名古屋高等裁判所 平成20年(行コ)56号 判決 2010年5月21日
控訴人(1審原告)
X
同訴訟代理人弁護士
岩井羊一
同
田巻紘子
同
岡村晴美
被控訴人(1審被告)
地方公務員災害補償基金
同代表者理事長
A
処分行政庁
地方公務員災害補償基金愛知県支部長 B
同訴訟代理人弁護士
藤井成俊
主文
1 原判決を取り消す。
2 地方公務員災害補償基金愛知県支部長が控訴人に対して平成16年12月22日付けでした地方公務員災害補償法に基づく公務外認定処分を取り消す。
3 訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1当事者の求めた裁判
1 控訴人
主文と同旨
2 被控訴人
(1) 本件控訴を棄却する。
(2) 控訴費用は控訴人の負担とする。
第2事案の概要
1 本件は,a市役所の職員であったC(以下「亡C」という。)の妻である控訴人が,うつ病発症及びこれに続く亡Cの自殺が公務に起因するものであると主張して,地方公務員災害補償基金愛知県支部長(以下「愛知県支部長」という。)が平成16年12月22日付けでした地方公務員災害補償法に基づく公務外認定処分(以下「本件処分」という。)の取消しを求めている事案である。
原判決は,控訴人の請求を棄却したところ,控訴人が控訴した。
2 争いのない事実等,争点及び当事者の主張は,原判決に以下のとおり付加するほかは,原判決「第2 事案の概要」欄の1及び2に記載のとおりであるから,これを引用する(ただし,文中の「次男」を「二男」と,「憎悪」を,「増悪」と改める。)。
3 原判決への付加
原判決5頁2行目末尾を改行して,次のとおり付加する。
「なお,本件処分及び前記裁決(本件処分を不服とする審査請求に対し,これを棄却した地方公務員災害補償基金愛知県支部審査会の平成18年12月8日付け裁決)の理由の要旨は,本件のように精神疾患に起因する自殺が公務上の災害と認められるためには,自殺が当該精神疾患が原因となっているものであり,しかも,被災職員の個体的,生活的原因が主たる原因となって自殺したものでないことが認められるほか,当該精神疾患が公務に関連して,時間的,場所的に明確にし得る異常な出来事等により発症したか,あるいは通常の日常の業務に比較して特に過重な職務の遂行を余儀なくされ,強度の肉体的負荷,精神的ストレス等の重複又は重複による過重な負担に起因して発症したものであることが必要であるところ,亡Cがうつ病を発症したのは平成14年4月上旬であり,それより6か月以前に同人に上記過重の負荷は認められないから,同人のうつ病は公務に起因するものではなく,また,うつ病発症後の出来事も過度な負荷といえるようなものではないというものである。」
第3当裁判所の判断
1 当裁判所は,亡Cのうつ病発症及びこれに続く自殺は公務に起因するものと認められ,これを公務外と認定した本件処分は取り消されるべきものと判断するが,その理由は,以下のとおりである。
2 認定事実
証拠(<証拠省略>,原審における<人証省略>,同控訴人本人,当審における<人証省略>)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。
(1) 亡Cについて
亡Cは,昭和21年○月○日に出生し,豊橋市内の高校を卒業した後,○○大学社会学部社会学科に進学した後,昭和45年3月に同学科を卒業し,同大学法学部法律学科に学士入学し,昭和47年3月に同学科を卒業して,同年4月にa市に採用され,その後,土木課業務係,税務課(後に,総務部市民税課に名称変更)市民税係,係長に昇任して消防本部予防課予防係,管理部秘書課広報係(クレーム対応),課長補佐に昇任して教育委員会社会教育課,総務部行政課,図書館(後に,主幹に昇任し,その後中央図書館に名称変更),平成12年4月から課長に昇任して総務部市民税課における勤務を経て,平成14年4月1日,初めての福祉部門の部署となる健康福祉部b課に異動となり,同年5月27日に55歳で死亡するまで,同課課長として勤務した。亡Cは,上記のとおり約30年間にわたり多数の部署を大過なく歴任し,異動前の市民税課長時代までの勤務態度に全く問題はなく,性格的には真面目で几帳面であり,責任感が強く,仕事に関して愚痴や弱音を吐くことは一切なく,与えられた仕事を誠実にこなし,仕事に関連する社会事象にも目配りし,b課への異動後も新聞の切り抜きなどを欠かさない一方,部下に対しても気軽に冗談を言い,雑談をするなど,穏和で親しみやすい人柄で,周囲の人望を集めていた。
また,亡Cは,家庭においても,夫婦仲が良く,同居していた義母(控訴人の母)との関係も良好であり,夫婦共働きで十分な収入を得ており,収入に比して多額とはいえない住宅ローン以外に借入れはなく,平成14年○月○日には長男に初孫が誕生し,同年4月には二男が高校に進学し,仕事帰りに初孫の顔を見るのを楽しみにしていた。さらに,亡Cは,小中学校時代からの友人を大切にして,長年親しく年賀状のやり取りをし,あるいは,地元のお祭りなどの行事にも積極的に参加して,地域社会でのつながりを大切にするなど,私的にも健全で円満な交友関係を築いていた。その他,亡Cには,それ自体が特段のストレスの原因となるような趣味,嗜好等は認められていない。
以上のとおり,亡Cには,b課への異動(ないしその内示)までは,仕事面においても,私的な領域においても,うつ病などの精神疾患発症の原因となるような事情は,全く見られなかった。
他方,亡Cは,うつ病の発症の危険因子とされるメランコリー親和型性格,執着性格という病前性格を有していたが,亡C本人にもその家族にも,うつ病等の精神疾病がかつて生じたことはない。
(2) D部長について
D部長は,名古屋大学法学部を卒業し,昭和47年4月,a市役所に採用されており,亡Cと同期採用であったが,亡Cより学年齢が2つ下であった。D部長は,a市役所の中では,その抜群に高い能力,識見により,仕事において手腕を発揮して順調に昇進し,平成12年4月,同期採用(多用な職種を含む。)30名ないし40名のトップを切って部長相当職に就き,平成13年4月から健康福祉部の部長を務めていたが,その経歴において福祉部門の経験も豊富で,ケースワーカーの資格も有し,健康福祉部の仕事の細部にまで習熟していた。
D部長は,市役所に勤務する公務員として,常に市民のため,高い水準の仕事を熱心に行うことをモットーとしており,実際,自ら努力と勉強を怠ることなく,大変に仕事熱心で,上司からも頼られる一方,部下に対しても高い水準の仕事を求め,その指導の内容自体は,多くの場合,間違ってはおらず,正しいものであったが,元来,話し方がぶっきらぼうで命令口調である上,声も大きく,朝礼の際などに,フロア全体に響き渡るほどの怒鳴り声で「ばかもの。」,「おまえらは給料が多すぎる。」などと感情的に部下を叱りつけ,それ以外に部下を指導する場面でも,部下の個性や能力に配慮せず,人前で大声を出して感情的,かつ,反論を許さない高圧的な叱り方をすることがしばしばあり,実際に反論をした女性職員を泣かせたこともあった。このような指導をしながら,D部長が部下をフォローすることもなかったため,部下は,D部長から怒られないように常に顔色を窺い,不快感とともに,萎縮しながら仕事をする傾向があり,部下の間では,D部長の下ではやる気をなくすとの不満がくすぶっており,このような不満は,健康福祉部の職員の間にもあった。
このようなD部長の部下に対する指導の状況は,a市役所の本庁内では周知の事実であり,同期である亡Cもよく知るところであり,過去にはこのままでは自殺者が出るなどとして人事課に訴え出た職員もいたが,仕事上の能力が特に高く,弁も立ち,上司からも頼りにされていたD部長に対しては,上層部でもものを言える人物がおらず,そのため,D部長の上記指導のあり方が改善されることはなかった。
(3) 健康福祉部及びb課(平成14年4月当時)について
健康福祉部は,少子・高齢化対策,福祉,健康づくりなどを所管する部署であり,b課の外,介護高齢課,保険年金課,市民課などがあり,部長と各課長との間には,次長が配置されていた。
b課は,課を統括する課長,これを補佐し,かつ,ファミリーサポートセンターに関する事務を担当する課長補佐の外,児童福祉や母子保護に係る事務を担当する児童母子係4名,保育所の管理運営等を担当する管理係及び保育計画等を担当する保育係各3名の正職員に,2名の嘱託職員を加えた14名で構成されており,仕事の上では,少子化対策,子育て支援,児童虐待防止等々の重要な課題を多数抱え,これらに纏わる法令の制定や改正等も,児童福祉法,児童虐待防止法やその関連法令などをはじめとして頻繁に行われていたことなどから,他の課に比べて格段に仕事の種類が多く,また,初めての者にとっては難解な専門用語が多く,仕事の難易度も高いものであった。
(4) 本件異動直前の亡Cの様子
亡Cは,平成14年(以下,同年中の日付は,同年の記載を省略する。)3月初旬ころ,自らとb課長が共に異動期であることから,4月に自分がb課に異動する可能性もあると思い,そうなったら嫌だなどと周囲に漏らしたことがあったが,3月25日の内示により,4月からの異動先が現実にb課と判明して,そこがこれまでに経験したことのない福祉部門であり,税務部門とは市民との対応の仕方や,仕事における気の遣い方も全く異なる上,仕事の種類や内容も複雑多岐にわたり,しかも,上司である健康福祉部長が,上記のような評判のあるD部長であることから,大変な職場であるとして,不安な様子を示す一方で,控訴人に対しては,どこの職場に変わっても一緒だなどと自信があるようなことも言っていた。
(5) 本件報告書の提出及び本件ヒアリングの指示
亡Cは,4月1日,b課に異動し,同月2日から5日まで,b課長としてD部長,E次長とともにa市内の保育園20園に人事異動の挨拶に行ったが,この間の4月3日,健康福祉部においては,各課の課長補佐以上全員の出席による部内会議が開かれ,その際,D部長は,4月の人事異動を受けて,平成14年度の事務事業実施に当たっての留意事項や検討課題について説明し,管理職員として仕事の管理,部下の育成等にその役割を発揮してほしい旨述べ,さらに,課別の検討課題を例示し報告書様式を示して,4月23日までに検討課題について報告書を作成・提出すること(本件報告書の提出)と,その後,D部長によるヒアリング(本件ヒアリング)を行うことを管理職員に指示した。その際にD部長から示されたb課の課題は,平成14年度内に実施予定又は見直しが必要な案件がファミリーサポートセンター事業を含めて4件,同年度では実施予定がないが,将来の取り組みが必要な案件が16事業と,他のどの課に比べても格段に多かった。
このように,年度初め早々に部長自らが一括して課題の取りまとめを部下に指示することは,a市役所内では異例のことであり,その後,部内での打ち合わせの際に,亡Cは,検討課題の多さ,困難さなどに大変驚いていた。
(6) 本件保育システムの完成遅れ
a市は,平成14年度から保育園の入所申請から児童台帳の登録,口座振替等保育に関する総合的なシステムを更改する計画を立てていたところ(本件保育システム),この新たなシステムによる第1回目の保育料の引き落としが4月26日に予定されていたにもかかわらず,亡Cは,4月8日になってはじめて,管理係のF主任らから本件保育システムの完成が遅れていることの説明を受けた。これは,委託業者によるシステムの構築の遅れのため,4月時点で全体の4割程度しか完成していないことなどを含むものであり,未完成部分には,重要部分である保育料引き落としシステムも含まれていた。また,3月には,完成部分のシステムを使って作成した保育料決定通知を保護者宛に配布したところ,全通知書2896件のうち10件ないし30件の誤りが生じ,F主任が委託業者に連絡をとってシステムを手直しさせた上で再送付したことがあったため,b課としては,保育料引き落としシステムが完成しても,これによって保育料が正確に引き落とされるか否かについて不安を感じる状況であり,もし,引き落とし金額に間違いがあれば,重大なミスとして市民から批判を受け,マスコミ報道される可能性もあった(現に,他県において保育料の徴収ミスが新聞報道された例もある。)。亡Cは,F主任の報告を受けて,4月9日,電算業務を統括している情報システム課に助言と協力を求めた。情報システム課は,同日まで,このような計画の遅れを知らなかった。亡Cは,市民税課に在籍した経験から,この問題について他のb課職員らに比べてより強い危機感を抱いていた。なお,このような状況の詳細については,前任のG課長にも報告されておらず,亡Cは,G課長から保育料決定通知の誤りについては引継書による引継を受けていたが,本件保育システムの完成自体が遅れていることについては同日まで承知しておらず,部長や次長の知るところでもなかったので,亡Cは,このころになって急にこのような部内の報告状況をも踏まえた対応を迫られる立場に立たされたことを知った。
4月10日,委託業者の担当者と情報システム課,b課で打ち合わせが行われ,早期にシステムを完成させること,口座振替データの確定を4月15日までに行わなければならないため,これを最優先させること,委託業者が担当者を数人常駐させて対応することなどが決まった(4月10日打ち合わせ)。亡Cは,同日,愛知県庁へ出張していたため,帰庁後,F主任からその報告を受けた。これに基づき,翌11日から委託業者の担当者が常駐して作業に当たることとなり,数日後には委託業者からシステム完成に至るタイムスケジュールの提示を受け取った。F主任は亡Cの取った対応によって負担が軽くなったと感じたが,システムが完成したわけではないため,亡Cの不安はなおも続いた。
(7) ファミリーサポートセンター計画の遅れ等
a市では,平成14年度の事業として,育児の援助を行いたい者と育児の援助を受けたい者をセンターの会員として組織化することとし(ファミリーサポートセンター計画),7月1日からの援助活動開始を予定していたが,そのためには,4月以降,早期に事業要綱,会則を決定し,会員希望者への説明会を行い,4月15日には会員募集を始める必要があった。そして,そのためには,担当であったH補佐において,遅くとも年度変わりのころまでには,予め要綱等の原案を作成するなどして準備をしておき,すぐに上司の決裁を得る必要があったが,H補佐も多忙で準備が遅れた上,新任の課長や次長に対する説明にも時間を要し,D部長への説明が4月15日となり,同日からの会員募集は延期を余儀なくされた。
その4月15日,E次長,亡C,H補佐の3名が,D部長に対し,H補佐の起案したファミリーサポートセンター計画の事業要綱案と会則案の説明を行ったが,その際,亡Cらは,それまでの準備が遅れていたことから,早期に事業要綱及び会則を決定し,会員希望者への説明会を行う必要があり,また,H補佐の起案は国の標準的な要綱に沿ったもので問題はなく,その時点で詳細な実施要領を定める必要は未だないと考えていたのに対し,D部長は,援助活動の実施時間帯や報酬金額及び受渡し方法,会員の遵守事項などの細部にわたって具体的に取り決めるように再検討を求め,D部長の了解は得られなかった。この時,D部長は,H補佐らに対し,大きな声で厳しい質問をし,答えられないと大きな声で厳しく非難した。H補佐は,本当に7月1日に援助活動開始ができるのか,非常に不安を感じ,亡Cも,課の責任者としてH補佐以上に不安を感じていた。
(8) 4月前半ころまでの亡Cの様子
4月上旬ころ,明らかな誤りや決裁区分の誤り,誤字脱字の見直しなど,以前の亡Cであればすぐに気付くような間違いが訂正されないままE次長に回ってくることがあり,E次長は,亡Cの注意力が少し弱くなったという印象を持った。
4月6日(土),亡Cは,二男の入学式に出席した。この際同行した控訴人は,亡Cがぼんやりして,煙草ばかり吸っているという印象を持った。同日及び翌日は,亡Cのb課への異動後,最初の土日であり,市役所等の職員は,異動後1週間は挨拶回りでほとんど自席にいることができず,最初の土日は出勤して机の整理や仕事の把握をすることが多く,亡Cも従前は異動後最初の土日に必ず出勤していたにもかかわらず,今回に限っては,同日職場に行かなくてもいいと言って二男の入学式に行き,翌7日の日曜日にも出勤しなかった。
4月10日打ち合わせの報告を受けた当日ころの夜,亡Cは自宅で,控訴人に対し,仕事を辞めてもいいか,と言った。このとき亡Cの顔は土色でむくみがあるような感じであり,控訴人が今までに見たことがないほど疲れた様子であった。控訴人が理由を聞くと,仕事が分からない,眠れないなどと答え,控訴人が上司に相談したらどうかと勧めても,言っても話にならない旨述べた。控訴人が,仕事を辞めてどうするのかと聞くと,亡Cは黙っていた。翌11日朝,控訴人は,亡Cに対し,仕事は辞めてもいいが,部下の人には迷惑をかけないでほしい旨告げた。
また,このころから,自宅において,亡Cは,ため息が多くなり,不眠が続くようになった。仕事の愚痴を言う回数が増え,食が進まず眠れないと訴えるようになり,口数が少なくなった。
また,それまでは,二男とともに居間で寝ていた亡Cが,二男にうるさいなどというようになり,これを嫌った二男が別の部屋で寝るようになった。
(9) その後の4月中の出来事等
ア 本件報告書の提出及び本件ヒアリングの遅れ
4月23日は,同月3日の部内会議でD部長から指定された課の課題の提出日であったが,b課だけは課題が多くて同日までに全ての提出が間に合わず,D部長の許可を得て提出期限及びヒアリングの時期が5月の連休明けまで延期された。本件報告書の作成者及び担当者は,「職員(保育士)の格付け」を除き,いずれもH補佐以下の課員であったが,亡Cは,「職員(保育士)の格付け」を担当しつつ,提出課題の割り振りや取り纏めなどを行った。同月21日の日曜日には,そのため休日出勤をしている。
イ 本件保育システムについて
4月26日は,平成14年度最初の保育料の引き落としの日であったが,この時点で,保育料引き落としシステムは未完成であったため,データを手入力する方法で引き落としが行われた。b課としては正確に保育料の引き落としが行われるか不安はあったが,結果として誤りなく引き落としが行われた。このころ,F主任は,亡Cに対し,このままいけば保育料引き落としシステムは6月くらいには軌道に乗れそうである旨報告しているが,確実な根拠に基づくものでもなかった。
ウ ファミリーサポートセンター計画について
亡Cらは,ファミリーサポートセンター計画の要綱,会則につき,4月26日にもD部長に説明に行ったが,H補佐の起案がなかなかD部長の決裁を通らない状況があり,7月1日の実施がこれまで以上に不安視され,課長として市議会でこの点について質問される立場にあった亡Cの不安は,なお一層のものとなっていた。
(10) 5月の出来事等
ア 5月1日の保育園入園に関する決裁
5月1日,D部長が,兄弟の保育園入園申請につき,兄を入園させ,弟を入園させない旨の決裁をする際,b課の担当者のところへ行き,「下の子を入れないのに上の子だけを入れてもいいのか。」と大きな声で厳しい口調による質問をした。このD部長の質問は,直接亡Cに対するものではなかったが,亡Cは,課長として部下である担当者から事情を聴いた上,数日後,D部長に対し,決裁書には記載しなかったが,弟は家族で監護できる状況である旨説明に行き,D部長の了解を得た。
イ 本件ヒアリングについて
b課において,5月の連休明けまでには本件報告書が完成し,5月9日,b課についてのみ延期されていた本件ヒアリングが,係長以上の出席により行われた。D部長に対する説明は,亡Cのほか,H補佐や係長が行い,D部長は,特徴ある保育,子育て支援策,児童館整備計画など重要なものについては,こと細かく,又は厳しく指導や指示をしたが,本件ヒアリング自体は,E次長のフォローもあって問題なく終了した。
ウ ファミリーサポートセンター計画について
亡Cらは,ファミリーサポートセンター計画の要綱,会則につき,5月17日にもD部長への説明を行い,同月22日,ようやく同部長の了解を得て,要綱及び会則が決定され,会員数は少なかったものの,7月1日に事業が開始された。
(11) 4月後半ころから5月初旬ころまでの亡Cの様子
亡Cは,4月後半になっても,不眠と食欲不振等が続いていた。
4月26日には,前所属である総務部の管理職以上の歓送会が催され,その席で亡Cはしょんぼりした様子であり,周りから励ましを受けた。
4月下旬ころには,亡Cは運転が乱暴になっており,同月29日には,親戚の法事で三重県に出かけたが,亡Cの運転が心配なので,控訴人が一緒に行って運転をした。亡Cは,普段は遠出をすれば,ついでに色々なところへ立ち寄るところ,この日は朝出かけてどこへも立ち寄らずに帰宅した。
5月に入ってから,亡Cは食欲が一層なくなり,自宅では食事を勧められて怒るなど,いらいらしたり,元気がなくぼんやりしたりするようになった。また,職場でも,ため息が多くひどく疲れている様子が見え,5月7日,8日に行われた管理職研修に,資料が半分も読めない状態で参加して,後日感想として最悪の状態で参加したことを大変反省している旨を感想文として記載していた。
このころ,亡Cは,休日は自宅において一日中布団の中で過ごすので,5月11日,原告がドライブに誘い出したが,運転せずに,助手席でボーっとしていた。
(12) JCからの苦情について
JC(c青年会議所)では,5月26日(日)に開催が予定されていた地元a市民の祭りである「d祭」において収益事業を行い,その収益金で保育所に紫外線防止シートを寄付することを計画していたため,保育園に対し紫外線防止シートに関する簡単なアンケートを実施するべく,かねてからa市に協力を依頼していた。
H補佐は,JCからの要請の趣旨をよく理解していなかったため,b課としては協力を見合わせており,亡Cはその経緯を承知していなかったところ,5月23日,JC幹部2名がa市役所を訪れ,応対した亡CとH補佐に対し,b課が保育園アンケートについて協力を拒否しているとして苦情を申し入れ,その際,JC幹部らは立腹した様子で,a市が協力しないという事実を新聞社にも公表しますよ,などと強い表現で抗議した。
すでにうつ病を発症していた亡Cは,これを脅迫と受け止めておろおろした様子となったが,その場でH補佐と協議の上,同アンケートに協力することを決めた。
(13) 自殺時前後の状況等
ア 上記JCからの苦情があった翌日の5月24日は,金曜日であったが,週明けの月曜日である27日が第2回目の保育料引き落としとなることから,亡Cは,本件保育システムの不具合を心配していた。
イ 5月26日(日)は,a市民の祭りである「d祭」が開催され,b課としても,そこでファミリーサポートセンターのことをPRすべく,亡Cの部下らが祭に出ていた。従前の亡Cであれば,自らの出勤はなくとも,部下らが休日に仕事に駆り出されていれば,必ず陣中見舞いに行っていたものであるが,今回に限っては全く顔を出すことがなかった。
イ 5月27日午前4時ころ(推定),亡Cは,うつ病による自殺念慮から,自ら自宅居間で鴨居にロープを掛けて縊死し,同日午前7時ころ,控訴人によりそれが発見された。
発見時,亡Cの足下には,「毎日夜眠れない。もう疲れました。無念!おばあさんこれまで本当にありがとうございました。母さんごめん!感謝。I(亡Cの長男)あとよろしく。J(亡Cの二男)わがまま言わないで。Kさん(亡Cの長男の妻)ありがとう。Lくん(亡Cの長男の子)大きくなってお母さんを助けてネ。家族仲良くネ。」「Mさん奥さん申し訳ありません。家族をよろしくお願い致します。兄ちゃん,N,O,P(それぞれ亡Cの兄弟)みんなで家族を助けて!」と書かれた2通のメモ書きがあった。
ウ 亡Cの死後,同人の自宅の机の引き出しの中から,「人望のないD,人格のないD,職員はヤル気をなくす。」と書かれたメモ書きが見つかった。
3 亡Cのうつ病発症の時期について
なお,本件では,特に亡Cのうつ病発症時期が何時であったかが問題となっているので,この点について判断するに,上記認定の事実経過に加え,うつ病診断の際などのガイドラインとなるICD-10(国際疾病分類第10回改訂版第Ⅴ章「精神および行動の障害」。<証拠省略>)及びQ教授の意見書(<証拠省略>)によれば,「F32.2精神病症状をともなわない重症うつ病エピソード」発症の診断基準は,通常うつ病にとって最も典型的な症状とみなされる抑うつ気分,興味と喜びの喪失及び易疲労性の症状の全てが認められるほか,集中力と注意力の減退,自己評価と自信の低下,罪責感と無価値観,将来に対する希望のない悲観的な見方,自傷あるいは自殺の祈念や行為,睡眠障害,食欲不振等の症状のうち4つ,そのうちいくつかが重症でなければならないとされていることからすると,亡Cは,4月下旬ころから遅くとも5月6日ころまでの間には,上記ICD-10における「F32.2精神病症状をともなわない重症うつ病エピソード」を発症したものと認められる。
この点,地方公務員災害補償基金の精神医学専門家会議は,その意見書(<証拠省略>)の中で,亡Cが上記うつ病を発症した時期は平成14年4月上旬であるとの判断を示しているが,ICD-10(<証拠省略>)によれば,上記エピソードの期間中は,患者はごく限られた範囲のものを除いて,社会的,職業的,あるいは家庭的な活動を続けることはほとんどできないとされているところ,亡Cは,4月上旬にはその程度に至っていないことや,上記Q教授の意見書(<証拠省略>)と照らし合わせると,前記精神医学専門家会議の意見は是認できず,むしろ,前記認定の事実経過からすると,亡Cが上記うつ病を発症したのは,4月下旬の後半から連休中のことであるというQ教授の意見の方が妥当である。したがって,また,平成14年4月上旬から半年前までの間に亡Cに過重な心理的負荷を与えるような状況はなかったことを理由として,亡Cのうつ病発症が公務とは関係がないとの前記裁決の理由は是認できない。
4 公務起因性の判断基準について
地方公務員災害補償法に基づく遺族補償は,「職員が公務上死亡した場合」に行われるものであるところ(同法31条),地方公務員災害補償制度が,公務に内在又は随伴する危険が現実化して職員に死亡や傷病等の結果をもたらした場合には,使用者の過失の有無にかかわらず職員の損失を補償するとともに,職員及びその遺族の生活を保障する趣旨から設けられたものであると解されることからすれば,職員の死亡についての公務起因性を肯定するためには,公務と死亡の原因となった傷病等との間に条件関係が存在することのみならず,社会通念上,その傷病等が公務に内在ないし随伴する危険が現実化したものと認められる関係,すなわち相当因果関係があることを要するというべきであり,この理は,その傷病等が精神障害の場合であっても異なるものではない。
そして,うつ病などの精神障害については,その発症や増悪は,環境由来のストレスと個体側の反応性,脆弱性との関係で決まり,環境由来のストレスが強ければ個体側の脆弱性が小さくとも精神障害が起こる一方,個体側の脆弱性が大きければ環境由来のストレスが弱くとも精神障害が起こるとする「ストレス-脆弱性理論」が医学的知見として広く受け入れられており,妥当な考え方であると解される。もっとも,この理論に従えば,公務に由来するストレスが,公務に内在し又は通常随伴する危険を生じさせるものであるとまではいえない場合であっても,個体側の要因によっては精神障害を発症し得ることになるところ,そのような場合においても,当該精神障害の公務起因性を肯定するのは前記制度の趣旨からして相当でない。そこで,公務と精神障害の発症,増悪との間の相当因果関係の判断に当たっては,精神障害の発症の原因と見られる公務の内容,勤務状況,公務上の出来事等を総合的に検討し,当該職員の従事していた公務に,当該精神障害を発症させる一定程度以上の心理的負荷が認められるかどうかを検討することが必要である。
そして,公務の内容,勤務状況及び公務上の出来事等による心理的負荷の有無及びその強度を検討するに当たっては,何を基準にそれを判断するかが問題となるところ,地方公務員災害補償制度の前記趣旨からして,その補償の対象が公務に内在し又は随伴する危険の現実化と評価すべき傷病等であることに鑑み,基本的には,同種の平均的職員,すなわち,職場,職種,年齢及び経験等が類似する者で,通常その公務を遂行できる者を一応観念して,これを基準とするのが相当であると考えられるが,そのような平均的職員は,経歴,職歴,職場における立場,性格等において多様であり,心理的負荷となり得る出来事等の受け止め方には幅があるところであるから,通常想定される多様な職員の範囲内において,その性格傾向に脆弱性が認められたとしても,通常その公務を支障なく遂行できる者は平均的職員の範囲に含まれると解すべきである。
なお,控訴人は,公務起因性の判断基準につき,いわゆる合理的関連性説や共働原因論などを主張するが,どのような場合に合理的関連性が認められるのか,あるいは,どのような場合が共働原因とされるのかは必ずしも明らかではなく,全ての場合に相当因果関係論と相矛盾対立するものとはいえないところ,控訴人の上記主張がおよそ相当因果関係の範囲外のものであっても,合理的関連性等がありさえすれば公務起因性が認められるべきであるという趣旨のものであれば,前記制度趣旨に照らし広きに失し相当でない。また,控訴人は,相当因果関係の判断においても,本人を基準として公務の過重性を判断すべきである旨主張するが,同じく前記制度趣旨からすれば,当該職員が心身に何らかの障害を有していることを前提として採用され,その障害の故に業務の軽減措置を受けている場合に,その公務が障害との関係で過重であるか否かが問題となるような特別の場合を除き,採用し難い。
他方,被控訴人は,精神障害に起因する自殺についての公務起因性判断は,被控訴人の認定基準に基づいて行うべきである旨主張するが,この認定基準が被控訴人の内部において,立証責任の軽減,認定の画一性等に資する指針となり得るものであり,この認定基準にあてはまる場合には,それに従って公務起因性が認められるのが一般的であるとはいえるとしても,あくまでも判断基準は前記のとおりであるから,司法上の判断が被控訴人の認定基準に拘束されるものでなく,この認定基準に当てはまらない場合には,公務起因性が認められないとするのは相当ではない。
5 検討
本件における亡Cの自殺がうつ病による自殺念慮に起因するものであることは,前記のとおりであり,このことは被控訴人も特に争わないところであるから,亡Cの自殺に公務起因性が認められるか否かは,亡Cのうつ病発症が公務に起因するものであるか否か,あるいは,それが否定され,うつ病の発症自体は公務に起因するものとは認められないとしても,公務が同人の発症したうつ病を増悪させたか否かが問題となる。そこで,前記の認定事実(亡Cのうつ病発症の時期を含む。)及び公務起因性の判断基準を踏まえて,亡Cのうつ病発症の公務起因性の有無について判断するが,亡Cがb課に異動するより前の公務が特別に過重なものでなかったことについては,控訴人も特に争っているものとは思われないので,平成14年4月1日以降の公務の過重性について検討する。
(1) 公務の内容自体からくる心理的負荷の過重性
前記のとおり,亡Cは,それまで福祉部門の仕事に就いたことがなく,b課が初めての福祉部門の仕事であった。そして,もともとb課は一般的に他の課と比べて格段に仕事の種類が多く,難易度の高い仕事が多かったが,亡Cが異動した平成14年4月当時は,本件保育システムの完成遅れの問題やファミリーサポートセンター計画の遅れの問題があり,しかも,いずれも亡Cがb課に異動してから知らされた問題であり,早急の対策が求められる事案であって,対応を間違えると重大な問題となりかねない事案であったことが認められ,これによる心理的負荷は相当なものがあったと認められる。
この点,被控訴人は,上記公務が過重ではない根拠として,a市においては,課長の職にある者が従来経験したことのない部署に異動することは通例行われるものであること,課長の職務は,上司の命を受けて所管の事務を掌理し,所属の職員を指揮監督することであって,自ら事務に従事することはまれであること,実際,b課においても課長補佐,係長及び係員が事務に当たっていたこと,b課が特別に困難な課題を抱えていたわけではないこと,亡Cの時間外勤務時間数からも亡Cの職務がそれほど過重でなかったことが示されていることなどを主張する。
しかし,前記認定によれば,もともとb課は,少子化対策,子育て支援,児童虐待防止等々の重要な課題を多数抱え,関連法令の制定改正も頻繁であり,難解な専門用語も多く,他の課に比べて仕事の種類が多く難易度も高いことが認められるだけでなく,亡Cが課長に就任した当時は,未だ専門用語や仕事内容の把握に十分な時間のない状況下で,a市役所内では異例にも早々に,4月23日までの本件報告書提出及び本件ヒアリングの実施をD部長から指示され,また,本件保育システムの完成遅れやファミリーサポートセンター計画の遅れという重大な問題が特別に生じていたものであって,このような職務を課長として担当すること自体,平均的な職員にとっても心理的負荷は大きいものであったと認められる。そして,その職務の困難性は質的なものであることに鑑みれば,亡Cの時間外勤務時間が従前に比してさほど長くない(原判決別紙参照)からといって,上記心理的負荷の大きさが否定されるものではない。
また,被控訴人が,a市においては課長の職にある者が従来経験したことのない部署に異動することは通例行われるものであり,現に,亡Cも従前は他の部署でそれを無事に乗り越えてきており,亡Cの前任者までのb課長らが歴代b課長の職をこなしてきたものであるから,それ自体は特別な負荷とはいえないと主張する点についても,一般的に従来経験したことのない部署に異動したこと自体が特別な負荷といえるものではないことは被控訴人の主張のとおりであるが,本件の場合の問題は,当時のb課における具体的な職務が特別に負荷の大きいものであったというものであり,しかも後述するように,他ならぬD部長のような上司が健康福祉部長として先に待ち構えている状況下で,その配下のb課長への異動が行われたのは,後にも先にも今回の亡Cの異動だけであったと認められるところであって(<証拠省略>),今回のようなb課長への異動による心理的負荷の大きさは,格別なものであったといえるから,この点においても,被控訴人の主張には理由がない。
さらに,被控訴人は,控訴人が主張する本件保育システムやファミリーサポートセンター計画の問題は,それぞれF主任及びH補佐の担当であり,亡Cの関与は課長として通常の業務にすぎず,また,いずれも間もなく解決されていることであって,JCからの苦情も,脅迫的というほどのものではなく,亡CとH補佐は,JC幹部の主張を踏まえ,アンケート調査に協力することを決め,問題は解決していることなどを主張し,b課での出来事がいずれも大して心理的負荷の生ずるようなものではなかった旨主張する。
しかし,本件保育システムやファミリーサポートセンター計画の問題が最終的に解決されたのは結果論であって,前記認定によれば,亡Cがうつ病を発症した4月下旬ないし5月初旬ころにおいては未だ解決しておらず,担当課長としての不安は,むしろ募る一方の時期にあったこと,しかも,4月の着任早々,これらの問題の他に,上記のとおり,本件報告書の提出の命令や本件ヒアリングの実施の予告により,複雑多岐にわたるb課の仕事内容を前倒し的に把握しなければならない状況に迫られていたところであり,これらは時期的に重なり合っており,複合的相乗的に亡Cに対する心理的負荷として作用したものと判断するのが相当であって,b課における出来事を1つ1つ個別的にのみ評価し,それらが重なり合って複合的相乗的に過重な負担となっていることを評価しない被控訴人の上記主張は相当でなく,採用し難い。
加えて,JCからの苦情は,客観的にはそれ自体が脅迫に及ぶようなものではなかったと認められるが,既にうつ病に罹患しており,事情を知らずに応対した亡Cにとっては,うつ病の増悪をもたらすに十分な出来事であったということができ,このことは,その際の対応として,一旦冷静に話を聞き,検討の上対応すべきところ,相手の抗議にうろたえて,その場でJCへの協力を即答するなど,必ずしも的確なものであったとは認められないことからも窺われるところであり,この点においても,被控訴人の主張は相当とはいえない。
(2) 人間関係からくる心理的負荷の過重性
前述のとおり,平成14年4月当時のb課には重要な課題があり,それまで福祉部門の仕事をした経験のない亡Cにとっては,それによる心理的負荷が大きかったが,それとともに重要な点は,同人の上司である健康福祉部長が,福祉部門の仕事に詳しく,かつ,部下に厳しいD部長であったという点である。
すなわち,前記認定によれば,D部長の部下に対する指導は,人前で大声を出して感情的,高圧的かつ攻撃的に部下を叱責することもあり,部下の個性や能力に対する配慮が弱く,叱責後のフォローもないというものであり,それが部下の人格を傷つけ,心理的負荷を与えることもあるパワーハラスメント(以下,略して「パワハラ」という。)に当たることは明らかである(<証拠省略>)。また,その程度も,このままでは自殺者が出ると人事課に直訴する職員も出るほどのものであり,D部長のパワハラはa市役所内では周知の事実であった。亡Cは,3月25日に,未経験の福祉部門で,仕事の種類や内容がこれまでとは大きく異なり,かつ,複雑多岐にわたり,しかも,部下に対する指導が特に厳しいことで知られたD部長を上司とするb課への異動の内示を受け,大変な職場と不安に思う一方,これまでの約30年間にわたる豊富な経験から,どこへ行っても同じとの自信を示し,心理的な葛藤を見せていたが,その時点では未だ病的ないし病前的な不安状態にあったとまではいえなかった。ところが,現実に4月1日にb課に異動した後,亡Cは,前記部下の指導に厳しいD部長の下で,前記のとおり質的に困難な公務を突然に担当することになったものであって,55歳という加齢による一般的な稼働能力の低下をも考え合わせると,D部長の下での公務の遂行は,亡Cのみならず,同人と同程度の年齢,経験を有する平均的な職員にとっても,かなりの心理的負荷になるものと認められる。
被控訴人は,大声で叱責するような口調での指示,指導というだけでは,組織で業務を行う職場ではよくあることであって,D部長の部下に対する指導はパワハラではない上,D部長の指導が直接亡Cに及んだことはなく,D部長からb課への指示はE次長を通して行われており,D部長と亡Cの日常的な接触はあまりなかったなどと主張する。
しかし,D部長の部下に対する指導が典型的なパワハラに相当するものであり,その程度も高いものであったといえることは,前記認定説示のとおりであって,このことは,D部長が主観的には善意であったかどうかにかかわらないことである。また,現に,亡Cもb課におけるわずかの期間に,ファミリーサポートセンター計画の件や保育園入園に関する決裁の際などに,D部長の部下に対するパワハラを目の当たりにし,また,本件ヒアリングの際に自らもこれを体験していることは,前記認定のとおりである。
なお,確かに,D部長が仕事を離れた場面で部下に対し人格的非難に及ぶような叱責をすることがあったとはいえず,指導の内容も正しいことが多かったとはいえるが,それらのことを理由に,これら指導がパワハラであること自体が否定されるものではなく,また,ファミリーサポートセンター計画の件においては,証拠(<証拠省略>,原審における証人H)に照らし,H補佐の起案が国の基準に合致したものであったといえるにもかかわらず,D部長は,それを超えた内容の記載を求め続け,高圧的に強く部下を非難,叱責したものであって,このような行為が部下に対して与えた心理的負荷の程度は,大きいものというべきである。
また,亡Cがファミリーサポートセンター計画の件や保育園入園に関する決裁の際などに目の当たりにしたD部長の部下に対する非難や叱責等は,直接亡Cに向けられたものではなかったといえるが,自分の部下が上司から叱責を受けた場合には,それを自分に対するものとしても受け止め,責任を感じるというのは,平均的な職員にとっても自然な姿であり,むしろそれが誠実な態度というべきである。そうであれば,b課長であった亡Cは,その直属の部下がD部長から強く叱責等されていた際,自らのこととしても責任を感じ,これらにより心理的負荷を受けたことが容易に推認できるのであって,このことは,亡CがD部長のことを「人望のないD,人格のないD,職員はヤル気をなくす。」などと書き残したメモ書きからも明らかである。そして,仮に,D部長が亡Cに対しては,その仕事ぶり等を当時から評価していたとしても(<証拠省略>,原審における証人D),それが亡Cに伝わっていない限り,同人の心理的負荷を軽減することにはならないというべきところ,本件においてそのような事情を認めるに足りる証拠はない。
以上のとおりであるから,部下に対する指導のあり方にパワハラという大きな問題のあったD部長のような上司の下で,b課長として仕事をすることそれ自体による心理的負荷の大きさは,平均的な職員にとっても,うつ病を発症させたり,増悪させることについて大きな影響を与える要因であったと認められる。
(3) 全体としての検討
前記認定事実及び上記(1),(2)で述べたことを総合すれば,亡Cは,これまで経験したことのない福祉部門の部署であり,重要課題も多く抱えたb課に異動となったのみではなく,当時のb課には本件保育システムの完成遅れ,ファミリーサポートセンター計画の遅れなどの重要問題を抱えており,しかも,それは事前に知らされていたわけではなく,異動の後に事情を知らされ,課長としては早急に対応を迫られる問題であったこと,しかも,当時の亡Cの上司は,パワハラで知られていたD部長であり,現実に,亡Cがb課に異動後すぐに課別の検討課題についての報告書の提出やヒアリングを求められたり,ファミリーサポートセンター計画に関する文案についてD部長の決裁がなかなか得られず,亡Cの部下であり担当者であるH補佐に対して大きな声で厳しく非難するような事態が生じたことなどによる心理的負荷が重なり,そのために,亡Cは,平成14年4月下旬ころから同年5月6日の連休明けころまでの間にうつ病を発症したものであることが認められ,発症後も,管理職研修での事前準備が間に合わなかった不全感,本件ヒアリングにおけるD部長からの厳しい指導や指示,同年5月23日に寄せられたJCからの苦情などにより,さらに病状を増悪させるに至り,それにより,亡Cは同月27日に自殺するに至ったものと認められる。
そして,上記心理的負荷は,前記説示のとおりの平均的職員を基準としても,うつ病を発症させ,あるいは,それを増悪させるに足りる心理的負荷であったと認めるのが相当である。
なお,以上のとおり述べた平均的職員を基準とした本件における心理的負荷の程度の高さは,被控訴人が依って立つ判断基準(<証拠省略>)と同列のものと解される平成11年9月14日付け労働省(当時)労働基準局長発出の「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針について」(本件当時のものは甲26。以下「判断指針」という。)において,当該心理的負荷の原因となった出来事等をより具体的かつ客観的に検討するためのものとして作成された同判断指針別表1の基準に当てはめても首肯し得るものである。すなわち,同別表1によれば,本件において平成14年4月中にb課において亡Cに起きた様々な出来事は,心理的負荷の強度としてはⅠないしⅢの3段階(Ⅰが「日常的に経験する心理的負荷で一般的に問題とならない程度の心理的負荷」であり,Ⅲが「人生の中でまれに経験することもある強い心理的負荷」であり,Ⅱは「その中間に位置する心理的負荷」であるとされる。)のうちのⅡとされる「仕事内容・仕事量の大きな変化があった」,「配置転換があった」,「上司とのトラブルがあった」に少なくとも該当するものであり,かつ,これら強度を修正する視点として,同別表1は「業務の困難度や,経験と仕事内容のギャップの程度」,「職種,職務の変化の程度」,「トラブルの程度」等の着眼事項に考慮すべきものとしているところ,本件の各出来事の心理的負荷の強度は中程度のⅡであっても,上記強度修正の着眼事項を考慮すれば,本件の亡Cに起きた出来事は,Ⅱの中でもその程度は強いのものであったということができ,しかも,これら該当事項が重なり合っていることによる複合的相乗的な効果を考慮すれば,上記判断指針に照らしても,亡Cの受けた心理的負荷は,うつ病を発症させ,あるいは,それを増悪させるに足りるものであったと認められるところである。
これに対し,被控訴人は,亡Cのうつ病の発症の主たる原因は,同人のメランコリー親和型性格,執着性格といった病前性格にある旨主張する。
しかしながら,確かに,亡Cがうつ病発症の危険因子であるメランコリー親和型性格,執着性格といった病前性格を有していたことは認められるが,亡Cにおいてもまた同人の家族においても,うつ病発症の前歴はなく,また,亡Cは,b課に異動するまでは約30年間にわたり多くの部署を大過なく歴任し,しかも,その中には,秘書課広報係(クレーム対応)の仕事も含まれていたことからすれば,本来異動に耐える職務遂行能力を十分に有していたといえるところであり,これらからすれば,亡Cの病前性格は,平均的職員が有する性格特性として通常想定される範囲内のものというべきであって,それを超えて特別にストレスに対する脆弱性が大きかったとは認め難く,被控訴人の前記主張は採用し難い。
以上のとおりであって,亡Cの自殺の公務起因性を検討すれば,亡Cが平成14年4月1日にb課に異動した後に勤務に関して生じた一連の出来事は,通常の勤務に就くことが期待されている平均的な職員にとっても,社会通念上,うつ病を発症,増悪させる程度の危険を有するものであり,亡Cのうつ病の発症,増悪から自殺に至る過程は,これらの業務に内在又は随伴する危険が現実化したものであるというべきであるから,本件における亡Cの自殺には公務起因性が肯定される。
第4結論
よって,以上と結論を異にする原判決は相当でなく,控訴人の本件控訴は理由があるから原判決を取り消すこととし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 高田健一 裁判官 上杉英司 裁判官尾立美子は,差し支えにつき,署名押印することができない。裁判長裁判官 高田健一)