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名古屋高等裁判所 平成15年(行コ)53号 判決 2007年1月18日

主文

1  控訴人らの本件控訴及び被控訴人の附帯控訴を,いずれも棄却する。

2  控訴費用は控訴人らの負担とし,附帯控訴費用は被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第1申立

1  控訴人らの控訴の趣旨

(1)  原判決中,控訴人ら敗訴部分を取り消す。

(2)  上記部分に係る被控訴人の請求をいずれも棄却する。

(3)  訴訟費用は,1,2審とも被控訴人の負担とする。

2  被控訴人の附帯控訴の趣旨

(1)  原判決中,被控訴人敗訴部分を取り消す。

(2)  控訴人法務大臣が,被控訴人に対して平成14年1月16日付けでした難民の認定をしないとの処分を取り消す。

(3)  訴訟費用は,1,2審とも控訴人法務大臣の負担とする。

第2事案の概要

1  本件は,ミャンマー連邦で出生し本邦に居住していた被控訴人が,控訴人法務大臣に対して難民認定申請をしたところ,同控訴人が難民の認定をしない処分をし,次いで被控訴人に退去強制事由がある旨の入国審査官の認定に誤りがないとの特別審理官の判定に対してした異議の申出は理由がないとの裁決をしたため,控訴人法務大臣に対して同裁決の取消しを求め,さらに同裁決に基づいて控訴人主任審査官が被控訴人に対する退去強制令書を発付したため,同控訴人に対してその取消しを求めたところ,原審が,控訴人法務大臣がした難民認定をしない処分の取消請求を棄却したが,控訴人法務大臣の裁決及び控訴人主任審査官の退去強制令書の発付の取消請求を認容したため,控訴人らが控訴し,被控訴人が附帯控訴した事案である。

以下,年号の表示方法,ミャンマー連邦の国名の表記方法等は,原判決の例による。

2  前提となる事実,主な争点,争点に関する当事者の主張は,当審における新たな主張として,3のとおりであるほかは,原判決「事実及び理由」欄の「第2 事案の概要」の「1」ないし「3」に摘示のとおりであるから,これを引用する。

なお,原判決中「法61条の2」ないし「法61条の2の8」とあるのは,いずれも出入国管理及び難民認定法の一部を改正する法律(平成16年法律73号,以下「改正法」という。)による改正前の61条の2ないし61条の2の8である。

3  当審における新たな主張

(1)  被控訴人

ア 改正法61条の2により,60日ルールが廃止されたところ,難民に該当する被控訴人がその申請の時期により難民と認定されないのは不当,違法である。

イ 被控訴人と同じP1α支部の構成員3名は,60日ルールを理由として難民不認定処分を受けたが,異議手続において難民として認定された。60日ルールをある者には適用し,ある者には適用しないという恣意的な運用は憲法14条に違反する。

ウ 2004(平成16)年10月19日,キン・ニュン首相が解任され,後任の首相としてアウン・サン・スー・チー拘束事件の黒幕と目される強硬派のソー・ウィン首相が就任し,被控訴人がミャンマー国内で迫害を受ける危険は飛躍的に増大した。法61条の2第2項は,「本邦にある間に難民となる事由が生じた者にあっては,その事実を知った日」から60日以内に難民申請をすべきことを定めているところ,上記首相の交代によって,被控訴人にとって新たな難民となるべき事由が生じたものであり,上記規定の趣旨から,被控訴人を難民として認定すべきである。

エ 控訴人らの主張エは争う。被控訴人は,P1α支部の指導的立場にあり,「その他大勢の活動家」ではない。ミャンマーにおいては,反政府組織のメンバーでなくとも迫害を受けており,軍事政府に反政府的とみなされれば十分に迫害の対象になる。

(2)  控訴人法務大臣

ア 本件不認定処分後に公布施行された改正法を,本件不認定処分の判断の基礎とすべきでないことは明らかであり,被控訴人の主張は失当である。

イ 被控訴人の主張イは争う。

(3)  控訴人ら

ウ 被控訴人の主張ウは争う。本件不認定処分,本件裁決並びに本件退令の発付の違法性の判断の基準時は,各処分時であり,上記処分後の事情は違法性判断に影響を及ぼさない。

エ ミャンマー政府に対する脅威となる活動でなければ,政治的意見を理由に迫害を受けるおそれはないところ,被控訴人の政治的活動は,P1α支部の財務担当者として,デモへの参加,ビラ配り,政治宣伝活動への参加という程度にとどまり,いわば「その他大勢の活動家」にすぎず,これを理由に迫害を受けるおそれはない。

第3当裁判所の判断

1  本件不認定処分取消請求について

当裁判所も,本件不認定処分は適法であり,その取消を求める被控訴人の請求は理由がないと判断するものであり,その理由は,当審における新たな主張に対する判断として後記(1)ないし(3)であるほか,原判決の「事実及び理由」欄の「第3 当裁判所の判断」の「1」及び「2」の説示と同一であるから,これを引用する。ただし,原判決40頁25行目の「原告が」の後に「本件不認定処分前に」を加える。

(1)  被控訴人は,改正法により60日ルールが廃止されたところ,難民に該当する被控訴人がその申請の時期により難民と認定されないのは不当,違法であると主張するが,60日ルールが国際法や憲法に反しないことは,上記引用に係る原判決の説示のとおりであり,法適用の結果,被控訴人の主張するような結果が生ずるとしても,改正前の法を適用することが違法ということはできない。

(2)  被控訴人は,60日ルールを理由として難民不認定処分を受けた者につき,控訴人法務大臣は,異議手続において,60日ルールをある者には適用し,ある者には適用せず,難民として認定するという恣意的な運用をしており,被控訴人につき60日ルールを適用するのは,憲法14条に違反すると主張するが,難民認定申請者の個人的事情は様々であり,法61条の2第2項ただし書にいう「やむを得ない事情」の存否も申請者毎に異なることは容易に推測でき,被控訴人が主張するような事例があったとしても,直ちに控訴人法務大臣が異議手続で恣意的な運用をしているとは認められない。

(3)  被控訴人は,2004(平成16)年10月19日,ミャンマーで首相が交代したことにより,被控訴人にとって新たな難民となるべき事由が生じたというべきであり,その時期から60日以内に申請があったものと同視して,被控訴人を難民として認定すべきであると主張するが,本件不認定処分の違法性の判断時は処分時であり,処分後の事情は処分の違法事由とはなしえず,被控訴人の主張は失当である。

2  本件裁決及び本件発付の取消請求について

当裁判所も,本件裁決及び本件発付は違法であり,その取消を求める請求は理由があると判断するものであり,その理由(当審における新たな主張についての判断を含む。)は,次のとおり付加訂正するほか,原判決の「事実及び理由」欄の「第3 当裁判所の判断」の「3」,「4」の説示と同一であるから,これを引用する。

(1)  原判決54頁1行目末尾に改行して,「2004(平成16)年10月19日,それまで一定の民主化を進めてきたキン・ニュン首相が解任され,強硬派のソー・ウィン第一書記が首相に就任した。(甲246,247の1ないし8,248の1ないし3,249)」を加える。

(2)  同55頁15行目冒頭から56頁9行目末尾までを,次のとおり改める。

「キ ロヒンギャー民族の待遇等

ロヒンギャー民族は,ビルマ西南部のアラカン地方(現ラカイン州)北部に住むイスラム教徒からなる民族集団であり,同地方では仏教徒を押さえて多数派住民で,1960(昭和35)年ころにロヒンギャー民族と名乗るようになったものである。アラカン地方にイスラム教徒が居住するようになったのは,15世紀ころベンガル地方(現バングラデシュ)からイスラム教徒が流入したのが始まりとされているが,第一次英緬戦争(1824年から1826年)によりアラカン地方が英領インドの一部に組み入れられた後,ベンガル地方チッタゴンから大量の移民が流入するようになり,特異な言語を話す民族集団を形成するようになった。このようにしてロヒンギャー民族と仏教徒の共存が始まったが,第2次世界大戦中日本軍がビルマを占領すると,日本軍に後押しされた仏教徒アラカン人をもって組織された軍と英国によって組織されたイスラム教徒ゲリラの進入により,両者の対立が激化し,日本軍の撤退後に英国が復帰し,この時期チッタゴンからの移民が増加したことから,1948(昭和23)年に英国から独立を達成した後も,両者の対立関係は続き,アラカン地方に住むイスラム教徒による政治活動も活発化した。

ネ・ウィンが政権を掌握した1962(昭和37)年以降,ロヒンギャー民族に対するビルマ国軍の迫害が強まり,1978(昭和53)年には,国境付近に居住する不法移民排除のための大規模な住民調査がされた結果として,処罰を恐れた22万5000人のロヒンギャー民族がバングラデシュへ難民として流出する事態が発生し,1990(平成2)年に,SLORCが,旧アラカン州について,同州に居住する仏教民族の名を取ってラカイン(ヤカイン)州と改称する等してロヒンギャー民族に圧迫を加えようとしたことから,1991(平成3)年12月ころから1992(平成4)年3月にかけて,迫害を恐れた同民族の約25万人が難民としてバングラデシュに流出した。これに対し,国際的な枠組みで難民帰還策が実行に移され,UNHCRが,1994(平成6)年4月以降,ラカイン州に事務所を設置し,迫害の監視をしながら帰還を支援したこともあって,多くの者が原居住地に帰還したが,1997(平成9)年ころ,三たび1万人以上のロヒンギャー民族が流出したため,それまで黙認してきたバングラデシュ(条約等の締約国ではない。)政府も耐えかねて,これらのうち一部の者を不法入国の罪で摘発したり強制送還したことがあった。

ロヒンギャー民族の中には,分離武装闘争を続けるアラカン・ロヒンギャー民族機構もあるが,ビルマ国民としての公認とアラカン州における自治区の確保を主張するものが主であり,本邦では平成6(1994)年からP2が設立され,活動している。

現在のミャンマー政府も,ロヒンギャー民族を,歴史的にベンガル地方からアラカン地方に勝手に移動してきたイスラム教徒集団とみなし,反ミャンマー的集団として公式の居住権を認めず,国民として認めていない。すなわち,1982(昭和57)年に施行された新国籍法によれば,第一次英緬戦争開始前年の1823年より前からビルマに居住している者を「国民」とし,1948年の新国籍法に基づいて国籍を取得した者は「準国民」,その後2年して同国籍法が施行停止になった後に帰化手続をした者を「帰化国民」と定めて,国民を3分類し,「準国民」や「帰化国民」には,公務員になれないなどの権利の一部を制約しているが,ロヒンギャー民族はこれらの国民のいずれにも該当せず(歴史的経緯からするとロヒンギャー民族を排除するために1823年を基準としたともいえる。),外国人として扱われており,国民登録証明書の発行を受けられない(乙129には,ロヒンギャー民族でも身元のはっきりする者には国民登録証明書の発行をしたとの記載があるが,身元がはっきりした者がいかなる者を指すかにつき詳細が不明である上,その発行はしばらくして停止したというのであり,上記認定を左右するものではない。)。警察や情報機関,軍関係者から提示を求められた際に国民登録証明書を持っていないと,治安上の嫌疑をかけられるし,国民登録証明書がないと列車の切符や映画館の入場券すら買えないと言われている。

ロヒンギャー民族が,居住者であることを証明する方法としては,1995(平成7)年以降公布されるようになった「一時登録証」を所持する方法はあるが,まだ,全員が受け取っていることはなく,家族リストに名前が記載されることが必要であるが,家族リストを取り上げられたり,削除すると圧力をかけられることも多い。ロヒンギャー民族は移動の自由が極端に制限されており,隣の村に行く場合でも,許可を受けなければならず,通行証を取得するためにはお金を払う必要がある。2001(平成13)年2月ラカイン州の州都シットウェでムスリムと仏教徒との間で緊張が高まり,人数不明の死者を出し,ムスリムの財産が破壊される暴動が発生したが,その後ロヒンギャー民族に対する移動規制が強化された。そのほか,強制労働を強いられ,土地使用権を認められず,様々な新しい税を課徴されるなどの差別的取扱を受けている。

そのため,ロヒンギャー民族の中には,公的にはロヒンギャー民族であることを主張せず,国民として認められたイスラム民族であるカマン族等ロヒンギャー民族以外の民族名で国民登録証明書を取得している者がいるが,これらの者もイスラム教徒であるため公平に扱われず,地位は不安定である。

また,ロヒンギャー民族に限らずイスラム教徒に対する圧力も見られ,当局からモスク破壊が命ぜられたりしたことがあり,2003年以降も仏教徒とイスラム教徒との間の暴力的な衝突事件も発生している。

(甲228,229,232,233の1,2,243,262,296,344,乙145,証人P3)」

(3)  同62頁6行目冒頭から同10行目の「持っていることにした。」までを,「その後,被控訴人はP4名義の旅券(乙1,甲254)を手に入れ(取得の経緯は,後に認定する。),これに被控訴人の写真を貼って,これを所持している。」と改める。

(4)  同63頁18行目末尾に改行して,次のとおり加える。

「ク 被控訴人の所持する国民登録証明書等

被控訴人は,国民登録証明書(甲65の1,2)を所持しているところ,同証明書には,1991(平成3)年10月5日発行の登録番号XXXXXX番で,国民であることを示す「ナイン」と記載され,名前は「P5」,民族名「バンガリー/ラカイン」,宗教「イスラム教」と記載されており,裏面には,旧登録番号がYYYYYYYYであったことが記載されている。

証拠(乙124の1ないし11)によると,被控訴人は,平成15(2003)年12月18日,同月25日,平成16(2004)年1月13日に愛知県警察本部運転免許試験場において,自動車運転免許取得試験を受験して,我が国の運転免許証を取得しているが,被控訴人が所持するミャンマー政府発行の国内運転免許証(乙124の5)に基づいて,免許を取得したこと,同国内運転免許証には,発行年月日1992(平成4)年2月27日,有効期限2004(平成16)年2月26日,名前は「P5」,国民登録番号「ZZZZZZZZZ」と記載され,被控訴人の写真が貼付されている。そして,運転免許取得のためにミャンマーの公証翻訳人が翻訳した翻訳文の日付は2002(平成14)年11月25日と2003(平成15)年6月17日付けである。

国際運転免許証(乙2)には,1994(平成6)年6月15日道路輸送管理局がヤンゴンで発行したこと,免許証番号がxxxxxxx番であることが記載されている。」

(5)  同65頁8行目末尾に,改行して,次のとおり加える。

「この点,控訴人らは,被控訴人のミャンマーにおける政治活動に関する主張全般,並びに2001(平成13)年12月に,被控訴人の両親が諜報機関により暴行を受け傷害を負ったとの事実を裏付けるP6の陳述書(甲113)は,①P6は,ロヒンギャー民族であるのに,イスラム教徒ではあるが,ミャンマー政府から民族的迫害を受ける立場にないカマン族であると偽っており,②我が国で被控訴人と同居していたP6が,被控訴人の両親からの手紙(甲57)を受け取ったと陳述しているが,同人が被控訴人と同居していた事実はないことから,信用性がなく,被控訴人の政治活動に関する主張全般,上記手紙がミャンマーから送付されたことはいずれも認められず,被控訴人の両親が暴行傷害を受けた事実も認められないと主張するところ,証拠(証人P3,当審における被控訴人本人)によれば,P6は,ロヒンギャー民族であり,我が国において被控訴人と同居したことはないと認められる。

しかしながら,被控訴人は,①に関しては,P6は,ロヒンギャー民族であることを秘してカマン族として活動することによって,移動の自由を有し,国境貿易の仕事に従事することができ,我が国では正規の在留資格で在留することができているのであり,ロヒンギャー民族であることを陳述書で述べなかったからといって信用性に問題はない,②に関しては,当時,被控訴人は住所を明らかにしたくなかったため,在留資格を有するP6の住所に手紙を送付してもらい,同人がこれを受領したことは間違いがないと,それぞれ反論しているところ,被控訴人の反論内容に不合理な点はないから,控訴人の指摘する①②の点をもってしては,P6の陳述書の信用性を否定することはできない。」

(6)  同65頁19行目冒頭から25行目末尾までを,次のとおり改める。

「控訴人らは,被控訴人が所持する旅券(乙1,甲254)の取得経過及び更新手続に関する被控訴人の説明は,虚偽であり,全体として被控訴人の供述内容は信用できないと主張する。すなわち,被控訴人は,「入国後,P7に架電した際,P8から真正な旅券を返してもらうよう度々依頼していたところ,2年ほどしてバンコクから被控訴人の写真が貼られた旅券(乙1,甲254)が送られてきた,その事情をP7に尋ねてもらちが明かないため,そのまま所持していた」と供述するところ,証拠(乙101,102,当審における被控訴人)によると,同旅券に押捺されたスタンプから何者かが1992(平成4)年11月5日にミャンマーを出国して,マレーシアに入国,同国で日本の査証を受けた後,1993(平成5)年2月18日マレーシアを出国してタイに入国,同年3月1日同国を出国して,同日本邦に入国したことが明らかであること,被控訴人の甥であるP9が1999(平成11)年11月5日に名古屋入国管理局に出頭した際,提出したEDカード②及び控訴人らが保管していたEDカード②に対応するEDカード①によると,P9はP4名義の旅券を利用して1993(平成5)年3月1日に名古屋空港へ上陸許可を受けたこと,P9は入国後,被控訴人の紹介でP10で働き,被控訴人と一時期同居していたことが認められる。これらの事実からすると,上記旅券は,P9が1993(平成5)年入国するに際して使用したものを,被控訴人が手に入れたと推認することができ,そうすると,被控訴人の取得経過についての説明は,事実を述べていないというほかない。

また,証拠(甲254)によれば,上記旅券には,平成7(1995)年以降平成11(1999)年まで在東京ミャンマー大使館に実在した領事担当参事官「P11」(乙59)名の平成7(1995)年以降平成11(1999)年までの更新印があるところ,被控訴人は,上記更新手続をとったことはなく,上記旅券を手に入れた以降なんら工作を加えていないと供述するが,1994年に手に入れた旅券にその後に在籍した領事担当参事官名の更新印が押捺されることはないから,更新印は被控訴人が保持するようになって後になされたことは明白であり,この限度で被控訴人は事実を述べていないというほかない。証拠(甲72,254,乙59,101,102)によると,被控訴人とP9は共に,平成11(1999)年11月5日に,名古屋入国管理局に出頭しているところ,P9が所持していた旅券にも同様の更新印が押捺されていたことからすると,被控訴人が保持していた上記旅券の更新印も出頭に際して作出されたと思われる。

ところで,控訴人らは,上記更新印が存在することから,被控訴人が在東京ミャンマー大使館で正規に更新手続を受けてきたと主張するが,証拠(甲72,254)によると,正規の更新印と認められる甲72の更新印と上記旅券の更新印とでは,下から2行目の「Ministry of」が「Ministry oi」に,同1行目の「Letter」が「tetter」となっているほか,「P11」の署名も字体が異なるから,更新印は偽造されたものであり,被控訴人が更新手続を受けていたとは認められない。控訴人らは,上記旅券と同様の更新印が押された旅券で帰国しているミャンマー人が多数存在すると主張するが,そのような事実があるからといって,更新手続が正規なものであるということはできない。

以上のとおり,上記旅券につき,被控訴人は,その取得経過及び更新印がなされた経緯について,事実に反した説明をしていると認められるが,正規に発行された旅券ではないこと,更新手続を受けていないことなど重要な点については事実に反した説明をしていないから,上記経過及び経緯について事実に反した説明をしたことをもって被控訴人の供述全般の信用性がないとまでいうことはできない。

次に,控訴人らは,被控訴人が国内運転免許証に基づき我が国の運転免許を取得したことから,①被控訴人が所持する国内運転免許証の免許番号の下5桁が旧国民登録証明書の番号と一致し,被控訴人はミャンマー政府から国民として扱われていること,②国内運転免許証の発行も受けているから,被控訴人に移動の自由がないとはいえないこと,③ミャンマーにおいては,6か月の仮免許後免許試験を受けて正式に運転免許が受けられる(乙127)ところ,国内運転免許証は1992(平成4)年2月27日に発行されているから,被控訴人は,その前6か月間かけて運転免許を取得したということになるが,そのころの事情として被控訴人の述べるところは著しい乖離があること,④ミャンマーの公証翻訳人の翻訳文を提出したことからすると,被控訴人とミャンマーの家族との交信には何ら問題がないとして,被控訴人の供述は信用できないと主張する。この点,被控訴人は,ミャンマー国内で1992(平成4)年に運転免許を取得したが,6か月の仮免許を受けたり免許試験を受けたりしたことはなく,ブローカーに依頼して取得した,ビルマにおいてはそのような方法で運転免許を取得する者が多く,そのような方法で取得した運転免許証が偽造扱いされることはない,所持している国内運転免許証(乙124の5)は,平成14(2002)年ころ,ビルマと日本を行き来するブローカーに,旧国民登録証明書番号を教え,写真を渡して作成を依頼して取得したものであると供述する(当審における被控訴人)ところ,免許の有効期間が12年間と長すぎること(控訴人らは,その間に更新されたと主張するが,これを認めるに足る証拠はない。)や免許取得年月日以前の1991(平成3)年に新たな国民登録証明書の交付を受けているにもかかわらず,旧国民登録番号が記載され,被控訴人の平成14(2002)年当時の写真が貼付されていること(甲290,弁論の全趣旨)からすると,国内運転免許証の取得に関する被控訴人の供述内容は信用でき,被控訴人が1992年2月以前に運転免許を取得するために6か月間仮免許であったような事実はないとの被控訴人の供述内容もまた否定できない。なお,翻訳文を得るためにビルマと交信されたことから,直ちに被控訴人と家族との間の交信に問題がないということはできない。」

(7)  同66頁16行目末尾に改行して,次のとおり加える。

「また,控訴人らは,被控訴人の甥にあたるP9及びP12が,就労を目的として本邦に入国した事実,被控訴人は平成7(1995)年7月から平成13(2001)年4月までの間,不法滞在者であったフィリッピン人女性P13と同棲していたが,その間,水掛祭りでゴミ拾いの手伝いをする程度で,被控訴人が民族的政治的意図のある活動に従事したことはない,P10の元経営者らは被控訴人はミャンマーに帰って商売をしたいので,日本で金を稼ぎたいと言っていたとして,被控訴人も不法就労の目的で入国したにすぎないと主張し,証拠(乙97の1ないし5,98,99,100の1,2,101の1ないし3,102の12,104)には,これに沿う供述記載等がある。そして,被控訴人の甥が就労を目的として入国したこと,P13と同棲していたこと,被控訴人がP10他で就労していたことは,被控訴人も認めるところであるが(甲208,245,253),たとえ親族関係があったとしても,民族的政治的な意見は個々人において異なるから,被控訴人の甥が就労目的で入国した事実があるとしても,被控訴人が当然に就労目的で入国したということはできないし,民族的政治的な迫害を理由に本邦に入国した者であっても,生計を立て,日常生活を送るために,金を稼がざるをえないことは,就労を目的として入国した者と変わりはないし,将来的に帰国後のことを考えて金を貯め,技術を身につけたいと思ったとしても,民族的政治的迫害を避ける目的であることと矛盾しない。また,現に政治的活動をしていることは,民族的政治的迫害を受けたこと,或いは受けることを認めやすい理由とはなるが,活動が活発でないとしても,その理由には客観的主観的要因としていろいろな事情が存在するから,活動の内容やその程度をもって,直ちに民族的政治的に迫害を避けることが入国目的であることを否定することはできない。」

(8)  同69頁4行目冒頭から同19行目の「理由にはならないというべきである。」を,次のとおり改める。

「また,控訴人らは,被控訴人が,国民登録証明書(甲65の1,2),旅券,国際運転免許証(乙2),国内運転免許証(乙124の5)の発給を受け,国内運転免許証をもって我が国の運転免許証の交付を受けたこと,またアタカへの通学の事実を指摘して,被控訴人が「国民」として取り扱われているから,迫害を受けていたことはないと主張する。

国民登録証明書の右上の「ナイン」の記載が「国民」であることを証明するものであるとしても,これは同証明書中の「民族 バンガリー/ラカイン」の記載に基づいて発行されているものであり,ロヒンギャー民族では国民登録証明書の交付を受けられないため他民族に属するとして交付を受けたことが明らかであり,ロヒンギャー民族であることが明らかになった場合には,国民登録証明書が取り上げられることは想像に難くない。

被控訴人が,旅券や国際運転免許証,国内運転免許証を所持していたことは被控訴人が認めるところであるが,証拠(証人P3,当審における被控訴人)によれば,ミャンマーでは,正規の手続をとると,交付を受けるのに時間と金がかかるためブローカーを通じてこれらの証明書類を取得することがあり,被控訴人がこれらの証明書類を所持していたとしても,これにより被控訴人がミャンマー政府の保護を受ける者であるとはいえない。そして,これらの文書は,ロヒンギャー民族であることを隠して取得した国民登録証明書に基づいて発付されたと思われるから,その点においてもこれらの証明書類の発付を受けたことをもって,ミャンマー政府の保護を受ける者であるということはできない。」

(9)  同69頁22行目冒頭から同70頁4行目末尾までを,「控訴人らは,被控訴人が所持していたP4名義の旅券(乙1,甲254)で,平成7(1995)年以降平成11(1999)年まで在東京ミャンマー大使館で更新手続を受けているから,ミャンマー政府から迫害を受けるおそれはないと主張するが,上記に認定のとおり,上記旅券の更新印は偽造であり,被控訴人が更新手続を受けた事実は認められないから,控訴人らの主張は理由がない。」と改める。

(10)  当審における控訴人らの主張について

控訴人らは,仮に,被控訴人が民族的政治的活動に参加しているとしても,ミャンマー政府は,ミャンマー政府に対する脅威となる活動でなければ,政治的意見を理由に迫害をすることはなく,被控訴人の政治的活動の内容や程度では,これを理由に迫害を受けるおそれはないと主張するが,証拠(甲250,251,278の1)によれば,被控訴人は,P1α支部の支部長をするなど中心的なメンバーとして活動している実績もあるところ,その活動記録である機関誌「○○」は在日ミャンマー大使館にも送られていて,ミャンマー政府に把握されているところであり,ミャンマー政府が被控訴人を「その他大勢の活動家」とみる保障はない。そもそも,ミャンマー政府が被控訴人をどのような人物として位置づけるかは,同政府にしか分からないことであり,上記認定のミャンマー国内における政治的活動及び少数民族,特にロヒンギャー民族に対するミャンマー政府の対応状況に照らせば,ロヒンギャー民族に属して反政府活動をする被控訴人が迫害されない保障があるとは到底いえない。現に,上記認定によれば,被控訴人が難民認定を申請した後,被控訴人の親族に対し,諜報機関が調査に入り,被控訴人の親族に対して暴行傷害を加えた事実があり,このような事実からすると,被控訴人に対する迫害のおそれが十分に認められる。よって,この点に関する控訴人らの主張は採用しない。

3  以上によれば,控訴人法務大臣の本件不認定処分に違法はなく,その取消請求を棄却した原判決は正当であり,被控訴人の附帯控訴は理由がないからこれを棄却することとし,控訴人法務大臣の本件裁決及び控訴人主任審査官の本件退令の発付はいずれも違法であり,その取消を求める被控訴人の請求は理由があり,これを認容した原判決は正当であり,控訴人らの控訴は理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 野田武明 裁判官 戸田彰子 裁判官 濱口浩)

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