の原因となったとの事実は認定できない。」
5 原判決47頁18行目の次に行を改めて次のとおり加える。
「エまた,抗真菌剤の投与量につき,1審原告承継人らは,当初真菌が検出されてから40日以上も経過した9月29日にも血清中のカンジダ抗原は陽性で,9月30日に膿からカンジダ菌が検出されたことからして,抗真菌剤投与が不十分であり,真菌血症に対する治療が不適切であったこと,クレアチニンクリアランス値が21を超えた9月24日以降もフルコナゾールを増量しなかった点は問題であること,9月28日の2度目の敗血症性ショックの発症が抗真菌剤の投与量が少なかった何よりの証左であること等を主張する。
しかし,9月28日及び9月29日に採取された各血液(合計3回)及び各IVHカテーテル(合計3回)についての真菌培養検査の結果(合計6通)はいずれも陰性であって(乙5),当時亡Dの血液中からはカンジダ菌が検出されなかったと認められるから(もっともこれにより直ちに血液中にカンジダ菌が全く存しないと断定することはできない。甲48等),抗真菌剤投与の目的を血液中の真菌を減少させ他の真菌症を予防するためとみる限り,担当医師らにおいて9月29日ころまでの抗真菌剤の投与量が不十分であると認識し得たとは断定できないし,そのような治療目的を前提とすれば,クレアチニンクリアランス値が21を超えた9月24日以降,担当医師らにおいてフルコナゾールを増量する必要性が高いと認識し得たとも認められない。また,膿からカンジダ菌が検出されたことをもって直ちに血液中のカンジダ菌に対する抗真菌剤の投与量が不十分であると認識し得たということもできない。
そして,上記認定(原判示)のとおり,亡Dは大動脈冠動脈バイパス術(本件手術)後,脳梗塞を発症し,さらに真菌を起炎菌として,縦隔洞炎といった死に至ることもある重篤な術後合併症(乙24)を併発し,当初,肝機能及び腎機能がかなり低下した状態であったもので,担当医師らは,抗真菌剤の肝臓及び腎臓に対する副作用のリスクを考えて,血液中から真菌を除去し他の真菌症を予防するための治療として抗真菌剤を少量投与し,真菌性縦隔洞炎に対しては局所的な治療(閉鎖式縦隔内洗浄ドレナージ術)を行う治療方法を選択したのであり,そのような治療方法によってもある程度の治療効果は期待できたというべきであるし,後からみれば抗真菌剤の投与量を少なくした結果2度目の敗血症性ショックに至った可能性があるとしても,その反面,抗真菌剤の投与量を少なくすることにより副作用発現のリスクを低減させたことは否定できないから,本件手術後,抗真菌剤の少量投与を前提とする上記の治療方法の選択をしたことをもって直ちに違法ということはできない。」
6 原判決50頁10行目から11行目にかけての「特に初期では血行性に脈絡網膜に十分の抗真菌剤を投与すべきとされる。」を「特に初期では血行性による脈絡網膜への感染及び同所から他への浸潤を警戒し,十分な抗真菌剤を投与すべきである。」と,52頁25行目から26行目にかけての「甲19号証」を「甲19,41号証」と,53頁11行目の「合併すると」を「合併すること及び早期診断のためには真菌症の疑診があれば眼底検査を頻回に施行すべきであることが」とそれぞれ改め,55頁13行目の次に行を改めて次のとおり加える。
「また,1審原告承継人らは,8月ころ以降眼底検査を行うべき義務の存否に関し,平成2年の段階で,一般開業医も購読する雑誌『治療』において,IVH留置中の患者にカンジダ感染症が多く,ときに眼内炎がみられるので,定期的な眼底検査が必要である等の指摘が繰り返され(甲37,38),『感染症と抗生物質の使いかた』という書籍の『カンジダによる敗血症への対策』という項目において,“high risk のもので不明の発熱を認めた場合には眼底検査を行う必要がある”と指摘され(甲48),日本外科代謝栄養学会機関誌『外科と代謝・栄養』には『高カロリー輸液中のカテーテル発熱患者に対する眼底検査の重要性』と題する症例報告等がなされ(甲21,46),平成3年の段階で,原判示のとおり同誌では再び類似の症例報告がなされ(甲27),『日本臨牀49巻 静脈・経腸栄養』でも上記のとおり頻回な眼底検査の必要性が指摘され(乙39),『外科感染症治療指針』という書籍の『真菌感染症』という項目において,術後IVHによる真菌性眼内炎が生ずることが指摘され(甲34),平成4年3月の日本外科学会総会においても,『IVH留置症例の真菌性眼内炎』と題する報告がなされていた(甲40)ことなどを指摘し,これらの文献は1審被告病院担当医師らに深い関わりのある分野の文献であって当然に目を通すべきものであり,日頃から専門医として研究する機会にも恵まれ,人的物的な医療設備の充実した環境の下で診療に携わり,IVHを施行する機会も多い上記担当医師らにおいては,8月以降定期的に眼底検査を行うべきだったと主張する。しかし,上記認定(原判示)のとおり,本件手術当時,E医師において,大きな手術に関われば真菌性眼内炎の発症に遭遇する可能性がある等の認識はあったものの,同医師を含む担当医師らにおいて,IVH着装者ないしIVH着装中真菌血症を発症した者に対し,真菌性眼内炎の兆候がなくても,定期的に眼底検査を実施する必要があることの認識までは有していなかったところ,1審原告承継人らが指摘する文献,報告等が,大学病院の胸部外科医師において当然に目を通しその内容に十分留意すべきものであったか否かは依然として判然とせず(なお,甲第34号証は,当時の外科分野における常識的な知見の内容を表すものとみることもできるが,定期的な眼底検査の必要についてまで言及するものではない。),また,順天堂大学浦安病院等の眼科医師らが外科と協力し4月からIVH着装者全員に定期的に眼底検査を実施し,その結果が11月に日本臨床眼科学会に報告されたこと(乙63)に照らしても,8月当時,大学医学部附属病院の外科において,IVH着装者ないしIVH着装中真菌血症を発症した者に対し定期的に眼底検査を実施するのが一般的であったとまでは認められないところである。そうすると,本件手術後,1審被告病院担当医師らにおいて,亡Dの真菌性眼内炎の兆候を認識しないにもかかわらず,定期的に眼底検査を実施する義務が生じていたとまで認めるには,なお,証拠が不足するといわざるを得ない(1審原告承継人らは,眼底検査の必要性を指摘する甲第35号証,乙第16号証も引用するが,いずれも平成5年に発行された文献であり,直ちに本件手術当時における定期的な眼底検査の義務の発生を基礎付けるものとは認められない。)。」
7 原判決58頁16行目の次に行を改めて次のとおり加える。
「これに対し,1審被告は,9月23日ころに眼の異常をE医師に訴えたとする亡Dの供述につき,信用性がないと主張するが,当時,亡Dに視力障害が生じていたことは明らかであるから,意識状態の比較的良い時にE医師にこれを訴えたとしても不自然ではない。他方,視力障害の経過について亡Dが『今までのことはよく憶えていない』と言ったとする11月10日のカルテの記載は概括的な記載であって,退院後に上記訴えの事実を具体的に思い起こすことと矛盾するとまではみられず,また,亡Dの病状からみれば,9月23日ころ以降,眼の異常に関する措置が行われないことに対し不服を訴えなかったことや病室にいた妻が亡Dの眼の異常に気付かなかったこともあり得ることであって,直ちに上記供述と矛盾するとはいえないから,上記供述の信用性を否定するに至らない。」
8 原判決60頁7行目の次に行を改めて次のとおり加える。
「1審被告は,当時の外科医師の真菌性眼内炎に関する認識及び亡Dの意識状態からみて,1審被告病院担当医師らにおいて看護記録の記載を真菌性眼内炎が発生している兆候として読みとることは不可能に近いと主張する。しかし,『文字板をみせるが,文字がさがせない。』,『意識レベルは良いが,目がみにくいのだろうか?』,『自分の目を指し何か訴えようとするが理解できず。』といった看護記録の記載は,意識レベルが良い状態で亡Dに視力障害ないし眼の異常があり得ることを窺わせるものであって,これらの記載から亡Dの視力障害等の可能性を疑うことが不可能に近いなどとは解されない。そして,視力障害等の可能性を疑えば,これを解明するために眼科医の診断を受けさせるといった調査を行うべきであり,眼科医の診断を受けさせれば,上記認定(原判示)のとおり,真菌性眼内炎を発見することが可能であったと認められる。そうすると,担当医師らが看護記録の記載を十分把握していれば,当時の外科医師の真菌性眼内炎に関する認識及び亡Dの意識状態に関わりなく,眼科医の診断を通じて真菌性眼内炎の発症を認識するに至ることが可能であったものと認められる。」
9 原判決62頁18行目末尾に次のとおり加える。
「もっとも,医療薬日本医薬品集平成13年版(乙71の1)によると,フルコナゾールの注射における慎重投与対象者として,『腎障害のある患者[血中濃度が持続するので,投与量を減ずるか,投与間隔をあけて使用する]』,『肝障害のある患者[肝障害を悪化させることがある]』等が指摘され,注射における副作用として,『急性腎不全:急性腎不全等の重篤な腎障害が報告されているので,定期的に検査を行うなど観察を十分に行い,異常が認められた場合には中止するなど適切な処置を行う(自発報告のため頻度不明)』,『肝障害:黄疸,肝炎,胆汁うっ滞性肝炎,肝壊死,肝不全等の肝障害が報告されており,これらの症例のうち死亡に至った例も報告されている。これらの発症と1日投与量,治療期間,患者の性別・年齢との関連性は明らかではない。本剤による肝障害は通常,中止により回復している。投与に当たっては,観察を十分に行い,異常が認められた場合には中止し,適切な処置を行う(自発報告のため頻度不明)』との記載があり,これに沿う副作用が生ずる可能性は否定できない。」
10 原判決63頁7行目末尾に次のとおり加える。
「もっとも,医療薬日本医薬品集平成14年版(乙72)には,ミコナゾールの注射における慎重投与対象者として,『肝障害,腎障害のある患者[症状を悪化させるおそれがある]』が指摘され,注射における副作用として,『肝機能障害(5%未満),黄疸(頻度不明)が現れることがあるので定期的に臨床検査を行うなど観察を十分に行い,異常が認められた場合には中止し,適切な処置を行う』,『急性腎不全(頻度不明)が現れることがあるので,定期的に臨床検査を行うなど観察を十分に行い,異常が認められた場合には中止し,適切な処置を行う』との記載等があり,これに沿う副作用が生ずる可能性は否定できない。」
11 原判決64頁23行目の次に行を改めて次のとおり加える。
「1審被告は,10月5日ころの亡Dの全身状態に関し,9月28日の敗血症性ショック及びこれに伴う急性腎不全の診断後,クレアチニンクリアランス値は20台で推移し,10月20日になって30台となったのであり,腎不全の状態にあったこと,当時,腎臓の予備能は著しく低下した状態にあり,GOT,GPTとも正常値を上回る状態で推移し,10月15日にはGOTが123,GPTが84にまで上昇したこと,したがって,亡Dは多臓器不全の状態に陥っていたのであり,イノバン(血圧上昇,心収縮力増強,腎血流増加薬),強力ミノファーゲンC及びタチオン(肝庇護剤),FOY(多臓器不全防止のため)といった薬剤を投与され,これによって重篤な腎機能不全及び肝機能不全に至ることなく推移していたに過ぎず,肝機能障害の副作用が2.1%あるミコナゾールの使用については慎重にならざるを得ない旨主張する。しかし,上記のようなクレアチニンクリアランス値,GOT値,GPT値で各薬剤投与を受けている状況の患者に対し抗真菌剤を増量投与する治療を開始することが不可能であることを裏付ける的確な証拠はなく,そのような腎機能及び肝機能の低下した全身状況をふまえても,なお,亡Dの全身状態の推移や副作用の発現状況に留意しながら,抗真菌剤を増量して全身投与する治療を実施することが可能である旨のJ鑑定が信用できないとみることは困難である〔ちなみに,原判示のとおり,10月5日及び10月9日のクレアチニンクリアランス値はいずれも28であるところ,抗真菌剤増量(ミコナゾール1日合計1200mg投与)後の11月16日の同値は31であって,両者の間にそれほど大きな数値の隔たりがあるわけではなく,また,10月6日から10月8日のGOT,GPTの値はいずれも40台であったのに対し,ミコナゾール1日合計1200mg投与中の11月20日におけるGOTは155,翌21日のGPTは88と高い値を示していたものの投与量の減少には至っていないのであって,これらの点からみても,10月5日ころ,なお,抗真菌剤を増量しての全身投与を開始した上で,亡Dの全身状態の推移や副作用の発現状況をみながら投与量の増減ないし薬剤の変更をしていく治療を実施することが不可能であったとは認められず,上記部分につきJ鑑定の信用性を否定するに至らない。〕。」
12 原判決65頁18行目の「循環動態にも」の次に「抗真菌剤を増量しての治療の開始を不可能とするような」を加え,原判決66頁1行目末尾に次のとおり加える。
「また,仮に抗真菌剤増量投与開始後に重篤な副作用の兆候が現れたなら,直ちに投与を中止して適切な処置を行うなどして対処することが可能であったと想定されるのであって,10月5日ころ以降,抗真菌剤の増量投与を開始すること自体が不可能であったとは認められない。」
13 原判決66頁6行目の次に行を改めて次のとおり加える。
「なお,1審被告は,ここで問題とされるべきは,仮に亡Dが真菌性眼内炎を発症していることが判明した場合,担当医師らが従前と同様の抗真菌剤の投与量にとどまらざるを得ないと判断することが医師の裁量の範囲を超えたものであるかどうかであって,裁判所が当時の状況下において医師に代わって抗真菌剤の投与量を判断することではないと主張する。しかし,上記判断(原判示)は担当医師らが抗真菌剤の増量投与をしなかったこと自体の過失の有無を検討しているものではなく,ここで問題としているのは,亡Dの視力障害に気付かなかったという不注意のために有効な治療が実施されなかったことと両眼失明の結果との間の因果関係であり,その因果関係の判断のために,仮に上記不注意がなかった場合にどのような治療方法を採り得たかを問題とし,抗真菌剤の増量投与が可能であったか否かを検討しているものである。したがって,上記主張は失当である。」
14 原判決66頁7行目の「可能性」を「蓋然性」と,19行目から23行目までを次のとおりそれぞれ改める。
「そうすると,真菌性眼内炎のⅡ期又はⅢ期aの患者に対しては,十分な量の抗真菌剤の全身投与が失明を免れる上で有効な治療であると認められ,また,本件においては上記認定(原判示)に照らし,1審被告病院担当医師らにおいて10月5日ころまでに亡Dの視力障害等に関する訴えに気付いていれば,眼科医の診療を受けさせて真菌性眼内炎を発見し,亡Dの全身状態の推移や副作用の発現状況に留意しながら,眼科医の助言を受けて十分に増量された抗真菌剤を全身投与する治療を実施したものと想定されるところであるから,これらによれば,上記不注意がなければ亡Dにおいて両眼失明を免れたであろうことを是認し得る高度の蓋然性を認めることができる。
この点,1審被告は,10月5日ころは亡Dのリンパ球数の絶対値が738であって,生体の防御システムが疲弊し,10月20日ころ(リンパ球数の絶対値1200)以降に比べて生体の免疫力が低下している状態であり,このような状態下で抗真菌剤を極量投与しても炎症が治まるものではなく,仮に10月5日ころにミコナゾール1日合計1200mgの投与を開始したとしても11月13日以降と同様の感染に対する治療効果があったか否かは不明というほかはないと主張する。確かに,10月5日ころには2回目の急性腎不全及び開胸手術からさほど期間が経過しておらず,10月20日ころ以降に比べて生体の免疫力が低下していたものと認めることができるが,当時における亡Dの免疫力が,抗真菌剤を十分量投与しても眼内炎が治まらない程度に低下していたことを具体的に裏付ける証拠は存しない上,9月26日ころ亡Dに対し十分量の抗真菌剤を全身投与することにより両眼失明は避けられた可能性が高い旨のJ鑑定に照らして,当時,亡Dの生体の免疫力が低かったことは否めないとしても,上記主張のように抗真菌剤を十分量投与しても眼内炎が治まらない程度に低下していたとまでは認め難い。
また,1審被告は,上記判断につき,担当医師らが10月5日の時点で真菌性眼内炎を発見したとして,どれほどの抗真菌剤の増量を可とするのか,それによってどの程度の効果が上がるのか等が具体的に判断されていないとして,因果関係を認めることができない旨主張する。確かに,視力障害発見後,十分量の抗真菌剤を全身投与する治療を実施するとしても,投与すべき抗真菌剤の種類,その具体的な量及び投与期間等は,亡Dの全身状態の推移や副作用の発現状況等の事情により影響されるものと推測されるところ,医師の不作為による権利侵害の因果関係については,ある範囲の薬剤の投与により結果発生を回避し得る高度の蓋然性を認めることができる以上,因果関係を肯定できるものであって,患者の全身状態とその変化により定まる薬剤の具体的な種類,量及び投与期間等の確定を要するものとは解されない。したがって,本件においては,視力障害を発見すべき時点において,十分量の抗真菌剤を全身投与する治療が実施可能であり,かつ,それが両眼失明を免れる上で有効な治療であると認められるのであれば,投与すべき抗真菌剤の種類,その具体的な量及び投与期間,その治療により亡Dの真菌性眼内炎に関し生ずる効果が具体的に認定されなくても,因果関係を肯定することができるものと解すべきである。」
15 原判決67頁3行目から4行目にかけての「診療契約の債務不履行(不完全履行)により」を「1審被告の被用者である担当医師らが医療行為という公権力の行使に当たらない1審被告の事業を執行するに際し負担するに至った義務の共同の過失に基づく不法行為責任につき,使用者として」と改め,22行目から25行目までを削り,68頁1行目の「原告に」から13行目までを次のとおり改める。
「亡Dは,失明しなければ満67歳まで就労可能であり,また,リハビリのため徳洲会病院に入院した平成5年3月の時点では,脳梗塞の後遺症のため全く歩けず,単語は言えたが言葉にならない状態であり(原審亡D),失明の有無にかかわらず労働能力が回復していなかったものとみられるが,平成7年1月までには起立歩行が可能で言語障害もほぼ回復していたと認められるから(甲44,乙1),失明しなければ平成6年ころ(49歳)から18年間の就労が可能であったと認められ,さらに,上記のとおり亡Dは平成14年8月31日死亡したものの,就労可能期間の認定上その死亡を考慮すべき特段の事情は認められないから,ライプニッツ方式により中間利息を控除して逸失利益を計算すると,7237万5518円となる。
計算式
682万6076円×(12.4622-1.8594)=7237万5518円」
16 原判決68頁19行目から69頁2行目までを次のとおり改める。
「真菌性眼内炎の予後については,病変部が治癒しても重度の視力障害を残すことも少なくなく,特に黄班部が障害された場合,矯正視力0.1程度にしか回復しないこともあると指摘されているところ(甲19),自賠法施行令別表においては,両眼の視力が0.1以下なった場合の労働能力喪失率は67%とされている。
ところで,上記認定(原判示)によれば,上記過失行為当時,亡Dは開心術後の縦隔洞炎という予後不良で重篤な術後合併症を発症し,脳梗塞も存し,腎機能,肝機能等が通常より低下している状態であったから,仮に上記過失行為がなかったとしても,全身状態や副作用の発現状況等との兼ね合いから,眼内の黄班部の障害を避けて十分な視力回復を得るだけの抗真菌剤を投与できなかった可能性も相当程度残る(この点で,亡Dの両眼失明の損害につき,上記過失行為と過失行為以前から存在した術後合併症の疾患等とが共に寄与した可能性を排斥できない。)。また,そのような重篤な術後合併症の疾患等により,亡Dにおいて,腎機能,肝機能等が通常より低下していたことを考慮すれば,抗真菌剤の増量投与をした場合,これによる副作用のため,失明ほどではないにしても,腎臓や他の臓器に何らかの後遺症が残った可能性も,あながち否定はできない。1審原告承継人らは,フルコナゾールやミコナゾールの副作用として肝機能や腎機能が悪化すること自体,頻度が低く,副作用に基づき不可逆的な後遺障害が残ることはないとして,副作用が生ずる可能性を想定するのは不当である旨主張するが,上記認定のとおり,これらの薬剤の副作用として,頻度は低いとみられるものの,急性腎不全,黄疸,肝炎,胆汁うっ滞性肝炎,肝壊死,肝不全等が生じ,その中には死亡に至った例もあると報告されているのであるから,上記主張のように副作用の可能性を全く想定しない見解には到底賛成できない。」
17 原判決69頁16行目の「4割である」から19行目までを次のとおり改める。
「2割5分である2459万3879円とするのが相当である。
計算式
(7237万5518円+2600万円)×0.25=2459万3879円」
18 原判決69頁23行目の「231万6694円」を「245万9387円」と,25行目から26行目までを次のとおりそれぞれ改める。
「そうすると,亡Dが1審被告対して請求し得た損害は2705万3266円となり,相続により,1審原告承継人A分が1352万6633円,同B及び同C分がそれぞれ676万3316円となる。
また,遅延損害金請求は,不法行為の後である平成4年11月10日以降の分を認容することができる。
なお,選択的併合の関係にある債務不履行(不完全履行)による損害賠償請求について,認容されるべき範囲も,不法行為(使用者責任)に基づく損害賠償請求に関する上記認容額を超えるとは認められない(債務不履行による損害分の遅延損害金請求につき,履行遅滞が生じた時期を平成4年11月10日と認めるに足りる主張立証もない。)。」
第4結論
よって,1審原告承継人らの不法行為(使用者責任)に基づく損害賠償請求の一部を認容し,これを超える部分につき1審原告承継人らの各請求を棄却することとなるところ,これと異なる原判決を変更することとし,第1,2審の訴訟費用の負担割合を定め,条件付仮執行宣言を付することとして,主文のとおり判決する(なお,選択的併合請求において認容する請求に変更を生じたため,原判決の債務不履行による損害賠償請求に関する部分は上記認容額の限度で失効した。)。
(裁判長裁判官 田村洋三 裁判官 小林克美 裁判官 戸田久)