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名古屋高等裁判所 平成18年(ネ)885号 判決 2007年4月18日

主文

1  控訴人a及び同bの本件控訴に基づき,原判決主文第4項中,同控訴人らに関する部分を取り消す。

2  被控訴人は,控訴人aに対し,505万1600円及びこれに対する平成17年4月12日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3  被控訴人は,控訴人bに対し,349万0734円及びこれに対する平成17年4月12日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

4  控訴人c及び同dの本件控訴をいずれも棄却する。

5  控訴人a及び同bと被控訴人との間においては,訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人の負担とし,控訴人c及び同dと被控訴人との間においては,控訴費用は,被控訴人に生じた控訴費用の2分の1を控訴人c及び同dの負担とし,その余は各自の負担とする。

6  この判決は,主文2項及び3項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第1当事者の求めた裁判

1  控訴人ら

(1)  原判決中控訴人らに関する部分を取り消す。

(2)  被控訴人は,控訴人cに対し,400万4000円及びこれに対する平成17年4月12日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(3)  主文2項と同旨

(4)  被控訴人は,控訴人dに対し,803万6000円及びこれに対する平成17年4月12日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(5)  主文3項と同旨

(6)  訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人の負担とする。

(7)  (2)ないし(5)につき仮執行宣言

2  被控訴人

(1)  本件控訴をいずれも棄却する。

(2)  控訴費用は控訴人らの負担とする。

第2事案の概要

1  本件は,郵便局の貯金通帳を何者かに盗まれて貯金を払い戻されたとする控訴人ら4名を含む1審原告ら7名が,各貯金の払戻しは受領権限のない者に対する無効なものであると主張して,被控訴人に対し,貯金契約に基づき,貯金の払戻しを請求した事案である。

原審は,控訴人ら4名を除くその余の1審原告ら3名の請求を認容し,控訴人ら4名の請求はいずれも棄却した。

原判決に対し,控訴人ら4名が控訴した。

2  争いのない事実等

(1)  当事者

ア 控訴人cと控訴人aは夫婦である。

イ 被控訴人は,全国各地に郵便局を設置して貯金業務を営む郵政公社である。

(2)  貯金債権の存在

ア 控訴人cは,被控訴人に対し,別紙被害別一覧1の「被害状況」5欄記載の年月日(平成16年3月26日)の時点において,1ないし4欄記載の貯金口座を有し,6欄記載の金額(400万4000円)の貯金債権を有していた(以下「本件口座1」という。)。

イ 控訴人aは,被控訴人に対し,別紙被害別一覧2の「被害状況」5欄記載の年月日(平成16年3月26日)の時点において,1ないし4欄記載の貯金口座を有し,6欄記載の金額(505万1600円)の貯金債権を有していた(以下「本件口座2」という。)。

ウ 控訴人dは,被控訴人に対し,別紙被害別一覧3の「被害状況」5欄記載の年月日(平成15年5月13日)の時点において,1ないし4欄記載の貯金口座を有し,6欄記載①(以下「本件口座3①」という。)及び同②(以下「本件口座3②」という。)の金額(①につき603万6000円,②につき221万0011円)の貯金債権を有していた。

エ 控訴人bは,被控訴人に対し,別紙被害別一覧4の「被害状況」5欄記載の年月日(平成15年5月9日)の時点において,1ないし4欄記載の貯金口座を有し,6欄記載の金額(349万0734円)の貯金債権を有していた(以下「本件口座4」という。)。

(3)  貯金の払戻し

ア 本件口座1から別紙被害別一覧1の「被害状況」5欄記載の年月日(平成16年3月26日)に,7欄記載の郵便局(瑞穂郵便局)において,8欄記載の金額(400万4000円)の払戻手続が行われた(以下「本件払戻し1」という。)。

イ 本件口座2から別紙被害別一覧2の「被害状況」5欄記載の年月日(平成16年3月26日)に,7欄記載の郵便局(名古屋南郵便局)において,8欄記載の金額(505万1600円)の払戻手続が行われた(以下「本件払戻し2」という。)。

ウ(ア) 本件口座3①から別紙被害別一覧3の「被害状況」5欄記載の年月日(平成15年5月13日)に,7欄記載①の郵便局(新栄郵便局)において,8欄記載①の金額(603万6000円)の払戻手続が行われた(以下「本件払戻し3①」という。)

(イ) 本件口座3②から別紙被害別一覧3の「被害状況」5欄記載の年月日(平成15年5月13日)に,7欄記載②の郵便局(葵郵便局)において,8欄記載②の金額(200万円)の払戻手続が行われた(以下「本件払戻し3②」という。)。

エ 本件口座4から別紙被害別一覧4の「被害状況」5欄記載の年月日(平成15年5月9日)に,7欄記載の郵便局(豊橋郵便局)において,8欄記載の金額(349万0734円)の払戻手続が行われた(以下「本件払戻し4」という。)。

(4)  法令等の規定

ア 平成14年法律第98号による改正前の郵便貯金法(以下「旧郵便貯金法」という。)26条は,「この法律又はこの法律に基く総務省令に規定する手続を経て郵便貯金を払い渡したときは,正当の払渡をしたものとみなす。」と規定し,同規則52条1項は,通常郵便貯金につき「第51条の規定による即時払の請求があったときは,郵便局は,払もどし金受領証の印影と通帳の印鑑とを対照し,相違がないことを認めた上,払もどし金受領証の持参人に払もどし金を交付し,又は払いもどし金額を表示した小切手を振り出す。この場合において,貯金の一部払いもどしであるときは,通帳に払いもどし金額を記入してこれをその持参人に返付する。」と,同規則85条1項は,定額郵便貯金につき「預金者は,払戻金の即時払を受けようとするときは,貯金証書の受領証欄(様式第三号の二の定額郵便貯金証書にあっては,郵便局の交付する用紙により作成した払戻金受領証,第百条第一項において同じ。)に記名調印し,貯金証書(様式第三号の二の定額郵便貯金証書により払戻金の即時払を受けようとする場合にあっては,貯金証書及び払戻金受領証)を郵便局に提出してこれを請求しなければならない。」と規定していた。

イ 被控訴人の設立に伴い,旧郵便貯金法によって定められていた郵便貯金における契約内容は,法律委任事項を除き,被控訴人が規定する郵便貯金等規定により定められることとなったが,郵便貯金等規定の一部である通常郵便貯金規定及び定額郵便貯金等共通規定では,以下のとおり規定されている(乙1,2,46)。

(通常郵便貯金規定)

「9 印鑑照合

払戻請求書,諸届その他の書類に使用された印影(又は署名)を通帳の所定の欄の印鑑(又は署名鑑)と相当の注意をもって照合し,相違ないものと認めて取り扱いましたうえは,それらの書類につき偽造,変造その他の事故があってもそれにより生じた損害については,公社は責任を負いません。」

(定額郵便貯金等共通規定)

「4 印鑑照合

通帳,貯金証書,保管証,払戻請求書,諸届その他の書類に使用された印影(又は署名)を通帳,貯金証書又は保管証の所定の欄の印鑑(又は署名鑑)と相当の注意をもって照合し,相違ないものと認めて取り扱いましたうえは,それらの書類につき偽造,変造その他の事故があってもそれにより生じた損害については,公社は責任を負いません。」

3  被控訴人の主張

(1)  弁済

本件払戻し1,同2,同3①,同3②及び同4(以下これらを「本件各払戻し」という。)は,いずれも,正当な受領権限がある者に対して行われた有効な払戻しである。

(2)  債権の準占有者に対する弁済(民法478条)

本件各払戻しが,無権限者に対して行われたとしても,以下の本件各払戻しの状況によれば,各払戻請求者は,債権の準占有者に該当し,被控訴人は,その請求に対し,善意かつ過失なく払い戻したから,本件各払戻しは有効である。

そして,本件のような,いわゆる「なりすまし」事案における払戻しが,債権の準占有者に対する弁済に該当するか否かは,基本的には貯金通帳の所持及び払戻請求書の印影と届出印鑑との同一性を確認して払戻しをすれば足りるというべきである。

この点,控訴人らのうち,控訴人c,控訴人a,控訴人bは,貯金通帳とともに届出印鑑の印章も盗取されたとのことであるから,この控訴人らの貯金の払戻しにおいては,盗取された印章が使用されたものと推認され,正当な権利者であることを疑わせる特段の事情のない限り,債権の準占有者に対する弁済と認められる。

一方,控訴人dは,届出印鑑の印章が盗取されていないとのことであるが,近時のピッキング盗難犯の中には,被害発見を遅らせるため,一旦,盗み出した通帳や印鑑を被害者方に戻す例があるから,直ちに偽造の印章等が使用されたことを前提とするのではなく,肉眼による目視により,朱肉の付き具合,紙の状態,押捺する力の強弱等の印章の使用状況による印影の変化なども考慮の上,印鑑照合の適否が問われるべきである。

本件各払戻しの状況は以下のとおりであり,いずれの払戻しにおいても,被控訴人には過失はなく,債権の準占有者に対する弁済として有効である。

ア 本件払戻し1

(ア) 本件払戻し1(控訴人cの本件口座1の払戻し)は,平成16年3月26日午後2時52分,名古屋瑞穂郵便局において行われ,払戻金額は400万4000円であった。

この払戻しでは,10年以上,貯金業務に従事していたeが窓口を担当した。

(イ) 払戻請求者(以下「請求者A」という。)は,30歳代の男性で,eとの面識はなかったが,特に挙動不審なところはなかった。

払戻請求書の住所欄にマンション名の記入が漏れていたため,eが指摘したところ,請求者Aは,二重線を引いて訂正印を押捺して,これを訂正した。その際,既に健康保険証は提出されていたから,請求者Aは,健康保険証や貯金通帳等に記載された住所を見ないまま書き直しをした。

eは,上記の経歴を有していたところ,払戻請求書の印影と副印鑑とを照合し,両者が符合するものと認めた。実際にも,貯金通帳とともに届出印鑑の印章も盗取されているとのことであるから,真正な届出印鑑の印章が使用されたものと考えられる。

eは,請求者Aに対し,「本人様ですか。」との問いかけを行った上,本人確認のための証明資料として,健康保険証の提示を受け,備え付けの偽造健康保険証一覧表と対照して偽造されたものではないことを確認した。この健康保険証も真正なものであった。

イ 本件払戻し2

(ア) 本件払戻し2(控訴人aの本件口座2の払戻し)は,平成16年3月26日午後3時58分,名古屋南郵便局において行われ,払戻金額は505万0810円であった。

この払戻しでは,平成2年5月から貯金業務に従事し,既に15年以上の払戻業務の経験を有していたfが窓口を担当した。

(イ) 払戻請求者(以下「請求者B」という。)は,30歳代の女性で,fとの面識はなかったが,特に挙動不審なところはなかった。

払戻金受領証に記載された住所,氏名は,誤字,脱字もなく正確に記載されていた。

fは,上記の経歴を有していたところ,払戻金受領証の印影と副印鑑とを照合し,両者が符合するものと認めた。実際にも,貯金通帳とともに届出印鑑の印章も盗取されているとのことであるから,真正な届出印鑑の印章が使用されたものと考えられる。

また,fは,請求者Bに対し,「本人ですか。」との間いかけを行った上,本人確認のための証明資料として,健康保険証の提示を受けているところ,この健康保険証も真正なものであった。

ウ 本件払戻し3①

(ア) 本件払戻し3①(控訴人dの本件口座3①の払戻し)は,平成15年5月13日午後0時8分,名古屋新栄郵便局において行われ,払戻金額は603万6000円であった。

この払戻しでは,昭和48年ころより貯金業務に従事していたgが窓口を担当した。

(イ) gは,払戻請求者(以下「請求者C」という。)が提出した払戻金受領証の住所欄が空欄であったため,貯金通帳を預かったまま,住所の記入を求めたところ,同人は,何も見ずに住所を記入した。また,請求者Cは,局内の筆記台で払戻金受領証を作成していた。

gは,請求者Cから「いくらまでおろせるか。」と質問を受けたため,「おいくらご入り用ですか。」と尋ねたところ,請求者Cは「できれば600万円全部欲しい。」と申し出た。

gは,貯金通帳と払戻金受領証を対照し,住所,氏名が符号していること,副印鑑と払戻金受領証の印影を照合して相違がないことを確認した。実際にも,本件口座3①の届出印鑑の印章は一旦盗取された後に戻された形跡があるとのことであるから,真正な届出印鑑の印章が使用されたものと考えられる。

また,gは,請求者Cと面識がなく,高額の払戻請求であったため,証明資料の提示を求め,同人から健康保険証の提示を受けた。

さらに,gは,本人確認をより確実にするため,顔写真のある運転免許証の提示を求めたが,請求者Cは「今,持っていません。」と答えたが,生年月日を質問したところ,同人は,正しい生年月日をすらすらと答えた。

エ 本件払戻し3②

(ア) 本件払戻し3②(控訴人dの本件口座3②の払戻し)は,平成15年5月13日午後1時19分,名古屋葵郵便局において行われ,払戻金額は200万円であった。

この払戻しでは,平成7年から貯金業務に従事していたhが窓口を担当した。

(イ) hは,払戻請求者(以下「請求者D」という。)が提出した貯金通帳と払戻金受領証を対照し,住所,氏名が符号していること,副印鑑と払戻金受領証の印影を照合して相違ないことを確認した。実際にも,この届出印鑑は一旦盗取された後に戻された形跡があるとのことであるから,真正な届出印鑑の印章が使用されたものと考えられる。

hは,請求者Dと面識がなく,高額の払戻請求であったため,同人に対し,「今日は,何かご用があってこちらに来られたのですか。」と質問したところ,同人は「家が近くなので。」と答えた。

また,hは本人確認資料の提示を求め,健康保険証の提示を受けたほか,払戻金受領証の表面に「くちびるの上にホクロ 髪染めている まん中わけ」と請求者Dの特徴を記載した。

オ 本件払戻し4

(ア) 本件払戻し4(控訴人bの本件口座4の払戻し)は,平成15年5月9日午前11時25分,豊橋郵便局において行われ,払戻金額は349万0734円であった。

この払戻しでは,平成8年4月から貯金業務に従事していたiが窓口を担当した。

(イ) 払戻請求者(以下「請求者E」という。)は男性であった。

iは,請求者Eが提出した貯金通帳と払戻金受領証を対照し,払戻金受領証に記載された住所,氏名が符号していること,副印鑑と払戻金受領証の印影を照合して相違ないことを確認した。実際にも,貯金通帳とともに届出印鑑も盗取されているとのことであるから,真正な届出印鑑の印章が使用されたものと考えられる。

また,iは,請求者Eが男性で,異性名義の払戻請求であったため,本人確認の資料の提示を求めて健康保険証の提出を受け,その被扶養者欄に貯金者の氏名が記載されていたことから,貯金者の夫からの請求であると判断し,使者による払戻しとして扱った。iは,この健康保険証の写しを取り,「夫,j」と付記している。

なお,夫が妻の使者として貯金の預け入れ,払戻しを行なうことは特段に奇異なことではなく,日常的に遭遇する事象である。高額な払戻しであることから安全性を考慮し,妻が夫に依頼したと考える余地もある。

また,この払戻しに係る定額貯金の一部が満期前であるとしても,本件払戻しでは満期前の定額貯金は一部にすぎず,利用客の中には満期前の定額貯金の払戻しを求める者も頻繁に存在するから,この点についても特段に正当権限を疑うべきとする事情とはならない。

さらに,控訴人bは,払戻時に提示された健康保険証記載の事業所所在地,保険者所在地につき一部誤記があるのに,iはこれに気づかなかったから払戻手続に過失があると主張するが,正当権利者の確認資料として提示された健康保険証は,払戻請求者と貯金名義人との関係,払戻の正当権限等を確認するためのものであるから,確認事項は,専ら払戻請求者の住所・氏名・生年月日である。したがって,健康保険証の外観から偽造を疑うべき特段の事情がない限り,事業所所在地,保険者所在地の表記についてまで逐一確認義務を負うものではない。仮に,事業所所在地,保険者所在地につき,偽造であることが一見明らかな場合以外にも確認義務を課すとすれば,金融機関に過大な負担を課すものといわざるを得ず,妥当ではない。

(3)  約款による免責

被控訴人設立後の払戻しについては,郵便貯金等規定(争いのない事実等(4)イ参照)が適用される。

上記(2)アないしオの払戻しの際の状況に照らせば,本件各払戻しは,いずれも,払戻手続を担当した者によって,副印鑑と払戻金受領証の印影とを相当の注意をもって照合して相違がないものと認めているから,郵便貯金等規定により免責される。

4  控訴人らの主張

(1)  被控訴人の主張(1)(弁済)に対する反論

本件各払戻しにおいて用いられた貯金通帳は,いずれも控訴人らから盗取されており,本件各払戻しは,無権限者に対する払戻しである。

(2)  被控訴人の主張(2)(債権の準占有者に対する弁済)に対する反論

ア 民法478条の適用の可否とその要件

(ア) そもそも,民法478条は,いずれが債権者かに争いがある場合の表見的債権者に対する弁済を免責する規定であって,債権者が誰かに争いがなく,ただ債権者になりすました者に対する支払までも免責する規定ではなかった。また,預貯金者に全く帰責事由がなく,預貯金者が何も知らない間に無権限者に支払が行われた場合,預貯金者にその損失を負担させるべきではない。

したがって,本件のように,犯罪者が貯金名義人等になりすまして盗取した貯金通帳を用いて貯金の払戻しを請求した事案では,民法478条を適用すべきではない。

(イ) 仮に,このような事案においても民法478条が適用されるとしても,

a 本来適用すべきではない場面にまで同条の異常な拡張解釈がされてきた,

b 預貯金の過誤払い事案は,債権者であることを示す外観を偽造して払戻しを請求する事案であり,外観法理が適用される場面である,

c 少なくとも平成10年ころから通帳や印章を狙ったピッキング盗による盗難被害が多発し,盗取した通帳を利用した過誤払いが多発するようになった,

d コンピュータや情報処理技術の発展により,誰もが副印鑑等から印影を偽造することができるようになり,偽造の精巧さも高度になり,印鑑照合のみでは債権者の権限確認が殆ど困難になったという事情からすれば,同条によって弁済が有効とされるためには,(a)弁済が債権の準占有者に対してされたこと,(b)弁済者が善意・無過失であることに加えて,(c)債権者側に帰責事由があることが必要というべきである。

そして,(c)については,平成18年2月10日に施行された偽造カード等及び盗難カード等を用いて行われる不正な機械式預貯金払戻し等からの預貯金者の保護等に関する法律(以下「預金者保護法」という。)において,偽造・盗難カード及び通帳による機械式払戻しにおいては,預貯金者側の故意・重過失がない限り,その損失は金融機関が負担すべきことが定められていることを考慮すると,窓口取引の場合にも同法理を貫くべきである。そうでなければ,機械式取引の場合のみに預貯金者に帰責事由がない限り預貯金者が保護され,窓口取引の場合には預貯金者の帰責事由の有無が考慮されずに預貯金者が保護されないという明らかに不合理な結果となる。

(ウ) 弁済者の無過失の判断は,当該事案当時における社会通念に照らして一般的に期待される注意を尽くしたか否かによるべきところ,上記に示した近年における被害状況などに照らせば,無権限者による払戻請求である危険性が高い取引類型,すなわち以下のaないしdに該当する場合には,印鑑照合だけでは足りず,以下の(a)ないし(e)の方法などにより,払戻請求者の受領権限の有無を確認する注意義務があるというべきである。

(取引類型)

a 定額貯金・定期貯金の解約及びこれらを担保とした貸付の場合

b 一定金額以上の高額の払戻請求の場合

c 払戻請求額が貯金残高のほぼ全額あるいは過去の払戻履歴からみて突出した金額である場合などの特異な取引の場合

d 何らかの契機により,窓口で貯金の払戻請求をしている者が正当な受領権限を有しないのではないかと疑わしめる事情が存在した場合

(受領権限の確認方法)

(a) 筆跡照合

(b) 払戻請求者にキャッシュカードの暗証番号を確認する。

(c) 貯金者が法人等の団体の場合には電話による確認を行う。

(d) 個人の場合には写真付き身分証明書の提示を求める。

(e) 払戻請求者が本人か代理人であるかを尋ね,本人であれば,住所,生年月日,電話番号などの個人情報を尋ねる。

さらに,印鑑照合においても,偽造印影による払戻請求がされる可能性を考慮した上で,各文字について慎重な照合を行う注意義務があり,以下の点について注意する必要がある。

① 朱肉の色が,ロビー備え付けの朱肉の色と異なっていないか。

② 印鑑を押印した凹凸があるか(印影が印刷されたものではないか。)。

③ 印影の文字が太く,スタンプのように見えないか。

(エ) 本件各払戻しにおいては,いずれも本人確認の資料として健康保険証が提示されているが,健康保険証には,写真の貼付もなければ,すかし等の措置も施されていないなど偽造が容易である上,自宅に保管され,通帳とともに盗取されることも多いから,本人確認の資料としての機能は果たし得ないもので,その提示をもって窓口担当者に過失がなかったとはいえない。

また,被控訴人においては,貯金通帳に届出印鑑を顕出し,その印影による印鑑照合を行う副印鑑制度が採用されており,盗取された控訴人らの貯金通帳にも,副印鑑が顕出されていたところ,副印鑑制度は,本来,通帳とは別個に管理され,第三者に秘しておくべき届出印鑑を通帳上に表示させるもので,本人確認方式の安全性を根底から揺るがす。このような副印鑑制度は,速やかに廃止すべきであるし,仮に存置させるとしても,他局の窓口での払戻を希望しない顧客に対し,その危険性を告知するか,上記のような副印鑑との照合以外の受領権限の厳格な確認措置を講ずべきであるのに,被控訴人はこれを怠っており,被控訴人による貯金払戻制度の設置管理には重大な過失がある。

イ 本件各払戻しにおける被控訴人の過失

以下のとおり,本件各払戻しにおいて,被控訴人が払戻請求者に受領権限があると信じたことには過失がある。

(ア) 本件払戻し1

a 本件払戻し1(控訴人cの本件口座1の払戻し)には,以下の事情があり,無権限者による払戻請求である危険性が高い取引類型に該当するから,窓口担当者のeは,上記ア(ウ)の方法によって受領権限の有無を確認すべき注意義務を負っていた。

(a) 2口の定額貯金の解約払戻しである。

(b) 払戻金額は約400万円と極めて高額である。

(c) 控訴人cが有していた定額貯金全額の払戻しである。

(d) 控訴人cは,払戻しがされた名古屋瑞穂郵便局では一度も取引を行っておらず,eは請求者Aの顔を知らなかった。

(e) 据置期間が経過してから短期間の払戻しであった。

(f) 当時,同種過誤払いの多発等により印鑑照合のみでは過誤払いを防止できないことが金融機関に十二分に認識され,より一層慎重な権限確認が求められる社会状況にあった上,被控訴人においては過誤払いの原因である副印鑑制度を存置させていた。

b しかし,eは,その注意義務を怠り,請求者Aの払戻請求に安易に応じた過失がある。

特に,払戻請求書の氏名,住所と貯金通帳の氏名,住所の筆跡は,注意して比較さえすれば,明らかに異なる。また,当時の控訴人cの住所のマンション名は「KI町」であるのに,払戻請求書には「K」とだけ記載され「I町」が抜けており,本当にそのマンションに住んでいる者ならばそのような記載をすることはないから,他の方法での権限確認,払戻金の使途に関する質問,貯金通帳等を見ないで住所や郵便番号等が記載できるかの確認などをする必要性が大きかった。

なお,eは,請求者Aに対し,口頭で生年月日を確認した旨供述するが,同人作成の陳述書や郵政監察官に対する供述調書等においてもそのような記載はなく,信用できない。

(イ) 本件払戻し2

a 本件払戻し2(控訴人aの本件口座2の払戻し)には,以下の事情があり,無権限者による払戻請求である危険性が高い取引類型に該当するから,窓口担当者のfは,上記ア(ウ)の方法によって受領権限の有無を確認すべき注意義務を負っていた。

(a) 8口の定額貯金の解約払戻しである。

(b) 払戻金額は約500万円と極めて高額である。

(c) 控訴人aが有していた定額貯金全額の払戻しである。

(d) 控訴人aは,払戻しがされた名古屋南郵便局では一度も取引を行っておらず,fは請求者Bの顔を知らなかった。

(e) 当時,同種過誤払いの多発等により印鑑照合のみでは過誤払いを防止できないことが金融機関に十二分に認識され,より一層慎重な権限確認が求められる社会状況にあった上,被控訴人においては過誤払いの原因である副印鑑制度を存置させていた。

b しかし,fは,その注意義務を怠り,請求者Bの払戻請求に安易に応じた過失がある。

特に,払戻金受領証の氏名,住所と貯金通帳の氏名,住所の筆跡は,注意して比較さえすれば,明らかに異なる。また,当時の控訴人aの電話番号は「052-k-l」であるのに,払戻金受領証には「0528-m-l」と記載されており,これは控訴人aの届出住所地である名古屋市H区で生活している者であればあり得ない誤記であるから,他の方法での権限確認,払戻金の使途に関する質問,貯金通帳等を見ないで住所や郵便番号等が記載できるかの確認などを行う必要性が大きかった。

(ウ) 本件払戻し3①

a 本件払戻し3①(控訴人dの本件口座3①の払戻し)には,以下の事情があり,無権限者による払戻請求である危険性が高い取引類型に該当するから,窓口担当者のgは,上記ア(ウ)の方法によって受領権限の有無を確認すべき注意義務を負っていた。

(a) 3口の定額貯金の解約払戻しである。

(b) 払戻金額は603万6000円と極めて高額である。

(c) 3口の定額貯金全額の払戻しである。

(d) 定額貯金預入後比較的短期間での解約である。

(e) 請求者Cは「いくらまでおろせるのか。」「全部おろしたい。」と口座名義人としては不自然な態度を示した。

(f) 当時,同種過誤払いの多発等により印鑑照合のみでは過誤払いを防止できないことが金融機関に十二分に認識され,より一層慎重な権限確認が求められる社会状況にあった上,被控訴人においては過誤払いの原因である副印鑑制度を存置させていた。

b しかし,gは,その注意義務を怠り,請求者Cの払戻請求に安易に応じた過失がある。

特に,本件払戻し3①では,払戻金受領証(乙9の1)の氏名,住所と郵便貯金預入申込書等(乙32,33)の氏名,住所の筆跡は,注意して比較さえすれば,明らかに異なること,マンション名として「S」とすべきところ,払戻金受領証には「U」と,「エ」の大小について誤記があることなどからすれば,他の方法での権限確認などを行う必要性が大きかった。

なお,gは,請求者Cに対し,生年月日を尋ねたとするが,健康保険証に生年月日の記載があるからそれを答えられることは当然であって,本人確認としては不十分である。

(エ) 本件払戻し3②

a 本件払戻し3②(控訴人dの本件口座3②の払戻し)には,以下の事情があり,無権限者による払戻請求である危険性が高い取引類型に該当するから,窓口担当者のhは,上記ア(ウ)の方法によって受領権限の有無を確認すべき注意義務を負っていた。

(a) 払戻金額は200万円と高額である。

(b) 当時の口座残高である221万0011円の9割を占める貯金の払戻しである。

(c) 本件口座3②は,平成15年1月13日に口座が開設されたばかりであり,200万円という高額の取引は行われていなかった。

(d) hが「今日は何かご用があって,こちらに来られたのですか。」と問いかけたのに対し,請求者Dは,払戻しが行われた名古屋葵郵便局より近い郵便局がいくつもあるのに「家が近くなので。」「通りかかったので。」と答えた。

(e) 当時,同種過誤払いの多発等により印鑑照合のみでは過誤払いを防止できないことが金融機関に十二分に認識され,より一層慎重な権限確認が求められる社会状況にあった上,被控訴人においては過誤払いの原因である副印鑑制度を存置させていた。

b しかし,hは,その注意義務を怠り,請求者Dの払戻請求に安易に応じた過失がある。

特に,本件払戻し3②では,払戻金受領証の用紙にしわがあったため,印影が途中で切れている,払戻金受領証(乙10の1)の氏名,住所と通常郵便貯金預入申込書(乙21)の氏名,住所の筆跡は,注意して比較さえすれば,明らかに異なることなどからすれば,印鑑の押し直しや,他の方法での権限確認などを行う必要性が大きかった。

(オ) 本件払戻し4

a 本件払戻し4(控訴人bの本件口座4の払戻し)には,以下の事情があり,無権限者による払戻請求である危険性が高い取引類型に該当するから,窓口担当者のiは,上記ア(ウ)の方法によって受領権限の有無を確認すべき注意義務を負っていた。

(a) 9口の定額貯金の解約払戻しである。

(b) 払戻金額は349万0734円と高額である。

(c) 控訴人bは長年定額貯金を利用し,満期が到来すると新たに定額貯金として預け入れており,それまで一度も解約したことがなかったところ,控訴人bが有していた定額貯金全部の払戻しである。

(d) 9口のうち1口は預入から2か月しか経ってない満期前の貯金である。

(e) 控訴人bは女性であるが,請求者Eは男性であり,iとの面識もなかった。

(f) 当時,同種過誤払いの多発等により印鑑照合のみでは過誤払いを防止できないことが金融機関に十二分に認識され,より一層慎重な権限確認が求められる社会状況にあった上,被控訴人においては過誤払いの原因である副印鑑制度を存置させていた。

b しかし,iは,その注意義務を怠り,請求者Eの払戻請求に安易に応じた過失がある。

特に,本件払戻し4は,異性による払戻請求であるから,窓口担当者としては,払戻請求者に対して名義人との関係を確認しなければならないのは当然である。そして,ここで問題とすべきは払戻請求者の受領権限であるから,名義人との関係も,払戻請求者の受領権限の有無という観点から確認しなければならず,夫(あるいは妻)は妻(あるいは夫)の預金を払い戻す権限を当然に有しているわけではないから,名義人との続柄を確認しただけでは,受領権限を確認したことにはならないのである。したがって,iが,健康保険証によって名義人との続柄を確認したとしても,払戻請求者の受領権限の確認方法としては極めて不十分であり,過失なしとすることはできない。

そして,提示された健康保険証には勤務先として「n株式会社」とされていたが,所在地は「豊橋市AB丁目C-D」と存在しない地名(「A野」という地名は存在する。)が記載され,また保険者である豊橋社会保険事務所の所在地は「豊橋市E町F-G」であるのに「豊橋市EF-G」と誤った記載がなされていたのであるから,日常的に豊橋郵便局の管轄区域内の地名表記に触れている被控訴人職員であれば,容易に誤記に気づくことができたと考えられる。それにもかかわらず,iは,健康保険証の記載の誤りに気づかなかったのであるから,払戻手続において果たすべき注意義務を著しく怠ったことは明らかである。

また,jと称する請求者Eが同社の社員を装ったことになるが,平日には通常勤務中である会社員が妻名義の定額貯金の払戻請求をすることは想定し難いことなどからすれば,健康保険証記載の健康保険組合に電話するなど他の方法での権限確認を行う必要性が大きかったのに,iは,健康保険証の提示を受けたのみで,請求者Eに対し,請求者Eが名義人ではないことについても,据置期間経過前であることについても,何らの質問もすることなく,漫然と払戻に応じた。

(3)  被控訴人の主張(3)(約款による免責)に対する反論

旧郵便貯金法26条,同規則52条1項,85条1項及び郵便貯金等規定は,民法478条以上に金融機関の免責を認めるものではない。印鑑の照合と郵便貯金取扱手続等に従った手続を踏みさえすれば免責されるかのような被控訴人の主張には理由がない。

第3当裁判所の判断

1  本件各払戻しの経緯等

(1)  本件払戻し1,2について

争いのない事実等,証拠(甲Bイ1,2,4ないし10,乙12の1・2,28,29,31,35,43ないし45,原審証人e,同f,原審における控訴人a本人)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

ア 控訴人c,同aによる印鑑及び通帳の保管状況等

控訴人c(昭和49年2月12日生まれ)及び控訴人a(昭和49年12月6日生まれ)は,平成16年3月当時,夫婦で名古屋市H区I町JKI町Lに同居しており,同人らの貯金通帳,届出印鑑,健康保険証は,控訴人aにおいて,自宅のキッチンカウンターの下にある2段キャビネット上段右端の書類入れの中に保管していた。また,同住所が本件口座1,2の届出住所である。

平成16年3月26日当時,控訴人cの本件口座1には400万4000円の,控訴人aの本件口座2には505万1600円の残高があった。

イ 本件払戻し1の状況

(ア) o(昭和49年2月17日生まれ)は,平成16年3月26日の午前中,氏名不詳の外国人男性から,控訴人cの本件口座1の貯金の払戻しを請け負い,本件口座1の貯金通帳,届出印鑑の印章及び控訴人cの健康保険証を受け取った。

(イ) o(請求者A)は,同日午後3時前ころ,名古屋瑞穂郵便局に訪れ,記帳台で,払戻請求書の用紙に控訴人cの氏名,郵便番号,電話番号及び住所を記入し,「お届印」欄に印鑑を押捺し,本件口座1の貯金通帳とともに,窓口係員のeに提示した。なお,控訴人cの住所は「名古屋市H区I町J KI町L」であったところ,oは,払戻請求書に「名古屋市H区I町J KL」と記入した。

(ウ) eが「何かご本人様を確認するものはお持ちですか。」と尋ねたところ,oは,健康保険証を提示した。この健康保険証には,表面上部に「再交付」と表示されていた。

eが「ご本人様ですか。」と尋ねたところ,oは「はい。」と答えた。

eが「どの貯金をおろしますか。」と尋ねたところ,oは「全部おろしてください。」と答えた。

続いて,eが,払戻請求書の印影と副印鑑を照合したほか,氏名,住所等について払戻請求書の記載内容と貯金通帳の記載内容を照合したところ,印影は同一のものと認めたが,住所の記載について,払戻請求書に記載されたマンション名に「I町」の記載が漏れていることに気付いた。

そこで,eは「マンション名が通帳に書いてあるものと,お客様が払戻用紙に書かれたものとどちらが正しいですか。」と尋ねたところ,oは「普段はマンション名を通称の「K」と呼んでいて,「I町」は入れずに使っている。」と答えた。eは,払戻請求書の「おところ」欄を訂正するように指示し,oはその場で上記印章を訂正印にして,マンション名を「KI町L」に訂正した。

eは,上記健康保険証の「再交付」との表示を不審に思い,「保険証以外に何かお持ちですか。」と尋ねたところ,oは「持っていません。」と答えた。eは,払戻請求書の裏面に,健康保険証の記号・番号として「健保M」,本人による払戻しとして「本人」,生年月日として「S49.2.12」と記載し,健康保険証を返還した。この健康保険証は真正なものである。

eは,oに対し,しばらく待つように伝え,更に受領権限を確認するため,窓口に備え付けの端末機で,健康保険証に記載されていた住所,氏名及び生年月日が郵便局に届け出ているものと同一であることを確認し,郵便局備え付けの偽造健康保険証一覧表に掲載されていないことを確認したほか,課長代理にも相談し,「偽造健康保険証一覧表に載っていなければ大丈夫だろう。」との回答を得た。

(エ) eは,同日午後2時52分ころ,oに対し,現金400万4000円と払戻明細書を交付するとともに貯金通帳を返還した。oはこれらを受け取って退店した。

ウ 本件払戻し2の状況

(ア) 平成16年3月26日午後4時前ころ,30代前後で眼鏡をかけていない面長の女性である請求者Bが名古屋南郵便局に来店した。

請求者Bは,窓口係員のfに対し,「定額の払戻しをお願いします。」と言って,控訴人aの本件口座2の貯金通帳と払戻金受領証を提示した。この払戻金受領証には,電話番号として(「052-k-l」が正確であるところ)「0528-m-l」と記載されていた。

(イ) fが「本人様ですか。」と尋ねたところ,請求者Bは「はい。」と答えた。fが「どちらの定額を払い戻せばよいのですか。」と尋ねたところ,請求者Bは「全部おろしてください。」と答えた。

fは,高額の払い戻しであったため,請求者Bに対し「ご本人様と確認できる証明資料はお持ちですか。」と尋ねたところ,請求者Bは健康保険証を提示した。fは,この健康保険証の治療履歴の記載を見て,実際に使用されている健康保険証であることを確認し,了承の上コピーをとった。この健康保険証は真正なものである。

fは,払戻金受領証の印影と副印鑑との照合のほか,氏名,住所等について払戻金受領証の記載内容と貯金通帳の記載内容とを照合し,いずれも同一のものと認めた。

(ウ) fは,同日午後3時58分ころ,請求者Bに対し,税引後(税額790円)の現金505万0810円を交付するとともに貯金通帳を返還した。請求者Bはこれらを受け取って退店した。

エ その後の状況

控訴人c及び控訴人aは,平成16年3月28日午前2時ころ,自宅に保管していた貯金通帳,届出印鑑及び健康保険証がなくなっていることに気付き,翌29日午前9時ころ,名古屋南郵便局に届け出た。

(2)  本件払戻し3①及び同②について

争いのない事実等,証拠(甲Bハ1ないし3,乙9の1・2,10の1・2,21ないし23,32ないし34,37,38,41,原審証人g,同h,原審における控訴人d本人)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

ア 控訴人dによる通帳及び印鑑の保管状況等

控訴人d(昭和47年10月20日生まれ)は,平成15年5月当時,名古屋市N区OP-Q-RSTに居住し(本件口座3①,同②の届出住所も同じ。),そのクローゼット内に,銀行や郵便局の通帳類(本件口座3①及び同②の貯金通帳を含む。),印章及び健康保険証を別々の箱に入れて保管していた。本件口座3①の届出印鑑の印章と本件口座3②の届出印鑑の印章とは別個の印章であるところ,本件口座3①の届出印鑑の印章は,偶々,控訴人dの妻が持ち出していた。

平成15年5月13日当時,控訴人dの本件口座3①には221万0011円の,本件口座3②には604万2000円の残高があった。

イ 本件払戻し3①の状況

(ア) 平成15年5月13日午後0時ころ,30代の男性である請求者Cが名古屋新栄郵便局に来店し,窓口担当者のgに対し,控訴人dの本件口座3①の貯金通帳を提示して,「いくらまでおろせるのか。」と尋ねた。gが「おいくらご入り用ですか。」と問い返したところ,請求者Cは「全部おろしたい。」と答えた。

(イ) gが,請求者Cに対し,払戻金受領証を作成するよう求めたところ,請求者Cは払戻金受領証の用紙に氏名の記載と押捺だけして提示した。そこで,gが住所の記入を求めたところ,請求者Cは記帳台で住所を記入して提出した。この記入作業は,gに背を向ける格好で行われたが,貯金通帳はgが預かったままであり,同人からは何かを参照しているようには見えなかった。

gは,身元確認の資料の提示を求めたところ,請求者Cは健康保険証を提示した。さらにgは,運転免許証を所持していないか尋ねたが,請求者Cは所持していない旨答えた。

gは,この健康保険証が,偽造健康保険証一覧表に掲載されている種類の保険証ではないことを確認し,これを預かったまま,請求者Cに対し,生年月日を尋ねたところ,同人は何かを参照することなく答えた。

gは,健康保険証のコピーをとり,払戻金受領証の裏面に,健康保険証の記号・番号として「p-q」,事業所名として「r」,生年月日として「S47.10.20」と記載した。この健康保険証は,偽造されたもので,事業所の記載も控訴人dの就業先と異なっていたが,控訴人dの氏名,住所及び生年月日の記載は真実と合致していた。

gは,払戻金受領証の印影と副印鑑との照合のほか,氏名,住所等について払戻金受領証の記載内容と貯金通帳の記載内容とを照合し,いずれも同一のものと認めた。

(ウ) gは,同日午後0時8分ころ,請求者Cに対し,税引後(税額6000円)の残金全額に相当する現金603万6000円を交付するとともに貯金通帳を返還した。請求者Cはこれらを受け取って退店した。

ウ 本件払戻し3②の状況

(ア) 平成15年5月13日午後1時15分ころ,30代の男性である請求者Dが名古屋葵郵便局に来店し,窓口係員のhに対し,控訴人dの本件口座3②の貯金通帳及び払戻金受領証を提示して,同口座の通常貯金のうち200万円の払戻しを依頼した。

(イ) hが「今日は何かご用があって,こちらに来られたのですか。」と尋ねたところ,請求者Dは「家が近くなので。」と答えた。

hが,身元確認の資料の提示を求めたところ,請求者Dは健康保険証を提示したので,hは,払戻金受領証の裏面に,健康保険証の記号・番号として「p-q」,健康保険組合名として「s」,保険者番号として「t」と記載するとともに,請求者Dの了承を得てコピーをとった。この健康保険証は,偽造されたもので,事業所の記載は控訴人dの就業先と異なっていたが,控訴人dの氏名,住所及び生年月日の記載は真実と合致していた。

また,hは,払戻金受領証の裏面に,請求者Dの特徴として「くちびるの上にホクロ」「髪,染めている」「まん中分け」と記載した。

hは,払戻金受領証の印影と副印鑑との照合のほか,氏名,住所等について払戻金受領証の記載内容と貯金通帳の記載内容とを照合し,いずれも同一のものと認めた。

(ウ) hは,同日午後1時19分ころ,請求者Dに対し,現金200万円を交付するとともに貯金通帳を返還した。請求者Dはこれらを受け取って退店した。

エ その後の状況

控訴人dは,平成15年5月14日,u銀行から,「昨日かおととい,お金をおろされましたか。」,「何か大きな買い物をしたか。」との問い合わせを受け,自宅のクローゼット内に保管していた通帳類を確認したところ,u銀行の預金通帳2冊及び健康保険証がなくなっていた。控訴人dが,他にも被害がないかを確認すると,本件口座3①及び同②の各貯金通帳はなくなってはいなかったが,控訴人dに全く身に覚えがない本件払戻し3①及び同②の記帳がされていた。本件口座3①の届出印鑑の印章は,当時,控訴人dの妻が持ち歩いていたため,盗取されていない。

(3)  本件払戻し4について

争いのない事実等,証拠(甲Bニ1,乙11,24,25,40,原審証人i,原審における控訴人b本人)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

ア 控訴人bによる通帳及び印鑑の保管状況等

控訴人b(昭和37年1月12日生まれ)は,当事者欄記載の住所地に居住しており,普段,自宅の寝室のタンス内に本件口座4の貯金通帳及び届出印鑑の印章を保管していたが,平成15年3月ころ,満期になった定額貯金を再度預けるため,本件口座4の通帳及び届出印鑑の印章を持ち出して,そのまま自家用車のダッシュボード内に置いたままにしていた。

控訴人bの本件口座4には,同年5月9日当時,351万1686円の残高があった。

イ 本件払戻し4の状況

(ア) 平成15年5月9日午前11時20分ころ,男性である請求者Eが豊橋郵便局に来店し,窓口係員のiに対し,控訴人bの本件口座4の貯金通帳及び払戻金受領証を提示して,同口座の定額貯金全部の払戻しを依頼した。そのうち40万円の定額貯金一口については,同年3月3日に預け入れられたもので,6か月間の据置期間が経過していなかった。

(イ) iは,請求者Eと面識がなく,異性名義の貯金の払戻しであったため,控訴人bとの関係を尋ねたところ,請求者Eは,控訴人bの夫である旨答えた。iは,身元確認の資料の提示を求めたところ,請求者Eは健康保険証を提示したので,了承を得てコピーをとり,その余白に「file_2.jpg」,「夫」,「j」と記載したほか,この健康保険証が,偽造健康保険証一覧表に掲載されている種類の保険証ではないことを確認した。この健康保険証は,偽造されたもので,事業所(n)の記載は控訴人bの夫の就業先と異なっていた上,所在地の記載(豊橋市AB丁目C-D)にも誤記があり(A野が正確である。),また保険者(愛知社会保険事務局豊橋社会保険事務所)の所在地の記載(豊橋市E3-96)にも誤記があった(E町が正確である。)が,控訴人b及びその夫の氏名,住所及び生年月日の記載は真実と合致していた。

iは,払戻金受領証の印影と副印鑑との照合のほか,氏名,住所等について払戻金受領証の記載内容と貯金通帳の記載内容とを照合し,いずれも同一のものと認めたが,事業所及び保険者の住所の誤記には気づかなかった。

(ウ) iは,同日午前11時25分ころ,請求者Eに対し,税引後(税額2万0952円)の現金349万0734円を交付するとともに貯金通帳を返還した。請求者Eはこれらを受け取って退店した。

ウ その後の状況

控訴人bは,本件口座4の通帳及び届出印鑑の印章を自家用車のダッシュボード内に置いたままにしていたことを忘れていたところ,平成15年5月25日午後11時ころ,偶々,普段の保管場所である寝室のタンスを確認した際,本件口座4の貯金通帳がなかったことに気付き,翌26日,貯金が払い戻されていることを確認した。

その後,控訴人bが,本件口座4の通帳及び届出印鑑の印章を自家用車のダッシュボード内に置き忘れていることを思い出し,ダッシュボード内を確認したが,そこに本件口座4の通帳及び届出印鑑の印章はなかった。

2  本件払戻し1,2に関する被控訴人の主張について

(1)  被控訴人の主張(1)(弁済)について

上記1(1)の認定のとおり,本件口座1,2の貯金通帳及び届出印鑑は,各払戻し以前に何者かにより盗取されたものであるから,本件払戻し1,2が,名義人である控訴人c,控訴人aに対する弁済であるとは認められない。

(2)  被控訴人の主張(2)(債権の準占有者に対する弁済)について

ア(ア) 控訴人らは,盗取した通帳を用いて預貯金の払戻しを請求する事案では,民法478条を適用すべきではないし,仮に適用されるとしても,債権者である預貯金者の帰責事由が必要である旨主張する。しかし,民法478条は,取引の安全を保護するために,取引観念の上から見て真実の債権者であると信じさせるような外観を有する者への弁済を有効とする趣旨の条文であり,また,預貯金通帳と印鑑によって払戻しをする方法は,金融機関において長年にわたって行われてきた払戻しの方法の一つであり,かかる方法による払戻しが多数行われていることを考慮すると,民法478条の適用範囲を控訴人ら主張のように制限するのは相当でないというべきである。

控訴人らは,預金者保護法において,偽造・盗難カード及び通帳による機械式払戻しにおいては,預貯金者側の故意・重過失がない限り,その損失は金融機関が負担すべきことが定められていることを考慮すると,窓口取引の場合にも同法理を貫くべきであると主張する。カード及び暗証番号によるATMでの払戻しの場合は,磁気ストライプ部分のデータが同一であり,暗証番号が一致していれば,真正なカードと相違することが外見上明らかな偽造カードであり,異性によるもの等正当な払戻請求者でないことが明らかな場合であっても,ATMは真正なカードであり正当な払戻請求者による払戻請求とみなして処理することになる(ATMは,上記2点を照合して,その結果により画一的に反応するだけである。)。一方,預貯金通帳と印鑑による窓口における払戻しの場合は,預金通帳が真正なものであること(ATMとは違って磁気ストライプ部分のデータをコピーしたのみでは窓口担当者の目をごまかすことはできない。)や印影の同一性の確認が行われるほか,払戻請求をした者と正当な払戻請求者との同一性の確認などの処理が行われ,ATMのように画一的な処理・反応がなされることはない。また,不正払戻しの方法も,ATMによる払戻しの場合には,偽造カードの作成及び暗証番号の入手という方法に限られる(カード保有者の隙をついて磁気ストライプの部分のみをコピーすることは極めて容易にできるし,暗証番号も4桁固定であり,その番号は生年月日や電話番号等,他人の推測可能なものになりがちであるという人間行動上の脆弱性がある。)が,預貯金通帳と印鑑による窓口での払戻しの場合には,様々な態様が考えられる。預金者保護法は,ATMによるセキュリティシステムに上記のような脆弱性があることを考慮して,預貯金の払戻しが偽造カードを用いて行われた場合には,民法478条の適用を排除して(3条),金融機関の免責される場合を預貯金者の重大な過失がある場合等に限ってこれを大幅に限定するとともに(4条),盗難カードによる場合は,預貯金者が一定の手続的要件を満たせば,金融機関に対して損害の補てんを請求することができる(5条)ものとしたものである。上記のようなカードと暗証番号によるATMでの払戻しと預貯金通帳と印鑑による窓口での払戻しの差異を考慮すると,民法478条の適用に際し,預貯金者側の故意・重過失があることも要件とすべきである旨の控訴人らの主張は採用できないというべきである。

(イ) また,控訴人らは,無権限者による払戻請求である危険性が高い取引類型においては,印鑑照合だけでは足りず,①筆跡照合,②払戻請求者にキャッシュカードの暗証番号を確認する,③貯金者が法人等の団体の場合には電話による確認を行う,④個人の場合には写真付き身分証明書の提示を求める,⑤払戻請求者が本人か代理人であるかを尋ね,本人であれば,住所,生年月日,電話番号などの個人情報を尋ねるなどの方法により,払戻請求者の受領権限の有無を確認すべき注意義務がある旨主張する。

しかし,金融機関の窓口において印鑑照合により払戻請求者の受領権限を確認することは長年の慣行であって,現在においてもなお,通帳と印鑑があれば預貯金の払戻しを受けられるというのが社会一般の取引通念であって,預貯金者においても,このような取扱いを前提として,預貯金を行っている。控訴人らが主張するような確認方法を金融機関に求めるのであれば,すべての金融機関側においてそれに対応する整備ができていることが必要となるが,そのような整備がなされていることを認めるに足りる証拠はないし,そのような整備をしていないこと自体が,金融機関の過失に該当すると評価できるような状況に至っているとも認められない。また,預貯金者においても,通帳及び届出印鑑の印章を別の場所に保管するなど,その管理に遺漏なきを期することが求めれているのは公知の事実である。そして,大多数の払戻しは正当に行われており,預貯金が受領権限のない者に誤って払い戻されるのは例外的な場合にとどまることを併せ考えれば,控訴人らの主張は採用できないというべきである。

(ウ) そうすると,金融機関としては,通帳及び払戻請求書等の提示により預貯金の払戻請求を受けた場合,払戻請求者に受領権限がないものと疑うべき特段の事情がない限り,当該口座の届出印鑑と払戻請求書等に顕出された印影との照合を行うことをもって足りると解される。ただし,この印鑑照合に当たっては,折り重ねによる照合や拡大鏡等による照合をするまでの必要はなく,肉眼によるいわゆる平面照合の方法をもってすれば足りるにしても,金融機関の照合事務担当者に対して社会通念上一般に期待されている業務上相当の注意をもって慎重に行なうことを要し,かかる事務に習熟している担当者がそのような相当の注意を払って熟視するならば肉眼をもって発見しうるような印影の相違を看過して,払戻請求者に受領権限があると信じたときは,金融機関に過失があるものと解される。

この点,旧郵便貯金法26条,同規則52条1項,85条1項には「通帳の印鑑と払戻金受領証の印影を対照するという正規の手続を経て払い渡せば正当の払い渡しとみなす。」旨の規定が,通常郵便貯金規定及び定額郵便貯金等共通規定には,「払戻金受領証等に顕出された印影を副印鑑と相当の注意をもって照合し,相違ないものと認めて取り扱った場合には,それらの書類につき偽造,変造その他の事故があってもそれにより生じた損害については,被控訴人が責任を負わない。」旨の規定があるところ(前記第2,2(4)の事実),これらの規定も,被控訴人において,必要な注意義務を尽くして照合にあたるべきことを前提とするもので,債権の準占有者に対する弁済におけるのと同一の注意義務を課したものであって,被控訴人の注意義務を軽減するものではないと解される。

イ 本件払戻し1について

(ア) 印鑑の照合についてみるに,払戻請求書の印影(乙12の1)と届出印鑑(乙28,29)とは,朱肉の材質の差異,朱肉の付き具合や力の入れ具合,印鑑の摩耗・欠損等によるものとはいえない程度の相違は認められないし,本件口座1の届出印鑑は,副印鑑のある貯金通帳とともに盗取されているところ,これを使用せずに印章ないし印影を偽造することは想定し難いから,払戻請求書の印影は,届出印鑑と同一の印章により顕出されたものと認められる。

そうすると,本件払戻し1における,eの印鑑照合事務には過失はない。

(イ) その他の払戻しの状況についてみるに,上記1(1)イ認定の一連の払戻しの状況によれば,oの挙動に特段不自然な点は窺えないし,eはoから真正な健康保険証の提示を受けたほか(乙12の2),窓口の端末機により健康保険証の記載内容を確認し,偽造健康保険証一覧表に掲載されていないことを確認している。

このような本件払戻し1の状況に照らせば,eにおいて,oに受領権限があるものと信じたことに過失はない。

(ウ) この点,控訴人cは,払戻請求書の氏名,住所の筆跡が,貯金通帳の氏名,住所の筆跡と異なる旨主張するが,貯金通帳の氏名及び住所が機械で印字される場合もあり得るのであって,貯金通帳の氏名,住所が手書きであったことを認めるに足りる的確な証拠はない以上,これを前提とする控訴人cの主張は理由がないというべきである。

また,控訴人cは,当時の控訴人cの住所のマンション名は「KI町」であるのに,払戻請求書には「K」とだけ記載され「I町」が漏れている旨主張するが,マンション名のうち地名部分を省略することもあり得るし,本件払戻し1の際「マンション名が通帳に書いてあるものと,お客様が払戻用紙に書かれたものとどちらが正しいですか。」とのeの問いかけに対し,oは「普段はマンション名を通称の「K」と呼んでいて,「I町」は入れずに使っている。」と答えた上,自らその場で,所持していた印章を訂正印として押印して訂正したことからすれば,別段不審な事情とはいえない。

さらに,控訴人cは,本件払戻し1は2口の定額貯金の解約払戻しである,その額は約400万円と極めて高額である,控訴人cが有していた定額貯金全部の払戻しである,同人は名古屋瑞穂郵便局で一度も取引を行っておらず,eはoの顔を知らなかった,据置期間が経過してから短期間の払戻しであったなどと主張する。しかし,顧客の都合により,急に多額の金員が必要になることもあり得ること,満期前の定額貯金の払戻しは可能であること,預け入れた郵便局でなくとも払戻しは可能であること(乙27,弁論の全趣旨)などの事情に照らし,これらをもって不審な事情とはいえない。

なお,控訴人らは,健康保険証は,偽造が容易であり,通帳とともに窃盗に遭うことも多いもので,本人確認の資料としての機能は果たし得ないなどと主張するが,健康保険証は,被保険者ないしその被扶養者において管理されるべきものであって,それ以外の者が所持していることは通常ではないから,偽造されたり盗取される可能性があることを踏まえてもなお,本人確認としての機能を否定できない。

また,控訴人らは,被控訴人が副印鑑制度を存置していること,副印鑑制度の危険性を貯金者に告知しなかったこと,印鑑照合以外の本人確認措置を強化しなかったことをもって,貯金払戻制度の設置管理には重大な過失がある旨主張するが,過誤払い事案における金融機関の過失の有無は,個別の払戻しの状況に即して判断されるべきであり,控訴人らが主張するような措置を講じていないことをもって,直ちに被控訴人に過失があるとか,窓口係員が払戻請求者に受領権限があると信じたことに過失があるとはいえない。そして,本件における上記eの確認作業の内容を考慮すると,本件口座1に関する貯金通帳に副印鑑があったことは,eが請求者Aに受領権限があると信じたことに過失はないという上記結論を左右するものではない。

(エ) したがって,本件払戻し1は,債権の準占有者に対する弁済として有効である。

ウ 本件払戻し2について

(ア) 印鑑の照合についてみるに,払戻金受領証の印影(乙3)と届出印鑑(乙31)とは,朱肉の材質の差異,朱肉の付き具合や力の入れ具合,印鑑の摩耗・欠損等によるものとはいえない程度の相違は認められないし,本件口座2の届出印鑑は通帳とともに盗取されていることからすれば,払戻金受領証の印影は,届出印鑑と同一の印章により顕出されたものと認められる。

そうすると,本件払戻し2における,fの印鑑照合事務には過失はない。

(イ) しかし,上記1(1)ウ認定のとおり,請求者Bが作成した払戻金受領証には,自宅の電話番号の市外局番を「052」とすべきところ「0528」と記載されていたことは,請求者Bが正当な払戻請求者ではないのではないかと疑わせるに足りる十分な事情であったということができる。なぜなら,名古屋市の市外局番が「052」であることは,名古屋市内に居住あるいは勤務する者にとっては公知の事実であり,名古屋市内に居住し,同市外局番を含む電話番号を自宅の電話番号として使用する者が,うっかり市外局番を「0528」と誤記することはたやすく考え難いからである。そして,上記の誤りは一見して明らかなものであり,一字一字を精査するまでもなく容易に気づき得るものである。それにもかかわらず,fはこれを看過したものである。

上記電話番号の誤記は,それ自体請求者Bが名古屋市内に居住する者ではないこと,すなわち正当な預金者である控訴人a以外の者であることを強く疑わせる事情である。そして,本件払戻し2は,8口の定額貯金の解約払戻しであって,その金額は約500万円と極めて高額であったことも考慮すると,fとしては,請求者Bに対し運転免許証の提示を求める等さらなる確認措置をとるべきであった。

ところが,fは,上記のような確認措置をとらずに本件払戻し2をしたものであって,請求者Bが正当な受領権者であると信じたことについて過失があったものと認めるのが相当である。なお,上記認定のとおり,fは,健康保険証の提示を受け,その治療履歴の記載状況を見て,実際に使用されている健康保険証であることを確認している。しかし,そもそも,本件払戻し2においては,請求者Bが正当な受領権者である控訴人aになりすましていることが強く疑われる事情があったのであるから,通帳や印鑑及び健康保険証も窃取して取得した疑いが十分あり,また写真の貼付されていない健康保険証では,被保険者と所持人との同一性を確認できないから,fの上記確認は過失があるという上記結論を左右するものとはいえないというべきである。

(ウ) したがって,本件払戻し2は,債権の準占有者に対する弁済として有効なものとはいえず,控訴人aは,被控訴人に対し,貯金契約に基づき,本件払戻し2と同額の払戻請求ができるというべきである。

3  本件払戻し3①及び同②に関する被控訴人の主張について

(1)  被控訴人の主張(1)(弁済)について

上記1(2)の認定事実によれば,本件口座3①の貯金通帳,本件口座3②の貯金通帳及び届出印鑑の印章は,各払戻し以前に何者かにより一旦は盗取されたことが推認されるから,本件払戻し3①及び同②が,名義人である控訴人dに対する弁済であるとは認められない。

(2)  被控訴人の主張(2)(債権の準占有者に対する弁済)について

ア 本件払戻し3①について

(ア) 印鑑の照合についてみるに,本件口座3①の届出印鑑の印章は盗取されていないから(上記1(2)エの事実),払戻金受領証の印影(乙9の1)は偽造されたものであると推認されるが,これと届出印鑑(乙32),届出印鑑の印章による印影(甲Bハ2)とは酷似しており,朱肉の材質の差異,朱肉の付き具合や力の入れ具合,印鑑の摩耗・欠損等によるものとはいえない程度の相違は認められない。

そうすると,本件払戻し3①における,gの印鑑照合事務には過失はない。

(イ) その他の払戻しの状況についてみるに,上記1(2)イ認定の一連の払戻しの状況によれば,請求者Cの挙動に特段不自然な点は窺えないし,gは健康保険証の提示を受けているところ,これは偽造されたもので,事業所の記載は控訴人dの就業先と異なっているが,控訴人dの氏名,住所及び生年月日の記載は真実と合致している。また,gは,この健康保険証が偽造健康保険証一覧表に掲載されてる種類の保険証ではないことを確認した上,請求者Cに対し,運転免許証を所持していないか尋ね,所持していない旨の回答を得たほか,健康保険証を預かったまま,口頭で生年月日を尋ね,請求者Cが何も見ることなく回答するのを確認している。

このような本件払戻し3①の状況に照らせば,gにおいて,請求者Cに受領権限があるものと信じたことに過失はない。

(ウ) この点,控訴人dは,請求者Cはgに対し「いくらまでおろせるのか。」「全部おろしたい。」と口座名義人としては不自然な態度を示した旨主張するが,名義人が,満期や据置期間のほか,当該郵便局の資金量との関係から払戻しが可能な金額を確認する場合も十分考えられる(実際に,本件払戻しは約600万円の多額の払い戻しであり,gも原審において「大きな金額になると用意できないときがあるものですから,時々聞かれるお客様があります。」と証言している。)。

また,控訴人dは,住所のマンション名「S」の「エ」の大小について誤記があるとも主張するが,これをもって直ちに不自然な誤記とまではいい難い。

また,控訴人dは,払戻金受領証の氏名,住所の筆跡が,郵便貯金預入申込書等の氏名,住所の筆跡と異なる,本件払戻し3①は,3口の定額貯金の解約払戻しである,その額は603万6000円と極めて高額であり,3口の定額貯金全額の払戻しである,定額貯金預入後比較的短期間での解約であるなどと主張するが,これらをもって不審な事情といえないことは,上記2(2)イ(ウ)において述べたのと同様である。

また,控訴人dは,健康保険証は本人確認の資料としての機能は果たし得ないと主張するが,本人確認としての機能を否定できないことは,上記2(2)イ(ウ)において述べたのと同様である。

さらに,控訴人dは,被控訴人が副印鑑制度を存置していること等をもって重大な過失がある旨主張するが,控訴人dが主張するような措置を講じていないことをもって,直ちに被控訴人に過失がある等といえないことは,上記2(2)イ(ウ)において述べたとおりである。そして,本件における上記gの確認作業の内容を考慮すると,本件口座3①に関する貯金通帳に副印鑑があったことは,gが請求者Cに受領権限があると信じたことに過失はないという上記結論を左右するものではない。

(エ) したがって,本件払戻し3①は,債権の準占有者に対する弁済として有効である。

イ 本件払戻し3②について

(ア) 印鑑の照合についてみるに,払戻金受領証の印影(乙10の1)は,用紙のしわが原因で印影が途中で切れているものの,これと届出印鑑(乙21),届出印鑑の印章による印影(甲Bハ3)とは,朱肉の材質の差異,朱肉の付き具合や力の入れ具合,印鑑の摩耗・欠損等によるものとはいえない程度の相違は認められない。

また,本件口座3②の貯金通帳が一旦盗取された後に元に戻されていたことに照らすと,同通帳と同じクローゼット内に保管されていた本件口座3②の届出印鑑の印章も,一旦盗取された後に元に戻されたものと推認するのが自然である。そうすると,払戻金受領証の印影は,届出印鑑と同一の印章により顕出された可能性が高い。

以上によれば,本件払戻し3②における,hの印鑑照合事務には過失はない。

(イ) その他の払戻しの状況についてみるに,上記1(2)ウ認定の一連の払戻しの状況によれば,請求者Dの挙動に特段不自然な点は窺えないし,hは健康保険証の提示を受けているところ,これは偽造されたもので,事業所の記載は控訴人dの就業先と異なっているが,控訴人dの氏名,住所及び生年月日の記載は真実と合致している。また,hは,請求者Dに対し,「今日は何かご用があって,こちらに来られたのですか。」と尋ね,「家が近くなので。」との回答を得ている。

このような本件払戻し3②の状況に照らせば,hにおいて,請求者Dに受領権限があるものと信じたことに過失はない。

(ウ) この点,控訴人dは,払戻金受領証の用紙にしわがあり,印影が途中で切れているから,再度の押捺等の措置を求める注意義務がある旨主張するが,この印影の途切れは,用紙のしわが原因であることが明らかであるから,その他,朱肉の材質の差異,朱肉の付き具合や力の入れ具合,印鑑の摩耗・欠損等によるものとはいえない程度の相違が認められない本件においては,再度の押捺等の措置を求める注意義務があるとまではいえない。

また,控訴人dは,請求者Dは,当時の控訴人dの自宅(名古屋市N区O)からは,名古屋葵郵便局より近い郵便局がいくつもあるのに「家が近くなので。」などと答えたのは不自然である旨主張するが,地理上,当時の控訴人dの自宅と名古屋葵郵便局はそれほど離れておらず(公知の事実),別段不自然な回答とまではいえない。

また,控訴人dは,払戻金受領証の氏名,住所の筆跡が,通常貯金預入申込書等の氏名,住所の筆跡と異なる,本件払戻し3②は,当時の本件口座3②の残高である221万0011円の9割を占める払戻しである,その額は200万円と高額である,本件口座3②は平成15年1月13日に口座が開設されたばかりであり,200万円という高額の取引は行われていなかったなどと主張するが,これらをもって不審な事情といえないことは,上記2(2)イ(ウ)において述べたのと同様である。

また,控訴人dは,健康保険証は本人確認の資料としての機能は果たし得ないと主張するが,本人確認としての機能を否定できないことは,上記2(2)イ(ウ)において述べたのと同様である。

さらに,控訴人dは,被控訴人が副印鑑制度を存置していること等をもって重大な過失がある旨主張するが,控訴人dが主張するような措置を講じていないことをもって,直ちに被控訴人に過失がある等といえないことは,上記2(2)イ(ウ)において述べたとおりである。そして,本件における上記hの確認作業の内容を考慮すると,本件口座3②に関する貯金通帳に副印鑑があったことは,hが請求者Dに受領権限があると信じたことに過失はないという上記結論を左右するものではない。

(エ) したがって,本件払戻し3②は,債権の準占有者に対する弁済として有効である。

4  本件払戻し4に関する被控訴人の主張について

(1)  被控訴人の主張(1)(弁済)について

上記1(3)の認定事実によれば,本件口座4の貯金通帳及び届出印鑑の印章は,払戻し以前に何者かにより盗取されたことが窺えるから,本件払戻し4が,名義人である控訴人bに対する弁済であるとは認められない。

(2)  被控訴人の主張(2)(債権の準占有者に対する弁済)について

ア 本件払戻し4における印鑑の照合についてみるに,本件口座4の定額貯金預入申込書に顕出された届出印鑑(乙24)と払戻金受領証の印影(乙11)とは,朱肉の材質の差異,朱肉の付き具合や力の入れ具合,印鑑の摩耗・欠損等によるものとはいえない程度の相違は認められないし,本件口座4の届出印鑑の印章は,副印鑑のある貯金通帳とともに盗取されたことが窺え,これを使用せずに印影を偽造することは想定し難いから,払戻金受領証の印影は,届出印鑑と同一の印章により顕出されたものと推認される。

そうすると,本件払戻し4における,iの印鑑照合事務には過失はない。

イ しかし,上記1(3)認定のとおり,請求者Eが提示した健康保険証には,事業所の所在地の記載(豊橋市AB丁目C-D)に誤記があり(A野が正確である。),また保険者(愛知社会保険事務局豊橋社会保険事務所)の所在地の記載(豊橋市E3-96)にも誤記があった(E町が正確である。)ものである。健康保険証に記載された住所に誤記が2か所もあるということは通常考え難いから,これは健康保険証が偽造されたものであることを疑わせる十分な事情である。そして,豊橋郵便局に勤務する者であれば,「A」,「E」という表示が不正確なものであることは容易に気づき得るものであったと認められる。それにもかかわらず,iはこれを看過したものである。なお,被控訴人は,正当権利者の確認資料として提示された健康保険証は,払戻請求者と貯金名義人との関係,払戻の正当権限等を確認するためのものであるから,確認事項は専ら払戻請求者の住所・氏名・生年月日であり,健康保険証の外観から偽造を疑うべき特段の事情がない限り,事業所所在地,保険者所在地の表記についてまで逐一確認義務を負うものではないと主張する。しかし,上記の住所の誤記は,容易に気づき得るものであり,それ自体から偽造を疑うに足りる事情であるから,被控訴人の主張は理由がないというべきである。

上記健康保険証の事業者及び保険者の住所の誤記は,それ自体健康保険証が偽造されたものであること,すなわち請求者Eが控訴人bの夫ではないことを強く疑わせる事情である。そして,本件払戻し4は,9口の定額貯金の解約払戻しであって,その額が349万0734円と高額であり,預入から2か月程度しか経っていない据置期間経過前の貯金もあったこと,会社員が通常であれば勤務している時間帯に妻名義の貯金の解約手続のために郵便局を訪れるというものであったことも考慮すると,iとしては,請求者Eに対し運転免許証の提示を求める等さらなる確認措置をとるべきであった。

ところが,iは,上記のような確認措置をとらずに本件払戻し4をしたものであって,請求者Eが正当な受領権者であると信じたことについて過失があったものと認めるのが相当である。

ウ したがって,本件払戻し4は,債権の準占有者に対する弁済として有効なものとはいえず,控訴人bは,被控訴人に対し,貯金契約に基づき,本件払戻し4と同額の払戻請求ができるというべきである。

第4結論

よって,以上と一部結論を異にする原判決を控訴人a及び同bの本件控訴に基づき変更し,控訴人c及び同dの本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 青山邦夫 裁判官 坪井宣幸)

裁判官田邊浩典は,填補につき,署名押印することができない。裁判長裁判官 青山邦夫

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