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名古屋高等裁判所 平成25年(ネ)488号 判決 2014年5月29日

控訴人

医療法人社団 Y

同代表者理事長

同訴訟代理人弁護士

青山學

井口浩治

平林拓也

福井秀剛

鬼頭浩二

出口敦也

滝恵美

細川俊介

被控訴人

X1(以下「被控訴人X1」という。)<他1名>

上記両名訴訟代理人弁護士

柴田義朗

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

(1)  控訴人は、被控訴人X1に対し、一〇一五万一一一一円及びこれに対する平成二二年六月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(2)  控訴人は、被控訴人X2に対し、八五五万一一一〇円及びこれに対する平成二二年六月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(3)  被控訴人らのその余の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、第一、二審を通じ、これを三分し、その一を控訴人の負担とし、その余を被控訴人らの負担とする。

三  この判決の主文第一項の(1)及び(2)は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一控訴の趣旨

一  原判決中、控訴人敗訴部分を取り消す。

二  上記の取消し部分に係る被控訴人らの請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、第一、二審を通じ、被控訴人らの負担とする。

第二事案の概要

一  本件は、被控訴人らが控訴人に対し、被控訴人らの亡父A(以下「亡A」という。)は、控訴人が開設するa病院(以下「本件病院」という。)に入院して尿管皮膚瘻術(尿管を切断して直接腹部皮膚上に接続することにより排尿管理を行うことを目的とする尿路変更術)を受けるなどした後、悪性の膀胱腫瘍により死亡したものであるところ、その原因は、本件病院の担当医師が、膀胱洗浄の際の排液に血液が混入していることを確認した時点において、膀胱癌の発症を疑ってその検索及び鑑別をするための検査等を実施する義務があったにもかかわらず、これを怠った過失によるものであり、被控訴人らは、亡Aの控訴人に対する損害賠償請求権を各法定相続分に応じて相続により承継し、また、自らも精神的損害を被ったほか、被控訴人X1が亡Aの葬儀費用を支出した旨主張して、使用者責任(民法七〇九条、七一一条、七一五条)又は診療契約上の債務不履行(民法四一五条)に基づく損害賠償請求として、被控訴人X1につき二四四二万八二八四円(亡Aの逸失利益の承継分四九二万八二八四円(亡Aの逸失利益九八五万六五六八円に被控訴人X1の法定相続分割合二分の一を乗じた額)、被控訴人X1の慰謝料一五〇〇万円、葬儀費用一五〇万円及び弁護士費用三〇〇万円の合計)及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成二二年六月一二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、被控訴人X2につき一九九二万八二八四円(亡Aの逸失利益の承継分四九二万八二八四円(内容は上記と同じ)、被控訴人X2の慰謝料一五〇〇万円の合計)及びこれに対する上記日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める事案である。

二  その余の事案の概要は、次のとおり補正するほか、原判決「事実及び理由」欄の第二の二、第三及び第四記載のとおりであるから、これを引用する(原判決中の「被告病院」を全て「本件病院」に、「A」を全て「亡A」に、「尿管皮膚瘻増設術」を全て「尿管皮膚瘻造設術」に読み替える。)。

なお、控訴人の当審における主張(控訴理由)については、後記「第三 当裁判所の判断」において摘示し、これに対する判断を加えることとする。

(1)  原判決三頁二行目の「平成一七年当時」を「平成一七年九月二〇日に死亡した時点において」に改める。

(2)  同四頁八行目の「診察」を「診療」に改め、末行末尾の次に改行の上、次のとおり加える。

「ア 後記(控訴人の主張)(1)のうち、平成一七年五月二日当時、亡Aに膀胱癌が発症していることを疑うべき状況にはなかった旨の主張について」

(3)  同五頁一行目冒頭の「ア」を削り、三行目末尾の次に改行の上、次のとおり加える。

「イ 後記(控訴人の主張)(2)の主張(細胞診は膀胱癌の検索方法として有効ではない旨の主張)について」

(4)  同五頁九行目末尾の次に改行の上、次のとおり加える。

「ウ 後記(控訴人の主張)(1)のうち、B医師が実施したCT検査、膀胱造影検査及び膀胱鏡検査においても、明らかな膀胱腫瘍の所見は認められていない旨の主張について」

(5)  同五頁一〇行目冒頭の「イ」を削り、一三行目の「ルーチン」を「あらかじめ定められた作業」に改め、一七行目末尾の次に改行の上、次のとおり加える。

「エ 後記(控訴人の主張)(3)の主張(B医師は、診療契約上の説明義務を尽くしている旨の主張)について」

(6)  同五頁一八行目冒頭の「ウ」を削る。

第三当裁判所の判断

一  当裁判所は、被控訴人らの請求は、主文第一項(1)及び(2)の金員の支払を求める限度で理由があり、その余は理由がないものと判断する。

その理由は、以下のとおり補正するとともに、当審における控訴人の主張(控訴理由)に対する判断を加えるほか、原判決「事実及び理由」欄の第五の一から四までに記載のとおりであるから、これを引用する(原判決中の「被告病院」を全て「本件病院」に、「A」を全て「亡A」に読み替える。)。

(1)  原判決八頁八行目から九行目にかけての「ドレナージチューブ」の次に「(排液管)」を、一八行目の「その後も」の次に「、同月九日、同月一一日及び同月一六日と」を、一八行目から一九行目にかけての「コアグラ」の次に「(凝固した血液)」を、同行の「血餅」の次に「(凝固した血液)」を、二〇行目の「膀胱造影検査」の次に「(膀胱に造影剤を注入し、膀胱の状況を撮影して行う検査)」をそれぞれ加え、二一行目のかっこ書を削る。

(2)  同九頁一行目の「膀胱鏡検査」の次に「(膀胱に内視鏡を入れ、直接その内部を観察する検査)」を加え、二行目から三行目にかけてのかっこ書を削り、四行目の「膀胱鏡検査では」から六行目の「しなかった。」までを「B医師は、膀胱鏡検査において腫瘍の存否や出血部位の検索はしなかった。」に改める。

(3)  同一〇頁八行目の「可能性が高い」の次に「、現状を維持するより方法がない」を加え、一七行目のかっこ書を削る。

(4)  同一〇頁二四行目の「死因である」及び同一一頁一行目の「特段の」をそれぞれ削り、同行の「ないこと」の次に「(膀胱腫瘍の大半は悪性のものであることが認められる。)」を加える。

(5)  同一一頁二行目の「(2)」の次に「ア」を加え、三行目の「膀胱内部に」から四行目の「あること」までを「膀胱の腫瘍部の血管が破裂、潰瘍、壊死等により損傷して出血することにあること」に、五行目の「本件においても、」から六行目の「可能性がある。」までを以下のとおりそれぞれ改める。

「亡Aにおいても、前記認定のとおり、平成一七年五月二日に行われた膀胱洗浄の際、その排液に血液が混入していたことは、膀胱癌が発症しており、そのために腫瘍部の血管が損傷して出血したものである可能性があることを示す事実であるというべきである。」

(6)  同一一頁九行目の「なども考慮すれば、」を以下のとおり改める。「、膀胱死腔炎では高い発熱はしないこと、前記認定(原判決引用部分(補正後のもの))のとおり、右尿管皮膚瘻造設術等以降、膀胱部の炎症の治療として各種抗生剤の投与等を行っていたが、治療効果が認められなかったこと、平成一七年五月二日に続いて、同月九日、同月一一日及び同月一六日にも膀胱洗浄の際に血性排液がみられ、かつ、それらには血液のほか、コアグラ、血餅等含まれていたものであり、これらの事実は、膀胱内部で一定量の出血及び凝血があったことを推認させることなどを考慮すれば、同月二日の時点においては亡Aの膀胱に癌があり、その腫瘍部の血管が損傷して出血していたものと推認するのが相当である。

イ そして、上記のような亡Aの既往歴、右尿管皮膚瘻造設術等を施した以降の症状等からすれば、」

(7)  同一一頁一一行目の「疑い、」を「疑うべき契機が与えられたものであり、その後も、同月九日、同月一一日及び同月一六日と膀胱洗浄の際にコアグラ、血餅等を含む血性排液がみられたことからすれば、同月中旬頃までには、亡Aが膀胱癌に罹患しており、その腫瘍部の血管の破裂、潰瘍、壊死等による損傷によって出血したものである可能性を視野に入れて検査、診断等を行うことが求められ、」に改め、一二行目の「細胞診」の次に「(細胞を顕微鏡で観察し、異常細胞や異形細胞を検出することにより、病変の有無等の病理学的診断や臨床診断を行うもの)」を加える。

(8)  一六行目の「認定一(1)のとおり、」の次に「また、後記(3)において検討するとおり、」をそれぞれ加える。

(9)  同一二頁五行目の「イ」の次に「(ア)」を、八行目冒頭に「(イ)」をそれぞれ加え、一〇行目の「さらに、」以下を改行の上、この「さらに、」から一三行目末尾までを次のとおり改める。

「(ウ) これを具体的にみるに、膀胱癌の検索診断のためのCT検査については、尿道を経由して膀胱にオリーブ油を注入して膀胱を充満させ、膀胱壁を伸展させるとよく、これにより膀胱及び膀胱壁の描画も鮮明になるものとされている。

しかし、証拠<省略>によれば、B医師は、平成一七年六月六日に実施した骨盤腔のCT検査において、亡Aの膀胱にオリーブ油を注入して膀胱を充満させ、膀胱壁を伸展させる方法は採らず、他方、静脈注射により注入するヨード系造影剤を用いないいわゆる単純CTの検査を行ったことが認められる。

この点に関し、B医師は、その証人尋問において、膀胱に造影剤を注入した旨証言するが、いかなる造影剤をどのような目的の下にどの程度注入したかは明らかではなく(なお、B医師は、その証人尋問において、膀胱内部が白苔で覆われており、オリーブ油が入る余裕はなかった旨証言している。)、オリーブ油を膀胱に注入して充満させたのと同様の状況下でCT検査が実施されたとは認められない。

そうすると、B医師は、膀胱癌を検索する目的を有していなかったため、その検索を行うために適切な方法でCT検査を実施しなかったものといわざるを得ない。

(エ) 次に、膀胱鏡検査についてみるに、B医師は、膀胱鏡検査において、出血部位や腫瘍の存否の検索をしておらず、上記の膀胱鏡検査は、膀胱癌の検索診断が可能な内容及び程度のものではなかったというべきである。」

(10)  同一二頁一四行目冒頭に「(オ)」を、一七行目冒頭に「(カ)」を、一九行目冒頭に「(キ)」をそれぞれ加える。

(11)  同一三頁二二行目末尾の次に改行の上、次のとおり加える。

「(1) 亡Aに生じた損害(逸失利益)について

(12)  同一三頁二三行目の「(1)」を「(1)ア」に改める。

(13)  同一四頁三行目冒頭から同一五頁四行目末尾までを次のとおり改める。

「 亡Aが平均余命まで生存することができたとは認められず、亡Aが更に生存することができたのは、七七歳の平均余命(一〇・〇三年)の半分程度の五年であると推認するのが相当である。

そうすると、逸失利益の算定に当たり用いるライプニッツ係数は四・三二九四である。

イ 亡Aは、死亡時に年額二五四万一七九四円の公的年金を受給していたことが認められるから、これを基礎収入とし、このように亡Aの収入が公的年金であることに鑑みると、生活費控除率を五〇%とするのが相当である。

ウ 以上によれば、亡Aの逸失利益は、下記計算式により、五五〇万二二二一円になる。

(計算式)

二五四万一七九四円(基礎収入)×四・三二九四(ライプニッツ係数)×{一〇〇%-五〇%(生活費控除率)}=五五〇万二二二一円(一円未満切捨て)

(2) 被控訴人らの固有の損害について

ア 慰謝料

亡Aの年齢、既往歴、健康状態その他諸般の事情を総合考慮すると、被控訴人らそれぞれについて五〇〇万円を認めるのが相当である。

イ 亡Aの葬儀費用

弁論の全趣旨によれば、被控訴人X1が負担する亡Aの葬儀費用としてこれを一五〇万円と認めるのが相当である。

(3) 被控訴人らの損害賠償債権の額について

ア 被控訴人X1

(ア) 損害賠償金の額

下記計算式により、一〇一五万一一一一円である。

(計算式)

五五〇万二二二一円(亡Aの逸失利益中の承継分)×二分の一(法定相続分)+五〇〇万円(固有の慰謝料)+一五〇万円(葬儀費用)=九二五万一一一一円(一円未満は亡Aの逸失利益中の被控訴人X2の承継分との調整のため、繰り上げる。)

(イ) 弁護士費用

本件と相当因果関係のある弁護士費用相当損害金は九〇万円であると認めるのが相当である。

(ウ) 損害賠償金総計

よって、被控訴人X1が取得すべき損害賠償金の総計は一〇一五万一一一一円である。

イ 被控訴人X2

(ア) 損害賠償金の額

下記計算式により八五五万一一一〇円になる。

(計算式)

五五〇万二二二一円(亡Aの逸失利益中の承継分)×二分の一(法定相続分)+五〇〇万円(固有の慰謝料)=七七五万一一一〇円(一円未満切捨て)

(イ) 弁護士費用

本件と相当因果関係のある弁護士費用相当損害金は八〇万円であると認めるのが相当である。

(ウ) 損害賠償金総計

よって、被控訴人X2が取得すべき損害賠償金の総計は八五五万一一一〇円である。」

二  控訴人の当審における主張(控訴理由)について

(1)ア  控訴人は、原審が、膀胱腫瘍の最も重要な初期症状は血尿である旨判断したのは誤りであるとし、次のとおり主張する。

(ア) 無症候性血尿は、他に排尿時痛、頻尿等の臨床症状を伴わない肉眼又は顕微鏡で捉えることのできる血尿を意味し、血尿診断ガイドライン編集委員会が策定した血尿の診断に関わる「血尿ガイドラインも、「肉眼的血尿の診断」の項目において、「肉眼的血尿」のガイドラインは主として成人の無症候性血尿を対象とし、「症候性肉眼的血尿は血尿以外の症状を加味した精査を進めることにより診断可能と思われるので本ガイドラインには加えない。」と明記している。

(イ) そして、亡Aは、平成一三年一〇月一五日に巨大膀胱結石の摘出術及び膀胱瘻の造設術を受けて以降排尿障害を抱えていたから、その血尿について血尿ガイドラインは適用されない。

(ウ) また、亡Aが平成一七年四月四日には右尿管皮膚瘻造設術及び膀胱瘻閉鎖術を受けた後、その膀胱は尿の流入がなくなり死腔化していたから、亡Aに血尿ガイドラインの適用はない。

(エ) さらに、同年五月二日、亡Aは尿を排出しておらず、亡Aにみられたのは発熱を伴う膿性排液であり、無症候性のものではないから、それが血性であっても膀胱腫瘍の初期症状とは関係がない。

イ  しかしながら、以下のとおり、控訴人の上記主張はいずれも採用できない。

(ア) 「血尿診断ガイドライン」中の「肉眼的血尿の診断」の項目には「肉眼的血尿のガイドラインは主として成人の無症候性肉眼的血尿を対象とする。」との記載があるが、続けて「症候性肉眼的血尿は血尿以外の症状を加味した精査を進めることにより診断可能と思われるので、本ガイドラインには加えない。」と記載されていることに鑑みると、特に「肉眼的血尿のガイドライン」は、無症候性血尿については、重大な疾患の症状である場合があるにもかかわらず、他に症状がないため、上記の疾患が見過ごされる可能性があることから、無症候性血尿に焦点を当てて診断手順等が示されているものと推認されるのであり、血尿が他の症状を伴うものであることによって、上記のガイドラインにおいて疑うべきものとされている疾病等の除外診断ができることを意味するものではないというべきである。

(イ) そして、膀胱癌は痛みや感染等の症状を伴うことも少なくないことが各種の医学文献において指摘されていることに鑑みると、患者に血尿以外の症状があるからといって、当該患者が膀胱癌に罹患していることは否定されないものと解される。

(ウ) もっとも、亡Aの膀胱は死腔化しており、ここから尿が排出されることはないから、当然血尿も生じ得ない。

しかし、前記認定(原判決引用部分(補正後のもの))のとおり、膀胱腫瘍の最も重要な初期症状は血尿であるが、尿に血液が混入する原因は、膀胱の腫瘍部の血管が破裂、潰瘍、壊死等により損傷し、出血することにあるから、膀胱が死腔化しているために尿の排出がない場合においても、膀胱内部の腫瘍の血管が上記のような事由によって損傷すれば出血し、その血液が膀胱洗浄の際の排液に混入するものと考えられるのであり、このような機序が出血以外の症状の有無によって異なっているとか、尿の排出機能を失った膀胱については、出血があっても、膀胱腫瘍(膀胱癌)を疑わなくともよいことを根拠づける医学的知見は見当たらない。

そうすると、B医師においては、平成一七年五月二日以降、亡Aの膀胱洗浄の際に血性排液が見られたことから、亡Aが膀胱癌に罹患している可能性を疑うべきであったというべきである。

この点に関し、控訴人は、亡Aは尿を排出していない上、発熱を伴う膿性排液がみられたのであるから、それが血性のものであっても膀胱腫瘍の初期症状とは関係がない旨も主張するが、上述したところからすれば、膀胱癌の罹患の診断に関し、血液が混入したのが戻であるか膀胱洗浄の際の排液であるかによって差異があるとは解されない。

なお、控訴人は、尿と膿とでは血性の発生機序が異なるものであるにもかかわらず、原審は、その区別ができていない旨も主張するところ、証拠<省略>によれば、亡Aは、平成一七年四月八日、発熱したこと、B医師は、その原因として膀胱瘻からの膿性の流出液によるものであるとの診断をしたことが認められるが、亡Aの血性物質(血液、コアグラ、血餅等)の存在が問題となるのは、前記認定(原判決引用部分(補正後のもの))のとおり、平成一七年五月二日以降、膀胱洗浄をした際にその排液にこれらが混入していたことによるものであり、このような血性物質の混入状況からすれば、膀胱に腫瘍がありその部分の血管の損傷箇所から出血した可能性をも疑う必要があると考えられるのであって、原審も、膿性排液をもって膀胱癌の徴表の一つとしているものではないし、尿と膿とを混同しているものでもない。

(エ) 以上のとおり、原審は、亡Aの膀胱洗浄の際に血性排液がみられたことから、それが亡Aに膀胱癌が発症した可能性があることを指摘しているのであり、亡Aに無症候性血尿があるものと誤認して血尿ガイドラインを適用したものではないのであって、控訴人の上記の主張は、原判決を正解しないものというほかなく、採用することはできない。

(2)ア  控訴人は、平成一七年四月二七日に実施した膀胱造影(CG)及び膀胱部CTにおいても膀胱腫瘍の所見は認められず、同年五月二日にみられた血性排液については、炎症を伴った膀胱であれば頻繁に出血を惹起することは通常の所見であること、同年三月一五日提出の尿の検査において赤血球数がほぼ正常であったことから、癌による出血を疑わせるものとはいえないこと、亡Aについては、膀胱鏡の施行、数回にわたる膀胱造影あるいはCT等が実施されており、これらの検査において膀胱癌を特段に疑う所見が存在しなかったことなどから、同年五月二日時点において、B医師が、亡Aの膀胱洗浄の排液に出血を認めたことをもって膀胱癌の存在を疑い、精査する必要性があったとはいえず、B医師は、亡Aの死腔化した膀胱からの排膿が続いており、腫瘍の発生を考えるよりも感染の治療を優先したものであり、この対応は、臨床的に妥当なものであった旨主張する。

イ  そこで、以下検討する。

(ア) 控訴人が提出したE医師作成に係る平成二五年九月二七日付け「意見書」と題する書面(以下「本件意見書」という。)には控訴人の上記の主張に沿う記載がある。

(イ) しかし、前記認定(原判決引用部分(補正後のもの))のとおり、平成一七年四月四日に実施された右尿管皮膚瘻造設術等の後、膀胱瘻に設置したドレナージチューブから排膿があり、同月八日には膀胱瘻閉鎖術を実施した正中創(膀胱瘻)が離開して排膿があり、その後も死腔化した膀胱からの排膿及び弛長型の発熱が続いていたものであるところ、同年五月二日には膀胱洗浄後の排液に血液が混入しており、その後も膀胱洗浄の際に断続的に膀胱洗浄後の排液に血液、コアグラ、血餅等が混入していることが確認されたものである。そして、B医師も、その証人尋問において、上記の同年四月の術後から亡Aに投与する抗生物質を変更したり膀胱洗浄をしたりしたが改善がみられなかったことを自認する証言をしているのである。

そこで、これらの点に、上述(原判決引用部分(補正後のもの))したとおりの亡Aの既往歴をも併せ考慮すると、少なくとも同年五月二日に膀胱洗浄後の排液に血液が混入しているのが確認された時点において、上記のような症状をもたらしている原因として、感染症が高度化した可能性があると考えられる一方、そうではなく(又はこれと併せて)、それ以外の原因である膀胱癌の発症の可能性について疑うべき契機が与えられたものであり、その後も、同月九日、同月一一日及び同月一六日と膀胱洗浄の際に血性排液(コアグラ、血餅等を含む。)がみられたこと(原判決引用部分(補正後のもの))からすると、同月中旬頃には膀胱癌の発生の可能性を視野に入れてその検索をすべき義務があったものというべきである。

(ウ) なお、本件意見書には、膀胱上部で尿路変更が行われ、膀胱が空置状態となった一四例の追跡調査において、二八・五%のケースで癌とは無関係に血液の排出が認められたとの報告があることを根拠として、空置された膀胱から血液が排出したとの事実をもってしては、膀胱癌が発症していることを直ちに想定することは困難であるとの記載がある。

上記の報告の統計的な価値は評定し難いが、上記の報告をもってしても、三例のうち癌とは関係のない血液の排出は一例未満となるのであるから、血液の排出を認めた場合に膀胱癌の発症の可能性を疑わなくてよいということにはならないというべきである。

(3)ア  控訴人は、B医師が平成一七年六月六日に実施した検査について、次のとおり主張する。

(ア) 上記諸検査は、膀胱腫瘍の検索も目的の一つとしていた。そして検査目的に膀胱癌の検索が含まれているかどうかにかかわらず、検査方法及び得られる結果は同一である。

(イ) このうち膀胱造影(CG)及び膀胱部CTは臨床医学的に適切な方法で行われていた。

膀胱部CTについては、膀胱内にオリーブ油を注入する目的は造影剤と尿とを分離させることにあり、膀胱が死腔化して尿がない場合にはオリーブ油を注入する必要はなかった。

(ウ) 膀胱鏡検査も、膀胱の内腔を白苔が厚く覆っており、出血部位や腫瘍の存否を確認することはできず癌の鑑別は不可能であったものであり、これらの検査によって明らかな膀胱腫瘍は認められなかった。

(エ) したがって、亡Aに膀胱癌が発症していなかったことをうかがわせる事情が存在していた。

イ(ア)  しかし、前記認定事実(原判決引用部分(補正後のもの))、証拠<省略>によれば、B医師は、亡Aが膀胱癌に罹患した可能性については全く疑っておらず、上記CT検査も膀胱癌の検索鑑別を行うためのものとして行われたものではないことはB医師自身が認めるところであり(証人B、原判決引用部分(補正後のもの))、上記CT検査が膀胱癌の検索鑑別診断に必要なものとして適切に行われたものではないことは上述(原判決引用部分(補正後のもの))したとおりである。

そして、膀胱部のCT検査に際して膀胱にオリーブ油を注入することについて、前記認定事実(原判決引用部分(補正後のもの))、証拠<省略>によれば、一般に、膀胱部のCT検査を有効に行うには膀胱を充満させて膀胱壁を広げておく必要があるとともに、膀胱にオリーブ油を注入することによって膀胱壁とコントラストがつき、描画が鮮明になる効果が得られ、また、膀胱癌の膀胱壁への深達度を描出するため、オリーブ油を注入して膀胱を充満させ、膀胱壁を伸展させておくのが有用であるとされていることが認められ、このことに照らし、オリーブ油を注入する必要がなかった旨の控訴人の上記の主張は採用することができない。

(イ) また、膀胱造影検査については、上述したとおりCT検査及び後に述べるように膀胱鏡検査が膀胱癌の検索目的の下に適切に実施されたものではないことからすると、膀胱造影検査において膀胱癌の所見が認められなかったことをもって、亡Aが当時膀胱癌に罹患していなかったということはできない。

(ウ) さらに、B医師は、証人尋問において、亡Aの膀胱を「膀胱鏡で見たときには、もうびっしり厚く膀胱内腔を覆っている白苔」があった旨証言する。

しかし、当日の診療録には亡Aの膀胱内部が白苔で覆われていた旨の記載はないところ、B医師の上記の証言のような膀胱内部の状況であったとすれば、記載を要しないような軽微な事象であるとは解し難いから、診療録におよそ記載がないのはいささか不自然であるといわざるを得ず、直ちに上記の証言どおりの事実を認めるには至らないというべきである。仮に膀胱内部に相当量の白苔があり、膀胱鏡による膀胱全体の詳細な観察が困難であったとしても、その場合には、他の検査を実施すべきものであって、膀胱鏡による観察が困難であることを理由として、亡Aが当時膀胱癌に罹患していなかったことにならないのは明らかである(また、B医師の膀胱癌についての検索治療義務が尽くされたことにはならないことはもとより、それが軽減されることもないというべきである。)。

(4)ア  本件意見書には、組織学的所見がないのに癌の存在を認定することは困難であり、亡Aの胸部レントゲン写真、CT画像等においては、肺、肝臓、リンパ節等への多発性の転移等があるかは明らかでないことから、亡Aの死亡の原因を膀胱癌とすることは困難である旨等の記載がある。

イ  しかしながら本件においては、亡Aの膀胱についての病理診断はされていないものの、前記認定事実(原判決引用部分(補正後のもの))に係る亡Aの膀胱部の腫瘍からの大量出血の事実等に鑑みれば、亡Aは膀胱癌に罹患していたものと認めるのが相当である。

また、証拠<省略>によれば、膀胱癌の転移好発部位は、リンパ節、肺、骨、肝臓等であり、胸部単純X線、胸部CT、腹部CT、腹部MRI、骨シンチ等を実施して転移の有無を確認するものとされていることが認められるが、B医師を含む本件病院の関係医療従事者において転移の検索を目的としてこれらの検査等が行われたとは認められず、そうすると、転移を示す画像等がないとの事実によって亡Aが膀胱癌に罹患していたとの推認が妨げられるものではないというべきである。

(5)ア  本件意見書には、亡Aの死亡二日前の末梢血ヘモグロビン値は八・一g/dLであり、出血性ショックを呈するような値ではないこと、仮に膀胱癌があったとしても、胸部レントゲン写真やCT画像においては転移等も明らかではなく、膀胱癌を死亡原因とすることはできないこと、亡Aは発熱が持続し、白血球数が著明に増加し、炎症性反応も高値であったことなどから判断すれば、全身重症感染を発症したことによる敗血症及び敗血症性ショックが死亡の原因であることなどの記載がある。

イ  しかしながら、証拠<省略>によれば、亡Aは、平成一七年三月一四日に本件病院に入院して以降、輸血等の処置が実施されていたが、ヘモグロビン値は正常値を下回り、継続して低下していたこと、亡Aの死亡直後、膀胱から四リットル以上の出血及び凝血塊が確認されたことが認められ、これらの事実からすれば、亡Aは出血性ショックにより死亡したものと推認するのが相当である。

ウ  控訴人は、控訴人に診療契約上の説明義務違反はないとし、次のとおり主張する。

(ア) B医師が亡A及び被控訴人らに膀胱全摘術の必要性の説明をしたのは、膀胱の状態が抗生剤投与によって改善せず、白苔に覆われるなど既に保存的治療を選択することができない非常に重篤な状態に至っており、膀胱癌の有無にかかわらず、細菌が全身に行き渡って敗血症により死亡する危険性があるため、根治術として膀胱の全摘術しかないと判断したからである。

(イ) B医師は、亡Aが選択したb病院(以下「b病院」という。)に自ら撮影したCT画像まで持参して泌尿器科部長のC医師(以下「C医師」という。)に対して亡Aの病状を説明し、その際、同年六月六日に撮影したCTを見たC医師は、膀胱と直腸との癒着があることを理解したが、膀胱癌となるような異変についての指摘はしなかった上、亡Aの膀胱の状態(血性排膿の排出も含めて)を認めながら、特段膀胱癌の鑑別の必要性を述べていない。

(ウ) 亡Aは、B医師の説明及び転医の勧めにもかかわらず、自らの判断で全摘術を拒否したのであり、亡Aが膀胱全摘術を受けていれば、感染症が進行することもなく、また、結果として膀胱腫瘍も発症することもなかったのであるから、亡Aが死亡したことについて控訴人に責任はない。

エ(ア)  しかし、医師は、患者の疾患の治療のために手術を実施するに当たっては、診療契約に基づき、特別の事情のない限り、患者に対し、当該疾患の診断(病名と病状)、実施予定の手術の内容、手術に付随する危険性、他に選択可能な治療方法があれば、その内容と利害得失、予後などについて説明すべき義務があり、また、医療水準として確立した療法(術式)が複数存在する場合には、患者がそのいずれを選択するかにつき熟慮の上判断することができるような仕方で、それぞれの療法(術式)の違いや利害得失を分かりやすく説明することが求められると解される(最高裁平成一〇年(オ)第五七六号同一三年一一月二七日第三小法廷判決・民集五五巻六号一一五四頁参照)。

そして、医療水準として確立した療法(術式)が複数存在する場合には、その中のある療法(術式)を受けるという選択肢とともに、いずれの療法(術式)も受けずに保存的に経過を見るという選択肢も存在し、そのいずれを選択するかは、患者自身の生き方や生活の質にもかかわるものでもあるし、また、上記選択をするための時間的な余裕も必要であることから、患者がいずれの選択肢を選択するかにつき熟慮の上判断することができるように、医師は各療法(術式)の違いや経過観察も含めた各選択肢の利害得失について分かりやすく説明することが求められるものというべきである(最高裁平成一七年(受)第一六一二号同一八年一〇月二七日第二小法廷判決・裁判集民事二二一号七〇五頁参照)。

(イ) これを本件についてみるに、前記認定(原判決引用部分(補正後のもの))のとおり、B医師は、亡A及び被控訴人らに対し、平成一七年六月二二日、腎機能は改善しているが、死腔化した膀胱が原因となって発熱が継続している旨、抗生剤の投与を続けているが効果がなく、これ以上の治療としては膀胱全摘術しかないと思われるが、これはリスクが高いとして実施可能な病院であるb病院を紹介する旨説明し、同年七月六日、b病院泌尿器科のC医師に対する相談の状況等も踏まえ、亡Aの全身状態が徐々に悪化していること、薬なしでは栄養状態及び貧血は改善せず、手術することができるかどうかも不明であることなどを説明し、膀胱全摘術を実施するか保存的にこのまま加療するか決めてほしいなどと述べ、亡Aは、同月二六日、被控訴人らとともにC医師から、膀胱全摘術を実施すると直腸を損傷する可能性がかなり高く、そうなると人工肛門造設術が必要となってQOL(日常生活の質)が低下する可能性が高い、現状を維持するより方法がない旨の説明を受けた結果、膀胱全摘術を受けないこととしたものである。

(ウ) そして、この過程において、B医師は、亡Aが膀胱癌に罹患している可能性について言及しておらず、亡A及び被控訴人らは、亡Aに膀胱癌が発症している可能性を知らず、膀胱全摘術を実施すれば人工肛門の造設術を受けることが不可避であるとの理由で膀胱全摘術を拒絶したにすぎず、そこで与えられた選択肢は、このまま保存的治療を継続するか、又はQOLの低下を甘受して膀胱全摘術を受けるかというものであるにとどまり、生命の維持を可能にするため膀胱全摘術を受けるかどうかの選択肢は与えられていなかったものである。

しかし、仮に、膀胱癌に罹患している可能性について説明がされていれば、亡Aにおいて、膀胱を全部摘出する覚悟もしなければ生命に対する危険が高まると認識し、人工肛門造設等の負担が生ずることとなるとしても、生存の確度を向上させるためQOLを犠牲にして膀胱全摘術を選択した高い蓋然性があるというべきである(なお、C医師の上記のような説明も、亡Aが膀胱癌に罹患している可能性を認識していたとすれば、別様のものになっていたものと推認される。また、被控訴人X2本人尋問の結果によれば、亡A及び被控訴人らは、膀胱に硝酸銀を入れる治療が行われるものと考えていたが、その後の亡Aの症状の変化により、同治療は行われなかったものであることが認められる。)。

そうすると、亡Aは、自分が罹患している疾病(病名及び病状)について正確な説明を受けなかったものであり、これに対応する治療法の違い、利害得失等について分かりやすく説明を受けたものとは認められないから、B医師を含む本件病院の医療従事者において説明義務を尽くしたということはできない。

(エ) なお、控訴人は、上記の最高裁平成一八年一〇月二七日判決について、これに示された規範は、複数の治療方法を選択することができる場合に妥当するにとどまり、亡Aのように膀胱全摘術以外に選択することができる治療方法がない場合には及ばない旨主張する。

しかし、同じ膀胱全摘術であっても、それが生命を維持する上で必要なものであるか否かによって、患者の選択肢として全く別の意味を有するものというべきであり、控訴人の上記の主張は、上記判決の趣旨を正解しないものであって採用することができない。

第四結論

よって、上記と一部異なる原判決を変更することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 林道春 裁判官内堀宏達及び裁判官濵優子は填補のため、署名押印することができない。裁判長裁判官 林道春)

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