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名古屋高等裁判所 平成15年(ネ)412号 判決 2004年5月27日

主文

1  原判決を次のとおり変更する。

2  被控訴人らは,連帯して,控訴人Aに対し,850万円及び内750万円に対する平成7年6月17日から,内100万円に対する平成9年7月17日から,いずれも支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3  被控訴人らは,連帯して,控訴人B,控訴人Cのそれぞれに対し,425万円及び内375万円に対する平成7年6月17日から,内50万円に対する平成9年7月17日から,いずれも支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

4  控訴人らのその余の請求をいずれも棄却する。

5  訴訟費用は,1,2審を通じ,これを4分し,その1を被控訴人らの負担とし,その余を控訴人らの負担とする。

6  この判決の主文第2項及び第3項は仮に執行することができる。

事実及び理由

(以下,原判決の略語を用いるものとする。

ただし,平成7年6月15日午後零時56分に麻酔が開始されて同日午後7時25分に終了した,当初は腹腔鏡下で行われた訴外Eに対する肝切除術を「本件手術」という。)

第1控訴の趣旨

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人らは,連帯して,控訴人Aに対し,3399万2262円及び内3090万2262円(弁護士費用を除いた損害額)に対する平成7年6月17日(訴外Eの死亡した日)から,内309万円(弁護士費用)に対する平成9年7月17日(訴状送達の日の翌日)から,いずれも支払済みまで年5分の割合による金員(遅延損害金)を支払え。

3  被控訴人らは,連帯して,控訴人B,控訴人Cのそれぞれに対し,1699万6131円及び内1545万1131円(弁護士費用を除いた損害額)に対する平成7年6月17日(訴外Eの死亡した日)から,内154万5000円(弁護士費用)に対する平成9年7月17日(訴状送達の日の翌日)から,いずれも支払済みまで年5分の割合による金員(遅延損害金)を支払え。

4  訴訟費用は,1,2審とも,被控訴人らの負担とする。

5  仮執行宣言

第2事案の概要

1  本件は,訴外Eが,被控訴人半田市が開設した半田病院において受けた肝切除術につき,担当医であった被控訴人Dらが,訴外Eには肝切除術の適応がないのに本件手術を施行し,あるいは訴外Eに対し肝切除術について説明しなかった過失があったため,訴外Eは死亡したとして,訴外Eの相続人である控訴人らが,被控訴人らに対し,診療契約上の債務不履行ないし民法709条,715条により,損害賠償を請求した事案であるが,原審が請求棄却の判決を言い渡したので,これに不服がある控訴人らが控訴したものである。

2  前提事実は,次のとおり付加訂正するほか,原判決の「事実及び理由」欄の「第2」の「1」に摘示のとおりであるから,これを引用する。

(1)  原判決3頁14行目の末尾に,次のとおり加える。

「なお,訴外Eの肝癌は肝外発育型の症例ではない。」

(2)  同項23行目の「本件手術」の後に,「(肝切除術のうちでも肝切離の範囲により部分切除と呼ばれる手術)」を加える。

(3)  同頁24行目の末尾に,次のとおり加える。

「また,訴外Eの術前の状態は,血清総ビリルビン値は1.7㎎/dlであるほか,APTTは37.1パーセントと正常値の範囲内であったが,血小板の数が正常値12万ないし30万のところ4万7000,プロトロンビン時間(PT)が正常値80ないし120パーセントのところ69パーセント,フィブリノーゲンが正常値200ないし400㎎/dlのところ150㎎/dlといずれも正常値の範囲内ではなかった。」

(4)  同4頁8行目の「出血量」の後に「(吸引管に吸引された血液の量と,ガーゼで拭き取られた血液の量の合計で,それ以外に出血した血液の量は含まれていない数値であり,以下の「出血量」も同様である。)」を加える。

(5)  同頁12行目から13行目の「1217ミリリットルであり」を「1217ミリリットルで,一連の出血を合計すると1767ミリリットルとなり」と改める。

(6)  同5頁1行目の「終了したが」を「終了して集中治療室に移されたが」と改める。

(7)  同頁11行目から12行目の「午前9時33分から再々手術が開始され,午前11時37分終了したが,」を「午前9時に手術室に移り,午前9時18分から麻酔を開始し午前9時33分から再々手術が開始され,午前11時37分終了したが,術中の輸血は生血が2520ミリリットルとその他が830ミリリットルであったところ,」と改める。

(8)  同頁15行目の「午後11時」を「午後10時」と改める。

(9)  同頁23行目の末尾に,行を改め,次のとおり加える。

「(5)訴外Eの死因

訴外Eは,本件手術に伴う出血を契機に,急速に腎不全に陥り,血液凝固因子の低下,血液止血凝固異常の出現,止血不能状態となって,DICを誘発し,腎不全などの多臓器不全となったことによって死亡した。」

(10)  同頁24行目の「被告D各本人」の後に「,鑑定,証人F」を加える。

3  争点及びこれに関する当事者の主張は,次のとおり付加するほか,原判決の「事実及び理由」欄の「第2」の「2」に摘示のとおりであるから,これを引用する。

(1)  原判決6頁5行目の「とりわけ」の後に「肝切除術の手術適応の判断においては,ICG値(「ICG」とは「インドシアニングリーン」の意であり,以下も同様である。)が決定的に重要であるところ,」を加える。

(2)  同頁13行目の末尾に,次のとおり加える。

「ICGK値が,ICGR値よりも,信頼性があることは医学の常識に属することであるうえに,本件の場合,客観的,事後的にみて,ICGK値0.04の方が正しく,ICGR値25パーセントの方が間違っていたことは,以下の①ないし③から明らかである。①平成6年10月の検査において,ICGK値が0.05でICGR値48パーセントであったところ,肝硬変の進行によって,ICGK値が0.05から0.04に肝機能の低下を示すことは合理的に説明がつくけれども,ICGR値が48パーセントと著しく悪化した肝機能数値が25パーセントに改善することはありえないこと,②ICGR値25パーセントは,肝臓の亜区域切除術が可能な程度であるにもかかわらず,亜区域切除術よりも切除範囲が限定された部分切除が行われたにもかかわらず,肝機能の不全で死亡したことは,手術適応外の肝機能異常を示すICGK値0.04の患者に手術を敢行した必然的結果であること,③肝硬変が強くて超音波メスで切れなかった事実は,ICGR値25パーセントよりも55パーセントの方が真実らしいといえること。」

(3)  同10頁24行目の「腹腔鏡下肝切除術は」の後に「健康保険の適用対象にも含まれていない」を加える。

(4)  同11頁3行目の「その内容や効果」の後に「,本件手術前の検査結果による肝機能の低下と出血傾向」を加える。

第3当裁判所の判断

1  被控訴人らの賠償義務の成否

(1)  肝切除術の適応等について検討するに,証拠(甲7ないし10,11の1ないし4,12,15ないし23,28,29の1,31ないし34の各1ないし3,36ないし41,45ないし48,乙1ないし8,27,31の1ないし5,32ないし48,51ないし54,鑑定,証人F,原審における調査嘱託に対する回答書5通,当審における調査嘱託に対する回答書6通)及び弁論の全趣旨を総合すれば,以下の事実が認められる。

ア 肝癌に対する肝切除の術式は,肝切除許容範囲内で腫瘍進展に見合った術式を選択することが重要であり,癌を根治するために肝予備能以上に過大な切除をすれば,肝不全に陥る可能性があり,他方,安全性を考慮するあまり癌の進展に照らして過少な切除を行えば,癌が早期に再発するリスクが高いので,このようなバランスの上で,肝切除の適応が決まることになる。

イ 肝機能を検査する方法としては,ICG負荷試験が一般的に行われる方法である。これは,色素排泄試験の一つであり,ICGを静脈注射し,5分後,10分後,15分後のICGの血中濃度を測定することにより求められる血漿消失率(ICGK値)と,15分後の血中濃度による血中15分停滞率(ICGR値)がある。

ICGR値は体重1㎏あたりの循環血漿量が50mlであることを想定しており,肥満や腹水があれば,体重から換算したICG投与量が適切ではない場合があるし,正確に15分後に採血する必要があるが,検査結果からはその検査自体の正確性が判断できない。他方,ICGK値(血漿消失率)は投与量が不正確でも影響を受けず,検査後に採血の正確性に疑問がある場合には,方対数グラフ上にプロットしたときに直線上に並ばないことから正確であるかどうか判断ができる。また,1点で測定するICGR値よりも,3点で測定をするICGK値の方がばらつきは少なく,血漿成分量の多寡に左右されにくいため信頼性が高いということができる。

ウ さらに,ICGK値とICGR値とは,理論的には完全に1対1対応の関係にあるわけではないが,一定の条件のもとでは,相関関係を示しており,無関係なものではなく,肝機能の指標数値として一方が良好な結果を示し他方が不良な結果を示すはずはないものである。そして,ICGK値が0.04であれば,そのときのICGR値は55パーセント程度であると考えられる。

エ 肝癌に対する手術適応に関する基準としては,東京大学の幕内雅敏教授(以下「幕内教授」という。)が1991年(平成3年)12月に雑誌「内科」で提唱したICGR値,血清総ビリルビン値,腹水の有無に基づいた肝切除適応基準(以下「幕内基準」という。)が著名であり,これによれば,コントロール不可能な腹水症例,ビリルビン値2.0以上は肝切除適応とはならないし,ICG負荷試験の結果に応じて,2領域以上の拡大切除,左肝切除や右領域切除,区域切除,部分切除,核出術と細かく分類しており,ICGR値が40パーセント以上であれば部分切除の適応がなく,ICGK値でいえば0.06以下であれば部分切除の適応がないとされている。なお,G教授は,ICGK値とICGR値に齟齬がある場合は,悪い数値を重視して考えることが大切であるとする。

オ 平成7年当時,多数の大学病院や地方の基幹病院は,幕内基準を採用したり,これを尊重したりして,肝癌に対する手術適応を判断しており,幕内基準に代わる有力な基準は見当たらない。(なお,甲34の3において,G教授が幕内基準に準拠していない見解を述べているが,同見解も幕内基準が手術の安全性を重視した優れた肝切除の適応基準であることを認めた上で,腹水と血清総ビリルビンの部分は同意見であるとしつつ,ICGに関してフローチャートで示している点に異論を述べ,ICGの値は大雑把な指標となるが,各症例毎の病態を詳細に検討した上で切除術式を決定すべきであるとして,肝臓の切除部分の体積を問題としているのであるが,ICGR値が40パーセント以上の場合や,ICGK値が0.04の場合について,部分切除(肝切除術)の適応を肯定するものではない。)

カ 術後の合併症としてDICの占める割合は多くはないものの,診断や治療の少しの遅れが致死的になりかねないため,手術に携わる外科医としては,手術自体がDICの原因となりうる点を念頭におくべきであるとされており,肝切除術後のDICはきわめて術後早期に発症し,その死亡率も高い。

なお,上記認定に反する鑑定人F作成の鑑定書の記載部分及び証人Fの供述部分は,当審における調査嘱託に対する回答書6通に照らし,採用できない。

(2)  以上によれば,訴外Eは本件手術の直前の検査において,ICGK値が0.04であるのに対し,ICGR値は25パーセントを示していたのであるが,ICGK値が0.04であれば,その時のICGR値は55パーセント程度であると考えられるから,この検査結果は大きな乖離があると判断されるものである。(なお,当審における調査嘱託に対する東京大学医学部肝胆膵外科及び順天堂大学安浦病院外科の回答書によれば,測定値に乖離が生じた原因としては,ICG静注時に血管から皮下にICGがもれたために全量が静脈内に投与されなかった可能性が高く,他には,注射後15分で行われるべき採血が遅れたことが考えられる。)このように検査結果が大きく乖離している時は,術後肝不全が致命的な予後不良因子となりうることを考えると,悪い数値を重視して考えるべきであり,血小板数,プロトロンビン時間(PT)やフィブリノーゲンがいずれも正常値の範囲外であって止血機能の低下が見受けられることも勘案すれば,部分切除(肝切除術)の適応はないというべきであるところ,被控訴人Dは,採血時のデータなど詳細に検討するとか,あるいは再検査をしてどちらの検査結果の方が信用性が高いかを検討することもなく,部分切除(肝切除術)を敢行したものであって,このため,訴外Eは,本件手術に伴う出血を契機に,急速に腎不全に陥り,その結果DICを誘発し,腎不全などの多臓器不全となって死亡したと認めることができる。

(3)  すると,被控訴人Dは本件手術前の検査結果から訴外Eに部分切除(肝切除術)を施行すべきではなかったにもかかわらず,本件手術を施行した過失により訴外Eを死亡させたもので,訴外Eの相続人である控訴人らに対し,不法行為に基づく損害賠償義務を負うべきである。また,被控訴人半田市は,被雇用者である被控訴人Dの業務に伴う上記不法行為につき,民法715条に基づき,控訴人らに対して損害賠償義務を負担すべきである。

2  控訴人らの損害額について

(1)  逸失利益

前記前提事実,証拠(甲26)及び弁論の全趣旨によれば,訴外Eは,昭和7年生まれで,長年にわたって製鉄所に勤務し,関連する会社に出向して営業所長を務めるなどして,平成4年に退職してからは就労せず,死亡した平成7年6月17日当時(63歳)は無職であり,年金を年額319万7898円受領していたことが認められる。

ところで,訴外Eは,肝硬変と肝癌に罹患しており,肝癌について上記のとおり部分切除(肝切除術)の適応がなかったものではあるが,仮に肝切除術の適応があり,これが行われた場合であっても,腫瘍の直径が2.1ないし5.0センチメートルの場合は1年生存率は85.1パーセント,3年生存率は64.1パーセント,5年生存率は44.6パーセントである(乙8)。

以上によれば,訴外Eが本件手術を施行しなかったとすると,就労が可能で収入を得ることができたとは認められない。

訴外Eの生存期間につき,訴外Eが受領していた年金と控訴人Aが受領している遺族年金との差額につき控訴人らは逸失利益を請求するので,この点について検討するに,訴外Eが受領していた年金の年額は319万7898円であり,控訴人Aは遺族年金として年額200万5000円を受領している(弁論の全趣旨)ところ,年金の性質及び金額などに照らせば,生活費の控除は60パーセントが相当であるというべきあり,319万7898円の60パーセント控除した金額は控訴人Aの遺族年金額を下回るので,この点に関する逸失利益を認めることはできない。

(2)  慰謝料

上記のとおり部分切除(肝切除術)の適応がないにもかかわらず,本件手術が行われて訴外Eが死亡したこと,被控訴人Dが施行した腹腔鏡下切除術は,平成7年当時,一部の大学病院において施行され始めたばかりの段階で,健康保険の適応もない状況で,この術式の適応や問題点が明確になってはおらず,試行的な要素もあったにもかかわらず,被控訴人Dは訴外Eに対して,本件手術に先だってこの点の説明をしていなかったこと,本件手術が行わなれず他の治療が行われた場合でも,本件手術が行われた時点から少なくとも5年程度は生存が可能であったと推測されることなど本件に現れた一切の事情を勘案すると,慰謝料は1500万円が相当である。

(3)  治療費

控訴人らは,治療費を損害として請求するけれども,これを認めるに足りる証拠はない。

(4)  弁護士費用

本件事案の内容,本件訴訟の審理経過,認容額その他本件に現れた諸般の事情を斟酌すると,本件事故と相当因果関係のある弁護士費用相当の損害額は200万円が相当である。

(5)  控訴人ら各人の損害額

上記のとおり損害額合計は1700万円であり,訴外Eの妻である控訴人Aの相続分が2分の1,子である控訴人B及び控訴人Cの相続分が各4分の1であるから,控訴人Aの損害額は850万円,控訴人B及び控訴人Cの各損害額は425万円となる。

3  結論

以上によれば,控訴人らの本件請求は,被控訴人らに対して,連帯して,控訴人Aが,850万円及び内750万円に対する平成7年6月17日から,内100万円に対する平成9年7月17日から,いずれも支払済みまで年5分の割合による金員の,控訴人B及び控訴人Cが,それぞれ425万円及び内375万円に対する平成7年6月17日から,内50万円に対する平成9年7月17日から,いずれも支払済みまで年5分の割合による金員の支払を請求する限度で理由があり,その余の請求はいずれも理由がないところ,これと結論を異にする原判決を取り消して上記のとおりの支払を命ずることとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小川克介 裁判官 鬼頭清貴 裁判官 濱口浩)

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