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名古屋高等裁判所 平成25年(ネ)699号 判決 2014年1月23日

主文

1  原判決を次のとおり変更する。

2  被控訴人は,控訴人らに対し,各自3754万5000円及びこれに対する平成23年5月24日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。

3  控訴人らのその余の請求をいずれも棄却する。

4  訴訟費用は,第1審,第2審を通じてこれを10分し,その1を控訴人らの,その余を被控訴人の負担とする。

5  この判決は,第2項に限り,仮に執行することができる。

事実及び理由

第1当事者の求めた裁判

1  控訴人ら

(1)  原判決を取り消す。

(2)  被控訴人は控訴人らに対し,各自4174万5000円及びこれに対する平成23年5月24日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。

(3)  訴訟費用は,第1審,第2審とも被控訴人の負担とする。

(4)  仮執行の宣言

2  被控訴人

(1)  本件控訴を棄却する。

(2)  控訴費用は控訴人らの負担とする。

第2事案の概要

1  本件は,平成22年12月7日,A県内において,亡Bが運転する普通乗用自動車が反対車線に進出して,Cの運転する大型貨物自動車と正面衝突し,亡Bが死亡した交通事故について,亡Bの相続人である控訴人らが,亡B運転車両を被保険車とする自動車保険の保険者である被控訴人に対し,保険契約に基づく人身傷害保険金請求権により,人身傷害条項損害額基準に基づく逸失利益,死亡慰謝料,葬祭費及び弁護士費用と,これらに対する保険金支払拒否日の翌日である平成23年5月24日から支払済みまで商事法定利率による遅延損害金を請求した事案である。

原審が控訴人らの請求をいずれも棄却したため,控訴人らが控訴した。

以下,略語は,特段の断りのない限り,原判決の例による。

2  前提事実

次のとおり原判決を補正するほかは,原判決「事実及び理由」欄第2の1に記載のとおりであるからこれを引用する。

(原判決の補正)

(1) 原判決2頁18行目の「追い越した」を「追い抜いた」に改める。

(2) 原判決3頁2行目から3行目の「午後8時30分頃まで」を「午後9時頃まで」と改める。

(3) 原判決3頁4行目の「歓送迎会」を「歓送迎会(以下「本件宴会」という。)と改める。

(4) 原判決3頁6行目の「これに参加した。」を「これに最後まで参加した。」と改める。

(5) 原判決3頁6行目と7行目の間に,次のとおり加える。

「 本件宴会にはDの社員7名(亡Bを含む。)と中国人研修生5名の12名が参加し,ビ-ルなどの酒類を含めて約5万円の代金相当の飲食をし,中国人研修生はその全員が本件事故前後の記憶がないと述べるほどに飲酒した(甲10の2,乙4)。

亡Bは,本件宴会終了直後に,中国人研修生5名を乗車させた控訴人車(乗車定員5名)を運転し,上記居酒屋の駐車場を出て,国道E号線を走行中に本件事故を起こした(甲10の2,乙3の1ないし3,乙4)。」

(6) 原判決3頁7行目の「副検事は,」の後に「弁護士法23条の2による照会に対し,」を加える。

(7) 原判決3頁14行目から15行目の「n-プロパノ-ル」を「n-プロピルアルコ-ル(プロパノ-ル。以下「n-プロパノ-ル」という。)」と改める。

(8) 原判決5頁5行目の「認められており,」を「認められたとの回答があり,」と改める。

3  争点及び争点に関する当事者の主張

次のとおり原判決を補正し,当審における当事者の主張を付加するほかは,原判決「事実及び理由」欄の第2の2に記載のとおりであるから,これを引用する。

(1)  原判決の補正

原判決5頁20行目から21行目の「n-プロピルアルコ-ル(プロパノ-ル。以下「n-プロパノ-ル」という)」を「n-プロパノ-ル」と改める。

(2)  当審における当事者の主張

(控訴人ら)

ア 本件免責特約にいう「酒気を帯びて(道路交通法65条1項違反またはこれに相当する状態)」の解釈について

法令では,道路交通法65条1項違反の酒気帯び運転の基準値(呼気1リットル中のアルコ-ル濃度0.15㎎以上)は,血中アルコ-ル濃度に換算して0.30㎎/mℓであると定められている。また,血液のアルコ-ル濃度が0.20㎎/mℓであるようなときは,法医学の経験論としても,自動車の正常な運転に支障をきたすおそれがあるような状態ではなかったといえる。しかるに,原判決は,法令及び法医学の知見を無視して,一方的かつ独善的に,本件免責特約が適用される場面が血中アルコ-ル濃度に換算して0.30㎎/mℓ以上の場合であるという主張を採用しないとしている。

後記のとおり,亡Bは飲酒していなかったが,仮に飲酒していたとしても,血中アルコ-ル濃度は0.20㎎/mℓであったのであるから,亡Bの死亡について,本件免責特約が適用されないことは明らかである。

イ 亡Bの飲酒の有無について

(ア) エタノ-ルが死後産生された場合には,必ずn-プロパノ-ルが産生されることが科学的事実として確定しているわけではなく,n-プロパノ-ルの産生なしに死後に血中エタノ-ルが産生されたケ-スも少なからず報告されていることから,n-プロパノ-ルが検出されなかった場合には,死後血液から検出されたエタノ-ルが死後産生ではなく,生前由来である可能性が高いとまではいえず,死後産生と生前由来のどちらかという点において確証が得られないというのが実情である。しかるに,原判決は,本件血液からn-プロパノ-ルが検出されなかったことから,ただちに本件血液中のエタノ-ルが死後産生されたものでないとの推認が働くと判示しており,近時の法医学の各知見に相反するものであって,採証法則を誤ったものである。

(イ) また,本件血液の保管方法についても,平成22年12月8日の血液採取から同月14日にA県警察科学捜査研究所に本件血液が送られて冷蔵庫に納められるまでの間の保管方法について記録がなく,不明とされているにもかかわらず,原判決は,本件血液はマニュアルに従い適切に保管がなされた可能性が高いと認定している。しかし,複数の法医学者らが一致して認めるとおり,本件血液から検出されたエタノ-ルは死後産生に由来すると理解する方が採血状況,検査時期からみて合理的であるから,本件血液がマニュアルに従い適切に保管されており,本件血液中のエタノ-ルが生前由来の可能性があるというべきではない。

(ウ) 原判決は,亡Bが,特段の必要もなかったのに,控訴人車に乗車定員を超える人数の中国人研修生を乗車させ,Fとの約束があったのに,上司や同僚に挨拶もなく居酒屋を立ち去ったこと,路面が湿潤していたとはいえ,現場は比較的明るく見通しのよい直線道路であるにもかかわらず,控訴人車は他の車両の影響を受けることなく単独で横滑りし,対向車線に進入していることを根拠に,亡Bは本件事故当時,飲酒していたと考えるのが自然であり合理的であるとしている。

しかし,本件宴会後の中国人研修生の搬送については,亡Bが本件宴会後もFとの打合せ等のため勤務先会社の事務所に戻って仕事をすることを予定しており,中国人研修生のアパ-トに立ち寄ったとしてもそれほど遠回りにならなかったこと,中国人研修生は5人いたため,亡Bが,1人を置き去りにして立ち去るよりは,多少無理をしてでも全員を乗せて一挙に送った方が便宜であると判断したと考えることができることから,何ら不合理でないし,飲酒の有無とは関係がない。

亡Bが上司や同僚に挨拶をしなかったことについても,Fとはその後打合せをする予定であったことから特に挨拶をする必要がなかったともいえるし,少しでも早く勤務先会社の事務所に戻って翌日に提出期限を控えた資料を完成させたいという心理的状態にあったと考えれば矛盾はないのであるし,これも飲酒の有無とは関係のないことである。

さらに,亡Bは,本件事故現場となった道路上を直進するに当たって第二車線(追越車線)上を走行中の車両を,第一車線(走行車線)から追い抜いているのであって,その際,追い抜き直後に車線変更しようとして,一旦ハンドルを切ったが,滑走のため右方向に車体がぶれたため,すぐにハンドルを左に切り返す操作を行った結果,降雨のため道路が湿潤していたことと,5人乗りの普通乗用車に6人もの重量の人員を乗せていたという悪条件とが重なって,車体後部が時計回りと反対回りに回転した状態で滑走してしまい,対向車線に逆走する形で進入したものであって,このような運転操作ないし車体の移動態様は,アルコ-ルの影響のない運転操作をした場合でも当然に起こりうることである。むしろアルコ-ルの影響のない,通常の運転者としての注意力や判断能力がないと反応できない運転操作に基づくものであるとさえいえる。

(被控訴人)

ア 本件免責特約にいう「酒気を帯びて(道路交通法65条1項違反またはこれに相当する状態)」の解釈について

(ア) 道路交通法65条1項は,「何人も,酒気を帯びて車両等を運転してはならない」と規定し,身体に保有されるアルコ-ルの程度のいかんにかかわらず,無条件に酒気帯び運転を禁止している。そして,「酒気を帯びて」とは,およそ社会通念上酒気を帯びているといわれている状態をいうものと解され,具体的には,その者が,通常の状態で身体に保有する程度以上にアルコ-ルを保有している状態にある場合がこれに該当すると解されている。

しかし,酒に酔うことには個体差もあるし,通常の状態で身体に保有する程度にも個体差があるため,道路交通法は,酒に酔った状態,すなわちアルコ-ルの影響により正常な運転ができないおそれがある状態にあったもの(道路交通法117条の2第1号)及び身体に政令で定める程度以上にアルコ-ルを保有する状態にあったもの(同法117条の2の2第3号)に対してのみ,罰則を設けることにした。したがって,政令で定めるアルコ-ル濃度呼気1リットル中のアルコ-ル濃度0.15㎎以上(血中アルコ-ル濃度0.30mg/mℓ)に達しない場合であっても,道路交通法65条1項に該当することになる。

(イ) 本件免責特約は,飲酒運転の根絶という世論が刑法や道路交通法の改正に影響を及ぼしたことを受けて,平成16年に,「酒に酔って正常な運転ができないおそれがある状態」で被保険自動車を運転しているときに生じた傷害や損害が免責の対象とされていたのを,「酒気を帯びて」と改定し,「酒気を帯びて」の意味について,道路交通法65条1項違反またはこれに相当する状態と注釈したものである。

また,一般の保険契約者は,道路交通法の規定を具体的に知らなくても,常識的に見て,酒気を帯びているといわれる状態での運転が同法によって禁止され,かつ本件免責特約では,そのような状態での運転の事故が免責の対象となると理解するのが通常であって,政令の数値以上の酒気帯び運転中の事故に限り免責されると考えていない。そのように考えないと,酒気を帯びても,酒気帯び運転の罪で処罰されうる程度を超えなければ事故を引き起こしても保険金の支払を受けられることを期待するという不当な結論が導かれることになってしまう。

このような本件免責特約改定の経緯や一般保険契約者の合理的意思を総合勘案するならば,呼気検査でアルコ-ルが通常保有する程度以上に検知されたり,顔色等により外観上認知することが出来る状態にあれば,道路交通法65条1項にいう酒気帯び運転に該当することになり,特段の事情がない限り,本件免責特約が適用されると解するべきである。

イ 亡Bの飲酒の有無について

(ア) 本件宴会では,関係者も多量の飲酒をしている中で,亡Bの行動を常時観察していた者はいない。記憶をなくすほど泥酔していた者が多数いるような宴会の中で,場の雰囲気を壊さないために付き合いで数杯程度の飲酒があったとしても不思議ではない。

(イ) 本件事故現場の道路が降雨のため湿潤していたとしても,適切な運転方法で走行していたとすれば,制御不能の状態で滑走するような事態に陥ることはない。科学捜査研究所の研究論文によれば,少量のアルコ-ルであっても,反応時間,視野狭窄や視力低下など,運転者の認知,判断過程に影響を及ぼすこと,さらに,認知,判断過程以外にも,居眠り運転の原因となる速度超過などの危険な運転行動をしやすいことなどが指摘されている。本件事故の原因は,速度超過,危険認知の遅れによるブレ-キ操作とハンドル操作の誤り(急ブレ-キと急ハンドルによって制御不能の状態になった)といったことが考えられ,まさに飲酒の影響する事故態様の典型である。

第3当裁判所の判断

1  争点①-本件免責特約の適用について

(1)  本件免責特約にいう「酒気を帯びて(道路交通法65条1項違反またはこれに相当する状態)」の解釈について

ア 本件免責特約は,「酒気を帯びて」,すなわち「道路交通法65条1項違反またはこれに相当する状態で」自動車を運転していた場合に生じた損害について,保険金の支払拒否事由(免責事由)とするものである。

ところで,同法65条1項の「酒気を帯びて」とは,社会通念上酒気を帯びているといわれる状態,すなわち,その者が,身体にその者が通常保有する程度以上にアルコ-ルを保有していることが,顔色,呼気等の外観上認知できる状態にあることをいうと解され,同法117条の2の2第3号所定の政令数値未満の罰則の対象とはならない程度の酒気帯び運転についてもこれを禁止する趣旨である(乙11参照)。そして,本件免責特約の「酒気を帯びて」については,特に同法65条1項違反またはこれに相当する状態というとの注が付されていることからすると,本件免責特約は,同法65条1項と同様に,社会通念上酒気を帯びているといわれる状態,すなわち,その者が,身体にその者が通常保有する程度以上にアルコ-ルを保有していることが,顔色,呼気等の外観上認知できる状態にある場合を意味するものと解するのが相当である。

この点について,控訴人らは,本件免責特約のいう「酒気を帯びて」とは,血中アルコ-ル濃度であれば0.30㎎/mℓ程度,呼気アルコ-ル濃度であれば1リットル中0.15㎎以上が基準となる旨主張する。

しかし,控訴人らが主張する基準は,道路交通法がその65条1項で禁止している酒気帯び運転のうち,処罰の対象となる酒気帯び運転を定めるための基準であることは,同法117条の2の2第3号の規定から明らかである。これに対し,本件免責特約においては,その文言上,処罰の対象となる酒気帯び運転などと,適用のある酒気帯び運転について限定を加えていないのであるから,本件免責特約にいう酒気帯び運転を,血中アルコ-ル濃度であれば0.30㎎/mℓ以上,呼気アルコ-ル濃度であれば1リットル中0.15㎎以上のアルコ-ルが身体に保有されている場合に限定されるものと解することはできない。

イ また,証拠(乙2)及び弁論の全趣旨によると,本件免責特約は,平成16年の約款改正により現在の「酒気を帯びて(道路交通法65条1項違反またはこれに相当する状態)」になったものであるが,これは,飲酒運転の根絶という世論が刑法や道路交通法の改正に影響を及ぼしたことを受けて,それまで「酒に酔って正常な運転ができないおそれがある状態」で被保険自動車を運転しているときに生じた傷害や損害を免責の対象とする免責特約が見直されたことによるものであると認められる。

このような改定の経緯も考慮すると,本件免責特約について,文言上特段の限定がないにもかかわらず,「正常な運転ができないおそれがある状態」という要件を付加しているのと同様の結論となる解釈を採用することはできない。

ウ 以上のとおりであるから,本件免責特約は,社会通念上酒気を帯びているといわれる状態,すなわち,その者が,身体にその者が通常保有する程度以上にアルコ-ルを保有していることが,顔色,呼気等の外観上認知できる状態にある場合に適用されるものというべきである。

(2)  亡Bの飲酒の有無について

ア 前提事実のとおり,本件事故は,亡Bも参加した本件宴会終了直後に亡Bが控訴人車を運転中に起こした事故であるところ,本件事故の約3時間後に亡Bの遺体から採取した本件血液について,採取日から8日目に行われた検査により,0.20㎎/mℓのエタノ-ルが検出されているため,これが亡Bの生前由来のもの(生前に摂取されたもの)であると認められる場合には,亡Bは,酒気を帯びて控訴人車を運転中に本件事故により死亡したことになり,本件免責特約により,被控訴人は保険金支払義務を負わないことになる。

イ 控訴人らは,本件血液中のエタノ-ルが亡Bの死後に産生されたものであると主張するので,検討する。

(ア) 証拠(甲14,15,17)によれば,法医学の分野においては,人の死体に生じる化学的死後変化の部分現象として,エタノ-ルを含む諸種のアルコ-ルが産生される場合があることが相当古くから知られている事柄であること(甲14の669頁),G大学法医学教室のHが,各種条件下の死体等におけるエタノ-ル産生及びそのメカニズムを解明する目的で行った実験(以下「H実験」という。)によると,死体や保存臓器(血液を含む。)におけるエタノ-ル産生は,増殖する腐敗細菌のもつADH,ALDHにより糖質を材料として,生体におけるエタノ-ル代謝と逆の方向で進行するものと考えられ(甲14の682頁),また,その過程においてエタノ-ルのほかに,エタノ-ルと並行してn-プロパノ-ルも産生されることが比較的多いこと(ただし,この点はウサギの死体に関するもの。甲14の679頁)が確認されたこと,n-プロパノ-ルは,体外から取り込まれることのない物質であるため,その存在は,エタノ-ルの死後産生を示す証拠となること(甲14の680頁,甲15の203頁)が認められる。

そして,I大学大学院医歯薬学総合研究科法医学のJ教授らの鑑定意見書(甲17)には,エタノ-ルの死後産生に関しては,n-プロパノ-ルの約20倍が死後産生されたエタノ-ルに相当するとの見解が一般的であるため,血中のエタノ-ルの由来を考察する上で,n-プロパノ-ルの濃度測定は不可欠であるとの記載があり,また,同教授らの補充意見書(甲30。以下「J補充意見書」という。)には,死後に産生されたエタノ-ルの場合,同時に腐敗によりn-プロパノ-ルも産生されることが多いといった経験的事実があるとの記載がある。

これらの事実と証拠によると,現在の法医学においては,エタノ-ルが死後産生される場合には,n-プロパノ-ルも検出されることが多いという経験的事実があることが認められ,したがって,死体から採取された血液中から,エタノ-ルとともにn-プロパノ-ルが検出された場合には,そのエタノ-ルは,死後に産生されたもの,又は,死後に産生されたものを含む蓋然性が大きく,特段の事情のない限り,そのように推認することができるものというべきである。

(イ) ところで,前提事実のとおり,本件血液からはエタノ-ルは検出されたがn-プロパノ-ルは検出されなかったところ,死体血からエタノ-ルが検出されたが,n-プロパノ-ルが検出されなかった場合において,そのエタノ-ルが生前由来のもの(生前摂取のもの)であって,死後産生されたものでないといえるかについて,J補充意見書は,死体血からエタノ-ルが検出されたが,n-プロパノ-ルが検出されなかった場合において,そのエタノ-ルが死後に産生された可能性を否定できず,生前摂取されたものであるとは判断できないとし,その理由として,n-プロパノ-ルを代表とする揮発性アルコ-ルは必ずしも残るものではないこと,未飲酒の死者から採血された血液から,エタノ-ルが検出されたが,n-プロパノ-ルが検出されなかったケ-スが少なからず報告されていることを挙げ,「死後採取した血液につき,エタノ-ルが死後に産生したと見られる場合,必ずn-プロパノ-ルが検出される」との命題は科学的に証明されていない,というのであり,同趣旨の研究報告(甲18)もある。また,K大学大学院医学系研究科・法医科学講師Lの回答書(甲37の1)にも,「近時は,エタノ-ルが死後に産生されたとみられる検体で,n-プロパノ-ルが検出されなかった事例も報告されており」,「n-プロパノ-ルが必ずしも検出されない原因については未解明な部分もありますが,死後血がカンジタ属等の真菌に汚染されていると,血糖の発酵現象によってエタノ-ルが産生される関係で,腐敗現象に伴うn-プロパノ-ルは必ずしも産生されないという見解が有力です。」との記載がある。

そして,H実験(甲14)においては,動物死体の臓器を使用した実験で,死後にエタノ-ルが産生されたことが明らかな場合でも,n-プロパノ-ルが検出されない結果となっている場合(甲14の表1),生体から採取した血液を使用した実験で,血液にグルコ-ス(単糖類の一種)を加えた試料と生理食塩水を加えた試料を試験管に入れて,綿栓をして25度で放置したところ,グルコ-スを加えた試料について5日目からエタノ-ルが検出されたがn-プロパノ-ルは検出されない結果となった場合(甲14の674頁の8項),比較的新しい人死体血を使用した実験で,血液に何も加えない試料,腐敗肝を加えた試料,酵母(こうじ種)を加えた試料,こうじを加えた試料をそれぞれ室温に放置したところ,腐敗肝を加えた試料にはエタノ-ルとともにn-プロパノ-ルの産生があったが,酵母(こうじ種)を加えた試料にはエタノ-ルは検出されたがn-プロパノ-ルは検出されない結果となっている場合(甲14の表9)が報告されているのである。

そうすると,死後に採取された血液からエタノ-ルが検出されたがn-プロパノ-ルが検出されなかった場合にあっても,当該エタノ-ルが死後産生されたものである可能性があるため,当該エタノ-ルが生前に摂取されたものであると即断することはできないことになる。

(ウ) そこで,本件血液から検出されたエタノ-ルが死後に産生された可能性について,具体的に検討する。

証拠(甲5,甲9の2,甲17,19,27の1・2,37の1ないし3)によると,本件事故後,亡Bの顔面,頭部の損傷は著しかったこと,亡Bが死亡時に着用していた衣服の右肩部分にはシ-トベルトが溶着し,血液も付着するなどしていたこと,本件血液は亡Bの左耳からの流血から採血されたことが認められるところ,このようにして採取された本件血液については,皮膚の常在菌であるカンジタ類(かび)によって汚染されている可能性が高く,また,亡Bが着用していた衣服の汚損状況からみても,本件血液が細菌に汚染されていることが予想されることから,本件血液から検出された0.20㎎/mℓ程度のエタノ-ルであれば,死後産生されたものであると考えられるとする複数の法医学者らの意見があることが認められる。なお,医学博士M作成の意見書(乙6,9。以下,併せて「M意見書」という。)も,本件血液が細菌等で汚染されている可能性は否定していない。

そして,本件血液は,本件事故の約3時間後に採取され,採取日から7日目にA県警察科学捜査研究所に送付され,翌日に検査されている(甲9の1・2,調査嘱託の結果)のであるが,採取日からA県警察科学捜査研究所に送付されるまでの間の保管状況が明らかでないというのであるから,本件血液が上記研究所に送付されるまでの間冷蔵保存されていたものとは断定できず,したがって,本件血液が冷蔵保存されて細菌等の活動が抑えられていたものということもできない。この点について,被控訴人は,本件血液は,本件事故への亡Bの飲酒の影響を調べるという検査目的で採取されるのであるから,冷蔵庫に保存されていたと推認されるべきである旨主張するが,上記のとおり,採取日からA県警察科学捜査研究所に送付されるまでの間の保管状況が明らかでない以上,採用できない。

そうすると,上記(ア)によると,一般的には,血液中のエタノ-ルが死後産生された場合において,n-プロパノ-ルが検出されないことが多くないとしても,上記のような状況で採取され保管されていた本件血液中のエタノ-ルがその全部又は一部が死後に産生されたものである可能性を否定することはできないというべきである。

M意見書中には上記判断に反する部分があるが,既に説示したところに照らして採用できない。

ウ 次に,本件血液中のエタノ-ルの存在以外の証拠により,亡Bが本件宴会で飲酒していたことが認められるか否かについて検討する。

(ア) 本件宴会出席者において,亡Bが本件宴会で飲酒していたことを見た旨供述等する者は皆無である。

すなわち,証拠(甲10の1・2,11の1・2,25,26,乙4)及び弁論の全趣旨によると,本件送別会に参加していた中国人研修生らは,被控訴人から依頼されて調査に当たった株式会社Nの調査担当者に対して,亡Bが飲酒していたかどうかについては全員が覚えていないと述べていること,本件宴会に参加したDの社員も,亡Bが本件宴会において飲酒している場面を見ていない旨述べているだけでなく,亡Bは本件送別会に遅れて出席したが,既に飲酒していた中国人研修生から酒を勧められてもそれを断って,ソフトドリンクを注文していた旨供述し,社員の一人のOは,本件宴会では酒を飲んでいなかったが,本件宴会を中座した際に,部屋の外で亡Bと顔を合わせた際に,亡Bの様子からしても亡Bは飲酒していないと認識していた旨供述していることが認められる。

もっとも,前提事実と証拠(甲10の2,甲25,乙4)及び弁論の全趣旨によると,亡Bは,翌日までに仕上げなければならない仕事があったにもかかわらず,本件送別会を中座することなく最後まで参加していたこと(①),本件送別会に参加していた中国人研修生らはかなり酩酊し,本件宴会での飲食代金は約5万円であったこと(②),本件事故は,本件宴会直後の事故であり,亡Bは,控訴人車の定員を超える人数を乗せていたこと(③),亡Bが本件宴会の後,上司や同僚に挨拶をしないままに立ち去っていること(④)が認められる。

しかし,これらの事実が直ちに本件宴会での亡Bの飲酒を裏付ける事実であるということはできない。例えば,③の事実については,中国人研修生が5人いたため,亡Bが多少無理をしてでも全員を乗せて一挙に送った方が便宜であると判断したと考えられないではない。また,④の事実については,上司であるFとはその後打合せをする予定であったこと(甲25)から特に挨拶をする必要がなかったともいえるし,酩酊している中国人研修生を少しでも早く送り届けようとしたり,勤務先会社の事務所に戻って翌日に提出期限を控えた資料を完成させたいと考えたりしたためでもあったとも考えられるのである。

(イ) 被控訴人は,本件事故の際の亡Bの運転態様から,亡Bが飲酒していたことが認められると主張する。

証拠(乙3の1・2,乙4)及び弁論の全趣旨によると,本件事故現場付近の道路は,アスファルト舗装され平坦であったが,降雨のため湿潤していたこと,亡B運転の控訴人車は,国道E号線の南行き第1車線を走行し,第2車線を走行している車両を追い抜いた後,しばらくしてからブレ-キランプを点灯させ,その後右方向へスピンしながら滑走して行き,横向きのまま中央線を越えて対向車線に入り,折から進行してきた対向車と衝突して本件事故となったことが認められる。

このようにして発生した本件事故が,その事故態様から直ちに控訴人車を運転していた亡Bが酒気帯び運転していたことにより生じたことの裏付けとなるものということはできない。すなわち,本件事故発生当時,控訴人車には5名の定員を超える6名が乗車していた上,道路が湿潤して滑りやすい状態となっていたことも併せ考えると,亡Bのスピ-ドの出し過ぎ(乙3の2によると,控訴人車は,第2車線を走行していた車両を追い抜いていることなどからすると,相応の速度が出ていた可能性がある。),あるいは,ちょっとしたハンドルやブレ-キの操作上の不手際でも発生することがないとはいえないから,本件事故の事故態様やそこからうかがわれる亡Bの運転状況から同人が飲酒していた事実を推認することまではできない。

エ 以上によると,本件血液からエタノ-ルが検出されているものの,それが死後に産生した可能性を否定できないところ,その他の証拠を検討しても,亡Bが本件宴会で飲酒をした事実,したがって,控訴人車を運転して本件事故を起こしたことを認めるに足りる証拠はないというべきである。

(3)  したがって,亡Bが本件事故当時,酒気を帯びて控訴人車を運転していたとまでは認めることはできないから,被控訴人が本件免責特約により損害賠償義務を免れることはできない。

2  争点②-保険金額

本件事故によって生じた亡Bの損害を本件保険契約の内容に基づいて算定する。

(1)  葬祭費

証拠(乙1)によると,本件保険契約では,葬祭費は60万円であるが,立証資料等により60万円を超えることが明らかな場合は,100万円を限度に実費を損害額とするとされていることが認められる。控訴人らは葬祭費として100万円を請求するが,立証資料等により60万円を超えることを明らかにしていないから,葬祭費として認められるのは60万円となる。

(2)  逸失利益

証拠(乙1)によると,本件保険契約では,有職者の逸失利益は,現実収入と約款所定の年齢別平均給与額の年相当額のいずれか高い額を基礎とするが,現実収入額について,源泉徴収票又は確定申告書若しくは市町村による課税証明書等の公的な税務資料による確認が困難な場合には,年齢別平均給与額の年相当額を基礎とすること,被扶養者が2名の場合には生活費控除率は35パ-セント,亡Bの死亡時の年齢についてのライプニッツ係数は16.003とされていることが認められる。

そこで,亡Bの逸失利益の基礎となる収入について検討すると,証拠(甲7,8,20)及び弁論の全趣旨によると,亡Bの平成22年1月から11月までの収入は,同人の平成22年分の源泉徴収票によると461万2000円であること,同人の同年9月から11月までの月額給与はいずれも37万6500円であり,同年7月の賞与は25万円であったことが認められるから,同年12月の給与及び賞与も同額であったものと推認される。

そうすると,亡Bの平成22年の現実収入は523万8500円となるから,亡Bの逸失利益はこの金額を基礎に算定することとなり,上記の生活費控除率及びライプニッツ係数を用いて計算すると,5449万円(控訴人らの主張に従って1万円未満切捨)となる。

(3)  死亡慰謝料

証拠(甲7,8,乙1)によると,本件保険契約では,被保険者が一家の支柱である場合の死亡慰謝料は2000万円であることが認められるから,亡Bの本件事故による慰謝料として2000万円が認められる。

(4)  弁護士費用

証拠(乙1)によると,本件保険契約では弁護士費用は損害とされていないことが認められるため,控訴人らの弁護士費用の請求は認められない。

(5)  まとめ

本件保険契約に基づき被控訴人が支払うべき金額は,上記(1)ないし(3)の合計7509万円となる。

3  争点③-遅延損害金の起算日について

証拠(甲24,乙1)によると,本件保険契約では,請求完了日からその日を含めて30日以内に,被控訴人が保険金を支払うために必要な事項の確認を終えて,保険金を支払うが,上記の確認のために警察,検察,消防その他の公の機関による捜査結果または調査結果の照会が不可欠な場合には,請求完了日からその日を含めて180日を経過するまでに保険金を支払う旨規定していること,控訴人らは,平成23年3月14日に被控訴人に対し,保険請求に必要な資料を提出し,被控訴人は,本件事故について検察庁に対する調査等を行った上,同年5月23日付け回答書で本件保険金の支払を拒否したことが認められる。

上記事実によれば,本件保険契約に基づく保険金の支払は,原則として,請求完了日からその日を含めて30日以内にすることとされているのであり,被控訴人が調査する必要があるときには,その例外として,180日以内にすることとされているところ,本件では,被控訴人は,平成23年5月23日までには必要な調査を終えて,本件保険金の支払を拒否したのであるから,本件保険金支払期限は同日に到来したものというべきであり,これに反する被控訴人の主張は採用できない。

したがって,本件保険金の支払についての遅延損害金の起算日は,請求完了日から30日を経過した後に被控訴人が支払拒否した日の翌日である平成23年5月24日と認めるのが相当である。

第4結論

以上によると,控訴人らの請求は,本件保険契約に基づき,被控訴人に対し各自3754万5000円及びこれに対する平成23年5月24日から支払済みまで商事法定利率の年6分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり,その余は理由がないことになる。

よって,これと結論の異なる原判決を上記趣旨に変更することとして,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 長門栄吉 裁判官 山崎秀尚 裁判官 眞鍋美穂子)

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