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名古屋高等裁判所 平成20年(ネ)440号 判決 2008年12月02日

主文

1  原判決主文第1項を取り消す。

2  前項にかかる被控訴人の訴えを却下する。

3  控訴人のその余の控訴を棄却する。

ただし,被控訴人の請求の減縮により,原判決主文第3項を次のとおり変更する。

控訴人は,被控訴人に対し,63万9450円及びこれに対する平成18年4月22日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

4  第1項及び第2項に関する訴訟の総費用及び前項に関する控訴費用は,控訴人の負担とする。

5  原判決主文第2項中「羽島市民病院第d病棟e号室」とあるのを「羽島市民病院第d病棟e号室(通称e号室)」と更正する。

事実及び理由

第1当事者の求めた裁判

1  控訴の趣旨

(1)  原判決を取り消す。

(2)  被控訴人の請求をいずれも棄却する。

(3)  被控訴人は,控訴人に対し,4908万7347円及びこれに対する平成14年11月17日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(4)  訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人の負担とする。

(5)  (3)につき,仮執行宣言

2  控訴の趣旨に対する答弁

本件控訴を棄却する。ただし,請求の趣旨の減縮により,原判決主文第3項を「控訴人は,被控訴人に対し,63万9450円及びこれに対する平成18年4月22日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。」と変更する。

第2事案の概要(以下,略称については原判決の表記に従う。)

1(1)  本件は,被控訴人が開設,運営する被控訴人病院(原判決2頁14行目参照)における本件事故(原判決添付別紙事故目録記載の医療事故。控訴人の心筋梗塞に対する術後の止血に伴う神経不全麻痺等。)について,被控訴人が控訴人に対し,①その損害賠償義務が存在しないことの確認請求,②被控訴人病院からの退去請求,③未払診療費等及び平成18年4月22日(訴状送達の日の翌日)以降の遅延損害金の支払請求をし(本訴),控訴人が被控訴人に対し,被控訴人病院の医師の過失により損害を被ったとして,使用者責任又は債務不履行により4908万7347円及びこれに対する平成14年11月17日(手術の翌日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた(反訴)事案である。

(2)  原審は,被控訴人病院医師・看護師には,本件検査(心臓カテーテル検査。原判決3頁10行目参照)及び本件PTCA(経皮的冠動脈再建術。同11行目参照)実施後穿刺部位からの出血を防ぐために行った本件圧迫止血(原判決3頁24行目参照)の方法及び止血時間に関し,控訴人主張の注意義務違反はないとして,被控訴人の本訴債務不存在確認請求を認容し,控訴人の反訴請求を棄却し,また被控訴人のその余の本訴請求(退去請求と未払診療費等請求)を認容した。

控訴人はこれを不服として控訴した。

(3)  被控訴人は,当審において,未払診療費等支払請求を,平成15年5月1日から平成17年10月31日までの診療報酬費63万9450円に減縮した。

2  争いのない事実等,争点(当事者の主張を含む。)は,以下のとおり当審における当事者の主張(主に過失の有無に関し,原審での主張を敷衍するもの)を付加するほか,原判決「事実及び理由」欄の「第2 事案の概要」1,2に記載のとおりであるから,これを引用する。

(1)  控訴人

ア 術後の止血のために圧迫止血は有為な施療であるが,長時間圧迫されると神経細胞が圧迫され圧迫損傷をもたらす。控訴人に生じた正中神経不全麻痺及び反射性交感神経性萎縮症(RSD)による拘縮は,血管の圧迫による代謝不全に起因する神経細胞の損傷か神経細胞自体の圧迫損傷によるものである。

イ 控訴人は,鎮痛剤の投与とこれによる睡眠によって痛みを感知せず,看護師に対して訴えなかったが,控訴人の痛みが手術当日から翌朝まで継続していたはずであるから,被控訴人病院は,本件止血器を早期に減圧,取り外しをすべきであった。被控訴人病院は,この義務を怠り,長時間の圧迫止血を継続し,上記事故を発症させた。

(2)  被控訴人

ア 正中神経不全麻痺は,PTCA及び術後の止血処置の過程で発生したことは認めるが,原因は明らかでない。RSDの原因は解明されていない。

イ 睡眠に入った控訴人に対して何らの経過観察をしていないとの主張は否認する。被控訴人病院は,適切な観察を実施している。

どのような止血方法を実施するかという点については,診療当時の医療水準に照らし,標準的な医療が行われたかという視点で捉えるべきであり,被控訴人病院の処置に注意義務違反はない。控訴人は,加圧止血装置を早期に取り外すべきであったと主張するようであるが,控訴人のように糖尿病の既往症がある患者の場合,止血に時間がかかる場合がある。

第3当裁判所の判断

当裁判所は,被控訴人の控訴人に対する本件事故についての損害賠償債務不存在確認請求に係る訴えについては,控訴人から本件事故についての損害賠償金の支払を求める反訴が提起されている以上,確認の利益を認めることはできないから,不適法として却下を免れないが,その余の被控訴人の請求(入院費用等の支払請求は減縮後のもの)については,原判決と同様に,理由があり,控訴人の反訴請求が理由がないと判断する。

その理由は,以下のとおりである(当審における控訴人の主張に対する判断を含む)。

1  本件の医療事故による損害賠償請求権の有無

(1)  事実の経過及び医学的知見

以下のとおり補正するほかは,原判決10頁18行目から15頁22行目までの(1)及び(2)の記載を引用する。

ア 原判決12頁8行目の「異常がなければ」の次に「動脈の穿刺部以外の毛細血管等からの出血に関して圧迫を維持しておく必要があることや,肘部を屈曲することによる穿刺部からの再出血を防ぐ必要があることから」を加える。

イ 同13頁26行目の「穿刺部から再出血し,」を「何らかの刺激により穿刺部から再出血し,」と改める。

ウ 同15頁3行目から4行目にかけての「脈を触知できるか」の次に「,腫脹,浮腫の有無等」と加える。

(2)  過失の有無

ア 過失①(本件圧迫止血時に十分な減圧措置を行わなかった過失)の有無について

以下のとおり補正した上で,原判決15頁25行目から17頁16行目までの(ア)から(ウ)の記載を引用する。

(ア) 原判決16頁10行目の「前記認定事実及び医学的知見によれば,」の次に「控訴人が本件止血器装着後午後7時30分に痛みを訴えた際,被控訴人病院医師の指示により,直ちに本件止血器の空気を15ミリリットル除去する措置がとられたこと,その1時間後には更に5ミリリットル除去する措置がとられたこと,」を加える。

(イ) 同17頁7行目から16行目までの(ウ)を次のとおり改める。

「  (ウ) 以上によれば,被控訴人病院医師らは,本件止血器装着後控訴人の疼痛の訴えに応じて早期に相当量の減圧措置を講じ,その後,控訴人が本件圧迫止血中に痛みを訴え続けていたわけではなかったことから,控訴人の神経を損傷するおそれがあることを予見することは困難であり,また,圧迫止血措置が不十分であると穿刺部からの再出血により血腫が形成されて皮下組織や神経を圧迫して神経麻痺を生じさせる可能性があるところ,被控訴人病院の医師及び看護師は,本件圧迫止血中,控訴人に対し,観察を続け,正中神経の圧迫が生じないように必要な管理を行うなどしていた。

他方,前記医学的知見によると,肘窩部は神経・血管が近接した部位であり,局所的な血管と神経の位置関係には個人差があることもあって,血管と神経の走行の状況をあらかじめ知ることはできないことから,肘窩部における止血操作に際しては,正中神経への圧迫を避けて動脈の穿刺部だけを圧迫することは不可能であった。

そうすると,被控訴人病院の医師及び看護師は,控訴人に対し,適切に圧迫止血措置を行っていたということができ,圧迫止血中に常に1時間毎に控訴人の止血の状態を観察して更に減圧すべき注意義務があったところ,これを怠った過失があった旨の控訴人の主張は認められない。」

イ 過失②(圧迫止血開始後3時間程度止血器を除去しなかった過失)の有無について

原判決17頁18行目から23行目までの(ア)及び(イ)の記載を引用する。

ウ 当審における控訴人の主張(被控訴人病院の過失)について

(ア) 控訴人は,鎮痛剤の投与とこれによる睡眠によって痛みを感知せず,看護師に対して訴えなかったが,控訴人の痛みが手術当日から翌朝まで継続していたはずであるから,被控訴人病院は,本件止血器を早期に減圧,取り外しをすべきであったのに,これを怠った過失がある旨を主張する。

しかしながら,前記認定事実及び原審におけるC証人の証言によると,控訴人は手術終了後の平成14年11月16日午後7時20分ころに本件止血器を装着され,その約10分後に激しい痛みを訴えたこと,そこで被控訴人病院では,同時刻ころに鎮痛剤(ポンタール)を内服させ,本件止血器の空気を15ミリリットル除去したこと,さらに同日午後8時30分ころ鎮痛剤を筋肉注射し,本件止血器の空気を5ミリリットル除去したこと,この注射された鎮痛剤(ソセゴン及びアタラックスP)の鎮痛作用は3,4時間程度にとどまること,控訴人はその後の同日午後9時30分ころ及び午後10時30分ころに疼痛等を訴えたものの,翌17日の午前0時ころ,同2時及び同4時ころに行われた被控訴人病院の看護師による巡回の際には疼痛等を訴えなかったことが認められる。そうすると,控訴人は,鎮痛剤を打たれた後もしばらく疼痛等が残存したものの,翌17日の午前0時ころに鎮痛剤の効果がなくなったにもかかわらず,疼痛等は入眠できる程度に治まったと推認することができる。

そうすると,控訴人の痛みが朝まで継続していたとの控訴人の主張の前提事実が認められず,控訴人の上記主張は採用することができない。

(イ) 控訴人は,看護師が,睡眠に入った控訴人に対して何らの経過観察をした節もない旨主張するが,前記認定事実のとおり,被控訴人病院看護師は,本件止血器装着後約4時間は,1時間毎に,その後は2時間毎に,控訴人の状態を観察していたのであるから,控訴人の上記主張は採用することができない。

(ウ) 更に,控訴人は,本件止血器の早期減圧・取り外しをしても,止血が必要ならやり直せばよいのであり,それに比べると,止血の解除が遷延した場合は重大な被害をもたらすので,本件止血器を早期に減圧,取り外しをすべきであった旨主張する。

しかしながら,原判決も説示するように,PTCA実施後の圧迫止血が不十分なまま圧迫を解除すると,何らかの刺激により穿刺部から再出血し,血液が皮下にたまり,血腫が形成され,皮下組織や神経を圧迫し,神経麻痺を生じさせる可能性があること,再出血すると結果として圧迫止血時間はかえって長くなること,被控訴人のように糖尿病の既往症がある患者は既往症のない患者よりも止血しにくく,再出血を起こすリスクも高いこと,また,上腕動脈穿刺によるカテーテル操作後の正中神経麻痺の発生報告例のうち約8割程度が出血,血腫,偽性動脈瘤によるものであったとの報告(甲B4)もあることを併せ考えると,控訴人の上記主張を直ちに採用することはできない。前記認定事実及び医学的知見によると,本件圧迫止血につき,被控訴人医師らに注意義務違反があったということはできない。

(3)  まとめ

以上のとおりであり,控訴人の損害賠償請求は理由がない。なお,被控訴人の控訴人に対する本件事故についての損害賠償債務不存在確認請求に係る訴えについては,控訴人から本件事故についての損害賠償金の支払を求める反訴が提起されている以上,確認の利益を認めることはできないから,不適法として却下を免れないというべきである(最高裁判所平成13年(オ)第734号,同年(受)第723号,同平成16年3月25日第一小法廷判決・民集58巻3号753頁参照)。

2  退去請求について

退去請求が理由があることについては,原判決18頁3行目から22頁10行目までの(1)及び(2)の記載を引用する。

3  治療費の支払請求について

前記の争いのない事実及び証拠(甲C11)並びに弁論の全趣旨によれば,控訴人は平成14年11月16日に被控訴人病院に入院し,現在までその状態を継続しているところ,平成15年5月1日から平成17年10月31日までの診療報酬費は63万9450円であることが認められる。

よって,被控訴人病院は,控訴人に対し,入院に伴う診療契約に基づき,診療報酬費として上記の63万9450円を請求することできる。そして,この分については,控訴人が原審で主張していた短期消滅時効は時期的に当てはまらないことは明らかである。

第4結論

以上によれば,被控訴人の請求のうち本件事故についての損害賠償債務不存在確認請求に係る訴えについては,不適法であるから取り消して同請求に係る訴えを却下することとし,その余の被控訴人の請求(入院費用等の支払請求は減縮後のもの)についてはいずれも理由があり,控訴人の反訴請求は理由がないから,控訴人の本件控訴を棄却する。なお,本判決主文第1項及び第2項に関する訴訟の総費用については,民事訴訟法62条を適用し,控訴人の負担とする。また,原判決主文第2項中に病室の表示として「羽島市民病院第d病棟e号室」とあるのを「羽島市民病院第d病棟e号室(通称e号室)」と更正する。

よって,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡光民雄 裁判官 光吉恵子)

裁判官林道春は,転補につき,署名押印することができない。裁判長裁判官 岡光民雄

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