名古屋高等裁判所 平成18年(行ケ)3号 判決 2006年10月12日
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1請求の趣旨
平成18年5月28日執行の春日井市議会議員補欠選挙の効力に関する審査の申立てにつき被告が平成18年8月28日付けでした裁決を取り消す。
第2事案の概要
本件は,春日井市選挙管理委員会(以下「市委員会」という。)が,平成18年5月28日に行われた春日井市議会議員補欠選挙(以下「本件選挙」という。)に対する異議申出を,本件選挙には選挙の規定に違反するところがあったと認めざるを得ないが,選挙の結果に異動を及ぼす虞がある場合には該当しないとして棄却したこと(以下「原決定」という。)につき,被告が,平成18年8月28日,本件選挙には選挙の規定に違反し,かつ,選挙の結果に異動を及ぼす虞があるとして原決定を取り消し,本件選挙を無効とするとの裁決(以下「本件裁決」という。)をしたことから,本件選挙で第1位で当選した原告が本件裁決の取消しを求める事案である。
1 前提となる事実(当事者間に争いのない事実,証拠及び弁論の全趣旨により明らかに認められる事実)
(1) 平成▲年▲月▲日,春日井市議会議員(以下「市議会議員」という。)Aが死亡し,翌28日,春日井市議会議長(以下「議長」という。)から市委員会委員長に対し,公職選挙法(以下単に「法」ということがある。) 111条1項3号の規定による通知があった(甲2,乙1)。
(2) 市委員会は,毎年12月31日現在の市議会議員と長の党派別人員報告書を作成して報告しているところ,平成17年分については,議員の欠員1であることを記載して,平成18年1月5日に,被告に提出した(甲3)。
(3) 市委員会は,同年4月12日に春日井市長選挙(以下「市長選挙」という。)及び本件選挙を行う事由が生じたため,同日,法143条16項2号及び法199条の5に規定する告示を行った(乙3)。
(4) 市委員会は,同月13日,選挙期日の告示日を同年5月21日,選挙期日を同月28日と決定し,被告に対し,法120条1項の規定による届出を行うとともに記者発表を行った(甲5,乙3)。
(5) 市委員会は,同月1日に市長選挙及び本件選挙に係る立候補予定者説明会をそれぞれ行った。本件選挙に係る立候補予定者説明会の出席者は,本件選挙立候補者4名の陣営を含む7陣営であった。同説明会で,市委員会は,市議会議員の欠員が当日現在1名である旨発言した(乙3)。
(6) 同月11日,市議会議員Bが辞職し,翌12日,議長から市委員会委員長に対し,法111条1項3号の規定による通知があった。同日,新聞記者等からの問い合わせに対し,市委員会は,退職日が選挙期日の告示日前10日以内であるので,法の規定により,この欠員は本件選挙の被選挙数に含まれないため,被選挙数は1のままである旨の回答をし,その旨の新聞報道がされた(甲7,乙3,5)。
(7) 同月17日,市議会議員Cが辞職し,同日,議長から市委員会委員長に対し,法111条1項3号の規定による通知があった(甲8,乙3)。
(8) 市委員会は,同月19日,被告に対して,立候補予定者の状況報告を「選挙情報」としてメール送信した(甲11)。
(9) 市委員会は,同月21日に市長選挙及び本件選挙の選挙期日の告示を行った。その際,選挙すべき議員の数は,法に明文された告示事項ではないことから告示をしなかったが,報道機関に対してはその数を1として発表した(甲12,14)。
告示日に本件選挙に立候補の届出をしたのは,届出順に,原告,D,E,Fの4名であった(甲21)。
(10) 被告は,同月22日,市委員会に対し,本件選挙の選挙すべき議員の数は3であると連絡した。市委員会は,これを受けて同日委員会を開催し,その結果,本件選挙の選挙すべき議員の数を1から3に訂正し,報道機関に発表した。
(11) 市委員会は,同月28日,本件選挙を執行した。
(12) 市委員会は,同月29日,本件選挙の当選人3名の住所,氏名及び得票数(原告3万0642票,D1万6294票,E1万4302票)を告示した。
(13) 訴外G外73名は,同月29日から同年6月12日までの間に市委員会に対して本件選挙の効力に関し不服があるとして異議申出を行った。これに対して,同委員会は,同月26日に,原決定をした。
(14) 上記決定に対して,訴外H外80名は,同月30日から同年7月18日までの間に被告に対して審査を申し立てた。これに対して,被告は,本件裁決を行った。
2 争点
(1) 市委員会が平成18年5月12日に本件選挙の選挙すべき議員の数を1と発表して周知させ,これを選挙期日の告示の日である同月21日まで維持して本件選挙の管理執行をしたことが,選挙の規定に違反するもの(法205条1項)に当たるか。
(被告の主張)
ア 法113条3項ただし書の規定は,選挙期日の告示日前10日以内に法111条1項3号の規定による議員の欠員の通知を受けても,もはやいわゆる便乗補欠選挙は執行できないということのみをその趣旨とする規定であって,その反面的な解釈により,法113条3項ただし書所定の期日(選挙期日の告示日前10日以内)前に法111条1項3号の規定による通知があり,補欠選挙が行われることとなっていた場合には,選挙期日の告示日前10日以内に受けた法111条1項3号の規定による通知に係る欠員も,当該選挙における選挙すべき議員の数に含まれるものである。
イ 本件選挙において,選挙すべき議員の数は,市委員会が,選挙期日の告示日及び選挙期日を決定した平成18年4月13日時点では,1名であったが(法113条1項),同年5月12日,法111条1項3号の規定による通知を受けて2名となり(同条1項),同月17日,同じく法111条1項3号の規定による通知を受けて3名となった(同条1項)。
ウ 市委員会は,法113条3項ただし書の規定の解釈を誤り,選挙期日の告示日前10日以内に受けた法111条1項3号の規定による通知に係る欠員については,当該選挙における選挙すべき議員の数に含まれないと解し,同月12日,新聞記者等からの問い合わせに,選挙すべき議員の数は1名のままである旨の回答をし,同月17日にも依然として1名であると考えて以後の手続を執行した。
エ 議会議員の選挙において,選挙すべき議員の数は,告示すべき事項となっていないが,立候補の届出を決意しようとする候補者,候補者の中から投票する者を選択しようとする一般の選挙人,いずれにとっても極めて重要な基本的事項である。したがって,選挙すべき議員の数は,選挙の基本に関する事項であって,告示や周知について定めた明文の規定が存在しなくとも,候補者又は候補者になろうとする者及び一般の選挙人に周知徹底されるべき事項というべきである。上記のとおり,市委員会によって,候補者又は候補者になろうとする者及び一般の選挙人に,選挙すべき議員の数が誤って周知されたことは,選挙の執行について著しく公正を欠いたものというべく,選挙の規定に違反したものと言わなければならない(最高裁昭和29年4月30日第二小法廷判決・民集8巻4号919頁及びその原審である東京高裁昭和28年11月4日判決・同924頁)。
オ 原告の主張イないしキはいずれも争う。
特にエについては,法5条には,市町村の議会議員または市町村長の選挙については市町村の選挙管理委員会が管理することが明確に規定されており,他方,県選挙管理委員会の所管事務は,国政選挙(選挙区),県の首長選挙及び県議会議員選挙の管理であって,市町村の選挙管理委員会のそれとは完全に異なるばかりか,両者は全く別個の相互独立した行政委員会であり,相互に干渉,指揮,命令,指示等をなし得ない関係になっている。被告を市委員会の上級官庁とする規定はなく,そのような解釈もできない。このように被告には市委員会の行う市町村の選挙に関する事務に介入する権限も義務もなく,作為義務もないのであるから,被告に「権限行使の懈怠」や「不作為の過失」が生ずる余地はない。
また,オについては,「便乗選挙を行う場合における議員定数」という行政実例は,昭和37年以来全国市町村選挙管理委員会が便乗補欠選挙の管理執行において,法113条3項ただし書の規定をこの行政実例に従い解釈し,選挙を執行してきているところであって,例外はない。
(原告の主張)
ア 法205条1項にいう「選挙の規定」とは,直接の明文の規定がなくとも選挙法の基本理念たる「選挙の自由公正の原則」が著しく阻害されるときもまた「選挙の規定」に違反すると解すべきであるところ(最高裁昭和23年6月26日第二小法廷判決・民集2巻7号159頁,最高裁昭和27年12月4日第一小法廷判決・民集6巻11号1103頁,最高裁平成14年7月30日第一小法廷判決・民集56巻6号1362頁),これは,選挙法の基本理念たる原理原則を述べたものであるから,個別の事案について,この要件に抵触するか否かを事実に即して精密に精査すべきことは必須であり,本件についてもこの検証が慎重になされるべきである。
イ 市委員会が,法113条3項ただし書の規定から,市長選挙の選挙期日の告示日前10日以内に生じた欠員については補欠選挙を実施する際の選挙すべき議員の数に含む必要がない,したがって改選されるべき数(選挙すべき議員の数)は1名であると解した。これは当時としては正確なものであり,法的にも何ら問題ない。
ウ 福岡高裁昭和48年9月27日判決・行裁集24巻8・9号1030頁は,市町村議会議員選挙について,選挙期日の告示の前10日以内に議員の欠員通知を受けた場合は,もはや便乗補欠選挙は執行し得ないと解しているところ,その理由として,この10日以内に受けた議員の欠員通知については,選挙執行機関ごとに便乗補欠選挙を執行するのか否かの裁量権を発動することが可能となり,結果として公明かつ適正な選挙の執行を意図する法の理念にもとるものとなるからであると判示している。このように選挙の管理執行に関する法の規定の解釈は形式的画一的にすべきであり,10日以内の欠員が生じた場合においては,その員数を便宜補欠選挙の選挙すべき議員の数に加えないことの方が法の理念に適合する解釈というべきである。この公示日前10日以内の実際的な選挙運動等の高揚した選挙時期においては,選挙すべき議員の数(定数)に影響を与えるような法解釈をすることは政治的な思惑により選挙の公正さ公平さを害することになりかねず,このような状態の招来は回避すべきである。
エ しかるところ,市委員会は,被告から連絡があり,緊急に協議した結果,すでに選挙が始まっていること,本件選挙が便乗選挙であることなどの事由により,早い段階で選挙すべき議員の数を1から3に変更して選挙人に周知を図り,選挙を続行すべきであるとの結論に到達し,その方向で選挙事務を執行した。
その際,市委員会は被告に対して,「すでに選挙戦が始まっており,定数1のまま選挙を執行できないか」などと被告からの指導,助言を求めたが,被告からの回答は要約すれば,「定数は1名ではなく3名である。あとの処理は市委員会の判断である」というものであった。
市委員会としてはこの被告からの回答に困惑した。すなわち,市委員会は,被告に対してかなり以前から正式の情報提供をしており,平成18年4月12日付けの「選挙執行届出」も送付され,被告から市委員会に対してもそれぞれ通知がなされ,同月19日付けの,「市長選挙及び市議会議員補欠選挙に係る速報について」も発表されており,各報道機関(新聞,テレビ等のマスコミ)から報道される情報からも被告は本件選挙の選挙すべき議員の数について十分に知っていたはずであること,法形式上は都道府県は市町村と対等の立場にはあるが,行政全般のみならず本件のごとき市町村の選挙についても都道府県は市町村を統括する行政団体であり,公職選挙法上も上級官庁であることは法制上も明定されており,被告は上記選挙すべき議員の数についての指示,指摘をすべきであったにもかかわらず何らの指示,指摘をしなかったこと,したがって,被告が本件の選挙すべき議員の数に関して何らかの見解を有し,上級官庁としての責務を果たしてきたものと市委員会は考えてきたが,現実には被告はその責務を放棄または懈怠してきたものとしか考えられないからである。
オ 被告から市委員会への上記指摘の根拠は,「便乗選挙を行う場合における議員定数」(昭和37年8月24日付け岡山県選管宛て電話回答)があるのみである。これは本件と類似の件における当時の自治省の法的見解と思われるが,上級庁たる旧自治省の行政解釈に過ぎず,法113条3項の解釈について最終的かつ最高の権限を有する国家機関たる裁判所の判例ではない。したがって市委員会の解釈は決して不正確または不当,誤りというわけではなく,他方,被告の今回の指摘,指導が正当というわけでもない。法113条の規定をどのように解釈してみても,本件選挙における選挙すべき議員の数そのもの,またその数の増減について明解にかつ一義的にその結論が導き出されるはずがない。
定数が法律等により明確に定まっている他の選挙と異なり,本件のような補欠選挙については,その定数を意識しないままに選挙実務が行われているのが通例であることは全国の殆どの選挙管理委員会の選挙に関係する何人も首肯せざるを得ないところであり,現実の姿であることは公知のところである。
カ 更に,選挙すべき議員の数についての告示は法的な必須の要件となっていないことも重要視されるべきであり,本件のように色々な法解釈の余地がある場合に,市委員会としての独自の判断と解釈を行ってこれを公表したとしても,これにより直ちに市委員会の選挙事務の執行について違法があると断定することはできない。
キ 以上の諸事情,経過,法的解釈についての疑義等を総合すると,市委員会の本件選挙の管理,事務の執行については「選挙の規定」に違反するものということはできず,本件選挙は有効といわなければならない。
(2) 選挙の規定に違反する場合,これが選挙の結果に異動を及ぼす虞のある場合(法205条1項)に当たるか。
(被告の主張)
ア 法205条1項が,選挙の効力に関する争訟において,選挙が選挙の規定に違反して執行され,かつ,その規定違反が選挙の結果に異動を及ぼす虞がある場合に限り選挙を無効とする旨規定しているのは,選挙の結果の安定性,公定性を確保することが極めて重要であることによるものと考えられる。
しかしながら,選挙すべき議員の数の如何は,選挙の基本的な事項であって,かかる事項について選挙の規定に違反があった場合には,一般的に「選挙の結果に異動を及ぼす虞」があるものといわざるを得ず,また,「選挙の結果に異動を及ぼす虞」は,その可能性があれば,必ずしも選挙の結果に異動を及ぼすことが確実であることを要しないものであるから(最高裁昭和29年9月24日判決・民集8巻9号1678頁),その蓋然性を必要としないのは当然で,候補者の数,顔ぶれ,その予想得票数あるいは得票順位の変動等の具体性の検討及び認定は必要なく,むしろこれをすべきではない。けだし,立候補の決意あるいは選挙人の投票の決定等人間の内心を検討し,決定することとなって,争訟の性格からみて不当であるからである。
イ 本件選挙は,候補者及び一般の選挙人に,選挙すべき議員の数が誤って周知されたものであるが,一般的に公の選挙に立候補しようとする者は,自己の当選の可能性を考え,事前に仔細に選挙作戦,得票数等の検討を行うものであり,まず選挙されるべき者の数を念頭に置き,これによって自己の支持層,地域等を考慮するとともに,競争者である他の候補者又は候補者になろうとする者に深甚の注意を払い,これら各種要素を総合して,自己の立候補如何あるいは選挙運動方法を決定するものであること,したがって選挙すべき者の数が何名であるかということは,候補者又は候補者になろうとする者にとって最大の関心事であって,その如何によって,あるいは立候補者の数に影響を及ぼすことあるべく,あるいは競争率,候補者の顔ぶれ等選挙の様相が著しく異なることは,容易に理解できるところである(前掲東京高裁昭和28年11月4日判決)。したがって,選挙すべき議員の数を誤った周知は選挙の結果(当落)に異動を及ぼす可能性に結びつくものと言うべきである。
ウ 市委員会は,①平成18年5月1日に行った立候補予定者説明会には7陣営が参加したが,このうち4陣営が立候補届出書類の事前審査を受け,立候補に至ったこと,②立候補届出書類の事前審査を受けずに立候補届出に臨むことは事実上皆無であること,③他の3陣営については,同月11日及び12日に市委員会が立候補届出書類の事前審査を受けるかどうかの意思確認を行った際,立候補の意思はないと回答したことを事実として認定している。その上で,当該3陣営から抗議や異議申出がなかったことからして,選挙すべき議員の数の誤りと当該3陣営が立候補しなかったこととの因果関係を否定している(甲1)。
しかしながら,同月12日,選挙すべき議員の数は2となっていたにもかかわらず,1のままである旨の新聞報道がなされるなど,選挙すべき議員の数が誤って把握され,周知されていたのであるから,もしこれがなく,最終的に3と正しく周知されていたならば,立候補予定者説明会に出席していなくとも(立候補予定者説明会への出席は,立候補に必要な法定条件とはされていない。)新たに立候補を決意して,直前になって,供託を証明する書面及び戸籍の謄本等立候補届に添付すべき文書を取り揃え立候補する者のあったことも充分考えられるから,原決定にいう①から③までの事実が,立候補者の変動に繋がらないとか,選挙の規定に違反することと他の3陣営が立候補しなかったこととの間に因果関係の存在が認められないとかは,到底,言い得ないところである。
とすれば,本件選挙において,市委員会の選挙の規定に違反した選挙すべき議員の数の把握及び周知の誤りが,候補者の数及び顔ぶれの変動に繋がり,当落に異動を及ぼすことはむしろ充分に考えられることであって,これは,すなわち「選挙の結果に異動を及ぼす」可能性があったことと解されるのである。
エ また,本件選挙において,選挙すべき議員の数が実際に変動した日から告示日までの期間が10日ないしは5日間と短期間であるとしても,法が,選挙期日の告示日前10日以内になされた法111条1項3号の規定による通知に係る欠員についても当該選挙における選挙すべき議員の数に含むことを予定していることから見ても,上記期間でも立候補の検討,準備,手続は充分可能というべきであり,また,選挙すべき議員の数の如何は選挙の基本的な事項であることからも,選挙の規定に違反する程度は高いというべきである。本件のような市町村の選挙においては,国政選挙と異なり,選挙区の範囲が狭く,供託金も少額なことから,選挙期日の告示日までの準備期間が10日間あるいは5日間であっても,立候補を決意し当選を目指すことは一般に充分可能なことであり,実際にもそのような例は枚挙にいとまがなく,法自体,選挙期日の告示日の前日の欠員を被選挙数に加えていることからも,このことは明らかである。本件選挙においても,5月初めに被選挙数が選挙期日の告示前10日以内の辞職数についても増加するということが正しく周知されていれば立候補したであろう党派や有権者がいたであろうことは,新聞報道等から窺知できるところである。したがって,本件において「選挙の結果に異動を及ぼす虞」が限定的で,「異動を及ぼす虞」がないと判断することはできない。
オ 更にまた,当初から市委員会が,選挙期日の告示日前10日以内であっても法111条1項3号によって通知された欠員が選挙すべき議員の数に含まれることを認識し,これが周知されていたならば,B及びCが市長選挙に立候補するに当たり,市議会議員を辞職するか否かの判断(辞職しないで立候補した場合,これに伴う欠員については選挙すべき議員の数に含まれない。)及び辞職する場合の時期の判断(本件選挙に対する自己の党派の選挙戦術を有利にするために,告示日前10日以内前に早期に辞職し,これを活発化する。)につき異なった判断がなされた可能性は否定できないところであり,これが本件選挙の候補者の当落に「異動を及ぼす虞」があることにつき当然に結びつくと考えられる。
(原告の主張)
ア 「選挙の結果に異動を及ぼす」とは,結局のところ,当選人の決定ということに帰するので,「選挙の規定違反」が当選人の顔ぶれに異動を生ずる程度の影響を有するものであるかどうかということ,すなわち選挙人の投票に影響を与え,異なった投票を生ぜしめ,ひいては当選人の決定を異ならしめる可能性を有するか否かということになる。反対解釈として「選挙の規定の違反」があったとしてもそのことにより同じ結果を得られるに過ぎない場合には,当該選挙は選挙の規定の違反の有無にかかわらず,無効としてやり直す必要はないということになる。
イ 「虞がある」とは,異動を及ぼすことが確実である場合に限らず異動を及ぼす可能性があればよいとされている(前掲最高裁昭和29年9月24日判決)が,この「可能性」は主観的意味の可能性ではなく,客観的なものでなければならない。観念的,抽象的には選挙のやり直しが実行されれば結果は常に異動の可能性があるわけであるから,結果に異動を及ぼす虞があり得ないことが諸般の事情より十分に推測される場合は,異動の可能性のない場合と考えられる。また異動の可能性のあるような規定違反があったとしても,具体的事実につき結果に異動を及ぼすことがなかったことが十分立証される場合にも,「虞」のない場合と考えられるべきである。
すなわち,選挙の規定違反と「選挙の結果に異動を及ぼす虞」については,具体的事例について,現実の違反の態様によって,かつ個別の規定についてその可能性の有無の認定を行わなければならない。
ウ 「選挙の結果に異動を及ぼす虞」があるか否かは必ずしも得票数の算定によって判断されるべきものではないが,当該選挙規定の違反の範囲が有権者数や得票数としてその数により当該規定違反が当選人の当落に及ぼす影響を判定し,これによって選挙の結果に異動を生ずる虞の有無を判断することができる。この場合の判断の方法としては規定違反の影響が最下位当選者には最も不利に,次点者には最も有利に働く場合を想定し,当落が入れかわるかどうかを判定することとなる。
エ 本件について具体的な事実に立脚して検討するに,
(ア) 従来,市委員会は本件選挙につき候補予定の人達および選挙人に対して選挙すべき議員の数1名として説明,周知してきていたところ,これを3名に変更した結果,2名の候補者が新たに当選者とされることとなり,現実にも当該選挙の上位1位から3位までの得票数を得た候補者が当選した。これによって立候補予定者が不利益を被ったことはなかった。
(イ) 従前の経過,事情等を斟酌しても,4名の立候補者以外の者が立候補する可能性はなかった。
すなわち,市委員会は平成18年4月13日に本件選挙の決定をしたところ,同年5月1日の市議会議員立候補予定者説明会には立候補予定者7名が出席し,当時,市議会の各派において立候補予定者について検討がなされ,事実上の選挙戦が開始され,これは同月21日の告示,さらに同月28日の投票日前日まで継続した。各立候補者は,1名の当選人の枠を前提にして立候補したのであり,同月22日に1名から3名に選挙すべき議員の数が増加されることは予測せずに選挙運動をしてきており,当該立候補者らは選挙すべき議員の数の変更により何らの影響も受けていない。
(ウ) 本件選挙は市長選挙を主とする便乗選挙であり,市長選挙に投票した選挙人の数が有権者として今回の選挙に参加した選挙人の最大数である。市長選挙の得票総数は7万2532票であったが,市議会議員の得票総数は6万6495票であった。したがって,本件選挙の最大の得票総数も7万2532票に過ぎない。そして仮に上記7万2532票と6万6495票の差である6037票が全部本件選挙の第4位の順位にあったF候補に加算されたとしても,5257票(現実の得票数)+6037票(上乗せの仮得票数)は1万1294票であり,本件選挙の最下位当選者であるE候補の得票数1万4302票に達することはできないため,上位3名の立候補者の当選は確定的であり,何ら当選人の変更をもたらすことはない。
オ 本件裁決は,「選挙の結果に異動を及ぼす虞」について,きわめて観念的,形式的,抽象的に告示日前10日以内に選挙すべき議員の数が1から3に増加したと解釈されることのみを重視し,この点のみから現実にはあり得ない場合や結果を想像し,これにより選挙の結果に異動が生ずる虞があるとしている。すなわち,本件裁決は,「可能性」を,その結果発生の確率について考慮することなく極端に解し,再選挙の結果にいささかでも発生することが予想されれば上記「可能性」があるものと断定していると判断せざるを得ない。しかしながらそもそも法の趣旨はこのようなことを想定しているものではない。この「可能性」は現実に行われた選挙について,その具体的,個別的な事実経過,事情に基づき検証されるべきものである。被告は,「確実であることを要しない」とか「蓋然性を必要としない」と主張するが,だからといって候補者の数,顔ぶれ,その得票数あるいは得票順位の変動等の具体的可能性の検討及び認定は必要なく,むしろ「これをすべきではないというべきである」との結論に直ちに達するはずはない。社会政治現象である「選挙」については,現実的,具体的にその得票数,得票順位の変動の可能性を検討したり,認定したりしなければこの「可能性」など特定,認定できるはずがない。
カ 現実的にも選挙には準備のための相当の期間が必要とされるばかりでなく,選挙に実際に必要とされる費用,支援者の数および動向,他の候補者の意図,その準備態勢の形成などの諸般の事情を読み込むための情報収集など,多岐にわたる広義の選挙活動が必須とされることは公知のところである。したがって立候補予定者としてはその出馬の可否の決定には相当に長期間が必要とされるものであり,本件のように10日間以下の期間では絶対的に不足していると断言せざるを得ない。本件選挙の性質,事情からしてどんなに短くても1か月間の時間的余裕が必須の条件となることも多くの選挙関係者は周知のところである。本件において選挙の日の告示日から10日前に当たる平成18年5月11日においては選挙すべき議員の数が1名であったことについては争いのないところであり,同月12日と17日の選挙すべき議員の数増加の原因となった(被告の見解によれば)事実発生の時点から同月21日の告示日までに正しい選挙すべき議員の数が市委員会により公表されていたとしても,他の者が立候補するという行為が触発されたはずはない。同月12日と17日に各1の選挙すべき議員の数の増が発生(被告の見解によれば)したことにより突如として本件選挙に立候補を決定する者がいると考えるのは極めて観念的かつ非現実的であり,仮にそのような者がいたとしても,選挙活動に必要な期間としては短か過ぎて,当選の実現可能性は100パーセント存在しなかったと思われる。
同月1日に行われた本件選挙の立候補予定者説明会には7陣営が参加し,そのうちの4陣営については同月12日までの間に市委員会の立候補提出書類の事前審査を受けるため来庁するとの確認を得たとの事実がある。同月11日及び12日には立候補予定者説明会に出席したものの事前審査を受けていない陣営に対しても市委員会が事前審査を受けるか否かについて意思確認をした。その結果3陣営ともに本件補欠選挙への立候補はしないとの返答があった。同月17日当時においても事情に変化はなく,残りの3陣営からは立候補の届出がなされなかった。そして,本件選挙後もこれら3陣営から市委員会に対し抗議や異議申出等はなかった。
日本共産党のCは,同月12日に春日井市長選挙立候補表明の記者会見をし,市議会議員の辞職時期を明確にしないまま,同月13日から市長選挙に立候補する旨街頭演説を行っていたが,実際には,同月17日に辞職している。また,市委員会がCに5月上旬に日本共産党として本件選挙に候補者を擁立するかどうか問い合わせたのに対し,同人は日本共産党として本件選挙に候補者は擁立しないと言明している。
以上の経過,事情を踏まえると,同月12日及び17日に各選挙すべき議員の数1の増加が市委員会により発表されていたとしても,上記4陣営(4名)の立候補者以外の者が新たに立候補してきたかもしれないと推測するのは現実的ではなく,単なる観念的形式論にしか過ぎない。
キ 選挙人の選挙権は,立候補者が存在してこそ意味があるものであり,立候補者が存在していない以上,原則的には選挙権の行使のしようがない。選挙に際しての選択の機会も,立候補者が存在していなければ客観的にはその機会は侵害されるおそれすらない。したがって本件においては立候補の自由の侵害がなかった以上,選挙権の侵害は問題にならないといわざるを得ない。
ク 以上の次第であり,本件選挙の結果が発生するまでの事実,事情,経過を精査し,これに立脚し,現実的,実際的な選挙実務と選挙の管理,執行,立候補の自由,選挙民の選択の自由等を考慮してみるに,本件選挙については選挙すべき議員の数1が3に変更されたとしても,いささかなりとも「選挙の結果に異動を及ぼす虞」は存在しなかった。
(3) その他本件裁決の取消事由の存否
(原告の主張)
ア 市委員会に対する上級官庁である被告の本件選挙に関する行政機関としての適切な時機を得た指示,指導が存在すれば,本件の発生は未然に防げたはずである。本件裁決は,被告の上級官庁としての地位に基づく権限行使の懈怠の責任を市委員会に転嫁するものといわざるを得ない。したがって,被告の本件裁決は行政権の濫用または信義則に違反するものであり,この裁決の法的有効性について多大な疑義がある。
イ 本件裁決は,社会経済的に重大な損害と不公正を生ぜしめることとなり,この点からも取消しを免れない。すなわち公職選挙法上は各選挙管理委員会の執行した選挙については,選挙人からの選挙無効等の異議の申出がされるのに対して,当選人にはまったく何らの責任がない場合においても,その当選して得られた身分等が保護されることはなく,当選人やその支援者がこれに対抗するためには自ら訴訟を提起するしか方法がないこと(本件はまさにこの場合に該当する)は,まことに重大な社会的損失,不公正を発生させることになる。
ウ また本件の場合には平成19年4月に統一地方選挙が予定されていることから,今後わずかな任期しか残されていないこと,再選挙になれば選挙の管理,執行に少なくとも8000万円以上の公費が必要とされるということ等からしても,被告の裁決には政策的判断の観点から疑問がある。
エ 以上により,被告の行った本件裁決は取り消されるべきである。
(被告の主張)
原告の主張をいずれも争う。
特にウについては,法216条2項は,行政争訟制度の一般法である行政不服審査法のうち事情裁決について規定した40条6項の準用を排しているし,法219条1項は,「特別の事情による請求の棄却」について規定した行政事件訴訟法31条の準用を排しているところである。これは民主政治の根幹を支える選挙の適法性の確保を図る趣旨である。
第3当裁判所の判断
1 争点(1)(選挙の規定違反の存否)について
(1) 法205条1項にいう選挙の規定に違反するとは,選挙管理の任にある機関が選挙の管理執行の手続に関する明文の規定に違反した場合はもちろん,直接の明文の規定がなくとも選挙法の基本理念である選挙の自由公正の原則が著しく阻害されるときを指すものである(最高裁昭和27年12月4日第一小法廷判決・民集6巻11号1103頁,最高裁昭和51年9月30日第一小法廷判決・民集30巻8号838頁)。
(2) 証拠(甲1)及び前記第2の1(前提となる事実)に記載の事実によれば,平成平成▲年▲月▲日に市議会議員1名が死亡したことにより議員の欠員が1となり,平成18年4月に市長選挙が行われることとなったために市議会議員についても補欠選挙の便乗選挙として本件選挙が行われることとなったこと,市委員会は,同年5月12日及び17日にそれぞれ市議会議員各1名が辞職したことの届出を受けたが,これらが本件選挙の告示の日(同月21日)前10日以内であることから,法113条3項ただし書の規定に照らして,本件選挙の選挙すべき議員の数に含まれず,その数は1であって変更はないと判断し,同月12日に,上記の理由により本件選挙の選挙すべき議員の数は1である旨報道機関に回答し,その旨新聞報道がされたこと,市委員会はその後もこの見解に沿って本件選挙の事務を執行し,告示日である同月21日にも選挙すべき議員の数は1である旨報道機関に発表したことが認められる。
(3) 法113条は,市町村議会の議員の欠員につき,同条1項6号で,法110条1項にいうその当選人の不足数と通じて当該選挙区における議員の定数(選挙区がないときは,議員の定数)の6分の1を超えるに至ったときに補欠選挙を行うとし,同条3項で,これに該当しない場合であっても,当該選挙区(選挙区がないときは,その区域)において同一の地方公共団体の他の選挙が行われるときには,原則として,補欠選挙の便乗選挙を行う旨を規定する。この規定は,補欠選挙を行うべき場合を規定したものであり,同条3項ただし書が,当該市町村の他の選挙の期日の告示の日前10日以内に当該選挙に関する事務を管理する選挙管理委員会が法111条1項1号から3号までの規定による通知を受けたときはこの限りではないと規定しているのも,補欠選挙の便乗選挙を行うことのできる場合を制限したに過ぎず,これをもって,補欠選挙の便乗選挙を行う場合の選挙すべき議員の数が左右されるものと解すべきではない。
むしろ,地方自治においても議会制民主主義が採用され,地方公共団体の議会の議員を当該地方公共団体の住民が直接選挙するとされていること(憲法93条2項)等からすると,地方公共団体の議会の議員に欠員が生じた場合に,これを速やかに充足すべきことは公職選挙法上当然予定されていることと解されるから,法113条は,これを前提として,補欠選挙を行って定員を補充すべき時期を規定したものであり,いったん補欠選挙を行うことが決せられた以上は,補欠選挙を行うことが決せられた日以後に生じた欠員についてもできる限り同一の補欠選挙により選挙するべきであって,当該補欠選挙で選出されるべき議員の数は,告示の日における欠員の全部であると解するのが公職選挙法の趣旨にかなうものというべきである。
そうすると,市委員会が,本件選挙において,上記のとおり選挙すべき議員の数を検討するに当たって告示の日前10日以内の辞職によって生じた欠員については補欠選挙により選挙すべき議員の数に含まれないと判断し,かつ,これを公表周知させたことは,本件選挙において選挙すべき議員の数を誤ったもので,選挙の管理執行機関がその手続を誤り,選挙の公正を害したものということができる。
(4) そして,選挙を執行するに当たって,当該選挙で選挙すべき議員の数が何名であるかは,予想される候補者の数,個々の候補者の勢力範囲等と相まって,立候補を検討する者が当選可能性を推し量る上での重要な要素であるから,選挙すべき議員の数を誤り,これを少なく表示することは,立候補を検討する者の意思決定を誤らせて立候補の自由を侵害することとなり,ひいては選挙人の選択肢を狭め,選挙の自由を侵害するものということができ,重大な規定違反というべきである。
(5) 原告は,色々な法解釈の余地がある場合に,市委員会としての独自の判断と解釈を行いこれを公表したとしても,これにより直ちに市委員会の選挙事務の執行について違法があると断定することはできないと主張する。しかし,公職選挙法の趣旨が,選挙が公明かつ適正に行われることを確保し,もって,民主政治の健全な発達を期することを目的とするものであること(1条)に照らすと,同法の解釈に当たっては,選挙の執行が公明かつ適正であることが疑われるような解釈は妥当せず,裁量の余地のない形式的画一的な解釈をすることによってこそ同法の公明かつ適正な選挙を実現することができるというべきであり,個々の選挙管理委員会において独自の判断や解釈をすることは許されるものではない。そもそも,本件の補欠選挙の便乗選挙を行う場合における選挙すべき議員の数については,既に上記((3))の解釈に沿う「便乗選挙を行う場合における議員定数」という先例が存在し(甲26),これに反する判決例はもちろん,先例,文献等は皆無なのであるから,市委員会には,本件選挙について,これと異なる解釈をする余地はないところである。なお,原告は,福岡高裁昭和48年9月27日判決を自己の有利に援用するが,同判決は,法113条3項ただし書の「告示の日前10日以内に」とは告示の日の前日を第1日として逆算し,10日目に当たる日以内をいうと解すべきで,当該選挙は,その10日目に当たる日にされた欠員通知に基づいて行われたものであり,かつ,同項ただし書は選挙管理委員会に補欠選挙を執行するか否かの裁量権を与えたものではないから当該選挙は無効であると判示したものであり,何ら原告主張を支えるものでないことは明らかである。
また,原告は,補欠選挙においては,全国の殆どの選挙管理委員会で,その定数を意識しないままに選挙実務が行われているのが通例であると主張するが,補欠選挙であっても,おおよそ選挙を行うに当たって選挙すべき議員の数を何ら確定しないまま選挙が行われることなどあり得ないことであるから,その述べる通例があるとすれば,いったん補欠選挙が行われることが決定されれば,当該補欠選挙において選出すべき議員の数は,常にその時における議員の欠員数となることから,補欠選挙を行うこととなった選挙管理委員会は,これとは別個に定数を検討すべき余地はなく,特段の検討を行わないということを言うに過ぎないものと解されるから,上記の原告の主張は採用することができない。
原告は,選挙すべき議員の数についての告示は要件となっていないことを重要視すべきであるとも主張するが,告示の要件となっていないとしても,選挙すべき議員の数が一連の選挙手続の中核をなす事柄であることは自明であり,また,上記のとおり,公職選挙法の趣旨に照らし,補欠選挙の便乗選挙における選挙すべき議員の数は一義的に定まるものと解されるのであるから,告示の内容となっていないからと言って,市委員会の選挙すべき議員の数についての誤りが選挙の効力に何ら影響を及ぼさないものと判断することはできない。
更に,原告は,本件選挙に関する被告の市委員会に対する対応を種々非難するが,その指摘する事項をもってしても,前記の市委員会の判断及び公表,周知が法に違反するものであるとの結論が左右されるものではなく,上記の認定を覆すことはできない。
(6) 以上によれば,前記(2)の市委員会の一連の行為は,法205条1項にいう選挙の規定に違反する場合に当たるものと解すべきである。
2 争点(2)(選挙の結果に異動を及ぼす虞のある場合に当たるか)について
(1) 法205条にいう選挙の結果に異動を及ぼす虞がある場合とは,当該選挙について選挙の規定違反がなかったならば,選挙の結果,すなわち候補者の当落に,現実に生じたところと異なった結果の生ずる可能性のある場合をいうものと解すべきである(前掲最高裁昭和29年9月24日判決)。
(2) 上記のとおり,市委員会は,本件選挙の選挙すべき議員の数が,平成18年5月12日に2となり,同月17日には3となったにもかかわらず,同月12日に告示日前10日以内の欠員によっては選挙すべき議員の数には変更がないからその数は1であると報道機関に回答し,その旨の報道がされ,その後もこの見解に沿って本件選挙の事務を執行し,告示日である同月21日にも報道機関に対して選挙すべき議員の数は1であると公表したものである。選挙すべき議員の数が何名であるかは,上記のとおり,予想される候補者の数,個々の候補者の勢力範囲等と相まって,立候補を検討する者が当選可能性を推し量る上での重要な要素であり,このことと,本件選挙では,選挙すべき議員の数が真実は2,あるいは3に変わっていたのに対して1と少なく回答ないし公表されていたものであること,1と公表されていたにもかかわらず4名が立候補したことからすると,法113条3項ただし書について正しい解釈がなされ,選挙すべき議員の数について変更があった都度正確な数が公表されていたならば,これを上回る立候補があった可能性があるものと認められる。
(3) 原告は,従前の経過,事情を斟酌しても,4名の立候補者以外の者が立候補する可能性はなかったと主張する。
しかし,原告の主張するような周到な準備をした上で立候補の意思決定をする者が殆どであるとしても,短期間に新たに立候補を決意する者がいないとまでは断定することはできず,短期間に立候補を決意したからといって,その者の知名度,組織力によっては長期の準備期間を経た者以上の集票力がないとはいえないから,そのような者が選挙の結果に何らの影響を与えない者であるということはできない。特に,本件選挙のような市町村選挙においては,選挙区の範囲が狭く,供託金も少額なので,準備期間が短くても立候補を決意して当選を目指す者がいることが考えられるところである。また,立候補予定者説明会は立候補を行うにつき必ずしも参加しなければならないものではないから,これに出席していない者であっても,それまでに原告のいうような情報収集等の広義の選挙活動を行っていた者が存在しないものともいえないのであって,そのような者が選挙すべき議員の数が1ではなく最終的に3となったことが周知されていれば立候補を表明することもあり得る事柄である。
また,本件において,立候補予定者説明会に出席したが立候補しなかった陣営に市委員会が意思確認をしたのは,選挙すべき議員の数について正確な情報が周知される前であるから,上記意思確認に対し立候補しないと返答したからといって,正確な情報が周知されていたとしてもこれらの者が立候補する可能性がなかったとはいえない。正確な情報が周知された後にこれらの陣営から異議等が出されていないとしても,異議等を改めて述べるか否かについては,また別個の利害得失も考慮されるであろうことからすると,上記の可能性の有無を左右するものとはいえない。
そうすると,本件選挙には,4名の立候補者以外の者が立候補する可能性はなかったとはいえず(現に乙7,8によれば,被選挙数が3であればもう1人立候補したはずだとする党派の関係者がいることが新聞報道されている。),原告の主張は採用することができない。
(4) そして,新たな候補者があった場合には,選挙人について選択の幅が広がり,本件選挙に立候補した4名の得票数も当然に異なり,候補者の当落に異なった結果が生じた可能性があるものということができる。
(5) また,市委員会が選挙期日の告示日前10日以内に通知された欠員も選挙すべき議員の数に含まれることを正しく認識し,これを周知していれば,市長選挙に立候補するため市議会議員を辞職したB及びCにおいて市議会議員を辞職するか否か及びその時期について異なった判断をした可能性も否定できず(例えば,辞職しないまま市長選挙に立候補すれば選挙すべき議員の数はそれだけ減ることになる。),この意味でも本件選挙の候補者の当落に異なった結果が生じた可能性があるものというべきである。
(6) したがって,本件選挙について,市委員会の一連の行為が選挙の規定に違反したことは,選挙の結果に異動を及ぼす虞がある場合に当たるものと認められる。
なお,原告は,本件選挙の得票総数と同日に行われた市長選挙の得票総数の差を本件選挙の次点者の得票数に加えても最下位当選者の得票数を下回るから,選挙の結果に異動を及ぼす虞がないと主張するが,本件は,選挙の規定違反の影響の範囲が有権者数ないしは投票数として把握されるような事案と異なり,立候補者数等に変動の可能性があった事案であるから,無意味な主張といわざるを得ない。
3 争点(3)(その他本件裁決の取消事由の存否)について
(1) 原告は,被告の行政権の濫用,信義則違反をいう。本件において,平成18年5月12日には市委員会が法113条3項ただし書につき誤った解釈をとり,Bの辞職によって生じた欠員通知があったにもかかわらず選挙すべき議員の数は1のまま変わらないという新聞報道がされたのに,被告において告示翌日の22日になって初めて市委員会に対し選挙すべき議員の数は3であると連絡した理由については判然としないが,都道府県選挙管理委員会(被告)と市町村選挙管理委員会(市委員会)とがいずれも独立した行政主体として意思決定を行うことは明白であり,市町村選挙管理委員会の決定に対して不服がある者は,当該都道府県の選挙管理委員会に審査の申立てができるものの(法202条2項),この他に,被告について市委員会との関係で指揮し,あるいは命令する権限があるとする根拠となる規定は見当たらないのみならず,そもそも,選挙の効力に関する争訟等の一連の手続は,選挙が選挙人の自由に表明する意思によって公明かつ適正に行われることを確保するための制度であることからすると,仮に本件選挙の過程で被告に何らかの落ち度があったとしても,選挙が公明かつ適正に行われず,法205条1項に該当するという事実がある限り,被告が裁決をするに当たって選挙を無効とする判断を取り得ないとすることは,制度の趣旨に反し,許されないことである。したがって,原告の主張は理由がない。
(2) 原告は,当選人の地位を云々するが,上記のとおり,本件選挙に選挙に関する規定の違反があり,これが無効とされるべきである以上,当選人の地位が喪失することは当然のことであって,これにより被った不利益があるときは,その責任を負うべき者に対して別途責任追及の手段を取り得る場合があることは別として,裁決取消,選挙無効の当否を判断するに当たって当選人の地位の保護を考慮する必要は認められない。
(3) また,原告は,再選挙に要する費用が多額であることを指摘して政策的判断の観点から本件裁決には疑問があるとするが,被告は,選挙の規定に違反することがあり,選挙の結果に異動を及ぼす虞がある場合には,その選挙の無効を裁決しなければならないのであり(法205条1項),選挙の効力に関する争訟に,事情裁決(行政不服審査法40条6項)及び事情判決(行政事件訴訟法31条)の規定が準用されないこと(法216条2項,219条1項)からしても,原告の上記の指摘は採用することができない(付言するに,原告主張のような考慮は,法113条等の規定による地方公共団体の議会の議員の再選挙等は,当該議員の任期が終わる前6月以内にこれを行うべき事由が生じた場合は原則として行わない(法34条2項)として既に立法の際に織込み済みであると考えられる。)。
第4結論
以上によれば,原告の請求は理由がないから,これを棄却することとし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 満田明彦 裁判官 多見谷寿郎 裁判官 堀内照美)