名古屋高等裁判所 平成15年(ネ)169号 判決 2003年10月28日
控訴人
旧商号共栄火災海上保険相互会社
共栄火災海上保険株式会社
代表者代表取締役
小澤渉
訴訟代理人弁護士
江口保夫
同
江口美葆子
同
豊吉彬
同
河野満也
被控訴人
有限会社A
代表者代表取締役
甲野太郎
訴訟代理人弁護士
美和勇夫
主文
1 原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。
2 上記部分にかかる被控訴人の請求を棄却する。
3 訴訟費用は1,2審とも被控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1 控訴の趣旨
主文同旨
第2 事案の概要
1 本件は,被控訴人が,控訴人に対し,被控訴人所有の建物が火災にり災したとして,控訴人との間で締結していた店舗総合保険契約に基づき,同建物の設備及び什器等について,保険金3億円及びこれに対する被控訴人が控訴人に上記保険金の支払を催告した期限の日の翌日である平成12年4月1日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払,並びに上記保険契約の債務不履行に基づく損害賠償として弁護士費用600万円の支払を求めたところ,原審がその一部を認容したことから,これに不服である控訴人が控訴した事案である。
2 前提となる事実及び争点は,次のとおり訂正するほかは,原判決「事実及び理由」欄の「第2 事案の概要」の「1 前提となる事実」及び「2 争点」に摘示のとおりであるから,これを引用する。
(1) 原判決3頁21行目の「上記電気料金の一部を返済するものの」を「その後上記電気料金の一部については返済したものの」と改める。
(2) 同4頁2行目から3行目までの「(店舗総合保険普通保険約款。乙2号証及び49号証(平成7年2月1日版))」を「(店舗総合保険普通保険約款(平成7年2月1日版)。乙2号証,49号証)」と改める。
(3) 同12行目の「送信されなかったことから」を「送信されなかったことを契機として」と改める。
(4) 同5頁1行目から2行目の「コイン約5万枚が盗難にあったこと」を「ドアが壊され,店内からコイン約5万枚がなくなっていること」と改める。
(5) 同14頁26行目の「有限会社B」を「B」と改める。
第3 当裁判所の判断
1 当裁判所は,本件約款に基づいて保険者に対して火災保険金の支払を請求する者は,発生した火災が偶発的な災害であることについて主張,立証すべき責任を負うものと解するが,その理由は以下のとおりである。
商法の定める損害保険の総則としての同法629条が,「損害保険契約ハ当事者ノ一方カ偶然ナルー定ノ事故ニ因リテ生スルコトアルヘキ損害ヲ填補スルコトヲ約シ相手方カ之ニ其報酬ヲ与フルコトヲ約スルニ因リテ其効力ヲ生ス」と定めていることからすれば,火災保険について定めた同法665条にいう「火災」とは,一切の火災を意味するものではなく,「偶然ナル事故」と認めうる火による災害を指すものであることは明らかである。そして,本件約款1条1項が「保険金を支払う場合」として,「火災,落雷等の事故によって保険の目的について生じた損害に対して損害保険金を支払う」旨定めているのも,これと同趣旨のものと解するのが相当であり,したがって,発生したこれらの事故の偶然性が保険金請求権の成立要件であると解すべきである。もし,このように解するのでなければ,保険金の不正請求が容易となるおそれが増大する結果,保険制度の健全性を阻害し,ひいては誠実な保険加入者の利益を損なうおそれがあり,相当でないからである。この点,本件約款2条1項(1)の「保険契約者,被保険者又はこれらの者の法定代理人の故意若しくは重大な過失又は法令違反によって生じた損害に対しては,保険金を支払わない」旨規定しているけれども,この定めは,保険金が支払われない場合を確認的注意的に規定したものにとどまり,保険契約者等の故意・重過失等により保険金の支払事由に該当する事故が発生したことの主張立証責任を保険者に負わせたものではないと解すべきである(最高裁平成10年(オ)第897号同13年4月20日第二小法廷判決・民集55巻3号682頁参照)。
2 当事者間に争いのない事実,甲第1ないし第3,第8,第9,第15,第35,第41,第43,第54,第56,第62,第77,第81,第83,第87ないし第89,第94,第99ないし第102号証,乙第1号証の1ないし4,5の1ないし6,第3ないし第5号証,第9号証の4,第13号証の1,2,第14号証の1ないし5,第15,第31,第33,第36,第37号証,第38号証の1ないし4,第40,第41号証の各1,第72号証,証人青山,同丙田の各証言及び被控訴人代表者の尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば,以下の事実を認めることができる。
(1) 本件建物は,鉄骨造2階建のパチンコ店と従業員寮の複合用途建築物で,1階はパチンコ店,2階は従業員寮及び食堂となっており,建築面積は664.39平方メートル,述べ面積は925.65平方メートルで,その所有者であるBが,昭和63年4月に用途変更によりパチンコ店として増築し,更に平成2年に2億5500万円程度の費用をかけて増改築工事を行っていた。
本件建物への出入口は,パチンコ店の北側正面と東西にそれぞれ1か所ずつと,南側に寮への通用口1か所の合計4か所である。正面の出入口及び東西の扉は自在扉(シリンダー錠付)となっており,南側通用口はインテグラック錠のアルミ製片開きドアとなっている。また,窓はアルミサッシで,クレセント錠で施錠される構造となっている。
(2) 被控訴人は,平成10年5月6日,Bから,本件建物を賃料月額18万5000円,期間7年間との約定で借り受け,さらに,同月12日には,本件建物の機械及び設備一式並びに営業権を7000万円で買い受けた。その後,被控訴人は,7000万円余りをかけて本件建物の改修工事を行い,平成10年7月15日,本件パチンコ店を開店した。なお,甲野は,本件パチンコ店の開業資金として,被控訴人の総務部長乙山一郎(以下「乙山」という。)から合計5600万円,取引先等から合計4300万円,兄弟等の親族から1000万円をそれぞれ借りていた。
また,被控訴人は,平成10年5月6日,東海警備との間で,警備料月額3万8000円とする本件警備契約を締結した。本件警備システムはセンサーによる機械警備であり,本件建物の1階表ホールの出入口1階事務所とトイレの窓1階東西側通用路から通ずるホール入口の3か所にセンサーが設置され,警備セットからリセットまでの間,3時間ごとに東海警備に定時信号が入るほか,人が建物へ侵入してセンサーに触れるなどして,センサーが異常を感知した場合は,東海警備に異常を知らせる信号が送信される仕組みになっていた。本件警備システムは,NTTの電話回線を利用して作動するようになっており,本件建物内に設置された自動火災報知設備もこれと連動するようになっていたが,同設備は,Bが本件建物でパチンコ店を経営していた時に設置されたものであった。
しかし,本件建物の南側1階の通用口から階段の踊り場にかけての部分及び従業員寮となっている2階部分は,深夜でも人の出入りがあることから警備対象外とし,したがって上記センサーも設置されていなかった。
(3) 平成10年7月30日,被控訴人は控訴人との間で先行契約を締結した。しかし,5回目の保険料支払分から口座振替が不能となり,控訴人の担当者が被控訴人の担当者に連絡をしても入金されなかったため,平成11年3月,控訴人は先行契約を解除し,同年4月,被控訴人あてにその旨を通知した。
その後,甲野の妻及び乙山から控訴人の中京支店岐阜支社高山支部(以下「高山支部」という。)に対し何度か問い合わせがあり,保険契約を復活できないかという相談もあったため,高山支部長の小田敏彦(以下「小田」という。)は,新規に保険契約を締結した方が保険料が安く済んでよいと助言をするなどの対応をしていたが,結局,先行契約の解除が解消されることもなく,また,新規に保険契約が締結されることもなかった。
(4) 甲野は,本件パチンコ店の開店後は,2階の従業員寮に住み込んで同店の経営に当たっていた。開店後しばらくの間は,本件パチンコ店の経営は比較的順調であったが,平成11年6月ころから売上げが落ち,加えて,当時持ち上がっていた共同経営の話がとん挫し,経営難に陥ったことから,甲野は,同年8月31日,本件パチンコ店を閉店した。
(5) 平成11年9月1日,有限会社C(以下「C」という。)の丁川が,閉店したパチンコ店があるとの情報を入手して本件パチンコ店を訪れたので,甲野は,2億円前後での同店の売却の仲介を依頼した。その後,Cの丙田も本件パチンコ店に来店して同店の売却について甲野と打合せを行った。
(6) 中部電力の岡崎営業所料金課副長の尾崎正道(以下「尾崎」という。)らは,被控訴人が電気料金の支払を怠っていたことから,平成11年9月7日,本件パチンコ店を訪れた。甲野は,未納となっていた同年7月分の電気料金90万8965円を手形で支払ったが,同年8月分の電気料金106万4974円については支払期日を確約できないと答えたところ,尾崎らから,同年10月7日までに支払ができない場合は,高山のホテル等の電気も供給停止になると告げられた。しかし,甲野は,従業員の退去後も,売却先に見学させるための店舗の照明及び警備のための電源は必要であると考えていたが,尾崎らから,業務用電力での契約では無駄が多いこと,警備の電源のみであれば一般家庭用電力で対応できること等の説明を受けて,警備の電源のみを残すこととした。甲野は,直ちに電気工事会社に電話をして,上記工事の依頼をし,同月14日に工事が行われることとなった。
(7) 平成11年9月10日,本件パチンコ店の全従業員に対し給料が支払われ,同月12日までに全従業員が本件建物内の従業員寮から退去した。同月10日ころ,東海警備の森田喜太郎が,本件警備契約を解除するか否かを確認するために本件パチンコ店を訪れたので,甲野は,「パチンコ店を閉店しても店内のパチンコ台はそのままなので,警備は継続してもらいたい。」と話した。また,甲野は,本件建物内の電話が不要となったことから,電話回線の契約についてNTTに問い合わせたところ,NTTの担当者から,契約を解除するには1台当たり合計4000円の費用が必要だが,電話料金を未納にすれば自動的に通話停止になるとの説明を受けたため,NTTとの契約はそのままにして電話料金を未納にしておくこととした。
(8) 平成11年9月14日,甲野立会いの下,本件建物の電気を業務用電力から一般家庭用電力へ切り替える工事が行われた。また,同日,尾崎は甲野に電話をして,平成11年8月分の電気料金106万4974円及び同年9月14日までの日割の電気料金73万1827円の支払を請求し,期限内の支払が無理であれば分割払について検討して欲しいと話した。甲野は,同日高山に戻った。
(9) 名古屋地方裁判所岡崎支部は,平成11年9月22日,本件建物につき,最低売却価額を2220万円と定めたうえ,売却方法を期間入札,入札期間を平成11年11月4日から同月11日午後5時まで,開札期間を同月17日午前10時,売却決定期日を同月24日午前10時とする売却実施命令を発令し,同年9月24日ころ,被控訴人あてに,上記内容が記載された通知書が送付された。
(10) 甲野は,本件建物について再度保険契約を締結するため,平成11年10月中旬ころ,高山支部に対し,保険契約を再度締結する場合の保険料を知りたいとの問い合わせをし,これに対し,高山支部の小田は,乙山からの保険料の問い合わせに対し,建物が無人であれば保険料の割増の必要はないと答え,保険料を算定した上で,同月20日,建物の保険金額を2億円,設備の保険金額を1億円,1回分の保険料を6万8260円とする算定結果を被控訴人あてにファックスで送信したが,これに対して甲野からの連絡はなかった。
小田は,高山のホテルの保険契約を担当している控訴人の大下代理店に対し,「平成11年10月23日満期の高山のホテルの契約更新時に,本件建物の保険契約の話が出ると思うので,契約になるときは大下代理店扱いでお願いします。」と伝え,同月22日,大下代理店の担当者が高山のホテルを訪れ,同ホテルの保険契約の更新手続を行ったところ,同日午後2時過ぎころ,甲野が本件建物についても保険契約を締結したいと申し出たため,競売物件について保険契約を締結できるか,保険金額をいくらに設定すべきか等の問題が検討されることとなり,名古屋地方裁判所岡崎支部の裁判所書記官に問い合わせをしたり,高山支部の小田に電話で相談したりしながら,同日午後5時ころ,最終的に,建物設備(ガラス含む)に1億5000万円,什器備品に1億5000万円の合計3億円の保険金額で本件契約を締結することとなった。甲野は,本件契約の締結と同時に,第1回分の保険料として6万0640円を大下代理店に支払った。
(11) 中部電力に対する被控訴人の未納電気料金については,平成11年10月7日に,甲野と尾崎との間で,同月12日に被控訴人が未納電気料金のうち10万円を中部電力に支払い,併せて甲野が連帯保証する旨の証書を差し入れることで話がついていたが,同月12日に,甲野が「本件建物を競売で落札して営業権も含めて他へ転売する予定であり,平成11年11月末には支払ができるから連帯保証はしない。」と言い出したことから,甲野及び尾崎は,再度話し合い,その結果,支払確約書を差し入れること及び不履行の場合は高山のホテルへの電気の供給を停止することとの条件で合意し,同日,被控訴人は中部電力に未納電気料金の一部として10万円を支払った。
(12) 平成11年11月4日,被控訴人が本件建物の電話料金を滞納していたことから,本件建物への電話回線が利用停止となり,そのため,本件警備システムによる同日午前10時56分の定時通報が東海警備に入らなかった。東海警備では,その3分後に行った検査でもエラーが出たことから,河澄に本件建物の確認に出向かせたところ,河澄は,同日午前11時15分ころ,本件建物の南側通用口が壊され,1階の階段下付近が焼損している(先行火災)のを発見した。河澄は,すぐに東海警備に連絡するとともに,緊急連絡先とされている甲野の携帯電話に電話をかけた。
東海警備の青山は,河澄から連絡を受けて状況確認のため現場に赴くと,本件建物の南側通用口のアルミ製片開きドアの鏡板が壊されて隙間が開けられ,デッドボルトが出ておらず,本件建物に自由に出入りができる状況であった。本件建物の室内を見ると,1階から2階へ上がる階段付近は焼けてすすが落ち,壁も熱で焼けていたが,既に煙や熱は全くなかったため,青山は鎮火してからかなりの時間が経過しているものと判断した。また,青山が,本件パチンコ店の1階南側にある事務室へ行って,火災報知器用の集中盤を点検したところ,集中盤に電気が通じておらず,自動火災報知設備は作動していない状態であった。青山は,甲野の携帯電話に電話をかけ,被害の状況,本件警備システムが作動しない状態であること及び自動火災報知設備の電源が切れていることを報告し,警察へ通報した方がよいと話した。しかし,甲野は,「翌日現地に行く予定があるので,その際に現場を見てから警察に連絡する。」と答えた。青山は,火災のあった部分が本件警備契約の警備対象外の部分であるうえ,既に鎮火した状態であり,甲野が翌日現地に来ると言ったことから,先行火災について警察及び消防署へ通報せずに,南側通用口の変形した扉を修復し施錠したうえで帰った。
(13) 平成11年11月5日午前5時45分ころ,本件建物から出火し(本件火災),同日午前6時7分に幸田町消防本部が上記出火を覚知し,最先着隊の現場到着時,本件建物の2階西側から煙が認められ,南側通用口の扉はすでに2センチほど開いていた。同14分ころから放水が開始され,同日午前7時20分に鎮火した。
本件建物の東隣でプチレストラン「D」を経営していた戊谷二郎は,本件火災の発生を甲野に知らせるために,同日午前6時30分ころ,甲野の携帯電話に電話をした。甲野は,同日午前9時ころ,妻とともに車で本件パチンコ店へ向かって出発したが,甲野らが現地に到着した同日午後1時ころには,既に警察による現場検証は終わっており,甲野は,同日午後2時ころから1時間程度,警察からの事情聴取を受けた。
(14) 本件火災の後,幸田町消防本部によって,届出がされなかったために事後覚知となった先行火災とともに,本件火災についての実況見分が行われた。
先行火災については,本件建物の1階の階段室及び倉庫部分の11平方メートルが焼損しており,出火場所は1階倉庫と判定された。一方,本件火災については,本件建物の2階の一部58.37平方メートルが焼損し,出火場所は2階の寮室2号室中央北寄りと洗面所西側廊下のゴミ袋の2か所と判定された。
出火原因については,先行火災,本件火災のいずれについても,出火個所の焼燬状況,建物の構造,出火時には扉が閉鎖され無人であったこと,火の気のないところからの出火状況,焼残物から灯油が検出され助燃物として灯油が用いられたことが疑えること等から放火が考えられるが,盗難された物品や室内に荒らされた形跡がないことなど,動機に不明な部分があり,犯人が外部の者なのか,あるいは内部の関係者なのか特定することはできないと判断された。
(15) 甲野は,平成11年11月16日,中部電力の尾崎から競売の状況確認のための電話を受け,本件火災の発生について報告するとともに,「競売価格が見直しされることになったため,競売が先送りになり資金繰りが苦しくなった。買手も見つけていた状況でのできことであり,このようなことがなければ言いわけはしない。11月末の支払に向けて努力する。」と話した。同月25日,甲野は,尾崎との面談で,「不慮の事故により11月末の支払の約束が果たせなくなった。保険金が支払われれば一括支払できるので待っていて欲しい。」旨支払延期を申し出たが,尾崎から「保険金の支払を当てにして待つわけにいかない。」と言われたため,11月末に20万円を支払い,以後,一括支払ができるまで,毎月20万円以上の分割払を確約すると提案し,被控訴人及び中部電力は,同月26日,被控訴人が上記のとおり未納電気料金の支払を履行し,不履行の場合は高山のホテルの電気の供給を停止するとの条件で合意するに至った。その後,被控訴人は,平成12年8月31日までに未納電気料金を完済した。
3 上記認定事実に基づいて,本件火災が本件保険金請求の要件である偶発的な災害であると認められるかどうかについて検討する。
(1) 内部犯の可能性について
上記認定によれば,先行火災及び本件火災のいずれもが放火によって発生したものと認められる。
ところで,先行火災及び本件火災のいずれにおいても,犯人が侵入した場所は本件建物の南側通用口の片開きドアからであり,その侵入方法もドアの下半分の鏡板を壊して解錠したものであって共通性が認められる。また,出火場所についてみても,先行火災では1階倉庫,本件火災については2階の寮室2号室中央北寄りと洗面所西側廊下のゴミ袋の2か所であると認められ,犯人が放火したとみられる場所には差異があるものの,いずれもパチンコ店内部ではないという点では共通している。しかも,本件火災が先行火災の翌日に発生していることからすれば,先行火災と本件火災とが全く別の犯人によってそれぞれ敢行されたものと考えることは困難であり,むしろ,先行火災によっては放火の目的を十分には遂げられなかった犯人が,更に翌日再度放火を試みたと推定するのが合理的であるというべきである。
そして,上記犯人が侵入し,放火したと考えられる箇所はいずれも本件警備契約において警備の対象外となっていた場所のみであることや,自動火災報知設備の電源が切られていたこと,先行火災及び本件火災に際し,盗難された物品や室内に荒らされた形跡がないことからすると,先行火災及び本件火災が被控訴人とは全く無関係の外部の者によって敢行されたものとはにわかには考えがたい。
(2) 被控訴人の当時の経済状態について
乙第52号証の1によれば,平成11年3月時点で,被控訴人には4500万円余りの短期借入金と4億9000万円余りの長期借入金があったことが認められ,平成10年7月に開店した本件パチンコ店も経営難のために平成11年8月末日で閉店せざるを得なくなり,同年9月以降は,中部電力の岡崎営業所から,未納電気料金の支払をたびたび督促され,支払がない場合には高山のホテルへの電気の供給を停止するとも予告されていたことからすれば,本件火災当時,被控訴人は,経済的に相当苦しい状況であったものと推認される。
(3) 本件契約の締結経緯について
本件契約は,先行契約が解除された後,半年以上経過してから再び締結されたものであり,被控訴人が控訴人との交渉を始めてから本件契約締結に至るまでは約10日間,契約締結から本件火災の発生までは約2週間であるにすぎない。しかも,先行契約については,被控訴人は,3か月分の保険料を支払ったのみで,平成10年11月分からの保険料を支払わず,平成11年3月末で解除となっていたにもかかわらず,甲野は,本件建物が無人状態となり,また,同年11月4日に競売の入札が行われることが確定した後の同年10月中旬になって,高山支部に対し,本件パチンコ店について保険に入った場合の保険料を知りたい旨の連絡をし,同月22日にわずか3時間程度の折衝を経て,高山支部の見積もりよりも高額の保険金額を内容とする本件契約の締結に至ったというものであって,その経緯にはいささか唐突な面があることは否定できないところである。
この点,被控訴人代表者は,先行契約について滞納たなっている旨の通知が来て,平成11年4月にはそのことを知っていたが,同年5月には本件建物の競売の件,同年6月には本件パチンコ店内のパチンコ台の入れ替えの件,同年7月には本件パチンコ店の共同経営の件があり,保険のことは忘れがちになっていた旨供述する。しかし,仮にそうであるとすれば,先行契約を失効させていた甲野が性急に本件契約を締結するに至ったことについては,かえって不自然であると言わざるを得ない。被控訴人代表者は,この点について,向年10月初旬ころ,無人の建物に放火するシーンのあるテレビドラマを見て保険に入ることを考えたと供述するが,上記のように当時被控訴人が経済的に相当苦しい状況であったことに照らすと,果たしてこれが本件契約を締結するに至る真の動機であったのかについては疑念を差し挟まざるを得ない。
更に,被控訴人は,先行契約では,設備及び什器等を目的とする保険金額を1億円と設定していたところ,本件契約ではこれを3億円に増額しているが,被控訴人が高山支部からの見積もり額以上の保険契約を締結するに至った動機については必ずしも合理的な説明がされているとはいえない。この点,被控訴人代表者は,空き家になっている保険対象物は,保険の料金が安くなるという説明だったからと供述するが,被控訴人の上記のような経済状況に照らせば,本件契約を締結するにしても,保険金額を変更せずに支払うべき保険料を低額に押さえることを検討するのが自然な成り行きであるというべきであり,本件建物が無人状態であったということが,保険金額を増額したうえで本件契約を締結するに至ったことを合理的に説明し得る事情であるとはいえない。
むしろ,被控訴人は,平成11年9月7日には,尾崎から,同年10月7日までに支払ができない場合は,高山のホテル等の電気も供給停止になるとの警告を受けた後も,滞納料金の一部を支払ったのみで,たびたび支払の猶予を申し出ているのであって,高山のホテルの営業にも支障を来しかねない状況にありながら電気料金の滞納を続け,それにもかかわらず,一方で,本件契約を締結しその保険金を支払ったことは,経済合理性の観点からみても不自然であるといわざるを得ない。
(4) 先行火災の連絡を受けた際の甲野の言動について
甲野は,青山から先行火災について,被害の状況,本件警備システムが作動しない状態であること及び自動火災報知設備の電源が切れていることの報告を受け,警察へ通報した方がよいと言われたにもかかわらず,警察や消防署に先行火災があったことについて連絡を取らなかったが,本件建物が放火による被害に遭うのを恐れて保険契約を締結した者の行動としては,容易には理解しがたいものといわざるを得ない。この点,被控訴人代表者は,先行火災については,次の日に現場で丙田と会うことになっていたので,状態を確認してから話そうと思っていたと供述するが,甲野が高山市に居住していてただちには現場を確認することができない状況であったとしても,所轄の警察や消防署に指導を仰いだり,控訴人に連絡を取るなどすることは極めて容易に行いうるものであり,何らの措置を講ずることなく漫然と翌日が来るのを待っていたというのは不可解であるというほかない。
なお,乙第6号証の1,証人青山の証言によれば,東海警備の河澄及び青山は,平成11年11月4日に甲野に電話をして先行火災の発生を知らせた際,甲野があまり驚いた様子ではないと感じたことが認められ,これらは河澄及び青山の受けた印象に過ぎないけれども,甲野の言動に不自然な点があったとみられる事情のひとつとして無視することはできない。
(5) 以上を総合すれば,本件火災は,甲野又は甲野の意を受けた者によって招致されたものではないかとの疑いが払拭できないから,本件火災が偶発的な災害であると認めるに足りないというべきである。
4 結語
以上によれば,本件火災の発生の偶然性についての証明がないから,その余の点について判断するまでもなく被控訴人の請求は理由がなく,棄却を免れない。
よって,これと結論を異にする原判決は失当であるから取り消し,被控訴人の請求を棄却することとして,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官・小川克介,裁判官・鬼頭清貴,裁判官・濱口浩)