名古屋高等裁判所 平成20年(ネ)523号 判決 2008年10月23日
控訴人(一審原告)
株式会社a
同代表者代表取締役
A
同訴訟代理人弁護士
水野聡
同
吉田奈津子
被控訴人(一審被告)
Y
同訴訟代理人弁護士
進士肇
同
篠崎芳明
同
小川幸三
同
寺嶌毅一郎
同
杉山一郎
同
山際悟郎
同
中山祐樹
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判(以下略称は、原則として原判決の表記に従う。)
一 控訴人
(1) 原判決を取り消す。
(2) 被控訴人は、控訴人に対し、三〇〇〇万円及びこれに対する平成一八年三月三一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(3) 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
(4) 仮執行宣言
二 被控訴人
主文同旨
第二事案の概要等
一 本件は、飲食店を経営する控訴人が、被控訴人は控訴人と委任契約を締結したその代表取締役だったにもかかわらず、委任契約を解除して退任するに当たり、必要な業務引継をなさず、また控訴人に不利な時期に退任したから、善管注意義務違反又は忠実義務違反による債務不履行ないし民法六五一条二項に基づく損害賠償義務があると主張して、被控訴人に対し、三〇〇〇万円の損害賠償と遅延損害金の支払を請求する事案である。
二 これに対し、被控訴人は、控訴人との契約関係は、実質的に雇用契約であって委任契約ではないとして、自己が控訴人の代表取締役だったことを否認し、損害賠償義務を争うほか、仮に委任契約が存在したとしても、自己の退任には、民法六五一条二項但書のやむを得ない事由があると主張した。
三 原審は、被控訴人が実質的に代表取締役の権限を有していたとは認められない等として、控訴人の請求を棄却したため、控訴人が控訴した。
四(1) 前提事実、争点及びこれに対する当事者の主張は、以下の(2)のとおり、原判決を補正し、次項のとおり、当審における当事者の主張を付加するほかは、原判決「事実及び理由」欄の「第二 事案の概要等」の二、三に記載のとおりであるから、これを引用する。
(2) 原判決の争点(1)の補正
原判決二頁二一行目の「(1) 被告の代表取締役性」を、「(1) 控訴人と被控訴人との間の委任関係の有無(被控訴人の法的地位)」と改める。
五 当審における当事者の主張
(1) 控訴人の主張
ア 被控訴人の法的地位
(ア) 原判決は、被控訴人には実質的に独立した業務執行権限がなかったと認定した。しかし、次項以下のとおり被控訴人は、控訴人における唯一の業務執行権限者であって、その権限行使により控訴人に損害を与えた場合、賠償責任を免れることはできない。
(イ)a b(原判決五頁。以下「b(本部)」という。)を本部とするbグループ(以下「本件グループ」という。)は、従前より、従業員の中から会社経営の熱意と実力のある者を登用し、独立させて、分社化を図ってきた。その結果、本件グループは、平成一七年九月時点で八社に増え、売上は年間五億円に達するまでに成長した。
b 本件グループに属する各社は、b(本部)と業務提携基本契約を交わし、その一部は、c社(原判決五頁)とコンサルタント契約を締結して、同社から経営上の助言指導を受けている。また、本件グループでは、役員や店舗責任者を対象として、経営塾、合同役員会、店舗責任者会議等を開いている。
c このようにグループ各社は、各々独立しながら、相互に提携し協力し合う関係にあったのであり、BやC(原判決二頁)との間で支配・被支配の関係にあったわけではない。
(ウ)a 被控訴人は、平成一二年一一月b(本部)(当時の商号・有限会社b)にホステスとして入社し、平成一四年八月、同社が株式会社に組織変更するに当たり、取締役に就任し、更に平成一四年頃、同社の売上が二億円を上回るようになったため、独立して、控訴人を設立することになった。
b 平成一五年八月に、控訴人(当時の商号・有限会社b)が設立されて、被控訴人は、代表取締役に就任し、従前b(本部)が経営していた○○と△△の営業権を譲り受けて、経営全般に携わり、売上は、初年度一億一四〇〇万円(概数。以下同じ)、翌年度一億二一〇〇万円を達成した。
c 上記のように、被控訴人は、Bの右腕として、本件グループの中核企業である控訴人の経営を担い、本件グループの礎を築いてきた。
d また、控訴人とb(本部)の間では、平成一七年一月一日付で業務提携に関する基本契約が取り交わされており、両社の関係は、他のグループ各社と同じく、支配・被支配の関係ではなかった。
e 上記aの取締役就任の際、Bは被控訴人の承諾を取り、給与体系を役員報酬制に変更し、会社の負担でタクシーチケットを利用させ、車両を貸与する等、名実ともに被控訴人を取締役として処遇している。
(エ)a 原判決も認定するとおり、被控訴人は、控訴人で唯一の代表取締役に選任され、その登記を経た者であり、対外的に控訴人を代表し、控訴人の業務執行を担当してきた。
b 同じく原判決が認定するとおり、被控訴人は、遅くとも平成一六年五月以降、部下である取締役のAらに、店舗の仕入、経理、資金繰り、人事等のやり方を教え、これを分担させて担当させており、控訴人の業務執行は、実質的に被控訴人自身が行なっていた。
(オ) 原判決は、被控訴人が業務執行に当たり、Bらの意向を尊重した点を、代表取締役性を否定する根拠として重視しているが、代表取締役の業務執行が株主(Bは主要な株主である。)の意向を重視してなされることは一般にみられることであって、そのことから、当該代表取締役が株主に支配されているとか、実質的な業務執行権限が株主にあることになるわけではない。
イ 被控訴人の業務引継義務の違反
(ア) 原判決は、被控訴人が失踪したのは、退職の決意を表明したにもかかわらず、BやCから執拗に翻意を促されたためであり、業務引継をしないのもやむを得ないことだった等と認定している。
(イ) しかし、例年九月は、年末に向かって最も売上が伸びる時期であり、様々なイベントが企画されていた。また、控訴人は、被控訴人の提案による東京進出の事業三か年計画が承認されて、有限会社から株式会社に組織変更することが決まっていた。更に、○○のリゾート風改装計画等事業の拡大も実施することになっていた。
したがって、控訴人における被控訴人の上記アの地位に鑑みれば、Bらの説得がある程度強いものになったのは致し方のないことである。
(ウ) 一方、Bは、被控訴人の結婚退職の意思が堅いことが解った以降は、適切な業務引継をするよう求めて、「ぶどう亭」「ラ・バルカ」において穏やかな雰囲気で話合いを行なっていた。
(エ) にもかかわらず、被控訴人は、突然失踪したのであって、その背信性は著しい。上記アの被控訴人の地位に照らし、突然失踪すれば、○○と△△は、その信用を甚だしく害され、致命的な打撃を受けることは容易に予測可能だったから、被控訴人は、業務引継の義務があり、かつこれを履行しようとしなかったことが明らかである。
ウ 不利益な時期に退職したことによる損害賠償義務
(ア) 原判決は、被控訴人が実質的に代表取締役としての独立した業務執行権限を有していなかったとして、民法六五一条二項による損害賠償義務を負わないと判示した。
(イ) しかし、上記アのとおり、控訴人の経営全般にわたり、事態を把握していたのは、被控訴人一人であって、被控訴人には民法六五一条二項による損害賠償義務がある。
(ウ) また、上記イ(イ)のとおり、控訴人の組織変更(増資)が予定されていたのであるから、被控訴人が失踪したのが控訴人にとって不利益な時期だったことは明らかである。
(2) 被控訴人の主張
ア 控訴人の上記主張は、いずれも否認ないし争う。
控訴人の主張は、信用性が乏しいことが明らかなBの陳述書等に基づくものであって、前提となる事実が認められない。
イ 控訴人の主張に信用性のないことは、被控訴人と同様に本件グループのb(本部)の取締役に就任させられていたDと同社との訴訟において、b(本部)が経営委託契約書を偽造したと判断されて、同社が敗訴していることからも明らかである。
第三当裁判所の判断
当裁判所は、理由の細部の構成に違いはあるものの、結論的には、原審と同じく、控訴人の請求は理由がないと判断するが、その理由は、以下のとおりである。
一 本件の経過
引用に係る原判決掲記の前提事実、後掲証拠及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
(1) b(本部)は、飲食店の経営や労働者派遣業を主な目的として、平成一二年八月一〇日、設立された会社であり(当初は有限会社。平成一四年八月一九日株式会社に組織変更)、クラブ、ラウンジ等の飲食店を経営していた。Bは、従前から、その代表取締役(組織変更前は取締役)を務めていた。c社は、Cが支配株主であり、代表取締役を務める会社である。b(本部)の主要な株主は、c社とBであり、両者でb(本部)の発行済株式総数の六〇%以上を保有している。
本件グループ(bグループともいう。)は、c社とb(本部)を中心とする企業グループであり、平成一七年当時その中には、両社のほか、控訴人、株式会社d、有限会社e、有限会社f、有限会社g、有限会社h、iスクール等の各企業があって、□□、△△、○○、◎◎等一〇店舗以上の飲食店を経営するほか、人材派遣業等を営んでいた。従前、本件グループのほとんどの会社は、名古屋市《番地省略》所在のjマンション八階の同じ場所を本社所在地としていた。
(2) 被控訴人は、従前からホステスをしていたが、平成一二年一一月頃、b(本部)にホステスとして雇われ、□□で働いていたところ、平成一四年一月頃、同倶楽部の小ママ(チーママ。店の切り盛りをするいわゆる「ママ」を補助する者)となり、更に同年一一月、いわゆる会員制談話室である○○が開店すると、同店のママになった。
CとBは、平成一四年八月、b(本部)を有限会社から株式会社に組織変更したが、被控訴人は、これ以降、同社の取締役として登記され、また平成一五年五月二三日同社の増資が行なわれた際、被控訴人が一五〇万円を出資した旨の手続が取られた。
(3) CとBは、本件グループのグループ企業として、平成一五年八月一日、控訴人を設立し、控訴人は、前記(1)の○○と△△の二店舗の経営を担当するようになった。
設立当時、控訴人の資本金は三〇〇万円で、Cは、その全額を出資した。その後、控訴人では、平成一七年一月一一日、同年七月五日及び同月二五日と、三回の増資が行なわれ、増資分合計六八〇万円は、実質的にいずれもc社が出資全額を引き受けており、控訴人は、本件グループの他社と同様、Cとc社がその資本を支配していた。
これに対し、被控訴人は、控訴人設立の際に代表取締役として登記され、平成一七年一月一一日の増資に当たって五〇万円を出資した旨の手続が取られた(同時に、Cの出資口数が上記金額分減少した。なお、被控訴人の出資口数に関し、上記認定に反する甲一四の二、二六の記載は採用できない。)。また、平成一七年九月頃、控訴人の取締役として、ほかにA及びEが登記されていた。
そして、平成一七年一月一日付の控訴人、被控訴人及びb(本部)名義の基本協定書(甲二八の一・二。ただし、成立に争いがあるので、記載内容だけを抽出する。)が存在し、同書面には、b(本部)が控訴人に顧客情報や経営ノウハウを提供する対価として、控訴人が売上の一〇パーセントをb(本部)に支払うこと、顧客情報の漏洩など秘密保持義務違反があった場合、控訴人は違約金五〇〇万円を支払うこと、被控訴人個人が控訴人のb(本部)に対する一切の債務を連帯保証すること等の記載があった。また、同じ平成一七年一月一日付の被控訴人とb(本部)名義による委任契約書(甲一〇。ただし、成立に争いがある。前同様。)が存在し、同書面には、被控訴人を本件グループ副代表に委任すること、被控訴人が本件グループの副代表として、各店舗の監督、指導、助言に当たることを受託し、その対価として控訴人以外の本件グループ各社から月額三七万五〇〇〇円の報酬を受領すること、被控訴人は各店舗について知り得た情報を他に漏らしてはならず、この秘密保持義務の違反があった場合、本件グループは上記報酬の支払をせず、更に損害賠償を請求できること等の記載があった。
そのほか、上記以前の平成一六年五月二七日付の控訴人とF名義による、新規開店のワインバー「R5」に関する業務委託契約書及びアドバイザー契約書(甲五二の一・二。ただし、成立に争いがある。前同様。)が存在し、同書面には、控訴人からFに当初一〇万円、その後月額三万円のアドバイザー料を支払う旨の記載があった。
そして、これらの契約書は、被控訴人の知らないうちに、控訴人関係者が作成した(被控訴人本人尋問の結果及び後記二(4)エの判決)。
(4) 被控訴人は、いずれも店長と呼ばれていた○○の小ママのGや△△の小ママAと一緒に、自分はママとして、上記二店舗を切り盛りし、いわゆる「店の顔」として、日常的に自ら接客したり、各店舗のホステスに接客の指示を出したりしていた。
被控訴人や他のホステスによるこれら接客の結果、控訴人の売上は、平成一六年七月には年額一億〇七〇〇万円、平成一七年七月には同一億一〇〇〇万円に上り、本件グループ各社のうち単独では最高の売上を上げる企業となっていた。
他方、控訴人の預金通帳や銀行印はCが管理しており、被控訴人は、本件グループ内の他店舗と同様、必要なときだけCやBから上記通帳を渡され、同人らの指示に従って仕入、経理等の事務を行なっていた。また、被控訴人は、GやAらと話し合ってホステスの求人広告を出すかどうかを判断し、CやBの承認を得て、求人雑誌に広告を載せていた。
そして、被控訴人は、控訴人からb(本部)等への上記(3)の金員の支払について責任を持たされていたほか、CやBから売上のノルマを課せられ、未達成のときは、自腹でチケットを買ったりしなければならなかった。更に、各店舗の売上が不足したり、資金繰りが苦しくなると、被控訴人は、Cらの指示で、サラ金や馴染客から借り入れて穴埋めをするよう求められ、実際にこれによる借金を負った。そのほか、本件グループ内では、頻繁にホステスのかけ持ちがあり、被控訴人も指示されて□□に出かけ、ホステスとして接客に加わっていた。
なお、控訴人では、毎年七月末の決算に基づいて税務申告をしていたが、被控訴人は、Cがk経営コンサルタンツのH税理士と作成する税務申告書や決算報告書に押印するだけであり、内容等には関与していなかった。
そして、被控訴人は、平成一七年に有限会社f、平成一八年にインテリアデザインを行なう株式会社lの取締役としても登記された。
(5) 被控訴人は、平成一七年当時、控訴人から三五万円(月額。以下同じ。)を、それ以外の本件グループ各社から三七万五〇〇〇円を支給されていたが(いずれも下記保険料や税金の控除前の金額)、この金額は、控訴人や本件グループ各社、あるいは被控訴人の関係する各店舗の売上や収益状況によって変動することはなく、賞与等の一時金もなかった(ただし、○○や△△の売上が不足したりした場合、被控訴人が自腹で穴埋めをさせられていたことは上記(4)のとおりである。)。
また、上記各金員は、給与支払明細書によって支払われており、同明細書には、Bが同人の源氏名である「B1」名義の押印をして、支払を決裁していた(これに対し、被控訴人が自己名義で自分の給与支払明細書を決裁していた旨の甲一五の二は容易に採用することができない。なお、本件グループ各社では、ホステスをしていた他の取締役も、Bの決裁する給与支払明細書で支払を受けており、たとえば平成一五、一六年当時、控訴人の取締役として登記された○○の副店長のEも給与支払明細書で支払を受けていたが、同明細書には、B自身が「がんばろうね」「最近より一層イキイキと仕事してくれてて 気分がいいです」「ますますパワー全開でがんばりましょう!!期待してます」等と添え書きしている。)。
そのほか、本件グループから被控訴人に対しては、車両が貸与されて、そのガソリン代、駐車場代を控訴人が負担しており、またチケットでタクシー代が支払われていた時期があった。
なお、控訴人から支給される上記三五万円のうちからは、所得税等のほか厚生年金及び健康保険の保険料として約四万円が控除されていたが、雇用保険ないし労働保険の保険料名目の控除はなされていない。
(6) しかるところ、被控訴人は、平成一七年八月中旬頃、店の客だったI(以下「I」という。)との結婚を決意し、同月末頃、CとBに対し結婚のため控訴人を退職する意思を伝えた。しかし、CとBは、これに強硬に反対し、そのため、同年九月一一日にI方に挨拶に行く予定であった被控訴人は、CとBから強く言われてこれを延期した。
同月一七日、被控訴人は、たまたま三八℃の熱を出して医師の診察を受け、急性腎孟腎炎の疑いで投薬治療を受けていたが、Bは、被控訴人の体調が悪いのを無視して、同日午後七時から深夜一二時頃まで約五時間にわたり、被控訴人に対し、現時点でIとの結婚を思いとどまるよう執拗に説得を続けた。Cもその席に同席していたが、Cは、Iの素行に問題がある旨の興信所の調査報告書を持参していた(上記報告書の内容が真実であることを裏付けるに足りる証拠はない。)。
以上のようなCやBの言動から、被控訴人は、円満に退職することを諦めて、翌日の平成一七年九月一八日、控訴人関係者に黙ってIのもとに行き、C、Bらから行方をくらました。
これに対し、Bらは、同日、被控訴人が居住していたマンションの鍵を取り替えたうえ、同月一九日以降反復して、Iや被控訴人の両親に対し、被控訴人の居場所を教え、控訴人の業務続行のために被控訴人を帰すよう要求する配達証明書付の郵便を出すなどした。
(7) 他方、被控訴人が行方をくらます前後、Cは、被控訴人に対し、極めて多数のメールを送って、被控訴人を翻意させようとしたが、その中には、脅迫的な文言のメールが多数含まれていた(その内容及びメール中の「J」に関する説明は、原判決七頁二二行目の「ア」から九頁一行目までのとおりであるから、これを引用することとし、摘示を省略する。)。
(8) 結局、被控訴人は、平成一七年一〇月初め頃には、I方にいることをBらに確定的に知られるに至ったが、業務引継等のためにCやBの下に出向けば結婚及び退職を阻止させられると考えて、Bらの要請には応じず、被控訴人代理人らに相談し、被控訴人代理人らは、同月七日、Bらに対し、上記の郵便を出す行為等を止めるよう求める通知を発した。そして、被控訴人は、平成一七年一二月二五日、Iと結婚した。
他方、控訴人は、平成一七年一二月一日、控訴人の取締役として登記されていたAを代表取締役として株式会社に組織変更し、平成一八年三月二四日、被控訴人に対して本件訴訟を提起した。
そのほか、控訴人や本件グループ各社は、本件訴訟ないしJに対する上記(7)の訴訟(原判決引用部分)と同様に、各社の取締役等として登記されていた複数のホステス等に対し、同女らが退職したり各店舗に出てこなくなったこと等を原因として、損害賠償請求訴訟その他の金員請求の訴訟を提起している。
二 被控訴人の法的地位(争点(1)について)
(1) 前記一認定の事実に基づき検討するに、被控訴人は、控訴人の唯一の代表取締役に選任された旨の登記がなされており、また前記一(3)認定のとおり、平成一七年一月一日付で、本件グループの副代表として、業務委託を受ける旨の委任契約書が作成されている事実が認められる。
(2) しかしながら、控訴人と被控訴人間の契約関係がどのようなものであるかは、契約の形式によって定められるのではなく、当該契約の実態によって判定されるべき問題である。
ア これを本件についてみるに、前記一の事実、特に(2)(4)認定の控訴人及びそれ以前における被控訴人の稼働状況によれば、被控訴人は、もっぱら、BとCによって指定されるクラブやラウンジ、バーにおいて、自らあるいは他のホステスに指示して、客を接客することを主な仕事としていたと認められるのであって、就業場所や就業時間が拘束され、仕事の諾否の自由はなかったというべきであるから、その稼働の実態は、いわゆる水商売の雇われママであるホステスに当たると認めるのが相当である。
イ そして、前記一(5)認定の給与支払の方法やEの給与支払明細書に記載されたBの書込みの内容、同(7)認定のメールの内容等によれば、控訴人を含む本件グループでは、被控訴人やEなどホステスをしていた取締役や代表取締役を、独立した各会社の役員等としてではなく、直接BやCの下にいる単なるホステスとして扱っており、被控訴人とIとの一件も、いわゆる売れっ子ホステスの駆け落ち騒ぎと同様に捉えて、脅迫的なメール等によって結婚を止めさせようとしているという実態を窺うことができる。
ウ これに対し、被控訴人には、前記一(5)認定の金員が支給され、車両貸与等の便益が与えられているが、被控訴人に支給される月額七二万五〇〇〇円という金額は、前記一(4)のとおり、被控訴人の切り盛りにより控訴人が年間一億円以上の売上を計上し、本件グループでも高い成績を上げていた点や、被控訴人が本件グループの他の店舗でもかけ持ちのホステスをしていた点を考慮すれば、売れっ子ホステスに対する給与としては、けっして高額なものということはできない。また、実際には前記一(4)認定のとおり、被控訴人は、ノルマ達成のため事実上チケットの購入を強制され、サラ金その他の借入によって売上の不足を補填させられていたのであるから、被控訴人の実質収入は、上記金額より相当低額だったと考えることができる。更に、タクシーチケットの支給等の付随的な便益の提供も、通常ホステスに対してなされる給付の範囲内にあると認めるのが相当である。
エ したがって、以上の事情を考慮すれば、被控訴人は、直接、CやBの指揮命令に基づき、従属的な使用関係の下で就労していた従業員にすぎず、また被控訴人と控訴人との契約関係は、実質的に雇用契約に基づくものだったと認めるのが相当であって、その反面、上記法律関係が委任契約に基礎を置いていたもの(控訴人主張)と認めることはできないし、被控訴人が控訴人とのいわば内部関係においては、委任契約が適用されるべき「代表取締役」であったと認定することはできない。現に、控訴人において、被控訴人を代表取締役として取締役会が開催されたこともない。
(3) 上記を別の角度からみるに、本件グループの場合、被控訴人のように客から人気のあるホステスである女性従業員について、退職されると売上に大きな影響があることから、その稼働の実態が雇用契約に基づくものにすぎないにもかかわらず、CやBらは、当該従業員と委任契約を締結してこの者に取締役ないし代表取締役との外観を付与し、会社経営に責任を有するとの法形式を利用することにより、労働基準法等の労働保護法規を潜脱することとしていた。更に、前記一(3)第四、五段で存在を認定した各種連帯保証契約や違約罰の定めによって、経済的に退職を阻止し、事実上就労を強制していた。被控訴人の場合、控訴人の代表取締役の肩書を付与されたとの認識はあったが、本件グループの副代表、控訴人のための個人としての連帯保証等は、契約書を無断で作成されていたため、その有無、内容等を正確に認識する機会もなかった。
したがって、控訴人と被控訴人とは委任関係にないにとどまらず、雇用関係にあるものの、法を遵守した雇用関係ではなく、労基法一六条ないし公序良俗に違反するような関係にあったというのが相当である。
(4) 控訴人の主張に対する判断
ア 以上の認定に対し、控訴人は、<1>被控訴人は、控訴人において、独立した業務執行権限を有しており、<2>控訴人ないし本件グループも、被控訴人を実質的に代表取締役として処遇していた、<3>本件グループ各社ないし控訴人とb(本部)の関係は、基本契約に基づく提携・協力関係にあったのであって、CやBとの間で支配・被支配の関係にあったわけではない等の趣旨を主張しており、<証拠省略>中には、(ア)店舗の仕入、経理、資金繰り、人事等の控訴人の業務執行は被控訴人が自分の判断で独自に行なっていた、(イ)控訴人は被控訴人に対し多額の報酬を支払い、実質的に代表取締役として処遇していた、(ウ)被控訴人が結婚退職の意向を表明して以降、Bは、適切な業務引継をするよう求めていただけであって、被控訴人を無理に阻止をしようとしたことはない等と、控訴人の主張に沿う部分がある。また、<証拠省略>によれば、被控訴人を代表取締役として、控訴人の商業登記や税務申告等がなされ、各種契約書、取締役会議事録等が作成されている事実が認められる。
イ しかしながら、被控訴人が控訴人の経営を自らの判断と指導力をもって進めていた等の前記アの冒頭の主張事実は、前記のとおりのBやCの被控訴人に対する指揮、指示等や被控訴人本人尋問の結果に照らすと、到底認められない。このことは、被控訴人の跡を継いで控訴人の代表取締役として登記されたAが控訴人の損益状況を実際に把握しているかには大きな疑問がある(同人の代表者尋問の結果)ことからも裏付けられるのであり、控訴人の代表者とされる者がそれに相応しい権限を有していないことが窺われる。
ウ また、前記一(5)(7)認定のとおり、Bは本件グループ各社で取締役等として働いていた女性達に直接給与の支払をしており、Cは、Iとの結婚の一件に関し、被控訴人に脅迫的なメールを入れて、その退職を阻止しようとしているのであるから、CやBが被控訴人や他の女性達に直接的な指揮命令を行なっていなかった等(前記アの主張事実)と考えることはできない。
エ そして、現在、乙三六、四〇、五一等の複数の判決によって、CやBらが、女性従業員に対し虚偽の文書への署名を強要したり、保証文書の偽造等を行なっていた事実が明らかになっている点に鑑みれば、これら判決の内容に符合する、被控訴人側の女性従業員らの証言や陳述書の記載には、相応の信用性が認められるというのが相当であって、同人らがCやBの指揮命令に基づいて就労しており、各会社や店舗に関し、実質的な決定権や裁量権を与えられていなかったと考えるだけの十分な根拠がある。
オ 更に、実際に被控訴人に与えられていた対価の金額・内容が、従業員である雇われママのそれと考えても矛盾しない範囲であったことは、上記(2)ウに判示した内容から明らかである。
カ したがって、上記イないしオに判示した事情に照らせば、控訴人に有利な上記アの証拠等を採用することはできず、争点(1)に関する控所人の主張は採用できない。
三 業務引継義務違反による損害賠償責任及び不利益な時期に退職したことによる損害賠償責任の有無(争点(2)(3)について)
上記二認定の事実及び判断に照らすと、結婚退職するに当たり、実際には従業員である被控訴人に格別の業務引継を行なう義務があったと認めることはできず、また控訴人と被控訴人との契約関係が委任契約に基づくものと認められない以上、民法六五一条二項に基づく損害賠償義務が発生する余地もないから、争点(2)(3)に関する控訴人の主張は、いずれも採用することができない。
第四結論
以上によれば、控訴人の請求はすべて理由がなく、これを棄却した原判決は相当である。よって、本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岡光民雄 裁判官 夏目明德 山下美和子)