大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。
官報全文検索 KANPO.ORG
月額980円・今日から使える・メール通知機能・弁護士に必須
AD

名古屋高等裁判所 平成3年(行ケ)6号 判決 1992年7月30日

原告

加藤末男

右訴訟代理人弁護士

鈴木芳朗

被告

愛知県選挙管理委員会

右代表者委員長

富岡健一

右訴訟代理人弁護士

後藤武夫

右指定代理人

荒川敦

外三名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一  当事者の申立

一  原告

1  被告が、平成三年四月二一日執行の蒲郡市議会議員一般選挙における当選の効力に関する審査の申立てについて、同年九月一〇日にした裁決は、これを取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、平成三年四月二一日執行の愛知県蒲郡市議会議員一般選挙(以下「本件選挙」という。)に立候補し、当選した者である。

2  訴外小澤要人、同加藤光吉の両名は、同年五月七日、蒲郡市選挙管理委員会(以下「市選管」という。)に対し、原告の当選の効力に関する異議の申出をしたが、市選管は、同年六月四日、異議の申出を棄却する旨決定した。

そこで右両名は、同年六月二五日、被告に対し審査の申立をしたところ、被告は、同年九月一〇日、市選管のなした右決定を取り消し、原告の当選を無効とする旨の裁決(以下「本件裁決」という。)をし、同裁決書は同日、審査申立人に交付され、同月一三日、愛知県選挙管理委員会告示第六七号によって告示された。

3  右裁決の理由は次のとおりである。本件選挙において、選挙会は、最下位当選人原告の得票数を八二三票、最上位落選人大場康夫の得票数を817.471票と決定したが、被告は、大場康夫に対する有効投票と認定すべき「ヤッチャン」と記載された投票(以下「ヤッチャン票」という。)が二票存在し、「やちん」と記載された投票(以下「やちん票」という。)が一票存在したが、これらについては既に選挙会が大場康夫の有効投票と認定しており、その処置に誤りはないとした。しかし、選挙会が無効投票としていた「大場康宏」と記載された六票(以下「大場康宏票」という。)及び「大場やすひろ」と記載された三票(以下「大場やすひろ票」という。)を、大場康夫に対する有効投票と認定すべきものとし、これにより大場康夫の得票数は右九票及びこれに伴う按分票の増加分0.022票を加えた826.493票となり、原告の得票数八二三票を上回ることになるとして、本件裁決をしたものである。

4  しかし、以下のとおり右ヤッチャン票、やちん票、大場康宏票及び大場やすひろ票は、いずれも無効投票と認定すべきものである。

(一) ヤッチャン票について

本件選挙においては、候補者中、大場康夫、小林康宏及び柴田安彦の三名が地元住民及び友人、知人から「やっちゃん」と呼ばれていた。

被告は、大場康夫が昭和五四年四月三〇日から昭和六二年四月二九日まで蒲郡市議会議員として二期八年間の在職中、議員仲間や市職員、地元住民から「やっちゃん」と呼ばれていたことや、選挙運動用ポスターに「ヤッチャン」と記載していたのが同候補だけであったこと及びヤッチャン票を大場康夫の有効投票とすることにつき一〇名の開票立会人は誰一人として異議を述べなかったことを挙げて、同票を大場康夫に対する有効投票と認定した。

しかし、大場康夫が議員仲間や市職員及び地元住民から「やっちゃん」と呼ばれていたとしても、それは小林康宏、柴田安彦が友人、知人から「やっちゃん」と呼ばれているのと何ら変りがないことであるし、また選挙運動用ポスターに「ヤッチャン」と記載して選挙運動を行なっていたのが大場康夫のみであったとしても、そのことからヤッチャン票が小林康宏、柴田安彦に対する投票ではないと断定できないものであるから、開票立会人の異議の有無にかかわらず、ヤッチャン票は、候補者の何びとに投票する意思で記載されたのかを確認し難いものとして、公職選挙法六八条一項七号により無効投票と認定すべきものである。

また、大場康夫はきわめて知名度の高い候補者であったから、その選挙運動用ポスターの「ヤッチャン」との記載は候補者を特定するためのものではなく、その人柄を宣伝する類のものと思われるところ、選挙人としては投票所の記載台の候補者の氏名掲示を見て投票用紙にその氏名を記入するのであるから、ヤッチャンなどと記載された投票はいわゆる不真面目票という点からも無効投票と認定すべきである。

(二) やちん票について

被告は、やちん票は「やっちゃん」の「っ」及び「ゃ」が欠落しているもので、その拙い筆跡からも「やっちゃん」と記載しようとした意思を窺い知ることができるとして、これを大場康夫に対する有効投票と認定した。

ところで、公職選挙法六七条は、「六八条の規定に反しない限りにおいて、その投票した選挙人の意思が明白であれば、その投票を有効とするようにしなければならない」と規定している。しかし、やちん票は、その記載自体からは、客観的に観察して選挙人が大場康夫に投票しようとした意思が明白であるとは到底認めることができない。同法六七条の規定は、やちん票について、被告のように、進んで「っ」及び「ゃ」が欠落していると詮索し、「やっちゃん」と記載しようとした選挙人の意思が窺えるなどと憶測してこれを有効投票と認めることまでも許すものではない。

したがって、やちん票は、開票立会人の異議の有無にかかわらず、候補者の何びとを記載したかを確認し難いものとして同法六八条一項七号により無効投票とすべきものである。

また、やちん票も、前記ヤッチャン票と同じ理由により、不真面目な投票という点からも無効とされるべきものである。

(三) 大場康宏票について

選挙会は、大場康宏票を候補者大場康夫と同小林康宏の氏名とを混記したものとしてこれを無効投票と認定したのに対し、被告は、「大場康夫の氏名四字のうち上位三字まで合致しており、ただ名の第二字が夫でなく宏と記載されているにすぎない。そして、大場と小林とは、外観及び称呼において類似性に乏しいこと、本件選挙における投票所の記載台の候補者の氏名掲示には、大場康夫の左隣に小林康宏の氏名が表示されていたことも併せ考えると、大場康夫と小林康宏の氏と名を混記したものと認めるよりも、むしろ選挙人が大場康夫に投票する意思をもって、名のうち一字を誤記したものとして大場康夫の有効投票と認めるのが相当である。」と判断した。

しかし、大場康宏票を大場康夫の誤記とみるか、候補者大場康夫、同小林康宏の氏と名を混記したものとみるかについては、一般的、抽象的な判断基準を求めることは困難であり、結局、当該選挙の具体的実状に則してこれを判断するほかないものである。

一般には選挙人は名よりも姓を重視して投票するものと考えられるのであるが、本件選挙の行われた蒲郡市においてはこの点の事情が異なる。

すなわち、蒲郡市は昔から農業、漁業を営むものが多く、住民には定着性があり、同姓一党が聚落をつくり、姓をもって人を特定するのに極めて困難な地域であり、名もしくは屋号などの通称で人を特定する風習の土地柄である。現に大場康夫の出身地である蒲郡市豊岡町内には大場姓を名乗る住民一一四世帯が居住しており、同町内から大場康夫、大場ひさみつ及び大場実の三名が本件選挙に立候補していたのであるから、大場康夫を特定するためにはその名もしくは通称で区別するほかないのである。また、大場康夫方は右一一四世帯の大場姓の大本家であって、先代大場彌由は昭和二〇年七月から二一年五月まで蒲郡町長を勤めたこともある名門旧家であり、大場康夫自身も二期八年間蒲郡市議会議員をしており、その知名度は極めて高いものであった。更に、本件選挙は地方選挙であって、候補者の氏名は選挙人に周知されていたので、本件選挙の実情からすれば、大場康夫に投票しようとする選挙人が同人の名を誤って記憶しているとか、投票用紙に誤って大場康宏と記載するというようなことはあり得ない。それ故、選挙会においては、大場康宏票を大場康夫と小林康宏の氏名混記投票として無効とするにつき、一〇名の開票立会人は一人として異議を述べなかったのであって、無効投票と解するのが相当である。

また、被告は誤記と判断した理由の一つとして、氏名四文字中名の第二字が夫ではなく宏と記載されているにすぎない旨指摘しているが、康夫と康宏を比較すると、夫は非常に多く使われる文字であるのに対し、宏という字は名前としてより特徴的であり、その末尾の字に他の名との区別の基準となる重点があるのであって、被告がいうように単に名の第二字夫が宏と記載されているにすぎないなどとはいいきれない。そのうえ、夫と宏は語感からいっても近似していないし語音においても著しく相違しているので、これを誤って記憶することはあり得ないし、夫を宏と書き誤ることもない。

更に、被告は誤記と判断した理由の一つとして、投票所の記載台の候補者の氏名掲示一覧表(以下「本件候補者名一覧表」という。)には、「大場康夫(おおばやすお)」の左隣りに「小林康宏(こばやしやすひろ)」の氏名が併記して掲示されていたことを指摘しているが、むしろその方が両名の氏名を隔離して掲示している場合より候補者名を書き誤る蓋然性は少ないとみることもできるから、誤記の合理的な根拠とはなり得ないものである。

結局、本件選挙の具体的実状に則して大場康宏票を検討すれば、同票は、小林康宏、大場康夫、大場実及び大場ひさみつの四名のうち何びとを記載したかを確認し難い氏名混記投票として、公職選挙法六八条一項七号により無効投票とすべきものである。

(四) 大場やすひろ票について

被告は、大場やすひろ票は大場康宏の名の部分をひらがなで記載したものであり、大場康宏票と同じ理由により大場康夫に対する有効投票と認めるのが相当であるとしている。

しかし、前記のとおり「やすひろ」と「やすお」は語音も異なり、誤って記憶したり誤記することのない名前であること、蒲郡市は名や屋号で人を特定する風習のある土地柄であること、小林康宏は常日ごろ友人、知人から「やっちゃん」とか「康宏」と呼称されていること等を考慮すると、大場やすひろ票は、大場康夫に投票する意思で誤記したものではなく、小林康宏の名「やすひろ」を記載したものと認めるのが相当であり、選挙会においては、大場やすひろ票についても、これを氏名混記投票として無効とすることにつき、開票立会人は一人として異議を述べなかったのである。

したがって、大場やすひろ票も大場康宏票と同じ理由により無効投票とすべきものである。

5  以上の理由により、被告が右各投票を大場康夫に対する有効投票として同人の得票数に算入すべきものとしたのは不当であり、原告の得票数は大場康夫の得票数を上回ることになるので、被告がなした本件裁決は違法であるから、その取り消しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1ないし3は認める。

2  同4の冒頭部分は争う。

3  同4の(一)のうち、被告が原告主張の理由によりヤッチャン票を大場康夫に対する有効投票としたこと及び同人が地元住民から「やっちゃん」と呼ばれていたことは認めるが、小林康宏、柴田安彦が「やっちゃん」と呼ばれていたことは不知、その余の主張は争う。

4  同4の(二)のうち、被告が原告主張の理由によりやちん票を大場康夫に対する有効投票としたことは認めるが、その余の主張は争う。

5  同4の(三)のうち、選挙会が大場康宏票を無効投票としたこと、被告が原告主張の理由により同票を大場康夫に対する有効投票としたこと、一般に選挙人は名よりも姓(氏)を重視して投票するものと考えるのが相当とする場合が多いこと、蒲郡市豊岡町内から大場ひさみつ、大場康夫及び大場実の三名が本件選挙に立候補していたこと、大場康夫が二期八年間蒲郡市議会議員をしていたこと及び本件候補者名一覧表において「大場康夫(おおばやすお)」の左隣りに「小林康宏(こばやしやすひろ)」の氏名が併記して掲示されていたことはいずれも認めるが、蒲郡市が原告主張の事情により姓をもって人を特定するのに極めて困難な地域であり、名もしくは屋号などの通称で人を特定する風習のある土地柄であること、右豊岡町内には大場姓を名乗る住民一一四世帯が居住していること、大場康夫方が右一一四世帯の大本家であり、先代彌由が蒲郡町長をしていたこと、大場康夫の知名度が極めて高かったこと、選挙会において、大場康宏票を無効投票と決定するにつき、選挙立会人のうち一人として異議を述べたものがなかったことは不知、その余の事実は否認する。

6  同4の(四)のうち、被告が原告主張の理由により大場やすひろ票を大場康夫に対する有効投票としたことは認めるが、蒲郡市は名や屋号で人を特定する風習のある土地柄であること、小林康宏は友人、知人から「やっちゃん」とか「康宏」と呼称されていたこと、選挙会において、大場やすひろ票を無効投票とすることにつき選挙立会人の一人として異議を述べなかったことは不知、その余の事実は否認する。

7  同5は争う。

三  被告の主張

1  ヤッチャン票について

小林康宏及び柴田安彦が従来その私的生活において友人、知人から「やっちゃん」という通称で呼ばれていたとしても、右両名は通称を使用して選挙運動を行ったわけではなく、選挙人の間に通称が右両名のものとして広く認識されていたものとは認められない。これに対し、大場康夫のみが、自己の選挙運動用ポスターに片仮名で「ヤッチャン」と記載して右通称を積極的に使用して選挙運動を行っていたこと、また同人は二期八年間にわたり蒲郡市議会議員として在職し、その当時から議員仲間、市職員および地元住民から「やっちゃん」と呼ばれていたこと、その結果、右通称は公的生活における同人の通称として定着していたこと等の客観的事情を考慮すれば、ヤッチャン票は、選挙人が大場康夫に投票する意思で右記載をなしたものとして、これを同人に対する有効投票と認めるのが相当である。

仮にヤッチャン票が大場康夫又は小林康宏のいずれかに投票する意思で記載されたものと解すべき場合であるとしても、公職選挙法六八条の二第一項により有効とされ、同三項により右両名の得票数に応じて按分されるのであって、これが無効とされることはないのである。

2  やちん票について

一般人の言語生活において、促音の「っ」及び拗音の「や」を書き洩らすことは往々にしてあり得ることであり、前述のとおり、大場康夫が選挙運動用ポスターに「ヤッチャン」と記載して選挙運動をしていたこと、やちん票の筆跡が拙いものであること等を考慮すると、同票は「やっちゃん」と表記する意思をもって「やちん」と誤記(脱字)したものと認めるのが相当である。

したがって、同票もヤッチャン票と同じ理由により大場康夫に対する有効投票と認めるのが相当である。

3  大場康宏票について

数多くの選挙人のなかには、投票しようとする候補者の氏名を誤って記憶していたり、あるいは正確に記憶していない者も存在するであろうことは自明のことであって、かかる選挙人が大場康夫に投票する意思で同人の氏名を誤記することは十分にあり得ることである。

そして、氏名混記投票として無効とすべき場合は、いずれの候補者氏名を記載したか全く判断し難い場合に限るべきであって、そうでない場合には、いずれか一方の氏名にもっとも近い記載のものはこれをその候補者に対する投票と認め、合致しない記載はこれを誤った記憶によるものか、または単なる誤記になるものと解するのが相当である(最高裁昭和三二年九月二〇日判決・民集一一巻九号一六二一頁、最高裁昭和四五年一〇月二三日判決・判例時報六一三号三九頁参照)。

本件の場合、大場康宏は大場康夫の氏名四字中上位三字まで合致しており、同人の氏名にもっとも近い記載であって、ただ名の第二字が「夫」でなく「宏」と記載されているにすぎない。また本件候補者名一覧表には、大場康夫(おおばやすお)の左隣りに小林康宏(こばやしやすひろ)の氏名が並んで掲示されていたため、大場康夫の氏名を正確に記憶していなかった選挙人が、類似した隣接候補者の名「康宏」を誤って記載してしまうことが十分あり得ると考えられる。そして、大場と小林とは、外観及び呼称において類似性に乏しいことを考慮すると、本件大場康宏票は、大場康夫と小林康宏の氏名を混記したものではなく、むしろ大場康夫に投票する意思をもって、その名のうちの一字「夫」を「宏」と誤記したものとして、大場康夫に対する有効投票と認めるのが相当である。

なお、原告は、「夫」と「宏」を比較してるる主張しているが、当該投票の有効、無効は氏名全体の類似性によって判断すべきものであるから、名の部分のみを抜き出してその第二字の違いを主張しても全く意味がない。

4  大場やすひろ票について

「大場やすひろ」と記載された投票は、「大場康宏」の名の部分をひらがなで記載したものであり、大場康宏票と同様の理由により大場康夫に対する有効投票と認めるのが相当である。

前記のとおり、大場と小林とは外観及び呼称において全く類似しないものであるから、選挙人が小林康宏に投票する意思をもって「大場やすひろ」と記載することは、およそあり得ないというべきである。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1ないし3の事実は当事者間に争いがない。

二そこで、本件選挙における投票のうち、原・被告間で効力に争いのある各投票について以下検討する。

1  ヤッチャン票について

本件選挙における投票中、ヤッチャン票が二票存在したこと、大場康夫が二期八年間蒲郡市議会議員をしていたこと及び同人が地元住民らから「やっちゃん」と呼ばれていたことは当事者間に争いがない。

右争いのない事実に、<書証番号略>を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  大場康夫は、昭和五四年四月三〇日から昭和六二年四月二九日までの二期八年間、蒲郡市議会議員として在職し、その当時から議員仲間、市職員及び地元住民らから「やっちゃん」と呼ばれ、右通称が公的生活においても定着していた。

(二)  大場康夫は、昭和六二年四月執行の蒲郡市議会議員一般選挙にも立候補したが、この時は落選したので、捲土重来を期して本件選挙に立候補し、自己の選挙運動用ポスターに大場康夫と表示するとともに、その左下に片仮名で「ヤッチャン」と記載して掲示するなど選挙運動を行うに当って積極的に右通称を使用したが、本件選挙において「ヤッチャン」の名称を使用して選挙運動をしたのは同人のみであった。

(三)  本件選挙の候補者中、小林康宏は、近所に同姓が多いこともあって、学校時代の同級生から「やっさん」と呼ばれたり、また付近の年配の人達から「やっちゃん」とか「康宏」と呼ばれたりしていた。また、同じく候補者柴田安彦も、同様に学校時代の同級生や近所の人達から「やっちゃん」とか「安彦」と呼ばれたりしていた。

(四)  本件選挙の開票手続において、疑問票及び無効票の審査事務等を担当する点検第三係の責任者山本英朗は、ヤッチャン票を比較的内容の軽い不完全記載の疑問票として取り上げ、開票立会人一〇名に対し、大場康夫の選挙運動用ポスターを明示して協議を求めたところ、間票立会人らは同票を大場康夫に対する有効投票とすることにつき誰一人として異議を述べなかった。

以上の事実が認められる。

公職選挙法六七条前段は、投票の効力は開票立会人の意見を聴き、開票管理者が決定しなければならないと定めているところ、その決定にあたっては同条後段の法意に徴し、候補者の誰に帰属するか疑義のあるものについては、その記載自体と当該選挙における具体的諸事情を考慮して、投票の記載から選挙人の意思が判断できるときは、できるかぎりその投票を有効とするように解すべきところ、右認定事実によれば、大場康夫については、「やっちゃん」という通称が同人の市議会議員としての活動を通じて議員仲間、市職員及び地元住民らに広く侵透し公的にも定着していたうえ、同人のみが本件選挙において選挙運動用ポスターに「ヤッチャン」と記載して選挙運動を行い、選挙人一般に右通称が周知されていたのに対し、小林康宏、柴田安彦については、友人及び知人らから「やっちゃん」と呼ばれることがあったにすぎないから、右名称の知名度、使用状況、本件選挙運動の実状、更には同票を大場康夫に対する有効投票とするにつき開票立会人全員に異議がなかったこと等を考慮すると、ヤッチャン票は選挙人が大場康夫に投票する意思で記載したものと判断し、これを同人に対する有効投票と認定するのが相当である。

なお、原告は、ヤッチャン票がいわゆる不真面目投票で無効である旨主張しているが、前認定の事実に照らして、同票が大場康夫を侮べつ又はやゆした不真面目な投票でないことは明らかであるから、原告の右主張は失当である。

2  やちん票について

本件選挙における投票中、やちん票が一票存在したことは当事者間に争いがない。

ところで、選挙人が候補者氏名を自署する投票方式を採る現行選挙法の下においては、候補者の表示に誤字、脱字その他不明確な記載の投票があることは避け難いところであるから、かかる不明確な投票については、代表制民主主義の根本理念に照らして、無効投票の規定に反しない限り、その記載された文字の全体的考察により当該選挙人の意思がいかなる候補者に投票したかを判断し得る以上、これを当該候補者に対する有効投票として選挙人の投票意思を尊重すべきであり、その投票の記載をそのような誤記又は脱字をしたものと認定するためには、当該選挙における具体的事情、殊に各候補者の氏名、通称等の文字、読み方、選挙人一般の教養程度、当該投票の記載体様等によりこれを推認すべきものと解するを相当とする。これを本件についてみるに、前記認定の各事実及び「やちん」は語音において「やっちゃん」に近似していること、<書証番号略>によれば、やちん票の筆跡は稚拙なものであること、<書証番号略>によれば、本件選挙の候補者の中には「やちん」に類似する氏名の者はいないこと等を総合考慮すると、やちん票は、選挙人が大場康夫に投票する意思で「やっちゃん」と記載しようとして、誤って「っ」及び「ゃ」を書き落としたものと判断できるので、同票は大場康夫に投票する選挙人の意思が明白であるとして、同人に対する有効投票と解するのが相当である。

なお、原告は、やちん票についてもいわゆる不真面目投票である旨主張しているが、右のとおり同票は「やっちゃん」の誤記と認めるのが相当であり、大場康夫を侮べつ、やゆしたものとは認められないから、原告の右主張もまた失当である。

3  大場康宏票について

(一)  本件選挙における投票中、大場康宏票が六票存在していたこと及び選挙会は同票を無効投票と認定したことは当事者間に争いがないところ、<書証番号略>によれば、本件選挙においては大場康宏なる候補者は存在せず、大場姓の候補者は大場康夫、大場ひさみつ及び大場実の三名、康宏の名の候補者は小林康宏がいたことが認められる。

そこで、右のように候補者の氏と名を混記した投票の効力について考えるに、選挙人は常に必ずしも平常から候補者たるべき者の氏名を正確に記憶しているわけではなく、選挙に際して候補者氏名の掲示、ポスター、新聞、演説会等を通じてその氏名をはじめて記憶する者も多く、そのなかにはその氏名の記憶が不明瞭、不正確な者も当然存在するであろうことは十分に推認できる。したがって、特段の事情のない限り、選挙人は一人の候補者に対して投票する意思でその氏名を記載するものと解されるから、投票を二人の候補者氏名を混記したものとして無効とすべき場合は、いずれの候補者氏名を記載したか全く判断し難い場合に限るべきであって、そうでない場合は、いずれか一方の氏名にもっとも近い記載のものはこれをその候補者に対する投票と認め、合致しない記載はこれを誤った記憶によるものか、または単なる誤記と解するのが相当である。

(二)  これを本件についてみるに、原告は、本件選挙の行われた蒲郡市の具体的実状に則して判断すれば、選挙人が大場康夫の名を誤って記憶するとか誤記することはあり得ない旨主張しているので、以下この点についても検討を加える。

本件候補者名一覧表に、「大場康夫(おおばやすお)」の左隣りに「小林康宏(こばやしやすひろ)」の氏名が併記して掲示されていたことは当事者間に争いがないところ、<書証番号略>及び証人山本英朗の証言、原告本人尋問の結果(但し、後記措信しない部分を除く。)並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められ、原告本人尋問の結果中、右認定に反する供述部分は採用できない。

(1) 蒲郡市は、昭和二九年四月一日以降順次、蒲郡、三谷、塩津、大塚、形原及び西浦の各町村を合併して市制施行されたが、各町村には以前から農業、漁業等を営む定着性の強い住民が多く、このなかには同姓一党が聚落を形成しているところもあるので、そうした地域では姓、氏で人を特定するのが困難であるため、名もしくは屋号など通称で人を特定することが多かった。しかし、右は同姓の者が多数居住する地域内での習慣であって、蒲郡市の住民全部が名もしくは屋号で人を特定しているわけではなく、地域外に出れば姓で人を特定するのが一般的であり、原告自身も親しい人達からは愛称で呼ばれているが、一般の人からは氏で呼ばれている。

(2) 大場康夫の居住する蒲郡市豊岡町には、大場姓を名乗る住民一一四世帯が居住しており、本件選挙においては同町内から大場康夫、大場ひさみつ及び大場実の三名が立候補したが、右三名の候補者の居宅は、それぞれ近接していた。

大場康夫方は右一一四世帯の大場姓の大本家であって、先代大場彌由は、戦後一時期蒲郡町長を勤めたこともある名家であり、大場康夫自身も二期八年間蒲郡市議会議員として在職し、過去四回立候補するなど同人の地名度は相当程度高いものであった。

(3) 蒲郡市の人口は、平成二年の国勢調査時で八万四八一九人であり、本件選挙の有権者数は六万三〇〇一人であるところ、投票者数四万六九四七人、投票率74.52パーセントであり、立候補者数は三四名であった。

そして本件選挙の開票手続において、前記点検第三係の責任者山本英朗は、氏名混記投票について代表的なものを一、二例抽出して開票立会人に示し、これに類した投票を無効票とすることについて予め承認を求め、大場康宏票を含む氏名混記投票については事務的に職員が二〇票ずつ一束に結束し、その上に点検票を添付して無効投票として処理し、これを開票立会人の回覧点検に供したが、とくに意見の表明をした開票立会人はいなかった。

なお、山本英朗は、本件候補者名一覧表に記載された大場康夫の左隣りに小林康宏の氏名が並んで掲示されていたことを知らなかったので、投票の効力を判断するに当って右の個別事情は考慮していなかった。

以上の事実が認められる。

右認定の事実からすると、大場康夫の居住する豊岡町内には大場姓の住民が多数居住しているとともに、本件選挙においては同町内から大場姓三名の立候補者があったので名前もしくは通称で候補者を特定することが多く、また大場康夫は名家の出身で相当程度知名度が高く、更に本件選挙が候補者と選挙人との結びつきが比較的強い地方選挙であったこと、しかし蒲郡市の前記人口規模、本件選挙の有権者数、投票者数及び立候補者数から考えると、中規模の地方選挙であったことが窺えるから、大場康夫に投票する意思を有する選挙人のすべてが、その氏名を正確に記憶しているとは断定できず、なかには大場という姓(氏)は記憶していてもその名前については記憶が不明瞭、不確実な選挙人も相当数存在したであろうことは容易に推認できる。そのため、選挙人の中には投票所において記載台に掲示してある本件候補者名一覧表記載の候補者の氏名を書き写す形で投票するものも少なからず存在し、大場康夫の氏名を確認して投票用紙に記載する場合、一度の確認で氏名の記載を了解した者ばかりでなく、まず氏の部分を記載し、再度右一覧表を確認して名の部分を記載した者もあり、その時、大場康夫(おおばやすお)の左隣りに並んで掲示してある小林康宏(こばやしやすひろ)の名のうち第一字目の「康(やす)」が大場康夫と同一であるため、大場康夫の名と見誤って康宏と記憶したり、あるいは誤って書き写したりした者が存在したことは十分考えられる(このことは、大場康宏票が六票、大場やすひろ票が三票合計九票存在した原因の一つとして、この候補者氏名の配列の仕方にも問題があったものと推測できる)。

なお、前記認定のとおり、本件選挙の開票に際し、大場康宏票を無効投票とするにつき開票立会人から何ら意見の表明がなかったけれども、前認定のような事務的な開票、点検の経過を併せ考えると、同票について意見の表明がなかったことは、何ら右認定、説示を左右するものではない。

また、原告は、「夫(お)」と「宏(ひろ)」では、語感も語音も著しく相違しているので、普通、康夫を康宏と誤って記憶したり、夫を宏と書き誤ったりすることはあり得ない旨主張しているが、当該投票の有効、無効は氏名全体の類似性によって判断すべきところ、大場と小林とは外観および呼称において類似性が乏しく、むしろ大場康夫と大場康宏とは全体的にみて類似性があり、大場康夫の氏名にもっとも近い記載であるので前記のとおり同人の名のうち第二字を誤記したものと認めるのが相当であるから、原告の右主張は失当である。

(三) 以上、認定説示したところに従って大場康宏票の効力について考えるに、同票は大場康夫の氏名四字中上位三字まで合致しており、小林康宏、大場ひさみつ及び大場実の氏名と比較して大場康夫の氏名に最も近い記載であるところ、本件候補者名一覧表に記載された大場康夫の左隣りに小林康宏の名が並んで掲示されていたことも併せ考えると、同票は選挙人が大場康夫に投票しようとして、右一覧表に隣接して併記してある小林康宏の名の文字、語感が類似しているため、名のうち第二字を誤って記載したものと推認できるから、蒲郡市の地域性を考慮しても、大場康夫に対する有効投票と認めるのが相当であり、他に特段の事情を認めるに足りる証拠は存しない。

4  大場やすひろ票について

本件選挙における投票中、大場やすひろ票が三票存在していたことは当事者間に争いがない。

大場やすひろ票は大場康宏の名の部分をひらがなで記載したものであるから、前記認定説示したところと同じ理由により、大場康夫に対する有効投票と認定するのが相当である。

三以上の次第で、ヤッチャン票、やちん票、大場康宏票及び大場やすひろ票は、いずれも大場康夫に対する有効投票と認めるのが相当であるから、結局、本件選挙における大場康夫の得票数は826.493票となり、最下位当選人原告の得票数八二三票を上回ることになる。

よって、原決定を取消し、原告の当選を無効とした本件裁決は相当であり、原告の請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官土田勇 裁判官喜多村治雄 裁判官林道春)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例