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名古屋高等裁判所 平成17年(う)248号 判決 2005年11月07日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人天野雅光提出の控訴趣意書に記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官濱隆二提出の平成17年7月26日付け答弁書に記載のとおりであるから、これらを引用する。論旨は、(1)原判決は、被告人の実子が被告人の交際相手の男性からの暴行が原因で死亡したことにつき、被告人が実子を保護しなかったとして不作為による傷害致死幇助の成立を認定しているが、被告人には、違法とされるような不作為は存せず、無罪であるから原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認があるのみならず、(2)原判決は、不作為による幇助犯の成立要件を誤って解釈して、被告人を有罪としたもので、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令適用の誤りが存するというのである。

そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討する。

第1事実誤認の論旨について

事実誤認の論旨は、上記のとおり、傷害致死幇助の成立を争うものであるが、その前提として、次の4点の事情を挙げて原判決の事実認定を論難している。

(1)  原判決は、被告人の交際相手の男性であるAが平成15年10月19日午後3時20分過ぎころから被告人の実子Bに暴行を加えたことが同児の致命傷をもたらしたことを前提に、その時点での被告人の不作為を傷害致死幇助に問擬しているが、致命傷をもたらした暴行は同日午前7時ころの暴行であって、原判決の認定した不作為には同児の死亡との因果関係がない。

(2)  被告人が、Aによる暴行を阻止できなかったのは、Aから首を絞められるなどの暴行を受けたためであり、被告人としてはできる範囲での制止行動をとっている。

(3)  Bのみならず、被告人も以前よりAから暴力を受け、同人を畏怖しており、Aの暴行を有効に制止する行為を期待できる可能性はなかった。

(4)  被告人は、同日午後3時20分ころ、AがBに暴行を加え始める直前のAとBとの会話を把握しておらず、Aの暴行を予測できなかったため、これを阻止する作為義務の存在もまた認識していなかった。

しかしながら、原判決の挙示する証拠によれば、AのBに対する傷害致死の犯行の際、被告人に作為義務違反が存し、これがAを幇助するものであることが優に認められ、原判決の事実認定に関する説示も正当として是認できるところであって、これを左右する事情は見当たらない。以下、上記の所論に検討を加えながら、補足して説明をする。

1  Bの死をもたらした暴行について

所論は、原審証人C医師の証言等によれば、Bの解剖所見に照らし、同児の背面から作用した外力により、肝・右副腎に裂開が生じ、後腹膜下に出血が始まり、数時間以上経過してから出血性ショックに至り、これにより死亡したことが認められるから、死亡と因果関係のある暴行は、同児の容態急変の直前である平成15年10月19日午後3時20分過ぎのものではなく、同日午前7時ころのそれであるという。

原判決の挙示する関係証拠によれば、Bは同日午後5時2分ころ搬送先の病院において死亡したのであるが、その死因は身体右側が鈍体により打撃ないし圧迫されたことにより肝・右副腎裂開が生じ、その裂開部から後腹膜下・腹腔内に出血し、出血性ショックを起こしたことにあると認められるところ、Bは、同日午後3時20分過ぎに被告人方においてAから複数回蹴る、殴るなどの暴行を受けたほか、同日午前7時ころにも、Aから右腰付近を1回蹴りつけられてトイレのドアにぶつかって倒れたことがあったと認められる。そして、死後の見分結果や解剖結果によれば、同児の死体の胸腹部や背部には皮下出血による複数の変色斑が存し、その皮下出血の部分や肝臓、右副腎には好中球の浸潤(損傷が起きた際の生体防御反応の一つ)が存したことが認められるが、医師Cの原審証言によれば、一般に好中球の浸潤は受傷後8時間以降で出現するとされているのであって、この点に照らすと、上記の午前中の暴行によりBに皮下出血のみならず肝臓や右副腎にも多少の損傷が生じていた可能性も否定し切れない(なお、その程度は少なくとも死因となる出血性ショックを生じさせるほどの裂開に達するほどのものでないことは、後述のとおりである。)。

しかしながら、上記関係証拠によれば、Bは、同日午前7時ころに暴行を受けた後にもう一度寝て、午後2時ころに起床したときには被告人に空腹感を訴えており、被告人が買い物に誘うとこれに応じて外出し、商店の催し物の輪投げゲームにも参加しようとしていたなど、ある程度活発に行動していたことが認められるところ、原審証人医師Dの証言等によれば、肝・右副腎裂開が生じて出血が始まると、これによって腹膜が押し広げられて腹部に相当の痛みを感じることが認められ、そのような事態が起きれば、4歳児ともなれば母等に痛みを訴えるとともにその行動や表情にも当然異常が認められるはずであるというのであるから、上述したような午後2時以降のBの行動に照らせば、この時点ではまだ肝・右副腎の裂開は生じていなかったと認めるのが相当である。

そして、午後3時20分過ぎの暴行がかなり執拗で苛烈なものであったこと、暴行後、Bは5分以上過ぎても立ち上がらず、一旦は意識を取り戻したが、再びこれを失うなど急速に容態が悪化していったこと等に照らすと、肝・右副腎裂開はこの時点の暴行によって生じた事実を優に認めることができるから、これと同旨の原判決の認定に事実の誤認はない。したがって、この点に関する所論は採用できない。

2  Bの死に至る経緯及び被告人の作為義務の存否について

所論は、平成15年10月19日午後3時20分過ぎ、AがBに暴行を加え始めるまで、被告人はAとBの会話を聞いていなかったため、暴行を予測しておらず、Aが暴行を始めたことに気付いてから、「やめてよ。」と言ってAの左肘あたりをつかんだほか、2人の間に入って制止しようとしたが、Aから首を絞められるなどの暴行を加えられ、それ以上の制止ができなくなったもので、日頃からAがBのみならず、被告人にもたびたび暴行していたことからすれば、被告人には上記のような対応をするのが精一杯であり、それ以上の制止行動をとるべき作為義務はなかったと解すべきであるという。

原判決挙示の関係証拠によれば、被告人とBは、当日午後2時ころ、まだ就寝中であったAを自宅に残したまま買い物に出掛け、ハンバーガー店で昼食用のハンバーガーや飲み物を購入して午後3時15分ころに帰宅したこと、被告人は、目をさましていたAの前でハンバーガーや飲み物を並べるなどして昼食の支度をしたところ、Aは、机の上に飲み物が2つ並べられているのを見とがめ、これは被告人親子の分かとまず被告人に問い質し、次いでBに飲み物をねだったのかなどと執拗に尋ねたこと、これに対して、被告人は、飲み物は被告人とAの分であると答え、Bは萎縮して答えられずにいたところ、Aはこれらの返答に満足せず、また質問に答えようとしないBの態度が面白くないとして激高し、Bの身体を蹴りつけるなどの暴行を始めたこと、Bが床に倒れたとき、それまで隣室にいた被告人は2人のそばにより、「やめてよ。」などと言いながらAの左肘あたりをつかんで制止したが、振り払われ、Aに肩を手拳で殴打されてその場に倒れ込んだこと、その後もAは倒れたBを蹴ったり、同児の身体を抱え上げて床上に放り投げるなどの暴行を加えるなどしたことを認めることができる。

なお、被告人は、AがBに詰問している状況は聞いておらず、Aの暴行に気付いてから、左肘をつかんだだけでなく、その後も同人を制止しようとしたが、同人から首を絞められたため、それ以上の制止行動がとれなかったと弁解する。しかし、AがBを詰問している最中、被告人は、その眼前あるいは隣室にいたもので、現場となった被告人方が2間つづきのさして広からぬアパートであったことも併せれば、当然、被告人も両名のやりとりに気付いたものと考えられる。被告人は、捜査段階の当初にはAの上記暴行事実自体を秘匿し、これを認めるようになってからも、自己の眼前で起こった衝撃的な事実であるのにあいまいな説明しかせず、さらには「Aの暴行のことは、逮捕から1週間くらいは忘れていた。」などとにわかに信じがたい供述に終始している一方で、被告人自身に向けられた暴行については事細かに供述していること等に照らすと、Aの上記暴行の経緯等に関する被告人の供述の信用性は乏しいというべきである。これに対して、原審証人Aは、自己のBに対する暴行の経緯や態様等につき、自らの非道な振る舞いをも含めて淡々と供述しており、その内容はBの受傷状況とも合致し、その供述の信用性は極めて高いと考えられる。そして、同証言によれば、AとBの問答や暴行の状況は上述のとおりであり、被告人は、AがBを蹴っている最中に左肘をつかんで止めに入ったものの、振り払われた後は少なくとも身体的な制止行為をしておらず、したがって、Aから首を絞められるような事態もなかったと認められる。

そこで、上述の午後3時20分過ぎの暴行の経緯等を前提として、その際に被告人に課せられた義務について検討を加える。

被告人は、Bの実母であり、唯一の親権者として同児と同居して監護していたものであって、同児を養育する義務の中には、当然ながら同児の安全を保護すべき義務も含まれていたと解される。にもかかわらず、被告人は、性的欲望の赴くままにまだ未成年の男子高校生であったAと交際を始め、被告人自身とBの生活の本拠であった自宅にAを引き入れ、同人が頻繁に被告人方に出入りするようになった平成15年7月以降、同人がBに繰り返し暴行を加えるようになって、同児の安全が脅かされる事態となり、そのことを察知した保育園関係者から、BのためにAを遠ざけるよう忠告されていたことが認められる。そうすると、被告人は、Bの親権者として同児を保護すべき立場にありながら、自らの意思で同児の生活圏内にAの存在という危険な因子を持ち込んだものであり、自らの責めにより同児を危険に陥れた以上、Aとの関係においてはその危険を自らの責任で排除すべき義務をも負担するに至ったと解される。仮に、同児に暴行を加えようとする人物が被告人の意思に基づかずに接近してきたとすれば、いかに被告人に親として幼児に対する保護義務があるとはいえ、他人の暴行を阻止する行為をすべき義務まで負わせることはできないと考えられようが、本件の場合、これとは異なり、AがBを危険にさらす状況を生じさせたのは被告人本人であるから(この点は、たとえば強盗犯人の襲撃に対して幼児を守らなかった場合とは異なる。)、社会通念上、被告人にAのBに対する暴行を阻止すべき義務が課せられていたと解するのが相当である。

もっとも、Aは、被告人と親密な関係にある一方で、ささいなことであっても気にくわないことがあるたびに被告人に反発し、被告人にも暴行を加えていたことが認められ、AがBに対して暴行に及ぼうとする際、被告人が口頭でこれを制止したり、監視するだけでこれを確実に阻止できたとは考えがたい。そうすると、Aとの関係を断絶するか、さもなくば、Bを親族方に預けるなど安全な場所に避難させるのが最も確実な阻止の手段であり、あえてAとの関係を継続しながらBを手元に置こうとするのであれば、Aの暴行を阻止するには、不断に警戒し、機先を制してAの体を抑制したり、Bの体に覆いかぶさるなどすることが必要とされるものというべきである。しかし、その際、Aが被告人にも一定の暴行に及ぶ可能性は否定できないとしても、保護すべき幼児を自らAの行為による危険の及ぶ状態に置いている以上、ある程度の犠牲を払うべきことが社会通念上当然に要請されるというべきであるし、他方、Aの被告人に対する暴行は、ときに激しい場合もあったとはいえ、被告人に重大な危害を及ぼすようなものではなかったと考えられる(これは、被告人が暴行にもかかわらず、Aとの関係維持を切望していたこと等からみて明らかである。)ことに照らせば、被告人のAの暴行を阻止すべき義務は、自らがAからの暴行を引き受け、いわば体を張ってでも果たすべき程度に達していたとみるのが相当である。

以上によれば、前述のようにAの左肘をつかんで制止はしたものの、振り払われた後は何もしなかった被告人の所為は、上記の作為義務を果たしていたものとは到底評価できず、被告人にはAの暴行を阻止すべき作為義務の違反が存したと認められる。

そして、本件では、そもそも被告人がAとの関係を断絶することや、Bを安全な場所に避難させることが容易であり、それが四囲の状況に照らして望ましい事態であったのに、あえて被告人がBを危険な状況に引き入れており、したがって、被告人に課せられた作為義務はおのずから高度なものであったと考えられることに照らすと、正犯者との関係における被告人の作為義務の違反は強い違法性を帯び、その義務を尽くさない不作為が作為による積極的な幇助と同視できるといえることは明らかである。

被告人の作為義務違反を否定する所論は、異なる認定事実ないし理解を前提とするものであって、採用することはできない。

以上の事実関係に照らせば、期待可能性がなかったという主張も採用することができない。

3  作為義務の認識について

所論は、被告人は、AとBの問答を聞いていなかったため、暴行を予見できず、作為義務の存在を認識していなかったという。しかし、上述のとおり、被告人は、AがBを詰問している状況に気付いていたと認められるから、上記所論は前提を異にするものである。また、被告人は、眼前においてAがBに対して暴行を加えるのを確認して以降も、十分な制止行為を果たしていないのであるが、その際に暴行を阻止すべき作為義務の存在を認識しなかったということはおよそあり得ない。

そうすると、原判決の認定を論難する所論はいずれも採用できず、その他原審記録及び当審における事実取調べの結果をつぶさに検討しても、原判決には事実の誤認は見出されない。論旨は理由がない。

第2法令適用の誤りの論旨について

1  所論は、被告人の所為は、Aの暴行を阻止するために精一杯の行為をしたものであって、これを不作為というのは、作為義務の存在や内実に関する解釈を誤ったものであるという。しかしながら、上述のとおり、本件の事実関係の下では、被告人にはBの体に覆いかぶさるなどして同児をAの暴行から保護すべき作為義務が存したと認めるのが相当であるのに、被告人はその義務を果たさなかったものと認められる。よって、この点の所論は失当である。

2  次いで、所論は、不作為による幇助犯が成立するためには、前提となる作為義務の存在及び作為による幇助と同視できる不作為の存在のみならず、「犯罪の実行をほぼ確実に阻止できたのに放置した」との要件が必要であると解すべきところ、原判決は、この最後の要件を看過し、被告人を傷害致死幇助につき有罪と認定したが、これは不当に不作為による幇助犯の成立を広く解するもので、判決に影響を及ぼすべき法令適用の誤りに当たるというものである。

しかし、幇助行為は、正犯の行為を容易にする行為をすべて包含するものであり、正犯者の行為を通じて結果に寄与するものであれば足りるのであって、不作為による幇助を認める場合にのみ、所論のように「犯罪の実行をほぼ確実に阻止できたのに放置した」との要件を必要とするものでないことは、例えば、助勢行為、見張り行為、犯行に使用する物や車の貸与等作為による幇助の場合について考えてみても、明らかというべきであるから、所論は採用できない。

そうすると、原判決には不作為による幇助の成立要件に関して法令の解釈、適用の誤りはない。論旨は理由がない。

よって、刑訴法396条により、本件控訴を棄却することとし、当審における訴訟費用は、同法181条1項ただし書を適用して、被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小出じゅん一 裁判官 岩井隆義 裁判官 坪井祐子)

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