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名古屋高等裁判所 平成23年(ネ)731号 判決 2012年12月25日

控訴人兼被控訴人

X(以下「一審原告」という。)

同訴訟代理人弁護士

勝田浩司

岡村晴美

被控訴人兼控訴人

学校法人 Y1学園(以下「一審被告学園」という。)

同代表者理事長

Y2<他3名>

上記四名訴訟代理人弁護士

西尾幸彦

数井恒彦

山田博

加藤大喜

髙橋俊光

水越聡

朝日智之

同訴訟復代理人弁護士

伊藤裕輝

主文

一  一審被告らの控訴に基づき、原判決を次のとおり変更する。

二  一審被告らは、一審原告に対し、連帯して六一九万一〇四七円及びこれに対する平成二二年一二月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  一審原告のその余の請求をいずれも棄却する。

四  一審原告の控訴を棄却する。

五  訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを四分し、その三を一審原告の、その余は一審被告らの各負担とする。

事実及び理由

第一控訴の趣旨

一  一審原告

(1)  原判決中、一審原告敗訴部分を取り消す。

(2)  一審被告らは、一審原告に対し、更に連帯して二七五五万一一八六円及びこれに対する平成一八年八月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(3)  訴訟費用は第一、二審とも一審被告らの負担とする。

二  一審被告ら

(1)  原判決中、一審被告ら敗訴部分を取り消す。

(2)  一審原告の請求をいずれも棄却する。

(3)  訴訟費用は第一、二審とも一審原告の負担とする。

第二事案の概要

一  本件は、B(以下「B」という。)の実母である一審原告が、Bが平成一四年四月五日から平成一五年三月三一日まで在学していたe大学c中学校を設置、運営する一審被告学園、同校の理事長兼学園長である一審被告Y2、校長である一審被告Y3及び当時のクラス担任教諭兼学年主任である一審被告Y4に対し、①Bが上記中学校在学中に同級生らからいじめを受けていたにもかかわらず、一審被告らがいじめ防止のための適切な措置を講じることを怠り、いじめを放置したため、Bが解離性同一性障害を発症し、平成一八年八月一八日に自死したと主張して、一審被告学園に対しては債務不履行、不法行為又は使用者責任(民法七一五条一項)に基づき(選択的併合)、一審被告Y4に対しては不法行為に基づき、一審被告Y2及び同Y3に対しては代理監督者責任(民法七一五条二項)に基づき、一審原告がBから相続(法定相続分二分の一)により承継した逸失利益及び慰謝料と一審原告に生じた葬儀費用、慰謝料等の損害合計四二四六万五九六九円並びにこれに対するBが死亡した日である平成一八年八月一八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を求めるとともに、②一審被告らがBに対するいじめがあった事実を否定し暴言を吐くなどして一審原告に精神的苦痛を与えたと主張して、不法行為に基づく損害賠償としてそれぞれ一〇〇万円及びこれに対する各訴状送達の日の翌日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

原審は、上記①につき、同級生らのBに対するいじめがあり、一審被告らが、上記いじめに対して適切な措置を講じるべき義務を怠ったため、Bが解離性同一性障害を発症して自死に至ったものであり、一審被告学園は債務不履行責任、不法行為責任及び使用者責任(民法七一五条一項)を、一審被告Y4は不法行為責任を、一審被告Y2及び同Y3は代理監督者責任(民法七一五条二項)を負うが、Bの自死について被害者側にも一定の過失があるとして七〇%の過失相殺を行い、一審原告の請求を一四九一万四七八三円及びこれに対する平成一八年八月一八日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の連帯支払の限度で認容し、上記②の請求はいずれも棄却した。

一審原告と一審被告らの双方が、上記①の請求の各敗訴部分について控訴した(一審原告は、上記②の請求部分については不服申立てをしていない。)。

二  その余の事案の概要は、次項に当審における当事者の主張を付加するほか、原判決「事実及び理由」欄の第二の二及び三(1)ないし(4)に記載のとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決三頁二〇行目の「b1小学校」を「b小学校」と改め、同四頁一六行目の「被告Y4は、」の次に「平成一四年度の」を加え、原判決引用部分の各「解離性同一性障害罹患」をいずれも「解離性同一性障害発症」と、各「解離性同一性障害に罹患し」をいずれも「解離性同一性障害を発症し」とそれぞれ改める。)。

三  当審における当事者の主張

(一審原告)

(1) 争点(1)(本件生徒らがBに対して行った行為)について

BがEの椅子の上に画鋲を置き、机の上にチョークの粉を撒いた事実や、Dのバトンを折り曲げた事実はなく、本件生徒らは、一方的にBをいじめたものである。

(2) 争点(2)(Bの解離性同一性障害発症及び本件自死に対する一審被告らの責任)について

ア Bに対するいじめ及びこれが放置されたことによりBが解離性同一性障害を発症したかについて

(ア) 解離性同一性障害発症の原因は幼少期の心的外傷に限られるものではなく、学校でのいじめが原因とみられる場合が多いという報告もある。

本件生徒らによる陰湿ないじめが継続したこと及び一審被告らがこのようないじめを知りながら放置し続けたことが、Bの解離性同一性障害発症の原因である。

(イ) 一審原告がA1から暴力を振るわれたことは一度もないし、Bは死亡する直前まで父親に会いたいと話しており、父親との関係は解離性同一性障害の発症と無関係である。

また、一審原告は忙しいながらも限られた時間の中でBに愛情を注いできたものであり、Bの人格形成に問題はなく、一審原告とBは互いに強い愛情で結ばれていた。

よって、Bのc中学入学前の経験が解離性同一性障害の発症の原因となったことはない。

(ウ) Bが、学校を休みたいが一審原告が休ませてくれない旨や「ママなんて大嫌い。」などの発言をしたり、一審原告が作った弁当を捨てたりした事実はなく、Bと一審原告の関係は良好であった。

c中学転出後、i中学において大きなトラブルはなかったが、Bは、c中学におけるいじめによりPTSD症状を発症して学校恐怖症となって不登校になったものである。Bは○○を肯定的に捉えており、また、j中学及びk高校においては、教師だけではなく同級生からもBの抱える学校恐怖症や解離性同一性障害等の問題への配慮がなされていた。Bが他生徒を信頼できなかったのは、c中学におけるいじめの体験に起因するものである。そして、Bにとって、m児童劇団(以下「児童劇団」という。)の仲間は信頼感を持って付き合えるかけがえのない仲間であった。

Bの深夜徘徊は、夜中にc中学におけるいじめがフラッシュバックしていたことが理由である。

イ Bに対するいじめ及びこれが放置されたことによりBが自死に至ったかについて

(ア) 仮に本件自死に抗うつ剤の影響があったとしても、そもそもBがいじめにより解離性同一性障害を発症しなければ抗うつ剤が処方されることはなかったのであるから、いじめにより本件自死が生じたことに変わりはない。

(イ) 前述のとおり、c中学転出後のBには、c中学におけるいじめの体験に起因するもの以外にトラブルはなかった。

ウ 一審被告らがBに対するいじめを防止するための適切な措置を講じる義務を怠ったか、また、一審被告らに、Bの解離性同一性障害発症及び自死について予見可能性があったかについて

前述(原判決引用部分)のとおり、一審被告らは、Bに対するいじめを防止するための適切な措置を講じる義務を怠り、また、一審被告らはBの解離性同一性障害発症及び自死について予見可能であった。

(3) 争点(3)(Bの解離性同一性障害発症及び本件自死による損害)について

生活費控除率については、女性の場合、三〇%が一般的である。

(4) 争点(4)(寄与度減額及び過失相殺)について

ア c中学在学時以外のBを取り巻く人間関係は良好であり、心的外傷を形成するようなものは一切ないから、寄与度減額等の余地はない。

イ 一審原告が、親権者としてBの監護養育の義務を負い、Bが以前にも自死を図っていることからすると、その動静を監視し、精神的安定を図って自死を防止するべき義務を負うことは当然であるが、二人の生活費を得るために稼働しなければならず、また、自身の健康状態も保持しなければならない以上、その監護には限界がある。

本件自死当日、一審原告は、Bに祖母のA3を付き添わせようと考えたが、Bの様子から大丈夫だろうと判断したものであるところ、精神科の医師が自死の危険を警戒して面接していても自死の兆候を見過ごす例もあり、一審原告がBの自死の危険に気付くことは不可能であった。

一審原告は、Bの自死を防ぐため、医師の診断を受けさせるなど、できる限りの具体的措置を講じていたが、一審原告が入院し、Bのために来てもらえるはずであったBの友人が台風の影響で来られなくなったという不運が重なったためにBが自死してしまったものであるから、一審原告に過失相殺すべき落ち度はない。

(5) 争点(5)(損害の填補)について

本件生徒らはBに対するいじめの事実を否認していたものであり、一審原告が本件生徒らから支払を受けた金員は、損害の填補の趣旨のものではない。また、複数加害者による不法行為において、一方の加害者との関係でのみ過失相殺が行われる場合、他方の加害者が損害の一部を填補しても原則として賠償額に影響を与えないところ、本件生徒らとの間の過失相殺の有無及び程度は不明であるから、上記金員は、一審被告らの損害賠償義務に影響を与えるものではない。

(一審被告ら)

(1) 争点(1)(本件生徒らがBに対して行った行為)について

本件生徒らとBとの間に些細な衝突はあったが、一緒に遊んだりプリクラ写真を一緒に撮ったりしており、Bに対するいじめはなかった。

一審原告が主張するいじめの態様であれば、落書きされた教科書や切られたスカート等の客観的証拠が存在するはずであるのに、そのような客観的証拠は提出されておらず、また、Bが作成した交換日記の内容には虚構や事実の誇張が見られ、その記載内容の信用性は低い。Bは被害妄想が激しく、別の人を指して言っている内容でも自分に対する悪口と思いこむ傾向があった。

Bの解離状態における交代人格のいじめに関する発言は、A12医師自身、虚構か現実か検証作業が必要なものとしている。また、解離性同一性障害の患者は示唆的影響を受けやすいところ、Bのいじめに関する発言は、一審原告の示唆的質問に合わせて答えているにすぎないものである上、解離性同一性障害による記憶障害により、c中学転出後の体験をc中学における体験と混同して話している可能性も高い。

(2) 争点(2)(Bの解離性同一性障害発症及び本件自死に対する一審被告らの責任)について

ア Bに対するいじめ及びこれが放置されたことによりBが解離性同一性障害を発症したかについて

(ア) 解離性同一性障害は、幼少期における性的、身体的、精神的虐待等による心的外傷や、親子関係の不安定さが原因となって発症するものであり、思春期の体験によって生じるものではない。

(イ) Bの幼少期、父であるA1の一審原告に対する家庭内暴力があり、一審原告はA1と別居したが、その後、v大学の講師を続けながら同大学の卒業論文を作成するため多忙で過酷な毎日を送り、卒業後も大学教員として多忙であり、幼いBは母親からほとんど放置された状態で成長したものであり、このような幼少期の体験がBにとって大きな心的外傷となり、解離性同一性障害発症の大きな要因となった。

平成六年七月に日本に帰国後、一審原告は、仕事を理由にBの世話を十分にしない一方で、Bを管理支配しようとして過干渉に及ぶこともあり、Bは一審原告の気分次第で振り回される不安定な状態に置かれた。このような一審原告との関係の不安定さも解離性同一性障害発症の大きな要因の一つである。

また、Bは、小学校一年生時にプールの脱衣所で男性教師から水着を脱がされて体を触られるという性的いたずらを受けたことがあり、重大な精神的衝撃を受けた。

Bは、小学校四年生時にも「外人」、「雑種」、「カナダに帰れ」などと言われ、自分がハーフであることを深く思い悩んでいた。

Bが解離性同一性障害を発症したのは、このような幼少期の経験が原因であり、c中学における経験が原因ではない。

(ウ) 仮に、Bのc中学時代の経験が解離性同一性障害発症に影響を及ぼしたのであれば、c中学転出後の経験による精神的ストレスも影響を及ぼしているというべきである。

Bは、i中学転入後も同級生と口論して教室を出て行こうとするなど、学校にうまくなじめず、二学期になると、一審原告に無断で欠席を続けていた。

そして、Bは、○○、j中学及びk高校でも周囲から孤立していた上、k高校では女子生徒の一人と深刻な対立が生じ、同級生の面前や電車の中で「男子生徒と寝た」などと吹聴され、甚大な精神的ストレスを受けた。

Bは、児童劇団においても容貌をからかわれたり、ホームページで悪口を書かれたり、仲間はずれにされたりして、児童劇団に行くこと自体を思い悩んでいた上、自死する直前には、児童劇団の打ち上げの席で、来年に備えて連絡を密にしようと提案したところ、ほかの劇団員から冷淡な態度を取られて、とても悲しい思いをしていた。

また、Bは、一審原告の精神の不安定さに巻き込まれ、その気分次第で厳しくされたり過保護にされたりし、一審原告と日常的にけんかを繰り返し、平成一六年夏ころには、一審原告に反発して深夜徘徊を繰り返して警察に補導されるなどしており、親子関係のあつれきもBにとって大きなストレスであった。

イ Bに対するいじめ及びこれが放置されたことによりBが自死に至ったかについて

(ア) Bが自死する直前、A12医師から数種類の抗うつ剤を処方されていたが、これらの抗うつ剤は、一八歳未満の患者に投与すると、自殺念慮や自殺企図のリスクが増加するという報告があり、Bが自死した原因は、解離性同一性障害ではなく、Bに投与されていた抗うつ剤の副作用である可能性が高い。

(イ) Bは、平成一五年三月にc中学を転出した後、上記のように様々な人間関係のあつれきに悩まされていたものであり、自死の原因はc中学転出後の親子関係その他の人間関係のあつれきである。

(ウ) Bは、本件自死までに自殺未遂を四回繰り返していた上、抗うつ剤の投与を受けていたのであるから、措置入院の継続や家族等による常時見守りなどの措置が必要であったにもかかわらず、一審原告がこれらの措置を執らなかったことが自死の直接の原因である。

ウ 一審被告らがBに対するいじめを防止するための適切な措置を講じる義務を怠ったか、また、Bの解離性同一性障害発症及び自死について予見可能性があったかについて

一審被告Y4は、休み時間にもクラスを見回り、問題を抱える生徒がいれば呼び出して事情を聞くなど熱心な教師であり、BがEとけんかをして同人の机や椅子にチョークの粉を撒いて画鋲を置き、Eが同じことをやり返したというトラブルの際には速やかに対応していたものであり、一審被告Y4がBに対するいじめの問題を放置した事実はない。

また、その余の一審被告らも、c中学においていじめ問題が発生した場合に適切に対処すべき体制を整えており、安全配慮義務、注意義務を尽くしていた。

c中学に在籍していた当時、Bには解離性同一性障害発症や自死をうかがわせる兆候はなく、一審被告らが、Bの解離性同一性障害発症や自死を予見することは不可能であった。

(3) 争点(3)(Bの解離性同一性障害発症及び本件自死による損害)について

仮に、一審被告らに本件自死により生じた損害を賠償する義務があったとしても、生活費控除率は四〇%とすべきである。

(4) 争点(4)(寄与度減額及び過失相殺)について

ア 仮にc中学におけるいじめがBの心身に影響を及ぼしたとすれば、小学校時代のいじめやc中学転出後の様々な人間関係等によるあつれきも影響を及ぼしたというべきであるから、大幅な寄与度減額ないし過失相殺類推による減額をすべきである。

イ Bは本件自死までに自殺未遂を四回繰り返していた上、抗うつ剤の投与を受けていたのであるから、措置入院の継続や家族等による常時見守りなどの措置が必要であったにもかかわらず、一審原告はこれらの措置を執らなかった。

(5) 争点(5)(損害の填補)について(当審における追加主張)

本件生徒らが一審原告に支払った五〇〇万円につき、損害の填補として控除すべきである。

第三当裁判所の判断

当裁判所は、平成一四年一〇月以降、本件クラス内でBに対するいじめが行われ、上記いじめが放置されたことにより、Bが解離性同一性障害を発症したものと認められるが、上記いじめ及びその放置と本件自死との間には相当因果関係があるとは認められないところ、一審被告らには上記いじめを防止すべき適切な措置を講じるべきであったにもかかわらずこれを怠った過失があるから、一審被告Y4は民法七〇九条、一審被告学園は同法七一五条一項、一審被告Y2及び同Y3は同条二項に基づき、Bの解離性同一性障害発症により生じた損害を連帯して賠償する責任を負うが、Bの解離性同一性障害の発症及びその後の症状についてはc中学在学前及び同校転出後の時期の経験等も影響を及ぼしているから、民法七二二条二項の類推適用により損害の三五%を減額する(ただし、いじめ及びその放置についての慰謝料部分を除く。)のが相当であり、さらに、本件生徒ら及びその親族から一審原告に支払われた五〇〇万円を控除すると、一審原告の一審被告らに対する請求は、主文第二項の限度で認容すべきものと判断する。

その理由は、以下のとおりである。

一  事実経過

前提事実(当審における補正後の原判決引用部分)、証拠<省略>によれば、以下の事実が認められる(関連の深い証拠を末尾に掲記する。)。

(1)  Bのc中学入学までの状況等

ア(ア) Bは、平成元年○月○日、カナダにおいて、一審原告とA1の長女として出生したが、一審原告は、A1の一審原告に対する暴力が原因で平成三年夏にA1と別居し、平成五年五月二〇日、Bの親権者を一審原告と定めて離婚した。

(イ) 一審原告は、A1との別居後、Bを託児所と「Home Day Care」として乳児を預かってくれる家庭とに預けながら、v大学やトロント近郊の大学で講師として稼働した。

また、カナダ在住の虐待を扱うソーシャルワーカーであるA20が、v大学の寮生時代から一審原告の友人であり、Bの子守を手伝うなどしていた。

Bは、一審原告に対し、二、三歳のときから、「You are hurting my feelings.」等の抗議をしていた。

(ウ) 一審原告とBは、平成六年七月に日本に帰国し、刈谷市内で一審原告の母(Bの祖母)であるA3と同居した。

(エ) 一審原告は、平成七年四月、Y1学園に助教授(その後准教授)として採用された。

イ(ア) Bは、平成八年四月、a小学校に入学した。

Bは、小学校一年生時、大人の男性からプールの脱衣所でいたずらを受けたことがあった。

(イ) Bは、小学校三年生時に児童劇団に入団し、以降、死亡するまで活動を継続した。

(ウ) 一審原告は、通勤の便利のため、Bとともに岩倉市内の一審原告宅に転居し、Bは、平成一一年四月(小学校四年生時)、b1小学校に転入した。

(エ) b1小学校転入当初、Bが「外人」、「ハーフで雑種」、「カナダに帰れ」などと言われたため、一審原告が同級生らに「外人と呼ばないように。」と注意したことがあった。また、一審原告及びBは、小学校四年生時の担任の指導方針と合わないと感じていた。さらに、小学校六年生時、一審原告宅の玄関ドアに釘のようなもので「バカ」と大きく書かれたことや、玄関ドアの鍵穴に小枝が詰められて解錠不能にされたため、Bが泣きながら一審原告に電話をかけ、一審原告が鍵を取り替えたことがあったほか、Bのランドセルに油性マジックで「バカ」、「死ね」などと書かれたことがあり、一審原告は、b1小学校に再三注意を頼んでいた。そして、Bは、一審原告に対し、「自分の顔が嫌い。」、「何でハーフに産んだ。」とよく言っていた。

(2)  Bのc中学在学当時(平成一四年四月から平成一五年三月まで)の状況等

ア(ア) c中学は、従前は女子校であったが、平成一四年四月から男女共学となった。

(イ) Bは、平成一四年四月五日、c中学に入学し、本件生徒らと同じ一年A組(本件クラス)に所属した。本件クラスは、生徒数が二六名であり、そのうち女子は一三名であった。

(ウ) Bは、平成一四年四月、バトン部に入部した。バトン部には、本件生徒らのうち、Jも入部し、Dも同年六月ころになって入部した。なお、Cは、c中学のバトン部には入部しなかったが、民間のバトンクラブに所属していた。平成一四年度当時、養護教諭のA19(以下「A19」という。)がバトン部の顧問を務めていた。

(エ) Bのc中学在学当時(平成一四年四月一日から平成一五年三月三一日)の出席日数等は、授業日数一九二日のうち、一学期は、欠席が一日、遅刻が四回、二学期は、欠席が七日、遅刻が二回、三学期は、欠席が四日、遅刻が一回、早退が一回であった。欠席日数(合計一二日)のうちの一〇日は、感冒、発熱による病気欠席とされ、二日は、家事都合によるものとされ、遅刻(合計七回)の理由は、感冒、腹痛によるものとされ、早退(一回)の理由は、家事都合によるものとされていた。

(オ) Bは、c中学在学当時、保健室を平成一四年五月二八日(主訴は眠気)、同年一〇月三日(主訴は胃痛)、同月一七日(主訴は風邪)、平成一五年一月一〇日(主訴は頭痛)の四回利用した。なお、Bのc中学在学当時、同中学には、悩みのある生徒に対してはカウンセラーがカウンセリングをする制度があったが、Bがこの制度を利用したことはなかった。

イ(ア) Bは、活発で積極的な性格であり、一学期は明るく振る舞っていた。

(イ) Bは、自分の意見をはっきり述べて行動に移すことが多かったが、人の話の中の小さなところを取り上げては激しく非難するところがあり、後述のとおり、本件クラスの女子生徒らと衝突することがあった。また、Bは、男子生徒(特に、A5(以下「A5」という。))ともけんかをしたり、言い争いになることがよくあったほか、一審被告Y4に対してその発言が男女差別だなどと述べて言い合いになり、授業の進行を止めてしまったことや、冬ころ、授業中に社会科の教諭が「ここにもちょっと外国人が一人おるからな。」と述べたか否かをめぐり、一審原告の示唆で署名運動のようなことをしたことがあった。

(ウ) 一審原告は、後述のとおり、平成一四年一〇月以降、Bからいじめを受けていると聞いて、これを相談するためc中学や一審被告Y4の自宅に連絡をしたほか、社会科教諭が試験答案を返却する際に欠席していたBの机の中に答案をそのまま入れ、A5がこれを勝手に皆に見せたことから、一審被告Y4に連絡して試験答案の返却方法を変えるよう求めたり、Bから上記(イ)の社会科教諭の発言について聞き、c中学に連絡をして当該教諭から事情を聞いたり、一審被告Y4の自宅に電話をかけたりした。

(エ) 本件クラスでは、男子生徒が中心となってスリッパを投げ合ったり、男女を問わず生徒間で軽い気持ちで「ウザイ」、「キモイ」、「死ね。」と言い合ったり、また、本件クラスの特定の男子生徒が、「▲▲」と呼ばれたりすることもあった。

(オ) 本件クラスでは、Bも含め女子のほぼ全員が机を並べて昼食をとることもあった。Bは、一審原告が作った弁当に嫌いなものが入っていたり、量が多くて食べきれないときには、教室の窓から捨てたり、トイレに流したりすることがあった。

Bは、本件生徒らに、一審原告がe大短期大学部の助教授であることなどを自慢したりする反面、Bの希望で車をピンク色にした一審原告のことを、「アホだよね。」と言ったり、「ママなんて大嫌い。」などと言ったり、携帯電話の使用限度額が七〇〇円に設定されていることに不満を述べたりすることもあった。

また、Bは、中学一年生時の冬ころ、Eに対し、一審原告が休ませてくれないので、学校を休みたいときは、体温計をお湯につけて熱があるふりをして休むなどと述べたこともあった。

(カ) 一学期、本件クラスの女子生徒が集まって弁当を食べていたところ、弁当を持たず、お金がないと言って購買で昼食も買わなかったBが、皆の弁当を見渡して「もらおうと思ったのに、おいしそうなお弁当ないなぁ。」と言って教室を出て行ったため、教室に残された女子生徒らが、母親が作ってくれた弁当をけなされたと感じて、Bに対する不満を述べたことがあった。

(キ) Bは、平成一四年八月ころ、一審原告に、バトン部で仲間はずれにされているから練習に行きたくないと言った。一審原告は、即日、一審被告Y4に電話をかけ、Bがバトン部でいじめに遭っているようなので顧問の先生に様子を見てもらいたい旨依頼したところ、一審被告Y4は、「分かりました。」と答えるとともに、バトン部顧問のA19にも直接説明してはどうかと述べた。

また、Bがバトン部の練習をしている間に、何者かによって、Bの制服のスカートが切られるということがあった。

(ク) 平成一四年九月上旬、Bは、バトン部を辞めて漫画研究部に入部した。

ウ(ア) Eは、二学期になって、BがEやほかの同級生及び隣のクラスの生徒から借りたお金を返さないことについて、Bに対し、借りたお金を返すように注意したが、Bは、「B、借りてない。」などと答えた。

その数日後、Eが登校すると、Eの椅子の上に画鋲が置かれ、机の上にチョークの粉が撒かれていた。Eは、Bが自分がしたと認めたため、「同じことをやり返すよ。」と述べたところ、Bは、「いいよ。」と言った。

そこで、数日後、Eが、同様にBの机にチョークの粉を撒き、椅子に画鋲を置いたところ、翌朝、Bがこれを見て騒いだため、一審被告Y4は、朝のホームルームの時間に、「だれがやったんだ。」などとクラス全体に問い糾すと、Eは正直に自分がしたと名乗り出た。Eは、その場で一審被告Y4から注意され、後で職員室に来るように言われ、Bの机を雑巾でふき、画鋲を片付けた。

Eは、その日の一限終了後に職員室へ行き、Bとのやり取りの経緯を一審被告Y4に話した。一審被告Y4は、Eに、「そんなことをやるのは間違っている。」と注意し、Bも同様に一審被告Y4に呼び出され、注意を受けた。

(イ) 平成一四年九月ころ、本件生徒らのうち、C及びGらのグループと、F及びHらのグループとの仲が良好ではなく、お互いに避け合っていた。このころ、Bは、両グループの間に立って、それぞれのグループが相手方のグループについて言っている悪口を相手方に伝えていた。Cらは、自分たちが言っていた悪口がFらに筒抜けになっていることをFらから聞いてショックを受け、Bを避けるようになった。Fらも、Bが、Cらに対し、FらがCらについて言っていた悪口を伝えていたことを後から知った。また、その後、HとFがけんかをしたとき、Bは両方に付いて双方の悪口を言ったことがあり、これもHがBを避ける原因の一つとなった。

(ウ) 二学期ころ、Bは、Dがバトン部で使用していたバトンの金属の部分を足で折り曲げ、両端のゴムキャップの中に画鋲を詰めた。本件生徒らのうち、このころ比較的仲が良かったC、F、D、G、E及びHの六名(以下「本件六名」という。)は、この当時、Bとの関係が良好ではなかったことや、IがBが曲げたのを見たと告げたことから、Dのバトンを曲げたのはBであると考えていた。

エ(ア) Bは、その性格及び言動から人と衝突することが多かったことや、上記ウの各出来事等が原因となり、本件六名は、次第にBを疎ましく思うようになり、平成一四年一〇月ころから平成一五年三月ころまでの間、必ず複数名対B一名の形で、それぞれが断続的に、①Bを避けたり、仲間はずれにしたり、無視(シカト)をしたり、②教室のロッカーの近くに集まるなどして、Bについて、「ウザイ」、「キモイ」、「死ね。」、「天然パーマ」、「(眉毛が)太すぎなんだよ。」、「油ういとるけど。」、「毛が濃い。」、「汗臭い。」などと言ったりした。

また、本件六名のいずれか又は本件クラスの誰かが、平成一四年一〇月ころから平成一五年三月ころまでの間において、③Bの教科書やノートに「ウザイ」、「キモイ」、「死ね」などと書いたり、机にチョークで「死ね」と書いたり、④Bの机の下にごみを集めたり、⑤Bの教科書等を隠したり、Bの机だけを教室の外に出したり、⑥黒板にBに見立てた顔を描いて、それに向かってスリッパを投げつけたりした。

(イ) Bは、平成一四年一〇月ころから、朝、体調不良を訴え、学校に行くのを嫌がるようになったが、一審原告は、学校に行くようBをしかり、何度か親子げんかとなった。

そして、一審原告は、そのころ、Bから、本件六名からいじめられていることを聞き、同年一一月一日、一審被告Y4に電話をして、Bに対するいじめについての対応を依頼した。これに対し、一審被告Y4は、「分かりました。」と述べた。

(ウ) 一審被告学園の総務部長であったA6(以下「A6」という。)は、平成一四年一〇月一六日、一審原告を総務部に呼び出し、Bが一審被告学園の事務局長のA7と一審原告との交際を他の生徒に言いふらすのをやめさせるよう告げた。

そこで、一審原告は、同月一八日、一審被告学園の理事長室を訪れ、一審被告Y2及びA6に対し、A6から同月一六日に言われた内容について苦情を申し入れるとともに、Bが同級生からいじめられており、学校に行くのを嫌がっていることを伝え、早急に対応して欲しい旨依頼した。すると、一審被告Y2は、一審原告に対し、A6の言動について、「こちらの親切がなぜわからん。」などと述べるとともに、Bの不登校について、「子供が傷つくのはたいしたことではない。日にち薬。頭ピシャンとたたいて首に縄つけて送ってくればいい。」などと言ったり、児童相談所に相談するなら、一審原告の考え方が非常識であるから一審被告学園の教員であることは絶対に言ってはいけない旨述べた。

(エ) Bは、平成一四年一〇月ころ、C及びDから「プロフィール帳」への記載を頼まれて、それぞれにフレンズデータを書いた。また、同年夏ころに、H、I及びJと、同年冬ころに、C及びDと、それぞれ一緒に遊びに行き、いわゆるプリクラ写真を撮るなどした。

(オ) 本件クラスでは、Jや他の女子生徒に対しても、机にごみを詰めたり、「汗臭い」と言って窓を開けたりするなどのことが行われていたが、三学期に入ると、Jに対する上記行為は減少し、後述のようにBに対する行為が激しくなったほか、Gが無視されるようになった。

(カ) 三学期、本件六名のうちの一人又は複数が、Bが自分のロッカー内に貼っていたA2ポスターを破った。

(キ) 平成一五年一月以降、Bは、c中学から泣いて帰ってくることが何度かあり、一審原告に対し、いじめの中心は本件六名であり、大切にしていたA2ポスターが破られたこと、教科書やノートが抜き取られたことなどを話した。そこで、一審原告は、一審被告Y4に電話をかけ、Bが上記のいじめを受けていると言って、その対応を依頼した。

(ク) 本件六名のうちの一人又は複数は、平成一五年三月一一日、靴箱に入れてあったBの靴の中に多数の画鋲を入れてテープで貼り、靴を靴箱に接着剤様のもので貼り付けた。

Bは、一審被告Y4のところへ行き、靴の中に画鋲が入れられたと告げたが、一審被告Y4は、画鋲を受け取っただけで、何の対応も取ろうとしなかった。また、このときかどうかは不明であるが、一審被告Y4は、Bに対し、「俺のクラスにいじめなんかするやつはおらん。お前の思いすごしだ。」などと言ったことがあった。

(ケ) 一審原告は、上記同日、Bが泣いて帰宅し、一審原告に対し、画鋲がBの靴に入れられていたことを報告したため、すぐに一審被告学園に電話をしたが、一審被告Y4が不在であったため、電話に出たA8教諭に対し、「Bのいじめに対する学校の対応はどうなっているのか。」、「陰湿ないじめが発生しているのだから学年で事実を共有すべきではないか。」などと述べた。

翌日、一審原告は、一審被告Y4の自宅に電話をかけ、一審被告Y4に対し、Bから前日に聞いた出来事を話し、Bと他の生徒らとの双方から話を聞いて問題の解決を図って欲しいと述べて、Bに対するいじめ問題についての対応を依頼した。

(コ) 平成一五年三月二〇日の「終了式」の日、Bが登校したところ、本件六名のうちの誰かが、「汗臭いから空気の入れ換えをする。」などと言い、教室の窓を開けた。

一審被告Y4は、同日、ホームルームでクラス全体に対して、いじめは絶対にやめるようにという話をしたが、Bは、c中学からの帰宅途中、一審原告の携帯電話に電話をして、「もうc中学だけは絶対に嫌だ。もう無理。」などと述べた。

なお、Bは、同日、下校前、怒りの余り、c中学のほうきを折って洗剤をばら撒いた。(甲二四)

(サ) 一審原告は、Bをc中学から転校させることを決め、一審被告Y4に対し、平成一五年三月二二日、Bをc中学から転校させたいと連絡したところ、一審被告Y4は、「分かりました。降参です。」などと述べた。

(シ) 一審被告Y4は、Bについて、c中学の生徒指導要録の「総合所見及び指導上参考となる諸事項」欄に、「明朗であるが、自分本位に考えることが多く、友人とのトラブルも多い。もう少し相手の立場を理解し、自分と異なる意見にも耳を傾けて欲しい。」と記載した。

(3)  Bがi中学に転入後、○○に通い始めるまで(平成一五年四月一日から同年八月ころまで)

ア(ア) Bは、平成一五年三月三一日付けでc中学から転出し、同年四月一日付けでi中学に転入した。

Bのi中学二年生一学期(平成一五年四月一日から同年七月一八日まで)の通学状況は、授業日数七二日のうち、欠席が四日であった。(甲三〇の一)

(イ) Bがi中学に転入直後、本件クラスの男子生徒が、Bの携帯電話や一審原告宅の電話に、何度も無言電話をかけてきたことがあった。

(ウ) Bは、平成一五年五月の連休に、J及びIと遊びに行ったが、その後、i中学の友人との交換日記に、「GW何やってた?Bは、いとこの家とまったりc中の子と遊んだヨ それがさぁー、c中の時、B、イジメられてたでしょ。だから、c中の子といるとはきけばっかして楽しくなかった もお、二度とあんな思いしたくない。二度と遊ばない。絶対に。」などと記載し、いじめの内容について尋ねられて、「んっとねえ、教科書かくされる&黒板にヘタクソな似顔絵かかれてそれにトイレスリッパを投げつけられたり&ロッカーに入ってたA2のポスタービリビリにされる&大きな声で悪口いったり、・・・・とまぁほかにもいっぱいヨあのころは毎日泣いてたなぁ。今でも泣けてくるよ…。マジで。だからi中にこれてヨカッタ」などと記載した。

なお、Bは、平成一五年五月、上記交換日記に、部活の先輩に嫌われていると思うから部活に行きたくない旨や、同級生からBが男性アイドルのファンであることをからかわれたことに対し、「マジで(中略)ウザイ。。死んでこいって感じ。(中略)あ、でも、死ねってのは言いすぎね。でもマジで・・・ムカツクー」と記載したり、特定の女子生徒について、暗い、ダサイ、「同じグループだよね?イヤじゃない?ダサイ子と一緒にいるのって・・・。」などの悪口を記載し、同年六月四日、当初仲良くしていた女子生徒たちと最近仲が良くないが、それよりも他の女子生徒のBに対する態度が冷たいという悩みを記載した。

そして、平成一五年六月ころ、Bと交換日記をしていた友人が不登校になった。

(エ) Bは、平成一五年五月から六月にかけて行われた試験のために作成したノートの表紙に、「<省略>最後にY4!!おぼえとけ!お前らなんかギタ×2にしてやる」と、裏表紙に、「c中のやつら、お前なんかいい高校いけねぇーんだヨ ざまーみろ!イジメたやつら一生忘れん!死んでもな!」と、その裏面に、「c中なんかつぶしてやる!」などと記載した。

(オ) Bは、平成一五年六月初め、同じクラスの女子生徒と口論となり、興奮状態のまま授業中に教室を出て行き、これを止めた教員に対し、「ママしかBのことは分かってくれない。」と言った。

イ 一審原告は、一審被告Y4に対し、平成一五年四月上旬ころ、Bに対する励ましの手紙を書くように依頼したが、一審被告Y4はこれに応じる気になれず放置していた。そこで、一審原告は、同年五月ころ、c中学及びc中高校の副校長であったA10(以下「A10」という。)に対し、一審被告Y4に上記手紙を書いてもらえるよう話をして欲しい旨依頼した。A10から上記の話を聞いた一審被告Y4は、同月、Bに対し、「c中での一年間は、私もBさんの力になることが出来ずに、嫌な思いばかりさせて大変申し訳なく思っております。本当にごめんなさい。」、「私もあなたの転校を無駄にすることのないように『いじめ』に対して真っ正面からぶつかり何んとか無くすことが出来るよう努力をしてゆきたいと常々思っております」などと記載した手紙(以下「本件手紙」という。)を書いて送った。

ウ(ア) Bは、ゴールデンウィーク後、しばしば片頭痛を訴えるようになり、平成一五年五月一五日から同年九月ころまで、かかりつけであった医療法人l内科小児科(以下「l内科小児科」という。)を受診した。Bは、同年五月下旬、担当医のA9(以下「A9医師」という。)に対し、中学一年生時の終わりころから片頭痛が生じている旨や、中学一年生時にいじめに遭ってそれから頭痛が生じている旨を訴えた。A9医師は、Bに頭痛薬や精神安定剤を処方したが、症状の改善は乏しかった。

また、Bは、頭痛や腹痛等の症状を訴え、平成一五年五月二四日、同月二八日、同年六月二〇日、同年七月一六日に、i中学の保健室を利用した。そして、同年五月二八日に保健室を利用した際、養護教諭に対し、約一時間にわたり、c中学時代に受けたとするいじめ等の話をした。

(イ) Bは、平成一五年七月一一日ころ、一審原告に対し、c中学在学中から、自分が本件六名からいじめられているときに、その場所にいるのではなく、その光景をビデオカメラを通して見ている感覚があったことを話した。この話を一審原告から聞いたA9医師は、同月一四日、診療録に「現実感の欠如、離人感覚」と記載した。

(ウ) Bは、平成一五年七月、uクリニックに通院した。

(エ) また、Bは、このころ、児童劇団において、いつも役がもらえていたことを嫉妬され、他児やその母からいろいろ詮索されたり、男子たちから「天パー」、「デブ」、「眉毛が濃い」、「キモい」などとからかわれたりしていた。

エ(ア) Bは、i中学に平成一五年九月一日は出席したが、同月二日は欠席し、同月三日は出席したものの、その後、同月四日、五日、八日、九日及び一〇日といずれも欠席した。上記欠席の中には一審原告に無断で休んだものもあった。

(イ) Bは、腹痛を訴えて同月一日、六日及び九日にl内科小児科を受診し、A9医師に、親友二人のうち一人が不登校である旨や、学校に一日座っているのが嫌である旨告げた。

(ウ) Bは、「学校に行っても一人だから行きたくなかった。」、「またいじめにあうかもしれないと思うと怖くて教室にいられない。」、「フリースクールならなんとか行けるかもしれない。」などと言ってi中学に通学することを拒んだため、一審原告は、当時の担任教諭と相談の上、同月一一日からBをフリースクールである○○に通所させることとした。

(4)  ○○に通い始めてから、j中学に転入するまで(平成一五年九月から平成一六年一月ころまで)

ア Bは、平成一五年九月一一日から平成一六年一月二二日まで、○○に通所した。

上記期間のBの○○への出席日数等は、二学期が、授業日数六八日のうち、欠席が一五日であり、三学期のうち平成一六年一月二二日までの授業日数一七日のうち、出席停止・忌引等が一日、欠席が九日であった。ただし、○○の出席日数は、遅刻や早退にかかわらず、教室に入室さえすれば、出席とみなされるものであった。

イ(ア) Bは、平成一五年九月一八日、Jに電話をかけて同人と会話をし、途中から、一審原告と電話を替わった。Jは、一審原告に対し、i中学転入後の無言電話については知らないと述べ、A2ポスターが破られた件は知っている旨答えた。そして、Bがロッカーの鍵が壊されたと口を挟むと、Jは、それは知らない旨述べ、一審原告が、誰がいじめの中心だったと思うかと尋ねると、「なんか、みんなでやってたから、わかんない。」と述べた。Jは、画鋲がロッカーに撒かれていたことは知らないと答えたが、Bが、横から、「絶対、知ってる。」と口を挟んだ。なお、上記会話の中で、Jは、中学一年生の終わりのころは自分に対するいじめはなくなっていた旨や自分に対するいじめよりもBに対するいじめの方が激しかった旨を述べた。

(イ) Bは、上記同日、Cにも電話をかけて会話をし、その後、一審原告と電話を替わった。Cは、一審原告からA2ポスターの件を尋ねられると、その件は先ほどBから初めて聞いたので知らなかった旨答え、画鋲がロッカーに撒かれていたことがあったよねと確認されたのに対し、「あぁ、あの。なんか、いろいろ。」と発言した。一審原告が、上記画鋲の件は複数でやったでしょうなどと続けると、Cは、自分たちとBが、「そのころはあんまり上手くいってなかったから、やっぱり考えられるのはBかなみたいな感じになっちゃって。それで、そうですね、画鋲のこともあったと思うんですけど。」と、Dのバトンを折り曲げたのはBであると疑って、本件六名の誰かが仕返しに画鋲の件をしたと解される発言をし、一審被告Y4の対応については、一審被告Y4から一人ずつ呼ばれて注意を受けるなどしたことはなく、一審被告Y4がいないところで対立してたから、気づかなかったと思う旨など述べた。

(ウ) A9医師は、n医療センター心療科のA11医師宛の平成一五年一〇月一四日付け紹介書に、「まだ、同年代の子(知らない子)にかこまれると恐怖があり、前回イジメの時に学校が動かなかった為の不拒感が大きいようです。母親のイカリも大きいようです。」と記載した。

(エ) Bは、平成一五年一〇月一八日、一審原告に、小学校一年生時にプールの脱衣所で水着を脱がされて体を触られるという性的いたずら被害に遭った旨を初めて告げた。

(オ) Bは、専門医を受診した方がよいというA9医師の勧めにより、平成一五年一〇月二二日、n医療センター心療科を受診し、同日から平成一七年一二月二〇日まで、一審原告とともに来院し又は一審原告が来院してBの様子を伝える形で、n医療センターを受診した。同センターにおけるBの担当医は、初診日から平成一六年二月一九日まではA11医師(以下「A11医師」という。)、同日から平成一七年一二月二〇日までは主にA12医師(以下「A12医師」又は「A12」という。)であった。

(カ) 一審原告は、平成一五年一〇月二二日、n医療センターの問診票に、「今困っていること・相談したいこと」として、c中学在学時のいじめと学校によるいじめ放置により、転校後も片頭痛、情緒不安定、フラッシュバック、解離症状等のPTSD(心的外傷後ストレス障害)により不登校となった旨及び小学校一年生時の性的いたずら被害による心の傷を記載した。

同日、A11医師は、一審原告及びBから、Bが、○○では同じような不登校の子と友人になったこと、無断で学校を二日間休んだこと、「自分の居場所がない、学校が恐い、ずっとしゃべっていないと不安になるので授業中ずっとしゃべっている、安心していられる場所が欲しい」と思っていること、小学生時代の性的いたずら被害や小学校四年生時の教諭の対応に失望してc中学に入学したこと、c中学におけるいじめ被害などの話を聞き取り、一審原告から、Bが、いじめられてから学校に行けないと夜泣いて一審原告に訴えるが、B自身は覚えていない旨やBが一審原告が交際している男性によそよそしいのは、母を取られるからだと思っていたが、「男性」が嫌なのではないかなどの話を聞き取った。

(キ) A9医師は、平成一五年一二月九日、Bにつき「片頭痛 PTSD」と診断した。A9医師は、同日付け診断書に、「二〇〇三年五月下旬より、片頭痛がしばしばあり、頭痛薬、精神安定剤で診ていたが改善は乏しかった。九月初めより、腹痛、吐気、パニック障害様の症状、離人症様の症状も出現した。通常の学校にて、教室内や集団内で上記症状が出現し、恐怖感も伴なった。以前受けたいじめによるPTSDが考えられる。」と記載した。

(ク) Bは、○○通所中、交換日記をする友人等ができ、担任教諭がジャニーズのファンで、よく話が合うなどと一審原告に楽しそうに話すこともあったが、平成一五年一二月一三日、A11医師に、○○について、「私たちは仲いいのよね」という仲良グループ的な雰囲気があってなじめず、嫌いであるが、自分と似たタイプの子が四人くらいいる旨述べ、同月一六日、A9医師に「○○の嫌いな先生が何とか友好を図ろうとする」と○○に対する不満や、「A13ちゃんと遊ぶのもうざい。」と友人に対する不満を述べ、また、平成一六年一月七日には友達とのズレを感じてしまう旨述べた。

また、Bは、平成一五年一一月二九日以降、A11医師及びA9医師に不眠を訴えていた。

(ケ) Bは、一審原告に対し、○○では勉強が十分にできず、このまま通所していては高校に進学できないのではないかとの不安を訴えるようになったため、一審原告は、Bをj中学に転校させることにした。

(コ) 一審原告は、平成一六年一月、睡眠障害、心身衰弱などの症状で治療中であった。

(5)  平成一六年二月から平成一七年三月末まで(j中学に在学していた時期)

ア(ア) Bは、平成一六年二月一日、i中学から転出して、j中学に転入し、平成一七年四月、k高校に進学した。j中学及びk高校は、親が外国人である生徒も多数在学する学校であり、j中学からk高校へは内部進学することができた。

(イ) Bは、j中学に転入後、最初の三日間は毎日通ったが、その後は早退、遅刻、保健室登校の状態となった。Bは、保健室で、昔、ほかの子がいじめられていたので「やめなよ。」と言ったら、自分がいじめのターゲットにされた、靴の中に画鋲が敷き詰められて靴が靴箱に接着剤で貼り付けられた、当時の担任は知っていたのに何もしなかった、教室が怖い、いつになったら普通に戻れるんだろう、ちゃんと卒業できるかな、などと述べていた。

Bのj中学二年三学期の出席日数等は、授業日数三四日のうち、欠席が一六日、遅刻が五回、早退が三回であった。

(ウ) Bは、j中学に転入したころから、しばしば過呼吸の症状を生じさせるようになった。

イ(ア) 平成一六年二月一六日深夜、Bが、突然、一審原告に対し、「私はBじゃありません。」などと話し出したため、一審原告は、その時のBと一審原告との会話を録音した。

Bは、まず、今話をしているのは「Bさんに、Bさんのことを教える人です。」と説明し、今日までは実行できなかったが、明日からいろいろなタイプの人間に分かれる旨、Bが自分のことを嫌いなのは、自分の中にいる悲しい人たち、辛い人たちや暴力な人たちと戦って苦しいからである旨などを述べた。交代人格は、Bから何か伝えたい人がいるかという一審原告の質問に対し、Bは自分のことが嫌いなので、人のこともあまり接せられない、伝えたい人は恐らくいないと思うと述べ、それはいつごろからかと尋ねられると、ハーフという違い、人種差別がすごく心にのしかかっている旨答えた。

次に表出した「明るい人」という交代人格は、Bは、本人にしかわからない何か黒いものに押しつぶされていて、きっと全部が嫌である旨、Bにプレッシャーをかけているのは、周りのもの全てではないかと述べ、一審原告が「例えば?」と質問すると、「ま、学校というものもありますよね。」、「それとか、あとはやっぱり親というのもありますでしょう。」と答えた。そして、交代人格は、他のものを挙げかけて、再び、「学校とかいろいろ」、「前の学校」と学校を挙げ、一審原告が、どの学校が辛かったのか尋ねると、話題を変えてしまった。その後、交代人格は、Bが、このままでいいのだろうかという不安や、なんで私はハーフなのということをずっと心の中に秘めている旨を告げた。

上記交代人格(明るい人)は、Bが殻に入ってしまってその殻を破れない理由として「Bさん、いくつか中学行きましたね。」と話し始め、一審原告が「はい。c中とか?」と返すと、急に声を落として「そうですね。」と述べて、「Bさん、辛かったでしょうねぇ。」と突然泣き出し、「Bさん、かわいそうです。」などと言いながら泣き続けた。上記交代人格は、一審原告が、c中はずっと前にやめたから忘れることはできないか尋ねると、日々の生活の中にc中学というものがあるから無理である旨答え、一審原告が誰がひどいことをしたのかと尋ねると、自分はよく知らないので他の人に聞いてみると答えた。

そして、Bは、しばらく沈黙した後、別の人格に交代し、c中のときに誰がひどいことをしたのかという旨の一審原告の質問に、「中一のころは、やっぱり、いじめじゃないですかね。」と、まずいじめを挙げ、次に、自分のだらしなさに気付いたと思う旨や、地元の中学校に進学したかったが一審原告にそう言えなかった旨を挙げた。また、c中学に入学したこと自体は、そのまま進学できるし良かったと思っていたが、心ない人がいた旨告げ、一審原告が、「あのA6とか、学園長とか、変なやついましたね。」と誘導すると、交代人格は、今、親がその人のことで苦しみ悩んでいるが、自分は話を聞くぐらいしか親にしてあげられることはないとBから聞いている旨告げた。

また、上記交代人格は、一審原告がBのことを一生懸命思っていることはわかっているが、一審原告に迷惑をかけないようにしたいのに迷惑をかけてしまう、自分みたいなわがままな、もうどうしようもない子を育ててくれているのにそれに応えられないという思いがプレッシャーになっている旨、それでも一審原告に側に居て欲しいと思っている旨などを告げた。一審原告は、Bのことを大事に思っているが、それを重荷に思わないで欲しい旨などを告げた。

その中で、上記交代人格は、Bは周囲の人を怖いと思っており、そうなったのは中学生の時である旨告げ、一審原告が「中学生ですか?やっぱりc中ですか?」と聞くと、「そうですね。」と肯定し、Bが今でもそういう人たちが脳裏に映っているのを心の中で自分たちに話している旨述べた。一審原告が、どうしたらc中のことを忘れることができるか尋ねると、自分に殻ができているから、誰かが手を差し伸べてもそれを疑ってしまうので無理である旨、絶対後で裏切られるという絶望感がある旨述べた。

また、一審原告が、「c中の時の人間はアホばっかでしたね?」と尋ねると、交代人格は、「その前の教師もですよね。」と答え、一審原告が「あのプールのことですか、その教師というのは。」と尋ねると、Bはこれを肯定した。その後、一審原告が、一審被告Y4について尋ねると、交代人格は、「もうねぇ、Bさんがかわいそうですよ。」と答え、一審原告が、「Y4のせいですか?」と聞くとこれを肯定し、一審原告が、「Y4が憎いですね、やっぱり。」と誘導すると、交代人格は、Bから、「何で助けてくれなかったんでしょうね。唯一の大人がさ。」と聞いている旨や、それで受けた傷は深くてまだ癒えていない旨を述べた。

(イ) 一審原告は、上記の出来事を、平成一六年二月一六日にA9医師に、同月一九日にA11医師及びA12医師にそれぞれ相談した。

(ウ) 一審原告は、平成一六年二月二〇日、一審被告Y4に電話をかけて話をし、その会話を録音した。一審原告が、「Bは、先生もご存じだと思いますが、ロッカーの中から物が無くなったりとか、それからポスターが破られたりって言う事もありましたよね。」と述べたのに対し、一審被告Y4は、「ありました。」と答え、Bの靴に画鋲が入れられるなどした件について、一審原告が、「『先生、何とかしてください』と、私、何度もお電話してたと思うんです。」と述べたのに対し、「そうですね。」と述べ、一審原告が、Bが泣いて帰ってきたことも一審被告Y4に伝えたと思うと述べたところ、「お聞きしましたね。」などと述べた。

(エ) 一審被告Y2は、平成一六年二月二五日、一審原告に対し、一審原告が一審被告学園の事務局長であるA7と不倫関係にあり、一審被告学園の秩序又は規律を乱したとして、退職勧告を行った。一審原告は、同年三月三日及び同月五日、退職意思がない旨文書で回答した。一審被告学園は、一審原告に対し、同日、諭旨退職処分書を送付し、同月一七日、同月末日付けで解雇する旨通知した。

(オ) その後、一審原告は、一審被告学園を被告として、解雇処分等がいずれも無効であるなどと主張し、一審原告がe大短期大学部助教授の地位にあることの確認、未払賃金の支払等を求める訴えを名古屋地方裁判所に提起した(同裁判所平成一六年(ワ)第三二八一号地位確認請求事件。以下、審級を通じて「別件訴訟」という。)。

(カ) Bは、平成一六年三月二日に「ランちゃん」という人格を、同月七日には「あやちゃん」、「ランちゃん」及び「みゆうちゃん」という人格をそれぞれ表出させるなどして一審原告と会話をした。

また、Bは、同月七日及び同月一一日の夜、解離状態で、一審原告に対し、泣きながら、c中学時代について、友人に裏切られたことがすごく辛かった旨や、見ると反吐が出ると言われた旨を述べた。

(キ) 一審原告は、平成一六年三月一三日、単独でn医療センター心療科を訪れ、A12医師に、同月二日及び七日にBの交代人格と会話をした旨や、Bが同月一一日に昔の嫌なことを話して激しく泣いていた旨を演説調にかなり大声で早口に述べた。A12医師が一審原告の不自然な興奮状態を指摘すると、一審原告は、これを自覚していて、内科小児科の医師に連日相談し、心療科にかかるように言われている旨述べた。

(ク) 一審原告は、平成一六年三月二五日、A12医師に対し、Bが、「自分の顔が嫌い。」、「何でハーフに産んだ。」とよく言っていたことや、解離を起こして、いじめについて初めて名前を特定してその状況を細かく説明したことを述べた。

(ケ) 一審原告は、平成一六年三月二八日、一審被告Y4と電話で話をし、その会話を録音した。一審被告Y4は、一審原告からのいじめに関する電話での対応依頼に対してどういう対策を取ったのかとの質問について、「まあ、あんまり力になれなかったですねぇ。」、「個人的に誰かっていうことが、あの、すべて把握してなかったもんですからね。あのう、指導し切れなかった部分があると思います。それは。正直。」などと述べ、「終了式」の日に皆にいじめはしないようにと言ったことのほかは、具体的な対策について言及しなかった。

ウ(ア) 平成一六年四月、Bは中学三年生に進学した。

Bのj中学三年の出席日数等は、一学期が授業日数七〇日のうち欠席が五二日、遅刻が一三回、早退が二回、二学期が授業日数七六日のうち欠席が四〇日、遅刻が二〇回、早退が四回であり、三学期が授業日数四八日のうち、欠席が三〇日、遅刻が八回であった。

(イ) Bは、j中学に転入後、友人ができたことなどをうれしそうに話していたが、平成一六年四月に入ると、同級生の一人がBにしがみつくようにメールを大量に送信してくるようになったが、Bは嫌だと言えず、Bがその子と一緒に遊びに行って身勝手なことを沢山されたと一審原告にぐちをこぼすことがあった。また、Bは新しい友人を作ろうとしているが、今の相手は皆に嫌われるとBに親切そうに寄ってくる生徒で、Bに対し、「そういうこと言う子は友達付き合いできない。」と言ったため、Bが怒りを表したこともあった。

(ウ) Bは、平成一六年五月、A12医師に対し、友人との話の中で他の生徒のうわさ話がよく出るので、自分が保健室に行っていることについてもあれこれ言われていると思って行き辛い旨や、どこに行ってもシカト(無視)してくる子たちがいる旨、学校に行くと過呼吸になって保健室に行った旨、学校は、人のいる建物に入るのが大変で、無理して教室に入るが、動悸、過呼吸、冷や汗をかく感じがある旨などを述べた。

A12医師は、同月二八日、Bにつき、学校恐怖症、外傷後ストレス障害と診断し、約三週間の休学、自宅療養を要する旨の診断書を作成した。

(エ) Bは、平成一六年五月三一日未明、眠れなくてテレビを見ていたが一審原告は眠っており、友人にメールしても反応がなかったからという理由で外出し、コンビニエンスストアで夜明けまで過ごした。同日、Bは、A9医師に、学校に行かないことが逆に不安である旨や、人恋しい旨などを告げた。

(オ) Bは、平成一六年六月一日、i中学の生徒と遊びに行くと言って出かけたが、その生徒は制服でタバコを吸いながら自転車の二人乗りをしていたため、一審原告は心配した。

(カ) A12医師は、平成一六年六月四日、診療録に、一審原告はBに向けて文句を言っていないが、一審原告のイライラした情緒にBを巻き込んでおり、これは日常的に生じていることで一審原告が気分転換することが大事である旨記載した。また、Bは、A12医師に、線路を歩きたい衝動や飛び込みたい衝動が生じていた旨などを述べた。

(キ) Bは、平成一六年五月ころ、友人と二人で他高校のサッカー部のマネージャーになったが、同校の生徒と二人でカラオケに行って怖い目に遭ったことから、同年六月ころ、マネージャーを辞めた。

(ク) Bは、約三週間の休学後、平成一六年六月一七日に登校したが、知的障害がある男子生徒にからかわれて耐えきれずに帰宅した。一審原告とBが進路について話し合った際、Bは、高校は卒業したい、働けるようになりたい、①女優、②保育園の先生、③子供服の販売(の職に就きたい)と述べた。

(ケ) Bは、平成一六年六月下旬ころの未明、自転車で外出してi中学の友人の少女らと三人で小学校にたむろし、警察官に帰宅するよう説諭されたが、帰宅せずにコンビニエンスストアでたむろしていた。これを知った一審原告は、その後、寝室に鍵をかけてBと一緒に就寝するようにした。

しかし、Bは、その後も、平成一六年七月八日ころまで、眠れないときに深夜徘徊し、日中も非行歴のある生徒と会うなどしていた。Bは、同年九月四日、A12医師に対し、上記時期の深夜徘徊について、確信犯のときもあったし、フラフラと出て行っているときもあり、母への反発が強かった、タバコ、酒、シンナーは断っていた、万引きは一回やりかけたが止めた、自転車は一回乗り捨てた、友人とテレクラに電話して男性を呼び出したが、けんかになって逃げ、不良グループに助けてもらった、自宅にある物全てを壊して母を殴って家を出ようと思っていたができなかった、立ち直れたのは児童劇団のおかげである旨などと述べた。

また、平成一六年の夏、Bは、同年八月半ばころまで、不良交友を止める一審原告とけんかを繰り返していた。

(コ) 平成一六年七月二二日、Bは、A12医師に、二学期の最初から学校に行きたい旨や、登校すると同級生から休む理由を問われ、理解されなくて辛い、交流がなく一人でポツンとしているのも辛い旨などを述べた。また、他中学の男子生徒がBに「外人」などと言ってきた際、キレてその生徒の胸倉を掴むなどして、同校の教諭が仲裁に入ったことがあったと述べた。このころ、Bは、まだ解離はするが、別人格は出てこなくなった。

エ 平成一六年の夏休み、Bは、児童劇団の公演(同年八月一〇日から三回)の稽古に毎日通い、夜更かしはするが不眠もなくなり、児童劇団の先輩と遊びに行くなどした。このころ、Bは、過呼吸の症状の出現も治まってきており、A12医師は、解離は卒業してきた印象を持った。

オ(ア) Bは、平成一六年九月一日から登校し、遅刻をしつつも一日休んだだけで同月一〇日まで登校し続けたが、同月一三日、学校に着いてホームルームに出ただけで「もう無理」と帰宅した。Bは、学校は「一人浮いてしまう」と感じていた。

(イ) Bは、平成一六年九月一四日深夜、薬物性の意識障害(せん妄)により、n医療センターに救急車で搬送され、経過観察目的で同センターに入院したが、朝には通常に戻ったため、翌一五日に退院した。

(ウ) Bは、平成一六年九月二〇日夜から同月二一日朝にかけて、友人の少女と二人で庄内緑地公園に徹夜で遊びに行き、警察官に保護された。二人は、いわゆる「メル友」である二十代男性を呼び出して、親戚だと偽って身元を引き受けてもらい、その男性のところで仮眠した。その日の出来事につき、Bは、一審原告にはメールで連絡を入れたが、今一つ記憶がはっきりしないところがあると述べた。

(エ) Bは、薬を服用し忘れた平成一六年九月二一日夜、目が半開きで応答せず、過呼吸になり、救急車でp病院に搬送された。同院で意識を回復したBは大泣きしたが、その後、そのことを覚えていなかった。A12医師は、このときのBの症状について、せん妄と解離の合併を疑った。また、Bは、同月二八日夜、過呼吸になり泣き暴れ、自分をたたいたり腕をかもうとするなどし、「登校したいが行けないのが苦しい。」と言い、頭をかきむしって突然入眠すると、五分後に目覚めた。Bは、暴れていた間のことは覚えていなかった。

A12医師は、「メル友」宅に泊まったのは、実際に怖い思いをしなくてもBにとって非常に大きな侵襲であり、日常生活の中での再演は好ましくないと判断した。

(オ) Bは、平成一六年一〇月一日、解離して「ユキちゃん」になり、片思いしている児童劇団の先輩と一緒に居られるのがあと五か月しかないと言って泣いた。Bは、同月中は、文化祭や修学旅行の話合いに誘われて参加し、全体的に楽しそうであった。そして、Bは、一審原告に、児童劇団やj中学で友人と通じあえた、学校は普通にいれば良いと思えるようになったなどの話をしたり、「c中のことは過去のことになっている。」と述べたりした。

(カ) しかし、Bは、平成一六年一〇月二五日、失声状態になり、一審原告に、筆談で、欠席のところに「いつもの奴」と書かれたことが辛かった旨や、児童劇団も無理して行っていたのでもう無理である旨告げた。また、Bは、一審原告に、体育大会の時に「行事の時は来れるんだね。」と言われてひどくショックを受けた旨や、同月二二日、男子生徒がいじめられており、j中学にもいじめがあると衝撃を受けた旨などを告げた。なお、同月二五日の失声状態は翌日に正常に戻り、同月二八日の失声状態は約三〇分で正常に戻った。

(キ) Bは、平成一六年一一月一日、就寝前にカッターナイフを取り出してリストカットをしようとし、「もう死んでやる。」と言って暴れたが、その後は、修学旅行に参加したほか、保健室に行くなどしながらも登校できる日も多く、同級生らとの関係も良好であった。この間、Bは、一審原告に注意されたときに一度解離したことがあったが、このときは修学旅行に関する話をした。

カ(ア) 平成一七年に入り、Bは、A12医師に対し、勉強をがんばっている旨や、インターネットのチャットを始めた旨、c中のことは今は怒っていない、学校に行けないことも、ハーフであることも、自分の経験値で良いことと前向きに考えていると述べた。

(イ) Bは、j中学の男子生徒宅における複数での「お泊まり会」に誘われ、平成一七年二月一一日、これに参加した。ところが、「お泊まり会」にはBの同級生の女子生徒が好意を寄せている男子生徒も参加していたところ、当該男子生徒はBに好意を寄せており、当日、Bと徹夜で話をしたことから、翌日、これを知った上記女子生徒がBに対して激怒した。そして、上記女子生徒は、教室で教卓に乗って、Bは不登校で一人でバスにも乗れないのに友人宅に泊まって男子生徒と寝たと大騒ぎし、友人なのになぜ私が好きな男子生徒にそんなことをするのとBを責め、電車内でも誰彼かまわずつかまえて大声で上記と同様のことを言った。また、j中学でBが保健室にいると、上記女子生徒が保健室にまで来てけんかになり、担任の教諭がどちらにも言い分があるから互いに謝るよう指導したのに対し、Bは、自分は悪くないとして非常に怒った。一審原告は、担任の教諭に電話をかけたが、上記指導は変わらなかったため、担任の教諭に、上記女子生徒が援助交際や様々な場所での性行為の話を学校でしている旨など記載したメールを送った。

Bは、上記のトラブルが原因でj中学に登校できなくなり、三学期のその後は休み続けた。

(ウ) Bは、平成一七年三月、高校生になったらアルバイトをしたいと希望して、飲食店のアルバイトの面接を受けて採用された。なお、同月一〇日までの一か月間は、過呼吸、フラッシュバック及び解離は起きなかった。

(エ) また、このころ、Bのメールアドレスがいわゆる出会い系サイトに流され、変なメールが大量に送られてくるようになり、Bはメールアドレスを変えて対処した。

(オ) Bは、平成一七年四月一日から飲食店のアルバイトに通い、張り切って行っていたが、客から、Bのニキビについて、「そんな汚い顔して食べ物屋さんにいるの?」と言われ、同月九日の夜、自分がどこにいるのかわからないと一審原告に電話で助けを求め、駆けつけた一審原告に、何があったか記憶にない、人が恐くて電車に乗れないなどと訴え、同日限りでアルバイトを辞めた。

(6)  平成一七年四月から平成一八年三月まで(k高校一年に在学していた時期)

ア Bは、平成一七年四月一日、k高校へ進学した。

Bの出席日数等は、一年一学期が授業日数七一日のうち欠席が四日、遅刻が九回、早退が二回、二学期が授業日数七五日のうち、欠席が二六日、遅刻が二〇回、早退が一回、三学期が授業日数五〇日のうち、欠席が一二日、遅刻が二二回、早退が二回であった。

イ(ア) Bは、平成一七年四月から同年五月にかけて「A21ちゃん」と付き合ったがやめて、次に「A22ちゃん」と付き合ったが、一審原告の反対もあって別れた。

(イ) Bは、平成一七年六月一七日、苦手にしている生徒が後ろの席になり、その生徒がBに対してではないが「むかつく」、「キモイ」などと発言したことに傷ついた。席替えや上記生徒の歩み寄りがありBの気持ちは楽になったが、試験期間中の同月二九日午前二時ないし三時ころ、Bは、一審原告に対し、「c中の時のいじめが、登校したら、幻覚で出てくる。いじめグループが取り囲んで来る。机が廊下に出されている。はっと我に返れた。試験中もいじめグループが、『まだ生きてたのか』と言ってくる。今まで大丈夫と思っていたのに。」などと泣いて述べた。

しかし、Bは、五人くらいのグループもでき、同年六月中は全般的には楽しく過ごしており、上記のとおり、一学期は概ね登校できていた。

ウ(ア) 平成一七年七月、Bは、同年八月の公演に向けて、児童劇団の練習に毎日参加していたが、Bに役を取られたと感じていた劇団員二名がホームページにBの悪口を掲載し、これに気付いたBが抗議したところ、両名とも自分たちの行為を認めたが、この出来事がきっかけで児童劇団の仲間関係がぎくしゃくし、同年七月末ころからBが仲間はずれ気味になり、特に仲の良かった子からきつい言葉を言われたことがあった。

(イ) 平成一七年八月三日、A12医師は、Bにつき、社会との間での安心感が回復していると判断した。

(ウ) 名古屋地方裁判所は、平成一七年八月五日、別件訴訟について、一審原告に対する解雇の意思表示は無効であるとして、一審原告の請求の一部を認容する判決をした。これに対し、一審原告と一審被告学園の双方が控訴した。

(エ) Bは、平成一七年夏、女優を目指して複数のプロダクションのオーディションを受けたが、二学期に入ってから、いずれも最終面接で不合格となった。しかし、モデル事務所の面接には合格した。

(オ) 平成一七年八月二七日、一審原告がメニエールで倒れ、Bは不安で眠れないことがあった。

エ(ア) Bは、二学期に入ると、授業中にウトウトして教諭から特別に注意されたり、また、同級生と席を替わったことについて教諭に質問されて、Bがその生徒に頼まれたからと答えたところ、その生徒は教諭の質問に知らないと答えたため、教諭から不信感を持たれたりしたこと等から、登校できる日が少なくなり、欠席することが多くなった。

(イ) 平成一七年一〇月初め、Bは、同年二月にBについて大騒ぎをした女子生徒が、昔のことを蒸し返し、あることないこと言うと、泣きながら一審原告に電話をかけた。そして、Bは、上記女子生徒のことを教務主任に相談したところ、教務主任は、上記女子生徒の援助交際等については証拠がないから指導できないと言い、Bに対しては、「単位の決まりがあるからがんばるしかない」と言ったため、Bは、「わかってくれない。」、「もういい。」とその場を退席した。一審原告は、教務主任に電話して、Bの心情を解説したが、理解してもらえなかったことから激怒した。一審原告は、A12医師に対し、Bの状態は昔よりずっと良いが、一学期よりかなりひどいと話した。

(ウ) Bは、平成一七年一〇月二四日の夜、学校が怖いと泣き、同月二六日、k高校の保健室前で意識を失い、救急車で加茂病院に搬送された。この件について、同校の保健室に勤務しているA23作成の報告書には、「本校編入当初は、保健室へ来室することが多かったが、高校に入ってから、調子良く学校に登校していた。しかし、二学期になって対人トラブルや、単位取得の問題でストレスを感じ、欠席・遅刻をする事が多くなってきた。昨日(10/25)も保健室へ来室時、『朝が起きられない。学校へ行こうとすると怖くなる。本当に二年生へ上がれるか心配。』と訴えていた。」と記載されている。

(エ) Bは、同年一一月、夏に仲違いした児童劇団の友人とは仲直りしたが、しばしば、一審原告に対し、c中のころのことがフラッシュバックする旨や、Y1学園のことが頭に浮かんで来るのが止まらないので教室に入るのもいるのも怖いなどと訴えた。そして、同年一二月、Bは、全体に暗い表情で反応が非常に鈍く、「楽になりたい。」などとよく言うようになった。

(オ) 同年一一月初旬、k高校の同級生等が、保健室前で倒れてから登校していないBに対し、励ましの写真及び手紙を届けた。Bは、これに対する返事の手紙に、「学校では平気なフリをしていても、実際ツライのが現状です。」等、学校や教室に対する恐怖心がある旨記載した。また、Bは、二学期の終わりころ、作文に、上記手紙等が本当に嬉しく、学校を辞めようかと考えていたが、上記手紙や写真を見て学校に残ろうと思った旨やずっと今のクラスでいたい旨記載した。

Bは、平成一七年一二月下旬ころ、児童劇団のクリスマス会の会場付近でc中学の教諭を見かけて、「どうしよう。c中がいる。」と言ってその場を離れて一審原告に電話をかけたが、クリスマス会の劇は最後まで演じた。

オ(ア) Bは、A12医師の異動に伴い、平成一八年一月三〇日から同年八月まで、q病院の精神科、親子心療を、一審原告とともに来院し、あるいは一審原告が来院又は電話でBの様子を伝える形で受診した。

(イ) Bは、三学期に入ると、登校できる日が増え、解離やフラッシュバックも見られなくなり、女性五人でバンドを結成した。また、Bは、アルバイトにも積極的で、モデルのほかにもティッシュ配り等のアルバイトをした。

(ウ) しかし、Bは、二年生に進級できるかどうかギリギリの状態であり、担任と話し合い、寝ていても良いからということで教室に入るよう努力していたが、教諭の一人から、「寝ているようでは単位は出せない」と言われて不調になり、平成一八年二月一五日、上記教諭の教室に入ろうとして意識を消失したことがあった。

(エ) 平成一八年二月、Bは夜に解離を時々起こしたり、一審原告に教室に入るのが怖い、昔のことを思い出して辛くなると述べるなどしていた一方で、j中学でトラブルとなった女子生徒のブログを荒らしたりしていた。また、Bは、A12医師に対し、「わがまま聞いてくれる子が好き。でも、だから、彼氏が続かない。」と言った。

(オ) Bは、一審原告のk高校に対する強い働きかけ等もあって二年生に進級できることになったが、一審原告は、Bの症状について同校の教諭らの理解を得るため、A12医師に診断書の作成を依頼した。A12医師は、平成一八年三月二九日、傷病名を「外傷後ストレス障害」、付記欄に、「学校場面での対人関係に関連する恐怖心が、強く残存しており、重い解離症状が生じることも多く、しかも、その結果が疾病利得的ではなく、本人の意志に沿わない結果につながることが明らかな場合にも生じてしまいます。即ち、本人にとって不利益で日常生活を困難にする『解離性障害』の状態が合併しています。」などと記載した診断書を作成した。

(カ) 名古屋高等裁判所は、平成一八年三月一六日、別件訴訟につき、一審原告が控訴審で追加した平成一七年度の年末一時金等の支払請求を認容し、一審原告及び一審被告学園の控訴をいずれも棄却する判決を言い渡した(名古屋高等裁判所平成一七年(ネ)第八〇六号地位確認請求各控訴事件)。その後、上記判決は確定した。

(7)  平成一八年四月から本件自死まで(k高校二年に在学していた時期)

ア 平成一八年四月、Bはk高校二年生に進級した。

Bの出席日数等は、二年一学期は、授業日数七二日のうち、欠席が四〇日、遅刻が一三回、早退が二回であった。

イ(ア) A12医師の前記平成一八年三月二九日付け診断書等により、Bの病状に対するk高校の教諭の理解が深まり、学校側もBの卒業を目指してサポートすることになり、①Bが教室に入ろうとして意識を消失した英語教諭はBの授業を担当しない、②Bとトラブルを起こした女子生徒はBと同じクラスにしないことになったが、そのためBは実力よりも上の英語クラスの授業を受けることになり、がんばって勉強したが息切れぎみであり、さらに、当該英語クラスの教諭の口癖が「こんな簡単なことは分かるよな。」であったため、Bはそれを言われるたびに落ち込む状況であった。

(イ) 平成一八年四月から五月上旬にかけて、Bは、インターネットで知り合ったビジュアル系バンドのファンと実際に集まったが、その後、参加者の一人が、上記集まりについてブログに「ヘボかった」と記載したことからインターネット上で紛糾し、Bのところに、謝るその参加者と怒るほかのメンバーの双方から電話がかかってくる騒ぎになったり、Bが結成の段取りをしたバンドが、皆バラバラで一度も練習することなく解散し、Bが落ち込んだことがあった。なお、Bは、コンサートのチケットや服を買うお金を得るために、週三日、一七時三〇分から二二時までコンビニエンスストアのアルバイトを始めた。このころ、Bに派手なフラッシュバックはなくなった。

(ウ) Bは、平成一八年五月末ころから登校できず、学校が辛くて嫌だし、勉強に向いていないと思うし、働いてお金を貯めて東京に出たい、高卒認定試験で資格は取るのでとにかく学校を辞めたいと述べるようになった。しかし、一審原告は、学校を簡単に辞めるのは不安との意見であった。なお、このころ、Bに夜中の解離やフラッシュバックはなくなった。

(エ) Bは、同年六月一四日、A12医師に対し、高卒の資格がないと不安なので一一月に高卒認定が取れるまでk高校に在籍したいこと、不眠はあるが解離は全然生じないこと、辞めると決めて追い詰められた気分でなく休めるようになったことを述べるとともに、「f高(k高校)は八方美人。面と向かって言うことと、陰で言うことが全然違う子が沢山いる。」と激しい口調で言い、さらに、「信じた方が負け。裏切られるもん。」、「f高でもグループが変動するたびに、寄ってきたり、別の所に行って悪口言ったりする。」などと述べた。また、Bは、予期不安が強いながらもモデルの仕事は順調であり、コンビニエンスストアのレジ打ちの仕事も慣れて平気になったと述べた。

(オ) Bは、平成一八年六月二九日(木曜日)の朝、「辛い、誰か助けて、皆大好きだよ」と紙に記載した上、大量服薬とリストカット(浅いのが多数)をした。Bは、A12医師に対し、落ち込んで辛かった、Y1学園を連想すると述べた。A12医師は、近医に「過労で入院」するのが従来は多かったが、近年はその形は困難であるため、自宅療養が適切と判断した。

(カ) Bは、翌三〇日の夕刻から活気が戻り、同年七月一日及び同月二日は東京に行って友人と遊んだが、同月三日の未明、リストカットをした。Bは、A12医師に対し、児童劇団の夏の配役は期待はずれだったが何とか切替えはできた、モデルはプレッシャーが強くてもう嫌だ、ショップ99でバイトして貯金して東京でA13ちゃんと暮らすなどと述べた。

(キ) 一審原告は、上記同日、Bをt病院に入院させようとしたが、同病院のA16医師(以下「A16医師」という。)から、Bの入院に一審原告が付き添うことはできないと言われたため、Bをすぐに同病院から退院させた。A16医師は、一審原告に対し、母子分離することも治療上必要であると説得したが、一審原告は納得しなかった。

A12医師がA16医師宛に作成した診療情報提供書には、「(前略)c中学に進学。ここでイジメに遭いますが、母が勤務されていたことで、却って学校側の対応が悪く(この間のことが今も侵入的に想起されたり、類似点のある状況になると、この時の辛い情緒が出てきて過剰に辛くなるようです)、(中略)j中学に編入。以後は、比較的サポーティブな環境の中で適応が改善しつつありました。しかし、その中でも友人関係でぶつかって陰性感情を向けられると反応してしまい、非常に大きく傷つきます。また、昨年度末には先生方の中で足並みが揃わずに敢えて厳しい対応を取る先生も居ると、やはり不安が強くなって登校困難になり、最近では出席を増やすための配慮を受けて顔を出しに行くだけでも困難になっています。全体に、意に添わぬ事を「させられる」印象になると耐え難いようです。母によると、本人も自分の気持ちの流れを批判的に捉えており、それで自己評価が下がるのではないかと言っておられました。(中略)高校入学後はバイトにも挑戦し、合わずに辞める事は有ってもまた次のバイト先を見つけて適応、モデルの事務所にも所属して高く評価される、等と学校以外でのperformanceは悪くありません。(中略)母はPtへの気持ちは大いにある方なのですが、混乱・動揺しやすい面もあり、Ptへ安心感を供給する、葛藤を受け止めて消化する等の力は不十分かも知れません。今回は、登校が負担になって辛くなっていたところに、児童劇団の配役も期待はずれで、本人としては受け入れたつもりが、自己評価は低下してしまった様子です。(後略)」と記載されていた(なお、「Pt」とはBを指す。)。

(ク) 一審原告は、Bを一人にしないため、一緒にA3宅に泊まったり、A3に一審原告宅に来てもらったりしていたが、平成一八年七月五日未明、Bは、外をぼうっと見ながらベランダにいたのをA3に発見された。

Bは、同月八日及び同月九日の週末は自宅に友人らが来て楽しく過ごしたが、同夜、「お前なんか幸せになれるはずない。」との言葉が聞こえた。Bは、同月一〇日、大量服薬をし、その後、みんなに心配をかけるのが辛いと言って、自ら入院を希望した。

そこで、一審原告は、Bを入院させることとし、Bは、同月一二日、自殺防止目的でq病院に医療保護入院した。入院に際し、Bは、同年八月に行われる児童劇団の公演に出演したいから、その練習に参加するため、夏休みまでに退院したいと強く希望した。Bは、入院中、特に大きな問題もなかったため、予定どおり同月一九日に退院した。

ウ(ア) Bは、平成一八年七月二一日、k高校の友人と遊びに行って意識を消失したが、一審原告は、Bからこの報告を受けて、Bが友人を試したものであろうと感じた。Bは、翌二二日、一審原告に対し、好意を抱いていた男子生徒に告白したが断られた、しかし、気遣いは十分にあり、傷ついていないなどと述べた。

Bは、同月二二日から児童劇団の練習に参加したが、皆と一緒に居られない状態であり、児童劇団の指導者から暖かい言葉をかけられるなどしたが、一審原告に対し、公演が終わったら電車に飛び込んで死のうと思っていたなどと話した。

(イ) Bは、平成一八年八月一一日から一三日までの夏の公演終了後、児童劇団の打ち上げの席上、劇団員に対し、来年に備えて連絡を密に取ろうと提案したが、女子劇団員から冷淡な態度を取られたため、いつもBだけが話をしていて女子劇団員達は冷淡でとても悲しいと、落ち込んだ様子を見せた。一審原告が、他の子達にも都合があるんだと思うよ、と声をかけると、Bは、「そんな事を聞きたいんじゃない。気持ちをありのままに聞いて欲しい。」などと述べた。また、一審原告が、Bに対して、「気持ちを分かってよ。」などと言うと、Bが「ママだって分かってよ。」と怒りながら言い返し、会話が止まってしまったことがあった。

(ウ) 一審原告は、平成一八年八月一七日、同日から同月一九日までの予定で、緑内障の検査のため、岐阜大学医学部附属病院に入院した。当初、同月一七日及び翌一八日は、Bの友人が一審原告宅に泊まりに来てBと一緒に過ごす予定であったが、友人が来られなくなってしまったため、Bは、同月一七日の夜は一人で過ごすこととなった。同日の夕方、Bの友人が来られなくなってしまったことを知った一審原告は、一審原告入院中、A3にBと一緒に居てもらおうとしたが、Bは、A3が居なくても大丈夫であると述べた。一審原告は、同日の夜にも再度A3に一審原告宅に行ってもらおうかとBに提案したが、Bは、一人で大丈夫だと述べ、カナダに語学留学に行かせて欲しいなどと述べた。そのため、一審原告は、Bを一人にしても心配ないと考え、A3をBに付き添わせなかった。Bは、同日の夜、一人で一審原告宅で過ごした。

(エ) Bは、「まま大好きだよ。みんな大好きだよ。愛してる。でもね、もうつかれたの。Bの最後のわがままきいてね。こんなやつと友ダチでいてくれてありがとう。本当にみんな愛してるよ。でも、くるしいよ。」という遺書を残し、平成一八年八月一八日未明、一審原告宅のあるマンションの八階から投身して死亡した(本件自死)。

(オ) 平成一八年当時、Bに対し、継続的に抗うつ剤であるデプロメール錠等が処方されていたが、デプロメール錠は、自殺念慮、自殺企図があらわれることがあるので、自殺念慮又は自殺企図の既往のある患者には慎重に投与し、家族等に自殺念慮や自殺企図等の行動の変化及び基礎疾患悪化があらわれるリスク等について十分説明を行い、医師と緊密に連絡を取り合うよう指導することとされている。

(8)  本件自死後

ア A12医師は、一審原告について、平成一九年五月一八日、死別による悲嘆反応及び不眠症により通院中で、抑うつ状態が強くなっており、職務量の大幅な軽減が必要である旨診断し、その後、平成二〇年三月一二日、適応障害(悲嘆反応)及び不眠症と診断し、平成二一年三月三日、重度悲嘆により就労には十分な配慮や調整が必要である旨診断した。

イ(ア) 一審原告は、平成一九年八月一三日、Fと面談し、Bに対するいじめについて質問し、その会話を録音した。一審原告は、本件生徒らがBに対していじめを行っていたことを当然の前提とした上で、泣きながらBの苦しみを訴えたり、診断書や葬儀の写真を見せたりしながら、Bに対するいじめや一審被告Y4の対応について質問した。

(イ) 一審原告は、平成二〇年二月二六日から二八日までの間に、F、C及びGとそれぞれ個別に電話での会話や面談をし、その会話を録音した。一審原告は、本件生徒らがBに対していじめを行っていたことを当然の前提とした上で、「嘘をついたら、私、許さないと思う。」、「思い出して。思い出すまで帰さん。」、「ごまかすなぁ!」、「あんた、そういう子か?よう分かるわ、そんなら。そういう子に殺されちゃったんやなと、理解するわ、あなたがそうやってシラ切ろうとするなら。」などと発言したり、Bの葬儀の写真を見せるなどしたりして、Bに対するいじめや一審被告Y4の対応について質問したりした。

ウ(ア) また、一審原告は、平成二〇年二月二六日、一審原告の姉とともにc中高校に出向いて、一審被告Y3と面談した。一審原告は、一審被告Y3に対し、Bの葬儀の際の写真等を見せた上、Bがc中学から転出し、その後自死したのはc中学での本件六名によるいじめが原因ではないかと述べた。これに対し、一審被告Y3は、Bがいじめで転学したとは知らなかったし、転学時には、書類に判を押しただけで、いじめの報告など一切あがっていなかったと述べた。

(イ) 一審原告は、平成二〇年三月三一日、A3とともにc中高校に出向いて、一審被告Y3及びA10と面談した。一審被告Y3及びA10は、Bに対するいじめはなかったと認識している旨述べたため、一審原告は激昂した。

(ウ) 一審原告は、平成二〇年五月二〇日、c中高校に出向いて、一審被告Y3、同Y4及びA10と面談し、その会話を録音した。上記三名は、本件六名の行為をいじめとは認識していない旨述べた。

(エ) その後、一審原告は、一審被告Y2との面談を求めたが、拒否された。

エ(ア) 一審被告Y4は、うつ病となり、平成二二年五月一日から休職した。

(イ) 一審原告は、平成二一年八月一一日、名古屋地方裁判所に対し、一審被告らのほか、本件生徒ら及びその親を被告として、本件訴えを提起したが、本件生徒ら及び本件生徒らの親に対する訴えについては、平成二二年一一月五日成立の訴訟上の和解等によって終了した。

二  争点(1)(本件生徒らがBに対して行った行為)について

(1)  前記一で認定した事実によれば、Bは、平成一四年四月にc中学に入学後、一学期は楽しそうに登校していたが、夏ころ、バトン部で仲間はずれにされたり、制服のスカートを切られたりして、同年九月に退部したこと、そして、二学期に入ると、BとEとの間で、互いに机にチョークの粉を撒き、椅子の上に画鋲を置き合うトラブルがあり、また、C及びGとF及びHが二つのグループに分かれて避け合っていた際、一方のグループ内で言われていた他方のグループの悪口を、Bが双方のグループに筒抜けにしていたということがあり、また、HとFがけんかをしたときも、Bが双方に付いて双方の悪口を言うということがあり、さらに、BがDのバトンを折り曲げる事件などがあったりして、本件六名は、Bを疎ましく思うようになり、本件六名のいずれか又は本件クラスの誰かが、Bに対し、平成一四年一〇月ころから平成一五年三月二〇日までの間に、断続的に次の行為をしたことが認められる。

① Bを避けたり、仲間はずれにしたり、無視(シカト)したりした。

② 教室のロッカーの近くに集まるなどして、Bについて、「ウザイ」、「キモイ」、「死ね。」、「天然パーマ」、「(眉毛が)太すぎなんだよ。」、「油ういとるけど。」、「毛が濃い。」、「汗臭い。」などと言った。

③ Bの教科書やノートに、「ウザイ」、「キモイ」、「死ね」などと書いたり、机にチョークで「死ね」と書いたりした。

④ Bの机の下にわざとごみを集めた。

⑤ Bの教科書等を隠したり、Bの机だけを教室の外に出すなどした。

⑥ 黒板にBに見立てた顔を描いて、それに向かってスリッパを投げつけた。

⑦ 三学期、Bが自分のロッカー内に貼っていたA2ポスターを破った。

⑧ 平成一五年三月一一日ころ、靴箱に入れてあったBの靴の中に多数の画鋲を入れてテープで貼り、靴を靴箱に接着剤様のもので貼り付けた。

⑨ 「終了式」のあった平成一五年三月二〇日、Bが登校したところ、「汗臭いから空気の入れ換えをする。」などと言い、教室の窓を開けた。

(2)  いじめとは、一定の人間関係のある者から、心理的・物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているものと定義されているところ、Bがc中学に在学していた平成一四年度当時の文部科学省の「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」において、いじめは、「自分より弱い者に対して一方的に、身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わない。」と定義されていた。

そして、上記①ないし⑨の各行為には、個々の行為だけを見ればいたずらの範疇にとどまると評価しうるものも含まれていること及びB自身も「キモイ」、「ウザイ」、「死ね」などの言葉を簡単に使っているように、これらの言葉は中学生が極めて安易に使用しがちな言葉であることを考慮しても、本件のように、複数の者がそれぞれのグループを形成し、Bに対し、他のグループも嫌がらせ行為をしていることを知りながら、様々な種類の嫌がらせ行為を断続的にではあるが長期間にわたって行い、これによりBが深刻な苦痛を感じていたものであるから、平成一四年度当時の文部科学省の上記調査におけるいじめの定義に照らしても、平成一四年一〇月ころ以降の上記①ないし⑨の各行為は、Bに対するいじめであって違法性を有するものと認められる(以下、上記①ないし⑨の各行為を併せて「本件いじめ」ともいう。)。

(3)ア  一審被告らは、Bに対するいじめはなかったとして、本件クラスでは、些細な感情のすれ違いから生徒間で対立したり、Bも含めた生徒らが、互いに「ウザイ」、「キモイ」、「死ね。」といった悪口を言い合ったり、いたずらをする等の出来事はあったが、上記①ないし⑨の各行為、バトン部での仲間はずれ及びBのスカートが切られたこと等の事実はいずれもなかったし、Bも含めた生徒らが、互いに「ウザイ」、「キモイ」、「死ね。」といった悪口を言い合ったり、いたずらをする等の出来事は、特定の生徒に対するいじめと評価すべきものではない旨主張し、本件生徒らの供述や教諭等の供述中にはこれに沿う部分がある。

イ  しかしながら、平成一五年九月一八日に行われた一審原告とC及びJとの電話での各会話の中で、C及びJが、Bに対する一部の嫌がらせ行為があったこと自体は認めていることや、前記一認定のとおり、一審原告が、平成一四年一〇月一八日及び同年一一月一日、一審被告Y2や同Y4に対し、Bが本件六名から仲間はずれにされる等のいじめを受けているとして、その対応を依頼し、その後、平成一五年一月及び同年三月にも、Bの靴に画鋲が入れられたこと、ロッカーの中から物がなくなったこと、ポスターが破られたことなどを告げて一審被告Y4にいじめに対する対応を求めていたこと(一審被告Y4は、平成一五年五月ころ、Bに対する「いじめ」があったことを認める内容の本件手紙を作成し、また、平成一六年二月二〇日及び同年三月二八日の一審原告との電話の際にも、Bの靴に画鋲が入れられたこと、ロッカーの中から物がなくなったこと、ポスターが破られたことなどを認識している内容の発言をしている。)、その後、Bが、平成一五年三月末でc中学から転出してi中学に転入したこと並びにi中学転入直後から、Bは、一審原告、友人、教諭、医師等に対し、c中学においていじめを受けた旨を述べていること、これらの事情に照らすと、上記本件生徒ら及び教諭等の供述部分は採用することができない。

したがって、一審被告らの上記主張は採用できない。

なお、一審原告とC、F、G及びJとの各会話の録音のうち、本件自死後のものは、前記一(8)イ認定のとおり、生徒らが自由に発言することが困難な状況下でなされたものであり、一審原告に迎合的な応答をしている部分も多いことなどからすると、直ちに採用することはできないが、平成一五年九月一八日になされたものは、Bがn医療センター心療科に通院する前の時期に行われたものであり、一審原告の質問に知らないなどと回答していることも多いものであるから、Bに対する一部の嫌がらせ行為があったことを認めている部分は、信用することができる。

ウ  また、前述のとおり、Bは、平成一四年一〇月以降も、Cらの求めに応じてプロフィール帳にフレンズデータを書いたり、同人らと一緒に遊びに行ってプリクラ写真を撮ったりし、さらに、i中学転入後の平成一五年五月にJ及びIと一緒に遊んだことが認められるが、BとJ及びIは、平成一四年一〇月の文化祭後から仲良くしていたものであること、本件いじめは、本件六名全員が一緒になって継続的に行っていたものではなく、時によってメンバーを異にする数名が個別に、しかも断続的に行っていたものであり、いじめが行われていた期間内においても、BとCらの仲が比較的良かった時期もあったものと推認されることや、Bとしても、Cらとの人間関係をさらに悪化させないため、表面的に取り繕って付き合っていたことも十分に考えられることを考慮すると、上記各事実はBに対するいじめがあったとの前記認定を覆すものではない。

エ  なお、一審被告らは、落書きされた教科書等や切られたスカート等の客観的証拠がなく、また、Bが交換日記に記載したり解離状態で述べたりした内容は真実とは限らないなどと主張する。

しかしながら、前記一の該当箇所に摘示した各証拠によれば、本件いじめの各事実を認めることができるから、一審被告らの上記主張は採用できない。

オ  一審原告は、本件生徒らがBに対し、「反吐が出る。」と言った旨主張し、証拠<省略>によれば、Bは、平成一六年三月一一日、解離した状態で、「反吐が出るって言われた。」と述べたことから、同月一四日、一審原告が普通の状態のBに対し、上記の件について尋ねたところ、Bが、英語コミュニケーションの時間にクラスの違うJのところに用事があって行ったところ、反吐が出る、来るな、顔を見たくないなどと言われ、それを本件六名のうち四名が笑って見ていたと話したことが認められる。

しかしながら、Bの解離状態における発言やフラッシュバックの内容は、平成一七年六月一七日の幻覚(前記一(6)イ)のように事実と異なる部分があること、反吐が出ると言ったとされるJは、本件いじめが行われていた当時はBと仲が良かったが、Bが、i中学に転校後、同人に裏切られたとして憎しみを持つようになった人物であるから、c中学時代に上記のような発言をしたと認定するのは躊躇されることからすると、一審原告の上記主張は採用することができない。

また、一審原告は、本件生徒らは、授業中に「今日もうざいんだけど。」などと、席の離れた者同士でわざとBに聞こえるように会話した旨主張するが、これを認めるに足りる的確な証拠はない(なお、授業中のBの発言が長時間に及んで授業が中断されているときに、これに抗議する旨の発言をすることはいじめには当たらない。)。

なお、一審原告は、本件いじめ以外にも種々のいじめが行われた旨主張するが、いずれもこれを認めるに足りる的確な証拠はない。

三  争点(2)(Bの解離性同一性障害発症及び本件自死に対する一審被告らの責任)のうち、Bに対するいじめ及びこれが放置されたことによりBが解離性同一性障害を発症したかについて

(1)  前記一で認定した事実及び証拠<省略>によれば、Bは、遅くとも平成一六年二月一六日以降、解離性同一性障害の診断基準として一般的である、「DSM―Ⅳ―TR」の基準を満たす解離性同一性障害の状態にあったこと、そして、解離性同一性障害発症の要因としては、一般的に、①被催眠性(生物学的素因)、②幼児期の外傷的出来事、③交代人格という型を形成する外的影響や個体側の基盤、④刺激を防御し、それを癒すような経験を身近な他者から与えられなかったことが挙げられているが、発症の要因となるストレスについては、上記②の幼少期の外傷的出来事に加えて、親子、職場、学校等における人間関係の慢性的ストレス(関係性ストレス)も発症の要因となるとの説もあること、また、解離性同一性障害発症の機序としては、一般的に、催眠傾向を持つ個人が、幼少期に外傷性ストレス(性的、身体的、精神的虐待等)を受けることにより、主人格に代わってその辛い記憶を分担する交代人格の核ないし芽が形成され、その核ないし芽が外傷性ストレスが積み重ねられることによって解離性同一性障害を発症させると考えられていることが認められる。

(2) 前記一認定のとおり、①Bは、一審原告に対し、二、三歳のときから、「You are hurting my feelings.」等の抗議をしていたことから、一審原告との関係でストレスを感じていたものと推認されること、②Bは、小学校一年生時、大人の男性からプールの脱衣所でいたずらを受けたことがあったこと、③Bは、小学校四年生時にb1小学校に転入後、同級生らから「外人」、「ハーフで雑種」と言われたり、自宅の玄関に「バカ」と書かれたり、玄関ドアの鍵穴にいたずらされたり、ランドセルに「バカ」、「死ね」などと書かれたりするいじめに遭い、一審原告に対し、「自分の顔が嫌い。」、「何でハーフに産んだ。」とよく言っていたこと、④Bは、平成一四年四月にc中学入学後、同年夏にバトン部で仲間はずれにされたり、同年一〇月ころ以降、本件クラスにおいていじめを受けるようになったこと、⑤Bは、一審原告にいじめについて訴え、一審原告が、一審被告Y4及び同Y2にBに対するいじめを連絡して対応を求めたが、一審被告Y4及び同Y2は何らの対策も取らなかったこと、⑥そして、三学期に入ると、Bに対するいじめは激しさを増し、Bは、一審原告を通じて、また、平成一五年三月一一日に靴に画鋲を入れられるなどした際には、直接、一審被告Y4にいじめの事実を報告して対応を求めたが、一審被告Y4は対策らしい対策を何も取らず、そのためBは本件いじめに耐えられなくなってc中学からの転出を決断し、同月末をもって転出したこと、⑦しかし、転出後も、本件クラスの男子生徒によりBの携帯電話や一審原告宅に無言電話が繰り返されたこと、⑧Bは、同年五月以降、しばしば片頭痛を訴えるようになってl内科小児科を受診し、A9医師に対し、中学一年生時にいじめに遭い、それから片頭痛が生じている旨や、c中学時代に離人感覚を感じたことがあった旨を話したこと、⑨同年六月ころから、i中学でBと親しくなり交換日記をしていた友人が不登校になったこと、⑩Bは、同年夏、児童劇団の仲間から、配役についての嫉妬から、「天パー」、「デブ」、「眉毛が濃い」、「キモい」などとからかわれたこと、⑪Bは、同年九月初めから、腹痛、吐き気、パニック障害様の症状や離人症様を示して不登校となり、○○に通うようになったが、このとき、一審原告に対して、「学校に行っても一人だから行きたくなかった。」、「またいじめにあうかもしれないと思うと怖くて教室にいられない。」と話したこと、⑫Bは、○○についても、教師や友人と心からなじむことはできなかったこと、⑬Bは、同年一〇月二二日、n医療センター心療科を受診したが、このとき一審原告は、A11医師に対し、「Bが、いじめられてから学校に行けないと夜泣いて一審原告に訴えるが、B自身は覚えていない」旨話したこと、⑭Bは、同年一一月二九日以降、医師に対し不眠を訴えるようになったこと、⑮Bは、一審原告に対し、フリースクールでは勉強が十分にできず、このままでは高校に進学できないのではないかとの不安を述べて、平成一六年二月一日、j中学に転入したこと、⑯Bは、同月一六日、交代人格を表出させて、今苦しい状態にあること、自分のことが嫌いで、ハーフという違い、人種差別がすごく心にのしかかっていること、Bにプレッシャーをかけているのは周りのもの全てであり、例えば学校、親であること、c中学で辛かったこと、c中学のことを忘れることはできないこと、親に迷惑をかけてしまい、親の思いに応えられないことがプレッシャーになっていること、周囲の人を恐いと思っているが、そうなったのはc中学時代であり、一審被告Y4が助けてくれなかったことで受けた傷は深いこと、プールでいたずらをした教師も良くないこと等を話したこと、⑰一審原告が、一審被告学園から同年三月一七日付けで解雇通知を受ける過程で、Bは、同月二日、七日及び一一日に交代人格を表出させ、本件いじめ以外のことも話したが、本件いじめについては、友人に裏切られたことがすごく辛かった旨話したこと、これらの事実が認められる。

上記事実によれば、Bは、幼児期に、一審原告との関係でストレスを感じたり、大人の男性から性的いたずらをされたことにより交代人格の核ないし芽が形成され、その後、小学生時にハーフなどと言われていじめられたことによるストレスや、本件いじめによるストレスが積み重なってc中学時代に離人感覚が生じ、さらにi中学に転校後も無言電話によるいじめがあったり、児童劇団の仲間から容貌についてからかわれるなどのことがあり、学校に行っても一人ぼっちであることやいじめに対する恐怖心から不登校となり、○○に通うようになってからも教諭や友人と心からなじむことができず、これらのストレスの積み重ねにより平成一六年二月一六日に解離性同一性障害を発症したものと認められる。

そして、Bの解離性同一性障害の発症原因である上記のストレスのうち、その発症時期との近接性、ストレスの重大性等を考慮すると、本件いじめ及び一審被告Y4が本件いじめを放置したことによってBが受けた精神的ストレスがその発症の有力原因であると認められるから、本件いじめ及び本件いじめが放置されたことと、Bが解離性同一性障害を発症したこととの間には、相当因果関係があると認めるのが相当である。

四  争点(2)(Bの解離性同一性障害発症及び本件自死に対する一審被告らの責任)のうち、Bに対するいじめ及びこれが放置されたことによりBが自死に至ったかについて

(1)ア  前記一認定のとおり、Bは、平成一六年二月一六日、交代人格を表出させて解離性同一性障害を発症し、その後も学校に対する恐怖感を訴えるなどしてなかなか登校することができず、また、平成一七年及び平成一八年になっても、c中学時代のいじめがフラッシュバックすると訴えていたことが認められる。

イ  しかしながら、前記一認定事実によれば、Bにつき、次の各事情も認められる。

(ア) Bは、平成一六年四月、j中学三年生に進級したが、新しくできた友人がしがみつくように大量のメールを送信してくることに困惑したり、「そういうこと言う子は友達付き合いできない。」と言われて怒ったり、Bを無視する生徒がいることを意識したり、Bについて同級生があれこれうわさ話をしているのではないかと気にして、しばしば過呼吸状態になったため、同年五月末ころから、「学校恐怖症、外傷後ストレス障害」の診断名で約三週間休学したほか、平成一六年五月ころに他高校のサッカー部のマネージャーになったものの、約一か月後の同年六月、同校の生徒と二人でカラオケに行って怖い目に遭ったことからマネージャーを辞めたり、休学したころから人恋しさのため不良交友に走り、その影響や、不良交友を止める一審原告に対する反発から、同年七月上旬ころまで深夜徘徊を繰り返したり、休学明けの同年六月一七日には、男子生徒にからかわれて耐えきれずに帰宅するなど、j中学においても同級生との関係に悩んだり、学校の外での人間関係からも強いストレスを受けていたこと。

(イ) Bは、平成一六年の夏、他の中学校の男子生徒が「外人」と言ってきたのに激昂してその生徒の胸倉を掴むなどしたことがあったが、同年七月中旬以降は、児童劇団の活動に集中することで精神の安定を幾分取り戻し、過呼吸も治まってきて、A12医師は、解離は卒業してきたとの印象を持ったこと。

(ウ) 二学期が始まると、Bは、(クラスの中で)一人浮いてしまうと感じて学校を欠席することが多くなり、平成一六年九月二八日には、解離を起こして暴れて「登校したいが行けないのが苦しい。」などと述べたり、同年一〇月には、解離して、片思いしている児童劇団の先輩と一緒に居られるのがあと五か月しかないと言って泣いたこともあったが、一審原告に対し、児童劇団やj中学で友人と通じあえた、学校は普通にいれば良いと思えるようになったなどと話して、「c中のことは過去のことになっている。」と述べたこと。

しかし、Bは、同年一〇月下旬、j中学において、欠席のところに「いつもの奴」と書かれたこと、体育大会のときに「行事の時は来れるんだね。」と言われたこと及び男子生徒に対するいじめを見て、j中学でもいじめがあると衝撃を受けたことが契機となって失声状態に陥り、同年一一月一日にはリストカットに及ぶなど、j中学の同級生の発言等から強いストレスを受け、一旦悪化しかかった症状が再び回復に向かったところで、再度症状を悪化させたこと。

(エ) その後、Bは、修学旅行に参加するなど同級生との関係は良好で、登校できる日も多くなり、平成一七年に入ると、A12医師に対し、c中学のことは今は怒っていない、学校に行けないことも、ハーフであることも、自分の経験値で良いことと前向きに考えていると述べたりしたが、同年二月、恋愛感情のもつれから、j中学の女子生徒の一人が、教室や電車内で、Bは不登校で一人でバスにも乗れないのに友人宅に泊まって男子生徒と寝たなどと大声で騒ぎ、保健室までBを追ってきてけんかをするなど深刻な人間関係のあつれきを経験し、さらに、この件について担任の教諭が互いに謝るように指導したことに憤り、これが原因でその後j中学に登校できなくなったほか、Bのメールアドレスがいわゆる出会い系サイトに流され、変なメールが大量に送られてきたことがあって、平成一六年の修学旅行以降回復傾向にあり、c中学のことは怒っていないと述べるまでになった病状は、平成一七年二月の上記女子生徒の言動等による極めて強いストレスによって再度悪化したこと。

(オ) そして、Bは、平成一七年四月にk高校に進学したが、同月、アルバイト先で、客から容貌について中傷されて解離を起こしたこと。しかし、一学期の欠席日数は四日のみで、試験期間中の同年六月一七日に、c中学時代のいじめが元になっている幻覚を見たりしたが、五人くらいのグループもでき、同月中は全般的に楽しく過ごしていたこと。したがって、上記の幻覚は、試験のストレスによるものと推測されること。

また、Bは、同年七月、児童劇団の団員二名がBに役を取られたと感じてホームページにBの悪口を掲載したことから、これに憤り、仲間関係が一時ぎくしゃくしたことがあったものの、同年八月初旬、A12医師は、Bについて、社会との間での安心感が回復していると判断したこと。

(カ) しかし、二学期に入ると、Bは、夏休みに女優を目指して複数のプロダクションのオーディションを受けていたものが、いずれも最終面接で不合格となったり、授業中にウトウトして教諭から注意を受けたり、他の生徒と勝手に席を替わったことで教諭から不信感を持たれたりしたことで、登校できる日が少なくなり、同年一〇月初めには、以前恋愛関係のもつれから関係が悪化した女子生徒が再びBに対する誹謗中傷をしたことから、これを教務主任に相談すると、教務主任が、援助交際等については証拠がないから当該女子生徒を指導することはできない、単位については決まりがあるからがんばるしかないと言ったため、これに憤慨したこと。そして、Bは、同月二六日、二学期になってからの対人トラブルや単位取得の問題でストレスを感じ、二年生に進級できないかもしれないとの不安から、k高校の保健室前で意識を消失して救急搬送されたり、同年一一月には、c中学時代のいじめがフラッシュバックするようになるなど、k高校における教諭との人間関係や上記女子生徒とのあつれき及び二年生への進級問題が極めて強いストレスとなり、Bの病状を悪化させたこと。

(キ) Bは、二学期後半にもらったk高校の同級生の写真や手紙に励まされ、三学期には登校できる日が増え、解離やフラッシュバックは見られなくなっていたが、平成一八年二月は、二年生への進級をめぐる不安から、時々解離を起こし、一審原告に対し、教室に入るのが恐い、昔のことを思い出して辛くなると述べたこと。

(ク) 平成一八年四月、Bは二年生に進級できたが、実力より上の英語クラスの授業を受けて勉強に息切れぎみであり、また、英語クラスの教諭の「こんな簡単なことは分かるよな。」の口癖に落ち込み、さらに、同月から同年五月上旬にかけて、インターネットで知り合った者たちと実際に集まった後、そのメンバー間の紛争に巻き込まれたり、Bが結成の段取りをしたバンドが一度も練習しないまま解散となったりしたことで落ち込み、同月末ころから登校できない状態となって、学校を辞めたいと言うようになり、同年六月一四日ころ、A12医師に対し、学校を辞めると決めて追い詰められた気分でなく休めるようになった、不眠はあるが解離は出ないと述べるとともに、「fは八方美人。面と向かって言うことと、陰で言うことが全然違う子が沢山いる。」などと、k高校の同級生に対する強い不満を口にするなど、二年生に進級した後も、k高校の同級生らとのあつれきや教諭との人間関係及び学校外における人間関係の形成に失敗したことによる強いストレスを受けていたこと。

(ケ) Bは、平成一八年六月二九日、大量服薬とリストカットをして自殺を図ったが、A12医師に対し、落ち込んで辛かった、Y1学園を連想するなどと述べたこと。

Bは、同年七月三日にリストカットをし、A12医師に対し、児童劇団の夏の公演の配役は期待はずれであったが何とか切替えはできた、モデルはプレッシャーが強くてもう嫌だなどと述べたこと。

Bは、同月八日、「お前なんか幸せになれるはずない。」との言葉が聞こえたことから、同月一〇日、大量服薬をして自殺を図ったこと。

そこで、Bは、同月一二日から同月一九日まで、自殺防止目的でq病院に医療保護入院したこと。

(コ) Bは、女優を目指し、児童劇団での活動を心の支えにしていたが、平成一八年夏の公演の配役が期待はずれで失望し、また、上記退院後の同年七月二一日に好意を抱いていた男子生徒に告白したが、気遣いはありながらも断られ、同月二二日からの児童劇団の練習においても皆と一緒に居られないほど精神状態が悪化し、周囲の励ましもあって公演まではがんばったものの、公演後の打ち上げの席上で、劇団員に対し来年に備えて連絡を密に取ろうと提案したのに対し、冷淡な態度を取られて落ち込み、その数日後、「もうつかれた。」などと記載した遺書を残して本件自死に至ったこと。

ウ  上記イの事実によれば、Bは、平成一六年四月からのj中学三年生の一学期、同級生らとの対人関係によるストレスから一時休学したものの、夏休みに児童劇団の活動に集中して、A12医師から、解離は卒業してきたとの印象を持たれたが、二学期に入ると、クラスに友人がいないことから欠席がちになり、登校できないことに苦しんで解離を起こしたものの、その後、児童劇団やj中学の友人と通じあえたとして、「c中のことは過去になっている。」と述べるまでになったが、その直後に、j中学の同級生の発言等に強いストレスを受けて再び症状が悪化したものの、修学旅行に参加してから登校できる日が多くなり、三学期の初めには、再度、「c中のことは今は怒っていない。」と述べたりしたが、平成一七年二月には、恋愛感情のもつれから女子生徒と深刻な人間関係のあつれきを経験したり、担任教諭に対して憤ったりして登校できなくなったものの、k高校に進学した平成一七年四月からの一学期は、五人くらいのグループもできて全般的に楽しく過ごし、欠席日数も四日にすぎず、A12医師も、社会との間での安心感が回復していると判断したが、二学期に入ると、教諭との人間関係や女子生徒とのあつれき及び二年生への進級問題が極めて強いストレスとなって症状を悪化させたものの、同級生の励ましもあって、三学期の初めには回復傾向に戻り、解離やフラッシュバックは見られなくなったが、平成一八年二月になると、進級問題をめぐる不安から時々解離を起こし、昔のことを思い出して辛くなることがあり、同年四月に二年生に進級した後も、同級生らとのあつれきや教諭との人間関係及び学校外での人間関係から強いストレスを受け、同年五月末ころから登校できない状態となって学校を辞めたいと言うまでになり、同年六月一四日ころは不眠はあるが解離は出ない状態であったものの、上記の二年生に進級した後の強いストレスによる抑うつ状態から、同月二九日、同年七月三日及び同月一〇日と自殺未遂を図り、自殺防止の目的で入院したものの、退院後、好意を抱いていた男子生徒に告白したが断られ、児童劇団の夏の公演の配役も期待はずれであったことから自己評価を低くし、さらに、上記公演後、来年に備えて連絡を密に取ろうとの提案に対して劇団員から冷淡な態度を取られたことに落ち込み、その数日後に自死したものと認められる。

そうすると、Bが自死に至ったのは、j中学に転校して同高校に進学後、平成一七年八月までは、大きく見れば症状は回復傾向にあり、そのころにはほぼ回復状態となったが、その後に発生した女子生徒とのあつれきや教諭との人間関係及び進級問題によるストレスで再び悪化し、同級生らの励ましによって回復傾向に戻ったものの、平成一八年四月以降の同級生らとのあつれきや教諭との人間関係及び学校外での人間関係から受けた強いストレスによって抑うつ状態となり、自己評価が低下していたところに、心の支えとなっていた児童劇団の公演が終了し、次の目標が見つけられない虚無感が重なったことが原因であると推認され(更に、抗うつ剤の副作用が影響した可能性も否定できない。)、本件いじめ及びその放置により発症した解離性同一性障害は、本件いじめ終了後三年四か月余り経過した本件自死時点においては、類似点のある状況が出現した場合に、それに過剰に反応させる程度のものにすぎないと認められるから、本件いじめや本件いじめが放置されたことと、本件自死との間に相当因果関係があるとは認められない。

(2)  一審原告は、c中学転出後のBには、本件いじめの体験に起因するもの以外のトラブルはなく、本件いじめ及びその放置が、Bが自死した原因である旨主張し、一審原告の供述、A12医師作成の診断書、診療録、意見書、同医師の供述等中にはこれに沿う部分がある。

しかしながら、Bが、平成一六年二月一六日に解離性同一性障害を発症した当時、本件いじめ及び本件いじめが放置されたことの影響により、周囲の者への信頼感が持ちにくい状態であったことや、その後も比較的長期にわたって学校に対する恐怖感を持ち続け、登校することや、登校できないことがBのストレスの一つとなっていたことを考慮しても、前記一認定のとおり、Bは、その後、一審原告、医師ら、j中学転入後の学校関係者や生徒及び児童劇団の関係者等の支援により、遅くとも平成一七年八月までには周囲の者への信頼感を持てるようになっていたことや、上記(1)イのとおり、Bが、恋愛感情のもつれに起因するトラブル、インターネットで知り合った者たちとのトラブルや児童劇団における人間関係のあつれきなど、本件いじめの体験に起因するものとはいえない学校内外のさまざまな人間関係のあつれきやトラブルから強いストレスを受けていたことに照らして、上記供述及び意見書等は採用できない。

五  争点(2)(Bの解離性同一性障害発症及び本件自死に対する一審被告らの責任)のうち、一審被告らがBに対するいじめを防止するための適切な措置を講じる義務を怠ったかについて

(1)  学校を運営する法人は、在学契約に基づき、生徒に対し、施設、設備を提供し、所定の課程の教育を実施する義務を負うのみならず、その付随義務として、学校における教育活動並びにこれに密接に関連する生活関係における生徒の生命及び身体の安全を保護する義務を負い、学校を運営する法人の理事長は、法人に代わって事業を監督する者として、校長や所属の教員を監督する義務を負い、学校の校長は、同様に所属の教員を監督する義務を負い、教員は、その担当する職務に応じて上記義務を具体的に履行する義務を負うものであり、一審被告らがそれぞれ上記のような義務を負っていることは、教育基本法、学校教育法等の趣旨からも明らかである。

(2)  そして、平成一四年度当時、既に、学校におけるいじめ問題は新聞やテレビなどで何度も取り上げられており、c中学においても、いじめ問題について、「具体的な指導方法(事例別)」と題する文書(乙二九)を作成したり、職員研修を実施する等していたのであるから、一審被告らは本件いじめを予見できたものというべきである(なお、一審被告Y2及び同Y4については、前述のとおり、一審原告からBに対するいじめについての相談を受けていたのであるから、予見可能性を検討するまでもない。)。

ところで、一審被告らは、Bの解離性同一性障害発症及び本件自死について予見可能性がなかった旨主張しているが、本件いじめを放置したことについての過失の有無は、本件いじめの予見可能性及び回避可能性の存否によって判断されるべきものである。そして、上記過失が肯定される場合は、民法四一六条一項の適用又は類推適用により、本件いじめ及びその放置によって通常生ずべき損害(すなわち、相当因果関係ある損害)の賠償義務があり、同条二項により、特別の事情によって生じた損害であっても、当事者がその事情を予見し、又は予見することができたときは、その損害を賠償すべき義務があるところ、本件いじめ及びその放置とBの解離性同一性障害の発症との間に相当因果関係があり、本件自死との間に相当因果関係がないことは前述のとおりである。

しかして、一審原告は、一審被告らには本件自死について予見可能性があった旨主張しているが、前述のように、本件いじめの態様、程度、期間に加え、本件いじめ及びその放置と本件自死との間には三年四か月余りが経過しており、Bは、その間、様々な出来事や多様な人間関係を経験し、本件自死の主たる原因もその直前の人間関係等による精神的ストレスにあったものと認められるのであるから、一審被告らには、Bの本件自死についての予見可能性はなかったものと認められる。

(3)ア  一審被告学園としては、生徒間でいじめが疑われるトラブルが発生し、あるいは生徒や生徒の保護者等からいじめについて連絡を受けるなどした場合は、その状況に応じて、①トラブルに関係した生徒及びその保護者等からの情報収集のほか、トラブルの当事者以外の生徒からの情報収集、クラスや学年全体に対するいじめについてのアンケート調査等より、事実関係を的確に把握する、②道徳の時間やホームルームの時間、部活動のミーティングの時間等にいじめの問題を取り上げるなどして、クラスの生徒全体や部の生徒全体に対していじめ問題についての指導を行う、③加害者側の生徒に対し、個別に、当該行為がいたずらや悪ふざけを超えていじめと評価すべきものになっていることを十分に認識、理解させ、直ちにやめるよう指導し、その後、いじめ行為がやんだか注意深く見守りを継続する、④各教諭をして生徒間でのトラブルやいじめが疑われる生徒の言動等を学年会に報告させ、学年会において指導方法や見守りについて協議をするなど、教員相互間の情報共有、共通理解を図って共同で指導に当たる、⑤いじめ問題に関する報告が、副校長から校長に、校長から理事長に適切になされ、必要な組織的対応が取れるような制度を整えるなどの義務があったというべきところ、前記一認定のとおり、一審原告が、平成一四年一一月一日以降、一審被告Y4に対し、何度も、Bに対する本件いじめについて電話で連絡して対応を依頼していたほか、同年一〇月一八日に一審被告Y2にもいじめの事実を告げて対応を求めていたにもかかわらず、一審被告学園は、一審被告Y4やほかの教諭等をして本件いじめに対する何らの対策も取らせることなく、一審被告Y4が、二学期にEとBが互いに机にチョークの粉を撒き、椅子に画鋲を置いた際に、上記両名を別々に職員室に呼んで注意を与え、平成一五年三月二〇日にクラス全体に対していじめは絶対にやめるようにとの話をしたのみで本件いじめを放置したため、Bに対するいじめ行為は三学期に入って激しさを増し、Bは度々泣いて帰宅するようになり、Bがi中学に転入した後も、本件クラスの男子生徒による無言電話のいじめが続いたものであり、一審被告学園が上記各義務を怠ったこと(在学契約の債務不履行があること)は明らかである。

よって、一審被告学園は、本件いじめ及びその放置並びにこれと相当因果関係のある解離性同一性障害発症について、在学契約の債務不履行に基づく損害賠償責任を負う。

イ  なお、証拠<省略>によれば、一審被告学園は、c中学において、平成一四年度からのc中学の男女共学化に先立ち、全ての教諭に参加を義務付けていじめ問題を含む生徒指導に関する諸問題をテーマとする職員研修を実施し、平成一四年度の初めにも、教員会議の席上、校長である一審被告Y3から、一審被告Y4を含む各教員に対し、生徒指導に関する説明、指導を行い、その中で、いじめ問題が発生した場合における対処方法についても言及していたこと、また、平成一四年度当時、c中学において、いじめ問題等の生徒間のトラブルが起こった場合、担任教諭から副校長に相談することになっていたほか、学年主任及び副校長も出席して月に一回程度行われる学年会に報告し、指導方法について協議することとなっており、場合によっては、副校長から校長である一審被告Y3に報告し、最終的には理事長である一審被告Y2に報告することとなっていたことが認められるが、一審被告Y4の上記対応や、前述のとおり、理事長である一審被告Y2自身が、Bに対するいじめへの対応を求めた一審原告に対し、「子供が傷つくのはたいしたことではない。」などと発言をしていることからすると、一審被告学園において、上記のようないじめ問題への対処制度が計画どおりに機能していなかったことは明らかである。

ウ  次に、本件クラスの担任教諭である一審被告Y4は、遅くとも一審原告からBに対するいじめの連絡を受けた平成一四年一一月一日以降、本件六名のBに対する行為が、生徒間の軽微ないたずらや悪口の言い合いにすぎないのか、それともいじめ又はいじめの疑いのある行為なのかを適切に判断するためにも、上記ア①の調査を行い、同②及び③の措置を講じ、Bに対するいじめの連絡があった旨を学年会に報告して教諭間で情報を共有する義務があったにもかかわらず、これを怠ったものである。

しかして、いじめ問題が、被害者の精神や肉体に多大な苦痛を刻み込むおそれがあるものであることからすると、一審被告Y4が上記義務を怠り、本件いじめを放置したことは、在学契約の履行補助者として一審被告学園の上記各債務を履行しなかったというにとどまらず、Bに対する不法行為を構成するといわざるを得ない。

よって、一審被告Y4は、本件いじめ及びその放置並びにこれと相当因果関係のある解離性同一性障害発症について、不法行為に基づく損害賠償責任を負う。

エ  そして、前述のとおり、平成一四年度当時、c中学において、いじめ問題等の生徒間のトラブルは、担任教諭から学年会等を通じて副校長に相談、報告し、場合によっては、副校長から校長である一審被告Y3に報告し、最終的には理事長である一審被告Y2に報告することとなっていたのであるから、一審被告学園の理事長である一審被告Y2及びc中学の校長である一審被告Y3は、実質的にも一審被告Y4を監督すべき立場にあり、民法七一五条二項の「使用者に代わって事業を監督する者」に該当する。

したがって、一審被告Y4の使用者である一審被告学園は、使用者責任(民法七一五条一項)に基づき、一審被告学園の理事長である一審被告Y2及びc中学の校長である一審被告Y3は、代理監督者責任(同条二項)に基づき、一審被告Y4と連帯して、本件いじめ及びその放置並びにこれと相当因果関係のある解離性同一性障害発症について、不法行為に基づく損害賠償責任を負う。

オ  一審被告らは、一審原告からの電話を受けて一審被告Y4が調査をしたところ、一審原告が主張するような、ポスターが破られた、机に「死ね」と書かれた、教科書に落書きされた、本件六名から無視されたなどの事実は確認できなかった旨主張するが、本件全証拠によっても、一審被告Y4が生徒らへの聞き取り等、いじめに関する事実関係の調査を行った事実は認められないから、一審被告らの上記主張は採用できない。

六  争点(3)(Bの解離性同一性障害発症及び本件自死による損害)及び争点(4)(寄与度減額及び過失相殺)について

(1)  前述のとおり、本件いじめ及びその放置とBが解離性同一性障害を発症したこととの間には相当因果関係があると認められるが、本件自死との間に相当因果関係があるとは認められない。

そして、前述(前記三)のとおり、Bの解離性同一性障害の発症は、本件いじめ及びその放置によるストレスのほか、幼児期における一審原告との関係によるストレス、性的いたずらをされたことによるストレス、小学生時にハーフなどと言われていじめられたことによるストレス、i中学時代の無言電話によるストレス、児童劇団の仲間からからかわれたことによるストレス及び○○でも教諭や友人となじめなかったことによるストレスが積み重なったものであるから、Bが解離性同一性障害を発症したことによりB及び一審原告に生じた損害については、民法七二二条二項の過失相殺の規定を類推適用して、上記各ストレスの程度及びそれがBの解離性同一性障害の発症に関与した度合い等を考慮し、三五%を減額するのが相当である。

(2)  Bに生じた損害について

ア 逸失利益

(ア) 前記一で認定した事実、証拠<省略>によれば、Bは、n医療センター心療科及びq病院への通院を継続しながら中学校、高校に通学していたが、対人関係等で強い精神的ストレスを受けると、過呼吸症状、フラッシュバック及び解離症状等が出現し、このような病状はいまだ治癒していなかったこと、上記の病状は治療等により治癒する可能性もあるが、いつごろ治癒するか、あるいは生涯継続するかは不明であること、他方、Bは、k高校に進学した平成一七年四月以降、飲食店やコンビニエンスストアなどの複数のアルバイトを行い、同年夏からはモデルとしての活動もしていて、アルバイト先と合わずに辞めてもすぐに次のアルバイト先を見つけるなど、仕事には前向きな姿勢を示していたことが認められる。

そうすると、解離性同一性障害発症によるBの逸失利益については、後述のとおり、一八歳(高校卒業後)から六七歳までを労働能力喪失期間とみて、その間、解離性同一性障害により、通常の労働を行うことはできるが、多少の障害を残すものとの基準に準じて、労働能力の二〇%を喪失したものと認めるのが相当である。

(イ) 労働能力喪失期間につき、前述のとおり、本件いじめ及びその放置と本件自死との間には相当因果関係があるとは認められず、また、Bがc中学から転出した平成一五年三月三一日(一審被告らの不法行為及び一審被告学園の債務不履行行為が終了した日)時点までに、Bの死亡の原因となる具体的事由が存在し、近い将来における死亡が客観的に予測されていたなどの特段の事情は認められないから、Bが死亡した事実は就労可能期間の認定上考慮すべきものではなく(最高裁平成五年(オ)第五二七号同八年四月二五日第一小法廷判決・民集五〇巻五号一二二一頁参照)、Bの労働能力喪失期間は一八歳から六七歳までの四九年間と認めるのが相当であるところ、一審被告らの不法行為及び一審被告学園の債務不履行行為が終了した日である平成一五年三月三一日当時、Bは一三歳であったから、上記期間に対応するライプニッツ係数は一四・二三五六となる。

(ウ) そして、Bは、解離性同一性障害を発症しなければ、上記就労可能期間中、一審原告が主張する年額三四三万二五〇〇円程度の収入を得られた蓋然性が高かったものと認められるから、解離性同一性障害発症によりBに生じた逸失利益は、九七七万二七三九円(三四三万二五〇〇円×二〇%×一四・二三五六)であると認められ、これに民法七二二条二項を類推適用して三五%を減額した金額は六三五万二二八〇円(いずれも一円未満四捨五入。以下同じ)となる。

イ 慰謝料

本件いじめの態様、期間、被害の程度、一審被告らによる本件いじめの放置、Bが平成一五年一〇月以降、長期にわたって通院を余儀なくされたこと、解離性同一性障害を発症したことによるBの不安や苦しみ、c中学を転出後、Bが学校に対する恐怖感からしばしば登校困難な状態になったこと等、本件に現れた一切の事情を総合考慮すると、①本件いじめ及びこれが放置されたことに対する慰謝料は一五〇万円が相当であり、②Bの解離性同一性障害発症及びこれに伴う不安や苦しみ等に対する慰謝料は一〇〇〇万円が相当である。

そして、上記②の慰謝料につき民法七二二条二項を類推適用して三五%を減額した金額は六五〇万円となる(上記①との合計八〇〇万円)。

なお、上記①の本件いじめ及びこれが放置されたことに対する慰謝料については、民法七二二条二項を類推適用して減額すべき事情はないから、減額しない(最高裁平成二一年(受)第二五四号同二二年一月二一日第一小法廷判決参照)。

ウ 一審原告は、Bの一審被告らに対する損害賠償請求権の二分の一を相続により承継したところ、上記ア及びイの合計金額は一四三五万二二八〇円であるから、一審原告が承継した額は七一七万六一四〇円となる。

(3)  一審原告に生じた損害

ア 治療費等

証拠<省略>によれば、一審原告は、本件いじめ及びその放置によるBの解離性同一性障害等の治療のため、①n医療センターに三万八〇七〇円、②o薬局に五万一七九〇円、③p病院に五四五〇円、④q病院に六万九三八〇円及び⑤r薬局に六五三〇円の合計一七万一二二〇円を支払ったことが認められる。

しかし、一審原告が平成一八年八月一八日にs病院に支払った一〇万四一一〇円は、本件自死に関して支払われたものであるから、一審被告らの債務不履行及び不法行為と相当因果関係がある損害であるとはいえない。

上記一七万一二二〇円につき民法七二二条二項を類推適用して三五%を減額した金額は一一万一二九三円となる。

イ 葬儀費用

本件自死により生じた損害であり、一審被告らの債務不履行及び不法行為と相当因果関係がある損害とはいえない。

ウ 慰謝料

一審原告は、Bが解離性同一性障害を発症したことにより、母親としてBの病状等につき強い不安や心配の気持ちを持ったほか、Bの通院、通学への付添いや日常的な見守り等を余儀なくされ、少なからぬ精神的苦痛を被ったことが認められる。その精神的苦痛に対する慰謝料は二〇〇万円が相当であり、民法七二二条二項を類推適用して三五%を減額した金額は一三〇万円となる。

エ 弁護士費用

一審原告が弁護士を訴訟代理人として本件訴訟を追行したことは当裁判所に顕著な事実であるところ、上記損害額(合計八五八万七四三三円)、本件の難易度、Bが解離性同一性障害を発症したことにより生じた損害については民法七二二条二項を類推適用すべきこと及び後述の損害の填補等を考慮した上で、その弁護士費用のうち、六〇万円につき前記不法行為と相当因果関係を有する損害であると認めるのが相当である。

(4)  上記(2)及び(3)の合計は、九一八万七四三三円となる。

七  争点(5)(損害の填補)について

証拠<省略>によれば、一審原告は、平成二二年一二月二七日までに、本件生徒ら等から合計五〇〇万円の支払を受けたことが認められる。一審原告は、上記金員は損害の填補の趣旨で支払を受けたものではない旨主張するが、本件記録によれば、上記金員は上記六記載の損害に填補されるべきものと認められる。

また、一審原告は、複数加害者による不法行為において、一方の加害者との関係でのみ過失相殺が行われる場合、他方の加害者が損害の一部を填補しても原則として賠償額に影響を与えない旨主張するが、前記一で認定した事実によれば、一審被告らの損害賠償債務と本件生徒らの損害賠償債務は不真正連帯債務の関係にあり、かつ、民法七二二条二項の過失相殺の規定についても同様に類推適用されるものであって、本件生徒らの損害賠償債務の額が一審被告らの損害賠償債務の額を上回ることはないと認められるから、一審原告の上記主張は採用できない。

上記九一八万七四三三円に対する一審原告による附帯請求の起算日である平成一八年八月一八日から平成二二年一二月二七日まで年五分の割合による遅延損害金は二〇〇万三六一四円であるから、上記五〇〇万円については、まず、遅延損害金に充当し、その残額を元本に充当すると、一審原告の一審被告らに対する損害賠償債権の残額は六一九万一〇四七円となる。

八  以上のとおり、一審原告の一審被告らに対する損害賠償請求は、一審被告Y4につき民法七〇九条に基づき、一審被告学園につき使用者責任(民法七一五条一項)に基づき、一審被告Y2及び一審被告Y3につき代理監督者責任(同条二項)に基づき、連帯して六一九万一〇四七円及びこれに対する平成二二年一二月二八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるが、その余は理由がない。

よって、一審被告らの控訴に基づき、上記に従って原判決を変更し、一審原告の控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 林道春 裁判官 内堀宏達 濵優子)

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