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名古屋高等裁判所 平成18年(う)262号 判決 2007年7月06日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役17年に処する。

原審における未決勾留日数中800日をその刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は,検察官津熊寅雄作成(検察官矢吹雄太郎提出)の控訴趣意書及び検察官矢吹雄太郎作成の控訴趣意書訂正申立書に記載のとおりであり,これに対する答弁は,主任弁護人後藤昌弘及び弁護人堀龍之連名作成の答弁書に記載のとおりであるから,これらを引用する。

控訴趣意の論旨は,要するに,①平成14年7月28日午前1時10分ころ,愛知県豊川市内の駐車場において,被告人が,駐車中の普通乗用自動車内にいたA(当時1歳10か月,以下「被害児」という。)を抱きかかえて被告人運転の普通乗用自動車に移し置いた上,同車を運転して連れ去って略取し,②同日午前1時40分ころ,殺意を持って同県宝飯郡a町内の岸壁から被害児を海中に投げ落として殺害したという本件の各公訴事実につき,原判決は,被害児がその旨の被害に遭った事実自体は明らかであるが,被告人がその犯人であることを指し示す客観的事実ないし事情はなく,被告人が各犯行を自白した捜査段階の自白調書は,信用性を認めるのに重大な疑問を抱かせる内容となっているとして,本件各公訴事実につき無罪の判断をしているが,被告人の犯人性を認めるに足る間接事実が多数存し,捜査段階における被告人の自白供述も信用性は十分であり,有罪の認定をするにつき合理的な疑いはないのに,これらの証拠の適正な評価や取捨選択を誤った結果,無罪の判断をしている点において,原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある,というのである。

そこで,原審記録を調査し,当審における事実取調べの結果をも併せて検討する。

第1原判決の判断

原判決はおおむね次のように判示して,本件各公訴事実につき無罪の判断をした。

関係証拠によれば,被害児は,平成14年7月28日午前1時5分ころから同日午前1時15分ころまで,遅くとも同日午前1時21分ころまでの間に,愛知県豊川市内のゲームセンター「bc店」駐車場(以下「本件駐車場」という。別紙図面1参照)の西側部分に駐車中の普通乗用自動車(以下,被害児が乗車していた車両を「サファリ」という。)内に一人でいたところを何者かに連れ出され,海中に投棄され,同日午前5時30分までには死亡したこと,同日午前3時ころから同日午前3時20分ころまでの間に,被告人が当時使用していた普通乗用自動車(軽四,以下「本件ワゴンR」という。)が本件駐車場の北側部分に駐車していたことが認定できる。

上記ゲームセンターのアルバイト店員であったBは,原審公判で証人として出廷し,事件前日の同月27日午後10時30分ころ,本件駐車場の西側部分のサファリの隣に自車を駐車したとき,斜め前に本件ワゴンRと同種の豊橋ナンバーの小豆色のワゴンRが駐車しているのを見掛けた,と供述しているところ,この供述には信用性を基礎づける事情があるとはいえ,BがワゴンRについて供述したのは事件から相当期間が経過した後であり,当初はワゴンRの存在を特に意識していた事情がうかがわれず,さらに同人は以前から本件駐車場で本件ワゴンRを目撃していたと考えられることに照らすと,同人がその供述するワゴンRを目撃した日は同月27日ではなかった可能性がある。加えて,当時,サファリの車内で泣くなどしていた被害児に注目していた人物が複数いるのに,これらの者の捜査段階の供述調書には本件ワゴンRの存在をうかがわせる記載はない。これによれば,被告人が各犯行を行った犯人であることを指し示す客観的事実ないし事情は存在していない。

他方,被告人が捜査段階で各犯行を自認する旨の供述調書が作成されているところ,警察官らは,逮捕状請求に先立って,当時は被疑者であった被告人を警察署に任意同行し,連続して2日間にわたって取調べを行い,この間には被告人をホテルに宿泊させて常時監視をしていたことが認められ,このような捜査手法には相当性に問題があるが,本件が重大事件で,被告人の逃走のおそれが高い一方,被告人は早い段階から略取については犯行を認めており,その時点で逮捕することも可能であったこと,任意同行や取調べの際に暴行等が行われたとは認められないこと,被告人がホテルに宿泊することに同意する旨の書面を作成していること等によれば,捜査段階の被告人の供述調書や被告人作成の書面の証拠能力を否定しなければならないほどの違法があったとはいえない。そして,取調べに際して,警察官から怒鳴られたり,机を叩かれるなどして自白を強要され,自ら作成した書面も警察官が下書きしたものを写したに過ぎないとの被告人の原審公判供述は不自然かつ不合理で,被告人の捜査段階における供述調書等の任意性に疑いを差し挟む事情があるとまではいえない。

しかしながら,被告人は捜査段階から否認と自白を繰り返すなど,基本的部分について供述が一貫していない上,犯行を認める供述については,内容が変遷していると評価せざるを得ない部分や犯行動機,行動に不自然な点があることは否定できず,客観的状況と符合している部分についても,犯人でなければ知り得ない事実は含まれておらず,本件ワゴンR内からは被害児を乗車させたことをうかがわせる証拠が全く発見されていないなど,自白を前提とすると説明し難い事情が存在する。本件においては,罪体部分について,被告人の自白を補強するに足りる十分な証拠が存在しているとはいい難い事情があることも考慮すると,直ちに被告人の捜査段階の供述の信用性を肯定することには躊躇を禁じ得ない。

なお,原判決が,被告人の捜査段階の供述につき,内容の変遷や不自然な点があるとするのは,おおむね次のような点である。

(ア)  被告人の自白では,本件ワゴンRの車内で被害児にシートベルトを掛けていたが,被害児は泣いたり,頭や手を振るなどしていた,というのであり,現に被害児の遺体の左頸部にはシートベルトが当たって生じた可能性を否定できない皮膚損傷があるが,本件ワゴンR車内の実況見分の際には,被害児の毛髪や皮膚組織,衣服の繊維,涙の成分など被害児が車内にいたことをうかがわせる痕跡が発見されていない。

(イ)  被告人の自白では,サファリに近づくと,車内にいた被害児が窓に寄ってきて身を乗り出してきたので抱き上げた,というが,泣き出すと父母があやしても泣きやまないという被害児が見も知らない被告人に身を乗り出すようにし,抱かれても泣かないというのは不自然である。また,本件ワゴンRのすぐ横には,C及びDが乗車した自動車があったはずであるのに,被告人がこれに気付かなかったのも不自然である。

(ウ)  被告人は,殺害の態様について,逮捕前であった平成15年4月14日の段階では,「岸壁の先に立たせた被害児の背中をどんと押して海に突き落とした。」等と述べており,逮捕後の同月15日の検察官による取調べ以降は「バスケットボールを投げるようにして投げた。」と述べていたのに対し,同月30日には,「被害児の頭が自分の顔の前辺りまで来る程度に持ち上げてから投げた。」などと述べており,これは供述が変遷したと評価することができる。

そして,被告人が被害児を投げ込んだと述べている岸壁は,自白による犯行時間帯である平成14年7月28日午前1時40分ころには,岸壁の直下に捨て石が露出している状況であったと考えられるから,被告人が当初に供述したように背中を押して突き落とした場合,被害児が捨て石に当たるなどして負傷する可能性があったと認められるが,被害児の遺体にはそのような損傷はない。

他方,最終段階の供述については,単に被害児の処置に困って海に投げ込もうとしただけの被告人が遠くに届くような投げ方をすること自体が不自然である上,被告人自身が岸壁の状況及び被害児の遺体の創傷の状況に合わせるように2回にわたって供述を変えているのも不自然である。

そうすると,岸壁や被害児の遺体の状況に矛盾が生じないよう,捜査官が被告人の供述を誘導した可能性を排斥できない。

(エ)  被告人の自白では,被害児を海中に投げ込んだ後,その頭部が水面に浮かび上がったのが見えたと供述しているが,原裁判所の検証結果によれば,投げ込んだとされる岸壁の海上は夜間には大変暗い状態にあることが認められ,被害児の頭部が岸壁から視認し得たというのは疑問がある。

(オ)  被告人は,平成15年4月19日に,サファリの近くに3人の女性がおり,うち1人が被害児に手を振っているのを見た状況及び本件ワゴンRの正面に女性が運転席に乗った自動車が駐車していた状況を記載した図面を作成していたが,同月28日の検察官による取調べにおいては,2人乗りの原付車3台を見て以降ワゴンRを降りる直前までは車の外を見ていない記憶があるから,3人の女性や女性が乗った自動車のことは別の日のことかもしれないと供述している。

被害児が連れ去られる直前,被害児に手を振るなどしていた女性3人がサファリの近くにいたことは事実であるところ,2人乗りの原付車3台を見て以降ワゴンRを降りる直前までは車の外を見ていないとの被告人の自白内容を前提とすると,被告人には上記女性3人を目撃する機会はなかったと考えるのが合理的であるのに,被告人は女性3人を見た旨の図面を作成しており,これは,本件駐車場の状況を把握していた取調捜査官において,被告人の供述を当日の客観的状況に一致させようとして誘導した可能性が否定できない。

同様に,本件ワゴンRを駐車していたという位置の正面に女性(E)が運転していた自動車が駐車してあったことも事実であるが,被告人の自白やEの供述を前提とすれば,Eが本件駐車場に来たのは本件ワゴンRが被害児を連れ去った後のことと考えるのが合理的で,被告人がE車を目撃した可能性はなかったと思われるのに,そのような図面が作成されていることは,取調捜査官による誘導が否定できない。

さらに,被告人の捜査段階の供述調書や作成図面には,本件駐車場にいた人物や車両等について記載がされており,その内容は客観証拠と一致する部分が多いが,夜間,特に被告人がこれら車両等について注視していた事情がうかがわれず,事件から約8か月余りが経過した後に供述・作成されたことを考えると,不自然であるし,被告人が目撃できたと合理的に説明することが困難な人物(Fら)を目撃した旨の供述部分もある。

(カ)  被告人は,捜査段階の当初は,被害児の泣き声で目を覚ましたと供述していたが,その後に原付車のエンジン音で目を覚ましたと供述を変更しており,被害児をワゴンRから出す際の態様についても供述を変えているが,その変更理由は明らかにされていない。

(キ)  被告人は,犯行の動機について,被害児の泣き声で睡眠を邪魔されたことに立腹したと供述するが,ある程度離れた位置に駐車した車内にいる幼児の泣き声が睡眠を妨げるほどの騒音の音源になることについては疑問の余地が残る上,窓を閉めたり,駐車位置を変えることで泣き声を聞かずに済む環境を整えることは容易であったことに照らすと,このような動機で略取や殺人のような重大犯罪を行うことは余りに短絡的で納得し難い。

また,被告人は,被害児を当初は公園に置き去りにしようと考えていたが,予定していた公園に駐車車両があったので海中に投棄することにしたと供述するが,他の置き去り場所を探すことなく,直ちに殺害を決意した点も不自然である。

(ク)  被告人の自白では,被害児を海中に投棄した後,警察に犯行が発覚しているかを確認するために本件駐車場に戻り,パトカーを認めてからも30分から1時間にわたって車内で横になっていたとされるが,重大な犯行を行った後の犯人の行動としてはやや合理性を欠くといえなくもない。また,被告人は,当初の検察官調書では,自首するつもりで戻ったと述べていたのに,後の警察官調書ではこの説明が嘘であったと述べる形で変更されているが,この変更は,被告人の行動の不自然さを意識した取調警察官が被告人に働きかけた結果とみるのが自然である。

(ケ)  被告人は,犯行の当日,再び本件駐車場に車を停めて寝泊まりしたと供述しているが,このような行動は犯人のものとしては不自然である。

(コ)  被告人は,原審公判では右利きであると述べ,原審証人の被告人の実父もそのように供述しているにもかかわらず,警察官調書では左利きであるとの記載がある。また,甚平や半纏のことを,福井県の方言では「はんぺん」と言うなどという説明が警察官調書に記載されているが,原審公判で被告人はそのような方言は知らないと述べている。

第2当裁判所の判断

そこで,当審における事実取調べの結果をも参酌しつつ,原審記録を精査して検討するに,被告人が各犯行の犯人であることを指し示す客観的事実を否定し,被告人の捜査段階の自白には十分な信用性がないとする原判決の説示には賛同し難く,原判決には所論指摘の事実誤認があり,破棄を免れない。

以下においては,本件各公訴事実についての当審の判断を詳述するが,原判決の判断枠組に則り,まず,被告人が犯人であることを示す客観的事情(具体的には本件ワゴンRの本件駐車場での駐車状況)の有無について検討し,さらに被告人の自白調書の任意性や信用性について検討を加え,その余の諸事情についての判断も併せた上で,これらを総合してみることとした。

1  被害児連れ去りの前にサファリの近くに本件ワゴンRが駐車していた事実の存否について

(1)  原審証人Bの供述の信用性

原審証人Bは,要旨,次のような供述をしている。「本件当時,bc店でアルバイトをしており,平成14年7月27日は,出勤時間より早めの午後10時30分ころ,自動車で同店に到着し,本件駐車場の西側部分に駐車した。左隣には以前から知っていた客の車両(サファリを指す。)があり,斜め前に小豆色のワゴンRが駐車していた。車にエンジンがかかっていたので,中に人がいたと思う。豊橋ナンバーの小豆色のワゴンRは,本件の1,2か月くらい前から見たことがあり,本件の後は見掛けていないと思う。」

原判決は,上記供述につき,Bの車両は実際にサファリの隣に駐車していたことなどが客観証拠と一致しており,内容にも具体性があるなど信用性を基礎づける事情があるとしながら,Bは,事件の直後には不審な車はなかったと供述しながら,相当時間が経過した後にワゴンRについて供述し始めたことがうかがわれ,Bが以前から豊橋ナンバーの小豆色のワゴンRを何度か見掛けていると述べていたことに照らすと,同人がワゴンRを目撃したのは,平成14年7月27日ではない別の日であった可能性を否定することができない,という。

確かに,Bは,ゲームセンターのアルバイト店員として毎日のように本件駐車場を利用し,そのたびに多数の車両を目にしていた者であるから,ワゴンRのように珍奇性の乏しい車両の駐車事実は記憶に残りにくいと考えられ,初期供述が得られた時期や経過がはっきりしないことも相まって,原裁判所としては,Bの原審供述に高い信用性を認めるには躊躇を感じたものと思われる。

しかしながら,当審における事実取調べの結果によれば,Bが小豆色のワゴンRに関して供述をし始めた経過は,原判決が指摘するようなものではなく,初期供述はもっと早い段階に得られたもので,かつ,捜査機関からの誘導によらず,自発的なものであったことがうかがわれる。すなわち,当審証人G1の供述等によれば,次の各事情が認められる。

(a) d県警察本部刑事部所属(当時)のG1警察官は,本件の発生直後から主として地取り捜査を命ぜられ,平成14年7月30日には,f警察署において,Bから事情を聴いた。G1警察官が,Bから,自宅を出た時間や本件駐車場に着いた時間,その間やその後にあった出来事などを質問し,Bはこれに応じて説明をした。その際,G1警察官は,サファリを見掛けたかどうかについては意識して説明を求め,Bに自車やサファリの駐車位置については説明を求めたものの,その余の車両については説明を求めなかったため,ワゴンRの話題は出なかった。

(b) 翌31日にd県警察本部所属のG2警察官において,再びBに事情を聴き,ほかの駐車車両について質問したところ,「自車のはす向かいに小豆色あるいは暗い赤のワゴンRが停まっていた。」との供述が得られた。その後,本件駐車場に車を停めていた客のHからも同様のワゴンRを見掛けたとの情報が得られたため,G1警察官は,上司の指示を受けて,同年8月21日,Bから改めてワゴンRについて事情を聴いた。

(c) Bは,G1警察官からの事情聴取に対して,「午後10時30分ころに本件駐車場に着いたときにワゴンRを見た。ワゴンRはbc店の建物沿いに後部を建物壁面に向けて駐車しており,色は小豆色または暗い赤で,ナンバーは黄色の豊橋であった。エンジンがかかっていて,中で人が寝ていたと思う。」,「人は運転席で寝ていたと思う。助手席には洗面道具が置いてあり,車内にシャツが干してあった。」等と明瞭に説明した。また,当該ワゴンRについては,「2か月前くらいから夜や早朝にちょくちょく見掛けていた車であるが,どんな人が乗っていたかは憶えていない。」などと説明した。

(d) 同年9月初旬,捜査機関は本件ワゴンRと同じタイプの車両の写真やパンフレットを入手し,G1警察官が同月10日ころにこれをBに示したところ,当日に目撃した車両と同じ車種,色であるとの供述が得られた。この時点までBは目撃したワゴンRが4ドアタイプであると述べていたものの,写真を見てからは3ドアであったと供述を変更したが,その余の点について特に供述に変更はなかった。

これと相前後して,被告人が先に捜査機関からの事情聴取に対して,本件駐車場に平成14年7月28日午前3時ころ本件ワゴンRを駐車させていた事情に関し,虚偽の説明をしていたことが判明しており,これと相まって被告人が本件各犯行の犯人である嫌疑が浮上することになった。

(e) 同年11月1日,BはG3警察官からの事情聴取を受け,当日にワゴンRを目撃した状況についての警察官調書が作成された。同供述調書では,車内の人物が助手席を倒して寝ていたとされている以外は,それまでの供述内容との変更はなかった。

被告人が逮捕された後である平成15年5月2日,Bは検察官からの事情聴取を受け,今度は検察官調書が作成された。

これらによれば,Bは,事件発覚の2日後である平成14年7月30日にG1警察官から事情聴取を受けた際には,ワゴンRの目撃に関して供述はしていないものの,それは,G1警察官がBに対してサファリ以外の車両の駐車状況について質問をしそびれたことに起因すると考えられ,その翌日の段階では,同月27日にワゴンRが駐車していた旨の供述が得られていたことが認められるから,かなり早い段階においてBは原審供述と同様の目撃供述をしていたと認められる。ワゴンR自体は珍しくもない車種で,しかも,Bとしては度々小豆色のワゴンR(本件ワゴンRのことと思われる。)を本件駐車場で見掛けていたというのであるから,「小豆色のワゴンRの目撃」は,Bにとって不審感を呼び覚ますような体験ではなく,それゆえに当初にG1警察官からサファリの目撃や当日の行動について聴かれたときはそのことを供述せず,G2警察官がほかの駐車車両の説明を求めたことで初めて供述が出てきたと思われるのであるが,このような供述の経過をたどったことはごく合理的と思われる。この段階では,まだ,被告人に対する嫌疑は浮上しておらず,当然ながら,捜査機関から本件ワゴンRの存在を示唆するような誘導がなされたはずはなく,それなのに,「小豆色のワゴンR」の駐車事実をBが供述したことは,それが自発的なものであったことを示す。

なお,原審証人B自身は,供述調書を作成したのは被告人の逮捕後であり,事件発生直後の聞き込みに対しては不審車両については説明していなかった,かなり時間が経過してからワゴンRの目撃を供述した,等と述べているが,これは,原審証言が平成16年2月12日になされたもので,時間の経過に従って,印象が強かったこと以外は記憶が断片的になっており,特に警察官からの事情聴取のような中間経過に関する記憶が不正確になってきたためにこのような説明をしてしまったものと考えられる。しかし,Bの原審供述のうちのワゴンRの目撃に関する部分をみると,その内容は,初期の段階の供述とほとんど一致しており,しかも,捜査段階中にも,4ドアか3ドアか,あるいは,車内の人が寝ていたのが運転席か助手席か,等の微細な点で若干の変動がみられただけで,おおよそは一貫していたと認められ,これらからすれば,BのワゴンRの目撃に関する記憶は,その目撃日時の点も含めて確固たるものと考えられる。同人がワゴンRに関する記憶を堅持できたのは,自動車のディーラーをしている友人から車種等に関する話を聞く機会が多く,B自身も自動車に関心があるという特殊事情や,事件発生から日が浅く,記憶が鮮明なうちに記憶喚起がなされ,その後,繰り返しワゴンRに関して事情聴取が行われたせいもあって,印象が深く刻まれたためであると考えるのが合理的である。

Bは,被害児やその家族とも被告人とも利害関係のない第三者であって,原判決も述べるとおり,その原審供述は具体性がある上,客観的証拠との一致も認められるところ,以上のとおり,その供述が引き出された経過は合理的なもので,その後の記憶の保持状況も良好だったのであるから,別の日の記憶と混同が生じたことは考え難い。

これに対して,弁護人らは,当審の弁論において,被告人の捜査段階の自白では,エンジンを切って運転席上で寝ていたとされているのに,Bの原審供述の小豆色のワゴンRにはエンジンがかかっていた点が異なると指摘するが,その点は,車種,色,ナンバープレートの特徴などに比べて微細な相違点に過ぎない。また,後述するとおり,被告人の捜査段階の自白は,根幹部分は別として,その細部の信用性は比較的に乏しく,この相違が被告人の自白の当該部分の信用性を揺るがすことはあっても,Bの供述の信用性を左右するものではないと考えるべきである。

(2)  当審証人H,Iの各供述について

さて,原判決は,Bの原審供述の信用性に疑問を投げかける一つの根拠として,当日,本件駐車場の西側部分において被害児を見掛けた者が複数いるにもかかわらず,B以外の者からは本件ワゴンRと思われる車両の目撃供述が得られなかったことを挙げる。

しかしながら,当審における事実取調べの結果によれば,B以外にもワゴンRの駐車を目撃した者がおり,その者らの供述にも相応の信用性が認められ,Bの供述と相互に信用性を補完し合っていることが認められる。

まず,当審証人Hは,要旨,次のとおり供述する。

「平成14年7月27日は,午後10時50分ころに本件駐車場に着き,西側部分の奥に自車を停めて翌日午前零時ころまでゲームセンターで遊興をした。本件駐車場に着いたとき,見慣れない白い外車が目に留まったほか,建物沿いに小豆色または赤茶色のワゴンRが停まっているのを見た。ワゴンRは,本件駐車場に行くとき,いつも見る車であった。中に人がいたかどうかはわからない。午前零時ころにゲームを終えて出たときにワゴンRがまだ駐車していたかは憶えていない。その後,自動車で風俗店に遊びに行き,午前3時ころにまた本件駐車場の同じところに帰ってきて,しばらく車内で仮眠したが,そのときには白い外車もワゴンRもなかったと思う。当日は,本件駐車場にやってきたパトカーの警察官に声を掛けられることはなかったが,その2日後くらいに事情聴取に来た警察官に自分の行動についてとともにワゴンRを見たことなどを話した。」

また,当審証人Iは次のとおり供述する。

「事件の当日,友人のJらと一緒に3台の原付車に3人ずつ分乗してbc店に行き,本件駐車場で白いサファリの中で泣いている被害児を目撃した。友人とともに窓ガラスを叩いて被害児に話しかけたが,泣きやまなかった。サファリ以外に赤のワゴンRが駐車しているのも目についた。そのころ,自動車学校に行っていて自動車に関心があったことや,姉が黒のワゴンRを使用していたことから,同所にワゴンRが停まっていたことが印象に残った。平成15年4月になって,警察官から事情聴取を受けた際,自分からワゴンRの目撃について説明した。」

これらのうち,Hの当審供述は,当日の自らの行動について,本来はあまり供述したくないと思われるような事情(風俗店での遊興,当時の妻との不仲等)についても率直に述べるもので,警察官から事情聴取を受けてワゴンRの目撃を供述するに至った経過についての説明もごく自然な内容で,供述態度に照らしてみても,真摯な姿勢で証言に応じたことがうかがえる。そして,同人が,本件駐車場にパトカーが蝟集しているのを認めながら,かかわり合いを嫌って本件駐車場を後にし,その直後に本件の発生を報道で知ったというような事情も述べていることからすると,当日の出来事が記銘に残りやすい素地があったと考えられる上,別の日の記憶と混同したことも考え難い。何より,同人は,事件の2日後という早い段階で,しかも被告人が捜査線上に浮上する以前に事情聴取を受け,その段階でワゴンRの目撃について自ら説明しているというのであるから,この点の供述が自発的なものであることは自明で,その信用性は高い。

なお,弁護人は,弁論で,Hは,自分が警察から嫌疑を掛けられていると感じていたため,殊更に他の車両の存在を言い立てた可能性があるというが,それはうがち過ぎた見方である。Hが警察の嫌疑を感じていたことは同人も述べるところであるが,被告人とも被害児とも無関係のHが架空の車両の駐車事実を申し立てるとは考えられないし,仮にそうとすれば,Hの申立てが偶然にもBの供述と一致したことになるが,それはあり得ない推論である。

次に,Iの当審供述は,初めてワゴンRの存在に言及したのが本件の発生から相当日数が経過してからで,既に被告人が検挙され,それが報道された後である点が信用性の度合いをやや引き下げる要因にはなるが,供述内容自体は具体的で,同人が被害児に話しかけるなどしていたことはCの警察官調書(原審甲52)の内容とも合致していて,一応の裏付けがある。また,Iが赤のワゴンRに目を留めた主たる理由は,姉がワゴンRに乗っていたからというのであるが,姉がワゴンRを保有していた事実自体は後に提出された書証(当審検45ないし51)によって裏付けられており,Iの供述の誠実性には一定の担保があるといってよい。なお,Iが本件駐車場に着いた時間帯は,同人と行動をともにしていたJ,Kらの警察官調書(原審甲42,43)等によれば,平成14年7月28日午前零時ころと認めることができる。

これらの各事情に加え,IがH同様,被告人や被害児はもとより,Bとも一面識もない無関係の第三者で,虚偽供述をするような事情がないことによれば,その当審供述は相応の信用性を備えていると解される。そうすると,Iは,BやHが「小豆色」,「赤茶色」のワゴンRを目撃したのと近接した時間帯に,ほぼ同じ場所において,同じような色彩のワゴンRが駐車しているのを目撃したことになるから,これらの各供述は相互に補完し合って信用性を高め合う関係にあると認めることができる。

(3)  ワゴンRの存在に言及していない者について

以上のとおり,B以外にもワゴンRを目撃したと供述する者がいることが認められるが,他方では,サファリ内の被害児に関心を持って見ていた者の多くがワゴンRについて何も供述しておらず,特に被告人が本件ワゴンRを駐車したとされる場所のすぐそばに駐車した自動車内にいたC及びDの両名ともがワゴンRに言及していないことは事実であるため,これらがBの原審供述の信用性を阻害するか否かについて検討する。

当審証人Cの供述等によれば,同人及びD(現姓L)の両名が被害児を目撃した前後の状況は次のとおりであったと認められる。

(a) CとDは,平成14年7月27日は交際を始めて2度目のデートであり,本件駐車場の西側部分の別紙図面2の「C車」と記載の位置付近にCが乗車してきた車両を停め,Dの車両で遊びに出掛け,午後11時ころに再び本件駐車場に戻ってきて,「C車」の南隣に停めた「D車」の車内で音楽を聴きながらおしゃべりを始めた。このころ,C車,D車の周辺には他の駐車車両があったはずだが,車種等は全く憶えておらず,警察に赤のワゴンRの写真を見せられたが,これを目撃したかどうか記憶がない。

(b) 同月28日午前零時ころ,運転席に座っていたDが斜め前方のサファリの助手席側窓ガラスが全開になり,被害児が身を乗り出しているのに気付き,「落ちそうだ。」等と言い出したので,Cもそちらを見て,初めてサファリや被害児の存在に気付いた。しかし,Cは,車内には被害児の親もいるであろうし,仮に親が車を離れているとしても一時的なことであろうと楽観していた。Cは,目の前を高校生風の複数の男女が乗った原付が通りかかったため,再び前方を見たとき,サファリや被害児を見掛けたが,特に危険を感じなかった。

(c) その後,Cは,眠気を感じたため,助手席の背もたれをやや倒してぼんやりしていたところ,午前1時30分ころになって,被害児の父から窓ガラスを叩かれて気付き,「赤ちゃんを捜している。」との話から,被害児がいなくなったことを初めて知った。

(d) 後日,事情聴取を受けることになったCらは,警察官に怪しい人物や車を見なかったかと聞かれたが,心当たりはなかった。被害児の父に声を掛けられるまでの間に,何台かの車の出入りがあったと思われ,そのうちの3台は記憶にあるが,全部は分からないし,人の動きもあったと思うが注意はしていなかった。

これらによれば,CやDは,一応,被害児やサファリの存在に気付いたとはいえ,被害児が危険な状況にあるとの認識は薄く,関心をもって注視していたとは到底いえない状況であり,それゆえに被害児が連れ去られたと考えられる時間帯に比較的近い位置にいたにもかかわらず,そのことに気付かず,犯行を認識しなかったと考えられる。しかも,Cらは,自車と同じ並びにいた駐車車両の車種等を憶えていないというのであるが,そもそも周辺の駐車車両というような情報は,あまりに日常的な事柄であるために記銘に残りにくい上,C自身はそれほど自動車に対する関心が高くないことを自認しており(Dも同様であったという。),駐車車両の記憶がないことはごく自然の事象である。仮に赤のワゴンRがその場に駐車していたとしても,その車種も色も周囲の目を惹くようなものとは到底いえず,Cらは2度目のデートで自分達の世界に没頭していたとみられ,周囲の状況を細かく気にしていなかったとみられることにも照らすと,同人らがこれに注目せず,記憶していなかったとしても何の不思議もない。そうすると,CやDにワゴンRを見掛けたとの記憶がないことは,その場にワゴンRが存在した可能性を排除する事情とはいえない。

同様に,その場を通りかかった者の多くは,大型の外国車であるサファリや泣いている被害児には気付いたとしても,その周辺に駐車していたありふれた車両に対しては関心を払わない方が自然であり,その場に赤のワゴンRがあったとしても,それは多くの者の記憶には残らないはずである。そうすると,多くの者がワゴンRの駐車事実を供述していないとしても,それはその場にワゴンRがなかった事実を示唆すると解すべきではない。

なお,Mの警察官調書(原審甲36)中には,平成14年7月28日午前1時前後ころ,サファリ内で被害児が泣いているのを目撃した時点において,本件駐車場のbc店の建物沿いの南端から3ないし4台目の駐車枠に小豆色のセダンタイプの乗用車が駐車しており,男女のアベックが乗車していたとの供述部分があるが,述べられている駐車位置,車種,乗車人員に照らすと,D車を一瞥し,その色や駐車位置について間違った記憶を作り上げ,それを供述したか,あるいは,本件ワゴンRやD車とは全く無関係の別の車両について供述したかと考えるのが相当で,その信用性の有無にかかわらず,ワゴンRに関するBらの供述の信用性を左右するものではないというべきである。

この点につき,原判決は,平成14年7月28日午前1時5分ころから午前1時21分ころまでの間,被害児を見掛けて関心を持った者のうち,C,Dら複数の者の供述調書に本件ワゴンRを見掛けた旨の記載がないことをもってBの原審供述の信用性を減殺する事情に当たると判示しているが,この点の原判決の判断に与することはできない。

(4)  ワゴンRの目撃の意味合い

以上を総合すると,平成14年7月27日午後10時30分ころ,本件駐車場の西側部分に「小豆色のワゴンR」が駐車しているのを目撃した旨のBの原審供述は,その供述内容が客観的事情に符合しており,信用性を基礎づける事情があるというに留まらず,供述経過からしても事件発生の3日後という記憶が新鮮なうちに初期供述が得られ,そこから原審証言時までほぼ一貫した内容の供述がなされている上,同日午後10時50分ころ及び翌日午前零時ころという近接した時間帯に同様のワゴンRを目撃したというH及びIの各当審供述によって強力に裏付けられており,信用性を認めることができる。さて,Bは,目撃したワゴンRについて,1998年より以前の年式であること,豊橋ナンバーであること,中で人が寝ていたこと,事件の1ないし2か月前くらいから同じような駐車位置において何度か見掛けたことがあったことなどを説明しており,色のみならず年式やナンバープレートまで本件ワゴンRと一致することや,この当時,被告人が毎夜のように本件駐車場の西側部分に本件ワゴンRを停めて車中泊していたことを自認していることに照らすと,Bが目撃したワゴンRは本件ワゴンRにほかならないと認めるべきである。原判決は,BがワゴンRを目撃したのは別の日であるのに,平成14年7月27日のことであるとの記憶の混同が生じている可能性を否定することはできない,と判示するが,上記認定のとおりのBの供述経過や他にも信用性の高い同様の目撃供述があることに照らせば,原判決の指摘するような可能性を考慮に入れる必要はない。また,原判決は,Bが,ワゴンRにエンジンがかかっていたと供述している点を挙げ,被告人の捜査段階の自白と相違するとも指摘するが,それほど大きな相違点ではない上,後記のとおり,被告人の捜査段階の自白は,その根幹部分は別として,供述細部の信用性は高くないと考えられるのであり,被告人の自白との相違を根拠にBの原審供述の信用性を否定するのは間違った思考である。

さらに,H及びIの各当審供述は,それぞれ信用性を担保する事情を有している上,相互に補強し,かつ,信用性のあるBの原審供述によって裏付けられることにより,一層,信用性を高められてもいるのであって,そうすると,H及びIの各目撃供述も信用性を認めることができるといってよい。してみると,平成14年7月27日午後10時50分ころ及び翌日午前零時ころにもBが目撃したのとほぼ同じような場所に,同じような色合いのワゴンRが駐車していた事実を認めることができるから,これらは同一のワゴンR,すなわち本件ワゴンRであり,本件ワゴンRはBが目撃した時間以降,翌日午前零時ころまで同じ場所に駐車し続けていたことを示すと考えてよい。

この点につき,弁護人は,当審の弁論において,Hの供述するワゴンRの特徴(運転手は助手席で寝ていた)が被告人の自白内容(運転席で寝ていた)と合致しないことなどからすると,HやIは別のワゴンRを目撃したと考えるべきである,という。しかし,弁護人の述べる前提に立つならば,Bが目撃したのが本件ワゴンRであると考えられる以上,同じような色合いのワゴンRが2台存在し,それらが平成14年7月27日午後10時30分ころと午後10時50分ころの間に入れ替わって同じような場所に駐車していたことになり,それは偶然の一致というには余りに不自然である。また,B,H,Iの3名が目撃したワゴンRが同一のものであることを肯定するならば,本件ワゴンRと色のみならず,豊橋ナンバーである点や年式まで同じワゴンRがもう1台あって,それが本件の犯行の直前に被告人がいつも寝泊まりしている場所付近に駐車してあったことになり,これまた偶然が重なり過ぎる。結局,弁護人の推論には無理があり,採用できない。

なお,弁護人は,同月28日午前3時ころ以降の本件駐車場におけるナンバーチェックの結果によれば,当時,本件駐車場には複数台のワゴンRが駐車していた事実をも指摘するが,同年9月24日付捜査報告書(原審甲77)によれば,その中で赤色のものは本件ワゴンRのみであることに照らすと,Bらがこれらの他のワゴンRと本件ワゴンRを誤認したことはあり得ない。

次に,平成15年4月27日付捜査報告書(原審甲64),平成14年9月24日付捜査報告書(原審甲77)によれば,被害児の行方不明を受けて本件駐車場において行われた車両のナンバーチェックの結果によれば,平成14年7月28日午前3時10分ころ,本件駐車場の北側部分(e前)辺りに本件ワゴンRが駐車していたこと,同日,午前5時30分ころから午前5時40分ころに掛けてナンバーチェックを実施した際には既に本件ワゴンRは本件駐車場には駐車していなかったことが認められ,これらは動かし難い事実というべきである。

この事実を上記認定事実に加味してみると,本件ワゴンRは,遅くとも平成14年7月27日午後10時30分ころには本件駐車場の西側部分に駐車しており,翌日午前零時ころまではその場に停められていたにもかかわらず,午前3時10分ころには同じ駐車場の北側部分に駐車位置が変わっていたと認めるべきであり,そうすると,被告人がこの間に本件ワゴンRを運転して移動させたと認めるのが相当である。

この事実は,被告人に被害児との接点があって,略取や殺人の犯行が可能であったことを示すと同時に,被告人が,犯行を否認する弁解の中で殊更に本件駐車場の西側部分にいた事実を否定する場合,その弁解は虚偽と認められ,そのことが被告人の犯人性を指向する重要な情況事実になると考えられる。

この点につき,本件ワゴンRが平成14年7月27日午後10時30分ころから翌日午前零時ころまで本件駐車場の西側部分に駐車していた事実を認めるとしても,その事実と被告人の犯人性との間には直接の関連性はなく,単なる情況事実の一つに過ぎないから,これをそれほどに重視すべきではないとの見解もあり得よう。確かに,これが情況事実であることはそのとおりであるが,その証明力の評価は正しいものとは思えない。けだし,情況事実は,ただ平面的にこれを並列し,その数量のみをもって評価されるべきではなく,その確実さや明白さとともに,他の情況事実や自白などの直接証拠と有機的に連関させて考察し,その意味合いについて判断すべきものだからである。仮に,被告人が本件ワゴンRを犯行があったと考えられる時間の前に本件駐車場の西側部分に駐車していた事実を肯定した上で,その後の行動を説明して各犯行の実行を否定しているのであれば,本件ワゴンRの駐車事実は,被告人に周辺の駐車車両の運転者と同程度の犯行可能性があったことを示唆する間接事実に留まるというべきである。しかし,被告人は,西側部分への駐車事実そのものを否認して,不合理な弁解を弄しているのであり,そのことは,被告人が,真実を明かすことと犯行を否認することは両立し得ないと考えていることを推認させる。そして,後述するように本件発生以降現在までの被告人は当夜の行動について数種類の説明をしているのであるが,それらの言動の中で,捜査段階の自白のみが本件駐車場の西側部分への駐車とその後の北側部分への移動という客観的情況に合致しているのであって,その余の弁解は,いずれも客観的事実と矛盾する虚偽のものである。このことが被告人の犯人性を強く指し示すことは,後に被告人の弁解について検討する際に再び述べることとする。

2  被告人の捜査段階の自白について

ここで,本件各犯行を自認する被告人の捜査段階の供述について吟味を加える。原判決は,被告人の捜査段階の自白には任意性,証拠能力があるとした上,信用性を基礎づける事情もあるとしながら,信用性を認めるのに重大な疑問を抱かせる内容になっている,という。

しかしながら,その任意性や証拠能力に対する判断はさておき,被告人の捜査段階の自白の信用性についての原判決の判断は,表現上の若干の変動を理由のない変遷ととらえた上,本件ワゴンR内から有意な資料が検出されなかったことと自白が矛盾するとは考えられないのに,これを矛盾であると誤認するなどした結果,その信用性を過小に評価したものと考えられる。以下,当審の考え方を説明する。

(1)  取調べの経緯と自白の経過

原審記録に表れた関係証拠に当審における事実取調べの結果を併せると,被告人の捜査段階の自白を検討するに当たって前提事実となる本件の捜査の経緯及び被告人の捜査段階の供述経過はおおむね次のとおりと認めることができる。

(a) 平成14年7月28日午前1時21分ころ,N(被害児の実父)は,本件駐車場西側部分に停めていたサファリに戻った際,同車の助手席窓が開いていて,車内にいるはずの被害児の姿が見当たらないことに気付き,慌てて周辺を探し回ったものの手がかりはなく,同日午前2時5分ころには,f警察署に迷子の届出をした。同署の指示で,付近の交番勤務員がパトカーで出動し,本件駐車場付近で被害児を捜索したり,bc店の店員らから事情聴取するとともに,同日午前3時ころから午前3時20分ころまでの間,本件駐車場内に駐車中の車両のナンバーチェックを行うなどした。

(b) 同日午前5時30分ころ,本件駐車場から約4.5キロメートル離れた愛知県宝飯郡a町大字g字h号地ah区北側岸壁(以下「北側岸壁」という。)付近において,釣り人が岸壁から7ないし8メートルほど離れた海面に幼児の遺体が漂っているのを発見し,その後,遺体が引き揚げられて間もなく,被害児であることが判明した。死因は溺水吸引による溺死であり,遺体には小さな外傷しかなく,着衣にも格別の乱れはなかったため,被害児は,略取されたときの服装のまま生きた状態で海中に投棄されて殺害されたものと考えられた。

後日,警察は,被害児の投棄場所を特定するため,海上保安庁の協力を得て漂流シミュレーションを作成したり,被害児の肺中のプランクトンを観察するなどの捜査を行った。これらの捜査結果からは,被害児の遺体は,同日午前3時ころから,北側岸壁の西側部分を起点として漂流し始めた可能性が高いとされていた。

(c) 警察官らは,事件発生の当日,bc店内の防犯カメラの映像の点検結果から,被害児の実父や同人と行動をともにしていた者らには被害児を殺害する機会がないことを把握した。そこで,何者かが同年7月28日午前1時21分ころまでの間にサファリから被害児を連れ出し,自動車で海辺に移動して被害児を海中に投棄したとの予測を立て,被害児の実父らやbc店の店員等の関係者に事情聴取を行い,関連しそうな情報の入手に努めるとともに,本件駐車場に立て看板を設置するなどして被害児の連れ出し等に関する目撃情報を募った。また,事件当日のナンバーチェックによって判明している駐車車両の持ち主に対して順次事情聴取を行い,当日の行動等についての情報を収集していった。

(d) 警察官は,同年8月3日に初めて被告人と連絡をとり,要請に応じてi交番に出向いてきた被告人から当日の行動などを聴取した。被告人は,「当日は,j運輸の同僚であるO,P,Qと豊田の終夜ライブ(コンサート)に行く約束をしていて,待ち合わせのために午前2時50分ころ本件駐車場に到着し,午前3時30分ころには自車を同所に置いたまま,Oの車(キャラバン)でライブに行った。」などと説明をした。

(e) このころ,警察官らは,BやHからサファリの斜め前に本件ワゴンRと一致した特徴を持つワゴンRが駐車していた旨の聞き込みを得ており,しかるに被害児の実父らが被害児の所在不明を知った時点では,そのようなワゴンRがなかったと述べていたこと,また,ナンバーチェックの結果によれば午前3時10分ころの時点では本件ワゴンRが本件駐車場の北側部分に駐車していたことなどを併せ,被告人が本件の犯人であるとの嫌疑を抱くようになり,同年9月ころから被告人の行動を確認する捜査を始めた。

同年9月14日午後11時過ぎ,警察官らがaのゲームセンター「k」の駐車場において車中で寝ていた被告人に声を掛け,質問をしようとしたところ,被告人は,免許証を提示して氏名や生年月日などを名乗ったが,職業についてはl運送の運転手であると称し,さらに事件については,既に警察官に説明しているところであるし,夜遅いので寝かせて欲しい,等と申し立てて,事情聴取を断った。

そこで,同月18日,G4警察官において被告人に電話をかけ,事件があった日の行動について改めて聞き直したところ,「以前の勤務先のm物流の同僚であったO,Q,Rと本件駐車場で待ち合わせをして,ライブに出掛けた。乗り合わせていった車はQのエルグランドである。Oはダイハツムーブ,Rはレガシーに乗っていた。」と前記(d)と一部異なる説明をした。G4警察官が,さらに事情を聴くために被告人に会う日を設定してくれるよう頼んだところ,被告人は,「来週に仕事の都合をつけて出向く。」と答えたが,結局,その後に被告人からの連絡はなかった。

警察官らが,j運輸やm物流に出向いて被告人とライブに出掛けた人物を調査したところ,該当するような人物はおらず,さらに事件当日のナンバーチェックの結果と照合しても,被告人が説明するような自動車の駐車事実がなかったことが判明した。また,被告人が説明するようなライブコンサートが実施された形跡もなかった。

警察官らが被告人に対する嫌疑を強める中で,被告人は,同月24日ころ,当時の勤務先のj運輸を退職してしまい,同月28日には本件ワゴンRを中古車業者に売却した。

(f) 警察官らは中古車業者から本件ワゴンRの任意提出を受け,同年10月1日,同車に対する実況見分及び鑑識活動を行った。

鑑識活動の目的は,本件ワゴンRと被害児を結びつける痕跡を探し出すことにあり,指紋検出や車内の微物採取のほか,尿や血液反応の有無が調べられ,車内から採取された毛髪については被害児の毛髪との異同が鑑定された。これらの鑑識活動の結果,4個の指紋が検出されたが,いずれも被害児のそれと一致しなかった。毛髪は100本以上が採取され,このうち形態が被害児の毛髪と類似するものについてDNA鑑定が実施されたが,一致するものはなかった。また,車内から尿の反応は検出されず,血液に関しては,助手席下にわずかな血液反応が見られたものの,ごく微量であったため,人血か否かさえ判らず,被害児との関係は全く判明しなかった。

(g) 警察官らは,その後も関係者に聞き込みをしたり,その供述を調書化するなどして捜査を進めていたが,同年12月に至り,愛知県下で他の重大事件が発生したため,捜査員の多くがその捜査に振り向けられ,実質的に本件の捜査は一時中断した。平成15年2月になって,ようやく捜査員を本件に振り向けられる状況になったため,警察官らは,被告人に対する本格的な事情聴取を行おうと考えたが,o地方検察庁に内々にその旨を相談したところ,主任検察官となる予定の検察官が異動予定であるため,同年4月まで事情聴取を待つよう求められた。

同年4月初旬,後に本件の主任検察官となるo地方検察庁所属のS検事は,d県警察本部捜査1課所属のG5警部から,本件の略取及び殺人の被疑者として任意で被告人を取り調べたい,との相談を受けた。

S検事は,G5警部から警察官らが収集した証拠についての説明を受け,被告人の任意同行及び任意の取調べを警察官らが行うことについては了解したが,被告人の逮捕状を請求するのは,心証のとれる自白を得て,裏付けを取ってからの方がよいと助言し,G5警部もこれを了承した。

(h) 警察官らは,被告人の勤務先が休日に当たる平成15年4月13日に任意同行及び職務質問を行うことに決め,行動確認の結果,被告人が午前4時30分ころには就寝場所である駐車場から出ていくことが多いため,その前に被告人に声を掛けることにした。

G4警察官及びG6警察官は,同日午前4時20分ころ,ゲームセンター「k」駐車場に自動車を停めて車内で寝ていた被告人に声を掛け,f警察署においてbc店の件で話を聴きたい,と申し向けた。被告人は,今日は仕事がある,と言って同行を拒もうとしたが,G4警察官らが仕事が休みであることを指摘すると,同行を了解し,G4警察官らが乗ってきた捜査用車両に同乗してf警察署に赴いた。

(i) 午前4時35分ころ,被告人はf警察署に到着し,そのころからしばらくの間,G4警察官らは,被告人に対し,経歴や現在の生活状況,駐車場で寝泊まりする理由など本件の事件に関係する以外の事項について質問をした。

その後,被告人の同意を得て,午前5時45分ころから,d県警察本部科学捜査研究所所属のG7技官が,被告人に対するポリグラフ検査を実施した。

G7技官は,あらかじめ捜査官らから本件に関する証拠関係について聞いた上,8つの質問表を作成しており,これを用いて被告人に質問をしながら,被告人の示す生体反応を観察した。

被告人は,質問表のうちの4つの特定の質問に対して有意な皮膚電気反応を示したため,G7技官は陽性であると判定した。

(j) 朝食後の午前8時35分ころ,f警察署刑事課奥の3号取調室において,G4警察官が主任,G6警察官及びG3警察官が補助として,被告人の取調べを開始した。取調べに先立って,被告人が自宅に電話をしたいと言ったため,警察官も了解の上で被告人は携帯電話で妻に電話をかけ,f警察署に来ていることなどを説明した。

被告人は,当日の行動について説明を求められると,当初は「k」に行っていたとか,本件駐車場で友人と待ち合わせをしたが,相手は来なかった,あるいは友人と待ち合わせをしてドライブに出掛けた,等と二転三転する供述をしたのに対して,G4警察官が,「それは嘘だ。」と強い調子で述べ,本件駐車場におけるナンバーチェックの結果から被告人の友人の車は駐車されていないことが分かっている,等と告げた。被告人は,午前9時21分ころ,当日に本件駐車場で寝ていたことを認めた上,被害児の泣き声で目が覚めた後,同児を抱いて自車に乗せてaの海岸に連れて行き,海中に突き落とした,等と略取や殺人の犯行を認める供述を始めた。

G4警察官が,引き続き,被害児を連れ出した状況などについて詳しく被告人に問い質していると,被告人が「私,死刑ですか。」と尋ねてくるようになり,午前10時20分ころになると,被害児を連れ出したけれども海には捨てていない,と供述を翻した。被告人は,被害児を車から連れ出した後,ゲームセンターにおいて被害児の父を捜し始めた,と述べ出したので,G4警察官がbc店には防犯ビデオが設置されているが,被告人は映っていなかったことを指摘すると,今度は,ゲームセンターには入らず,別の公園に被害児を置き去りにした,と供述を変更した。

(k) S検事は,同日午前中,警察官らから被告人が一旦は略取と殺人の双方を認めたが,結局,殺人については否認に転じ,略取のみを認めている状況である旨の報告を聴いた。その上で,警察官らから,被告人の供述には不審点があるので,翌日も任意の取調べを続けたい,との方針を聞き,これを了解した。

(l) 同月13日午後にもf警察署において取調べが続けられ,G4警察官が被告人の生活歴等について聴取した上で,事件について尋ねたところ,午前中と同様に被害児を略取したが公園に置き去りにした旨の供述に終始したので,その旨の上申書(原審乙29)や関係箇所の図面を作成させた。

被告人は,警察官らの求めに応じて翌日も取調べを受けることを承諾したものの,自宅には帰りたくない意向を示したので,警察官らは,「ホテル又は自分の車で休み,明日また出頭したいと思います。」等と記載した書面を被告人に書かせた。

警察官らは,市内のfビジネスホテルに2室の予約を入れ,1室に被告人を泊まらせるとともに,もう1室には警察官らが宿泊し,夜間は廊下で被告人の動静を監視するなどした。

(m) 被告人及び警察官らは,翌14日午前7時30分には上記ホテルを出て,一旦,f警察署に立ち寄った後,被告人の了解の上で,捜査車両に乗車して被害児を連れ去った場所及び置き去りにした公園の引き当て捜査に出発した。

被告人は,まず,本件駐車場において,本件ワゴンRやサファリの駐車位置,被害児を連れ出した状況などについて説明した後,n公園に被害児を置き去りにした旨を述べたので,同公園に向かった。その車中において,G4警察官が「やっぱりまだ言ってないことがあるんじゃないのか。このまま赤ちゃんを連れ去っただけの罪で罪を償っても一生後悔する。」などと申し向けると,被告人は,泣き出し,被害児を海に捨てた,と言い出したため,結局,公園では降車せず,そのまま被害児を投棄したと説明する場所に向かった。

被告人は,北側岸壁の中央付近(別紙図面3の「車両停止地点」)に案内した上で,被害児を抱いて連れ出し,ガードレールの向こうに立たせ,後ろからどんと海中に突き落とした,等と説明した。被告人は,G4警察官に促されて,海に向かって合掌した。

(n) S検事は,同日午前中に被告人が再び略取及び殺人の双方について認めるに至ったとの報告を受けた。同検事は,被告人の供述内容を聞き,被告人が説明する投棄場所と漂流シミュレーションによって推測されていた漂流開始場所との間に相当の乖離があること,後ろから突き落とす態様であれば,犯行の時間帯が干潮時に当たり,被害児の体が北側岸壁下に露出していた捨て石に衝突すると思われるのに,被害児の遺体に目立った外傷がないことの2点について,被告人の供述と客観証拠との間に矛盾があるのではないかと感じ,これらの疑問が解消できるまで逮捕状請求を待つよう要請した。

警察官らは,引き当て捜査の後,f警察署内において被告人をさらに取り調べて供述を得て,「自分のやった事」と題する上申書(原審乙31)を書かせたり,関係場所等の図面を作成させたりする一方,漂流シミュレーションの作成にかかわった捜査官の意見を聴くなどしてS検事指摘の疑問点の解明に取り組んだ。その結果,漂流開始場所については,風向き等の影響があるため,シミュレーションは盤石の信頼をおけるものではない,との回答が得られた。なお,犯行の時間帯に北側岸壁下に捨て石が露出していたというのは,S検事の誤解であったが,同検事は,被告人の説明する北側岸壁の高さが海面から相当高いことを聞き,そうであれば下の捨て石に衝突することなく突き落とすことも可能であると考え,これらの考察の末,同日午後8時ころには,同検事も被告人の逮捕状請求に同意した。

警察官からの逮捕状請求に応じて裁判官が発付した通常逮捕状に基づき,被告人は,翌15日午前1時前に逮捕された。被告人は,同時点の警察官からの弁解録取手続に対して,略取,殺人の双方の事実を認め,その直後に行われた検察官からの弁解録取手続においても同様の供述をした。

被告人は,逮捕状執行後,f警察署の留置場に入場し,その際,同房者のTに問われるまま,自分が被害児を略取して殺害した犯人であることや,本当の犯行動機は身代金目的であったことなどを述べた。

(o) 同日午後,S検事が勾留請求に先立って被告人を取り調べたところ,被告人は,各犯行を認め,「駐車場で寝ていたところ,子供の泣き声がして目が覚め,眠れなくなったので頭に来た。そのため,その子を自車に乗せて連れ去ったものの,途中でぐずりだしたので,どうしたらいいか困ってしまい,殺すことにした。」などと動機について述べるとともに,殺害の方法については,「被害児をガードレールの向こう側に立たせ,海に向かって岸壁の縁近くまで歩かせ,自分もガードレールをまたいで被害児の後ろに同じ向きで立つと,膝を曲げて身をかがめ,両手を被害児の背中の両脇の下の辺りに当て,ちょうどバスケットボールを投げるような感じで両手を勢いよく前に突きだし,被害児の身体を海の方に向かって投げた。」などと説明した。

S検事は,これらを一応納得のできる動機及び犯行方法であると考え,裁判所に勾留請求をした。他方,警察官らに対しては,本件は,客観的な物証が乏しい事件であり,自白の信用性が焦点となる事件であるので,自白の中で秘密の暴露を獲得するよう努力することを督励するとともに,取調べにおいては極力誘導を避け,被告人に詳細な犯行の状況を語らせるように求めた。

被告人は,裁判官による勾留質問手続においても略取及び殺人の両事実を認め,勾留されることになった。

(p) 勾留質問手続において,被告人が裁判所に対して当番弁護士の派遣を希望する旨を述べたため,裁判所がo弁護士会(現d県弁護士会)にその旨を連絡し,同弁護士会所属のU弁護士が同月16日に被告人に対して当番弁護士としての接見を行った。被告人は,同弁護士に対して,略取及び殺人の被疑事実はいずれも間違いがない旨を述べた。

U弁護士は,被告人の希望を聞いて,本件については法律扶助による被疑者段階の弁護活動が必要であると判断したが,同弁護士自身は,o地裁p支部管内の事件につき当番弁護士として活動していた者で,本件はo地裁本庁に起訴される予定であったため,本庁管内で活動する弁護士が弁護人に就任するのがふさわしいと考えた。そこでU弁護士が,同弁護士会にその旨を上申したところ,同弁護士会所属の丙弁護士が被告人の被疑者段階の弁護人候補者に選ばれ,同弁護士は,翌17日に被告人に接見した。被告人は,同弁護士に対しても両被疑事実は間違いない旨を自認した。翌18日,被告人は,同弁護士を弁護人に選任する旨の弁護人選任届を検察庁に提出した。

(q) 勾留期間中,G4警察官及びG6警察官が主任及び補助という立場で被告人の取調べを担当し,被告人から略取,殺人の犯行状況及びその周辺事実について事情聴取を行い,その結果を調書にしたり,被告人に図面を書かせるなどしていった。

主任であったG4警察官は,被告人に対して,犯行そのもののみならず,当時の服装,立ち寄り場所,購入した物品などについても逐一被告人に説明を求め,被告人が「忘れた。」と言ってもなかなか納得せず,「思い出せ。」等と具体的な供述を迫った。被告人は,このようなG4警察官の取調べ方法に対して不満を抱き,同房のTに愚痴をこぼしたほか,同月27日ころになると,G4警察官にも直接異議を唱えるようになっていた。

他方,同月22日夜,再び丙弁護士が接見したが,その際には,被告人は,取調べに対する不満を述べていなかった。

(r) 同月29日午前11時ころ,丙弁護士が被告人に接見し,事件の具体的な内容について尋ねたところ,当初,被告人は,自分が犯人であることは間違いない,と言いながらも,当日の具体的な行動や犯行時間,犯行のルートなどについては「憶えていない。」などと具体的な説明を避け,被害児を自動車から連れ出した場面と海中に投棄した場面以外については具体的な記憶がないなどと申し立てた。これに対して,丙弁護士が「本当にやったのか。」と重ねて問うと,被告人は「実は自分はやってない。」と言い,当日の行動については,「前日夜からkの駐車場で寝ていたが,前の会社の同僚との待ち合わせのために午前2時30分に本件駐車場に着いた。元同僚との間ではコンサートに行くために午前3時に待ち合わせをしていたが,本件駐車場に着いた後,キャンセルの電話がかかってきたので,本件駐車場を出て行き,別の公園の駐車場で寝た。」等と説明した。

丙弁護士は,被告人に対して,「自分の記憶と同じ供述調書を作成してもらいなさい。そうでないなら供述調書への署名押印を拒否しなさい。」等と助言した。そうすると,被告人が「今から否認すると,また机を叩かれたり,大きな声を出されたりするのではないか。」と聞いてきたので,同弁護士は「今の警察官は,否認しても殴るようなことはない。正しい供述調書を作ってもらいなさい。それができないなら黙秘権を行使しなさい。」,「毎日の取調べ状況を手紙に書いて弁護人に報告しなさい。」などと答えた。

丙弁護士は,同日中に,o地方検察庁のS検事宛に,被告人が強制的な取調べを受けて虚偽の自白をさせられていると訴えている旨の内容証明郵便を発送した。

(s) 丙弁護士との接見を終えて居房に戻ってきた被告人は,同房のTに対し,「(犯行を)やっていない。」,「弁護士さんから(被害児を)海に捨てたとき,海には水がなかったのに,赤ちゃんは怪我していないと言われた。」,「否認する。」などと言い出したが,その一方では「本当はやった。」などとも言っていた。Tが「否認して後で嘘と分かったら,罪が重くなる。」等というと,被告人は納得した様子をみせていた。

(t) 同日午後の取調べにおいては,主任のG4警察官が問いかけても,被告人は「否認,否認」,「黙秘,黙秘」などと言うばかりで答えなくなったため,主任をG6警察官に交替したところ,被告人は態度を軟化させ,再び犯行を認める供述を始めた。

翌30日の検察官の取調べにおいて,被告人は,犯行を自白する旨の内容の供述調書(原審乙23,24)に署名するとともに,「弁護人から『被害児を投げた場所は干潮になると岩が出てきて被害児の身体に傷がつくはずなのに,被害児の身体には傷がないということだが,本当にそういうやり方でやったのか。』などと問いつめられて,つい『やっていない。』と嘘の説明をした。」などと供述した。

他方,その夜に丙弁護士が被告人に接見した際には,被告人は,作成された調書の内容が自白であることを説明した上で,実際には犯行をしていないことを訴えた。そして,自白調書が作成されている理由について,「否認しても(捜査官は)聞いてくれない。」などと言った。

(u) 同年5月1日午前,G4警察官が被告人から事情を聴こうとすると,被告人は,「G4さんはうそつきだ。」,「弁護人は,『子供は学校に行っていない。』と言っている。」などと言い出し,質問には答えようとしない状態になった。

そこで,G4警察官らは,被告人の子らの学校教諭及び幼稚園の保育士に連絡をとり,同日午後にf警察署に来署してもらい,それぞれ被告人と接見して被告人の子らが元気に登校,登園していることを説明してもらった。被告人は,接見の後は安堵の涙を流していた。

被告人は,その後の取調べには素直に応じるようになり,「弁護人から否認や黙秘を勧められた。」,「弁護人の勧めに応じて犯行を否認する内容の手紙を書いて送ったが,その中身は嘘である。」などと供述した。

同日夜,丙弁護士が被告人に接見した際,被告人は,「自白調書に(無理に)サインさせられた。」などと説明した。

(v) 同月2日午前,G4警察官らが被告人を取り調べたが,被告人は,「もう話をすることはない。」などと言うだけで,30分程度で自分から居房に戻ると言い出したために,取調べは打ち切られた。

同日午後のS検事の取調べでは,被告人は,弁護人に対しては虚偽の否認をしてしまった,などと述べた。S検事は,取調べにおいて,被告人を略取及び殺人の事実で起訴する予定であることを告げ,同日,被告人を各公訴事実記載の罪で起訴した。

(w) 同月3日,丙弁護士及び丁弁護士らが被告人と接見し,丁弁護士から当時の行動について質問したところ,被告人は,「犯行当日は,前夜から本件駐車場のe前に自動車を停めていてそこで一晩中寝ていた。」と説明をした。

(2)  捜査の適否と自白の任意性

被告人は,原審公判において,当初の任意同行を求められた際,警察官から身体をつかまれて車から引きずり降ろされ,無理矢理警察署に連れて行かれた上,帰りたいと言ったのに帰してもらえず,希望に反して警察官らの用意したホテルで宿泊させられる等,厳しい取調べを受けた旨を供述し,当審公判でも基本的にはこの供述を維持している。そして,原審弁護人は,被告人に対する捜査の過程では,逮捕勾留に先立って任意捜査の限界を逸脱した取調べがなされたのであるから,その段階で被告人が作成した上申書は令状主義に反する違法捜査の結果得られた証拠として証拠排除すべきことはもとより,その後の逮捕勾留期間中の被告人の自白についても,違法性を帯びるものとして証拠排除すべきである,と主張した。

このうち,任意同行やホテル宿泊の経緯についての被告人の原審公判供述の信用性が乏しいことは原判決が述べるとおりであって,これを前提として被告人の捜査段階の自白の証拠能力の有無を検討すべきではない。

もっとも,本件では,逮捕勾留に先立つ任意捜査の段階で,警察署が用意した宿泊所に被告人を一泊させ,連日に渡って取り調べたという事情が認められ,このような宿泊を伴う取調べの適否については,宿泊や取調べが強制にわたるものであったか否かに加え,当該事案の性質,被疑者に対する容疑の程度,被疑者の態度等諸般の事情を勘案し,その方法ないし態様及び限度において社会通念上相当と認められるか否かによって決せられねばならない。

そこで検討するに,被告人を警察署まで同行するにも,宿泊所となったビジネスホテルへの往復にも警察官が運転する自動車が用いられ,ビジネスホテルでは警察官が隣室に同宿し,夜間にも無施錠状態の被告人の部屋の前の廊下で警察官が監視をするなど,同行から逮捕までの間は常時警察官らの監視下にあり,自由に家族らと接触したり,連絡をしたりする機会がなかったことなどがうかがわれ,一般に,このような形での宿泊を伴う取調べを行うことは,任意捜査の方法として必ずしも妥当とはいえない。しかし,この間の取調べで,殊更に有形力の行使や脅迫,あるいはこれに類するような不適切な手法が用いられたとは認められず,ビジネスホテルへの宿泊及び2日目の取調べについては,被告人が同意する旨の書面が作成されていることからすれば,宿泊や取調べが強制にわたるものであったとまではいい難い。そして,本件がいたいけな幼児の略取とそれに引き続く殺人という重大事案で,被告人が1日目から略取については自認していたこと,警察署の管轄下に被告人の自宅があったとはいえ,妻や義母と確執があり,それまで約3年にわたって自宅で寝泊まりしておらず,連夜にわたって自車内で過ごしており,逃亡のおそれが高かったこと,また,そのような事情から妻や義母は被告人の身柄引受人として不適切であり,他に近隣に身柄引受人になり得るような適当な親族などが見当たらなかったことによれば,警察署が被告人の宿泊先を用意したこと自体には相応の理由も認められるし,事案の重大性からすると,被告人が自殺を図るなどの不測の事態を恐れたという警察官らの懸念も理解できないわけではなく,被告人の監視をしたこともあながち不当ともいえない。これらを総合勘案すると,本件での任意捜査の間に被告人をビジネスホテルに宿泊させて取り調べたことが社会通念からみて不相当であるとはいえず,少なくともそのこと自体で本件での被告人への取調べ全般が違法性を帯びるとは考えられない。

しかし,このように警察官らの監視下に置かれたことは,被告人にとって一定の圧迫と感じられたであろうことは否定できず,これが被告人の性格等の諸般の事情と相まって,被告人の自白の任意性を失わしめることになるか否かは,別の観点から再度の検討を要する。

この点について,被告人自身は,原審公判及び当審公判において,略取や殺人を自白したのは,取調べ担当であったG4警察官らから怒鳴られたり,机を叩かれたり,いすを蹴られるなどの方法で自白を強要され,怖くなったからであると述べ,弁護人は,被告人は特異な性格の持ち主で,質問に対して機械的に応答し,かつ,その場限りの迎合的な虚偽供述をも厭わないとした上で,そのような被告人の性格からすれば,取調べ担当警察官の言動は虚偽の自白をさせるに足る圧力になると主張する。

しかし,自白した経過に関する被告人の供述に信用性が乏しいことは原判決も述べるとおりであり,被告人が圧力に弱い性格で,それゆえに虚偽供述をしてしまいがちであるとの弁護人の主張にもにわかに首肯はできない。すなわち,弁護人らが,被告人に迎合的虚偽供述をしてしまう傾向がある例として当審弁論で指摘するのは,当審における被告人質問において,検察官が前提を誤った誘導尋問をしたところ,被告人がこれを即座に肯定したという点であるが,こういったことは,記憶が明確でないことについては,誰しもが陥りやすい間違いで,被告人の単なる勘違いとして説明できるものであり,殊更,被告人の特異な性格を表すとは思えない。むしろ,当審の被告人質問全体を通覧すると,検察官による厳しい口調でのたたみかけるような質問に対してもよく持ちこたえ,それなりに自己の主張を貫いているといえるのであって,弁護人がいうほど被告人が迎合し易いとは考えられない。

他方,被告人に嘘が多いのは弁護人が述べるとおりであって,例えば,逮捕の当日である平成15年4月15日に身上経歴についての被告人の警察官調書(原審乙1)が作成されているが,その中では「中学時代は野球部に入っていた。」,「中学校卒業時にq高等学校を受験した。」,「昭和60年に専門学校を出た後,家電修理の仕事をしていた。」などと所々に虚偽の経歴(これらが虚偽であることは,同月23日付の警察官調書(原審乙2)で明かしている。)が混じって述べられているし,被告人が当初に警察官から事情聴取を受けた際,「本件駐車場には以前の職場の同僚と待ち合わせのために赴いた。」と虚偽の説明をしていたこと,同月29日に接見に訪れた丙弁護士にも全く同様の説明をしていたこと,同月13日午前中の取調べで,略取のみを認めるに至るまでの間,被告人が供述を二転三転させていることなども虚偽供述をする傾向を示すといってよい。さらに,同月30日以降は,捜査官に対しては,「弁護人に否認や黙秘を勧められた。」と説明する一方,弁護人に対しては,「捜査官が否認しても聞いてくれない。自白調書に署名押印させられている。」等と述べ,いわば二枚舌を弄して双方にそれぞれ異なる説明をしていたことがうかがえる。しかし,これらの嘘は相手の言を機械的に肯定したことによる嘘などではないし,外部からの圧迫を免れるための苦し紛れの嘘とも思えない。むしろ,見栄を張るためや,都合の悪い事実をごまかすためのものと考える方がふさわしく,被告人に虚言を弄する傾向があるといっても,病的なものとは言えず,嘘の理由として一般にありがちな理由が被告人の嘘の背景にも認められる。また,取調べ担当の警察官に,臆面もなく粉飾した経歴を述べていることは,その時点で見栄のために口から出任せを並べるほどの余裕が残っていたことを示すもので,取調べが大変な重圧であった旨の被告人の説明には明らかな誇張が含まれている。

なお,G4警察官の原審供述によれば,被告人は,平成15年4月27日ころから,同警察官の面前で,「G4さんが嫌いだ。」等と公言するようになり,同年5月1日の取調べでも,同警察官が被告人の子らに異変はないと説明していたことについて,「G4さんはうそつきだ。」,「弁護人は,『子は学校へ行けない状態だ。』と言っている。」と言い出し,結局,G4警察官らにおいて学校教諭らを呼び出して説明してもらうまで納得しなかったことが認められる。この被告人の振舞からすれば,被告人は,警察官らの取調べに精神的に疲弊し,屈服し切っていたどころか,弁護人の言葉(当審証人丙の証言に照らすと,同弁護士自身がそのようなことを述べた事実はなく,被告人が同弁護士の言葉をねつ造したものと考えられる。)を引き合いに出してG4警察官らを攻撃し,子らの様子を知りたいという自らの望みをかなえたと考えられ,被告人には相当に狡猾な一面があることがうかがえるとともに,そのような知恵を巡らす心理的なゆとりがあったと考えることもできる。

無論,捜査機関に身柄を拘束され,自由を制限された状態下で警察官から取調べを受けること自体が相当の圧迫になることは自然の理であって,被告人もそのような意味で捜査機関からの圧迫を感じたであろうことは当然であるが,それを超えて,被告人が捜査官の言いなりになって供述をせざるを得ないとの心境に追い込まれるほどの圧力を感じていたとみることはできず,逮捕の当日には,見栄のためにちょっとした嘘を供述に挟み込むほどの心理的余裕があり,勾留期間の最終段階でも,弁護人の言葉を引き合いに出して取調べ担当の警察官らを翻弄する程度の余裕はあったと考えられる。

もっとも,被告人は,当初から自発的に各犯行を認めていたものではなく,任意同行を求められた直後の時点では,嘘のアリバイを主張して,略取,殺人のいずれについても否認し,アリバイの嘘がばれるや双方の事実を一旦認め,その後に殺人を否認し,略取の事実のみを認め,その翌日になって殺人も自白したというところ,自白に転じた原因が警察官からの働きかけであることもまた確かであるから,それらの働きかけが供述の任意性を失わしめるようなものであったかを今一度吟味する必要がある。

G4警察官の原審供述等によれば,逮捕前後までの被告人の供述経過は,上記(1)項の(h)から(o)のとおりで,これらによれば,ポリグラフ検査直後の取調べでG4警察官に嘘を喝破されたことが略取を認める契機になったと考えるのが合理的であるが,当審証人G7の供述によれば,ポリグラフ検査で著しく不適切な方法で検査が実施されたり,被告人を怖がらせるような質問がなされたりした形跡はうかがえず,この検査実施が過度の圧迫になったとは考えられないし,その後の取調べでG4警察官から嘘を叱責されたことも,虚偽の自白を強いられるほどの事情になるとは解されない。「うそ発見器」ともいわれるポリグラフの検査を受け,これに引き続いた取調べで嘘を咎められたというのであるから,被告人としては,心中を見透かされるような心境になり,そのことで怖じ気づいた可能性はあるが,それは真実の自白を促す機能は持ち得ても,虚偽の自白をする動機になり得るものではない。

次に,翌日,殺人をも認めるに至った契機は,G4警察官からの言辞にあるというべきであるが,その内容自体は,被告人の倫理感に訴えかけようとするもので,格別不穏当とも考えられず,それが虚偽自白を促す契機になるとは思われない。

なるほど,被告人は,当初から各犯行を素直に認めていたものではなく,著しい動揺を経て両事実を認めるに至ったのであり,被告人の心中には多大な葛藤やためらいがあったことは確かであろうが,これは各事実が幼児の略取とこれに引き続く殺人という大罪で,当然ながら有罪とされた場合の刑罰も重いと予想されることに照らせば不思議とはいえない。また,真犯人が否認から自白に転ずる場合,当初に軽い罪についての責任をまず認め,取調べを経て重い罪についても自白するというのはよくみられる事象であり,被告人が略取を自白した翌日に殺人について全面的に認めたというのも不自然ではない。そして,何よりも,正式に逮捕される以前であり,任意同行の初日のしかも早い段階で,略取の事実を認め,翌日には殺人の事実まで自白していることは,この自白が被告人と取調官との長い攻防の末,被告人が自暴自棄になって得られたような類のものではないことを示しており,これは自白の任意性,ひいては信用性を裏付ける最大の手掛かりである。しかるに,被告人は,自白した経緯については,警察官に怒鳴られるなどして怖くなったからである,等と言い立てるばかりで,この間の供述心理について真摯に説明をしているとはいえない。そうすると,取調べが圧迫的であったことを殊更誇張するような被告人の公判供述は,自分にとって都合の悪い事実を隠すための言い訳に過ぎないとみるのが合理的で,被告人がこうした言い訳に固執せざるを得ないこと自体が任意に自白したことを示唆している。

以上を総合すると,本件では,被告人が逮捕される前の任意捜査の段階で各犯行を自白しており,その時点で警察官らが宿泊所を用意した上で一泊させ,連日にわたって取調べを行ったという事情はあるにせよ,宿泊や取調べが強制されたような事情はなく,他の事情に照らしてみてもそれだけで捜査が違法とされるとは思われない上,被告人が自白に転じた契機は,虚偽の弁解を看破されたことや,倫理感に訴えるような働きかけが警察官からなされたことで,早期に自白に転じたことも併せれば,この段階の自白には任意性があり,証拠能力を具備するものと認めるのが相当である。また,当初の自白に任意性があるということは,これに引き続いて逮捕・勾留期間中に得られた被告人の捜査段階の自白も任意性が肯定できることを示すとともに,これらの自白が,捜査機関による圧迫から逃れんがための虚偽自白などではないとの意味合いにおいて,信用性を基礎づける素地があることをも示している。

しかし,さらに一歩進んで,自白に基づいて被告人の犯行を認定し得るほどの信用性があるか否かは,その内容自体が客観的事実に符合し,合理的で,被告人の体験を述べたものと言い得るかを様々な角度から検討して判断する必要がある。以下においては,このような見地から自白の信用性についての考察を進める。

(3)  捜査段階の中途での自白と否認の交錯の経緯とその意味

まず,本件では,被告人は,捜査段階の途中において,否認供述に転じた時期があることが明らかであるため,そのことが捜査段階の自白の信用性を左右する事情になるかを検討する。

被告人が否認供述に転じた経緯とその後の経過は,(1)項の(r)ないし(w)に記載のとおりで,その契機が平成15年4月29日の丙弁護士との接見にあることは明らかである。その際の接見状況は,当初は,被告人は,略取及び殺人の犯行について認める旨を述べていたのに,同弁護士から詳しい犯行状況についての説明を求められると,「忘れた。」などと曖昧な供述をし,さらに追及されると「やっていない。」と言い出し,当日は,同僚との待ち合わせのために午前2時30分ころに本件駐車場に赴いたと説明をしたというのである。このうち,被告人が否認供述を始めた場面だけをとらえれば,それまで何らかの事情で不本意な虚偽自白をしていた者が,弁護人からの問いかけをきっかけに呪縛から解放され,真実の告白をしたと解する余地があるように思われるが,そうであるならば,その時点で弁護人に当日の行動について明らかに虚偽の説明をした事情が理解できない。

弁護人は,被告人は嘘をつき易い性格で,その嘘も自分の有利になるように考えてのものではないのであって,接見時に被告人が虚偽の説明をしたのはその特異性格の表れに過ぎないという。しかし,被告人に頻繁に嘘を付く傾向があることはうかがえるものの,被告人に精神異常等に起因する病的な虚言癖や妄想があることを示す証跡はなく,人並みの知能を有し,年齢相応の社会的経験も積んでいる以上,弁護人がいうように利害得失を全く度外視して,自分を窮地に陥れることが明らかな嘘をつくとは考えられない。前述のように,他の場面での明らかな被告人の虚言をみてみると,そこには見栄,ごまかしなどの相応の理由がうかがえるのであり,丙弁護士接見時の被告人の嘘が全く無目的のものとは思えない。しかし,仮に被告人が犯人でないとするならば,この段階で丙弁護士に嘘をつく実益は見当たらず,かえって弁護人に嘘の情報を与えることは,見付かるかもしれない無実の証拠の発見を妨げる可能性すらあり,害があるばかりである。被告人とて,この程度の計算ができないはずはないから,この時点で弁護人に虚偽の説明をしたことは,被告人が真意から無実を訴え出たと解することの重大な妨げになる。

また,それ以降の捜査官からの取調べに対して,ほんの一時期だけ「黙秘」,「否認」などと言って供述を拒否する姿勢を見せたとはいえ,おおむねは唯々諾々と自白供述を維持し,あまつさえ「弁護人から否認や黙秘を勧められた。」などと説明する一方で,弁護人には,そのようなことはおくびにも出さず,「自白調書にサインさせられた。」などと述べていたことも不審な供述態度といわねばならない。すなわち,接見において,否認供述を始めた被告人に対し,丙弁護士は,これを受け入れた上で「記憶と違う調書には署名押印を拒否しなさい。」,「それができないなら黙秘しなさい。」,「取調べ状況を手紙に書いて報告しなさい。」などと正当かつ具体的な対策を伝授し,その後は接見に連日訪れているのであって,無実の嫌疑をかけられた被疑者が弁護人からこのような支援を受ければ,これに勇気づけられ,以後は否認の態度を貫くべく,精一杯の努力を払うのが通常と思われる。しかるに,被告人の事後の態度は,中途半端なもので,短時間だけ供述を拒否する姿勢を見せたものの,取調べの主任が替わったというような事情でやすやすと姿勢を元に戻し,検察官による取調べにおいても自白を維持している。このような被告人の態度は,無実の嫌疑をかけられた者のそれとして理解することは難しい。仮に百歩譲って,被告人が余りに気弱で,捜査官からの圧力に対抗し得なかった(そのような見方ができないことは前述のとおりである。)というのであれば,弁護人との接見の際には,自らのふがいなさや取調べの厳しさを泣訴し,さらに強力な支援を懇願するとか,あるいは一層のこと,自棄的になってしまい,自分のことは放っておいてほしい,などと投げ出してしまうなどの事態が考えられるが,それらのいずれでもなく,被告人の弁護人への応対ぶりは奇妙である。しかも,捜査官に対しては,弁護人に唆されて否認に転じたと言わんばかりの説明をし,弁護人との接見では,捜査官が聞き入れてくれない,と訴え,双方に対して異なる説明をしていたふしもうかがえる。これらの被告人の態度は,無実の被疑者が自らの潔白を弁護人に訴え出た場合のそれとして合理的に説明することはできない。

以上の考察からすると,丙弁護士との接見に際して被告人が否認供述に転じたのは,被告人の無罪意識の表れを示す事情になると考えるのは早計であり,単に自らの悪事を否定したい,刑事責任を免れたい,との思いに駆られた等の理由から場当たり的に否認に転じ,その後は,熱心に接見に訪れる同弁護士の手前,自分が犯人であると再度認めるのもばつが悪くて言い出せなくなったと解する方が自然である。さらに,この時期に否認に転じた事情としては,それまでの取調べを通じ,G4警察官の質問があまりに細かく,煩わしく感じられて徐々に同警察官への反感が募っていったことも影響しているとみるべき余地がある。

そうであるとしても,被告人の供述がこのように大きく動揺したことは,被告人にもともと頻繁に嘘をつく傾向があったことに加え,当時の被告人の心中で,刑事責任から免れたいとの希望が相当に強く,各犯行を心から反省し,罪を償うというような心境にはほど遠かったことをうかがわせるに足る。一般に,このような心境にある者の場合,全面的な自白には至らず,捜査機関に判明している事実のみを認め,その余は否定して責任の軽減を図ったり,あるいは虚実を織り交ぜて捜査の攪乱を図ったりすることがときとして認められるのであり,自白の内容が逐一信用できるかについては,慎重な検討を要する。

また,被告人は,G4警察官からの質問が細か過ぎるとして反感を感じていたというのであるが,S検事は,勾留請求を行う段階で,警察官らに対して,取調べに当たっては誘導を避けるとともに,秘密の暴露に当たる供述を得るよう督励したことが認められるから,取調べの主任を務めたG4警察官が,この趣旨に忠実に従おうとする余り,被告人に過度に詳細な記憶喚起を迫ったというようなことは,十分にあり得ることと思われる。実際,捜査段階の被告人の自白調書中には,8か月以上前の出来事に関する記述としては驚くほど細部に詳しい部分が含まれている。そうすると,被告人としては,G4警察官から,当時の行動について詳しい説明を求められ,その場をやり過ごすために,記憶に基づくことなく,適当に答えをねつ造して供述し,それが供述調書の内容になっている事態もあり得るといわねばならない(この点は後述する。)。

したがって,被告人の自白の信用性を検討するに当たっては,任意性があることをもってして直ちにその内容に全面的な信用性を肯定することまではできず,その内容に踏み込んで,客観的事実との符合や合理性,迫真性などとの関係で総合的に判断し,信用できる部分とそうでない部分とを区別する必要がある。

(4)  自白内容と客観的事実の符合

被告人の捜査段階の自白の内容には後述のとおり若干の変遷があるが,その最終段階の供述(主として原審乙19,20)の概要は,原判決の理由中の「第2 被告人の捜査段階における自白について」2項「証明力について」(1)のアないしカ(17頁ないし21頁)に記載のとおりであるので,これが他の証拠から認められる客観的事実に符合するといえるかを検討する。

(a) 被告人の自白によれば,被告人は,平成14年7月27日午後9時ころ,本件駐車場に到着し,本件ワゴンRを西側部分の建物沿いに北から5台目(あるいはその1台分くらい右または左)に駐車し,眠っていると,原付車3台が前方を通り過ぎた音で目が覚め,そのときに右斜め前方に白色の大きなワゴン車が駐車していて,中で被害児が泣いているのに気が付いた,というのであるが,この本件ワゴンRの駐車位置は,BやH,Iらの供述によって認められる「小豆色のワゴンR」の駐車場所に相応するものである。また,J,K,V,Wらの警察官調書(原審甲42ないし45)などを総合すると,同月28日午前1時5分前後に原付車3台に分乗した高校生グループが本件駐車場の西側部分から走り出ていった事実が認められるのであるが,これは,被告人が説明するところの原付車3台が音を立てて本件ワゴンRの前方を通過したという点に合致する。そして,サファリを指すと考えられる「白い大きなワゴン車」の駐車位置,中で被害児が泣いていたこと,その窓が開いていたことなどもいずれも他の関係証拠から認められる,被害児失踪の直前の状況と一致するものである。

さらに,被告人の捜査段階の自白(原審乙8,19等)では,被害児を本件ワゴンRに乗せて本件駐車場から発進した直後,コンビニエンスストアの角辺りに3,4人の若い男達が立ち話をしており,その左手の駐車枠に,駐車枠2台分を使って黒っぽい大型の普通乗用自動車が斜め駐車してあった,とされているところ,原審証人Fの供述によれば,ちょうどその時間帯において,同人は,黒いシーマを2台分の駐車枠に斜め駐車をした状態で,仲間3人とコンビニエンスストアの傍で話し込んでいた事実が認められ,駐車の向きが逆という点はあるにせよ,自白中の上記供述内容はFの原審供述にほぼ一致すると言ってよい。

この点につき,原審弁護人の弁論では,発進直後にかいま見た自動車や男らの存在など被告人が記憶しているとは考えられず,被告人の自白中のこの部分は,秘密の暴露として利用する目的で,捜査機関側が被告人を誘導して些末な事実を供述調書に記載させたに過ぎない,と主張する。しかし,被害児を略取して車を発進させたとすれば,周囲の人の目などが気になり,神経をとがらせていたはずであるから,そのような折りに見た車や人のことが記憶に残っていたとしても不思議はなく,原審弁護人の主張するところは,うがち過ぎた見方で採用できない。

(b) 被害児の描写

被害児は,当時1歳10か月で,身長約79センチメートル,体重約9.5キログラムのごく普通の体格で,よちよちと歩いたり,「パパ」,「ママ」などの片言を発するなど,年齢相応の発育を遂げていた。当日の服装は,紙おむつの上に,紺色地で一面に小さなミッキーマウス等の絵柄がついた甚平様のベビー服(上下つなぎで,体の前面をひも結びし,股部をホックで止めるもの。)を着用し,紺色のスポーツサンダルを履いていた。

被告人の自白調書(原審乙8等)では,被害児が「紺色のはんぺん(甚平を意味する)の上着とズボン,黒っぽいサンダル」を着用していた記憶である,と説明されているほか,被告人の作成の図面(原審乙8添付のもの)では,「身長80cmぐらい」,「1才半ぐらいの男の子」などと記入されている。また,殺害場所である北側岸壁に立たせたとき,「手を離してもフワッと自分で立っている」状態で,両手を添えて促したところ,自分で少し歩いたことなどが述べられている。このように,自白中の被害児の服装,体格,行動等についての説明は,同児の客観的な生前の状況に良く合致している。

(c) 被害児の投棄場所

被告人が,被害児の投棄場所として指定した場所は,平成15年4月14日に被告人が引き当てして以降,変遷はなく,別紙図面3の「車両停止地点」と記載の場所である。

この位置は,被告人の検挙前に捜査機関が海上保安庁などの協力を得てシミュレーションにより割り出していた漂流開始地点よりも約200メートル東方の場所であったことが認められるが,原審証人Xの供述等によれば,被告人が投棄した場所から被害児が漂流を開始したと考えても,シミュレーションによる予測と矛盾するものではないことが認められ,被告人の自白内容は客観的事実に矛盾しないといってよい。

(d) 被害児の遺体の状況について

被害児の遺体の鑑定書(原審甲6)等によれば,被害児の死因は溺水吸引で,遺体の頭部,顔面,頸部,左右上肢に浅く鈍な皮膚損傷があり,このうち頭部の皮膚損傷に対応しては,頭皮下に出血がみられるものの,その余はいずれも米粒,粟粒大等の微少な損傷であって,成傷器は明らかではない。被害児の遺体の創傷がごく浅く小さいもので,着衣にも乱れがなかったことによれば,被害児が生前に暴行などを加えられた蓋然性は低い。

被告人の自白では,被害児を北側岸壁の縁に立たせ,その背部に両手を当てて突き押す,あるいは「バスケットボールを投げるように」海中に投棄して殺害したというのであるが,犯行時間帯は干潮時で,北側岸壁の直下には幅2メートル余(最大約2.6メートル)の捨て石があるため,被告人が自白するような態様で被害児を投棄した場合,この捨て石と被害児とが接触する可能性があるかが原審以来争点となっている。

北側岸壁の実況見分調書(原審甲13)や三河湾の潮位に関する捜査報告書(原審甲14)等によれば,犯行当日の平成14年7月28日には,最も干潮となる午前2時時点においても,北側岸壁の捨て石は海面下約45センチメートルないし約60センチメートルの水中に没していたことが認められ,そうすると被告人の自白での犯行時間帯である午前1時40分ころには捨て石までの水の深さはもう少し深かったものと考えられる。そして,上記各証拠によれば,北側岸壁から直下の水面までの高さは約3メートルほどであったことが認められる。

弁護人は,当審の弁論において,このような状況下で被害児を「突き落とした」とすれば,被害児の身体は水面下の捨て石に叩き付けられることになるはずで,外傷なしには済まないと主張する。

しかしながら,被告人の自白にあるように,「バスケットボールを投げるように」被害児の身体を前方,あるいはやや上方に突いたのであれば,被害児はやや緩やかな放物線を描いて落下するはずであるから,幅2メートル余の捨て石を越え,深みに落ちたとしても不思議はない。現に,犯行を再現した実況見分では,被告人が投棄したダミー人形は,少なくとも1回目は捨て石の向こう側に落下しており(原審甲93写真<41>ないし<71>参照),かつ,被告人の自白では,この再現は,「調書で説明した通りの方法」で実施された(原審乙11)と表現されている。

また,被害児の遺体は全くの無傷ではなく,特に頭部には生前に生じた打撲と考えて矛盾のない創傷が認められ,これが捨て石の角付近との接触痕である可能性も皆無とはいえない。

そうすると,結局のところ,被告人の自白の内容と被害児の遺体の創傷との間に矛盾があるとはいえない。

(e) 本件ワゴンRに対する実況見分及び鑑識活動

原判決は,被告人の自白の信用性に疑問を生じる理由の一つとして,本件ワゴンRについて実施された実況見分結果と矛盾するという事情を挙げる。しかし,この点の原判決の見解に与することはできず,本件ワゴンRの見分結果と被告人の自白との間に実質的な矛盾があるとはいえない。

すなわち,平成14年10月10日付実況見分調書(原審甲68)及び当審証人Y,同Zの各供述によれば,同年10月1日に実施された本件ワゴンRに対する実況見分及び鑑識活動では,指紋検出や車内の微物採取のほか,尿や血液反応の有無が調べられたというのであるが,被告人の自白では,被害児が本件ワゴンRに乗車していた時間はせいぜい20分間程度で,この間,被害児は少しはぐずったり泣いたりしたとはいいながらも,おおむねはうつらうつらとしていたというのであるから,このような態様では,被害児の尿や血液,毛髪などが本件ワゴンRに遺留される可能性は小さかったといわざるを得ない。また,指紋については,時間の経過とともに,その成分である水分や脂質が薄れていくものであるし,被告人が,本件ワゴンRを日常的に使用していたことを考えれば,そのことで指紋,毛髪などの資料が失われていくことは十分に考えられる。そうすると,事件の発生から2か月余を経て実施された鑑識活動で被害児に結びつく資料が発見される可能性はもともと極めて小さく,まさに九牛の一毛を探し出すような作業であったと考えられる。それでも,警察官らがこの時点で本件ワゴンRの実況見分や鑑識活動を行ったのは,それが捜査の常道であるし,万が一でも被害児と結びつく資料が得られれば,決定的な証拠になると判断したことによるものと思われる。このように考えると,結局のところ,鑑識活動によって本件ワゴンRから被害児と結びつく資料が得られなかったとしても,それは当初からある程度予想された事態であって,そのことが自白の内容に矛盾するとは考えられない。

原判決は,実況見分の結果,被害児が本件ワゴンRに乗車していた痕跡を発見できなかったことがいかにも不審なことであるかのように述べ,さらに,被害児の涙の成分が残っていた可能性や本件ワゴンRのシートベルトに被害児の皮膚組織が残っている可能性を指摘し,それが発見されていないとして自白に矛盾するというが,上記Yらの各当審供述によれば,シートベルトは微物採取等の対象から漏れていたことが認められるし,涙の成分については,それを検出するような試薬がなく,当然ながらその反応の有無を調べてもいないことが認められるのであって,調べてもいない痕跡が発見されていないのは当然といえる。

弁護人は,当審の弁論において,本件ワゴンR内の微物採取はリタックシート,ミニリタックシート(粘着成分のついたシート)を用いてなされており,そこには繊維,毛髪を含む大量の微物が付着していることが明らかになっているのに,この中から被害児と結びつく物が何一つ発見されなかったことは,原判決がいうように被害児が本件ワゴンRに乗車していなかったことを推測させるという。

しかし,大量の微物が発見されたことは,本件ワゴンRが数年間にわたって使い込まれたものである以上当然のことに過ぎず,そのことと本件ワゴンRに短時間乗車しただけとされる者の痕跡が2か月以上後に残っているかどうかとは無関係のはずである。また,現代の鑑識技術には限界があり,発見された微物の全部について検討がなされたわけでないからといって,それを直ちにずさんな捜査と論難すべきでもない。

以上のとおり,被告人の自白と本件ワゴンRの実況見分や鑑識活動の結果との間に矛盾があるとはいえない。

(f) まとめ

以上の検討を総合し,被告人の捜査段階の自白が各犯行に直接関係する客観的な事情と符合しているといえるかを検証する。

まず,被告人の自白する各犯行の態様は,被告人の検挙以前に捜査官が予想していた態様,すなわち,被害児をサファリ車内から連れ出して略取し,自車に乗せて殺害場所まで連行し,そこで海中に投棄したというものであって,被告人の自白と客観的な事情とは符合しているとはいえる。しかし,そのこと自体は,捜査官が一定の仮説を立てて被告人を追及したであろうことを考えれば,驚くべきことには当たらず,自白の信用性を特に増強するという事情にはならない。

これに比べ,前記(a),(b),(c)の各点に挙げた比較的細部にわたる箇所については,被告人の自白がこれらに合致することは,一応,自白の信用性を増す事情になると思われる。(d),(e)の事情は,被告人の自白に信用性を増す性質のものではないが,これを損なうこともない。

もっとも,被告人の自白の中には,秘密の暴露に類するような新たな事実の判明は見当たらず,要するに,すべて捜査官の想定の範囲内に収まっている。したがって,自白の内容の客観的事実の符合は,被告人の自白の信用性を裏付ける一つの事情にはなり得るが,それだけで絶対的なものと解することまではできない。

(5)  供述の変遷

捜査段階において,自白と否認とが交錯したことの意味合いについては前に検討したとおりであるが,ここにおいては,自白調書の間でも変動がみられる部分があるので,それが信用性にどの程度の影響を及ぼすかを検討する。

(a) 殺害方法について供述の変遷

原判決は,被告人の自白のうち,殺人の犯行態様についての説明内容が,平成15年4月14日の段階では,「岸壁の先に立たせた被害児の背中をどんと押して海に突き落とした。」(原審乙31)というものであったのに,同月15日の検察官による取調べ以降は「バスケットボールを投げるようにして投げた。」(原審乙36)というように変化し,同月30日には,「被害児の頭が自分の顔の前辺りまでくる程度に持ち上げてから投げた。」(原審乙23)などと述べていると指摘し,これらは行為態様として明らかに異なり,投棄現場である岸壁の状況や被害児の遺体の創傷の状況に合わせるように捜査官が被告人の供述を誘導した疑いを排斥できない,という。

そこで,検討するに,被告人の捜査段階の自白調書,上申書や作成図面のうち,被害児の殺害の具体的な方法についてある程度まとまった説明をしている部分を抜粋し,時系列的に並べると別表「被告人の供述状況」のとおりとなる。これによれば,平成15年4月14日作成の被告人の上申書(原審乙31)並びに翌日の検察官に対する弁解録取書(原審乙33,この弁解録取は同日午前1時15分に行われている。)の段階では,「背中をどんと押して海の中に突き落とし」,「後ろから両手で勢いよく押して,男の子を海に落とし」などと「突く」,「押す」等の表現が用いられているのに対し,同日午後に行われた検察官による取調べの際の検察官調書(原審乙36)では,「バスケットボールを投げるような感じで,自分の両手を勢いよく前に突きだし,Aくんの身体を海の方に向かって投げました。」等とされ,確かにここにおいて「投げる」という文言が用いられている。しかし,同月14日段階の上申書や弁解録取の段階の供述は,その性質から考えてごく概略的なもので,被告人が言葉の意味を慎重に吟味せずに用いた言葉が記載されている可能性があるから,その後に検察官において具体的な態様を確かめたところ,上記の検察官調書のような表現に落ち着いたと考えることもでき,用いられた文言が違うからといって,これが供述の変遷に当たるとまではいい難い。しかも,同月15日以降に作成された供述調書や図面などにおいても,「ドンと押す」(原審乙1),「突き落とす」(原審乙9添付図面,原審乙11)などの文言が使われていることがうかがわれ,要するに,被告人の捜査段階の自白では,「突く」,「押す」,「投げる」などの文言が入り乱れて使われていることが見て取れる。

他方,同月30日付検察官調書(原審乙23)では,「抱き上げ・・投げました。」との表現が用いられているが,これはその体裁からみて同月28日付検察官調書(原審乙20)の「Aちゃんの身体を,前方やや上方に勢いよく押し出した。」とある点を別の言葉で表現し直したと解すべきであり,この2つの内容は実質は同じことを言っているに過ぎない(そうすると,「抱き上げ」たといっても,通常,大人が幼児を抱き上げる場合とは異なり,投げるまでのごく瞬間的な時間,被害児の身体を顔の前に持ち上げたことを表現しているに過ぎないと考えられ,この表現自体があまり適切ではなかったともいえる。)。そして,この同月28日付検察官調書(原審乙20)は,同月26日に実施された再現見分の結果をも加味して殺害方法を吟味し直して得られた供述であると考えられるが,この再現見分について,被告人の同月28日付の警察官調書(原審乙11)では,「調書で説明したとおりの方法」で再現できたとされている。これは,捜査官と被告人との間に,再現見分を経ても殺害方法について供述を変更すべき点はなかったという共通の認識があったことを示すものである。原審証人として出廷したS検事は,殺害方法についての被告人の供述に変化はなく,要するに被告人の当初の稚拙な説明を詳しく質問し直して検証していって,より正確な表現に落ち着いただけである旨を供述しているのであるが,上記の供述調書の各内容に照らすと,この説明は当を得たものというべきである。

原判決は,北側岸壁では,干潮時には岸壁から対岸に向かって最大約2.6メートルにわたり捨て石が海面上に表れることがあり,平成14年7月28日午前1時40分ころは干潮時であったから,被告人が被害児の背中を押して突き落としたとすれば,被害児が捨て石に当たる可能性があったと指摘し,被害児の遺体にそれに相当する創傷がなかったこととの矛盾を回避するため,捜査官が被告人の供述を誘導したという弁護人の指摘を排斥することはできない,という。

しかし,被害児の身体と捨て石とが当たる可能性の程度は既に述べたとおりで,少なくともG4警察官らは,被告人の取調べ開始以前から犯行当日の平成14年7月28日には,最も干潮時であっても北側岸壁の捨て石が水中に没していたことを把握しており,遺体の創傷の不存在の問題を深刻視していなかったことがうかがわれ,したがって,同警察官がこの点について被告人の供述を誘導する必要を認めたとは考えられない。

なお,S検事は,G4警察官とは異なり,犯行当日に捨て石が海面に露出していたものと誤解し,被告人の供述する殺害方法が遺体の創傷に矛盾するのではないかと気にしていたふしがうかがえる。しかし,同検事は,自白の信用性を見極めるために誘導を避けるよう警察官らに指示していた張本人であって,同検事が率先して殺害方法といった重要部分について被告人を誘導するような取調べを行ったとは考え難い。仮に,そのようなことがあれば,被告人の検察官調書と警察官調書との間に深刻な相違が生じることになりかねないが,そういった事情はうかがえない。

弁護人は,弁論で,「後ろから押す」と「顔の前まで抱き上げて投げる」という投棄態様は全く異なり,犯行の中心をなすべき投棄態様に決定的な変遷があることは大きな変遷というべきで,原判決のいうとおり,被告人の自白に信用性はない,という。しかし,この点が実は表現の迷走によって変遷が生じたかのような趣になっているだけで,被告人が意味しようとしていたことは当初からそれほど変わったわけではないことは,これまで述べたとおりであり,この点の所論は採用できない。

結局,原判決は,被告人の自白の細部にこだわり過ぎて,実質は変遷とはいい難い表現方法の違いを変遷と誤って評価した上,客観的事実を誤認して,捜査官による誘導の可能性まで認めたのであるが,これはうがちすぎた見方というほかなく,全体を通してみれば,殺害方法についての被告人の説明内容はほぼ一貫していると解釈すべきである。

(b) その余の供述の変遷

以上のとおり,殺害方法に関する供述の変遷は認められないのであるが,被告人の捜査段階の自白のその余の部分をみると,明らかに供述が変遷している部分がいくつか認められるので,これについて自白の信用性を阻害するものに当たるかを順次,検討していく。

① 身上,経歴の虚偽について

先に自白の任意性を吟味する過程で述べたとおり,被告人は,平成15年4月15日付警察官調書(原審乙1)において,自己の経歴に関して一部虚偽の説明を混ぜており,それを同月23日付警察官調書(原審乙2)において訂正していることが認められる。この変遷については,被告人が,当初,自分の経歴を少しでも良く見せようと見栄を張って嘘をついていたのを,後日に訂正したものであり,供述の根幹部分の信用性に大きく影響するとは考えられない。もっとも,このような事情があることは,被告人に虚言を弄する傾向があることを示している。

② 本件駐車場で目撃した女性や車について

被告人は,平成15年4月19日の警察官による取調べの時点で,被害児を略取する前後の状況に関し,サファリの近くに3人の女性がいたことや本件ワゴンRの向かいに髪の長い女性が運転してきた自動車が停車したことなどについての図面(原審乙22に添付のもの)を作成していたが,同月28日付の検察官調書(原審乙22)では,これらの目撃については事件当夜のことかどうか自信がなくなった,と供述を変更している。

この点について,原判決は,これらの図面に記載された女性や車が客観的に存在した事実は認められるところ,これを被告人が見たとすれば,原付車を見た段階で被害児を確認してから略取するまでの間は被害児を見ていない,との被告人の自白内容と矛盾し,取調べ担当の警察官が,被告人の供述を客観的状況に一致させようとして問いかけ,被告人がそれに合わせて3人の女性や女性の車についての図面を作成した疑いがある,という。

確かに,被告人の自白(原審乙19等)の概要は,本件ワゴンRを駐車すると,すぐにシートを倒して横になり,いつの間にか寝入った,原付車3台が通り過ぎる音で目が覚め,原付車の方を見たときに白色の大きなワゴン車(サファリを指す。)が見えて,その車の方から被害児の泣き声が聞こえた,再び眠ろうとして身体を横たえたが,被害児が泣きやまなかったので眠れなくなった,30分くらい経ってもまだ泣きやまないので,イライラしてきて被害児を連れ去って,どこかに置いてくることを決意した,というもので,この自白の趣旨に沿えば,本件駐車場を見回す機会は著しく限定されていたことになり,Mら3名を指すと思われる女性らがサファリに近づく様子やEと考えられる女性が自動車を運転してきて停めたというような様子を目撃する機会はなかったことになる。しかし,このような供述の間の矛盾が生じた理由として,捜査官(特に警察官)が被告人の供述を客観的状況に一致させるべく誘導したとみるのは早計である。

仮に,警察官が被告人の供述を客観的状況に一致させるべく誘導し,その結果,被告人が女性や車の目撃について図面を作成したのであれば,次にはその目撃状況を合理的に説明できるよう被告人が被害児の略取を決意する経過について誘導して供述を得なければ,一貫した自白にならず,被告人の供述を客観的状況に一致させるという最終目的が達せられないことになる。そして,それを一致させるには,被告人が目を覚まして以降,相当時間にわたってサファリや自車の周辺をひそかに観察しながら,犯行の機会をうかがい,人気が途切れた瞬間を狙って被害児を略取した,というように供述させるべく誘導すればよいのであって,その方が,被告人の実際の自白よりも本件にまつわる疑問(本件駐車場を訪れ,被害児に注目していた人物が相当ありながら,被告人の犯行を目撃した者がいないことなど)の解明により良く答えることになるし,犯情としてもより悪質ということができる。原判決や弁護人がいうように警察官による供述の誘導があったのであれば,警察官としては何としてもそのように被告人の供述を誘導することに全力を尽くしたはずである。しかし,そのような供述を得るべく,G4警察官らが被告人を誘導したというような事情は全くうかがうことができず,少なくとも警察官調書の段階では矛盾が矛盾として残されたまま放置されている。

後に述べるとおり,G4警察官らは,細部にわたって追及的な質問をし,被告人から詳しい供述を引き出そうとしており,被告人は記憶喚起に努めながらも,時にはうんざりしてはっきりとした記憶がない部分を記憶しているかのように述べたり,適当に事実をねつ造して述べたりしていた疑いがあり,その結果として部分的な矛盾をはらむ雑多な供述が得られたふしがあるが,仮にG4警察官らが得た各種の供述を適当に取捨選択し,筋が通るように整えるべく誘導しておれば,警察官調書の中でそういった矛盾の解消が図られているはずだが,供述の矛盾が部分的に残っていたことは,そのような誘導が抑制されていたことを示唆している。S検事は,勾留請求時に警察官らに対し,取調べに際しては,秘密の暴露を得るよう,かつ,供述の誘導を避けるよう指示した旨を原審において証言しており,G4警察官らが主任検察官の指図に従おうとしてこのような取調べ方法を行ったものとすれば,この点が合理的に理解できる。しかるに,後にS検事自身が被告人を取り調べた際,その矛盾に気付いて被告人を質したものの,被告人は,回答に窮してしまい,結局,目撃についての記憶に自信がない,という形で帳尻を合わせる結末になったと考えれば辻褄が合う。

以上のとおり,この点の供述の変遷を捜査官によって誘導が行われた形跡とみる原判決の推論は採用できない。もっとも,このような変遷があったことは,被告人がはっきりと記憶している部分とそうでない部分を峻別して供述するというような真摯な供述態度をとっておらず,矛盾を含む供述をしていた蓋然性を示しており,その意味で自白の信用性を低下させる要因になることは避けられない。

③ 目を覚ました契機について

原判決は,被告人の当初の自白では,被害児の泣き声で目を覚ましたと述べていたのに,後に原付のエンジン音で目を覚ましたと供述を変更しているが,その変更理由が明らかでないとして,これを自白の信用性を害する事情に挙げる。

しかし,この点はさほど重要な変更とは考えられない部分であり,ことに当初の自白は,犯行の詳細について記憶を喚起する以前にその概要を説明したものであるから,その段階では,被害児の泣き声が気になって犯行に及んだという印象が強かったので,泣き声で目を覚ましたと供述したものの,その後,当時の状況について記憶を喚起して原付車の音で目を覚ましたことを思い出したということも考えられる。そうすると,この点をもって,不自然な供述の変遷とはいえず,この変遷を重視するのは相当ではない。

④ 被害児を本件ワゴンRから出してガードレールを超えさせる方法について

原判決は,上記の点と併せて,被害児をワゴンRから出す際の態様についても供述を変えたことを指摘し,これまた自白の信用性を低下させる事情に加えている。

そこで検討するに,被告人は,平成15年4月14日段階では「左肩に被害児の頭が来るように抱きかかえて車から降ろし,ガードレールに立たせた。」(原審甲89の写真<21>)と説明し,翌15日の検察官の取調べにおいては,「Aくんの身体の前からその両脇の下に両手を入れて,Aくんを抱え上げ,そのまま自分の身体を左方向に回しながら,Aくんの身体をガードレールの上を越えさせ・・・Aくんを地面に立たせるとゆっくりとAくんの身体を手で回し,Aくんを海の方に向かせました。」(原審乙36)としていたが,同月28日の検察官の取調べでは「Aちゃんの背中側から,両脇の下に自分の両手を入れて抱き上げ,そのままAちゃんの身体を,ガードレールの上を越えさせ・・・・Aちゃんはそこに立ったときから海の方を向いていた。」(原審乙21)という説明に落ち着いている。

このような変遷が生じた理由について,被告人の同日付検察官調書(原審乙21)では,当初は本件駐車場で略取するときの態様との混同があったために「抱きかかえた」という説明になり,その後,両脇に手を入れて抱き上げたことを思い出したものの,前方からか後方からかについて思い出せず,曖昧な記憶のまま「前方から」と説明したが,よく考え直すと被害児の向きを変えさせた記憶がないため「背中から」抱き上げたのであろう,との結論に落ち着いたと説明している。このような記憶喚起の過程を経て一定の結論に至ることは,犯行と供述との間に数か月の時差があることを考えれば自然であり,この点について変遷があるからといって自白の信用性を低下させる事情にはならない。

⑤ 本件駐車場に戻った理由について

次に,原判決は,被告人が犯行後に本件駐車場に戻った理由の説明について変遷があることを指摘し,その変遷は,取調べ警察官から被告人に働きかけがあったことを示す,という。

確かに,被告人の平成15年4月15日付検察官調書(原審乙36)では,「自首するつもりで本件駐車場に戻り,警察官が被害児の行方を聞いてきたら自分が殺したことを話すつもりで1時間くらいいたが,いたたまれなくなり車を移した。」と説明しているが,同月27日付警察官調書(原審乙10)では,「自首するためというのは嘘で,警察が来ているか様子を見に行こうと考えて,本件駐車場に戻った。」と供述が変更されているのは,原判決指摘のとおりである。

犯行の直後にこれを後悔し,自首を試みる犯人も稀とはいえ存在するから,自首をするために現場に戻ろうと考えたということ自体は不合理とまではいえないが,その後の被告人の行動は,自首を決意するほどの心境にふさわしいものとはいえず,「自首するつもりで本件駐車場に戻った。」との供述はいかにも不自然で,自己保身のための弁解めいた印象は拭えない。

これに対して,「警察が来ているかどうかを見るために戻った。」という供述については,重大事件を起こした犯人であれば犯行現場の様子や捜査機関の動きを知りたいと考えるのが当然であるし,事後の行動とも矛盾はなく,自然な理由付けになっている。なお,原判決は,被告人が犯行後も車内で横になって30分ないし1時間にわたって留まっていたことについて,「何故このような行動をしたのかについては改めて疑問になる。」と指摘し,不合理であるとするかのような口吻を示しているが,警察の動きを確認するために現場に戻ってきた犯人が,パトカーを見てすぐにその場から引き揚げたのでは,かえって捜査機関の注意を引くことになってしまうのであり,駐車場の車内で寝たふりをしながらほとぼりがさめるのを待ち,しかる後に立ち去るというのは誠に合理的な行為で,原判決が述べるような疑問を差し挟む余地はない。

以上のとおり,被告人のこの場面についての供述は,当初の不自然な弁解がより自然で合理的な説明に訂正される形で変更されており,同月27日付警察官調書(原審乙10)によれば,捜査官から「その説明はおかしくないか,自首するんだったらどうして警察に来ないのか,bに戻るまでに近くに交番もあった筈だよ,時間もあった,bに警察が居ると最初から判っていたのかい。」などと追及されて供述を改めたことがうかがえる。これは一種の働きかけ,追及ではあるが,供述者がいかにも不自然な供述をしている場合,その不自然さを指摘して理詰めで追及すること自体は,取調べの手法として違法,不当といわれる筋合いのものではないし,追及によって供述がより合理的なものに変更されたからといって,そのことだけで供述の信用性が低下する事情になるものでもない。そして,本件では,この点に関して,上述した追及以外の不当な取調べの結果によって供述が変更されたと認めるべき事情もない以上,取調べにおいて,警察官から働きかけがあったというだけで,それが最終的な自白の信用性を害する事情になるとは考えられない。

なお,被告人の捜査段階の自白でこのように不合理な弁解から合理的な説明へと供述が変更されている部分は他には見当たらず,この点に関して警察官らが被告人を追及していたことをもってして,その余の点でも同様の取調べが実施されたことを推認させる事情にはなるとは考えられない。むしろ,本件の捜査全体を通覧すれば,誘導的な取調べは抑制的であったと考えられるのは前記認定のとおりである。

(c) まとめ

ここで,被告人の自白における供述の変遷について全体的な考察を加える。

まず,自白中の殺害方法についての供述内容には,原判決が指摘したような変遷は認め難い。確かに,被害児を投棄した方法の説明では,「突く」,「押す」,「投げる」などの異なるニュアンスを持つ文言が用いられていることはうかがえるが,一定の時期を境としてある説明が別の説明に取って代わったということはなく,上記の各文言が時期を問わず入り乱れて使用されていると考える方が適切である。「どんと押して海に突き落とした。」(原審乙31)という当初の表現と「被害児の身体を両脇の下で支える形で,両手で抱き上げ,一気に曲げていた両肘をまっすぐ前方に伸ばして投げた。」(原審乙23)という最終的な表現を比較すると相違があるようにみえなくもないが,これは当初の説明が言葉足らずで,これを被告人に詳しく説明させてゆき,再現見分を経て,より正確な表現をしようと追求を重ねた結果とみるのが相当で,実質的な変遷はないと考えられる。

次に,自白の細部をみると,実質的な変遷があると認められる部分が数か所にわたって認められる。このうち,身上経歴に関する部分,被害児を本件ワゴンRから出してガードレールを超えさせる方法についての部分,犯行後に本件駐車場に戻った理由に関する部分の変遷は,一応の合理的な説明がつくと考えられ,自白の信用性をさほどに低下させる事情には当たらない。

これに対して,本件駐車場で目撃した女性や車について供述が変遷している点は,被告人の供述態度の問題が背後にある可能性が認められ,その意味で信用性を低下させる事情には当たるが,原判決がいうように,取調べ警察官による誘導を示唆するとみるのは相当ではない。

(6)  体験供述性としての合理性

次に,被告人の自白の内容が,被告人が実際に体験したことを供述したと考えるにふさわしい程度に自然で合理的なものであるかについて検討を加える。

(a) 被告人の自白内容の全体を通覧すると,一定以上の具体性が備わっており,話の流れも一応は筋が通っている。本件の背景となった被告人自身の性格の分析や性格形成に至る身上経歴に関する供述には,相当の迫力があり,体験した者でなければ語り得ない生々しさが感じられる。

しかし,被告人の自白を全体として眺めると,その構成において何かしら不自然な印象を受ける部分のあることは否めない。

例えば,犯行当日の行動について,被告人の平成15年4月23日付警察官調書(原審乙7)では,朝,目覚めてからの行動に関し,朝食の内容,その費用,自宅に帰ってからの行動,子らに作ってやった昼食の内容,子らと公園に出掛ける途中にジュースを買ったこと,公園で利用した遊具の種類等にわたるまで事細かに説明されており,供述から8か月以上も前の特定日の日常生活についてこれだけ記憶できたとはにわかに信じ難いほど詳細というほかない。同様に,犯行後の行動に関する同月27日付警察官調書(原審乙10)でも,翌日に家族で遊園地に遊びに出掛けた際の費用の工面,昼食場所,歯が痛くなって薬をもらったことなどが数日前の出来事であるかのように語られている。

これに対して,同月24日付警察官調書(原審乙8)では,主として被害児の略取の状況が供述されているが,被害児が乗っていたサファリについては,「白色の大きなワゴン車」,「アメリカ製の車」,「左ハンドル」,「年式が古い」,「後ろの横長窓に黒いフィルム」,「ダッシュボードの上に人か動物か判りませんが手の平位の大きさの人形」という表現がなされている程度で,一定の具体性はあるがそれほど詳細なものとはいえない。これに対して,通りがかりのMの警察官調書(原審甲36)では,サファリに関し,「アストロという車種の外車,左ハンドル,ダッシュボードの中央の所にピカチューのぬいぐるみが乗っている」,「エンジンがかかっていた」などと,甲の警察官調書(原審甲38)でも,「白色の大きなワンボックスタイプの車が『ボロッ,ボロッ』といかにも排気量の大きさを物語るかの様に低い音をたてて,エンジンをかけたままの状態で止まっていた」,「左側の窓にはスモークが貼ってあり」,「左ハンドルの外車」,「よくやんちゃそうな若い子が車内を飾り付けるために置いているハイビスカスの花がダッシュボードの上にある」などと説明されており,このような行きずりの目撃者らの供述に比較すると本件の犯人に擬せられている被告人のサファリの描写の方がいかにも貧弱である。

次に,被害児の服装の描写についてみると,被告人の警察官調書(原審乙8)では,「紺色のはんぺんの上着とズボン」,「黒っぽいサンダル」「はんぺんは何かの柄が入っていた」,「手触りで綿のような生地と判り,はんぺんの前の方は紐で結んでありました」という程度の説明に留まっており,これもまた一定の具体性はあるが,詳細とはいえない。

無論,被告人が自白を始めた時点で,既に事件当時から8か月以上も経過していたのであるから,徐々に記憶が薄らいでいくのはやむを得ないところであり,Mや甲らが事件の直後から頻繁に事情聴取を受けて鮮明な印象を保持していたのに対し,被告人の記憶が減退していたからといってそのこと自体は特に不自然ではない。被害児やサファリについての被告人の供述内容は,概括的とはいえ,全く曖昧というほどでもなく,時間の経過を考えれば,この程度の説明になるのは,合理的ともいえる。しかし,そうであるならば,直接に事件とは関係ないと思われる前日や後日の行動についての記憶は,もっと曖昧になっているはずで,せいぜい部分的なエピソードについてのうっすらとした記憶が残っている程度が普通であるのに,上記のとおり,被告人の供述調書では,訪れた公園や遊園地の名のみならず,利用した遊具や前後の食事内容まで詳細な供述がなされており,要するに供述内容の粗密が逆転していて,その点がいかにもちぐはぐなのである。もとより,人の記憶が時間と共に減退していく際,一様に薄れるものではなく,速やかに失われていく部分と長く鮮明な記憶が留まる部分とがあるから,供述に粗密のばらつきが生じること自体は不合理とはいえない。しかし,通常人においては,大それた犯罪などのような特異な経験をした場合,それにまつわる事情については鮮明な記憶を保ち易いものの,そうではない日常生活に関する記憶は早く失われるものであって,犯行に関する記憶が上記の程度のものならば,8か月以上も前の食事内容などは記憶している方が不思議である。このようにみると,被告人の自白の内容のうち,犯行にかかわりのない部分の詳細さは,不自然というほかない。

このような不自然さが生じた原因について考察するに,G4警察官の原審供述,被告人の平成15年4月29日付警察官調書(原審乙13)等に照らすと,取調べの主任であったG4警察官は,事実関係について繰り返し細かく聴取し,被告人が「忘れた。」と答えてもなおも記憶喚起を求め続け,被告人は,このようなG4警察官の取調べ方法について相当な不満を持ち,同房者にも愚痴をこぼしていたが,同月27日ころになると,「G4さんはきらいだ。」と直言するまでになっていたことが認められ,ここからうかがわれるような細部にこだわった取調べの結果,細部が不自然に詳細な供述調書が作成されていったものと考えられる。これらの内容のうちの一部(たとえば,犯行当日の昼間にサービスエリアで痛み止めの薬をもらったこと等)については裏付けが存し,被告人としてもなるだけ正確な記憶を喚起することに努めていたとはいえようが,それも限度があるはずである。そうすると,こうした細部のうちの裏付けがない部分については喚起された記憶に基づく供述であるのか,不確かな記憶をいかにも正確な記憶であるかのように供述したものであるのか,あるいは,全く記憶に基づくことなく適当にねつ造された供述であるかについて確かめようがない。このような細部について,被告人があえて虚偽を供述しても,責任の軽減等には結びつかないから,本来は虚偽供述をする実益は乏しいが,G4警察官が被告人をうんざりさせるほど細かい質問をしていたことに照らすと,適当に供述をして取調べを早く切り上げようと被告人が考えたとしても不合理とはいえず,被告人に虚言を弄する傾向があったことも加味すると,自白の細部のうち,不自然に詳細な部分については,不確かな記憶に基づく供述や,全くの虚偽供述が含まれている蓋然性があるといわねばならない。

(b) 動機の合理性

以上は,供述の細部についての検討であるが,次に,犯行動機の自白が合理的といえるかを検討する。

被告人の自白によるところの略取及び殺人の動機や経緯を要約すると,本件駐車場で寝ていた際,被害児の泣き声で睡眠を妨げられてイライラし,怒りから被害児をよそに連れて行って置いてこようと決意し,サファリから連れ出して本件ワゴンRに乗せて発進したものの,車内で被害児がぐずって泣き出したために焦り始め,さらに目指していた公園に他に駐車車両があったことから,被害児を同所に置き去りにすると自己の犯行であることが露見しかねないと考え,いっそのこと被害児を海に投棄して殺害しようと考えるに至ったというものである。

このような動機の説明に関し,原判決は,被告人が子供の泣き声が気になってイライラしたということ自体は特段不合理とはいえないとしながらも,サファリの車内の被害児の泣き声が被告人の睡眠を妨げるほどの音源であったかは疑問の余地が残るとし,さらに,子供の泣き声程度のことであれば,本件ワゴンRの窓を閉めたり,駐車位置を変えることで対処ができたはずであるから,略取という重大犯罪の動機としては余りに短絡的である,という。また,殺人の動機については,予定していた公園以外にも被害児を置き去りにすることができる人気のない場所は周囲にいくらでもあったのに,直ちに殺害を決意した点には不自然さがある,ともいう。

これら原判決の呈する疑問点は,一応傾聴に値するもので,被告人が自白中で説明する略取及び殺人の各動機は,短絡的過ぎて非常識なものである。ただ,被告人の警察官調書(原審乙6ないし乙9等)や検察官調書(原審乙18ないし20)では,被告人の生育歴,前科,家庭生活などと絡め,普段から抑圧されているので,代償として弱い者に対して攻撃的になりやすいこと,一旦,パニックになると適切な行動がとれないことがあること,近年は妻や義母との関係がうまくいっておらず,わずかな小遣い以外は全部の収入を取り上げられる一方,自宅で寝泊まりすることを拒絶されて,車中で夜間を過ごすといった不自然な生活を強いられて不満が高まっていたこと,当日は,妻から一方的に怒鳴られてイライラしていたこと,そこに被害児の泣き声が重なって激高したこと,カッとなって被害児を連れ去ってみたものの,泣き出されてパニックになってしまったこと,そこで海中に投棄することが頭に浮かび,実行してしまったこと,などが述べられており,これらの付加的な情報も併せて動機を考えれば,一応,筋の通った説明になっている。また,被告人と妻や義母との関係が悪化しており,被告人が誠に理不尽な扱いを妻から受けていたことについては,複数の裏付けがある。

他方,f警察署で被告人と同房になったTは,被告人が略取の動機は身代金目的であったが,車内で被害児が騒ぎ出したので殺害した,と述べていたことや,「(被害児の)親が悪い」としょっちゅう述べていたことを供述しており(原審甲107),これによれば,被告人は,Tに対しては,各犯行の動機や経緯,あるいは被害児の親に対する感情等について,捜査官に対する自白内容といささか異なる説明をしていたことが認められる。被告人が被害児の家族の連絡先を知っていた証跡が見当たらないことや,被告人に頻繁に嘘をつく傾向があったことに照らすと,身代金目的で略取したとの告白が真実である蓋然性は低い。しかし,一般に,捜査官に対してはなかなか本心を見せようとしない被疑者も,同房者にはうっかりと本音を漏らしてしまうことが往々にして認められ,本件でもそのような観点からすると,被告人がTに語った内容の方が真実である可能性を否定し去ることはできない。特に,被告人が被害児の親を非難していたとの点については,被告人の目には,被害児の父が我が子をも顧みずにゲームセンターに入り浸るようないい加減な親にみえたであろうし,自らの生活(妻と不仲で軽自動車内で寝泊まりしている)に引き比べて高級そうな外車を乗り回している被害児の父にやっかみを感じたことも十分にあり得るところで,その点についてのTの供述の信用性はそれ相当にあるというべきである。そうすると,そういった被告人の被害児の父への反感が本件各犯行の動機の一端となっている(例えば,当初は被害児の父を困らせるつもりで被害児を連れ出した等)可能性が相当にあると思われる。しかし,捜査段階の自白では,そのような動機の説明は無論のこと,被害児の親への反感めいたことは一切述べられておらず,真の感情を吐露していないとの印象は免れない。

以上にみたところにかんがみると,被告人の捜査段階の自白中の各犯行の動機に関する部分は,重大犯罪の動機としては短絡的過ぎて非常識なもので,経緯に関する部分をも併せると一応あり得ないことではないとはいえ,被告人が捜査官に対する時と同房者に対する時とでは,動機等について異なる説明をしていたことを併せると,捜査段階の動機の自白が真に被告人の心中を表しているのか疑問の余地が残り,被告人が何らかの思惑で動機の全部または一部を隠し,あるいはねつ造した虚偽の動機を混ぜて,恣意的な説明をしている疑いを捨て切れない。

一般に自白において犯行の動機に関する供述部分は,根幹部分の一部をなすというべきで,被告人の自白の動機に関する部分の説得力や真摯さには疑問が残る以上,それが自白全体の信用性を低下させる事情になることは否めない。

もっとも,これが自白の信用性を全く失わせるものであるかどうかについては更なる検討が必要である。そもそも,本件の略取,殺人については,事件が発生した直後から「犯人の動機が分からない事件」として報道されており(原審弁32,35,36等),確かに一件記録を通覧しても,被告人の自白以外の資料で,犯人の動機を推測させるに足るものはないといってよい。事件の態様や結果からすれば,被害児の親に対する何らかの反感,憎しみあるいは怨恨が最も疑われるとはいえ,被害児の父母には子を連れ去られて殺害されるほどの激しい恨みを買う覚えはない(原審甲25,26,30)ことがうかがわれ,被告人の自白がない以上,他には通常人が納得できるような動機を示すよすがはない。そうすると,本件が全くの理不尽な行きずりの犯行で,犯人の動機が唖然とするような類のものであったとしても,それはこの事件の性質からみるとあり得ないことともいえない。

また,真実の犯人が責任軽減のため,真の動機を隠し,より社会に受け入れられやすい動機を説明することは往々にして認められ,動機の説明が嘘であるとしても,それが犯人性に関する自白の信用性には影響しないという事例は枚挙に暇がない。

そうすると,自白中の動機に十分な説得力がなく,被告人が動機に関して一定の思惑から恣意的な供述をしている可能性があるという点は,それだけで自白の信用性を全面的に失わせるに足る決定的な事情になるとはいい難く,この点は,あくまで自白の信用性を判断するに当たっての一つの考慮要素に留まると考えるべきである。

(c) 犯行態様,事後の行動等の合理性

次に,原判決が自白の合理性について疑問を指摘したその余の点について検討を進める。原判決は,次のような各点について被告人の自白には不自然さがある,という。

(イ) 被告人の自白では,サファリに近づくと,車内にいた被害児が窓に寄ってきて身を乗り出してきたので抱き上げた,というが,泣き出すと父母があやしても泣きやまないという被害児が見も知らない被告人に身を乗り出すようにし,抱かれても泣かないというのは不自然である。

(ロ) 本件ワゴンRのすぐ横には,C及びDが乗車した自動車があったはずであるのに,被告人がこれに気付かなかったのは不自然である。

(ハ) 被告人の自白では,被害児を海中に投げ込んだ後,その頭部が水面に浮かび上がったのが見えたと供述しているが,原審裁判所の検証結果によれば,投げ込んだとされる岸壁の海上は夜間には大変暗い状態にあることが認められ,被害児の頭部が岸壁から視認し得たというのは疑問がある。

(ニ) 被告人は,犯行の当日,再び本件駐車場に車を停めて寝泊まりしたと供述しているが,このような行動は犯人のものとしては不自然である。

(ホ) 被告人は,原審公判では右利きであると述べ,原審証人の被告人の実父もそのように供述しているにもかかわらず,警察官調書では左利きであるとの記載がある。

このうち,(イ),(ロ),(ハ)に関しては,原判決がいうほど不自然とも考えられない。(イ)の点は,被害児は平成14年7月28日午前零時ころにサファリの中で泣いているのが目撃されており,その後も親を求めて激しく泣き続けていたであろうことを考えると,被告人が略取したとされる同日午前1時20分ころには精神的にも肉体的にも疲労困憊していて,見知らぬ被告人にすがりついていったとしても別段の不思議はない。被告人の自白では,被害児の顔には涙の跡があり,泣き疲れた様子で,自動車に乗せてからもうつらうつらしていたというのであるが,被害児が1時間以上も泣いていたとすれば,泣き疲れていたというのは全く合理的であり,これが普段は被害児がなかなか泣きやまない性質であったことと矛盾するとは考えられない。

(ロ)の点は,D及びCの警察官調書(原審甲51,52)等によれば,本件ワゴンRにほど近くと考えられる場所にCの車両が,その一台奥にDの車両が駐車して,D車の中に両名がいたというのであるが,両名が車内灯を消していたとすれば,一瞥しただけでは車内の人の有無は分からなかったとしても不自然ではなく,被告人が見落としたものと説明することができる。(ハ)については,公知の事実として,人がしばらく暗い場所にいると視覚の暗順応が生じ,わずかな光源でもある程度の視認は可能になることが認められるところ,夜間に北側岸壁が暗い場所であったとしても,月光などの光源があれば被害児の頭が浮かぶ様子が見えることは十分に考えられる。また,実際に被害児の頭を見ることはなかったとしても,罪もない幼児を殺害した直後の異常な精神状態の下では,波の上に被害児の頭が現れた光景が目に浮かんだとしてもおかしくはなく,少なくとも被告人の目にはそのように映り,被告人がそれを「見た」と供述したということもあり得る事態である。そうすると,この点の供述が不合理,不自然であると決めつけることはできない。

以上の点に比べ,(ニ)の点については,確かに犯人の行動としては無神経に過ぎるきらいがあり,いささかの不審は残ることは否めない。もっとも,被告人の自白によれば,犯行後の日中は,子らを遊園地に連れて行くなどして過ごしたことで被害児を殺したことは余り思い出さずに済み,夕方になっていつものようにねぐらとしていた本件駐車場に赴いたものの,さすがに一人になると被害児のことが思い出され,寝付かれなくなったので,場所を移したというのであって,そのような周辺事情も併せると,全く不自然極まりないというほどでもない。また,先に述べたとおり,犯行前後の事情についての説明には不自然に詳細な部分があり,これは警察官からの質問に答えるのがわずらわしくなって適当に答えをねつ造した疑いも否定できず,供述のこの部分もそういった事情からねつ造された可能性もある。そうすると,そもそもこの部分に真実味があるか否かを追究することにそれほどの意味はない。

(ホ)の点については,当審における事実取調べの結果も併せると,被告人は,生来,右利きであったが,右手でガラスを割った際に右腕に大けがをし,その後は右手の握力が下がったため,左手の力の方が右に比べて強くなり,「左利き」と言いうる状況になったことが認められる。被告人自身は,当審での被告人質問では,右手の握力が下がったのは数年のことで,現時点では右手の力が戻って,右利きであると説明しているが,平成14年7月当時に左利きであったか右利きであったかについては検証の資料がなく,捜査段階の供述を事実に反すると断定することはできない。

以上からすると,原判決が自白の不自然な点と指摘する上記各点については,いずれも自白の信用性を弾劾する決め手になるとは考えられない。

(d) はんぺん

上記の各点に加え,原判決は,被告人の警察官調書中に,甚平又は半纏のことを,福井県の方言では「はんぺん」と言うとの説明があるのに対し,原審公判の被告人質問では,そのような言葉は知らない,と述べていることを挙げ,捜査段階の供述が被告人の知識に基づくものであれば生じ得ない食い違いである,として,これを自白の信用性を低下させる一事情としている。しかしながら,原判決のこの部分の説示は首肯しかねるものであって,「はんぺん」が福井方言であるか否かに関し,被告人の説明が捜査段階と公判で食い違ったとしても,格別これが信用性を低下させることとは思われない。むしろ,被告人の自白調書中において「はんぺん」という耳慣れない言葉が用いられている事実は,被告人が自発的にこのような説明をしたことの証左と捉えるべきであり,捜査官からの誘導によって自白供述が得られたとの弁護人の主張に矛盾する一事情となり,その意味で自白の信用性を強化するものである。

すなわち,平成15年4月13日付の「自分のやった事」と題する被告人の上申書(原審乙29)は,被害児を連れ出して公園に置き去りにした旨を上申するものであるが,この中には,「赤ちゃんの服そうははんぺん(こん色)を着ていました。」との記載があり,同日付の被告人作成の「私が連れ去った赤ちゃん」と題する図面(原審乙8の警察官調書の添付図面の一つ)にも,被害児の衣服についての説明として「こん色のはんぺん」と2箇所に記載されている。そして,被告人の警察官調書(原審乙8)や検察官調書(原審乙19)には,「はんぺん」とは「半纏」ないし「甚平」を意味する言葉として被告人が使用していた用語であるとの説明がなされている。これらによれば,被告人が任意で取り調べを受けていた当初から「被害児は『はんぺん』を着ていた。」旨を警察官らに説明しており,警察官らは,被告人が用いた言葉をそのまま供述調書に採用したと考えられる。

原審弁護人は,その弁論において,被告人が生まれ育った福井県地方には,「半纏」,「甚平」を「はんぺん」と呼び慣わす方言はなく,原審証人として出廷した被告人の父もそのような方言を聞いたことはないと供述しており,被告人は,警察官からの誘導でその意味も分からぬまま被害児の服装を「はんぺん」と表現したに過ぎないと主張する。しかし,警察官らが生活の本拠としている愛知県内にも「甚平」等を「はんぺん」と述べる方言はなく,弁護人がいうように警察官が被告人の供述を誘導したのであれば,正しく「甚平」と供述するようにし向けるのが普通で,わざわざ一般的ではない用語を使わせた上で,それが「半纏」,「甚平」と同義であるとの説明を加えるような迂遠な方法をとる意味はない。原審弁護人は,警察官が,当初,被告人に図面を作成させるとき,「はんてん」と記載するよう被告人を誘導したのに,被告人が誤って「て」の字の上に半濁点をつけて「はんて゜ん」と書いてしまったため,後の供述調書において,この点を取り繕おうとして,これを「はんぺん」と解した上で,それが福井県方言であるとの説明を追加した可能性がある,とも主張するが,被告人が「はんぺん」と記入したのは1箇所ではなく,上申書でも同様の記載をしていること等に照らすと,被告人が任意に「はんぺん」という語句を用いたことは明らかで,上記推論は採用できない。

そうすると,福井県地方に衣類を指す「はんぺん」という方言が存在しないとしても,被告人自身が「はんぺん」を「甚平」等を指す言葉として用いていたことに疑いはなく,警察官や検察官は,被告人が用いた言葉をそのまま訂正もせず調書に記載したというべきである。警察官調書中の「『はんぺん』が福井県方言である。」との説明が誤っているとしても,それは,警察官から「なぜ,甚平のことを『はんぺん』と言うのか。」との質問に対して,被告人が誤った説明をし,警察官がそれを鵜呑みにして記載したからと考えるのが合理的な解釈である。

以上によれば,少なくとも被害児の服装についての説明は,被告人が自発的にした供述内容がそのまま供述調書に採用されているものとみるべきであり,この事実は,被告人の自白が自発的なものであることを示唆する一事情となる。

(e) まとめ

以上によれば,被告人の供述全体を通じての印象としては具体性があり,部分的には生々しい印象を受ける部分もあるが,反面,供述の粗密のバランスが通常の記憶構造とは一致していない点において不自然である。ことに犯行とは直接の関係がないと考えられる細部が詳細に過ぎ,被告人が不確かな記憶しかないのにはっきりとした記憶があるかのように供述したり,全く記憶がない点を適当に事実をねつ造して供述した可能性がある。

また,被告人が自白した動機は,被告人の性格や当時の生活を併せ考慮するとあり得ないものではないものの,同房者に異なる説明をしていたことなどに照らすと,何らかの思惑からの恣意的な説明が混入している可能性が否定できない。

これらの点は,被告人の自白の信用性を低下させる事情になる。

しかし,これらの事情が,捜査官が被告人を誘導したことを示すとみるのは早計である。確かに,自白の変遷においてみたとおり,被告人があまりにも不自然な供述をしている場合に,取調べ警察官がその不自然さを問い質し,その結果,より合理的な供述が得られるに至ったという部分も認められるが,そのような部分は少なく,逆に,被告人が矛盾をはらむ供述をしていても,少なくとも警察官による取調べの段階では,これを訂正するような方向での誘導がなされず,矛盾が残されている場面も認められ,S検察官の捜査方針をも勘案すると,誘導を抑制する方向で取調べが実施されたものと認めるのが相当である。

その一方で,取調べ警察官が必要以上に細部を追及し,被告人に不可能な記憶喚起を求め続けたふしがうかがわれ,自白内容の粗密のバランスの悪さはその表れと思われる。しかし,その際,捜査官が被告人を誘導して記憶にないことを捜査官に都合良く供述させたとは認められない。例えば,被告人が「はんぺん」という耳慣れない言葉を用いても,捜査官は,それを甚平等と誘導して訂正させることはせず,被告人にその言葉の意味を語らせ,それを調書化しようと努力しており,捜査官らは被告人の供述の自発性を尊重しようと意を用いていたことがうかがえる。そうみると,被告人の自白の中には信用性の低い部分が含まれることは否めないにせよ,それは,誘導の結果ではなく,被告人が自発的にいい加減な供述をしたためとみる方が適切である。

そして,そもそも本件が理不尽な動機によってなされた行きずりの略取・殺人事案である可能性が高いことをも考えると,十分に納得できる動機の自白が得られなかったとしても,やむを得ない事態とも考えられるし,仮に,被告人が動機について虚偽の説明をしていたとしても,それも被告人の犯人性に関する自白の信用性を決定的に否定することになる事情にはならないと思われる。

(7)  被告人の自白についての小括

被告人の捜査段階の自白の信用性を吟味するに当たって,まず,目を惹くのは,それが被告人と捜査官との長い攻防の末に得られたというようなものではなく,殺人を含む重大事案の自白であるのに,身柄を拘束される以前の早い段階で被告人が任意に自白に転じ,捜査段階で接見に訪れた弁護士らに対しても一定の時期までは自白を維持しているという事実である。身柄拘束前に警察官らが被告人を警察署において予約をしたビジネスホテルに宿泊させ,夜間に被告人の動静を監視していた事情はうかがえるが,そのこと自体で逮捕前の任意の取調べが違法になるとは解されず,被告人を心理的に追い詰めて供述の任意性を失わしめる事情になったとも解されない。

被告人は,任意の取調べの段階で,まず,略取を認め,その翌日に殺人をも認めるという経緯をたどったのであるが,略取を認めるに至った経緯は,ポリグラフ検査を受け,さらにその直後の取調べで,G4警察官から弁解の嘘を喝破されたことであると考えられるが,こういった事情が自白の任意性を損なうとはいえない。そして,殺人をも自白した直接の契機は,同警察官から,被告人の倫理感に訴えかけるような問いかけがなされたことであり,ここにおいても被告人は任意に自白したものといえる。

次に,逮捕後の被告人の取調べ状況をみると,強制にわたるような取調べがなされた形跡がないことはもとより,被告人の供述を誘導することについても抑制的であったことがうかがえる。取調べ警察官が被告人の不合理な弁解を追及的に質問し,供述を変更させている部分もあるにはあるが,それが全体を通して認められるというわけではなく,警察官らが被告人に自発的な説明をさせることに意を用いていたことは,その言葉の用い方などにもみてとれる。取調べでは誘導を避けられたい,とのS検事の捜査方針は,まずまず守られていたと思われる。

一般に,自白の任意性と信用性との間には一定の相関関係があると考えられ,捜査の早い段階で任意の自白が得られた場合は,その供述者に精神異常や真の犯人を庇う動機があるなどの特殊な要因が見当たらない以上は,その自白には信用性を基礎づける事情があると認めるべきであって,被告人の捜査段階の自白にもこれが当てはまる。また,自白の内容について目を転じると,秘密の暴露があるというような信用性を強く裏付ける事情はないが,その中核部分において,客観的事実に齟齬するという部分もない。細部には供述の変遷が所々認められるものの,自白の根幹部分の信用性に影響をするような点ではなく,原判決が指摘するような殺人の態様についての変遷は認められない。その意味では,被告人の自白は,ある程度一貫したものと評価できる。

しかし,そういった事情から被告人の自白内容が全面的に信用できるかといえば,そのような見方を妨げる事情もまた認められるといわねばならない。

まず,被告人には,頻繁に嘘をつく傾向がうかがえる。そして,被告人が捜査段階の一時期,丙弁護士との接見をきっかけに否認に転じた事実は,被告人が自らの罪を心から悔い,これを清算するという決心が固まっておらず,何とかして責任を逃れたいという欲求が強かったことを示している。

次に,自白の内容には具体性があって,生々しい部分もあるとはいえ,供述の粗密のバランスが悪く,細部が詳細に過ぎる点や動機についての供述の信用性がやや低い点を考えると,体験性が豊かで迫真性があるとはいえない。

こういった自白の成立過程,否認供述との交錯,被告人の自白内容についての考察を併せると,被告人の自白は,いわゆる「半割れ」状態による自白,すなわち,一応は犯行を自白しながらも,全面的に真実を明らかにするには至らず,部分において虚偽を織り交ぜたり,真実を隠したりしている状態であった疑いが濃いと思われる。さらに,取調べ警察官において,必要以上に細部にわたる記憶喚起を求めたために,被告人において,記憶が不正確であったり,全く記憶がない部分も記憶があるかのように供述した可能性がある。そうすると,被告人の捜査段階の自白の内容すべてを真実として受け取ることはできないというべきである。

もっとも,そうであるとしても,被告人の自白が任意に自発的になされたもので,被告人に虚偽自白をするような要因がない以上,その根幹部分,すなわち,被告人が被害児を略取し,殺害した犯人であるということとその大まかな態様については,信用性があると考えるのが相当である。

これに対して,弁護人らは,被告人は,過去にいじめを受けた経験から,強制的・高圧的な追及への耐性が弱く,相手の言うままにそれを肯定し,あるいは,深い考えもなく場当たり的な嘘でその場を切り抜けようとする傾向があることからすれば,被告人が捜査官から言われるままに犯人でもないのに自白をし,それを重ねていったと考えるべきであって,被告人の捜査段階の自白を信用すべきではない,という。そして,被告人が色々な場面で虚言を弄してきたのは,上記のような傾向の表れである,ともいう。

しかし,弁護人らによる被告人の性格分析は,一面的なものの見方であって直ちに採用できない。被告人に虚言傾向があるといっても,被告人のついた嘘の内容からすると病的な虚言癖があるというわけではなく,虚言の根底には何らかの思惑が存すると思われ,少年期にいじめの対象となってきたことはそのとおりであるとしても,それが被告人の虚言を弄する傾向の原因になっているかは甚だ疑問である。仮に,弁護人らがいうように,被告人が捜査官の圧力に負けて虚偽の自白をし,そのことを丙弁護士との接見において初めて打ち明けたというのであれば,その際に被告人が同弁護士に虚偽の説明をしていたことの説明がつかない。また,この接見以降の被告人の捜査官及び弁護人に対する応対は,二枚舌といってもよいもので,これが被告人の虚言傾向を示すことはそのとおりとしても,丙弁護士に対してすら欺瞞的な言動をとっていたことは,「被告人の無罪意識」という弁護人の前提命題に矛盾する。これらの被告人の言動は,被告人が「半割れ」状態で,丙弁護士からの懇切丁寧な問いかけを受け,場当たり的に否認に転じ,その後は,捜査官が一部は自分の要望を取り入れてくれたことに気を良くして,再び自白に戻ったが,熱心に接見に訪れてくれる同弁護士に対しては,そのことを言い出せず,「犯人ではない」,「自白を強制されている」と言い続ける事態になったと解して初めて合理的な説明がつくところである。結局のところ,被告人の自白の信用性についての弁護人の所論は採用できない。

3  その他に被告人が各犯行の犯人であることを裏付けると思われる事情について

さて,ここで,本件駐車場における本件ワゴンRの目撃以外に,被告人が犯人であることについての積極的な情況証拠があるかどうかを検討する。

(1)  被告人の各犯行現場との関連性

被告人は,本件の各犯行の現場となった場所にそれぞれ密接なつながりを有していることが認められる。

すなわち,略取の現場となった本件駐車場は,当時,被告人がねぐらとしていた場所であり,しかも,被告人は,日頃から本件駐車場の西側部分が静かであるため,好んで利用していたことがうかがえる。

次に,殺人の現場はgの北側岸壁であるが,被告人は,平成11年にr町に転居するまで,gに近い豊橋市s町内のアパートに居住していた上,平成10年から平成11年ころまで,勤務先の指示でgにある倉庫に多数回にわたって砕石を運搬していた(原審甲76等)ことが認められ,この付近も被告人にとってなじみの深い場所であったといえる。

このように,被告人が各犯行の現場にそれぞれ浅からぬ関係を有していたことは,被告人の犯人性を裏付ける一つの事情になり得ると考えられる。

もっとも,略取の現場となった本件駐車場は,多数の人が集まる店舗の駐車場であり,殺人の現場である岸壁も,付近に倉庫や工場があるほか,釣りのポイントとしても人がよく訪れる場所であったことが認められ,一帯の住民の中には両方の場所を良く知っている者も複数いたと思われる。したがって,これをもって決定的な事情とみることはできないが,無視できない情況事実ということができる。

(2)  被告人の弁解の虚偽性

被告人が犯人性を否定する旨の弁解をしていることの意味については,被告人の自白の信用性との関連でも論じたが,これを自白とは独立した情況証拠としても考えられるかについて検討を加える。

(a) 当初の弁解

2項(1)の(d)及び(e)で述べたとおり,被告人は,平成14年8月3日に初めて聞き込みを受けた際,「当日は,j運輸の同僚であるO,P,Qと豊田の終夜ライブ(コンサート)に行く約束をしていて,待ち合わせのために午前2時50分ころ本件駐車場に到着し,午前3時30分ころには自車を同所に置いたまま,Oの車(キャラバン)でライブに行った。」などと説明をし,同年9月18日にG4警察官が電話をかけた際には,「以前の勤務先のm物流の同僚であったO,Q,Rと本件駐車場で待ち合わせをして,ライブに出掛けた。乗り合わせていった車はQのエルグランドである。Oはダイハツムーブ,Rはレガシーに乗っていた。」と,これとは異なる説明をしていたことが認められる。

これらが全くの虚偽であることは,被告人自身が原審及び当審で認めているところであり,この点について,検察官は,犯人でない者であれば,本件駐車場に出掛けた理由や時間について虚偽の説明をする必要はなく,この折りに虚偽の弁解をしたことは,被告人の有罪意識を裏付けるという。

確かに,それが最も素直な解釈であり,弁護人がいうように,被告人が深い考えもなく嘘をついたというように解するわけにはいかない。もっとも,このころ,被告人は妻と不仲で,夜間は車中泊をするという不自然な生活を送っていたところ,このような事情を他人に説明することを恥じ,あえて虚偽の説明をしたというような説明も可能であって,この時点で被告人が虚偽説明をしたことが,決定的に重要な事情であるとみることはできない。

(b) 弁護人への弁解

もっとも,被告人が勾留中に接見に訪れた丙弁護士に対しても,上記と同様の虚偽説明をしていたという事実については,妻との不仲を隠そうとしたというような理由付けはできない。

すなわち,この時点では,被告人は,略取及び殺人という重大事件の犯人として身柄を拘束されており,自白調書も数通にわたって作成されているのであり,このままであれば,相当に重い刑罰を受けることは必至という状況下におかれているのであって,今更,家庭の事情などを隠すべき場合とは思われない。実際,当審証人として出廷した丙弁護士は,接見中に被告人から妻との家庭生活について説明を受けていたことを供述している。被告人が無実の罪に問われている身であるならば,できる限りの真実を明らかにし,弁護人に無実を立証してくれるよう懇願するのが通常と思われる。しかるに,被告人は,丙弁護士に対して,捜査官からの事情聴取に対して当初に答えたのと同様の虚偽説明をしており,この言動は無実の者のそれとしては理解し難い。この点は,被告人の犯人性を裏付けるかなり強力な一事情になる。

(c) 公判での弁解

被告人は,起訴された当日の丙弁護士らの接見で,「犯行当日は,前夜から本件駐車場のe前に自動車を停めていてそこで一晩中寝ていた。」と弁解内容を変更し,原審公判及び当審公判でもこれを維持している。この弁解内容は,犯行当日になされたナンバーチェックの結果とだけ照らし合わせれば矛盾がないといえる。しかし,1項で認定したとおり,原審証人B,当審証人H,同Iらの供述とナンバーチェックの結果とを総合すると,平成14年7月27日午後10時30分ころから同月28日午前零時ころまでの間,被告人がこの当時乗り回していた本件ワゴンRが本件駐車場の西側部分に停められていたが,同日の午前3時10分ころにはこれが北側部分(e前)に移動されていたと認められるのであり,被告人の公判での弁解は,この間の駐車場所の移動の事実と合致しない。

そうすると,被告人の公判での弁解は,虚偽のものと認めるのが相当であり,公訴事実を否認する被告人が公判で虚偽の弁解をしているという事実は,被告人の犯人性を強く裏付ける事情になると考えられる。

また,被告人が,この点の弁解の内容を転々と変え,自白以外の弁解のすべてが虚偽であると考えられる事情もまた,被告人の否認供述が恣意的なものであることを示唆しており,それは,被告人の有罪意識,すなわち犯人性について積極事情となる。

(3)  犯行後の行動

次に,検察官は,被告人の犯行後の行動も被告人の有罪意識を示すものがあるというので,検討を加える。検察官は,被告人は,警察からの事情聴取を受けた後に,唐突に勤務先を辞めたり,本件ワゴンRを処分して,罪証隠滅工作をしたり,また,本件駐車場での寝泊まりをさしたる理由もなく止めたりしており,これらは,被告人の有罪意識を表すという。一般に,被告人の犯行後の不可解な言動などの精神的証跡は,独立した情況事実や自白の信用性を裏付ける事情となり得るものではあるが,それ自体は多様な解釈を許す場合が多く,慎重な検討を要するといわれる。

検察官が挙げる各事実は,この種の不可解な言動のうちに数えられるものであるところ,それぞれ次のとおり,謙抑的な評価を要請する事情のあることがうかがえる。

(a) 本件駐車場での寝泊まりを辞めたこと

検察官は,被告人は,平成14年5月ころから本件のころまで,毎日のように本件駐車場に本件ワゴンRを駐車して寝泊まりしていたのに,本件の後は間もなくして寝泊まりする場所を別の駐車場に変更しており,このことは被告人の有罪意識を示すという。

しかし,被告人が妻子のいる自宅ではなく本件ワゴンRで寝泊まりをするようになったのは,平成11年ころからのことで,本件駐車場を利用するようになるまで,複数箇所にわたってねぐらとする場所を変えていたことが認められるから,さしたる理由もなしに本件駐車場を利用しなくなったとしても,それは従前にも見られた事象ということができる。また,本件駐車場は,略取の犯行現場となっており,被告人も平成14年8月3日以降,本件に関連して事情聴取を受けるに至っていたのであるから,事件とは全く無関係の者の中でも,そのような重大犯罪の現場で寝泊まりすることに抵抗を覚える者は少なくなく,本件駐車場から被告人の足が遠のいたことを特に不自然と決めつけることはできない。

(b) 退職

被告人は,平成14年9月24日にj運輸を退職しているところ,検察官は,被告人にとって,同社は人当たりがよく,本来は辞める理由のない会社で,被告人がこの時期に退社したのは,警察からの事情聴取を受けて不安になり,会社や同僚に迷惑を掛けないために退職したと認めるのが相当であるという。確かに,被告人の警察官調書中(原審乙15等)にもそのような記載が存する。しかし,同調書中には,「タンクローリーの運転手の方が金になるという気持ちもあった。」等とも記載されており,このような双方の感情が併存していたというのは,いささか奇異にも思える。すなわち,以前の勤務先に迷惑を掛けないように退職する,というのは,刑事責任を引き受ける前提として身辺を整理するという心掛けであるが,その一方で,高収入を得るために新たな職を探すというのは,刑事責任を免れながら市井での生活を継続することを前提とした行動で,矛盾しているというべきである。結局,上記警察官調書には,このような矛盾した傾向を持つ感情が併存した理由について納得し得るような説明は加えられないままになっており,この供述内容の信用性をそれほど高いものとみることはできない。

他方,被告人は,当審での被告人質問においては,j運輸を退職した理由は,妻が勤務先に苦情の電話を頻繁にかけてきていて,そのことで事務員らからやゆされるのが辛くなったからである,と供述しているところ,被告人の妻が被告人の勤務先に苦情めいた電話を度々かけていたことは,被告人の捜査段階の警察官調書(原審乙4)にも記載されており,さらに,被告人の妻が無愛想で自己中心的かつ非常識な振舞の多いことは,被告人のみならず,原審証人である被告人の実父,当審証人の丙弁護士の供述にもかいま見ることができ,そうすると,そのような事情があったことはあながちには否定できない。

また,乙の警察官調書(原審甲79)等によれば,被告人が退職を申し出たのは,平成14年8月下旬であると認められるが,それより以前には,同月3日に当時の行動についてひととおりの事情聴取を受けただけであって,警察官らが被告人の行動を確認したり,何度も接触を図ってくるのは,同年9月14日以降のことであるから,被告人が退職を申し出た時点で捜査機関から嫌疑を掛けられているとの実感を有していたとは考えにくい。

確かに,j運輸は被告人としては長く勤めた勤務先ではあるものの,それでもせいぜい4年未満のことで,上司の乙から見た被告人は,出勤日数が少なく,勤務態度等は下のランクで,物損事故を起こしても反省も見せず,仕事の指示に対する反応も遅い,というような評価の低い運転手であり,被告人自身も,もともと仕事自体があまり好きでなく,j運輸でも適当な口実をもうけて土曜日の出勤を断っていたことなどを供述している(原審乙5等)から,お世辞にも勤務に精励していたとはいえない状況であったと考えられる。そして,これまで被告人が頻繁に転職を繰り返しており,次の勤務先の当てもないのに退職した経験も一再ならずあったことも併せると,転職癖があり,仕事にやる気のなかった被告人が急に退職したとしても,特に唐突で不自然ともいい難い。

これらからすると,被告人の退職については,本件とは無関係に,被告人の妻の言動や被告人自身の飽きっぽさからも説明できるところである。

(c) 本件ワゴンRの処分

検察官は,被告人が平成14年9月28日ころに本件ワゴンRを中古車業者に売却したのは,罪証隠滅工作に出たものと解される,という。

しかし,現に警察官らが業者から任意提出を受けて本件ワゴンRを検査していることからも明らかなように,本件ワゴンRの売却には,破壊・隠匿と同様の罪証隠滅工作としての有効性があるとは考えられない。検察官は,被告人が中古車業者に本件ワゴンRを渡す以前に丹念に清掃をしていたことをもって,被害児の痕跡を消そうとしたものである,というが,売却前に自動車をきれいに清掃すること自体は別に珍しくはなく,被告人が施した清掃は,せいぜい塵埃をきれいに取り除いたという程度のもので,内装材を全部取り替えるとか,薬品等を用いて化学的な処理をした等というほど徹底したものではなかったことに照らすと,検察官の見方はややうがち過ぎのきらいがある。

被告人の捜査段階の警察官調書(原審乙12)でも,本件ワゴンRを売却したのは,かねてオイル漏れをしていたところ,車検を受ける時期になったので,修理の見積もりを依頼すると,費用が嵩む旨の説明があったので,買い換えることにしたまでで,特に罪証隠滅の意図はなかったと述べられており,その内容は,一応,首肯できるところである。

(4)  ポリグラフ検査

検察官は,平成15年4月13日に実施されたポリグラフ検査結果は,被告人が本件の犯人であることを示していると主張するので,この点について検討を加える。

当審証人G7の供述,同人作成の鑑定書(当審検5)等によれば,平成15年4月13日,任意同行によって被告人がf警察署に到着した約1時間後である午前5時45分ころからG7技官の手によって被告人のポリグラフ検査が実施されたこと,被告人は,ポリグラフ検査の冒頭,同検査に同意する旨の承諾書を作成して提出しており,体調にも特に問題となる点はなかったこと,質問には探索質問法を用い,8つの質問表を用いて,いずれの質問表についてもそれぞれ数系列の記録を採取したこと,被告人はいずれの質問についても否定的な返答を行い,ときに特異な皮膚電気反応を示したが,その余の生理反応(呼吸波,脈波)には特異反応は認められなかったこと,上記8つの質問表のうち,本件駐車場を出た後行った場所について尋ねた第3質問表の「海のほうへ行ったのですか。」という質問,投棄方法についての第4質問表の「背中を押して突き落としたのですか。」という質問,投棄した場所についての第5質問表の「(写真の)Cの様な場所で海に捨てたのですか。」という質問,投棄した理由についての第6質問表の「ムカつくことをしたり言ったりしたので海に捨てたのですか。」という質問の4つにはやや特異反応が認められたこと,これに対して,本件駐車場に着いた時間についての第1質問表,拉致時の状況についての第2質問表,暴力行為の有無についての第7質問表,本件駐車場に戻ってきた理由についての第8質問表については,特異反応が認められなかったこと,G7技官は,検査結果を総合して,被告人には本件に関する事柄に関して心理的関与が認められ,陽性であると判定したことなどが認められる。

検察官は,被告人が,被害児が海から引き上げられた場所として新聞報道でも掲載された写真ではなく,後の自白で投棄場所とした場所周辺の写真を選んでいることや殺人の動機が後の被告人の自白と一致することを指摘し,この検査結果は,被告人が犯人であることをうかがわせる,という。

現在,我が国の警察実務で実施されているポリグラフ検査は,一般には緊張最高点質問法と称され,犯人でなければ知り得ないと考えられる情報がある場合,それを含んだ質問をし,その返答に際して心理的関与をうかがわせる反応を示すか否かによって,被験者の記憶の有無を確かめる技術であって,その検査結果は,検査者の技術経験,検査器具の性能に徴して信頼できるものである限り,一定の信用性を有すると考えられる。

本件では,検査を実施した技官は,もともと心理学の素養を有する上,ポリグラフ検査の実施法などについて実務を通じて精通しており,これまでにも多数回の実施経験を有すること,事前に被告人の承諾を得るなど所定の手続が履践されており,被告人の体調や使用した検査機器にも問題がなかったことなどがうかがわれ,そのような状況下で行われたポリグラフ検査において陽性判定が得られたことは,それなりに重視すべき事情といえる。

しかしながら,本件では,検査結果の信用性を阻害する事情もまた,認められる。すなわち,本件では,事前に捜査機関に判明しており,かつ,一般には知られていないが,犯人であれば確実に知っている情報が見当たらなかったため,犯行の態様や当時の状況を推測した上で質問をするという探索質問法がとられており,技官においても,いずれの回答が「正解」であるのかを知らず,手探り状態で質問を作成したというのであるが,一般に探索質問法では,質問の設定が難しく,適切な質問を設定しなければ適切な判定も得られ難いことがうかがわれるところ,本件で技官が作成した質問表が適切であったかどうかは,検証のしようがない。また,ポリグラフ検査に用いられた質問表の内容と後の被告人の自白内容とを照合した場合,暴力行為の有無について問うた第7質問表を除けば,残る質問表についてはいずれも特定の質問について特異反応が生じても良いように思われるが,実際には4つの質問表にしか反応が見られておらず,何に反応が生じる,生じないの分かれ目になったのかが,今ひとつ得心できない。さらに,上記のとおり,投棄した理由に関する第6質問表のうち,「ムカつくことをしたり言ったりしたので海に捨てたのですか。」という質問に被告人は特異反応を示したというのであるが,後の自白によれば,むしろ「泣いてうるさくなったので海に捨てたのですか」という質問に反応を示しても良さそうに思われる。

本件のポリグラフ検査結果については,上記のような疑問が残る。

4  被告人が各犯行の犯人であるとの認定を阻害すると主張される事情について

最後に,被告人の犯人性についての消極証拠の存否やその持っている意味についても検討しておく。

(1)  被告人が捜査線上に浮上した経緯

原審弁護人は,本件の捜査は,当初の警察の見込み違いもあって難航し,なかなか犯人が割り出せない状況が続いていたところ,被告人が聞き込みに対してうっかりと虚偽の説明をしてしまい,そのことを知った警察官らは,焦りから被告人を犯人と同定し,強引な捜査を行うことになってしまったと主張するので,そのような事情があるかを検討する。

被告人が,本件の犯人としての嫌疑を掛けられるに至った経緯は,2項(1)の(a)ないし(e)に記載したとおりであり,要するに,警察官らは,本件駐車場に当日駐車していた自動車の割り出し捜査を行う過程で,BやHの供述から,サファリの斜め前に小豆色のワゴンRが駐車していたとの聞き込みが得られ,これと一致する特徴を有する本件ワゴンRの持ち主であった被告人から事情聴取をしたところ,その供述内容が虚偽であったことが判明し,さらに事情聴取を試みても,これを避ける態度を見せたり,先の供述とは若干異なる説明をするなどの不審な態度を示したため,平成14年9月ころの段階で,被告人への嫌疑が浮上したというのであって,この間に無理のある憶測に基づく捜査が行われたとか,捜査機関に失策があってそれを挽回するために犯人検挙を焦っていたというような事情はうかがえない。

本件は,2歳にも満たない幼児が駐車場の車内から姿を消し,それほど時間をおくことなく,数キロメートル離れた海中に投棄されたという事案であり,この間の移動手段として自動車が用いられたであろうというのが常識的な推論で,当初から被害児の実父やその同行者に犯行の機会がないことは明らかになっており,被害児の両親には強く恨まれるような覚えがないというのであるから,被害児の失踪直前に本件駐車場に駐車していた車両の運転者等による行きずりの犯行である可能性が高いことは何人の目にも明らかである。そうすると,捜査機関が本件駐車場の駐車車両の割り出しに力を注いだのはもっともな捜査手法といえるし,警察官らが,赤いワゴンRがサファリのそばに駐車していた(なお,午前3時ころ以降のナンバーチェックの結果からは,本件駐車場の西側部分に赤いワゴンRの駐車事実がうかがえない。)との聞き込みに注目したのもうなずける。

被告人が,本格的に被疑者としての事情聴取を受けたのは,平成15年4月13日以降のことであるが,これは他事件の発生や担当検察官の異動予定などで着手が遅れたためであると認められ,強引な捜査によって被告人が犯人に同定された証左とみるべきではない。

(2)  動機について

捜査段階の動機に関する自白に全面的な信用性を認めることができないのは,前記認定のとおりで,自白以外に信用に足る犯行動機をうかがう資料がないため(被告人の同房者に対する動機の説明にも全面的な信用性はない。),結局,動機は明らかということにはならない。

略取や殺人は動機犯罪であるから,犯行動機がよく分からないという事情が犯人性の認定に消極方向に作用する事情であることは認めざるを得ない。しかし,本件は,その態様や被害児をとりまく環境から考えて,もともと理不尽な行きずりの犯罪である可能性が高いことや,犯行動機が明らかでなくなったのは,被告人の自白が「半割れ」状態で,動機の部分についての信用性が若干低いと判断されたためであることを考えれば,消極的に作用する程度は比較的小さいものと思われる。

また,被告人の自白にかかる動機の説明を全面的に信用することができないとしても,被告人が説明した背景事情,すなわち,被告人が妻と不仲で,異常な家庭生活を送っており,そのことを苦にしていたことや,被告人には抑圧の代償として弱者に対して攻撃的になる傾向があることなどは,その説明の合理性や迫真性に照らして信用に値すると考えられ,そうすると,被告人がストレスのはけ口として目に付いた被害児を標的にして犯行に及んだとしても不合理とはいえず,被告人には,およそこの種の犯行に及ぶ動機を持つ可能性が認められる。

これらによれば,犯行動機が明らかでないことをもって,被告人が犯人であるとの認定を決定的に妨げる事情とみることはできない。

(3)  本件ワゴンRから被害児に結びつく物が発見されていないこと

自白の内容と客観的事情との符合について検討したとおり,本件では,平成14年10月1日に本件ワゴンRに対する実況見分及び鑑識活動が行われたにもかかわらず,ここから被害児と結びつく資料が発見できなかった事情が認められる。

しかし,先に検討したとおり,この点が自白の信用性を阻害する事情になるとは考えられないことはもとより,もともと鑑識活動により被害児に結びつく資料が発見される可能性は極めて小さく,そのような結果は事前にある程度予想されたものであったことがうかがえる。

そうすると,本件ワゴンRから被害児と結びつく資料が見付からなかったからといって,これが被害児が本件ワゴンRに乗車しなかった事実を示唆すると考えるのは不当であって,この点を被告人の犯人性について消極事情に挙げるべきではない。

(4)  略取の犯行当時,本件駐車場にいた者らが本件ワゴンRや被告人の行動に気付いていないこと

次に,本件のうち略取の現場となった本件駐車場は,当時,深夜とはいえ,複数の者が行き来しており,駐車場内で一定時間過ごしていた者もいたのに,被告人が被害児を略取する場面,あるいは略取後に被告人が本件ワゴンRを運転して出ていく場面などを目撃した者がいないことがうかがえるので,この点が被告人の犯人性の認定を妨げるかを考える。

略取の犯行があったと考えられるのは,原判決もいうとおり,平成14年7月28日午前1時5分ころから同日午前1時15分ころまで,遅くとも同日午前1時21分ころまでの間とみるべきであるが,そのころ,サファリの斜め前方に駐車した車両の中にC及びDの両名がいたことが認められるから,この両名には犯人の犯行を目撃する可能性があったと考えられる。しかし,前述したとおり,両名は,被害児に気が付いていたとはいえ,それほど危険があるとは考えておらず,車内でのおしゃべりに興じたり,眠気を覚えたりしていたために犯行に気付かなかったもので,両名が被告人の略取状況を見ていなかったからといって,それと被告人の犯人性の有無とは別ものというべきである。

また,被告人が,一応,周りに人がいないかどうかを見回し,確かめてから略取に及んだであろうことを考えれば,他の目撃者が出てこなかったことも不自然な事情ではない。

よって,この点を消極事情に挙げるのも相当ではない。

5  結論

以上において検討した証拠によって認められる情況事実と被告人の捜査段階の自白とを総合し,今一度,本件公訴事実を認めることができるか否かを検討する。

Bの原審供述,H及びIの各当審供述の信用性は高く,これらや犯行当日に行われたナンバーチェックの結果によれば,平成14年7月27日午後10時30分ころには本件駐車場の西側部分に被告人が自家用車及び夜間のねぐらとして使用していた本件ワゴンRが駐車しており,翌日午前零時ころまではその場に停められていたにもかかわらず,午前3時10分ころには同じ駐車場の北側部分に駐車位置が変わっていたことが認められる。

この間の被告人の行動について,被告人の捜査段階の自白では,被害児を略取して北側岸壁において殺害し,また本件駐車場に戻ってきたとされる一方,被告人の原審公判及び当審公判での弁解によれば,同月27日午後9時以降,本件駐車場の北側部分に本件ワゴンRを停めたままであったとされるのであるが,後者の弁解は,Bらの原審供述等から認められる本件ワゴンRの駐車状況と矛盾するもので虚偽であると考えられる。

そこで,被告人の捜査段階の自白について検討するに,被告人の捜査段階の自白は任意になされたものであり,いわゆる「半割れ」状態の自白であって,細部及び動機の説明中には虚偽が含まれている蓋然性があるとはいえ,その根幹部分,すなわち,被告人の各犯行の犯人性や大まかな犯行の態様については,十分に信用できるものである。

他方,それ以外の情況事実について目を向けてみると,被告人が2つの犯行現場のいずれとも密接な関連性を有していることや,事件発生の直後から弁解を転々と変えており,そのいずれもが虚偽と目されることは被告人の犯人性を裏付ける事情になる。逆に,被告人の犯人性についての消極的な情況事実としては,動機の自白が全面的に信用できず,明らかといえない点を挙げ得るものの決定的な要素とはいえず,その他には被告人が犯人ではないことを指し示す事情は見当たらないといってよい。

これらを総合すると,被告人が本件各犯行の犯人である旨の捜査段階の自白は,その根幹部分において十分な信用性が認められるのみならず,かつ,この自白の真実性を担保するとともに,それ自体独立して被告人の犯人性を指し示す補強証拠もあり,他方,被告人が犯人であるとの認定に合理的な疑いを差し挟むべき事情はないのであって,被告人が各公訴事実の犯人であることの証明は十分である。

原判決は,前記のとおり,Bの原審供述には十分な信用性がないものとし,かつ,被告人の捜査段階の自白は,任意性は肯定できるとしても,その信用性については疑問が残るとして各公訴事実について無罪を宣告したのであるが,この事実認定は誤っており,これは判決に影響を及ぼすことが明らかといわねばならない。

6  控訴審における事実取調べの当否

最後に,弁護人は,答弁書において,当審において各種の事実取調べを行うことは,控訴審の事後審構造に反する疑いがあると指摘するので,当審の訴訟手続の適法性について付言しておく。

控訴審裁判所が事後審であることは,弁護人らが述べるとおりであるが,反面,刑事訴訟の第一の目的は実体的真実の発見にあるのであるから,控訴審裁判所としてもそのための義務を負っており,これらを比較考量して事実取調べの要否を判断した上で,刑訴法393条1項本文により,裁量の範囲内で事実取調べを行うことは許容されねばならない。

本件事案は,略取及び殺人という重大事案で,第1審以来,犯人性に関して当事者間に深刻な対立があるというのであるから,とりわけ実体的真実発見の要請が強かったと解される。そうすると,当審が,各種証人尋問を含む事実取調べを行ったことは裁量の範囲内にあると解すべきであり,訴訟手続に違法はない。

第3破棄自判

よって,刑訴法397条1項,382条により,原判決を破棄し,同法400条ただし書に従い,当審において更に次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は,

1  平成14年7月28日午前1時10分ころ,愛知県豊川市c町字tu番地のv所在のゲームセンター「bc店」駐車場西側部分において,同所に駐車中の普通乗用自動車(サファリ)内にいたA(平成12年9月21日生,当時1歳10か月)を抱きかかえ,被告人運転の普通乗用自動車(軽四,本件ワゴンR)内に移し置いた上,同県宝飯郡a町大字g字h号地ah区北側岸壁付近路上まで同車を運転して同児を連れ去り,もって未成年者である同児を略取した。

2  同日午前1時40分ころ,上記岸壁において,殺意をもって,上記Aを同岸壁北方の海中に投げ落とし,よって,そのころ,同所付近海中において,同児を溺水吸引による窒息により死亡させて殺害した。

(証拠の標目)

(法令の適用)

被告人の判示1の行為は,平成17年法律第66号附則第10条により同法による改正前の刑法224条に,判示2の行為は,行為時においては平成16年法律第156号による改正前の刑法199条(なお有期懲役刑の長期は改正前の同法12条1項に従う。)に,裁判時においては上記改正後の刑法199条(なお有期懲役刑の長期は改正後の同法12条1項に従う。)に該当するところ,これは犯罪後の法令によって刑の変更があったときに当たるから刑法6条,10条により軽い行為時法の刑によることとし,判示2の罪につき所定刑中有期懲役刑を選択し,以上は刑法45条前段の併合罪であるから,同法47条本文,10条により,重い判示2の罪の刑に同法47条ただし書の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で,被告人を懲役17年に処し,同法21条を適用して原審における未決勾留日数中800日をその刑に算入し,原審及び当審における訴訟費用は,刑訴法181条1項ただし書を適用して,被告人に負担させないこととする。

(量刑の事情)

本件は,被告人が,深夜,駐車場に駐車中の車内から幼児を略取し,その後,同児を海中に投棄して殺害したという略取及び殺人の事案である。

本件の犯行に至る経緯や動機については,被告人の自白の当該部分を全面的に信用することはできず,かつ,被告人が公判では否認しているため,明かということはできないのであるが,理由はどうあれ,抵抗する術を持たぬいたいけな幼児を連れ出して殺害することが理不尽で卑劣な犯罪であることに変わりはなく,酌むべき事情があるとは考え難い。

被害児は,被害に遭うその日まで周囲の愛情を受け,すくすくと成長する途上であったのに,突然にその命の芽を摘まれ,人生の結実を味わうことなく死を迎えたもので,その結果が大きいことはいうまでもない。被害児の両親は,行方不明となった被害児を必死で探し回った末,変わり果てた姿の同児との対面を余儀なくされた上,その後はなかなか進展しない捜査に心を痛め,被告人が検挙,起訴された後も迷走する公判に翻弄され続けてきたものであり,その悲しみや心労はいかばかりかと察せられる。

これに対して,被告人は,捜査段階では一旦自白しながら,公判に至るやこれを翻し,責任を免れようとしているのであり,被害児の遺族に対して弁償はおろか,謝罪すらしていない。また,このような態度は,被告人の反省心のなさや卑劣な考え方を示すものであるといわねばならない。

本件は,幼児を標的にした理不尽で卑劣な凶悪犯罪として広く社会にも報道され,地域住民の関心を集めた事案であり,このような社会的影響をも量刑においては考慮すべきである。

これらの事情からすると,本件の犯情は誠に悪く,被告人の責任は著しく重いというべきであり,これに対して,被告人のために酌むべき事情としては,被告人には服役に至った前科がないこと,職を転々と変えており,勤務態度が真面目であったともいい難いが,正業に就いていて,犯行以前には家族を有していたことなどが挙げられる程度であり,これらをしん酌したとしても主文程度の刑はやむを得ないところである。

よって,主文のとおり判決する。

(原審における求刑 懲役18年,当審弁護人 後藤昌弘(主任),堀龍之)

(裁判長裁判官 前原捷一郎 裁判官 坪井祐子 裁判官 山田耕司)

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