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名古屋高等裁判所 平成25年(ネ)221号 判決 2013年7月25日

控訴人

同訴訟代理人弁護士

福山孔市良

原野早知子

被控訴人

三井住友海上火災保険株式会社

同代表者代表取締役

同訴訟代理人弁護士

木下芳宣

岡嗣人

山田拓広

夛田裕子

伊藤英敏

高橋初行

若山朋代

今井智子

北條愛

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は、控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一控訴の趣旨

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人は、控訴人に対し、八八五万五〇〇〇円及びこれに対する平成二一年九月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  本件は、損害保険会社である被控訴人との間で自動車保険契約を締結した控訴人が、被保険車両が事故により全損したと主張して、被控訴人に対し、同保険契約に基づき車両保険金八〇五万円と債務不履行に基づき弁護士費用相当額の賠償金八〇万五〇〇〇円及びこれらに対する事故発生日(平成二一年九月二八日)から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

二  前提事実、争点、争点に関する当事者の主張は、以下のとおり原判決を補正し、次項において、当事者が当審で敷衍した主張を付け加えるほかは、原判決「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」の一ないし四に記載のとおりであるから、これを引用する。

(1)  原判決四頁二〇行目末尾に「(本件保険約款第三章第三条③の免責条項(以下「本件免責条項」という。)が適用されるか)」を加える。

(2)  原判決四頁二一行目末尾に「(抗弁)」を加える。

(3)  原判決五頁四行目「本件保険約款第三章第三条③」を「本件免責条項」と改める。

(4)  原判決五頁一一行目末尾に「(抗弁に対する認否及び反論)」を加える。

三  当事者が当審で敷衍した主張

(1)  被控訴人の主張(抗弁)

次のアないしカの事実を総合すれば、控訴人は平成二一年九月二八日、岐阜市切通所在の診療所であるbクリニック(以下「bクリニック」という。)を出発する際に、既に薬物(睡眠薬、自律神経調整剤又はソセゴン)を使用していたものというべきである。

ア 控訴人は、bクリニックに勤務するようになった同年五月以降、本件事故当時を含めて、前記薬物を常用しており、睡眠導入剤は毎日服用していた。

イ 控訴人は同年九月二八日は、午前中から外来の勤務に付く予定であり、B(以下「B医師」という。)が控訴人に応援依頼を行ったのは午前一時四〇分ころ(以下、時刻のみによる表記は、すべて同日午前の時刻である。)と、通常人であれば既に就寝している深夜の時間である。

ウ 控訴人は、前日の二七日が休日であり、同日はbクリニックで特段問題が起きたという報告を受けておらず、二八日に緊急手術となった患者の陣痛が早まる可能性も知らず、薬物使用を控える動機付けとなる事実も存在しない。

エ 医師という控訴人の社会的立場に加えて、本件車両の購入経緯や購入金額、高額なローンの返済額などを考慮すれば、控訴人には、薬物使用の事実を隠匿してでも車両保険金を請求する十分な動機がある。

オ 本件事故後現在に至るまで、警察に事故の報告を行っていない。

カ 控訴人は、二時二〇分ころに一度意識を喪失し、二時三八分ころに意識が戻ったが、その後三時二分ころまで再び意識を喪失していたものと認められる。控訴人に本件事故による外傷が一切生じていないことからして、本件事故が原因で控訴人が意識を喪失したとすれば、二度目の意識喪失は極めて不自然であり、合理的な説明ができない。そうすると、本件事故は、一度目の意識喪失後に起こったものと認めるべきであり、この意識喪失の理由は、薬物の影響以外にはあり得ない。

(2)  控訴人の主張(抗弁に対する認否、反論)

被控訴人の主張は否認ないし争う。

次の事実からして、本件事故当時、控訴人が薬物等の影響により正常な運転ができないおそれがある状態であったとはいえないのであり、本件免責条項の適用については立証はされていないというべきである。

ア 控訴人は、bクリニック出発後、愛知県犬山市所在の診療所であるaクリニック(以下「aクリニック」という。)まで一〇分程度の場所まで、問題なく運転していたのであり、薬剤使用による意識障害が本件事故前に生じていたのであれば、約四〇分の道程のうち、約三〇分を問題なく運転していること自体あり得ないことである。

イ 本件事故が相手のいない自損事故であり、控訴人自身にも緊急に手当を要するような外傷がなかったことも考慮すると、本件事故発生に気づいた後の控訴人の判断と行動が、不自然、不合理なものであるとはいえない。

ウ 本件事故発生時の状況について控訴人に記憶がないのは、本件事故発生前の状況と同様、本件事故のショックによる逆行性健忘の可能性がある。

すなわち、本件事故の衝撃は相当大きなもので、控訴人も数十分に渡って気を失うほどの衝撃を受けているところ、気を失うほどの交通事故は、むしろ発生状況が記憶に残らないことの方が通例であるし、交通事故による精神的ショック(ストレス)は、身体に器質的な障害が見られなくても広く健忘の可能性となり得るのであって、控訴人においても、本件事故が原因で逆行性健忘が生じた結果、記憶が喪失された可能性が高い。

エ 仮に、控訴人が薬剤を使用していれば、運転どころか、手術の応援を行うことは不可能であり、aクリニックは、控訴人以外の他の医師の応援を受けることもできたのであるから、控訴人は、aクリニックからの応援依頼を断っていたはずである。しかし、控訴人はこれに応じている。

オ ソセゴンの持続時間は、「皮下注射・筋肉注射では一五ないし二〇分で効果が発現し、約三ないし四時間(持続)」とされており、マイスリーは、「投与後〇・七ないし〇・九時間で最高血漿中濃度に達し、血漿中濃度消失半減期は一・七八ないし二・三〇時間」とされており、少なくとも二時間から二時間三〇分は効果が持続する。そして、控訴人が、平成二一年九月当時、平日朝に時々使用していた薬剤のうち、グランダキシンは、服用から血中濃度消失まで一二時間であり、トフィスは血漿中濃度半減期が四・三ないし五・三時間である。

上記の持続時間に照らすと、控訴人が現実に二時前に薬剤を服用していたならば、三時三〇分ころ(薬剤使用から約一時間三〇分後)は、「影響が低減した」とは到底いえない時間帯であるが、控訴人は、aクリニック到着後、本件車両を駐車場に後進できちんと駐車し、レッカー車を呼ぶ手配をてきぱきとこなしている。

第三当裁判所の判断

一  当裁判所も、控訴人の請求は理由がないものと判断するが、その理由は、以下のとおり原判決を補正し、次項において、控訴人が当審で敷衍した主張に対する判断を付け加えるほかは、原判決「事実及び理由」中の「第三 当裁判所の判断」の一ないし三に記載のとおりであるから、これを引用する。

(1)  原判決五頁一五行目冒頭から六頁一行目末尾までを、以下のとおり改める。

「一 前提事実に加えて、掲記の証拠及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(1) 医療法人社団○○会(以下「○○会」という。)は、aクリニック及びbクリニックなどを運営しており、産婦人科医師であるB医師は、後記事実関係の当時から、○○会の理事長であるとともにaクリニックの院長である。(甲四、一二、乙二五)

なお、bクリニックとaクリニックの間を自動車で走行する場合、走行距離は二〇キロに満たない程度で、所要時間は、日中でも三〇分ないし四〇分程度で到着することができる。(乙一四、二五、証人G)」

(2)  原判決六頁七行目末尾に「(甲四、一二、証人C、控訴人本人第一回)」を加える。

(3)  原判決六頁一三行目末尾に「(甲一三、乙二五、控訴人本人第一回)」を加える。

(4)  原判決六頁一六行目末尾に「(甲一二)」を加える。

(5)  原判決六頁一七行目冒頭から七頁一行目末尾までを、以下のとおり改める。

「(3) 平成二一年九月二八日に日付が変わった後の深夜、aクリニックでは同年一〇月一日に帝王切開手術による出産を予定し、入院中であった妊婦に陣痛が始まり、緊急に帝王切開手術が行われることとなった。

B医師は、控訴人の応援が必要と考えて、一時四〇分ころ、控訴人に電話した。前記住宅でこれを受けた控訴人は、直ちに出掛ける準備をして、一時五〇分ころ、本件車両を運転してbクリニックの駐車場を出発した。控訴人は、その際、aクリニックまでの経路は記憶しているとの思いから、本件車両に搭載しているカーナビに目的地を入力しなかった。(以上、甲四、一三、一四、乙二五、二六、証人B、同D、控訴人本人第一回)」

(6)  原判決七頁六行目末尾に「(甲四、一二、乙五、六、控訴人本人第一回)」を加える。

(7)  原判決七頁七行目「D看護師」を「当直の看護師であるD(以下「D看護師」という。)」と改める。

(8)  原判決七頁一一行目から一二行目にかけての「E看護師」を「E(前勤務先である沖縄県所在の診療所の看護師長である。以下「E看護師」という。)」と改める。

(9)  原判決七頁二五行目冒頭から八頁一九行目末尾までを、以下のとおり改める。

「(5) その後である二時三八分ころ、控訴人は、携帯電話にaクリニックの電話番号を登録していなかったため、登録してあるbクリニックに本件事故の発生を連絡しようとしたが、登録済み電話番号の中から誤ってE看護師の電話番号を選択して発信させてしまい、同看護師が電話に出た瞬間に誤りに気付いて電話を切った。しかし、その後、控訴人は、bクリニックに電話をかけることはなかった。

(以上、甲四、六、一三、控訴人本人第一回)

(6) aクリニックでは、帝王切開手術の開始を控訴人の到着が予想された二時二〇分ころと予定していたが、そのころになっても控訴人は到着しなかった。この間、当該妊婦の自然分娩が進んでいたこともあり、D看護師は、B医師の指示により控訴人の携帯電話に電話したが、控訴人は電話に出なかった。その後、当該妊婦の自然分娩は更に進行し、そのまま分娩となる見通しとなったため、B医師は、D看護師に対し、控訴人に来なくてもよい旨連絡するよう指示し、D看護師は、再度控訴人の携帯電話に電話をしたが、控訴人は電話に出なかった。当該分娩は、二時四〇分ころまでに無事に終了したため、B医師は、D看護師に対し、分娩が無事終了したことを伝えるよう指示し、そのころ、D看護師は控訴人の携帯電話に電話をしたが、控訴人は電話に出なかった。このため、D看護師は、その後、bクリニックの当直であったF看護師に電話をし、控訴人がaクリニックに向かっているかどうか確認したところ、F看護師は、bクリニックの駐車場に本件車両がないことを確認して、控訴人はaクリニックに向かっているはずである旨答えた。

(以上、乙二五、二六、証人B、同D)」

(10)  原判決九頁一四行目末尾に、行を改め、「(以上、甲七、一三、一四、乙二六、証人C、同D、控訴人本人第一回)」を加える。

(11)  原判決一〇頁六行目末尾に、行を改め、「(以上、甲一三、一四、乙二五、二六、証人C、同B、同D、控訴人本人第一回)」を加える。

(12)  原判決一〇頁一二行目「損傷し」を「大きく損壊し」と改める。

(13)  原判決一〇頁二二行目末尾に、行を改め、「(以上、乙一の一・二、一三、弁論の全趣旨)」を加える。

(14)  原判決一〇頁二三行目冒頭から二五行目末尾までを、以下のとおり改める。

「(10) 本件事故当日の一一時三三分ころ、控訴人は、被控訴人の代理店の担当者に本件事故状況を報告したが、その際、本件事故の原因について、タイヤがパンクし、ハンドルを取られ、道路左側の雑木林に突っ込み樹木等に接触した旨説明した。」

(15)  原判決一一頁一六行目「△△」を「△△」と改める。

(16)  原判決一一頁二三行目末尾に、行を改め、以下のとおり加える。

「 なお、本件車両に積載されていたカーナビは、一度設定した目的地については履歴が残る仕様のものであったが、本件事故後、その履歴の全てが消えており、本件事故時の出発地や走行履歴は上記カーナビからも不明である。カーナビの本体が故障した場合を除くと、記録されていた情報のうち履歴のみが消えるという事態は、通常生じない事象である。

こうした事情から、本件事故現場は、未だ特定されていない。

(以上、甲四、六、一二、一三、乙三ないし五、八ないし一二、証人G、控訴人本人第一回)」

(17)  原判決一一頁二四行目冒頭から末尾までを削除する。

(18)  原判決一二頁一三行目末尾に、行を改め、以下のとおり加える。

「(以上、乙一四ないし一六、証人B、同D、控訴人本人第一回、控訴人本人第二回)

(12) 上記のとおり、睡眠導入剤であるマイスリーの服用後は、もうろう状態が現れることがあり、十分に覚醒しないまま、車の運転等を行うとその出来事を記憶していないことがある。マイスリーに対する反応には個人差があり、もうろう状態等は服用する用量に依存してあらわれる。マイスリーは、一回五ないし一〇mgを経口投与するものとされ、臨床結果によると、二・五ないし一〇mgを投与後〇・七ないし〇・九時間で最高血漿中濃度に達し、血漿中濃度消失半減期は一・七八ないし二・三〇時間である。

鎮痛剤であるソセゴンにも、上記のとおり、服用後に、眠気、めまいやふらつき、意識障害等が現れることがある。

(以上、甲二三、二四、乙一五)」

(19)  原判決一二頁二四行目「(三〇分ないし四〇分くらい)」を「(日中でも三〇分ないし四〇分程度であり、交通量の少ない深夜であれば所要時間はより少ないものと考えられる。)」と改める。

(20)  原判決一六頁一九行目「(証人B、同D)」を「証人B、同D」と改める。

(21)  原判決一七頁二〇行目「原告本人及び証人C」を「控訴人本人及び証人C」と改める。

(22)  原判決一八頁一三行目末尾に、行を改め、以下のとおり加える。

「 むしろ、後記のとおり、控訴人は、就床前の習慣として、マイスリーなどの薬剤を服用していたものと認められる。」を加える。

(23)  原判決一九頁二五行目から二六行目にかけての「本件約款の同条項」を「本件免責条項」と改める。

二  控訴人が当審で敷衍した主張について

控訴人は、本件事故当時、控訴人が薬物等の影響により正常な運転ができないおそれがある状態で本件車両を運転していたことを裏付ける証拠は存在しないとして、本件免責条項の適用を否認する。

しかしながら、前示のとおり、控訴人は、bクリニックを出発するに当たって、初めての夜間走行であったにもかかわらず、aクリニックまでの経路を記憶しているとの思いからカーナビを設定しなかったというのであるから、出発当初は通い慣れた道を通るつもりであったものとうかがわれる。そして、bクリニックとaクリニックの間を自動車で走行する場合、走行距離は二〇キロに満たない程度であり、所要時間は日中でも三〇分ないし四〇分程度であり、交通量の少ない深夜であればより短いものと考えられるところ、控訴人が本件車両を運転してbクリニックを出発したのは一時五〇分ころであるから、通常の走行ルートを普通に走行したのであれば、二時二〇分ころないし三〇分ころには、aクリニックに到着していたはずである。

しかしながら、控訴人は、ちょうどそのころ、aクリニックの手前(前記のとおり、大きく損壊し、正常な走行は不可能な本件車両で走行して約一〇分ほどの場所)で、本件事故を起こしたのであるから、本件事故現場までの走行ルート自体、通常の走行ルートや走行態様ではなかった、すなわち、bクリニック出発後に、控訴人において正常な運転が困難な状態が生じ、当初予定していた走行ルートを外れるか、かなりの低速での走行を余儀なくされたことが強くうかがわれる。

そして、前示のとおり、控訴人は、本件事故当時である平成二一年九月ころは、毎晩、就床前に、睡眠導入剤であるマイスリーを服用しており、マイスリーを服用した場合には、個人差はあるものの、その作用として、もうろう状態が現れることがあり、十分に覚醒しないままの車の運転等を行うとその出来事を記憶していないということが起こり得るとされており、控訴人が、いつものようにマイスリーを服用していたとすれば、bクリニック出発後の控訴人の走行態様等が通常のものではなかったことがうかがわれること(もうろう状態下での運転)や、本件事故前後の状況を控訴人が記憶していないということを合理的に説明することができる。

この点、控訴人は、bクリニック出発後、aクリニックまで一〇分程度の場所まで、問題なく運転していたと主張するが、そうであれば、aクリニックには到着していたか、そうでなくとも通常の走行ルート上で本件事故が起きていたものというべきであるから、問題なく運転していたとは認め難く、控訴人の上記主張には理由がない。

また、控訴人は、マイスリー等の薬効の持続時間を問題とするが、前示のとおり、作用には個人差がある上、もうろう状態等は服用する用量に依存してあらわれること、十分に覚醒した後は通常の言動、行動に戻ること(弁論の全趣旨)からすると、上記マイスリー等の薬効の持続時間に関する事情は、控訴人がマイスリー等を服用していたとの前記判断を左右するものではない。

その他、控訴人が本件免責条項の適用を否認する事情としてるる主張するいずれの事情も、控訴人が、本件事故当時、マイスリー等の薬物の影響により正常な運動ができないおそれがある状態で本件車両を運転していたとの前示の認定判断を左右するものではない。

三  よって、原判決は相当であり、本件控訴には理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渡辺修明 裁判官 坪井宣幸 金谷和彦)

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