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名古屋高等裁判所 平成17年(ネ)374号 判決 2007年5月31日

主文

1  本件控訴をいずれも棄却する。

2  控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実及び理由

第1当事者の求めた裁判

1  控訴人ら

(1)  原判決を取り消す。

(2)  被控訴人らは,

ア 控訴人a1,同a2,同a3,同a4及び同a5に対し,別紙1記載の「謝罪文」を,

イ 控訴人a18及び同a19に対し,別紙2記載の「謝罪文」を,

ウ 控訴人a18に対し,別紙3記載の「謝罪文」を,

いずれもa6新聞,a7新聞,a8新聞,a9新聞,a10新聞,a11新聞,a12日報,a13日報,a14日報,a15日報,a16新聞及びa17日報に掲載して謝罪せよ。

(3)ア  被控訴人らは,連帯して,控訴人a1,同a2,同a3,同a4,同a5及び同a19に対し,それぞれ,3000万円及びこれに対する

(ア) 控訴人a1,同a2,同a3及び同a5につき平成11年3月16日から,

(イ) 控訴人a4につき,被控訴人国は平成16年2月5日から,被控訴人a22は平成11年3月16日から,

(ウ) 控訴人a19につき平成12年12月19日から,

各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

イ  被控訴人らは,連帯して,控訴人a18に対し,6000万円及びこれに対する平成12年12月19日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(4)  訴訟費用は第1,2審とも被控訴人らの負担とする。

(5)  仮執行宣言

2  被控訴人国

(1)  控訴人らの被控訴人国に対する本件控訴をいずれも棄却する。

(2)  控訴費用のうち,控訴人らと被控訴人国との間に生じた部分については,控訴人らの負担とする。

(3)  仮に,仮執行宣言を付する場合は,

ア 担保を条件とする仮執行免脱宣言,

イ その執行開始時期を判決が被控訴人国に送達された後14日経過した時とする。

3  被控訴人a22(以下「被控訴人会社」という。)

(1)  本件控訴をいずれも棄却する。

(2)  控訴費用は控訴人らの負担とする。

第2事案の概要

1  本件は,大韓民国(以下,原則として「韓国」という。)に在住する控訴人らが,控訴人a1,同a2,同a3,同a4,同a5及び同a19並びに亡a20(控訴人a18の妻)及び亡a21(控訴人a18の妹)は第2次世界大戦中に朝鮮半島から女子勤労挺身隊(以下「勤労挺身隊」という。)の隊員として来日して,当時のa22(以下,これを「旧会社」という。)のa23工場(以下「本件工場」という。)で労働に従事させられたが,その実態は強制連行,強制管理及び強制労働(以下,原則として「本件不法行為」という。)にほかならず,また,被控訴人らは,戦後,勤労挺身隊の隊員であった者が隊員であったことにより新たな被害を被らないように調査,公表,謝罪等をすべき義務を負っていたにもかかわらず,これを怠ったなどと主張して,被控訴人らに対し,謝罪広告の掲載と損害賠償金の支払を求めた事案であり,

(1)  甲事件及び丙事件は,控訴人a1,同a2,同a3,同a4及び同a5が被控訴人らに対し,それぞれ,①新聞紙上への謝罪広告(原判決別紙1)の掲載と,②損害賠償金の支払を求めた事案であり(うち,控訴人a4の被控訴人国に対する損害賠償金の支払請求事件が丙事件であり,その余はすべて甲事件である。),

(2)  乙事件は,

ア a21(1944年〔昭和19年〕12月7日死亡)の兄で相続人である控訴人a18が被控訴人らに対し,①新聞紙上への謝罪広告(原判決別紙3)の掲載と,②損害賠償金の支払を求めた事案と,

イ a20が被控訴人らに対し,①新聞紙上への謝罪広告の掲載と②損害賠償金の支払を求めた事案であったが,a20の死亡(2001年〔平成13年〕2月13日)により夫であった控訴人a18が同人を承継し,同控訴人が被控訴人らに対し,①新聞紙上への謝罪広告(原判決別紙2)の掲載と,②損害賠償金の支払を求めるに至った事案と,

ウ 控訴人a19が被控訴人らに対し,①新聞紙上への謝罪広告(原判決別紙2)の掲載と,②損害賠償金の支払を求めた事案である。

以下,原則として,控訴人a18を除く控訴人ら及びa20を「勤労挺身隊員控訴人ら」と,勤労挺身隊員控訴人ら及びa21を「本件勤労挺身隊員ら」という。

2  原判決は,控訴人らの主張する各請求権が存するとしても,財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定(昭和40年条約27号,以下「本件協定」という。)2条1項,3項の規定により,控訴人らは上記各請求権についていかなる主張をすることもできないとされており,被控訴人らがその旨主張する以上,控訴人らの請求を認容して被控訴人らにその履行を命じる余地はないなどとして,控訴人らの請求をいずれも棄却した。

原判決を不服とする控訴人らが控訴した。

3  前提となる事実,争点及びこれに対する当事者の主張は,次のとおり,原判決に付加訂正をし,当審主張を付加するほか,原判決「第2 事案の概要」欄の2並びに原判決「第3 争点及びこれに対する当事者の主張」欄に記載のとおりであるから,これを引用する。

4  原判決の付加訂正

(1)  原判決3頁22行目の「43,45及び46号証の各1」を「43号証の1,44ないし46号証の各1及び2」と改める。

(2)  原判決5頁7行目冒頭から同頁11行目末尾までを,次のとおり改める。

「朝鮮における勤労挺身隊の動員は,「女子挺身勤労令」施行以前から行われていたが,1944年(昭和19年)以降に特に多く,主に国民学校を通じて同校の6年生又は卒業生を対象に募集が行われた。

上記「女子挺身隊制度強化方策要綱」及び「女子挺身勤労令」では,国民登録者である女子を挺身隊の隊員とすることを基本としていたものの(甲C8),当時の朝鮮で女性の国民登録は技能者(12歳以上40歳未満の技能者で中学校程度の鉱工系学校卒業者又は実力と経験により鉱山技術者,電気技術者,電気通信技術者等々として現職に就業しているか,かつて働いたことがある者)だけとなっており,「必要業務ニ挺身協力スベキコトヲ命ジ得ル」国民登録者の範囲は狭い範囲に止まっていた(甲C1)。

しかし,上記「女子挺身隊制度強化方策要綱」及び「女子挺身勤労令」には,同時に「特ニ志願ヲ為シタル者ハ之ヲ挺身隊員トスルコトヲ妨ゲザルコト」,「前項該当者(国民登録者)以外ノ女子ハ志願ヲ為シタル場合ニ限リ隊員ト為スコトヲ得ルモノトス」と規定されていたため(甲C8),上記のとおり勤労挺身隊員の募集がなされ,これに対する志願という形式で挺身隊員とされた者らが本件工場のほかa27株式会社a28工場,a29株式会社a30工場などの軍需工場に動員されていった。

なお,「女子挺身勤労令」によれば,「挺身勤労ヲ受ケントスル者ハ…地方長官ニ之ヲ請求又ハ申請」し,地方長官においてその必要性を認めれば,市町村長その他の団体の長又は学校長に対し,隊員の選抜を命じ,その結果の報告を受けて隊員を決定し,勤労令書によってその旨通知をなし,この通知を受けた者は挺身勤労をすべきものとものとされた。また,挺身勤労を受ける者が原則その経費を負担するが,「厚生大臣…又ハ地方長官ハ…必要アリト認ムルトキハ…挺身勤労ヲ受クル事業主ニ対シ隊員ノ使用又ハ給与其ノ他ノ従業条件ニ関シ必要ナル命令ヲ為スコトヲ得」と,さらに「厚生大臣又ハ地方長官ハ…挺身勤労ニ関シ市町村長其ノ他ノ団体ノ長若ハ学校長又ハ隊員若ハ挺身勤労ヲ受クル事業主ヲ監督ス」と規定されていた。(甲C8)」

(3)  原判決12頁18行目の「同一視」とあるのを「同一視(ここで同一視とは,1990年代までは「挺身隊」が日本により性的に汚された女性であることを表象していたことにより,そのような女性であると見られたことと,1990年代以降は,加えて軍「慰安婦」と混同・同一視されたことの全てを含む。以下も同様である。)」と改める。

(4)  原判決54頁10行目の「3500万円」を「3700万円」と,同頁14行目の「2500万円」を「2600万円」とそれぞれ改める。

(5)  原判決55頁10行目の「(b)上記」を「(b)a21の相続人及び固有の損害として上記」と改める。

5  当審における控訴人らの主張

(1)  本件協定と条約法に関するウィーン条約

ア 条約の解釈については,1969年〔昭和44年〕5月23日に採択された条約法に関するウィーン条約(以下「条約法条約」という。)31条,32条に規定がある。そして,この条項は,従来の国際慣習法を確認したものであるから,1965年〔昭和40年〕に締結された本件協定にも適用される(条約法条約4条ただし書)。

イ 本件協定の文言は多義的あるいは曖昧な解釈を許すもでのである。特に,「請求権に関する問題」,「完全かつ最終的に解決」(本件協定2条1項)あるいは「すべての請求権であって同日以前に生じた事由に基づくもの」,「いかなる主張もすることができないものとする」(本件協定2条3項)との文言は,日本語としての通常の解釈を試みることはできるものの,依然としてそれ自体が明確にその射程範囲,法的効果を指し示すものではない。

ウ 条約法条約に従い検討すれば,以下のとおりである。

(ア) 本件協定の射程範囲の問題として,韓日請求権協定締結にあたり,控訴人らの被害を含めた植民地支配被害については何ら協議はなく,合意もされなかった。合意がなされていない事項について,本件協定の効果が及ぶことはあり得ず,控訴人らの請求権についても,本件協定によって「完全かつ最終的に解決」され「いかなる主張もすることができない」という効果も生じない。

(イ) 本件協定2条1項,3項において「完全かつ最終的に解決」され「いかなる主張もすることができない」と定められたことの効果について,韓日両政府間の本件協定締結後の解釈に照らし,外交保護権を両政府が互いに行使しないという限りの合意である。個人請求権を具体的に消滅させるという合意は成立していない。仮に,控訴人らの請求権に本件協定の効果が及ぶとしてもそれは外交保護権の放棄という限度である。

(2)  本件協定と国際法(ことに「強制労働ニ関スル条約」)

ア 日本は,「強制労働ニ関スル条約」(1930年〔昭和5年〕6月28日採択・ILO条約第29号,以下「ILO29号条約」という。)を1932年(昭和7年)10月15日に批准し,同年11月21日批准登録をしている。

(ア) ここで強制労働とは「或者ガ処罰ノ脅威ノ下ニ強要セラレ且右ノ者ガ任意ニ申出タルニ非ザル一切ノ労務」とされ(同条約2条1項),これは私企業のための強制労働は批准登録を1932年(昭和7年)11月21日に行った日本においては一切認められないものであった(同条約4条)。また,例外的に強制労働が認められた場合(同条約10条1項)であっても,「推定年齢18歳以上45歳以下ノ強壮ナル成年男子ノミ強制労働ニ徴収セラルルコトヲ得」る(同条約11条1項)のであって,女性でかつ18歳未満の児童についての強制労働は一切認められていない。

(イ) しかも,同条約14条においては,合法的な強制労働に対して相当額の賃金が支払われなければならないと規定されているが,本件では賃金の支払は一切ない。

(ウ) したがって,本件勤労挺身隊員らに対する被控訴人国の行為は違法評価を免れない。

(エ) なお,同条約2条2項(d)は,「緊急ノ場合即チ戦争ノ場合…ノ如キ災厄ノ若ハ其ノ虞アル場合及一般ニ住民ノ全部又ハ一部ノ生存又ハ幸福ヲ危殆ナルシムル一切ノ事情ニ於テ強要セラルル労務」については,強制労働に含まれないとされているが,国際法上の比例の原則,「一般ニ住民ノ全部又ハ一部ノ生存又ハ幸福ヲ危殆ナルシムル一切ノ事情」の解釈によれば,本件勤労挺身隊員らに対する行為が同条約2条2項(d)に当たらないことは明らかである。

(オ) 同条約において禁止される強制労働には処罰義務があることが明示され,処罰を行うことはILO29号条約を批准した国家の義務である。

イ そして,条約法条約53条によれば,一般国際法の「強行規範」とは,いかなる逸脱も許されない規範として,また,後に成立する同一の性質を有する一般国際法の規範によってのみ変更することのできる規範として,国により構成されている国際社会全体が承認した規範をいうものとされ,締結の時に一般国際法の強行規範に抵触する条約は当然に無効とされているところ,強制労働の禁止は本件当時すでに国際法上の強行規範として確立していたものである。

ウ ILO29号条約の14条,15条の解釈からすれば,同条約に反する違法な強制労働に対しては,加害者に賃金の支払,その他の補償義務が課せられているものと認められるが,仮に,原判決のように本件協定を解釈すると,日本政府も連行先企業である旧会社(あるいは被控訴人会社)もいずれもILO29号条約違反の強制労働につきその被害者らに補償義務を負わない結果になる。このような結果は,本件協定がILO29号条約に違反することになり,無効という効果を帰結するうえ,憲法98条2項にも違反する解釈となる。

したがって,本件協定が強行規範に違反しない条約である,すなわち無効な条約ではないと解釈するためには,本件協定によって控訴人ら被害者個人の請求権は何ら影響を受けないと解釈しなければならない。

エ さらに本件協定により控訴人らの請求権が消滅している(実質的な救済を得ることができない)という解釈は,憲法前文,9条,13条に照らした憲法29条1項,3項に違反した解釈であって,その解釈・適用の限りで違憲である。

(3)  本件協定と権利濫用

本件訴訟において,本件協定に基づく抗弁は権利の濫用に該当し,許されない。

ア 本件協定に基づく被控訴人国の資金拠出は,国家間の経済協力・経済援助としてなされたものであり,個人の請求権に対する補償としてなされたものではない。当時の日本政府は,韓国側の政府の表向きの言明にかかわらず,本件協定に基づく援助が軍事独裁政権の延命策として使用され,個人請求権に対する弁済に充当される可能性のないことを認識し,あるいは認識し得たことは明らかである。

イ 本件協定の締結当時,控訴人らが,旧会社において労働を強いられた事実は,意図的に隠蔽されていた。

被控訴人国は,韓国政府との協定締結過程において,個人請求権についての具体的事実の確認を韓国政府に要求して交渉を有利に進めようとしていた。同時に被控訴人国は,すでに1959年(昭和34年)時点において,旧会社の本件工場における人的被害について,詳細を把握しており,援護法の適用に関する調査を終えていた。しかるに,被控訴人らは,控訴人らを含む韓国人被害者の存在を示す証拠の露呈を回避し,極力,隠蔽していた。

本件協定締結時に,自ら意図的に隠蔽した加害者が隠蔽された被害者に対して同協定による政治決着を主張することは,権利の濫用に当たる。

6  被控訴人国の反論

(1)  条約法条約

ア 条約の時間的適用範囲については,締約国の自由な決定にゆだねられるが,別段の合意がなければ,当該条約が当事者国間において発効して以降である。条約法条約4条も,同条約の他の条約に対する不遡及を明文で定めている。

なお,同条約4条ただし書は,本文に規定される条約法条約の適用対象外の条約に対して,一般国際法上存在している規則で,条約法条約に定める規則と同一のものがある場合は,一般国際法上存在している規則が同条約と別個に適用されることを確認的に規定したものである。

そして,条約法条約は,本件協定締結後に我が国において効力が生じた条約であるから,同条約が直接本件協定の解釈に適用されることはない。

したがって,本件協定の解釈に条約法条約が当然適用されることを前提とした控訴人らの主張は誤りである。

イ 本件協定の規定内容は明確であり,これが不明確であることを前提とする控訴人らの主張は失当である。

本件協定及び合意議事録は,「財産,権利及び利益」とそれ以外の「請求権」とを分けて規定した。「財産,権利及び利益」とは,合意議事録2(a)により「法律上の根拠に基づき,財産的価値を認められる全ての種類の実体的権利」をいうものとされ,「請求権」とはこれに当たらないあらゆる権利又は請求を含む概念であると解される。

そして,本件協定2条2は,在日韓国人の財産等及び終戦後の「通常の接触の過程」において取得された財産等には,本件協定2条の規定の影響が及ばないことを規定してこれを処理の対象から除外し,これ以外の「財産,権利又は利益」については,本件協定2条3において,これらに対する措置(措置法により,本件協定に明記される一部の例外を除き,韓国国民の日本国又は日本国民に対する債権,担保権は消滅させられ,韓国国民の物〔動産及び不動産〕は保管者に帰属したものとする措置。)についていかなる主張もすることができないとした。これに対し,「財産,権利又は利益」に当たらない本件協定2条の「請求権」については,本件協定2条3において,一律に「いかなる主張もすることができないものとする」とされ,同協定2条1において,「請求権に関する問題が完全かつ最終的に解決されたこととなる。」ことが確認された。

この「財産,権利又は利益」に対する措置及びその他の「請求権」について,いかなる主張もすることができず,完全かつ最終的に解決したとは,韓国及びその国民が,どのような根拠に基づいて日本国及びその国民に請求しようとも,日本国及びその国民はこれに応じる法的義務はないという意味である。

したがって,本件協定の規定内容は明確であり,その「法的意味」は何ら不明確ではない。

(2)  国際法(ことにILO29号条約)

ア 控訴人らの主張は,「ILO29号条約が,加害国に対し被害者個人への賃金の支払その他の補償義務を課している」という誤った前提に基づくものであり,失当である。

イ ILO29号条約上,被害者個人が加害国の国内裁判所において加害国を相手に損害賠償を求め得るとする特別な制度は設けられておらず,同条約違反により被害者個人が加害国に損害賠償を求め得るとする国際慣習法の成立を示す一般慣行,法的確信の存在も認められない。

控訴人らは,同条約14条を根拠に賃金相当損害金請求権が認められると主張するが,同規定も国際法の基本的考え方からすれば,締約国相互に義務を課したものであって,個人が締約国に対して直接賃金を支払うよう請求する権利を付与したものではない。

ウ したがって,本件協定を原判決のように解釈したとしても,ILO29号条約が加害国に対し被害者個人への損害賠償請求権等を保障したものでない以上,本件協定がILO29号条約に違反するものではない。本件協定を控訴人らの主張するように限定して解釈すべき根拠はない。

(3)  権利濫用

ア 本件協定2条により,被控訴人国には控訴人らの請求に応じるべき法的な義務がないのであるが,これは本件協定が条約であることに基づく法令の適用の結果であって,当事者の抗弁事由でないことは明らかである。これは除斥期間(民法724条後段)の主張が,消滅時効の援用と異なり,「当事者からの主張がなくても,除斥期間の経過により右請求権が消滅したものと判断すべきである」(最高裁平成10年6月12日・民集52巻4号1087頁)とされるのと同様である。

イ 本件協定2条に関する主張は,被控訴人国の抗弁事由ではないから,この主張が権利の濫用になることはありえないし,抗弁権の放棄を論じる意味もないのであって,控訴人らの主張はいずれも失当である。上記裁判例においても「当事者からの主張がなくても,除斥期間の経過により右請求権が消滅したものと判断すべきであるから,除斥期間の主張が信義則違反又は権利濫用であるという主張は,主張自体失当であると解すべきである。」と判示し,同様の考えが示されている。

第3当裁判所の判断

1  当裁判所も,控訴人らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却すべきものと判断するが,その理由は,次のとおり,原判決に付加訂正をし,当審主張に対する判断を付加するほか,原判決「第4 当裁判所の判断」欄の1ないし4に記載のとおりであるから,これを引用する。

2  原判決の付加訂正

(1)  原判決93頁の13行目と14行目の間に,次のとおり挿入する。

「2(1) 上記のとおり,本件勤労挺身隊員らが挺身隊員に志願するに至った経緯については,①勧誘を受けた当時の年齢(控訴人a1は13歳,同a2は13歳,同a3は14歳,同a4は14歳,同a5は14歳,a21は14歳,a20は14歳,控訴人a19は14歳)がいずれも若年であり,十分な判断能力を有するまでには至っていない年代であり,それまでに上記第2の2(2)のとおりの教育を受けていたこと,②これに対して勧誘者(校長,担任教諭,憲兵,隣組の愛国班の班長)は,校長や担任教諭など信頼をしていた者,さらには敬意をはらうべき者であって,その影響力は大きかったことを前提に,③勧誘内容(「日本に行けば学校に行ける。」,「工場で働きながらお金も稼げる。」あるいは単に「お金がもらえる。」,「2年間軍需工場で働いて勉強すれば,その後卒業証書がもらえる。」)が向学心を持ち上級学校への進学を願う者にとっては極めて魅力的なものであったものの,そのような勉学の機会の保障は制度として予定されていなかったし,実際にもなされていなかったこと,④親などの反対に対しては,校長から「お前の親は契約を破ったから刑務所に送られるだろう。」(控訴人a1),「…行かなければ,警察がお前の父親を捕まえて閉じ込める。」(控訴人a4),憲兵から「一度行くと言った人は絶対にいかなければいけない。行かなかったら警察が来て家族,兄さんを縛っていく。」(控訴人a3)などと脅されたり,無断で印鑑を持ち出して書類を揃えたことを知りながら黙認したりしたこと(控訴人a5)を総合すれば,各勧誘者らが本件勤労挺身隊員らに対して,欺罔あるいは脅迫によって挺身隊員に志願させたものと認められ,これは強制連行であったというべきである。

(2)  また,上記のとおり,本件勤労挺身隊員らの本件工場における労働・生活については,同人らの年齢,その年齢に比して過酷な労働であったこと,貧しい食事,外出や手紙の制限・検閲,給料の未払などの事情が認められ,これに挺身隊員を志願するに至った経緯なども総合すると,それは強制労働であったというべきである。

(3)  また,a21が東南海地震により1944年(昭和19年)12月7日本件工場内で死亡したこと,控訴人a19が本件工場内での作業中に左手人差指に傷害を負ったことは,いずれも上記強制連行,強制労働により生じた損害と認められる。

(4)  そして,勤労挺身隊は我が国の軍需産業における労動力不足を補うためになされたものであり,上記第2の2(1)のとおり,次官会議における「女子勤労動員ノ促進ニ関スル件」の決定(1943年〔昭和18年〕9月13日),閣議における「女子挺身隊制度強化方策要綱」の決定(1944年〔昭和19年〕3月18日)とその内容,さらには,その後,「女子挺身勤労令」において「厚生大臣又ハ地方長官ハ…挺身勤労ニ関シ市町村長其ノ他ノ団体ノ長若ハ学校長又ハ隊員若ハ挺身勤労ヲ受クル事業主ヲ監督ス」と規定されたことに照らせば,本件勤労挺身隊員らに対する勧誘行為は被控訴人国の監督のもとになされたものであるということができる。

また,旧会社が勤労挺身隊の派遣を受けたのはその要請に基づくものと推測され(女子挺身勤労令5条参照),また,その挺身隊員らの監督は直接には事業主が行うものの,事業主に対する監督は厚生大臣又は地方長官が行うことになっていたこと(女子挺身勤労令12条,13条,16条)等に照らせば,本件勤労挺身隊員らの本件工場における労働・生活に対する管理は旧会社において被控訴人国の監督のもとなされていたものということができる。

(5)  したがって,本件勤労挺身隊員らに対する勧誘行為や本件工場における労働・生活,すなわち強制連行・強制労働について,被控訴人国については民法の適用があるならば,被控訴人会社については旧会社との法人格の同一性あるいは旧会社からの債務の承継が認められるならば,被控訴人らは,民法709条,715条,719条によりその損害賠償等の責任を負担すべきことになる。

3  国家無答責の法理について

(1)  被控訴人国は,控訴人らの主張を前提とすれば,本件不法行為は,国家の権力的作用に基づいてなされたものであり,昭和22年10月27日の国家賠償法施行前の行為であるから,国家無答責の法理(権力的作用に民法の適用はないとする実体法上の法理)が妥当し,民法709条,715条,719条の適用の余地はないと主張する。

(2)  国家賠償法施行前においては,国家賠償法のように一般に国の損害賠償責任を認める明文の規定を持つ実体法はなく,同法附則6条は「この法律の施行前の行為に基づく損害については,なお従前の例による」と規定し,同法の規定の遡及的適用が否定された以上,同法施行前の公務員の公権力の行使の違法を理由とする国の賠償責任については,民法(明治31年施行)の不法行為に関する規定が公務員の公権力の行使についても適用があるのか,それとも実体法上の法理として国家無答責の法理があり,これによって民法の適用が排除されていたのかによって決せられることになる。

(3)  確かに,大審院は,国家賠償法の施行前の複数の事例で,民法の不法行為に関する規定は公務員の権力的作用には適用がないとの解釈をとり,国家の権力的作用に基づき,個人に損害が生じても,国に不法行為責任を認めることはしていなかった。

また,公務員の権力的作用に基づいて個人に損害が発生した場合,国または公共団体に責任を負わせるか否か,負わせるとしてもどのような要件のもと,どのような範囲で責任を負わせるかは立法裁量にゆだねられているところ,旧民法や民法715条の立法過程における議論や,国または公共団体に責任を負わせるための特別法を認めなかったことから,国家に責任を認める余地はないとする見解もあり得るところである。

(4)  しかしながら,以下の事情を総合検討すれば,公務員の権力的作用に基づく不法行為について民法715条を適用するか否かの解釈は,国家賠償法施行前においては,判例にゆだねられていたものと解するのが相当である。

ア まず,原則的な規定として民法709条,715条が存在し,これらは文理上,公務員の権力的作用に基づいて不法行為責任が発生する余地を排除していない。

イ 確かに,旧民法の制定過程において,当初の草案では「公ノ事務所」として国又は公共団体も不法行為責任(使用者責任)を負うとされながら,後にこれが削除されたのは,公務員の権力的作用に基づく不法行為については特別の配慮を要すると考えられたためであると解されるが,上記のとお原則的な規定としての民法709条,715条は存在しており,他方,公務員の権力的行為に基づく不法行為につき,国の責任を全て否定すべきであるということに関して,行政裁判法16条はともかくとしても明確な実定法規はないことからすると,この点から当然に結論が導かれるものとも言えない。

ウ なお,行政裁判法16条については,実体法上は公権力の行使に違法があった場合に国に損害賠償責任を生ずることを前提としながら,行政裁判所は損害賠償請求訴訟を受理しないという訴訟手続上の定めをおいたものと解釈する余地がある。

エ そして,大審院の判例が当初権力的作用と非権力的作用を問わず,私経済的作用を除くすべての公務員の行為に責任を認めていなかったのに,大正5年の遊動円棒事件判決以来,非権力的作用については民法の適用を認め,国の不法行為責任を肯定するように変遷してきたことも,公務員の権力的作用に基づく不法行為に民法の適用を認めるか否かが判例にゆだねられていたことの根拠ということができる。

オ さらに,戦前の有力学説も,国家無答責の法理につき,一致して支持していたわけでもなければ,異論がなかったわけでもない。

(5)  以上のとおり,国家賠償法施行前において,すべての権力的作用に基づく行為について民法が適用されないとする法理が存在したとは認められない。そこで,本件につき民法の適用の有無を検討する必要があるところ,違法性の有無等ついては行為当時の法令と公序に照らして判断すべきものであり,上記(3)のとおり,戦前の判例法理によれば,本件につき民法の適用はないと解する余地があるともいえる。

しかしながら,上記はあくまでも判例法理に止まるものであるうえ,本件についてみると,日本は,ILO29号条約を1932年(昭和7年)10月15日に批准し,同年11月21日に批准登録をしているが,同条約では,女性でかつ18歳未満の児童についての強制労働が一切認められていなかったにもかかわらず,上記2のとおり,本件勤労挺身隊員らに対する勧誘行為や同人らの本件工場における労働・生活は,被控訴人国による監督のもとなされた強制連行・強制労働と認められること,そしてこれらの行為は個人の尊厳を否定し,正義・公平に著しく反する行為と言わざるを得ないことに鑑みれば,行為当時の法令と公序のもとにおいても,許されない違法な行為であったというべきである。

したがって,被控訴人国は,本件勤労挺身隊員らに対する強制連行・強制労働について,民法709条,715条,719条によりその損害賠償等の責任を負担すべきものである。

4  旧会社と被控訴人会社の同一性について

(1)  被控訴人会社は,旧会社は,企業再建整備法における整備計画に基づく第二会社3社の設立により,昭和25年1月11日に解散しており,他方,被控訴人会社は,a53株式会社(昭和25年1月11日設立)が,昭和39年6月30日に,a54株式会社及びa55株式会社(いずれも昭和25年1月11日設立)を合併してできた株式会社であって,旧会社と被控訴人会社とは別個独立の会社である旨主張する。

(2)ア  確かに,旧会社は,会社経理応急措置法上の特別経理会社,企業再建整備法上の特別経理株式会社となり,企業再建整備法の再建整備計画に基づき昭和25年1月11日に解散し,旧会社の資産のうち企業再建整備法における整備計画に基づき新勘定に属するものとされた資産の現物出資により新たにa53株式会社,a54株式会社及びa55株式会社が設立されたものであって,形式的には法人格の同一性や継続があるとは言えないところである。

イ  しかしながら,旧会社と新たに設立された3つの第二会社との間には,人的には,新会社3社の初代社長はいずれも旧会社の常務取締役であったこと,従業員も特段の手続きを経ることなく新会社に引き継がれたこと,物的には,上記新勘定には会社の目的たる現に行っている事業の継続及び戦後産業の回復復興に必要なものが含まれていたのであり,実態としては,事業の継続に必要な人的・物的財産が新会社3社に分割して引き継がれているものと認められる(丙7,8,12,16,18の1及び2,弁論の全趣旨)。そして,この新会社3社のうち,a53株式会社が,昭和39年6月30日にa54株式会社及びa55株式会社を合併して被控訴人会社となっている。

また,旧会社は,昭和32年9月30日,a49株式会社に吸収合併されたが,同社は,被控訴人会社の子会社で,被控訴人会社はa49株式会社の発行済株式総数の84.5%を保有し,両社の役員及び職員の一部は兼任をしており,あるいは被控訴人会社からa49株式会社へ出向,転籍している者もいること,また,同社は被控訴人会社の本社ビルの一部を転借しているなどの事情も認められる(弁論の全趣旨)。

以上からすれば,旧会社と被控訴人会社との間には実質的に同一性があり,被控訴人会社において,旧会社の違法行為については一切関与しておらず責任を負わない旨の主張をすることが信義則上許されないと解する余地があるというべきである。

ウ  したがって,本件勤労挺身隊員らに対する勧誘行為や本件工場における労働・生活,すなわち強制連行・強制労働について,被控訴人会社は,民法709条,715条,719条によりその損害賠償等の責任を負担すべき余地があるということができる。

5  なお,控訴人らは,国際法違反(強制労働ニ関スル条約違反,国際慣習法としての奴隷制の禁止違反,人道に対する罪,ハーグ条約・ハーグ規則にかかる国際慣習法違反)に基づき,被控訴人らに対する損害賠償請求権等が発生すると主張する。

しかしながら,強制労働ニ関スル条約には,違法に強制労働を課せられた被害者たる個人の条約に違反した国家や私人に対する損害賠請求権を規定しておらず,そのように解すべき条項も認められない。奴隷制禁止の国際慣習法に関しても,その慣習法に違反することを理由に被害者である個人が直接に加害者である国家や私人に対して損害賠償請求権を行使できることの一般慣行や法的確信が存在していたものとは認められない。さらに人道に対する罪は,犯罪の構成要件を規定し,国家に処罰を義務づけるに止まり,民事責任を基礎付けるものではない。最後にハーグ条約・ハーグ規則は,その規定内容からすれば,交戦による戦争損害に関する規定であるものと解され,損害賠償を行うべき相手方も,他方の交戦当事者である国家又は団体であると解されるから,控訴人らの被害についてその規定が適用されるものではない。したがって,控訴人らの上記主張はいずれも理由がないことに帰する。」

(2) 原判決93頁14行目冒頭の「2」を「6」と改める。

(3) 原判決93頁22行目の「乙12号証」を「乙12号証,乙30号証ないし35号証」と改める。

(4) 原判決94頁3行目末尾に,改行のうえ次のとおり付加する。

「なお,この平和条約では,個人の請求権を含め,戦争の遂行中に生じたすべての請求権を相互に放棄することを前提として,日本国は連合国に対する戦争賠償の義務を認めて連合国の管轄下にある在外資産の処分を連合国にゆだね,役務賠償を含めて具体的な戦争賠償の取決めは各連合国との間で個別に行うという日本国の戦後処理の枠組みを定めていた。」

(5) 原判決100頁7行目冒頭から101頁15行目末尾までを,次のとおり改める。

「(2)ア 上記のとおり,平和条約4条(a)により,我が国及びその国民に対する朝鮮地域の施政を行っている当局及び住民の請求権の処理は,我が国と同当局との間の特別取極の主題とするものとされ,この特別取極の主題となるものを含めて解決するものとして,本件協定が締結されるに至ったものである。

イ また,その前提となる平和条約では,個人の請求権を含め,戦争の遂行中に生じたすべての請求権を相互に放棄することを前提として,日本国は連合国に対する戦争賠償の義務を認めて連合国の管轄下にある在外資産の処分を連合国にゆだね,役務賠償を含めて具体的な戦争賠償の取決めは各連合国との間で個別に行うという日本国の戦後処理の枠組みが定められていたが,ここで請求権の「放棄」(平和条約14条(b),19条(a))とは,国家は,戦争の終結に伴う講和条約の締結に際し,対人主権に基づき,個人の請求権を含む請求権の処理を行い得ることを前提に,また,請求権放棄の趣旨が,戦争の遂行中に生じた種々の請求権に関する問題を,事後的個別的な民事裁判上の権利行使をもって解決するという処理にゆだねたならば,将来,どちらの国家又は国民に対しても,平和条約締結時には予測困難な過大な負担を負わせ,混乱を生じさせることとなるおそれがあり,平和条約の目的達成の妨げとなるから,これを避けることにあったことにかんがみ,当該請求権につき裁判上訴求する権能を失わせるものと解すべきものであった。

ウ 上記に認定した,平和条約の内容やその役割,本件協定締結に至るまでの経緯(その過程のなかで我が国及び韓国の政府は,いずれも,国と国との間の請求権についてだけでなく,それぞれの国民の相手国及びその国民に対する請求権の処理を重要な課題として検討を重ねたことは明らかである。),本件協定2条の文言,本件協定締結に伴って日韓両国において執られた措置によれば,我が国又はその国民に対する韓国及びその国民の,(a)債権については,それが本件協定2条3項の財産,権利及び利益に該当するものであれば,財産権措置法1項によって,原則として,昭和40年6月22日に消滅し,(b)その他の同日以前に生じた事由に基づくすべての請求権については,本件協定2条2項に規定されたものを除き,同条1項,3項によって,韓国及びその国民は,我が国及びその国民に対して何らの主張もすることができないものとされたことが明らかである。

そして,上記認定の諸事情を前提として本件協定2条1項,3項の趣旨を考えると,我が国及びその国民は,韓国及びその国民から,上記(b)に該当する請求権の行使を受けた場合,韓国及びその国民に対し,本件協定2条1項,3項によって上記の請求権については主張することができないものとされている旨を主張すること,すなわち,その請求に応じる法的義務はないとの主張をすることができるものと解するのが相当である。

エ(ア) 控訴人らは,本件協定2条1項,3項の主体は日韓両締約国であり,両国が国家としての外交保護権の放棄を確認したとしても,そのことをもって両国国民の請求権についての何らかの効果が生じるということは論理的にありえないと主張する。

しかしながら,条約は国家間の合意であり,条約の締結には国会の承認を要し(憲法73条3号),その誠実な遵守の必要性が規定されていること(憲法98条2項)からすれば,法律と条約との国内法的効力における優劣関係に関しては,条約が法律に優位するものと解されるところ,国会は,国内の立法手続により国民の私法上の権利・義務の設定,変更,消滅を行うことが可能なのであるから,国会の承認を得た条約によって国民の私法上の権利・義務の設定,変更,消滅を行うことも可能であると解されること,また,国家は,戦争の終結に伴う講和条約の締結に際し,対人主権に基づき,個人の請求権を含む請求権の処理を行い得ると解されることからすれば,国家間の合意によって国民の権利を制限することはできないことを前提とする控訴人らの上記主張はその前提において採用できない。

なお,上記のように解することによって,控訴人らに生じた損害に対して補償がなされないとしても,第2次世界大戦の敗戦に伴う国家間の財産処理といった事項は本来憲法の予定しないところであり,そのための処理に関して損害が生じたとしても,その損害に対する補償は,戦争損害と同様に憲法の予想しないものというべきであるから(最高裁昭和43年11月27日大法廷判決・民集22巻12号2808頁),それと同様に本件協定について憲法違反をいうことはできない(最高裁平成13年11月22日第1小法廷判決・判例タイムズ1080号81頁,平成16年11月29日第2小法廷判決・判例タイムズ1170号144頁)。

(イ) 控訴人らは,条約が国内法的効力を有するためには,主観的要件として条約締結国が国内において直接適用を認める意思を有していること,客観的要件として規定内容が明確であることを必要とするところ,本件協定はこれら要件を満たしていないと主張する。

しかし,本件協定2条が「財産,権利及び利益」については国内法上の「措置」を予定しているのに対し,「請求権」については「いかなる主張もすることができない」と規定し,「両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が,…完全かつ最終的に解決されたこと」を確認していることからすれば,日本と韓国の両締約国は,「請求権」については,「主張することができないものとされている」旨の主張ができるという法的効果を本件協定の直接の効果として予定していたことは明らかである。

また,後記のとおり,本件協定2条2項に規定されたものを除く「請求権」には,昭和40年6月22日以前に生じた事由に基づくものであれば,本件協定の締結当時に具体的な問題として取り上げられていなかった請求権も含めて本件協定の対象になるものと解され,その規定内容が不明確であるということもできない。

したがって,控訴人らの上記主張は採用できない。

(ウ) 控訴人らは,ジュネーブ第4条約において「国家が賠償処理によって個人の賠償請求権を消滅させることはできない。」ということが国際慣習法として確認されていたから(同条約7条,148条参照),本件協定によって日本及び韓国の両政府が自国民の個人請求権を消滅させることは当時の国際慣習法に違反し,不可能であったと主張する。

条約の時間的適用範囲は締約国の自由な決定に委ねられるが,別段の合意がなければ,条約不遡及の原則が適用される。この点,条約法に関するウィーン条約28条では,「条約は,…条約の効力が当事国について生じる日前に行われた行為,同日前に生じた事実…に関し,該当当事国を拘束しない」と規定されている。

そして,ジュネーブ第4条約は1949年(昭和24年)に締結されたものであり,時間的適用範囲について特段の規定はなく,同条約から別段の意図が明らかとも言えないから,第2次世界大戦中の行為に同条約を適用することはできない。

また,控訴人らが主張するジュネーブ第4条約の7条は,「いかなる特別協定も,この条約で定める被保護者の地位に不利な影響を及ぼし,又はこの条約で被保護者に与える権利を制限するものであってはならない」と規定するが,上記のとおり第2次世界大戦中の行為についてジュネーブ第4条約が適用されない以上,同条約7条が本件協定の効力に影響を与えるものとは認められない。

さらに,控訴人らが主張するジュネーブ第4条約の148条は,締約国が,同条約に対する重大な違反行為を行った者,それを命じた者に対して刑罰を定めるため必要な立法を行い,公訴を提起しなければならないことを前提にして,「締約国は,前条に掲げる違反行為に関し,自国が負うべき責任を免かれ,又は他の締約国をしてその国が負うべき責任から免かれさせてはならない」と規定するが,これについても同様に本件協定の効力に影響を与えるものとは認められない。

そして,「国家が賠償処理によって個人の賠償請求権を消滅させることはできない。」という国際慣習法が既に成立しており,ジュネーブ第4条約の7条,148条がそれを確認したものであるとの控訴人らの主張を認めるに足りる証拠はない。

したがって,控訴人らの上記主張は採用できない。

オ 控訴人らは,従前,被控訴人国は本件協定の効果は外交保護権の放棄であって,いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではないと主張していたにもかかわらず,平成14年11月14日付け第6準備書面においてその主張を一転させ「応じる法的義務がない」(実質的に個人請求権を消滅させた)と主張するに至ったが,これは自らの責任を免れるための詭弁であり正義衡平の観念に著しく反するものであり,本件協定について個人の請求権を消滅させたものではないとの見解が司法によっても確認された後の段階においてこのような主張をすることは,少なくとも本件協定により訴えが排斥されることはないと確信して訴訟関係に入った控訴人らとの関係においては,信義則(民法1条2項)に反し許されない(禁反言)と主張する。

確かに,控訴人らが主張するように平成3年8月27日の第121回国会参議院予算委員会における政府委員(a58外務省条約局長)の答弁は,「…いわゆる日韓請求権協定におきまして両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決したわけでございます。その意味するところでございますが,日韓両国間において存在しておりましたそれぞれの国民の請求権を含めて解決したということでございますけれども,これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。したがいまして,いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません。日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることはできない,こういう意味でございます。」というものである(甲G14)。

しかし,本件協定に関して昭和40年11月5日に開かれた第50回国会衆議院「日本国と大韓民国との間の条約及び協定等に関する特別委員会」において,日本国民の在韓財産と本件協定2条との関係につき,a57外務大臣の答弁は,「個人の請求権を放棄したという表現は私は適切でないと思います。a88法制局長官が言ったように,政府がこれを一たん握って,そしてそれを放棄した,こういうのではないのでありまして,あくまでも政府が在韓請求権というものに対して外交保護権を放棄した,その結果,個人の請求権というものを主張しても向こうが取り上げない,その取り上げないという状態をいかんともできない,結論において救済することができない,こういうことになるのでありまして,私がもしそれを放棄したというような表現を使ったならば,この際訂正をいたします。」というものであり,また,その答弁に対して質問者は「これは総理にお伺いしたいところなんです。あなたは先ほど,実質的に放棄したと言っていいのかと言ったら,そういうことになるとはっきりおしゃいました。それはもう正直な答弁ですよ。外交保護権は放棄したけれども,個人の請求権は残っておると言ってみたところで,それでは韓国に対して訴訟を起こして回収しよう,その道は閉ざされている。実質的に放棄したことになる。…」(乙16)と述べている。

上記a57外務大臣の答弁等,さらに本件協定の文言からすれば,被控訴人国は,本件協定の締結当時から,請求権については本件協定により最終的には法的救済が得られない状態にあることを主張していたものと認められる。

したがって,a58外務省条約局長の答弁が不十分なものであったとの誹りは免れないとしても,そのことから被控訴人国が本訴においてなした本件協定に関する主張が信義則上許されないということはできず,他に,控訴人らの上記主張を認めるに足りる証拠はない。

カ なお,平和条約14条(b)には,「連合国は,連合国のすべての賠償請求権,戦争の遂行中に我が国及びその国民がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権を放棄する」旨の規定が存するところ,同条約26条には,「我が国がいずれかの国との間で,同条約で定めるところよりも大きな利益をその国に与える平和処理又は戦争請求権処理を行ったときは,これと同一の利益は,この条約の当事国にも及ぼされなければならない。」旨の規定が存する。韓国は,平和条約の当事国ではないが,仮に我が国がいずれかの国との間で,同条約14条(b)において合意した内容よりも大きな利益を与える旨の処理をしている場合には,我が国と韓国との間の合意の効力を検討するにつき,上記の点を考慮すべきことになるものと考えられるが,本件各証拠及び弁論の全趣旨によっても,我が国がいずれかの国に対し同条約で定めるところよりも大きな利益を与える旨の戦争請求権処理等を行ったことは認められない。したがって,この点から本件協定に関する上記の解釈を検討すべき余地はないというべきである。」

(6) 原判決101頁26行目の「これを本件についてみると」から同102頁3行目末尾までを,次のとおり改める。

「これを本件についてみると,控訴人らの被控訴人会社に対する各請求権は,上記の債権に当たらないというべきである。なお,控訴人らの請求のうちに未払賃金の支払請求が含まれているのであれば,それは本件協定2条3項の「財産,権利及び利益」に該当するものと解されるが,控訴人らは,被控訴人らによる強制連行,強制労働による損害の賠償を請求し,その財産的損害額の算定根拠に当時の未払賃金額を用いているものと解されるところ,昭和40年6月22日当時,被控訴人らによる強制連行,強制労働に関して事実関係の立証が容易であり,その事実関係に基づく法律関係が明らかであったとまでは言えないのであるから,上記のとおり解すべきである。したがって,被控訴人会社の上記主張は採用することができない。」

(7) 原判決102頁18行目冒頭から103頁18行目末尾までを,次のとおり改める。

「エ 控訴人らの被控訴人らに対する各請求権について

(ア) 上記に検討したところによると,控訴人らの被控訴人らに対する各請求権は,いずれも本件協定2条1項,3項に規定する財産,権利及び利益に該当するものでなく,同各条項に規定する請求権に当たるものと解される。そして,これらが同条2項に該当しないものであることは明らかである。

(イ) 控訴人らが,本件勤労挺身隊員らが我が国に連行され,本件工場及びa45工場において強制労働させられたこと,a21が昭和19年12月7日に本件工場において死亡し,控訴人a19が本件工場内での作業中に左手人差指に傷害を負ったことを理由とする不法行為に基づく各請求権は,昭和19年から昭和20年10月ころまでの間の事由に基づくものである。

オ 同一視被害について

証拠(甲B40及び43号証,甲C1,5,7,17,20,24,81号証の2及び91号証,原審証人a25,証人a89,原審における控訴人a1)と弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

(ア) いわゆる軍「慰安婦」と勤労挺身隊

a 1930年代とくに日中戦争が全面化した1938年(昭和13年)以降1945年(昭和20年)に至るまで,多数の女性が朝鮮半島から軍「慰安婦」として連行されたが,その対象は10代から20代の女性で,特に未成年の女性が多かった。

一方,第2次世界大戦末期である1943年(昭和18年)から1945年(昭和20年)にかけて,主として国民学校卒業直後の12歳から16歳程度の幼い少女たちが勤労挺身隊として動員され日本へ送り込まれたが,その数は軍「慰安婦」とされた者に比して少数に止まった。

b 軍「慰安婦」の場合,警察と軍の介入,拉致などの方法で連行された者もあったとされるが,多くは,「工場に行く」,「お腹一杯食べさせる」,「お金をたくさんあげる」等と言って,看護婦,女子挺身隊,慰問団などに就業させるかのごとく誘い募集した。

他方,勤労挺身隊においては,「女学校へ行ける」,「働いてお金も稼げる」と幼い少女を騙して動員していた。勧誘には,大多数の場合公立学校の教師,校長,面長,区長等の行政機関が関与し,憲兵が立ち会った例も多かった。

このように両者ともに,形式的には勧誘によるものであり,勧誘に際しては経済的利益等を強調して欺罔するなどその方法も酷似していた。

c 軍「慰安婦」の動員は,特殊な例を除けば,公然と「慰安婦」と称して行われることはなく,従軍看護婦,女子挺身隊,慰問団,歌劇団,奉仕隊等様々な名目のもとで行われた。そのため,「慰安婦」という言葉は,一般には全くなじみのない言葉であった。

他方,1940年(昭和15年)以降,「挺身隊」の名称で,様々な動員が行われた。「農村挺身隊」,「学徒挺身隊」,「報国挺身隊」,「国語普及挺身隊」,「報道挺身隊」,「婦人農業挺身隊」,「女子救護挺身隊」,「特別女子青年挺身隊」など総督府あるいは日本軍によって「挺身隊」との名称が用いられた組織は極めて多岐に及んでいた。そして1944年(昭和19年)以降,総督府は大々的な宣伝を行って勤労挺身隊の動員をするようになった。

d ところで,勤労挺身隊として動員されながら,軍「慰安婦」とされた例が,6例確認されている。一度は工場に動員されたが,工場から脱出後に捕らえられて軍「慰安婦」とされた1例と,工場には行かないか,ちょっと寄った後すぐに軍「慰安婦」とされた5例である。

(イ) 挺身隊言説被害の発生

a 上記(ア)のとおり,多数の若い未婚女性が日本によって動員されたがそれらは広く「挺身隊」として表象されるようになり,その中には軍「慰安婦」とされた者も多数含まれていたことから,「挺身隊」という言葉は,具体的な実態は不明なまま,日本によって性的に汚された女性を表象するものになっていった。

b 韓国社会は,徹底した男系血統主義の家父長制がとられていたので,女性は,妻,母という役割の中にその存在が規定され,強い貞操観念が求められた。そして,純潔な女性が結婚の対象であり,そうでない女性は遊ぶための相手と位置付けられ,たとえ性暴力によって貞操を失ったのであっても,その女性は不道徳な女性として非難にさらされていた。

c こうした韓国社会の中で,勤労挺身隊員らが家庭生活や社会生活において女性としての地位を占めることは極めて困難であった。本件勤労挺身隊員らを含め勤労挺身隊の隊員らは,結婚するために自らの過去を秘匿する必要があり,仮に結婚できた場合にも,過去が知られることに怯え続けなければならなかった。何らかの機会に勤労挺身隊に動員されていたことが夫に知られれば家庭の崩壊を来すのみならず,家族の恥となって子どもや身内に何らかの災いが降りかかるからであった。そのため勤労挺身隊員であったという過去に怯え続ける人生を余儀なくされた。

(ウ) 同一視被害

a 1990年代に入るまで軍「慰安婦」の具体像は不明であった。この間,男性の徴用・強制連行は問題として取り上げられ,補償問題も浮上した。しかし,軍「慰安婦」と勤労挺身隊の被害者らは,自らの被害を語ることはできなかった。かつて「挺身隊」の隊員であったことを語れば,自分が汚らわしい女性であると語ることと同様に見なされたためで,話題にすることすら困難な状況だった。

b その後,韓国が民主化された1990年代近くなってから,女性が,それまでの考えを克服して性暴力問題を本格的に告発するようになり,性暴力による被害が女性の恥ではなく,違法な人権侵害であるとする意識が社会に定着し始める中で,1990年代に入り軍「慰安婦」問題が具体的な問題として取り上げられることとなった。

c 同一視被害の発生

そして,軍「慰安婦」の実態が具体的に明らかにされるに伴い,今度は,「挺身隊」が具体的には軍「慰安婦」を意味する言葉として実体化されていった。そのために勤労挺身隊員として動員された者らは,軍「慰安婦」との同一視による危険にさらされることとなった。軍「慰安婦」問題に社会の関心があつまるにつれて却って勤労挺身隊員らは,いつ自分たちの過去が周囲に知られることになるかを心配し,いっそう怯えて生きることを余儀なくされるようになった。

(エ) 上記(ア)ないし(ウ)のとおり,帰国後において,勤労挺身隊員として日本に行ったということが知られると,そのことから直ちに性的に汚された女性と認識されるという状況があったため,

a 控訴人a1は,勤労挺身隊員であったことを秘して1957年(昭和32年)頃に結婚し,結婚後もそのことを家族にも話さず暮らしてきたが,子どもらが独立した後に勤労挺身隊員であったことを明らかにしたところ,夫の理解は得られず1994年(平成6年)10月には夫と離婚したこと,

b 控訴人a2は,一度軍人と婚約したが勤労挺身隊員であったことが知られて破談となり,その後,結婚したものの再び勤労挺身隊員であったことが知られ,それが原因となって離婚したこと,

c 控訴人a3は,勤労挺身隊に参加したことを隠していたところ,一度あった憲兵との結婚話は同控訴人が勤労挺身隊員であったことを知った相手方が断ってきた,その後にした結婚生活においても,結婚4,5年後には勤労挺身隊員であったことが夫の知るところとなり,夫からの信用を失い,暴力を受け,夫が家を出るに及んで婚姻関係は破綻したこと,

d 控訴人a4は,一度見合いをした相手と結婚の約束をしたが,勤労挺身隊に参加したことを知られ,相手の母親に反対されて破談し,その後,1949年(昭和24年)頃,勤労挺身隊員であったことを秘して結婚したが,そのことを知った夫から慰安婦と疑われ「汚れた女」などと罵倒されたが,子どもらに罪はないと考え我慢して離婚まではしなかったこと,

e 控訴人a5は,17歳のころ勤労挺身隊員であったことを秘して結婚し,夫が死ぬまでこのことを知らせなかったこと,

f 控訴人a19は,1947年(昭和22年)12月,勤労挺身隊員であったことを秘して結婚したが,間もなくして夫の知るところとなり,夫から酷い暴力を受けることが続くようになり,これは夫が肝臓を悪くした1962年(昭和37年)頃まで続いたこと,

などの被害が生じていた。

そして,上記(ア)ないし(エ)の状況からも明らかなように,貞操観念が強く求められる韓国社会では性的な汚された女性であると認識されてしまうとこれを正して家庭生活や社会生活において女性として生きていくことは困難であり,そのため勤労挺身隊員控訴人らも,上記被害のみならず勤労挺身隊員であったことを知られるかも知れないという恐怖に怯えて生きることを余儀なくされるという被害を被っていた。

カ(ア) 控訴人らは,勤労挺身隊員控訴人らが,帰国後に韓国社会において慰安婦と同一視されたことによって被った損害,被控訴人らの不作為を原因として生じた解放後の被害に係る請求権は,本件協定2条1項,3項に規定する請求権に該当しない旨主張する。

まず,勤労挺身隊員控訴人らの上記損害は,性的に汚された女性であるとの誤った認識によって,家庭生活や社会生活において女性としての生きることが困難な状況に陥ったことにあるが,帰国当初と軍「慰安婦」問題が社会問題化した1990年代以降とでその被害の本質に違いがあるものとは認め難いところである。

そして,この被害は,勤労挺身隊動員に先立って,「挺身隊」の名称のもと大規模な軍「慰安婦」の連行行為を行ったことが重要な背景・原因の一つであるとしても,原因行為の中核は,第2次世界大戦の末期に勤労挺身隊員として日本に連れて行かれたこと(それは上記のとおり,強制連行にあたるものである。)にあるといわざるを得ない。

本件協定2条3項は「他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権であって同日(本件協定の署名の日)以前に生じた事由に基づくもの」と規定し,原因発生の時期により本件協定の対象となる請求権か否かを決しているところ,上記のとおり,勤労挺身隊員控訴人らの同一視被害の原因の中核は昭和19年から昭和20年にかけての同人らに対する強制連行・強制労働(主には強制連行)にあり,また,同一視被害の発生に重大な影響を与えている軍「慰安婦」の連行行為も本件協定の署名の日以前の行為である。

したがって,上記被害に関して控訴人らが被控訴人らに対して有すると主張する各請求権も本件協定2条1項,3項に規定する請求権に該当するものと解すべきである。

(イ) 控訴人らは,大規模な軍「慰安婦」連行と,これと類似した状況と態様のもと勤労挺身隊の動員を行ったことを先行行為とし,同一視被害の予見可能性と結果回避可能性がある以上,被控訴人らは,調査,公表,責任を認めたうえでの謝罪をすべき義務があり,これを怠っている以上,被控訴人らの不作為については,本件協定の対象とはならない別個独立の国家賠償法上の違法行為や民法上の不法行為を構成すると主張する。

しかし,控訴人らの主張する「勤労挺身隊」(さらには軍「慰安婦」を含めて)の実態に関する調査,調査結果の公表義務というのは,法令等によって規定されているものではない。また,先行行為に基づくものとして主張される義務内容も広範で抽象的なものであるうえ,結果回避の可能性の面においても抽象的な可能性に止まるものであること,加えて,控訴人らの主張する同一視被害についても本件協定の対象になるものと解すべきことからすれば,上記義務は政治上・道義上の義務・責任であるに止まり,強制連行・強制労働とは別個独立の違法行為や不法行為を基礎付ける作為義務を構成するものとはなお認め難いところである。控訴人らの上記主張は採用できない。

(ウ) 控訴人らは,被控訴人国は,勤労挺身隊員控訴人らの同一視被害に対しては,この抗弁を使用しないことを明確にし,抗弁権を放棄していると主張する。すなわち,第112国会衆議院決算委員会(昭和63年4月25日)で,本件工場に動員された朝鮮女子勤労挺身隊被害者らが誤解によって苦しんでいることを質されたのを受けて,a47外務大臣(当時)は,「この問題は,御家族に対しましてもそういうふうな誤解のないということを何らかの機会に速やかにやらねばならぬということを本当に私も痛感いたしました。…直ちに外務省といたしましても厚生省と御連絡を申し上げ,そして忌まわしき戦争の傷跡をふくように最大の努力をいたしたいと考えております」と回答して,誤解を解くことを約束している。この答弁は,同一視被害が解決済みの問題ではないことを率直に承認して,本件協定に基づく抗弁を行使しないことを明確にしたものであると主張する。

しかし,a47外務大臣(当時)の答弁内容が控訴人ら主張のとおりであることは認められるものの,その答弁内容に照らしても,控訴人らの主張するように,本訴において同一視被害に対して本件協定の効果を主張することを放棄したとまでは認められず,他に控訴人らの上記主張を認めるに足りる証拠はない。

キ 上記に検討したところによれば,本件訴訟において控訴人らが被控訴人らに対して有すると主張する各請求権は,同一視被害によるものも含めて,被控訴人らが,本件協定2条1項,3項によって控訴人らはこれらについていかなる主張もすることができないものとされている旨を主張する以上,控訴人らの請求を認容して被控訴人らに対し上記の各請求権についてその履行をすべき旨を命じる余地はないといわざるを得ない。」

(8) 原判決103頁18行目末尾に改行のうえ,次のとおり付加する。

「7 控訴人らは,被控訴人国のポツダム宣言の受諾により,立法機関は,控訴人らに対して,控訴人らの損害を回復し,損害の増大をもたらさない措置を執るべき義務を負うに至ったが,現在まで補償立法をしていないから,過失により憲法上の作為義務に違背した立法不作為に陥っていると主張する。

しかし,国会議員は,立法に関しては,原則として,国民全体に対する関係で政治的責任を負うにとどまり,個別の国民の権利に対応した関係での立法義務を負うものではないというべきであって,国会議員の立法行為は,立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行うというごとき,容易に想定し難いような例外的な場合でない限り,国会賠償法1条1項の規定の適用上,違法の評価を受けないものと解すべきところ(最高裁昭和60年11月21日・民集39巻7号1512頁),憲法上,控訴人らの主張するような立法義務を定めた規定は見出せず,控訴人らの上記主張は理由がない。」

(9) 原判決103頁19行目冒頭の「3」を「8」と,同104頁15行目冒頭の「4」を「9」とそれぞれ改める。

3 控訴人らの当審主張に対する判断

(1) 条約法条約

ア 控訴人らは,本件協定にも条約法条約31条,32条の適用があり,また,本件協定の文言は多義的あるいは曖昧な解釈を許すものであることを前提に,条約法条約31条,32条に基づき本件協定を解釈すれば,控訴人らの請求権は本件協定の対象ではなく,仮に,対象として効果が及ぶとしてもそれは外交保護権の放棄という限度に止まると主張する。

イ しかしながら,条約法条約は,本件協定の締結後に我が国において効力が生じた条約であるうえ,本件協定の内容は,上記(引用にかかる原判決,付加訂正後のもの)のとおり,本件協定2条2に該当するものを除き,「財産,権利又は利益」に当たらない本件協定2条の「請求権」については,本件協定2条3において,一律に「いかなる主張もすることができないものとする」とされ,同協定2条1において,「請求権に関する問題が完全かつ最終的に解決されたこと」ことにより,韓国及びその国民が,どのような根拠に基づいて日本国及びその国民に請求しようとも,日本国及びその国民はこれに応じる法的義務がなくなったという意味であることは明らかであって,控訴人らの上記主張はその前提において採用できない。

(2)ア 控訴人らは,ILO29号条約の14条,15条によれば,同条約に反する違法な強制労働に対しては,加害者に賃金の支払,その他の補償義務が課せられていると解されるところ,本件協定がこのような義務を実質的に消滅させるというのであれば,これはILO29号条約(強制労働の禁止は本件不法行為の当時すでに国際法上の強行規範として確立していた。)に違反するものとして無効ということになるが,憲法98条2項に照らし本件協定を有効なものと解釈するためには,本件協定によっても控訴人ら被害者個人の請求権は何ら影響を受けないと解すべきであると主張する。

イ しかしながら,ILO29号条約において被害者個人が加害国の国内裁判所において加害国を相手に損害賠償を求め得るとする特別な制度は規定されておらず,同条約違反を理由に被害者個人が加害国に損害賠償を求め得るとする国際慣習法の成立も認められないから,同条約の14条,15条に基づき,本件勤労挺身隊員らが被控訴人らに対して損害賠償請求権を有することを前提とする控訴人らの上記主張はその前提において採用できない。

(3)ア 控訴人らは,①本件協定に基づく資金は個人の請求権に対する補償としてなされたものではなく,当時の日本政府もその資金が個人の請求権に対する弁済に充当される可能性のないことを認識し,あるいは認識し得たこと,②本件協定締結当時,控訴人らが,旧会社において労働を強いられた事実は,被控訴人らによって意図的に隠蔽されていたことに照らせば,本件訴訟において,本件協定に基づく抗弁は権利の濫用に該当し,許されないと主張する。

イ しかし,本件協定に基づく資金をどのように使用するかは韓国政府が決めたことであって,その使途をもって被控訴人らの本件協定に基づく主張が権利の濫用にあたるものとは到底認められない。また,本件協定の締結当時,韓国から動員された勤労挺身隊が我が国の軍需工場において過酷な労働を強いられたこと自体は客観的な事実として明らかだったうえ,控訴人らの主張するような隠蔽行為等があったとしても,それによって本件協定の内容が殊更に控訴人らに不利なものになったというような関係も認められないのであるから,隠蔽行為の存在を理由に被控訴人らの本件協定に基づく主張が権利の濫用にあたるものと認めることはできない。したがって,控訴人らの上記主張はいずれも採用できない。

第4結論

よって,原判決は相当であって,控訴人らの本件控訴はいずれも理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 青山邦夫 裁判官 坪井宣幸)

裁判官田邊浩典は,転補につき,署名押印することができない。裁判長裁判官 青山邦夫

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