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名古屋高等裁判所 平成26年(ネ)842号 判決 2015年1月29日

主文

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人は,控訴人に対し,330万1039円及びこれに対する平成24年5月19日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人の負担とする。

4  この判決は,2項に限り,仮に執行することができる。

事実及び理由

第1控訴の趣旨

主文同旨

第2事案の概要

1  控訴人は,平成24年5月1日,株式会社Aに対する請負代金債務の決済のために仕向金融機関であるB信用金庫に330万1039円の振込依頼をした際,株式会社A組名義の被控訴人C支店普通預金口座(以下「本件口座」という。)を振込先に指定し,本件口座に上記金額が振り込まれた(以下「本件振込み」といい,本件振込みに係る金員を「本件振込金」という。)。被仕向金融機関である被控訴人は,同日,被控訴人のA組に対する貸金債権等を自働債権として本件振込金を含む被控訴人のA組に対する預金債務と対当額をもって相殺する処理をした(以下「本件相殺」という。)。本件は,控訴人が,被控訴人に対し,控訴人が本件相殺により法律上の原因なく本件振込金相当額を利得したとして,不当利得返還請求権に基づき330万1039円及びこれに対する請求の日の翌日である平成24年5月19日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による利息又は遅延損害金の支払を求めた事案である。

原審は,本件振込みによって,A組と被控訴人との間で本件振込金相当額の預金契約が成立し,A組が被控訴人に対する預金債権を取得するから,本件相殺が法律上の原因を欠くものとはいえないとして,控訴人の本訴請求を棄却した。そこで,控訴人が控訴した。

2  前提事実,争点及び争点に関する当事者の主張は,3のとおり各当事者の当審における補充主張を加えるほかは,原判決の「事実及び理由」中の「第2 事案の概要」の1ないし3に記載するとおりであるから,これを引用する。

3(1)  控訴人の当審における補充主張

ア 振込制度には組戻制度があり,被仕向金融機関は,組戻しの要請があればこれと矛盾する行動を取ることは許されない。しかし,被仕向金融機関は,受取人の口座への入金を最初に知り得る立場にあるのであるから,振込依頼人が誤振込みに気付いて組戻しの要請をする前に受取人に対して貸金債権等を有する被仕向金融機関による相殺がされると,常に振込依頼人の犠牲の下に被仕向金融機関が保護される結果となる。これは,組戻制度を否定することと同じであり,振込制度の一員である被仕向金融機関に,誤振込みをした振込依頼人との関係で,上記のような優先的地位が認められるべきではない。したがって,誤振込みをした控訴人との関係で,被仕向金融機関である被控訴人が受取人に対する自働債権をもって,受取人の預金債権と相殺することは許されないというべきである。

イ また,アの事情は,本件相殺を認めることが正義,公平の観念に照らして相当でないとする特段の事情に当たるというべきである。控訴人は,債務超過の状況にあるA組から本件振込金相当額を回収することはできないのに対し,控訴人のAに対する請負代金債務はそのまま残っているのである。そうすると,控訴人がA組に対し本件振込金相当額の不当利得返還請求権を有していることは経済的には無意味であるのに対し,被控訴人は,誤振込みである本件振込みを奇貨として,本来回収不能であるA組に対する貸金債権等を回収できることになる。控訴人がA組に対し本件振込金相当額の不当利得返還請求権を有することをもって,上記特段の事情がないということはできない。

(2)  被控訴人の当審における補充主張

ア 被控訴人は,本件相殺の時点において,本件振込みが誤振込みであるとは認識していなかった。被控訴人は,控訴人から平成24年5月7日に連絡を受けたが,その時点においても,控訴人がAとA組とを同一事業体と考えて本件振込みをしたのであって誤振込みではないと考えていた。

イ 本件において,振込依頼人である控訴人と受取人であるA組との間に振込みの原因となる法律関係が存在するか否かにかかわらず,A組と被控訴人間には振込金相当額の普通預金契約が成立し,A組は,被控訴人に対し,同金額相当の普通預金債権を取得する。被控訴人は,かかる有効に成立したA組の被控訴人に対する預金債権と被控訴人のA組に対する貸金債権等を本件振込みのあった日に相殺したものであり,この相殺の法的効果を妨げるような正義,公平に反する事情は認められない。

第3当裁判所の判断

1  当裁判所は,被控訴人の本件相殺によるA組に対する貸金債権等の回収は,振込依頼人である控訴人に対する関係では,法律上の原因を欠き不当利得になると認め,控訴人の本訴請求は理由があると判断する。その理由は,以下のとおりである。

2  認定事実

証拠(甲1ないし9(枝番省略),13,16,19,20,乙1,原審における証人D)及び弁論の全趣旨を総合すると,以下の事実を認めることができる。

(1)  Aは,平成21年3月27日,A組からの会社分割により設立された株式会社である。A組とAは,いずれも土木工事業等を目的とする株式会社であり,Aの本店所在地は会社分割時におけるA組のそれと同一で,A組の代表取締役は,Aの代表取締役の父である。上記の会社分割に際し,Aは,A組の債務については責に任じないこととされる一方,A組の主たる事業であった土木工事業等に関する権利関係や人的物的設備等のほぼ全てをAが承継した。

(2)  控訴人は,平成20年4月末までA組との間で建設請負工事を発注するなどの取引があったところ,平成21年7月2日,A組及びAから,A組の事業をAに承継させる旨の挨拶状を受け取った。

(3)ア  被控訴人は,従前,A組に対し,金員を貸し付けており,(1)の会社分割の時点における貸付金残高は4億7000万円余りに及んでいた。この時点において,A組は債務超過の状態にあった。

イ  A組は,平成21年9月頃から被控訴人に対する債務の返済を遅滞するようになった。そして,同年12月8日,同社の代理人である弁護士を通じて,被控訴人を含む同社の債権者に対し,債務の支払が困難であるため任意整理を行う旨の通知を発送した。

ウ  A組は,同月の時点において,被控訴人C支店に,本件口座のほか,別の普通預金口座1口,当座預金口座1口及び定期預金口座7口を有していた。被控訴人は,前同日,イの任意整理通知を受けて,上記の各口座について支払差止めの設定をした。

エ  被控訴人は,平成22年2月,A組及びAほかを相手方として,A組に対する貸金返還に関する民事調停を申し立てたが,相手方らは調停期日に出頭しなかった。そこで,同年5月,A組及びAほかを被告としてA組に対する貸金について貸金返還等請求訴訟を提起したところ,Aを除いたA組らは,被控訴人の請求を認諾した。

オ  被控訴人は,同年4月8日,ウの定期預金口座7口の残高について,A組に対する貸金債権等と対当額にて相殺し,その結果,上記定期預金口座7口は消滅した。

カ  本件口座は,ウの支払差止めがされた後は,平成22年1月に「E」から約30万円の振込みがあった以降は,本件振込みがされるまでの間,利息の入金等被控訴人との関係におけるもの以外には,数百円ないし数千円程度の振込みが数回あったのみで,ほとんど出入金はなかった。

(4)  控訴人は,平成24年2月29日,Aとの間で,同社が控訴人発注の「F(株)G工場新築工事」を施工し,控訴人が代金462万円(税込み)を支払う旨の請負契約(以下「本件請負契約」という。)を締結した。本件請負契約に基づく出来高分の工事代金は,332万6400円であるところ,Aに対するヘルメット使用料債権1万4857円を相殺し,さらに安全協力会費9979円を控除して,残額330万1564円(以下「本件代金」という。)を控訴人がAに支払うことが合意された。

(5)ア  控訴人は,同年5月1日,仕向金融機関であるB信用金庫に対し,振込先を本件口座と指定して330万1039円(本件代金から振込手数料を控除した残額)の振込依頼をし,これにより本件振込みがされた。

イ  本件振込みに係るデータ入力作業等は,控訴人の経理を担当するDが行った。Dは,本件振込みに係る事務作業を行う際,本件代金をAに支払うつもりで,誤って,かつて取引のあったA組のコード番号を入力してしまい,本件口座への振込依頼をしてしまった。控訴人がAと取引するのは初めてであり,Aに対する振込送金の手続をするのも今回が初めてであった。

ウ  本件振込金は,本件口座に支払差止めの設定がされていたため,本件口座に自動入金されず,一旦,被控訴人C支店の別段預金口に入金された。その際,モニターには振込入金ができなかった旨のメッセージが表示された。そこで,被控訴人の担当者は,本件振込みについてA組の口座番号や口座名義等を確認し,支払差止めの設定を一時的に解除して,本件振込みを完了させた。その後,被控訴人は,同日付けで本件相殺を行い,同日付けでA組に対しその旨の相殺通知をし,同通知は同月2日A組に到達した。本件相殺時における前記(3)ウの普通預金口座の残高は1万5802円,同当座預金口座の残高は2933円であった。

(6)  控訴人は,同年5月2日,Aから本件代金が振り込まれていない旨の連絡を受け,確認作業を開始した。Dは,同日休暇を取得しており,連休明けの同月7日に出勤した後,誤って本件口座に振込依頼をしてしまったことに気付いて,同日,被控訴人C支店に電話連絡し,誤振込みをしたので返金してほしい旨を伝えた。しかし,同支店の担当者から,既に取引が成立しているので返金には応じられない旨の回答を受けた。控訴人は,同月18日,被控訴人に対し,代理人である弁護士を通じて,本件振込みが誤振込みである旨を通知するとともに,本件振込金相当額について不当利得返還請求をした。

3  本件振込みが誤振込みか否か(争点(1))について

認定事実によれば,控訴人ないしDは,AをA組と別の会社であると認識しており,本件請負契約を締結したAに対し,本件請負代金を振込送金して支払おうとしたところ,誤って,かつて取引のあったA組の預金口座(本件口座)への振込依頼をしてしまったものと認めることができる。Dは,誤ってA組のコード番号を入力してしまった理由について,Aの振込先も登録していたが,当日は何百件も支払処理をしなければならず慌てており,Aと商号が似ていたため,誤ってA組のコード番号を入力し,A組への未払金として仕分けを起こしてしまった旨原審において証言している。控訴人が,本件請負契約の締結までAと取引したことがなく,会社分割以降にA組と取引したこともなかったことに照らすと,同証言は自然であって信用することができる。

被控訴人は,控訴人においてはA組とAとを同一の事業体であると考えており,過去に取引があり振込先口座を知っていたA組の預金口座(本件口座)への振込依頼をしたものであるから,本件振込みは誤振込みではない旨主張する。しかし,控訴人とA組との間に取引があったのは,会社分割前の平成20年4月末までのことであり,その後,控訴人は,平成21年7月2日,A組及びAからA組の事業をAに承継させる旨の挨拶状を受け取っていたのであるから,控訴人ないしDが,A組とAを同一の事業体と認識していたとは認められない。

4  本件相殺の許否等(争点(2))について

(1)  認定事実のとおり,本件口座に本件振込金が入金されたのは,控訴人が振込先の指定を誤ったことによるものであって,控訴人と受取人であるA組の間に本件振込みの原因となる法律関係はなかった。しかし,振込依頼人から受取人の金融機関の普通預金口座に振込みがあったときは,振込依頼人と受取人との間に振込みの原因となる法律関係が存在するか否かにかかわらず,受取人と金融機関との間に振込金相当額の預金契約が成立し,受取人が金融機関に対して振込金相当額の普通預金債権を取得するものと解するのが相当である(最高裁判所平成4年(オ)第413号,同8年4月26日第二小法廷判決・民集50巻5号1267頁参照)。そうすると,控訴人とA組の間に本件振込みの原因となる法律関係はないものの,A組は,本件振込みにより被控訴人に対し本件振込金相当額の普通預金債権を取得し,被控訴人は,A組に対し,同相当額の預金債務を負担することとなるから,本件振込みが誤振込みであるからといって,直ちに,被控訴人に本件振込金相当額の利得を生ずることにはならない。

他方で,振込取引においては,受取人の預金口座に振込金が入金記帳されるまでは,振込依頼人の依頼により,被仕向金融機関から仕向金融機関に振込金を送金して振込依頼前の状態に戻すこと(組戻し)ができ,受取人の預金口座に振込金が入金記帳された後であっても,受取人の承諾があれば,組戻しができるものとされている(弁論の全趣旨)。しかし,振込依頼人が組戻しを依頼する前に,受取人の預金口座に振込金が入金記帳され,かつ,被仕向金融機関が,受取人に対する金銭債権をもって,受取人に対する預金債務を相殺により消滅させた後には,受取人の承諾があっても組戻しはできないこととなる。

以上によれば,被控訴人は,誤振込みである本件振込みにより発生した預金債務を本件相殺により消滅させることで,事実上回収不能であるA組に対する貸金債権等を回収する一方,控訴人は,A組に対して本件振込金相当額の不当利得返還請求権を取得するものの,事実上その回収は不能であるため,本件振込金相当額の損失を被る結果となる。

(2)ア  (1)のとおり,被控訴人が,控訴人の事実上の損失のもとで,本件振込金相当額を利得するのは,控訴人が誤振込みである本件振込みについて組戻しの手続をする前に,被控訴人が本件相殺をしたためである。そして,上記認定事実によれば,A組は,平成21年9月頃から被控訴人に対する債務の返済を遅滞し,同年12月8日には被控訴人を含む債権者に対し任意整理を行う旨の通知を発送し,これを受けて被控訴人は,A組名義の被控訴人預金口座の全てについて支払差止めの設定をし,その後は本件口座を含むA組名義の被控訴人預金口座に目立った入金もなく,平成22年5月には,A組は,被控訴人が提起した貸金返還等請求訴訟において請求を認諾したものの,A組が本件相殺までに認諾に係る貸金債務について任意に弁済した形跡もないのである。したがって,被控訴人は,本件相殺の時点では,A組がその事業全てをAに承継させて自らの事業を停止し,本件振込金に見合う取引がないことを知っており,長期間支払差止め設定をしている本件口座に本件振込金ほどの高額の金員の振込みがあることは不自然であると認識し得たものであって,本件相殺の時点において,本件振込みが控訴人とA組の間における取引等の原因のない誤振込みであることを知っていたと認めることができる。

イ  本件口座に支払差止めの設定がされていたため,本件振込金は,当初本件口座に入金されず,一旦は別段預金口に入金された。その上で,被控訴人の担当者は,支払差止めの設定を一時的に解除して本件振込みを完了させて,その当日に本件相殺をしたのである。上記認定事実によれば,控訴人においては,本件口座に本件振込金が入金記帳される前に,誤振込みに気付くことは事実上困難であった上,本件口座に本件振込金が入金記帳された後に本件相殺に先立って,A組の承諾を得て控訴人に対し組戻しを依頼することは不可能であった。そうすると,結果的にA組は,控訴人との間に本件振込みの原因となる法律関係がないことを認めるのであるから(甲20),本件振込みが誤振込みであると認識していた被控訴人においては,本件口座に本件振込金を入金記帳する前に,又は,本件口座に本件振込金を入金記帳した後でも本件相殺をする前に,控訴人やA組に対し,誤振込みか否か確認して組戻しの依頼を促すなど対処すべきであった。しかるに,被控訴人において,たまたま誤って本件振込みがあったことを奇貨として,控訴人が誤振込みに気付かなければ組戻しを依頼することがないことから,事実上回収不能なA組に対する貸金債権等を回収するために,あえて支払差止め設定を一時的に解除して本件振込みを完了させて,直ちに本件相殺をしたものと認められ,振込制度における被仕向金融機関としては不誠実な対応であったといわざるを得ない。

ウ  以上のとおりであって,本件の事実関係においては,正義,公平の観点から,被仕向金融機関である被控訴人が,事実上の回収不能なA組に対する貸金債権等を本件相殺により回収して,本件振込金相当額について控訴人の事実上の損失の下に利得することは,控訴人に対する関係においては,法律上の原因を欠いて不当利得になると解するのが相当である。

5  まとめ

以上により,控訴人は,被控訴人に対し,不当利得返還として,330万1039円及びこれに対する請求の日の翌日である平成24年5月19日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による利息を請求することができる。

第4結論

よって,控訴人の本訴請求は理由があるから認容すべきところ,これを棄却した原判決は失当であり,本件控訴は理由があるから,原判決を取り消した上,控訴人の本訴請求を認容することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 木下秀樹 裁判官 前澤功 裁判官 舟橋伸行)

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