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名古屋高等裁判所 平成18年(ネ)1065号 判決 2008年4月17日

主文

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第1当事者の求めた裁判

1  控訴人

(1)  原判決を取り消す。

(2)  被控訴人は,イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法(以下「イラク特措法」という。)により,自衛隊をイラク及びその周辺地域並びに周辺海域に派遣してはならない。

(3)  被控訴人がイラク特措法により,自衛隊をイラク及びその周辺地域に派遣したことは,違憲であることを確認する。

(4)  被控訴人は,控訴人に対し,1万円を支払え。

(5)  訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人の負担とする。

2  被控訴人

主文と同旨

第2事案の概要

1  本件は,駐レバノン共和国(以下「レバノン」という。)特命全権大使であった控訴人が被控訴人に対し,被控訴人がイラク特措法に基づきイラク及びその周辺地域に自衛隊を派遣したこと(以下「本件派遣」という。また,以下,イラク及びその周辺地域のことを単に「イラク」ということがある。)は違憲であるとして,本件派遣の差止め(以下「本件差止請求」という。),本件派遣が憲法9条に反し違憲であることの確認(以下「本件違憲確認請求」という。)を求めるとともに,本件派遣によって平和的生存権ないしその一内容としての「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」等(以下,一括して「平和的生存権等」ということがある。)の侵害を受けたほか,特命全権大使の職について違法な退職強要等を受けたなどとして,国家賠償法1条1項に基づき,1万円の損害賠償の請求(以下「本件損害賠償請求」という。)をした事案である。

原判決は,本件差止請求及び本件違憲確認請求にかかる訴えは不適法であるとして訴えを却下し,本件損害賠償請求については請求を棄却したところ,控訴人が控訴した。

2  前提事実(公知の事実,当裁判所に顕著な事実等)

(1)  平成15年7月26日,第156回国会において,4年間の時限立法であるイラク特措法(平成15年法律第137号)が可決成立し,同年8月1日,公布,施行された。

(2)  内閣は,平成15年12月9日,同法に基づく人道復興支援活動又は安全確保支援活動(以下「対応措置」という。)に関する基本計画(以下単に「基本計画」ということがある。)を閣議決定した。

(3)  防衛庁長官(平成18年12月法律118号による改正以前。以下同様。)は,基本計画に従って,対応措置として実施される業務としての自衛隊による役務の提供について実施要項を定め,これについて内閣総理大臣の承認を得て,自衛隊に準備命令を発するとともに,航空自衛隊先遣隊に派遣命令を発して,これを同月26日からイラク,クウェート国(以下「クウェート」という。)へ派遣し,その後,陸上自衛隊に派遣命令を発して,これを平成16年1月16日からイラク南部ムサンナ県サマワに派遣するなど,自衛隊をイラクに派遣した。

(4)  陸上自衛隊は,平成18年7月17日,サマワから完全撤退した。しかし,航空自衛隊は,その後,クウェートからイラクの首都バグダッド等へ物資・人員の空輸活動を継続している(平成18年8月に基本計画の一部変更を閣議決定)。

(5)  平成19年6月20日,第166回国会において,イラクへの自衛隊派遣を2年間延長することを内容とする改正イラク特措法(平成19年法律第101号)が可決成立し,現在も航空自衛隊の空輸活動が行われている。

3  当事者の主張

別紙のとおり

第3当裁判所の判断

1  当裁判所も,控訴人の本件違憲確認請求及び本件差止請求にかかる訴えはいずれも不適法であるから却下すべきであり,控訴人の本件損害賠償請求は棄却すべきであると判断するが,その理由は以下のとおりである。

2  本件派遣の違憲性について

(1)  認定事実

公知の事実,当裁判所に顕著な事実に加え,証拠(各箇所に掲記のもの)及び弁論の全趣旨を総合すれば,以下の事実が認められる。

ア イラク攻撃及びイラク占領等の概要

(ア) 平成15年3月20日,イラクのサダム・フセイン政権(以下「フセイン政権」という。)が大量破壊兵器を保有しており,その無条件査察に応じないことなどを理由として,国際連合(以下「国連」という。)の決議のないまま,アメリカ合衆国(以下「アメリカ」という。)軍,英国(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)軍を中心とする有志連合軍がイラクへの攻撃を開始した(以下,これを「イラク攻撃」という。)。

これにより,間もなくフセイン政権が崩壊し,同年5月2日,アメリカのブッシュ大統領がイラクにおける主要な戦闘の終結を宣言した。

(イ) フセイン政権の崩壊後,アメリカ国防総省・復興人道支援室(Office of Reconstruction and Humanitarian Assistance。以下「ORHA」と略称する。)がイラクを統治し,平成15年5月,国連の安全保障理事会(以下「安保理」という。)決議1483号(加盟国にイラクでの人道,復旧・復興支援並びに安定及び安全の回復への貢献を要請するもの)が採択されたことを受け,アメリカを中心とする連合国暫定当局(Coalition Provisional Authority。以下「CPA」と略称する。)がORHAからイラクの統治を引き継いだ。

なお,イラク特措法は,この国連安保理決議1483号を踏まえ,イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動を行うものとして(同法1条),同年7月に制定されたものである。

(ウ) 平成16年6月1日,イラク暫定政府が発足し,同月9日,国連安保理において決議1546号が全会一致で採択され(イラク暫定政府設立の是認,占領の終了及びイラクの完全な主権の回復の歓迎,国連の役割の明確化,多国籍軍の任務の明確化等を内容とする。),同月28日には,CPAから主権移譲が行われた。これに伴い,多国籍軍が発足し,この多国籍軍に日本の自衛隊も参加することになった。

(エ) その後,平成17年1月30日,イラク暫定国民議会の議員を選出する選挙が実施され,同年4月28日,移行政府が発足した。同年8月28日,イラク国民議会でイラク新憲法草案が採択され,同年10月15日に同憲法草案の国民投票が実施され,同月25日までの開票の結果,これが承認された。同年12月15日,新憲法下でイラク国民議会の選挙が実施され,平成18年5月20日には,イラクにイスラム・シーア派(以下単に「シーア派」という。)のマリキ首相を首班とする正式政府が発足して,これによりイラクは主権を回復した。しかし,その後も,イラク政府の要請により,多国籍軍がイラクに駐留している。

(オ) もっとも,当初のイラク攻撃の大義名分とされたフセイン政権の大量破壊兵器は,現在に至るまで発見されておらず,むしろこれが存在しなかったものと国際的に理解されており,平成17年12月には,ブッシュ大統領自身も,大量破壊兵器疑惑に関する情報が誤っていたことを認めるに至っている。

(カ) イラク攻撃開始当初の有志連合軍及びCPAからの主権委譲後の多国籍軍に参加したのは,最大41か国であり,いわゆる大国のうち,フランス共和国,ロシア連邦,中華人民共和国,ドイツ連邦共和国等は加わっておらず,イラク攻撃への国際的な批判が高まる中,参加国も次々と撤収し,現在(当審における口頭弁論終結時)の参加国は,アメリカ,英国及び我が国を含めて21か国となっている。

イ イラク各地における多国籍軍の軍事行動

(ア) ファルージャ

イラク中部のファルージャでは,平成16年3月,アメリカ軍雇用の民間人4人が武装勢力に惨殺されたことから,同年4月5日,武装勢力掃討の名の下に,アメリカ軍による攻撃が開始され,同年6月以降は,間断なく空爆が行われるようになった。

同年11月8日からは,ファルージャにおいて,アメリカ軍兵士4000人以上が投入され,クラスター爆弾並びに国際的に使用が禁止されているナパーム弾,マスタードガス及び神経ガス等の化学兵器を使用して,大規模な掃討作戦が実施された。残虐兵器といわれる白リン弾が使用されたともいわれる。これにより,ファルージャ市民の多くは,市外へ避難することを余議なくされ,生活の基盤となるインフラ設備・住宅は破壊され,多くの民間人が死傷し,イラク暫定政府の発表によれば,死亡者数は少なく見積もって2080人であった。

(以上,甲B5の6,7の2,8の1ないし11,9の1ないし11,13の5・11,36,158)

(イ) 首都バグダッド

a 平成16年6月のイラク暫定政府発足後,首都バグダッドにおいて,政府高官を狙った自爆攻撃等が相次いで多数の者が死傷し,武装勢力による多国籍軍に対する攻撃も相次ぎ,同月27日及び同年7月末,いずれもバグダッド空港離陸直後にC130輸送機が銃撃を受け,アメリカ人とオーストラリア人の乗組員2人が死亡した。また,平成17年1月30日には,バグダッド近郊を低空で飛行していた英国軍のC130輸送機が,武装勢力(アンサール・イスラム=イスラムの支援者が実行の声明を発したが,実際はイスラム・スンニ派(以下単に「スンニ派」という。)の武装組織ともいわれる。)により撃墜され,乗員全員(少なくとも10人)が死亡する事件が生じた。さらに,バグダッドでは,多国籍軍と武装勢力との衝突が頻繁に生じていた。

このような事態を受けて,多国籍軍は,バグダッドにおいて,武装勢力に対する大規模な掃討作戦を展開するに至った。

b 平成17年5月29日,アメリカ軍約1万人,イラク軍約4万人を動員して大規模な掃討作戦が行われた。しかし,武装勢力を掃討することはできず,却ってバグダッドの治安が悪化した。そこで,多国籍軍は,バグダッド及びその周辺における掃討作戦を強化させ,平成18年8月からはアメリカ兵約1万5000人をバグダッドに集中させて,掃討作戦を行うなどした。

c 多国籍軍は,バグダッド市内において,宗派対立等による武装勢力同士の衝突が激しくなったことを受けて,平成18年末ころからこれらに対する掃討作戦を実施して,その回数を増やし,アメリカ軍もこのころイラク駐留軍を増派した。アメリカ軍は,平成19年1月22日,イラク治安部隊と共同で行った過去45日間の掃討作戦の結果を発表したが,この発表によれば,シーア派民兵に対して52回,スンニ派民兵に対して42回の掃討作戦を実施し,シーア派の強行派といわれるムクタダ・サドル師派(以下「サドル師派」という。)の民兵600人を拘束したものであった。同月24日には,バグダッド中心部のハイファ通りでスンニ派に対して猛攻撃を加え,同日だけで30人を殺害した。

d 同年2月14日,アメリカ軍は,イラク治安部隊とともに,合計9万人を投入して,イラク戦争開始以来最大規模の作戦といわれ「法の執行作戦」と名付けられた掃討作戦をバグダッドにおいて実施し,多数の一般市民が犠牲となった。

e アメリカ軍は,同年8月8日,バグダッドのシーア派居住区であるサドル・シティを空爆し,イランからの爆弾輸送に関与していた武装勢力30人を殺害したと発表したが,イラク警察は,女性や子どもを含む11人が死亡したと発表している。同年9月6日には,バグダッドのマンスール地区を空爆したが,その中でもサドル師派の民兵が活動し,シーア派住民が多いワシャシュ地域を攻撃し,少なくとも14人が死亡した。同年10月21日には,サドル・シティを攻撃し,市民13人が死亡した。

f このように,アメリカ軍を中心とする多国籍軍は,時にイラク軍等と連携しつつ掃討作戦を行い,特に平成19年に入ってから,バグダッド及びその周辺において,たびたび激しい空爆を行い,同年中にイラクで実施した空爆は,合計1447回に上り,これは前年の平成18年の約6倍の回数となるものであった。

g アメリカ軍は,平成20年1月8日から,イラク軍とともに,イラク全土で大規模な軍事作戦「ファントム・フェニックス」を開始し,同月10日からは,その一環として,バグダッド南郊において大規模な集中爆撃を行い,40箇所に爆弾を投下した。

(以上,甲B21の5,141の1・7・10,144,154の1の1,154の4・5)

(ウ) その他の地域

多国籍軍は,平成16年中に,イラク国内のマハムディヤ,マッサーラ,ラマディ,モスル等において,1000人規模の兵士を投入した掃討作戦を実施した。特に,モスルでは,同年11月14日から,大規模な掃討作戦を実施し,平成17年1月8日,アメリカ軍のF16戦闘機が500トンの爆弾を投下し,民家を爆撃して住民5人が死亡した。

多国籍軍は,平成17年には,カイム,ハディーサ,タルアファル等において,大規模な掃討作戦を実施し,同年9月10日のタルアファルでの攻撃にはアメリカ軍及びイラク治安部隊併せて約8500人が動員された。同年10月16日,スンニ派の地域といわれるラマディにおいて空爆を行い,武装勢力70人を殺害したと発表したが,実際は少なくとも39人が一般市民であったとも報じられている。

平成19年8月には,アメリカ軍がイラク中部のサマラにおいて,武装勢力からの攻撃を受けた後に民家をミサイルで爆撃し,女性2人,子ども5人が死亡した。

(以上,甲B21の5,22の1ないし3,35の1・3・5ないし9・14ないし16,38の1,141の9)

ウ 武装勢力について

(ア) ところで,多国籍軍による上記のような掃討作戦の対象となったことがあると認められる武装勢力には,思想や宗派を問わず様々なものがあるが,有力な武装勢力として,少なくとも次のものが認められ,互いに協力又は対立の関係に立ちつつ,時として海外の諸勢力から援助を受けつつ,その活動を行っているものと認められる。

a フセイン政権の残党

平成15年5月のブッシュ大統領による主要な戦闘終結宣言の後にも,イラク国内には,旧フセイン政権の軍人等からなる反政府武装勢力が残存しており,その実体は不明な点が多いが,海外に拠点を置きつつ,イラク国内においてゲリラ戦を行っているとみられる。平成16年4月及び同年11月になされたファルージャにおける掃討作戦では,実はこの反政府武装勢力が対象であったともいわれており,現在も,スンニ派の一部と連携し,バグダッド市内の一部を実質支配していると見られている。

b シーア派のサドル師派

フセイン政権崩壊後,シーア派強硬派のムクタダ・サドル師が率いる民兵組織「マフディー軍」が,各地で多国籍軍と武力衝突しており,特に,イラク中部のナジャフにおいて,平成16年8月,戦車やヘリコプターを用いた大規模な武力衝突が生じたとされている。サドル師派においては,社会福祉事業,交通警備等の公共事業の場で自発的に労働する150万人のイラク人を動員できるとの報告もあり,日本においても,同年4月の時点で,内閣法制局が,当時の福田内閣官房長官に対し,マフディー軍を「国に準じるもの」に該当する旨報告していた。

なお,シーア派には,フセイン政権時代から反フセイン・ゲリラ部隊を有しており,現在はマリキ政権を支える最大組織「イラク・イスラム革命最高評議会」があり,サドル師派との間で宗派内対立の状況にある。

c スンニ派武装組織

シーア派に対抗するスンニ派にも反米,反占領を掲げる武装組織があり,特に,その中のアンサール・アル・スンナ軍は,イラク西部のラマディやヒートを中心とするスンニ派住民の多いアンバル州一帯を拠点とし,アメリカ軍やイラク軍に兵器で敵対するほか,シーア派やクルド人を襲撃するなどの過激な武力闘争を展開している。平成17年5月に日本人を拘束したのも,アンサール・アル・スンナ軍であるといわれている。

(以上,甲B17の4の1・2,19の1・2,21の2・4)

(イ) 武装勢力の兵員数について

イラクにおいて反政府武装勢力とされる者らの人数は,平成15年11月に5000人,16年11月に2万人,17年11月に2万人,18年11月に2万5000人,シーア派民兵の数は,平成15年11月に5000人,16年11月に1万人,17年11月に2万人,18年11月に5万人といわれ,年々増加している。(甲B110)

(ウ) 武装勢力の用いたとされる強力兵器について

現地においては,次のような内容の報道がなされている(なお,以下の武器を使用したとされるのが,具体的にどの武装勢力であるかは,証拠上必ずしも明らかではない。)。

a ファルージャにおける平成16年11月の掃討作戦においては,武装勢力の側においても,多連型カチューシャ・ロケットの架台を積んだ車両を用い,ファルージャに近いカルマとサクラーウィーヤにおいて,グラーダやリーリク・ミサイル約160発をアメリカ軍の集結地に発射した。

b 平成16年11月21日午前8時15分ころ,バグダッドの北方のバラドにあり,アメリカ兵2500人が駐留するバクルアメリカ軍基地に,化学物質の弾頭を装備したロケット弾4発を打ち込まれ,アメリカ兵270人以上が死亡した。抵抗勢力は,過去にもハバーニーヤ,ハドバ,ラマディ,モスル,ドウェイリバの各アメリカ軍基地の攻撃に化学兵器を使用した。

c イスラム抵抗勢力の報道官は,平成16年12月15日,ファルージャにおいて敗走するアメリカ兵を,軽火器とBKS,クラシニコフ銃,RBG携行型ロケットを遣って追撃した,本日少なくとも500人のアメリカ兵を殺害し,100両以上の戦車と装甲車を破壊したと述べた。

(以上,甲B9の1・6・11)

エ 宗派対立による武力抗争

(ア) 平成18年2月,スンニ派のテロ組織がシーア派聖地サーマッラーのアスカリ廟を爆破し,シーア派・スンニ派の両派が抗議デモを起こしたが,聖廟破壊に怒ったシーア派武装勢力がスンニ派のモスクなどを襲撃して衝突し,200人以上が死亡する事件が起こった。

(イ) 平成18年11月ころには,首都バグダッドでシーア派とスンニ派との対立が激化し,街を二分して双方から迫撃砲が飛び交う状況となり,マフディ軍がスンニ派地区へ迫撃砲を同月初旬の1週間に47発撃ち込み,スンニ派武装勢力のイラク・イスラム軍が,シーア派地区に迫撃砲44発,ロシア製ミサイル4発を打ち込んだ。

また,同月から12月にかけて,バグダッドのシーア派地区で連続爆弾テロが発生し,マフディ軍が治安維持に乗り出してテロは収まったものの,アメリカ軍がマフディ軍をアルカイダ以上の脅威とみなして,本格的に掃討を進め,民兵600人と幹部16人を拘束した。そこで,平成19年1月になってマフディ軍が一時活動を停止したところ,その隙を狙ってスンニ派の武装勢力がシーア派地区で爆弾テロを繰り返し,同年2月3日,バグダッドの市場でテロが発生し,135人の死者が出た。

(ウ) フセイン政権下では,暴力的な宗派対立は殆どなかったが,フセイン政権の崩壊により重しが取れ,占領政策の稚拙さとも相俟って,上記のような武力抗争を伴う激しい宗派対立が生じるようになったものといわれており,多国籍軍はこれらに対応せざるを得ず,前記のとおり,特に平成19年になってから,バグダッド等の都市への掃討作戦が一層激しくなったものと理解される。

(以上,甲B104,111,123,156の1)

オ 多数の被害者

(ア) イラク人

世界保健機関(WHO)は,平成18年11月9日,イラク戦争開始以来,イラク国内において戦闘等によって死亡したイラク人の数が15万1000人に上ること,最大では22万3000人に及ぶ可能性もあることを発表し,イラク保健省も,このころ,アメリカ軍侵攻後のイラクの死者数が10万人から15万人に及ぶと発表した。なお,平成18年10月12日発行の英国の臨床医学誌ランセットは,横断的集落抽出調査の結果を基にして,イラク戦争開始後から平成18年6月までの間のイラクにおける死者が65万人を超える旨の考察を発表している。

平成19年の死亡者については,NGO「イラク・ボディ・カウント」が同年中の民間人犠牲者数は約2万4000人に上っていると発表した。イラク政府発表の死亡者数も,同年6月1241人,同年7月1652人,同年8月1771人であることからして,上記約2万4000人という死亡者数は信憑性が高いといわれている。

また,イラクの人口の約7分の1にあたる約400万人が家を追われ,シリアには150万人ないし200万人,ヨルダンには50万人ないし75万人が難民として流れ,イラク国内の避難民は200万人以上になるといわれている。

(甲B99の1・2,140の2・3,154の3,156の3)

(イ) アメリカ軍の兵員等

平成19年8月の時点で多国籍軍の兵士の死者数が4000人を超えたと報道され,アメリカ国防総省の発表によれば,イラク戦争開始以来現在までのアメリカ軍の死亡者は,約4000人であり,重傷者は1万3000人を超えている。特に,平成19年に死亡した米軍兵士は,同年11月の時点で852人に上り,それまで最も多かった平成16年の849人を超えて,過去最高となっている。

(甲B140の2,141の8,154の1の2)

カ 戦費・兵員数

イラク攻撃開始後,イラク駐留アメリカ軍の兵員数は概ね13万人から16万人の間で推移しており,アメリカのイラクにおける戦費は4400億ドルに達する見込みであり,イラク関連の歳出としてはベトナム戦争の戦費(貨幣価値換算で約5700億ドル)を上回ったともいわれている。

キ 航空自衛隊の空輸活動

(ア) 輸送機について

航空自衛隊は,イラクにおける輸送活動にC-130H輸送機3機を用いているが,これはアメリカ軍が開発したパラシュート部隊のための輸送機であり,その輸送能力については,完全武装の空挺隊員(パラシュート隊員)64人を輸送することが可能であり,物資については最大積載量が約20トンである。

(甲B10(平成17年3月14日参議院予算委員会におけるA政府参考人の答弁,同大野防衛庁長官の答弁),47)

(イ) フレアの装備と事前訓練

後記のとおり,現在,航空自衛隊のC-130H輸送機は,バグダッド空港への輸送活動を行っているが,飛行の際に地対空ミサイルを回避するための兵器であるフレア(火炎弾)を臨時装備しており(フレアは制式兵器ではない。),イラクへの出発前,硫黄島においてフレア訓練を実施しており,実際にバグダッド空港での離着陸時にフレアが自動発射されている。(甲B47,103,139の2,145,159)

(ウ) 空輸活動についての多国籍軍との連携

航空自衛隊は,C-130H輸送機3機の空輸活動にあたり,中東一帯の空輸調整を行うカタール国(以下「カタール」という。)のアメリカ中央軍司令部に空輸計画部を設置し,アメリカ軍や英国軍と機体のやりくりを調整して飛行計画を立て,クウェートのアリ・アルサレム空港(アメリカ空軍基地)を拠点とする上記3機に任務を指示している。(甲B143)

(エ) 平成18年7月ころ(陸上自衛隊のサマワ撤退時)までの空輸状況

航空自衛隊のC-130H輸送機は,平成16年3月2日から物資人員の輸送を行っているところ,クウェートのアリ・アルサレム空港からイラク南部のタリルまで,週に4回前後,物資のほかアメリカ軍を中心とする多国籍軍の兵員を輸送した。その数量は,平成17年3月14日までに,輸送回数129回,輸送物資の総量230トン,平成18年5月末までに,輸送回数322回で,輸送物資の総量449.2トン,同年8月4日までに,輸送回数352回,輸送物資の総量479.4トンとなる。したがって,輸送の対象のほとんどは,人道復興支援のための物資ではなく,多国籍軍の兵員であった。

(甲B10(平成17年3月14日参議院予算委員会における大野防衛庁長官の答弁),52の9,68(平成18年8月11日衆議院特別委員会におけるB政府参考人の答弁),100,115)

(オ) 平成18年7月から現在までの空輸状況

航空自衛隊のイラク派遣当初は,首都バグダッドは安全が確保されないとの理由で,バグダッドへは物資人員の輸送は行われなかったが,陸上自衛隊のサマワ撤退を機に,アメリカからの強い要請により,航空自衛隊がバグダッドへの空輸活動を行うことになり,平成18年7月31日,航空自衛隊のC-130H輸送機が,クウェートのアリ・アルサレム空港からバグダッド空港への輸送を開始した。以後,バグダッドへ2回,うち1回は更に北部のアルビルまで,タリルへは2回,それぞれ往復して輸送活動をするようになり,その後,週4回から5回,定期的にアリ・アルサレム空港からバグダッド空港への輸送を行っている。

平成18年7月から平成19年3月末までの輸送回数は150回,輸送物資の総量は46.5トンであり,そのうち国連関連の輸送支援として行ったのは,輸送回数が25回で,延べ706人の人員及び2.3トンの事務所維持関連用品等の物資を輸送しており(平成19年4月24日衆議院本会議における安倍首相の答弁),それ以外の大多数は,武装した多国籍軍(主にアメリカ軍)の兵員であると認められる。

(甲B37,52の9,68,100,121,132,139の1・5)

(カ) 政府の情報不開示と政府答弁

a 政府は,国会において,航空自衛隊の輸送内容について,多国籍軍や国連からの要請により,これを明らかにすることができないとしており(平成19年5月11日,同月14の衆議院イラク特別委員会における久間防衛大臣の答弁),行政機関の保有する情報の公開に関する法律により国民からなされた行政文書開示請求に対しても,顕微鏡・心電図・保育器などの医療機器を空輸した1件(甲B18の2,1枚目)以外は,全て黒塗りの文書を開示するのみで,航空自衛隊の輸送内容を明らかにしない。(甲B18の2,34,101,113)

b 他方で,久間防衛大臣は,国会において,「実は結構危険で工夫して飛んでいる」(平成19年5月14日衆議院イラク特別委員会),「刃の上で仕事しているようなもの」(同年6月5日参議院外交防衛委員会),「バグダッド空港の中であっても,外からロケット砲等が撃たれる,迫撃砲等に狙われるということもあり,そういう緊張の中で仕事をしている」,「クウェートから飛び立ってバグダッド空港で降りる,バグダッド空港から飛び立つときにも,ロケット砲が来る危険性と裏腹にある」(同月7日参議院外交防衛委員会),「飛行ルートの下で戦闘が行われているときは上空を含め戦闘地域の場合もあると思う」(同月19日参議院外交防衛委員会),などと答弁している。

(2)  憲法9条についての政府解釈とイラク特措法

ア 自衛隊の海外活動に関する憲法9条の政府解釈は,自衛のための必要最小限の武力の行使は許されること(昭和55年12月5日政府答弁書),武力の行使とは,我が国の物的・人的組織体による国際的な武力紛争の一環としての戦闘行為をいうこと(平成3年9月27日衆議院PKO特別理事会提出の政府答弁)を前提とした上で,自衛隊の海外における活動については,

① 武力行使目的による「海外派兵」は許されないが,武力行使目的でない「海外派遣」は許されること(昭和55年10月28日政府答弁書),

② 他国による武力の行使への参加に至らない協力(輸送,補給,医療等)については,当該他国による武力の行使と一体となるようなものは自らも武力の行使を行ったとの評価を受けるもので憲法上許されないが,一体とならないものは許されること(平成9年2月13日衆議院予算委員会における大森内閣法制局長官の答弁),

③ 他国による武力行使との一体化の有無は,<ア>戦闘活動が行われているか又は行われようとしている地点と当該行動がなされる場所との地理的関係,<イ>当該行動の具体的内容,<ウ>他国の武力行使の任に当たる者との関係の密接性,<エ>協力しようとする相手の活動の現況,等の諸般の事情を総合的に勘案して,個々的に判断されること(上記大森内閣法制局長官の答弁),

を内容とするものである。

イ そして,イラク特措法は,このような政府解釈の下,我が国がイラクにおける人道復興支援活動又は安全確保支援活動(以下「対応措置」という。)を行うこと(1条),対応措置の実施は,武力による威嚇又は武力の行使に当たるものであってはならないこと(2条2項),対応措置については,我が国領域及び現に戦闘行為(国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為)が行われておらず,かつ,そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる一定の地域(非戦闘地域)において実施すること(2条3項)を規定するものと理解される。

ウ 政府においては,ここにいう「国際的な武力紛争」とは,国又は国に準ずる組織の間において生ずる一国の国内問題にとどまらない武力を用いた争いをいうものであり(平成15年6月26日衆議院特別委員会における石破防衛庁長官の答弁),戦闘行為の有無は,当該行為の実態に応じ,国際性,計画性,組織性,継続性などの観点から個別具体的に判断すべきものであること(平成15年7月2日衆議院特別委員会における石破防衛庁長官の答弁),全くの犯罪集団に対する米英軍等による実力の行使は国際法的な武力紛争における武力の行使ではないが(平成15年6月13日衆議院外務委員会におけるC内閣法制局第二部長の答弁,同年7月2日衆議院イラク特別委員会,同月10日参議院外交防衛委員会における秋山内閣法制局長官の答弁),個別具体的な事案に即して,当該行為の主体が一定の政治的な主張を有し,国際的な紛争の当事者たり得る実力を有する相応の組織や軍事的実力を有する組織体であって,その主体の意思に基づいて破壊活動が行われていると判断されるような場合には,その行為が国に準ずる組織によるものに当たり得ること(上記秋山内閣法制局長官の答弁),国内治安問題にとどまるテロ行為,散発的な発砲や小規模な襲撃などのような,組織性,計画性,継続性が明らかでない偶発的なものは,全体として国又は国に準ずる組織の意思に基づいて遂行されているとは認められず,戦闘行為には当たらないこと,国又は国に準ずる組織についての具体例として,フセイン政権の再興を目指し米英軍に抵抗活動を続けるフセイン政権の残党というものがあれば,これに該当することがあるが,フセイン政権の残党であったとしても,日々の生活の糧を得るために略奪行為を行っているようなものはこれに該当しないこと(平成15年7月2日衆議院特別委員会における石破防衛庁長官の答弁),非戦闘地域イコール安全な地域を意味するわけではなく,米軍が指定するコンバットゾーンが戦闘地域と同義でもないこと(平成15年6月25日衆議院特別委員会における石破防衛庁長官の答弁,平成18年8月11日衆議院特別委員会における麻生外務大臣の答弁・甲B67の2),等の見解が示されている。

(3)  以上を前提として検討するに,前記認定事実によれば,平成15年5月になされたブッシュ大統領による主要な戦闘終結宣言の後にも,アメリカ軍を中心とする多国籍軍は,ファルージャ,バグダッド,ラマディ等の各都市において,多数の兵員を動員して,時に強力な爆弾,化学兵器,残虐兵器等を用い,あるいは戦闘機で激しい空爆を繰り返すなどして,武装勢力の掃討作戦を繰り返し行い,武装勢力の側も,時としてこれに匹敵する強力な兵器を用い,あるいは相応の武器を用いて応戦し,その結果,双方に多数の死者が出るなどしてきているのみならず,子どもたちを含む民間人を多数死傷させ,民家を破壊し,都市機能を失わせ,多数の者が難民となって近隣諸国へ流出することを余儀なくさせるなどの重大かつ深刻な被害を生じさせているものである。そして,これら掃討作戦の標的となったと認められるフセイン政権の残党,シーア派のマフディ軍,スンニ派の過激派等の各武装勢力は,いずれも,単に,散発的な発砲や小規模な襲撃を行うにすぎない集団ではなく,日々の生活の糧を得るために略奪行為を行うような盗賊等の犯罪者集団であるともいえず,その全ての実体は明らかでないものの,海外の諸勢力からもそれぞれ援助を受け,その後ろ盾を得ながら,アメリカ軍の駐留に反対する等の一定の政治的な目的を有していることが認められ,千人,万人単位の人員を擁し,しかもその数は年々増えており,相応の兵力を保持して,組織的かつ計画的に多国籍軍に抗戦し,イラク攻撃開始後5年を経た現在まで,継続してこのような抗戦を続けていると認められる。したがって,これらを抑圧しようとする多国籍軍の活動は,単なる治安活動の域を超えたものであって,少なくとも現在,イラク国内は,イラク攻撃後に生じた宗派対立に根ざす武装勢力間の抗争がある上に,各武装勢力と多国籍軍との抗争があり,これらが複雑に絡み合って泥沼化した戦争の状態になっているものということができる。このことは,アメリカ軍がこの5年間に13万人から16万人もの多数の兵員を常時イラクに駐留させ,ベトナム戦争を上回る戦費を負担し,単発で非組織的な自爆テロ等による被害も含むとはいえ,双方に多数の死傷者を続出させながら,なお未だ十分に治安の回復がなされていないことに徴しても明らかである。

以上のとおりであるから,現在のイラクにおいては,多国籍軍と,その実質に即して国に準ずる組織と認められる武装勢力との間で一国国内の治安問題にとどまらない武力を用いた争いが行われており,国際的な武力紛争が行われているものということができる。とりわけ,首都バグダッドは,平成19年に入ってからも,アメリカ軍がシーア派及びスンニ派の両武装勢力を標的に多数回の掃討作戦を展開し,これに武装勢力が相応の兵力をもって対抗し,双方及び一般市民に多数の犠牲者を続出させている地域であるから,まさに国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為が現に行われている地域というべきであって,イラク特措法にいう「戦闘地域」に該当するものと認められる。

なお,現在にまで及ぶ多国籍軍によるイラク駐留及び武装勢力との戦闘は,それがイラク政府の要請に基づくものであり,国連の理解ないし支持を得たものであるとしても(前記安保理決議1483号,1546号等),平成15年3月に開始されたイラク攻撃及びこれによってもたらされた宗派対立による混乱が未だ実質的には収束していないことの表れであるといえることや,現在のイラク政府が単独でこれら武装勢力と対抗することができないため,現在も敢えて外国の兵力である多国籍軍の助力を得ているものと理解できることに鑑みれば,多国籍軍と武装勢力との間のイラク国内における戦闘は,実質的には当初のイラク攻撃の延長であって,外国勢力である多国籍軍対イラク国内の武装勢力の国際的な戦闘であるということができ,この点から見ても,現在の戦闘状況は,国際的な紛争であると認められる。

しかるところ,その詳細は政府が国会に対しても国民に対しても開示しないので不明であるが,航空自衛隊は,前記認定のとおり,平成18年7月ころ以降バグダッド空港への空輸活動を行い,現在に至るまで,アメリカが空挺隊員輸送用に開発したC-130H輸送機3機により,週4回から5回,定期的にアリ・アルサレム空港からバグダッド空港へ武装した多国籍軍の兵員を輸送していること,これは陸上自衛隊のサマワ撤退を機にアメリカからの要請でなされているものであり,アメリカ軍はこの輸送時期と重なる平成18年8月ころバグダッドにアメリカ兵を増派し,同年末ころから,バグダッドにおける掃討作戦を一層強化していること,それ以前の空輸活動がカタールのアメリカ中央軍司令部において,アメリカ軍や英国軍と機体のやりくりを調整し飛行計画を立ててなされているものであり,平成18年7月以後も同様にアメリカ軍等との調整の上で空輸活動がなされているものと推認されること,C-130H輸送機には,地対空ミサイルによる攻撃を防ぐためのフレアが装備され,これが事前訓練を経た上で,実際にバグダッド空港での離着陸時に使用されていること,バグダッド空港はアメリカ軍が固く守備をしているとはいえ,その中にあっても,あるいは離着陸時においても,現実的な攻撃の危険性がある旨防衛大臣が答弁していること,航空自衛隊が多国籍軍の武装兵員を輸送するに際し,バグダッドでの掃討作戦等の武力行使に関与しない者に限定して輸送している形跡はないことが認められる。これらを総合すれば,航空自衛隊の空輸活動は,それが主としてイラク特措法上の安全確保支援活動の名目で行われているものであり,それ自体は武力の行使に該当しないものであるとしても,多国籍軍との密接な連携の下で,多国籍軍と武装勢力との間で戦闘行為がなされている地域と地理的に近接した場所において,対武装勢力の戦闘要員を含むと推認される多国籍軍の武装兵員を定期的かつ確実に輸送しているものであるということができ,現代戦において輸送等の補給活動もまた戦闘行為の重要な要素であるといえることを考慮すれば(甲B159,弁論の全趣旨),多国籍軍の戦闘行為にとって必要不可欠な軍事上の後方支援を行っているものということができる。したがって,このような航空自衛隊の空輸活動のうち,少なくとも多国籍軍の武装兵員をバグダッドへ空輸するものについては,前記平成9年2月13日の大森内閣法制局長官の答弁に照らし,他国による武力行使と一体化した行動であって,自らも武力の行使を行ったと評価を受けざるを得ない行動であるということができる。

(4)  よって,現在イラクにおいて行われている航空自衛隊の空輸活動は,政府と同じ憲法解釈に立ち,イラク特措法を合憲とした場合であっても,武力行使を禁止したイラク特措法2条2項,活動地域を非戦闘地域に限定した同条3項に違反し,かつ,憲法9条1項に違反する活動を含んでいることが認められる。

3  本件差止請求等の根拠とされる平和的生存権について

憲法前文に「平和のうちに生存する権利」と表現される平和的生存権は,例えば,「戦争と軍備及び戦争準備によって破壊されたり侵害ないし抑制されることなく,恐怖と欠乏を免れて平和のうちに生存し,また,そのように平和な国と世界をつくり出していくことのできる核時代の自然権的本質をもつ基本的人権である。」などと定義され,控訴人も「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」,「戦争や軍隊によって他者の生命を奪うことに加担させられない権利」,「他国の民衆への軍事的手段による加害行為と関わることなく,自らの平和的確信に基づいて平和のうちに生きる権利」,「信仰に基づいて平和を希求し,すべての人の幸福を追求し,そのために非戦・非暴力・平和主義に立って生きる権利」などと表現を異にして主張するように,極めて多様で幅の広い権利であるということができる。

このような平和的生存権は,現代において憲法の保障する基本的人権が平和の基盤なしには存立し得ないことからして,全ての基本的人権の基礎にあってその享有を可能ならしめる基底的権利であるということができ,単に憲法の基本的精神や理念を表明したに留まるものではない。法規範性を有するというべき憲法前文が上記のとおり「平和のうちに生存する権利」を明言している上に,憲法9条が国の行為の側から客観的制度として戦争放棄や戦力不保持を規定し,さらに,人格権を規定する憲法13条をはじめ,憲法第3章が個別的な基本的人権を規定していることからすれば,平和的生存権は,憲法上の法的な権利として認められるべきである。そして,この平和的生存権は,局面に応じて自由権的,社会権的又は参政権的な態様をもって表れる複合的な権利ということができ,裁判所に対してその保護・救済を求め法的強制措置の発動を請求し得るという意味における具体的権利性が肯定される場合があるということができる。例えば,憲法9条に違反する国の行為,すなわち戦争の遂行,武力の行使等や,戦争の準備行為等によって,個人の生命,自由が侵害され又は侵害の危機にさらされ,あるいは,現実的な戦争等による被害や恐怖にさらされるような場合,また,憲法9条に違反する戦争の遂行等への加担・協力を強制されるような場合には,平和的生存権の主として自由権的な態様の表れとして,裁判所に対し当該違憲行為の差止請求や損害賠償請求等の方法により救済を求めることができる場合があると解することができ,その限りでは平和的生存権に具体的権利性がある。

なお,「平和」が抽象的概念であることや,平和の到達点及び達成する手段・方法も多岐多様であること等を根拠に,平和的生存権の権利性や,具体的権利性の可能性を否定する見解があるが,憲法上の概念はおよそ抽象的なものであって,解釈によってそれが充填されていくものであること,例えば「自由」や「平等」ですら,その達成手段や方法は多岐多様というべきであることからすれば,ひとり平和的生存権のみ,平和概念の抽象性等のためにその法的権利性や具体的権利性の可能性が否定されなければならない理由はないというべきである。

4  控訴人の請求について

(1)  本件違憲確認請求について

民事訴訟制度は,当事者間の現在の権利又は法律関係をめぐる紛争を解決することを目的とするものであるから,確認の対象は,現在の権利又は法律関係でなければならない。しかし,本件違憲確認請求は,ある事実行為が抽象的に違法であることの確認を求めるものであって,およそ現在の権利又は法律関係に関するものということはできないから,同請求は,確認の利益を欠き,不適法というべきである。

(2)  本件差止請求について

ア 民事訴訟としての適法性

イラク特措法は,対応措置を実施するための具体的手続として,①内閣総理大臣が対応措置の実施及び基本計画案につき閣議の決定を求めること(4条1項,基本計画の変更の場合も同様。同条3項),②当該対応措置について国会の承認を求めなければならないこと(6条1項),③防衛大臣は対応措置についての実施要項を定め,内閣総理大臣の承認を得た上で,自衛隊の部隊等にその実施を命ずること(8条2項。実施要項の変更の場合も同様。同条9項)を規定しているところ,これら規定からすれば,イラク特措法による自衛隊のイラク派遣は,イラク特措法の規定に基づき防衛大臣に付与された行政上の権限による公権力の行使を本質的内容とするものと解されるから,本件派遣の禁止を求める本件差止請求は,必然的に,防衛大臣の上記行政権の行使の取消変更又はその発動を求める請求を包含するものである。そうすると,このような行政権の行使に対し,私人が民事上の給付請求権を有すると解することはできないことは確立された判例であるから(最高裁昭和56年12月16日大法廷判決・民集35巻10号1369頁等参照),本件差止請求にかかる訴えは不適法である。

イ 行政事件訴訟(抗告訴訟)としての適法性

そこで,仮に,本件差止請求にかかる訴えが,行政事件訴訟(抗告訴訟)として提起されたものと理解した場合について検討する。

本件派遣は,前記のとおり違憲違法な活動を含むものであるが,本件派遣は控訴人に対して直接向けられたものではなく,本件派遣によっても,控訴人の生命,自由が侵害され又は侵害の危機にさらされ,あるいは,現実的な戦争等による被害や恐怖にさらされ,また,憲法9条に違反する戦争の遂行等への加担・協力を強制されるまでの事態が生じているとはいえないところであって,全証拠によっても,現時点において,控訴人の具体的権利としての平和的生存権が侵害されたとまでは認められない。そうすると,控訴人は,本件派遣にかかる防衛大臣の処分の取消しを求めるにつき法律上の利益を有するとはいえず,行政事件訴訟(抗告訴訟)における原告適格性が認められない。したがって,仮に本件差止請求にかかる訴えが行政事件訴訟(抗告訴訟)であったとしても,不適法であることを免れない。

そして,この結論は,控訴人がイラク戦争開戦当時駐レバノン特命全権大使の職にあり,イラク攻撃及びこれに対する日本政府の支持に反対していたこと,それが故に被控訴人から退職勧奨を受けるなどし,少なくとも不本意にその職を辞したこと等の特殊な事情によっても左右されない。

(3)  控訴人の損害賠償請求について

ア 本件派遣による精神的苦痛

上記のとおり,本件派遣によっても,控訴人の具体的権利としての平和的生存権が侵害されたとまでは認められないところであり,控訴人には,民事訴訟上の損害賠償請求において認められるに足りる程度の被侵害利益が未だ生じているということはできない。

イ 被控訴人による違憲違法な退職強要行為について

(ア) 原判決を以下のとおり付加訂正するほか,原判決56頁22行目冒頭から63頁26行目末尾までのとおりであるから,これを引用する。

(イ) 原判決の付加訂正

a 原判決56頁24行目から25行目にかけて「(甲A8の1・3~6,A8の4の1,乙8ないし11,13ないし15,16の1・2,17,18,19の1・2,原告本人)」とあるのを「(甲A8の1ないし3,甲A8の4(甲A8の4の1ないし3は抜粋),甲A8の5・6・12・13・16,乙8ないし11,13ないし15,16の1・2,17,18,19の1・2,22,原審における控訴人本人)」と改める。

b 原判決62頁17行目冒頭から18行目末尾までを次のとおり改める。

「したがって,特命全権大使を免官することについては,内閣及び外務大臣の裁量権に著しい逸脱や濫用がない限り違法とされることはなく,控訴人がその意に反して特命全権大使の地位を失うのは懲戒事由が存する場合に限られるものではない。」

c 原判決63頁12行目末尾を改行して,次のとおり付加する。

「なお,控訴人に対する退職勧奨が若返り人事の一環であるなどと,E官房長から控訴人に伝えられたことは,控訴人が同期の中で年齢的に最も若く,控訴人よりも年長の者らが多数外務公務員の職に就いていたと認められることに照らし,明らかに虚偽の説明であるということができる。しかし,控訴人においても,このような虚偽の説明を真に受けていたわけではなく,上記のような虚偽の説明が控訴人に対する勧奨退職を直ちに違法ならしめるものではない。」

d 原判決63頁23行目末尾を改行して,次のとおり付加する。

「そして,かかる勧奨行為を受けて,控訴人は,無念と怒りを込めてとはいえ,自ら退官願に署名押捺したものであり,それまでに至る経緯からして控訴人の悔しい思いは十分理解できるところではあるものの,最終的には自らの意思と責任により退職を決断したものと認められる。控訴人は,退官願(乙10)の日付が空欄であるとしてその形式上の不備を主張するが,そうであっても,同書面が控訴人の意思に基づいて作成されたものであることを否定することはできない。」

e 原判決63頁26行目末尾を改行して,次のとおり付加する。

「なお,控訴人は,控訴人の免官辞令(乙11)に天皇の御名と内閣の印がないことから,控訴人に対する免官の形式的・手続的な瑕疵を主張する。しかし,同書面には「天皇御璽」と刻された天皇の御印が押印されており,同書面に天皇の御名と内閣の印がないことは単に慣例にすぎないものと認められるから,形式的・手続的な瑕疵があるとはいえず,控訴人の主張は認められない。」

ウ よって,控訴人の本件損害賠償請求は認められない。

第4結論

以上のとおりであって,原判決は結論において正当であるから,控訴人の本件控訴を棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 青山邦夫 裁判官 坪井宣幸 裁判官 上杉英司)

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