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名古屋高等裁判所 平成18年(ネ)1073号 判決 2007年6月14日

主文

1  原判決中,次項の請求に係る部分を取り消す。

2  被控訴人は,控訴人に対し,金10万円及びこれに対する平成17年12月26日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3  その余の本件控訴を棄却する。

4  訴訟費用は,1,2審を通じこれを10分し,その9を控訴人の負担とし,その余を被控訴人の負担とする。

5  この判決の第2項は仮に執行することができる。

事実及び理由

第1控訴の趣旨

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人は,控訴人に対し,金300万円及びこれに対する平成17年12月26日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は,1,2審とも被控訴人の負担とする。

4  仮執行宣言

第2事案の概要

1  本件は,社会福祉法人Aの設置する「B」に勤務していた控訴人が,その施設長である被控訴人に対して,被控訴人が控訴人の主治医に対して手紙を送付し,その内容が控訴人のプライバシーに関するものであり,また,控訴人に対する不当な非難を含んだものであったことにより,精神的苦痛を被ったとして,不法行為による損害賠償請求として300万円及びこれに対する不法行為の結果発生後である平成17年12月26日から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求めたところ,原審が請求を棄却したことから,これに不服のある控訴人が控訴した事案である。

2  争いのない事実等,当事者の主張は,次のとおり付加訂正するほか,原判決「事実及び理由」中の「第2 事案の概要等」の「1」ないし「3」記載のとおりであるから,これを引用する。

(1)  原判決書2頁9行目の「原告」の次に「(昭和44年9月9日生)」を加える。

(2)  同頁12行目の「同年4月1日以降」から同頁15行目の「務めている。」までを「同年4月1日から,Bに栄養士として勤務していた。控訴人は,平成14年6月以降,C労働組合(以下「C労組」という。)の執行委員を務め,D(以下「D書記長」という。)は書記長を務めている。」と改める。

(3)  同頁18行目の「被告」の次に「(昭和28年6月2日生)」を加え,「E」を「A」と改め,「平成12年4月1日」を「平成17年4月1日」と改める。

(4)  同頁22行目から同頁23行目にかけての「『FクリニックG先生へ』と題する手紙(甲1の1,以下「本件文書」という。)」を「別紙『FクリニックG先生へ』と題する手紙(甲1の1,以下「本件文書」という。)及び複数の文書(甲1の3ないし8)」と改める。

(5)  同3頁15行目の末尾の次に,行を改めた上,次のとおり加える。

「また,使用者からの従業員の主治医に対する情報提供であれば,使用者側の主張を盛り込むことは通常考えられず,本件文書には控訴人の病状や職場環境の整備の具体的内容について尋ねる記載は全くないのであるから,本件文書の送付は,C労組及び控訴人に対する攻撃,誹謗中傷の一環としてされたものである。控訴人は,職場環境整備という目的のために控訴人立会の下(実際には,D書記長の立会の下)でG医師から被控訴人が説明を受けることを求めていたに過ぎず,G医師が被控訴人からの文書の送付を承諾したということもない。」

(6)  同6頁12行目の末尾の次に,行を改めた上,次のとおり加える。

「なお,D書記長の抗議の際に,本件文書を控訴人に開示したG医師の真意が理解できず,開示したことに疑問を呈したことはあったが,あからさまに非難したことはない。」

第3当裁判所の判断

1  当裁判所は,控訴人の請求は一部理由があるものと判断する。その理由は,次のとおり付加訂正し,後記2のとおり当審における判断を付加するほかは,原判決「事実及び理由」中の「第3 当裁判所の判断」の「1」記載のとおりであるから,これを引用する。

(1)  原判決書6頁15行目の「2ないし11」を「甲2ないし4」と改める。

(2)  同頁20行目の末尾の次に「控訴人は,医師からは休むように言われていると述べ,また,ストレスの原因として,印刷機の不正使用問題について懲罰委員会から呼出しを受けていること,調理師Hが控訴人の指示に従わないことを指摘した。D書記長からは,印刷機の不正使用問題は労使問題であるとの指摘がされた。」を加える。

(3)  同頁24行目末尾の次に「控訴人は,被控訴人に対し,G医師から,控訴人の病状等について話をしたいのであれば,G医師を訪ねてくれれば,いつでも話をすると言われている旨伝えるとともに,自分は被控訴人に対してストレスを感じるので一緒に行くのは無理であり,D書記長と一緒に行ってくれるよう述べた。」を加える。

(4)  同7頁17行目の「平成17年9月初めころ」を「職場環境の現状についての文書を送付する旨提案したところ,G医師はこれについては拒絶しなかったことから,そのころ」と改める。

(5)  同頁18行目の末尾の次に,行を改めた上,次のとおり加える。

「(6) D書記長は,被控訴人に対し,平成17年9月2日,本件文書の送付について抗議したところ,被控訴人は,本件文書の送付について間違ったことをしたとは思えない,本件文書を控訴人に開示したG医師の行動が心外である旨述べ,D書記長が一緒にG医師を訪ねて職場環境整備について意見を聴くべきである旨提案しても応じなかった。

(7)  控訴人は,平成17年9月5日に再度,G医師の診察を受け,翌6日職場復帰した。

(8)  その後,被控訴人はD書記長とともに,G医師を訪ねて控訴人の病状等について話をする機会を持った。」

2  当審における判断

(1)  医師による治療行為は,患者との間の診療契約に基づき行われるものであるが,その性質上,プライバシーの保護が強く要請され,守秘義務を厳守する必要のあるものである。特に精神科・心療内科に係る診療契約においては,そのような要請が強いのみならず,その治療行為については,医師と患者との間に信頼関係が形成維持されることがきわめて重要であり,そこに第三者が患者の承諾なくして,情報提供をすること等により干渉することは,上記信頼関係の形成維持の妨げとなり,また,正確な診断や的確な治療行為を行う上で支障となる可能性が大きいといえる。したがって,第三者が当該診療契約に関して情報提供等の方法により関与することが許されるのは,患者の同意があり,かつ,医師が相当として認めた場合に限られる。

もっとも,本件のように,職場環境が原因となって患者にストレス状態,抑うつ状態が生じている場合には,医師は,使用者の理解を得て職場環境を整備改善することにより,患者の受けるストレスの解消あるいは軽減を図る必要もあるが,そのような場合にも,医師は,当然,患者の同意の下に使用者と面談することになる。そして,この場合の面談の主目的は,使用者に対し,患者の病状あるいは症状の原因について説明をし,患者のために,その原因となっている職場環境の整備改善に向けての協力を要請することである。したがって,その際,使用者から患者や職場環境について情報の提供を受けることがあっても,それは,医師において,病状の診断や治療に必要と思われる事項について,必要な範囲で事情聴取をするといった程度に止まり,使用者から,医師の行った診断に対する反論や職場環境の正当性の主張などのために,自由に資料を提供させるといったことは行われない。

(2)  そこで,上記の点を前提として,本件について検討すると,前記争いのない事実等及び前記1の事実のとおり,控訴人は,G医師からストレス状態あるいは抑うつ状態にあり職場環境の整備が必要であると診断され,これを管理職である被控訴人に報告するとともに,職場の管理職が控訴人とともに来れば控訴人の病状について説明するとのG医師の意向を被控訴人に伝えている。したがって,被控訴人としては,G医師が控訴人の病状を職場の管理職に説明し,患者のために職場環境を整備改善することについて協力を求めたいとの趣旨で面談を求めていること及び面談は控訴人同席の下に行いたいとの意思を有していることを十分理解できたはずである。ところが,被控訴人は,電話連絡の際,G医師からD書記長同席での面談を拒否されると,自ら訪問して面談することを断念し,直ちに本件文書を送付している。そして,本件文書及びその添付資料の内容は,Aにおける組合活動をめぐる紛争の経緯と実情,その時点における組合問題に関する使用者の基本的姿勢と改革の方向を詳細に示すものであって,控訴人の職場でのストレス要因とそこに至った背景事情及び控訴人の職場における状況を説明し,その結果として,Aの懲戒処分手続等の対応を弁明,擁護するものとなっており,反面,控訴人の言動に対しては批判的なものとなっている(甲1の1ないし8)。また,本件文書及び添付資料は,使用者側からのC労組やその組合執行委員である控訴人に対する見方を示すものであって,控訴人の発病の原因が組合活動に密接に関連していたことからすると,G医師がその情報をそのまま診断や治療の資料とすることができないことは明らかであり,これを放置すれば,G医師と控訴人の信頼関係,ひいては治療行為に悪影響を及ぼすおそれのあるものであったというべきである(被控訴人作成の陳述書(乙1)には,G医師がどのような事情を基に環境整備の必要性があると判断しているのか疑問があった旨,控訴人の口から状況の説明を受けていてもどの程度正確に問題を把握しているのか疑問であり,そのため情報提供が必要と感じた旨,職場環境の正確な理解のためには組合が複数存在するようになった当初からの経緯をも説明する必要があると思った旨記載されており,G医師のその時点での判断の正確性に対する疑問から自己が客観的と考える説明と資料の送付をするとの趣旨で本件文書及び添付資料の送付がされたことが認められる。)。

そうすると,本件文書の送付は,被控訴人の意図としては,G医師との面談に代わるものとして行われたものと認められるが,自己の側からの一方的な情報提供であって,管理職と直接会って患者の病状について説明をし,患者のために職場環境の改善について協力を依頼したいとのG医師の面談要請の趣旨には全く添わないものであり,控訴人が,被控訴人に対しG医師との面談を了承した趣旨をも全く逸脱していることは明らかである。

そして,控訴人は,平成17年9月2日,職場復帰のための診断書の交付を受けるために,G医師を訪問したが,G医師から本件文書及び添付資料を見せられた後,不安,苛立ち,苦しみなどの様々な思いが交錯し,混沌とした気持ちで帰宅し,以後もこのことにより,精神的な苦しみを被っている(甲4)。

以上判示したところによると,被控訴人が本件文書をG医師に送付したことは,診療契約関係に不当に介入するものであって,社会的相当性を欠き,違法というべきである。したがって,被控訴人は,これにより控訴人が被った精神的な損害を賠償すべきことになる。

(3)  ところで,被控訴人は,G医師はD書記長同席での面談を拒否したが,被控訴人が手紙を送付することは拒否しなかった旨主張する。

しかし,G医師は,患者の職場の管理職と直接会って,患者の病状を説明し,その治療や職場復帰に必要な職場環境の整備について協力を依頼しようとしたものであり,控訴人が被控訴人にG医師の意図を伝えたのも同趣旨であるから,被控訴人としては,G医師からD書記長同席での面談を拒否された場合には,そのことを控訴人に伝え,控訴人の意向を確認した上で適切な対応をすべきであり,特段の切迫した状況もなかった本件において,いきなり本件文書をG医師に送付するのが相当でないことは明らかである。

また,前示のとおり,G医師が管理職と面談しようとしたのは,控訴人の病状について説明をし,控訴人が復帰するための職場環境の整備について協力を要請するためであって,そのことは被控訴人においても理解していたところであるから,電話連絡の際,G医師が被控訴人からの書面の送付を明確に拒否しなかったとしても,それによって本件文書を送付した被控訴人の行為が正当化されるものではない(なお,G医師は,控訴人からの説明文書及び資料を送付する旨の申入れに対し,消極的な対応を示したが,控訴人の強い申入れに対し,明白な拒絶をしないまま電話連絡を終えたものと認められる(乙1,控訴人本人,被控訴人本人)。)。

さらに,被控訴人は,G医師が,本件文書を控訴人に開示するとは考えないでこれをG医師に送付したものであるが(乙1,控訴人本人),本件文書は,患者と対立関係にある使用者側が作成した文書であり,その内容もまた組合問題をめぐる労組と使用者間,労組間の対立等に関するものであるから,医師の立場からすれば,その内容の真偽について控訴人に確認をする必要があるのは明らかであり,また,これを控訴人に隠した状態で診療行為を続け,後にそのことが控訴人に判明したときは,医師と患者との間の信頼関係を著しく損ねることになりかねないから,医師の立場からして,患者である控訴人に開示するのはむしろ当然というべきである。そして,そのことは,G医師が患者である控訴人と同行して説明を聞きに来るよう要求し,かつ,控訴人が同席している場で自ら病状について説明をし,また,被控訴人からの説明を聞こうとしていることからも,容易に推測できたはずである。

(4)  そこで,次に,慰謝料の額について判断する。

前記1の事実によれば,被控訴人が控訴人を非難する意図の下に本件文書を送付したとは認められず,また,被控訴人が控訴人に精神的ショックを与え,その病状が悪化することを知りながら本件文書の送付をしたとは認められないが,被控訴人は,当時の控訴人の病状や意向に十分配慮することなく,Aの立場の正当性を説明するために本件文書をG医師に送付し,これが控訴人に開示されることになったものであり,前記(3)のとおり,控訴人に相当な精神的ショックを与えたものと認められる。

しかし,本件文書の送付は,控訴人が,被控訴人に対し,それまで被控訴人においてG医師と会おうとしなかったことに対して批判的な評価を示した上で,G医師と面談し病状について話を聞いた上,適切な職場環境の整備を図って欲しいとの申入れをしたことに端を発しているものであり(甲4,乙1),自らは同席することができないのでD書記長を同席させたいとの控訴人の意向を受けて,被控訴人がG医師と電話連絡をとったところ,G医師からD書記長同席での面談を拒絶されるという経緯をたどって本件文書の送付という方向に進んだものである。また,面談に代えて書面を送付したい旨の被控訴人の申入れに対し,G医師が明確に拒絶しなかったことも,本件文書送付の一因となっている。さらに,控訴人は,G医師から本件文書の開示を受けた平成17年9月2日には,ショックのあまり復帰の診断を受けないで帰宅しているが,幸い,同月5日には復帰の診断を受け,同月6日からは職場に復帰している。

以上の諸点と本件に現れたその他の諸事情を総合考慮すると,控訴人の精神的苦痛に対する慰謝料の額は,10万円をもって相当と認める。

第4結論

以上判示したところによると,控訴人の本件請求は,慰謝料10万円及びこれに対する不法行為の結果発生後である平成17年12月26日から支払済みまでの民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから,その限度で認容し,その余は理由がないから棄却すべきことになる。よって,控訴人の請求をすべて棄却した原判決は相当ではないから,これを変更することとし,訴訟費用の負担につき民事訴訟法67条2項,64条,61条を,仮執行の宣言につき同法259条1項を,それぞれ適用して,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡久幸治 裁判官 戸田彰子 裁判官 鳥居俊一)

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