名古屋高等裁判所 平成14年(行コ)62号 判決 2003年5月08日
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人が,控訴人に対し,平成13年5月1日付けでした「医薬品副作用・感染症症例票(平成12年5月29日,識別番号C00-1256)」の文書の一部不開示決定(ただし,平成14年5月30日付け異議決定により変更後のもの)のうち,「患者略名」及び「職業」を不開示とした部分を取り消す。
3 訴訟費用は1,2審とも被控訴人の負担とする。
第2事案の概要
本件は,控訴人が,行政機関の保有する情報の公開に関する法律(以下「情報公開法」という。)に基づいて,控訴人本人の情報が記載されていると主張する前記第1の2の文書(以下「本件文書」という。)の開示を請求したところ,被控訴人が,同法5条1号の不開示事由が存在するとして,前記第1の2の2項目(以下「本件不開示部分」という。)ほかについて不開示とし,その余を開示するとの決定(以下「本件決定」という。)をしたため,本件決定のうち本件不開示部分に係る部分の取消しを求めたところ,原審が控訴人の請求を棄却したことから,控訴人から控訴のあった事案である。
1 争いのない事実等
原判決「事実及び理由」欄の「第2 事案の概要」の「1 当事者間に争いのない事実等」に摘示のとおりであるから,これを引用する。
2 争点
次のとおり削除訂正するほかは,原判決「事実及び理由」欄の「第2 事案の概要」の「2 本件の争点及びこれについての当事者の主張」に摘示のとおりであるから,これを引用する。
(1) 原判決3頁16行目の「本件決定を追認した」を「本件決定の判断を是認した」と改める。
(2) 同4頁7行目冒頭から13行目末尾までを次のとおり改める。
「個人識別情報を非公開とする実質的理由は,個人情報の保護によって個人の権利(個人のプライバシーの保護)を守るためにあるのであって,そのような目的を離れて,個人が識別できる蓋然性があるという極めて抽象的かつ形式的な理由によって非公開が許されるのは,合理的な解釈ではない。
しかも,個人識別に関する情報は,住所,氏名などそれ自体から個人が識別される情報と,他の複数の情報と組み合わせなければ個人が特定できない情報とに大別できるが,イニシャル情報はまさに後者に該当するものであって,「患者略名」欄にイニシャルである「A.H」が記載されていても,アルファッベットに適合する姓や名などが無数にあることや,特に本件ではイニシャルが日本語の姓と名の順とは逆になっていることから,控訴人以外の第三者からは,イニシャルによって個人を特定することはできるものではない。また「職業」である「海女」についても,古来からの伝統的漁法であり,日本の各地や韓国済州島に存在しているから,決して希少職業とはいえず,個人を特定するものではない。したがって,本件不開示部分は,情報公開法5条1号(本文前段)の定める個人識別情報には該当しないというべきである。
仮にそうでないとしても,イニシャルと職業とは別の情報であって,少なくとも職業欄の「海女」を公開したとしても,控訴人本人が特定される蓋然性はない。控訴人は,シャントの服用後急にアナフィラキシーショックを起こしたのであり,これが海中の作業中であれば確実に死亡していたのであるから,事故の再発防止という公益的観点からも,職業欄の「海女」は公開されるべき情報である。」
(3) 同5頁15頁目の「(以下「本件判決」という。)」を削除する。
(4) 同6頁11行目の「請求者本人の自己情報である場合には,」を「請求者が開示を求めている情報が請求者本人の自己情報である場合には,当該情報を」と改める。
(5) 同7頁24行目及び8頁14行目の「本件判決」をいずれも「前記最高裁判決」と改める。
第3当裁判所の判断
1 争点(1)(本件不開示部分が個人識別情報に該当するか)について
(1) 情報公開法5条1号(本文前段)が,不開示情報として,氏名,生年月日などそれ自体が独立して特定の個人の識別を可能にする事項のみならず,「他の情報と照合することにより,特定の個人を識別することができることとなる」事項をも含むものとしている趣旨は,一定の集団に属する者に関する情報を開示すると,当該集団に属する個々の者に不利益を及ぼす場合があり得るため,このような場合には,情報の性質及び内容に照らし,プライバシー保護の十全を図る必要性があることに鑑みたものであると解される。そして,情報公開法が,開示請求の請求主体について何らの制約を設けていないため,当該個人の同僚,知人等も開示請求をする可能性があることからすれば,上記の「他の情報」とは,一般に容易に入手し得る情報のみに限定されるものではなく,当該情報の性質及び内容に照らし,具体的事例において個人識別の可能性をもたらすような情報を含むものと解するのが相当である。
これを本件についてみるに,本件不開示部分は,本件文書に記載された「患者略名」と「職業」であるところ,これらは,一般に個人の特定に役立つ有力な情報であるうえ,特に職業はその種類(例えば,控訴人が主張するような「海女」など)によっては,対象者を相当範囲にまで限定する役割を果たすものであるから,これらの情報と,本件処分の段階で開示された情報や異議決定によって更に開示された原判決添付別表記載の各情報をあわせることにより,特定の個人に関する情報であることが可能になるものと認められるから,本件不開示部分は,情報公開法5条1号(本文前段)の定める個人識別情報に該当するものというべきである。
(2) なお,控訴人は,少なくとも本件不開示部分のうち職業欄については事故の再発防止という公益的観点からも開示されるべきであると主張する。
この点,情報公開法5条1号ただし書ロは,「人の生命,健康,生活又は財産を保護するため,公にすることが必要であると認められる情報」については,当該行政文書を開示しなければならない旨規定しているところ,同ただし書は,いずれも,情報開示の必要性と個人のプライバシーの保護との調整を図る趣旨の規定であることは明らかであるから,同ただし書所定の場合に該当するかどうかは,当該情報を不開示とすることによって保護される利益とこれを開示によって保護される利益との比較衡量によって決定すべきものとするのが相当である。
これを本件についてみるに,シャントの服用後急にアナフィラキシーショックを起こした場合に死亡に至る危険性は,控訴人の主張する海女として海中での作業に従事している場合に限られるものではないことは明らかであり,一定の職業に従事する者についてのみ特にその危険性を周知させる必要性に乏しいものというべきであるから,本件不開示部分のうちの職業欄の記載を開示することによって保護される利益が,これを不開示とすることによって保護される利益を上回るものということはできず,本件不開示部分のうちの職業欄の記載は,情報公開法5条1号ただし書ロ所定の情報には該当しないものというべきである。
(3) よって,争点(1)についての控訴人の主張は理由がない。
2 争点(2)(請求者本人の自己情報については,個人識別情報に該当しても,開示請求権を肯定できるか)について
(1) 情報公開法は,行政機関の保有する情報の一層の公開を図り,もって政府の有するその諸活動を国民に説明する責務が全うされるようにするとともに,国民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な行政の推進に資することを目的とするものであり(同法1条),そのため,開示請求の請求主体について何らの制約を設けず,また,開示請求の理由,目的又は利害関係の有無を問うことなく,不開示事由に該当しない限り,行政文書の開示を認めることとしているのであって,本来,個人の権利利益の保護のために自己情報をその者にだけ開示することは予定していないものである。
しかも,情報公開法5条1号本文前段は,その文言上,特定の個人の権利利益が現実に害されること又はそのおそれがあることを不開示の要件として規定せず,特定の個人を識別することができる情報は原則として不開示とする立場を取っていることが明らかであるから,本人による自己情報の開示請求のように,現実には個人のプライバシーを侵害するおそれを想定し難い場合であっても,それが個人識別情報に該当する以上,原則として不開示とすることとしたのが情報公開法の趣旨であると解さざるを得ない。また,仮に,情報公開法が,本人による自己情報の開示請求に対しては個人識別情報に該当する場合であっても開示を認める趣旨であるとすれば,対象となった文書に記載された情報が請求者の自己情報に該当するか否かを確定する手続が必要となるはずであるが,情報公開法はこのような手続について何らの手当てをしていないのであって,この点からいっても,情報公開法が自己情報の開示について特別の扱いをする趣旨でないことは明らかであるというべきである。
(2) なお,控訴人の引用する最高裁判決は,特定の個人が識別され得る情報のうち,通常他人に知られたくないと認められるものを公開しないことができるとの規定がある一方,自己の個人情報の開示を請求することを許さない趣旨の規定等が存しない条例において,当該個人が自ら公開請求をしたことが明らかであった事案についての判断を示したものであるところ,上記のとおり,情報公開法は,請求者が自己情報についての開示を請求した場合であっても,第三者がこれを請求した場合と同一の要件のもとにのみ開示を認める趣旨であることが明らかであるから,上記最高裁判決は本件とは事案を異にし,これをもって本件請求を根拠づけることはできないというべきである。
(3) よって,争点(2)についての控訴人の主張も理由がない。
3 以上の次第で,控訴人の請求を棄却した原判決は正当であり,本件控訴は理由がないから棄却することとし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 小川克介 裁判官 鬼頭清貴 裁判官 濱口浩)