大判例

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名古屋高等裁判所 平成3年(う)9号 判決 1991年4月30日

本籍

名古屋市熱田区金山町一丁目七一一番地

住居

同 天白区西入町一四八番地

工員

酒井恒明

昭和七年一一月三日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、名古屋地方裁判所が平成二年一二月三日言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があつたので、当裁判所は、検察官和田英一出席のうえ審理をして、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は弁護人米澤保及び同増田卓司が共同で作成した控訴趣意書に、これに対する答弁は検察官和田英一が作成した答弁書に記載されているとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第一点(事実誤認をいうもの)について

所論は要するに、昭和六一年分及び昭和六二年分の各ほ脱所得金額の中に、ほ脱のための工作をしなかつた株式売買益(昭和六一年分は八〇三万六九六三円であり、昭和六二年分は三七一万〇八三一円である。)までも含ませた点に事実誤認があるというものである。

しかし、総合所得課税方式をとる申告納税制度のもとでは、納税者が所得税の全部を免れる意思で、所得の一部につき税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるような偽計その他の工作をしたうえ、所得の申告をしなかつたときは、所得の全部について偽りその他不正の行為により所得税を免れた罪が成立するものと解され、このことは、二種類以上の所得を有する納税者がうち一種類の所得についてのみ右のような工作をしたときにも同じである。これを本件についてみると、被告人は昭和六一年分及び昭和六二年分の所得税をすべてほ脱しようと企て、両年とも売上金を架空名義の預金口座に振り込ませるなどの方法で事業所得を隠蔽し、所得申告をしなかつたものであるから、雑所得である所論株式売買益に限つてみれば偽りその他不正の行為があつたといいがたいとしても、これを含めてほ脱所得金額を認定した原判決に誤りはない。論旨は理由がない。

控訴趣意第二点(量刑不当)について

所論は要するに、被告人に課した罰金額が多過ぎて原判決の量刑が不当に重いというのである。

しかしながら、本件は、いわゆるアダルトビデオなどのビデオテープの販売業を営んでいた被告人が、昭和六一年から昭和六三年までの三年間に合計約一億二〇〇〇万円の所得を得ながら、売上金を架空名義の預金口座に振り込みさせるなどの不正の方法により所得を隠し、これを全く申告せず、合計約五二〇〇万円の所得税の支払を免れたという事案である。ほ脱金額が多く、ほ脱率も高いばかりでなく、被告人には当初から所得税を納めようとする意思がまつたくなく、営業所所在地や営業名称を次々と変更したり、複数の架空預金口座を開設するなどして、所得の隠蔽を図つたものであり、その態様が悪質・巧妙であることなどに照らすと、被告人の刑事責任は重いといわざるを得ない。叙上の諸事情に鑑みると、同種事案との刑の均衡を欠くとする主張も採用することができない。それ故、被告人が、原審において三か月余にわたつて身柄を拘束され、現在反省していること、本税が既に払われていること、その他被告人の健康状態や原判決後被告人が法律扶助協会に五〇万円の贖罪寄付をしていることなどの諸事情を十分斟酌しても、被告人を懲役一年(三年間執行猶予)、罰金一七〇〇万円に処した原判決の量刑は罰金額の点を含めて相当である。この論旨も理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 柴田孝夫 裁判官 澤田経夫 裁判官 片山俊雄)

○ 控訴趣意書

被告人 酒井恒明

右の者に対する所得税法違反被告事件について、控訴の趣意は左記のとおりである。

平成三年三月八日

弁護人 米澤保

弁護人 増田卓司

名古屋高等裁判所 刑事第一部 御中

控訴理由

第一点(刑訴法三八二条・事実誤認)

原判決は公訴にかかる昭和六一年乃至同六三年の各年度の勘定科目雑所得分のうち株式売買益(昭和六一年分八〇三万六、九六三円・昭和六二年分三七一万〇、八三一円の各利益、昭和六三年分四七八万四、〇七四円の損失<検甲第二四号証六頁>)をも右各年度における逋脱所得金額に含め全体について所得税法第二三八条の虚偽不申告逋脱罪が成立すると結論づけている。

しかし、右逋脱罪の成立する範囲は、被告人が架空名義の預貯金口座の開設により直接隠匿したと認められる範囲の所得額に限られるべきである。何ら所得秘匿行為を伴わない株式売買益も逋脱所得に含まれるとした原判決には事実誤認の違法があるので破棄されるべきである。以下でその理由を述べる。

一 右各年度の株式売買益については、所得税法第二三八条の「偽りその他不正の行為」に当たらないものである。

「偽りその他不正の行為」とは「逋脱の意思をもって、その手段として、税の徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるようななんらかの偽計その他の工作を行うこと」であるされる。

原判決は、被告人が株式の取扱い証券会社である東洋証券株式会社名古屋支店で他に架空あるいは第三者名義をもちいていたから、被告人の株取引は不正なものであるとする。

しかし、被告人が昭和六一年分乃至昭和六三年分の三年間になした合計五四二回の株取引(検甲二四号証四頁)のうち、他人名義による取引といえるのは被告人の妻である酒井よし名義でなした昭和六一年の「シンニホンセイテツ」(同四五頁)、昭和六二年の「ニッポンデンシンデンワ」(同九九頁)の僅か二回のみであり、その他は全て本人名義で取引がなされていること(検乙第八号証八丁裏)、酒井よしは被告人と住所を同じくするものであって、家族名義を借用したからといって直ちに借名による株取引といえるかは疑問であり、右名義の利用もその回数からして逋脱の手段とする意図はなかったものであること、被告人が行った株取引は、右証券会社の右支店一店を通じてのみなされていて、被告人の株取引状況を容易に把握できるものであることの諸点に鑑みると、被告人の本件株取引は税務当局の調査を著しく困難にするものとはいえない。

又、被告人が東洋証券株式会社名古屋支店で、株取引以外にも、酒井よし、息子の酒井明久、田中一の各名義の中期国債ファンドなどの取引をしていたことは事実であるが(検甲第九号証二頁)、取扱い証券会社を同一にするとはいえ、株取引とその他の取引とでは取引の態様を異にするので、両者は厳格に区別されるべきである。

よって、被告人が積極的に所得隠匿工作を行っていない本件の株取引は「偽りその他不正の行為」とはいえないのである。

二 「架空名義の預貯金口座の開設」と「株取引に伴う売買益」との相当因果関係は否定されるべきである。

原判決は、株式売買益が架空名義での預金口座の開設等の不正行為を伴う事業所得と一体となって収益として蓄積されていることをも理由として相当因果関係を肯定する。

しかし、株取引の原資が不正の行為によって得られたものであるとしても、景気の動向を見ながら臨機応変に対応すべき株取引においては、どの銘柄を何時、どれだけ売買し、どれだけの売買益を得るかは、取引する個人の才覚に大きく左右されるものであり、この点で、自動的に利益が蓄積される預貯金の利子所得とは異なる。そうとすれば、右の因果関係は否定されるべきである。

又、そもそも、本件起訴にかかる三年度分の株取引の原資は、ビデオ業を始めて以後の不正な方法によって蓄積された金員のみではない。元々は、被告人がビデオ業を始める昭和五九年頃までに株取引によって蓄積していた正当な資金を原資とし(検乙第八号証三丁表「昭和五九年ころまでには、千数百万円位になる株式を持つまでになっていました。」)たものであって、それを株式で運用して得た利益をも「一体」として逋脱所得の範囲に含めるべきではない。

三 原判決は、不正行為による不申告逋脱は、行為者に所得の存在及びこれに対する納税義務の存在の認識があれば、個々の収益に対する個別的認識がなくても不正行為による直接の逋脱を含む全免脱額について成立する、と故意について包括的にとらえ、株取引の売買益も逋脱所得に含まれるとする。

しかし、右のとおり、本件の株取引に関しては、そもそも故意以前の、「偽りその他不正の行為」「因果関係」といった構成要件の客観面が欠けているのである。

又、故意論の問題だとしても、本件の株取引は、所得税法第二三八条の虚偽不申告罪には当たらない。被告人の実名による株取引は正当なものであって、被告人が課税要件(年間の売買回数五〇回、売買株数二〇万株を超える場合)を満たす株取引をしていることを認識していたとしても、それは、単に同法第二四一条の単純不申告罪を構成するに過ぎないものである。

四 以上のとおり、原判決には事実誤認の違法がある。

第二点(刑訴法三八一条・量刑不当)

仮に弁護人の前記主張が認められず、判示の事実どおりだとしても罰金刑が重きに失し、量刑不当の違法があるので原判決は破棄されるべきである。

一 即ち、被告人は、罰金一、七〇〇万円の判決を受けているが、右罰金額の逋脱税額五、二一二万三、四〇〇円に対する割合である判決率は三二・六パーセントとなっており、本件が逋脱率一〇〇パーセントの事案であることを考慮しても、他の所得税法違反事件で懲役刑の執行猶予となった同種の事案に比べ、判決率が異常に高い(「税法違反事件の処理に関する実務上の諸問題」司法研修所編・法曹會、一九三頁以下によると懲役刑の執行猶予事例三一例の平均は、逋脱率八九・五パーセント、判決率二四・八パーセントとなっている。判決率が三〇パーセントを超えるのは逋脱率一〇〇パーセントで判決率三二・一パーセントの僅か一例に過ぎない。)と言わざるを得ない。

二 右のとおり量刑が重くなった理由については、原判決に理由が付されていないので定かではないが、専ら、検察官の主張の、被告人が昭和五九年一二月に「田中商会」の名称でビデオ販売業を始めて以後、「脱税のため」という明確な逋脱意図のもとに営業所の所在地や営業名称を度々変更し預金口座を複数設定したこと、被告が平成元年一月に当時の「中京ビデオソフト」の営業所が浜松東署の捜索を受けた後に、一時住居を転々としていたこと、被告人が国税の査察終了間際の平成二年五月一五日、近藤三吉公認会計士を通じて刈谷税務署長宛「重加算税の賦課徴収を宥如されたい」旨の「申立書」を提出して、自己の行為が重加算税の「隠ぺいし、又は仮装し」という要件を具備しないとして争い、公判廷でも曖昧な供述をしたことなどの点に依拠した結果だと思われる。

しかし、原審においても主張したように、営業名称や所在地の変更は、ビデオ店の従業員が頻繁に辞めて行くのでその後の営業継続に対する不安から廃業を決意はしたものの、それまでの顧客、取引先に迷惑をかけたくないとの思いから、一緒に仕事を続けてくれるという知人の居住地でその人に進められるままに名称を変更してやむなく事業を継続して行ったものである。納税の義務は国民の基本的な義務であり、被告人もその認識を有していたものではあるが、五〇歳を超えてから始めた事業で、税務知識は乏しく、日々の仕事に追われて納税を怠ったというものであって、当初から明確な脱税の意図に裏付けられて営業名称の変更等をしたものではない。

また、平成元年一月以降住居を転々としたのは、主として、中京ビデオソフトの従業員であった大島の父親が被告人のみならず、その妻、息子を脅す挙に出たため、やむなく所在をくらましたものであり(検乙第一四号証三丁裏)税務署の追求を免れるためのものではなかった。

更に、重加算税宥如の申立ても、公認会計士の助言を得て、法律上の正当な権利行使としてなしたものである。平成元年一〇月に国税の査察が入って以後、査察の取り調べは相当長期間にわたり、朝早くから夕方遅くまで調べられ被告人は著しく疲弊し、次第に、査察官の言うがままに調書に署名し逋脱の事実を認めてきたものである。かかる心理状態にあった被告人が、藁にもすがる気持ちで、専門家の助言に従い、右申立てをしたものであってその心情は十分理解できるところである。税務知識に乏しい被告人が、積極的に公認会計士に対して虚言し申立てをさせたという関係にはない。

三 以上の諸点を考慮すると、被告人の本件違反行為は、他の同種事犯に比べて特に悪質なものとはいえない。犯行の動機が、五〇歳にして失業し健康に優れない被告人が、自分や妻の老後に対する不安から、当時急速に伸びつつあったビデオ業に身を投じて蓄財しようとしたものであること、暴力団との付き合いもないこと、これまで目立った前科がないことを合わせ考慮すると罰金一、七〇〇万円に処することは、量刑が重過ぎると言わざるを得ない。

以上

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