名古屋高等裁判所 平成15年(ネ)149号 判決 2003年8月19日
主文
1 本件控訴を棄却する。
2 1審原告は,1審被告に対し,5万円を支払え。
3 1審被告のその余の反訴請求を棄却する。
4 控訴費用及び反訴費用は,いずれも1審被告の負担とする。
事実及び理由
第1当事者の求めた裁判
1 1審被告
(1) 本件控訴に関し
ア 原判決を取り消す。
イ 1審原告の請求を棄却する。
ウ 訴訟費用は,第1,2審とも1審原告の負担とする。
(2) 反訴に関し
ア 1審原告は,1審被告に対し,2820万円を支払え。
イ 反訴費用は,1審原告の負担とする。
2 1審原告
(1) 本件控訴に関し
ア 主文第1項と同旨
イ 控訴費用は,1審被告の負担とする。
(2) 反訴に関し
ア 1審被告の請求を棄却する。
イ 反訴費用は,1審被告の負担とする。
第2事案の概要
1 本件は,1審原告が1審被告に対し,1審被告と1審原告との間には原判決別紙預金目録記載の普通預金債務以外の預金債務が存在しないことの確認を求めたが(本訴),1審被告が昭和61年12月12日に現金50万円をもって新規の本件定期預金をしており,1審原告にはその定期預金債務(以下「本件債務」といい,債権者側から見る場合は「本件債権」ともいう。)が存在する旨を主張して争った事案である。
原審は,1審被告主張の本件債権の存在を認めることができないとして,1審原告の債務不存在確認請求を認容したが,1審被告がこれを不服として控訴した。
1審被告は,当審において,本件にかかわる交渉経過の中で1審原告の従業員から電話で「キチガイ」呼ばわりされたこと等の1審原告の侮辱的対応が1審被告の名誉感情を侵害し不法行為にあたるとして,1審原告に対し,不法行為(民法709条,715条)に基づく慰謝料2820万円を請求したところ(当審における反訴。この反訴を当審で審理することにつき1審原告は同意した。),1審原告は上記事実を否認し,故意及び違法性がないと主張して争っている。
2 当事者の主張は,次項に反訴についての当事者の主張を加えるほか,原判決「事実及び理由」の「第3 争点及び当事者の主張」のとおりであるからこれを引用する〔ただし,原判決2頁4行目の「・A)」を「のA。以下『A』という。)」と改める。〕。
3 1審被告の反訴(不法行為に基づく損害賠償請求)について
(1) 1審被告の主張
①1審原告は,1審被告の本件債権に関し,長い間きちんとした説明をしない上,謝罪どころか逆に1審被告を犯人扱いし,馬鹿にし,軽蔑し,同人に大勢の前で辱めを与えたこと,②1審原告の専務,頭取,会長は何の対応もしていないこと,③1審被告が平成9年1月29日に専務に話を聞いてほしいと頼んだ直後に,B岐南支店長は凄い形相で専務から1審被告を遠ざけ,暴力団の用心棒のような対応をしたこと,④1審原告のお客様相談室C及び同室長代理D,E,Fらは,1審被告を馬鹿にし,軽蔑し,キチガイと言う等したこと,⑤その結果,1審被告は,これらに対する苦情の電話代や暇代を費やすなどし,精神的苦痛を受けたものであり,その慰謝料額は,次のとおり2820万円を下らない。
ア 昭和62年から平成9年までの11年間(132か月)につき
慰謝料1か月10万円×132=1320万円
イ 平成10年から平成14年までの5年間(60か月)につき
慰謝料1か月25万円×60=1500万円
ウ 平成15年から頭取,会長が対応するまでの間,1か月当たり25万円
(2) 1審原告の主張
ア 1審被告の上記主張は争う。
イ 1審被告は,平成9年ころから1審原告の本部に毎日15回ないし20回の電話を架けてきて,「十六銀行は泥棒を雇っている。」,「営業をできなくしてやる。」,「お前達は殺されても仕方のない人間だ。」などと誹謗中傷し,1審原告を罵倒していたため,1審原告は,平成9年後半ころから1審被告からの電話に対しオンフック状態(受話器を外して会話をしない状態で,電話の相手の声は聞こえても,応対者の声は相手に伝わらない。)で応対していた。1審被告からの電話については1審原告のお客様相談室が応対していたが,1審原告の従業員が電話口で直接1審被告に向けて「キチガイ」呼ばわりしたことはなく,仮にそのような事実があり,これが1審被告に聞こえたとしても,オンフック状態で銀行内部の話し声が何らかの原因により受話器から漏れたものであり,1審被告を誹謗中傷するような意図はなく,故意がないものである。
ウ また,1審被告から,誹謗中傷の電話が毎日数多く続いており,「殺す」等身体・生命に対する害悪を告知するような言辞までなされている状況下で,1審被告の攻撃が先行しており,これに対しやむを得ず出たものであり,違法性がないものである。
第3当裁判所の判断
1 当裁判所は,本件控訴については,1審被告が現金50万円をAに交付して新規の本件定期預金として預けたものと認めるに足りる証拠はなく,1審被告主張の本件債権を認めることはできないが,反訴については,1審原告の従業員が電話口で1審被告に聞こえる状態で「キチガイ」呼ばわりしたことが認められ,その結果1審被告の人格権(名誉感情)を侵害し,1審原告は民法715条に基づき慰謝料5万円の限度で損害賠償義務を負うものと判断する。その理由は,次のとおり改め,次項で反訴に対する判断を加えるほか,原判決「事実及び理由」の「第4 判断」のとおりであるからこれを引用する。
(1) 原判決3頁19行目から20行目にかけての「被告は乙4の2」を「1審被告は,昭和61年12月12日に新規の本件定期預金として預けるために現金50万円をAに交付した証拠として,乙第4号証の2」と,21行目の「50万円」を「¥500000」とそれぞれ改める。
(2) 原判決3頁22行目から4頁2行目までを次のとおり改める。
「 しかしながら,証拠(甲1の1,2,甲9,乙4の2,乙7の1,4)及び弁論の全趣旨によれば,1審被告の定期積金及び上記駐車場料金の集金を担当していたAは,昭和61年12月12日に1審被告方を訪問し,1審被告から同月19日に満期となる定期預金20万円と同月10日に満期となった定期預金30万円(利息が1万0725円)を定期預金(継続)にするため総合口座通帳を預かり,1審被告の定期預金受取書を作成し,その際,同受取書の欄外に『継続 200,000 300,000より』とメモ書きしたこと,1審被告の通帳上も,昭和61年12月10日に満期となり,自動継続となっていた定期預金30万円(継続後は31万0725円)が同月19日の解約による元利金31万0738円(同日までの利息分を含む。)として普通預金口座に入金され,同月19日に普通預金口座から合計50万円が出金されたとの記載があり(上記20万円については通帳の一部しか提出されていないため,記載の存否は不明。),1審原告の定期預金元帳には同月22日を取扱日として,20万円と30万円の定期預金が預入処理された旨の記載がある(取扱日は同月22日であるが,同元帳の期日欄は,それぞれ『64.12.19』,『62.12.19』であり,昭和61年12月19日入金として処理されたものと推測される。ちなみに,同月20日,21日は土,日曜日である。)ことが認められる。これらによれば,上記定期預金受取書(乙4の2)は,1審被告の従前の定期預金20万円と30万円を満期後の継続処理により金額合計50万円の定期預金にするために預かったことを記載したものと推認でき,1審被告がこれとは別に新規の本件定期預金として預けるために現金50万円をAに交付したことを裏付けるものということはできず,その外,本件全証拠によるも,上記50万円交付の事実を認めるに足りない。」
(3) 原判決4頁12行目の「記載は,」から13行目末尾までを「記載に関する1審原告の上記説明(原判決「事実及び理由」の「第3 争点及び当事者の主張」の3(2)の説明)につき,不自然な点は見受けられず,1審被告の上記主張は採用できない。」と改める。
2 1審被告の反訴について
(1) 証拠(甲4ないし7,乙9,11,13)及び弁論の全趣旨によれば,①1審被告は,昭和62年1月22日,1審原告に対し,Aに新規の本件定期預金とするため現金50万円を交付したのに,Aから定期預金証書を貰っていない旨の苦情の電話をし,Aから,現金50万円を預かっておらず,預かれば預かり証があるはずであるから見せてほしい等と言われたが,預かり証が見つからず,そのままになっていたこと,②1審被告は,平成2年11月6日,1審原告の本部(業務部)を訪れて上記と同様の苦情を申し入れ,1審原告のG岐南支店長とAは,翌日,1審被告方を訪問して,1審被告に,Aは現金50万円を預かっておらず,昭和61年12月12日ころの50万円の定期預金は従前の定期預金が満期となり継続処理したものであるとの説明をしたが,1審被告は,上記の説明に納得しなかったこと,③1審被告は,平成2年12月上旬ころ,定期預金受取書(乙4の1,2)が見付かったことから,1審原告に再度苦情を申し入れたが,1審原告は,1審被告の苦情を取り上げなかったこと,④1審被告は,岐阜県消費生活センターに苦情の申立てをし,1審原告は,同年12月下旬ころに,同センターにおいて上記と同様の説明をしたが,1審被告は納得しなかったこと,⑤1審被告は,平成4年12月17日,1審原告の本部(業務部)に再度苦情の申立てをしたこと,⑥1審被告は,平成8年12月18日,1審原告の本部(お客様相談室)を訪れて上記と同様の苦情を申し立て,さらに,岐阜財務事務所にも上記と同様の苦情の申立てをしたこと,⑦1審被告は,平成9年1月19日ころ,1審原告のH専務宅を訪れ,直接話を聞いて貰おうとしたが,面談することができず,同月29日,H専務の講演会で同専務と直接話そうとしたが,1審原告の従業員らに止められ面談することができなかったこと,⑧1審被告は,その後,1審原告に電話をして,1審原告の対応の不満を述べ,同専務,頭取,会長等との面談を求めることを要望するようになったこと,⑨1審原告は,1審被告からの電話については,主にお客様相談室で応対していたが,1審被告からの電話がほぼ毎日数回架かってきて,その度に同じような遣り取りの繰り返しとなっていたことから,1審被告からの電話を担当部署に回した後は電話をオンフック状態(1審被告の受話器からの会話は聞こえるものの,1審原告の従業員の受話器からの会話は1審被告に聞こえないような状態)にすることにしたこと,⑩1審被告は,平成9年11月13日午後4時48分ころ,1審原告に電話をし,1審原告の電話交換係が1審原告のお客様相談室に電話を回したが,担当部署では従前と同様にオンフック状態にしたつもりで,1審被告からの電話による会話について応対しなかったが,1審原告の従業員が話した「キチガイ相手にしとれんな。」との発言が受話器を通じて1審被告に聞き取られたこと,⑪1審被告は,その後も,1審原告にほぼ毎日数回電話をして1審原告の対応の不満を述べ,時には1審原告を「犯罪集団」と言ったり,「相手が相手だったら,殺される。」等と発言したりすることもあったこと,⑫1審被告は,1審原告が本件訴訟を提起する時まで同様の電話を繰り返し,その内容を録音テープに録っていたこと等の事実が認められる。
(2) ところで,何人も自己の人格的価値に対する評価(名誉感情)を有するものであり,これが社会生活上是認できる限度を超えて不当に侵害され,精神的苦痛を受けた場合には,人格権の侵害として,不法行為が成立し,慰謝料請求権を発生させるものと解される。
上記のとおり,1審原告の従業員が1審被告を「キチガイ」呼ばわりすることは明らかに人を侮辱する言葉であって,これは社会生活上是認できる限度を超えて1審被告の名誉感情を不当に侵害するものであり,1審被告の人格権の侵害として,不法行為が成立するものといえる。
(3) 1審原告は,直接1審被告に向けて「キチガイ」呼ばわりしたものではなく,オンフック状態で1審被告に聞こえないものと思って発言した言葉であり,1審被告を誹謗中傷する意図がなく,故意がないものと主張する。
しかしながら,「キチガイ」呼ばわりすることが相手を侮辱する言葉であることは明白であり,これを直接相手に向けて意図的に発言しなくても,その当時の客観的状況下において,相手に直接聞こえることが予見でき,あるいは,何人かを介して1審被告に伝わることが予見できる場合には,発言者は,これを予見し,人格権侵害を回避すべき注意義務を負い,これを怠った場合は,不法行為が成立するものといわざるを得ない(なお,1審被告は,この点を明確に主張するものではないが,その主張する趣旨から,同主張をするものと善解できる。)。
そこで,検討するに,上記認定事実によれば,上記発言は,1審被告からの電話が架かってきており,その際の1審原告の従業員による発言であること,1審原告の従業員はオンフック状態にしたものと思っていたが,客観的にはオンフック状態になっていなかったことが認められ,1審原告の従業員はオンフック状態にする操作を誤ったものと推認されるところ,オンフック状態にする操作を誤る場合もあり得,その場合には,1審原告の従業員の発言が電話を通じて直接1審被告に聞こえることは,1審原告の従業員としては予見できると考えられ(特にお客様相談室は銀行の取引相手との応対や苦情処理を主にする部署であり,直接顧客と間の応対は十分に注意するのが当然である。),上記1審原告の従業員には,注意義務違反を認めることができ,不法行為が成立するものと解される。
(4) 1審原告は,1審被告による誹謗中傷の電話が毎日数多く続いており,1審被告の攻撃が先行しており,やむを得ず出たものであり,違法性がないと主張する。
しかしながら,1審原告の従業員が「キチガイ」呼ばわりしたのは,平成9年11月13日午後4時48分ころの電話での応対においてであり,当時は1審被告の電話の回数は多かったものの,1審被告のそれまでの電話での遣り取りにおいて1審原告を誹謗中傷するような発言があったものとまでは証拠上認めることができず,1審原告の上記主張は,その前提を欠き採用できない。
(5) 1審被告は,(1)の事実以外に,①本件債権につき長い間説明を受けない上に,犯人扱いされ,大勢の前で辱めを受けたこと,②1審原告の専務,頭取,会長が何の対応もしていないこと,③平成9年1月29日にB岐南支店長から暴力団の用心棒のような対応を受けたこと,④お客様相談室Cら4人から馬鹿にされ軽蔑されたこと等を主張する。
しかしながら,上記①の説明を受けないとの点や上記②の事実については,1審原告及びその専務,頭取,会長が1審被告に説明したり,その苦情に対して直接対応すべき義務があるとはいえず,不法行為となるものではないこと,その余の上記①,③及び④の各事実については,これらを認めるに足りる証拠はなく,1審被告の上記主張は採用できない。
(6) 以上によれば,1審原告の従業員が平成9年11月13日午後4時48分ころの電話において1審被告を「キチガイ」呼ばわりした侮辱行為は,1審被告の名誉感情を不当に侵害するもので不法行為が成立するところ,1審原告は,その使用者として民法715条1項に基づき損害賠償義務を負うものといえる。
そして,1審被告の精神的苦痛を慰謝するには,その当時の状況,発言の態様等の本件諸般の事情を考慮すると,5万円をもって相当と思料する。
第4結論
よって,1審原告の本訴については本件債権の存在を認めることができず,1審原告の債務不存在確認請求は理由がありこれを認容すべきところ,これと結論を同じくする原判決は相当であるので本件控訴を棄却し,また,1審被告の反訴請求については5万円の限度で理由があるのでこれを認容し,その余の請求を棄却することとし,控訴費用及び反訴費用の負担を定めて(反訴の請求金額が多額であり,そのうち認容金額がわずかであること等の事情によれば,反訴費用についても一部勝訴した1審被告に全部負担させるのが相当である。),主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 田村洋三 裁判官 小林克美 裁判官 佐藤真弘)