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名古屋高等裁判所 平成24年(ラ)267号 決定 2013年5月27日

基本事件

同裁判所平成 23年(ワ)第6398号,同第7435号

主文

1  原決定を取り消す。

2  本件を名古屋地方裁判所に差し戻す。

事実及び理由

第1抗告の趣旨

1  原判決を取り消す。

2  名古屋地方裁判所平成23年(ワ)第6398号,平成23年(ワ)第7435号事件について,抗告人の文書提出命令申立ては理由のあるものと認める。

第2抗告の理由

別紙「抗告理由書」のとおり(別紙省略)

第3事案の概要

1  本件は,抗告人を原告(反訴被告)とし,Aを被告(反訴原告,以下「被告」という。)とする基本事件(名古屋地方裁判所平成23年(ワ)第6398号債務不存在確認等請求事件,同第7435号損害賠償反訴請求事件)において,抗告人が,原決定別紙文書目録記載の各診療録等(以下「本件文書」という。)について,これを所持する医療機関である相手方に対して文書提出命令の申立てをした事案である。

原審が,本件文書はいずれも民事訴訟法220条4号ハ前段に該当するとして本件申立てを却下したため,これを不服として抗告人が即時抗告をした。

2  基本事件の審理経過

(1)  抗告人は,平成23年10月,被告に対し,債務不存在確認と慰謝料300万円の支払を求める本訴を提起し,その請求原因として,次のとおり主張した。

ア 抗告人は,平成19年2月,勤務先であるBの女性職員である被告ほか1名と食事をし,車で他の女性職員を地下鉄の駅まで送った後,被告と,ドライブをしてC駐車場(以下「本件駐車場」という。)に立ち寄った。抗告人が本件駐車場の車内で被告の手に触れたところ,拒絶されたため,抗告人は,被告をBの駐車場まで送り,そこで被告と別れた。

イ その後,抗告人と被告との間には何事もなく経過したが,被告は,Bの男性職員との間で何かあったようであり,精神的な病気を発症して長期休暇を取るようになった。

ウ ところが,被告は,父親と共謀して,病気に基づく長期休暇を理由とする職員の分限処分を回避し,抗告人に懲戒処分を受けさせる目的で,次のような不法行為をした。

(ア) 被告は,B○○部次長に対し,本件駐車場での出来事としては,抗告人が車内や車外で被告に抱きついてきたという文書(以下「本件上申書」という。)を郵送して虚偽の申告をした。

(イ) 同年5月3日,被告の父親は,抗告人に対し,被告の長期休暇の原因は抗告人にあると責め,告訴する旨脅し,被告への謝罪誓約書(以下「本件誓約書」という。)への署名・押印を強く要求したため,抗告人は恐怖心から本件誓約書に署名・押印した。また,被告の父は,抗告人に対して,被告に対する被害補償を要求し,早急な回答を強要した。

エ 被告及びその父の上記行為は,脅迫,強要及び恐喝という違法行為に該当し,抗告人は,これにより多大な精神的苦痛を被ったものであり,その慰謝料は200万円を下らない。

オ したがって,抗告人は,被告に対し,損害賠償債務が存在しないことの確認と,不法行為に基づく損害賠償として300万円(慰謝料200万円及び弁護士費用100万円)の支払を求める。

(2)  被告は,本件駐車場で抗告人に抱きつかれるなどしたことでPTSDを発症して長期の心身の障害に苦しんでいるとして,不法行為による損害賠償金580万3080円(治療費80万3080円,慰謝料400万円,弁護士費用100万円)の支払を求める反訴を提起し,その請求原因及び本訴の抗弁として次のとおり主張した。

ア 抗告人との食事後,ドライブを了承したことはない。抗告人は,抗告人運転の自動車に同乗する被告の承諾を得ずに,人気のない本件駐車場に行き,停車した車内で,執拗に被告の手を握ったり,助手席の背もたれを倒して被告に覆い被さってきたため,被告が必死で抗告人を振り払って車外へ逃げ出したが,抗告人に抱きつかれるなどされたもので,このような抗告人の行為により,被告は,レイプされ,殺されて池に放り込まれるのではないかと恐怖した。被告が「奥様に知らせますよ」と言うと,抗告人はようやく行為を止めたが,その後,Bの駐車場まで車で送ってもらう途中でも,被告の手を握ったり,腕を組んでこようとし,被告がこれを振り払うことを繰り返した。

イ 上記アの事件後,被告は,原因不明の体調不良に陥り,体重の激減,胃痛,吐き気に悩まされ,平成20年3月からDクリニックに通院し,また,同年5月から心療内科のEクリニックに通院して,うつ状態・適応障害と診断され,通院を継続したが,体調不良により一晩中嘔吐を繰り返したり,暗闇状態で不安になり,一晩中照明を点けたままのこともあった。

被告は,平成22年12月に抗告人が何食わぬ顔で挨拶をしてきたことを契機として,本件駐車場での出来事の被害体験が脳裏によみがえるようになり,平成23年1月4日から通常どおり出勤したものの,被害体験の映像やBの建物が大きく見え,迫ってくるように感じることが多くあり,同年2月7日には,職場でパソコンを操作中にフラッシュバック現象が起き,被告はトイレで頭を壁に打ち付け嘔吐を繰り返した。そして,同月9日,被告は相手方F病院に行き,心的外傷ストレス障害という診断を受け,同年2月8日から同年3月31日まで休養が必要であるとの診断を受けたため,同年2月10日,職場に診断書と本件上申書を提出した。同年3月7日からは相手方F病院で暴露療法によるPTSDの治療を開始し,要休養期間の診断は同年5月31日に延長となったため,職場に診断書を郵送した。そして,同病院相談室からトラウマ診療をするPTSD専門医の相手方Gクリニックを紹介されて診断を受けたところ,PTSDで間違いないとの診断を受け,現在も同クリニックに通院している。

ウ 被告は,本件駐車場での出来事により長期にわたる心身の障害に悩まされ,抗告人の誠意のない対応により筆舌に尽くしがたい精神的苦痛を被り,現在も通院治療を余儀なくされたから,抗告人には,不法行為に基づく損害賠償金480万3080円(慰謝料400万円,平成23年12月1日までの治療費80万3080円)の支払義務がある。

(3)  基本事件については,①本件駐車場において抗告人が被告に対してどのような行為をしたか,②抗告人が本件駐車場で被告に対して行った行為により被告主張のPTSD等の症状が生じたものか,が主な争点として審理が行われ,①の争点に関し,抗告人作成の本件誓約書(乙21),①及び②の争点に関し,被告作成の上申書(乙1)及び陳述書(乙22),②の争点に関し,相手方F病院作成の診断書(乙2ないし4),相手方Gクリニック作成の診断書(乙5ないし7)の取調べが行われ,被告が通院した医療機関に対する抗告人申立ての文書送付嘱託については,相手方らが送付を拒否した。

上記の相手方F病院の診断書(乙2)には,「心的外傷後ストレス障害」の診断名が記載され,「平成19年2月13日夜,会社の上司からの心的外傷体験により,不安,恐怖をきたすフラッシュバックが現在,頻回に出現しているため,平成23年2月8日から,同年3月31日まで休養が必要であると認める。」との記載があり,乙3の同診断書にも,休養期間の点を除き,同旨の記載がある。また,相手方Gクリニックの診断書(乙5,6)には「心的外傷後ストレス障害」の診断名が記載され,「上記疾患に伴う症状として,過覚醒・フラッシュバック症状などが顕在しており,23年5月16日に当院へ紹介初診以降,薬物療法および心理療法を実施している。発症の契機となっているのは,平成19年のセクハラ・エピソードであり,慢性経過として恐怖・不安・不眠や食思不振などのストレス関連症状が存在している。」との記載がある。

そして,上記の被告作成の陳述書(乙22)には,上記イに関する事柄 が,より詳細かつ具体的に記載されている。

(4)  抗告人は,上記②の争点に関し,本件駐車場での出来事の内容は,上記(1)アのとおりであったとした上で,上記の各診断書はいずれも平成23年以降に作成されたもので,被告の言をそのまま記載したものにすぎない。また,被告が主張する症状と本件駐車場での出来事との間の因果関係の証明も不十分である旨主張している。

第4当裁判所の判断

1  当裁判所は,原決定を取消し,本件を原審に差し戻すべきものと判断する。その理由は,以下のとおりである。

2(1)  民事訴訟法220条4号ハは,同法197条1項2号に規定する事項で,黙秘の義務が免除されていないものが記載されている文書については,文書提出義務から除外しているところ,同法197条1項2号は,医師等の職にある者又はこれらの職にあった者が職務上知り得た事実で黙秘すべきものについて尋問を受ける場合に,証言を拒むことができる旨を定めるものであるから,同法220条4号ハは,医師が職務上知り得た事実で黙秘すべき事項が記載されている文書については,黙秘の義務が免除されていない限り,文書提出義務から除外されることを定めているものである。そして,上記の「黙秘すべきもの」とは,一般に知られていない事実のうち,医師等に診療を行うことを依頼した本人が,これを秘匿することについて,単に主観的利益だけではなく,客観的にみて保護に値するような利益を有するものをいうと解される(最高裁平成16年11月26日第二小法廷決定・民集58巻8号2393頁参照)。

(2)  ところで,本件申立てにおいて提出を求める本件文書は,医療機関である相手方らが所持する被告に係る平成19年1月1日以降の診療録,看護記録等一切の資料とされているから,本件申立ては,相手方らが医療機関として所持している被告に係る同日以降の医療記録全部について,その提出を求めているものと認められるが,上記医療記録には,医師が患者を診療したときに診療に関する事項を記載して作成する診療録(医師法24条。「診療録」と表題の付された狭義の診療録に限られず,医師が診療に関して作成した診療経過等が記載された文書はすべて含まれる。)のほかに,医師以外の医療従事者が作成する医療記録があり得るのであり,本件文書に掲げられている看護記録は,医師以外の医療従事者である看護師の作成するものとして,これに該当するものと解される。

そして,医療記録であっても,民事訴訟法220条4号ハにより文書提出義務を除外される文書は,同法197条1項2号が定めるとおり医師又は医師であった者の作成に係る文書に限られるものというべきであるから,本件文書について同法220条4号ハに該当するか否かを判断するに当たっては,診療録とそれ以外の医療記録とを分けて検討することを要することになる。

(3)  そこでまず,本件文書中の診療録について,民事訴訟法220条4号ハ該当の有無を検討する。

ア 医師法施行規則23条は,医師が作成すべき診療録には「診療を受けた者の住所,氏名,性別及び年齢」,「病名及び主要症状」,「治療方法(処方及び処置)」,「診療の年月日」を記載すべき旨定めているから,抗告人が本件申立てにより提出を求める診療録(以下「本件診療録」という。)には,相手方らの医師により,少なくとも上記事項が記載されているものと推認される。そして,これらの記載事項(特に病名及び主要症状,治療方法)は,被告の疾病等の内容やその治療経過に関するものとして,深く被告のプライバシーに関する事項に該当するものというべきであり,したがって,被告には,その秘匿について主観的利益があるのみならず,客観的にみて保護に値するような利益があるものということができる。

したがって,本件診療録の記載事項については,個別に医師の黙秘の義務が免除されていない限りは,民事訴訟法220条4号ハに該当するものというほかない。

これに反する抗告人の主張は採用しない。

イ 抗告人は,本件は被告がPTSDの症状と病名を主張し,立証しようとしている事案であり,抗告人との関係でプライバシーを保護される地位を失っており,診療録等について医師の黙秘の義務を理由とする提出拒否には理由がない旨主張するので,同主張を本件診療録について被告が医師の黙秘の義務を免除しているとの趣旨の主張として,さらに検討する。

(ア) 民事訴訟法197条1項2号が専門家の証言拒絶権を認めたのは,職業の性質に照らして他人の秘密を知る機会が多いことに照らし,専門家に秘密を開示した者の利益を保護するためである。

(イ) ところで,前記のとおり,抗告人が被告に対し,本件駐車場での出来事について不法行為を行っていないとして損害賠償債務の不存在確認等を求めて本訴を提起したのに対し,被告は,抗告人から不法行為を受けてPTSDに罹患し,相手方らの医療機関に通院している旨主張して争うのみならず,反訴を提起して,抗告人に対し,慰謝料等を請求し,反訴請求の請求原因及び本訴請求の抗弁として,抗告人の不法行為によって受けた傷害の傷病名及び症状とその経過について,詳細な主張をし,同主張に沿う診断書を証拠として提出するとともに,傷病名及び症状とその経過について上記主張をより具体的かつ詳細に記載した被告の陳述書を証拠として提出していることが認められるから,被告は,上記陳述書に記載された傷病名及び症状とその経過という,一般に知られていない事実を自ら開示し,その限度で保護されるべき利益を放棄したものというべきである。

(ウ) そうすると,本件診療録の記載事項中,上記陳述書に記載された限度で,医師の黙秘の義務は免除されたものというべきである。

なお,本件診療録の一部が提出されることにより,抗告人から,そこに記載された内容について具体的に反論をされる可能性があり,それによって,被告が精神的苦痛を被ることが考えられないではないが,そのことをもって,医師の黙秘の義務が免除されていないということはできない。

ウ 以上によれば,本件診療録については,医師の黙秘の義務が免除されていないため,民事訴訟法220条4号ハに該当する記載事項と,その免除がされているため,上記ハに該当しない記載部分があることになるが,同法223条1項後段により,裁判所は,本件診療録の記載事項のうち,取り調べる必要がないと認める部分又は提出の義務があると認めることができない部分がある場合には,当該部分を除いてその提出を命ずることとなるものである。

(4)  次に本件文書中の診療録以外の医療記録について民事訴訟法220条4号ハ該当の有無を検討するに,前記(2)に説示したところによれば,診療録以外の医療記録は,それが診療録に該当しない以上,同法197条1項2号所定の文書には当たらず,したがって,上記ハにも該当しないことになる。

3  以上のとおりであるから,抗告人が本件申立てにより相手方らに提出を求める本件文書に係る医療記録については,医師作成の診療録に該当する文書とそれ以外の文書を判別し,そのようにして判別された診療録については,これを黙秘の義務を免除された記載事項とそれ以外の記載事項を分け,前者については,文書提出義務を肯定し,その証拠調べの必要性を検討し,また,診療録以外の医療記録については,文書提出義務を肯定し,その証拠調べの必要性を検討すべきものである。

そうすると,上記の諸点について全く検討することなく,本件申立てを却下した原決定は取消しを免れず,上記諸点について審理を尽くさせるため,本件を原審に差し戻すほかない。

4  よって,原決定を取消し,本件を名古屋地方裁判所に差し戻すこととし,主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 長門栄吉 裁判官 内田計一 裁判官 山崎秀尚)

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