名古屋高等裁判所 平成22年(ネ)18号 判決 2010年3月31日
控訴人
甲野一郎
訴訟代理人弁護士
田中智之
被控訴人
乙山二郎
訴訟代理人弁護士
岩崎光記
藤川誠二
主文
1 原判決中,次項の請求に係る部分を取り消す。
2 被控訴人は,控訴人に対し,原判決主文第1項に記載の金員のほか,80万4543円及びこれに対する平成17年7月28日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は,第1,2審を通じこれを4分し,その1を控訴人の負担とし,その余を被控訴人の負担とする。
4 この判決第2項及び第3項は,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 控訴の趣旨
1 主文第1,2項と同じ。
2 訴訟費用は,第1,2審を通じ被控訴人の負担とする。
3 主文第4項と同じ。
第2 事案の概要(略語は,本判決で定義したもののほか,原判決の例による。)
1 本件は,本件事故により負傷した控訴人(一審原告)が,加害者である被控訴人(一審被告)に対して,民法709条に基づく損害賠償として928万8793円及びこれに対する不法行為の日である平成17年7月28日から支払済みまでの民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
2 原審は,控訴人(一審原告)の請求のうち630万6385円及びこれに対する遅延損害金の支払を求める限度で認容し,その余の請求を棄却したため,一審原告が,上記認容金額に加え80万4543円及びこれに対する遅延損害金の支払を求めて控訴をした。
第3 当事者の主張等
当事者間に争いのない事実及び争点は,次のとおり付け加えるほか,原判決「事実及び理由」中の「第2事案の概要」の「1」及び「2」記載のとおりであるから,これを引用する。
当審において当事者が追加又は敷衍した主張
1 控訴人
(1)後遺症障害慰謝料について
本件事故により控訴人の右上肢にできた瘢痕ケロイドは,縦17センチメートル,横9センチメートルであり,てのひらの3倍以上の面積のある瘢痕である。したがって,これは「著しい醜状」に当たり,後遺障害の等級では12級に該当する。
(2)過失相殺について
本件事故は,優先道路を通行する控訴人車と優先道路を横断しようとした被控訴人車の交差点(被控訴人の進入路の交差点の直前には,一時停止の道路標識が設置されている。)における事故である(以下,本件事故の起きた交差点を「本件交差点」という。)。そして,被控訴人が一時停止の標識を見落として本件交差点に進入した事実に争いはなく,さらに,控訴人には,道路交通法36条3項,42条1号の徐行義務違反及び同法43条の一時停止義務違反の事実がないことについても争いがなく,したがって,控訴人の過失として問題となる可能性があるものは,前方注視義務違反のみである。
ところで,交通機関の運転者等は,その運行に当たり,一般公衆が危険を防止するため自ら適切な行動に出るであろうことを信頼してよく,万一その者が信頼に背いて法規違反や非常識な行動に出たために交通事故が発生したとしても,運転者などはその発生した事故に対し過失責任を問われることはない(信頼の原則)。本件では,控訴人は,本件交差点に進入しようとする被控訴人車が一時停止の規制を遵守するものと信頼して車両を運転すれば足り,被控訴人車が一時停止の規制に違反することを予測して,左方の安全確認(前方注視)をする義務は課されていないと解すべきである。そして,本件事故は,被控訴人車が,若干先に本件交差点に進入していたので,被控訴人車が交通規則に違反した行動をとることが容易に予測できた場合には当たらない。したがって,控訴人には,信頼の原則の適用があり,過失は認められない。また,控訴人は,本件事故時に,被控訴人車との衝突を回避するために,ブレーキを踏みハンドルを右に切っており,適切な回避措置を講じた。
よって,本件においては,過失相殺をすべきでない。
2 被控訴人(過失相殺について)
信頼の原則は,そもそも刑事責任を問う際に問題となるものであり,民事責任の有無が問題となる場合に,刑事事件と同様に適用されるものではない。
控訴人車が走行していた道路は,道路幅8.1メートルであって,幹線道路でも片側2車線以上ある道路でも中央分離帯のある道路でもなかった。他方,被控訴人車が走行していた道路幅は,7.3メートルであり,かなり広い道路であり,控訴人車が走行していた道路と広狭が明らかではない。したがって,控訴人車が走行していた道路は,優先道路といっても,優先性が明白であるとはいえない。したがって,本件事故は,優先道路ではないが,一方の進路に一時停止規制がある場合の交差点における衝突事故と類似したものとして,過失相殺を判断すべきである。その場合,被控訴人車が減速していない場合は,一時停止規制を見落としていた場合を当然に含むというべきであり,被控訴人の一時停止義務違反は,過失相殺における修正要素とはならない。
控訴人は前方注視義務違反はないと主張するが,前方注視義務は,広範な義務であり,本件事故当時は,夜間,閑散とした状況であったから,控訴人は,被控訴人車のヘッドライトの明かりが見えていたことも十分に考えられるから,控訴人に前方注視義務違反は成立する。
以上の点を考慮すれば,控訴人の過失割合を10パーセントとして過失相殺をした原判決は,相当である。
第4 証拠
原審記録中の書証目録及び証人等目録並びに当審記録中の書証目録記載のとおりであるから,これを引用する。
第5 当裁判所の判断
当裁判所は,控訴人の本訴請求は,711万0928円及びこれに対する遅延損害金の支払を求める限度で理由があり,その余は理由がないと判断する。その理由は,次のとおり付け加えるほか,原判決「事実及び理由」中の「第3 当裁判所の判断」記載のとおりであるから,これを引用する。
1 原判決書4頁3行目の末尾の次から,同頁20行目の末尾までを,次のとおり改める。
「東西道路は,幅員8.2メートルであり,両側に歩道(幅1.4メートル〔南側〕と幅1.5メートル〔北側〕)が設置されており,中央線(黄色)は交差点の中まで連続して設けられていることにより,優先道路であることが標示されている。他方,南北道路は,幅員7.3メートルであり,中央線は引かれておらず路側帯も設置されていない。また,本件交差点の北西側角と南東側角に街灯が設置してあり,夜間でも明るい状態であって,南北道路の南側(被控訴人車の進行方向側)から東西道路を見た場合,見通しは良好であり,本件事故当時,本件交差点手前に設置してある一時停止線及び東西道路の中央線は鮮明に認識することができ,一時停止標識の認識を妨げるものはない。また,本件交差点は,市街地にあり,交通頻繁である。
本件事故の態様は,控訴人車の左側面が破損しており,被控訴人車の前部が破損しており,双方とも時速約30キロメートルで進行していたと述べていることに照らせば,東西道路を西進する控訴人車が先に本件交差点に進入したところを,被控訴人が,ぼんやりしており,一時停止標識等を見落としたために衝突したものと認められる。なお,控訴人は,衝突地点の約7メートル手前で被控訴人車を発見し,急制動をかけ,右側にハンドルを切ったが,衝突を回避できなかったものと認められる。
被控訴人は過失相殺の抗弁を主張しているので,上記事情の下で控訴人の過失の有無につき検討する。控訴人車は,優先道路を進行していたのであるから,本件交差点を進行するに当たり徐行義務(道路交通法36条3項,42条)は課されておらず,問題となるのは前方注視義務(同法36条4項)違反である。前方注視義務は,「当該交差点の状況に応じ,交差道路を通行する車両等(中略)に特に注意し,かつ,できる限り安全な速度と方法で進行しなければならない。」というものである。したがって,控訴人は,本件交差点を通過するに当たり,優先道路を進行中であることを前提としてよい。すなわち,交通整理の行われていない交差点(本件交差点もこれに当たる。)において,交差道路が優先道路であるときは,当該交差道路を通行する車両の進行妨害をしてはならないのであるから(同法36条2項),控訴人は,被控訴人車が控訴人車の進行妨害をする方法で本件交差点に進入してこないことを前提として進行してよく,前方注視義務違反の有無もこのことを前提として判断するのが相当である。そうすると,優先道路を進行している控訴人は,急制動の措置を講ずることなく停止できる場所において,非優先道路から交差点に進入している車両を発見した等の特段の事情のない限り,非優先道路を進行している車両が一時停止をせずに優先道路と交差する交差点に進入してくることを予測して前方注視をし,交差点を進行すべき義務はないというべきである。本件においては,前示の事故態様に照らし,上記特段の事情は認められない。この点,被控訴人は,被控訴人車はヘッドライトをつけていたので,控訴人は,被控訴人車が本件交差点に進入してくるのを認識できたはずであると主張するが,本件交差点は,前示のとおり明るい状態であって,控訴人が,被控訴人車のヘッドライトをどの程度明確に認識できたかは明らかでなく,また,控訴人が,急制動の措置を講ずることなく停止することが可能な地点を進行していたときに,被控訴人車が本件交差点に進入してきたこと(少なくとも進入することが確実であったこと)を認識しえたと認めるに足りる証拠はない。よって,本件事故につき,控訴人に過失(前方注視義務違反)があったとは認められず,被控訴人の過失相殺の抗弁は理由がない。
被控訴人は,前示(本判決書の第3の2)のとおり主張するが,これまでに判示したとおり控訴人車の進行していた東西道路は優先道路であり,これは被控訴人車が進行していた南北道路側から見ても明らかであるから,その主張は前提を欠き,採用できない。」
2 原判決書6頁6行目の「本来」から同頁7行目の「受けており,」までを削る。
3 原判決書6頁10行目の冒頭から同頁13行目の末尾までを,次のとおり改める。
「(9) 過失相殺はしない。
(10)既払
既払額150万4498円を控除すると,654万0928円となる。」
4 原判決書6頁17行目の「630万6385円」を「711万0928円」と改め,同頁18行目の冒頭から同頁19行目の末尾までを削る。
第6 結論
以上によれば,原判決は一部相当でないから,これを変更することとし,訴訟費用の負担につき民事訴訟法67条2項,64条本文,61条を,仮執行の宣言につき同法310条をそれぞれ適用して,主文のとおり判決する。
(裁判官 加島滋人 裁判官 鳥居俊一 裁判長裁判官岡久幸治は,転補のため,署名押印できない。 裁判官 加島滋人)