名古屋高等裁判所 平成6年(ネ)529号 判決 1998年12月17日
目次
主文
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人ら
二 被控訴人
第二 事案の概要
第三 当事者の主張
第四 本件各請求の根拠及び要件に関する当事者の主張
一 控訴人らの主張
1 はじめに
2 権利侵害
3 事業の公共性=公共の利益の存在
4 被害防止対策
5 受忍限度論について
二 被控訴人の主張
1 主位的請求(本件堰建設の差止請求)について
2 差止請求の根拠及び要件
3 事業の公共性=公共の利益の存在
4 被害防止対策
5 受忍限度論について
第五 証拠
理由
第一 本件各請求の法的根拠の有無
一 はじめに
二 集団的権利としての環境権、安全権
三 民事差止等の請求と良好な自然環境の享受を目的とする環境権
四 本件各請求の法的根拠
第二 前提となる事実関係(当事者、本件事業の概要等、本件堰の構造とゲート操作)
第三 本件堰の建設差止請求(第一次請求)の当否
第四 本件堰の収去請求(第二次請求)の当否
第五 本件ゲート扉の閉鎖禁止請求(第三次請求)の当否
一 はじめに
1 第三次請求が許容されるための一般的要件
2 立証責任
3 判断すべき争点の範囲
二 地震及び洪水に対する安全性
1 原判決の引用
2 まとめ
三 高潮及び津波に対する安全性
1 控訴人らの主張
2 原判決の引用
3 高潮について
4 津波について
5 高潮、津波と控訴人らの被害との因果関係
6 まとめ
四 地盤漏水
1 控訴人らの主張
2 原判決の引用
3 新たな数値解析
4 本件堰運用開始後の状況
5 控訴人らの主張に対する判断
6 まとめ
五 河床浚渫による河床変動、板取ダム問題
六 環境問題
1 はじめに
2 本件堰完成後の状況
3 控訴人らの主張に対する判断
(一) 本件堰下流域におけるヘドロの堆積について
(二) アユ等の遡上について
4 今後の監視態勢
5 まとめ
七 まとめ
第六 結論
控訴人
森島輝雄
外九名
右一〇名訴訟代理人弁護士
在間正史
被控訴人
水資源開発公団
右代表者総裁
近藤徹
右指定代理人
竹中守
外三名
右訴訟代理人弁護士
片山欽司
同
井上尚司
主文
一 本件控訴をいずれも棄却する。
二 控訴人らの当審における各予備的請求をいずれも棄却する。
三 控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実
(以下においては、別紙物件目録記載の長良川河口堰を「本件堰」といい、距離標を基準とした河口からの距離を表すのに「粁」を用いるなど、原判決と同一の略号・略称を用いるほか、長良川河口堰調査報告書平成七年七月第一巻ないし第四巻(乙二六四の1ないし4)を「平成六年度調査報告書」という。)
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人ら
1 原判決を取り消す。
2 主位的請求(第一次請求)
被控訴人は本件堰を建設してはならない。
3 当審における先順位の予備的請求(第二次請求)
被控訴人は本件堰を収去せよ。
4 当審における後順位の予備的請求(第三次請求)
被控訴人は、本件堰につき、そのゲート扉を閉鎖してはならない。
5 訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
1 (主位的請求に対する本案前の答弁)
控訴人らの主位的請求にかかる訴えを却下する。
2 (本件控訴及び控訴人らの当審における各予備的請求に対する答弁)
主文と同旨
第二 事案の概要
本件は、長良川の揖斐川との合流地点付近に建設される本件堰につき、住民二〇名が原告として水資源開発公団に対し、人格権、環境権等に基づく建設差止請求をし、原審において請求が棄却されたところ、内一二名が控訴し、当審において、環境権、安全権に基づき、建設差止請求のほか、予備的に本件堰の収去請求、ゲート扉の閉鎖禁止請求を追加し、これに対し、右公団は、本件堰が完成したとして建設差止請求につき訴えの却下ないし控訴棄却を求め、その余の請求につき請求棄却を求めた事案である。
第三 当事者の主張
当事者双方の主張は、当審において、本件各請求の根拠及び要件に関する主張が次項(第四)のとおりであり、また、本件堰の目的用途等、河道の流下能力、塩害等、利水上の必要性等、地盤漏水、環境問題、本件堰の危険性に関する主張が第二分冊(控訴人ら準備書面)及び第三分冊(被控訴人準備書面)のとおりであるから、これらを付加するほか、原判決事実摘示「(当事者の主張)」欄(原判決一丁裏四行目冒頭から一六六丁裏六行目末尾まで)の記載と同一であるから、これを引用する。
第四 本件各請求の根拠及び要件に関する当事者の主張
一 控訴人らの主張
1 はじめに
本件のような公共事業の民事差止請求(本件堰の建設差止請求のほか、収去請求、運用差止請求を含む。以下、本項において同様に用いる。)の要件及び立証責任は、結論的には、次のように考えられる。
権利侵害、またはその可能性があれば、公共事業に対する差止請求は認容される。ただし、その公共事業が「純」の公共の利益が最も大きい最適案であり、かつ、被害防止対策がとられて権利侵害が防止、回復等される場合は、その差止請求は棄却される。そして、立証責任はこれらの主張者が負うが、資料の偏在等の理由により軽減される場合がある。
2 権利侵害
(一) 基本的考え方
民事差止請求は、権利の保全を目的とすることに由来する。したがって、民事差止請求の要件として、権利侵害又は権利侵害の可能性のあることが必要である。公共事業の民事差止請求においても、すでに公共事業により権利侵害があったときは、その権利侵害により、権利侵害が発生していないときでも、権利侵害の可能性により、差止請求は認容される。ここにいう「権利」には、社会的に法的な保護に値するものとされた利益、価値も含まれる。その意味で、「権利」は社会の動きの中で変化し、形成されるものである。
(二) 本件における控訴人らの権利
(1) 河川についての環境権
控訴人らが本件で主張するのは、河川についての環境権である。
「環境」とは自然環境や生活環境であって、元来自然のもので、人の諸活動により汚損されてきた。その結果、その保全の必要性が生じた。ここでいう「環境」とは自然の状態も、人や動植物の生息・生育の場という意味である。
河川は、基本的に、流水、河道、河道空間で構成され、これらは源流から河口へと形状を変化させながら連続している。これは人為の加わっている部分もあるものの、自然の営力の結果である。河川の多様な地形と流水の状態は、多種多様な生物の生息・生育を可能にする自然環境となっており、地形や流水の状態と合わせて生態系を形成している。都市化と工業化はこのような河川の状況を大きく変化させ、河川だけが多様な生物の生息・生育する場となってしまった。また、多くの河川では汚染・汚濁、河川工事によって自然環境が損なわれ、多種多様な生物が生息・生育するのは限られた河川になってしまった。河川での生物種の多様性は急速に失われつつある。サツキマスのような絶滅危惧種、さらには絶滅危急種になってしまった生物もある。長良川は豊かな自然が残された数少ない河川の一つである。
河川は、これまでその自然環境を基盤にして、人、特に流域住民に日常生活で利用され、それに密接に結びついてきた。このような河川の利用と利益の享受は流域住民の共有に属するものである。河川環境に価値があり、それを全ての人が等しく享受するように求められている現在、河川環境は人、特に流域住民の共有に属するものである。
このような、河川の自然的な価値、とりわけ多様な生態系を育むという価値を尊重すべきこと、および河川が流域住民の共有財産であることは、平成七年三月三〇日河川審議会答申「今後の河川環境のあり方について」においても積極的に取り組むべき課題として明確に述べられている。
(2) 安全権
生命、身体、財産はその侵害から守られる必要があり、これらの安全性が確保されなければならない。水害等の災害からの安全性は、個々の生命、身体、財産だけでなく、それらの統合状態、さらに行動をも含む人の生活全体の安全性である。これを安全権という。
水害等の災害からの安全性は、第一に堤防等の防災施設によって確保される。したがって、これらによって安全が確保されている状態が安全権の内容をなす。このような安全状態は、被害にさらされる全ての人が等しく享受している。その意味でこの安全状態はこれらの人の共有に属している。
(3) 環境権、安全権の主体
環境権も安全権も共有のものであり、その共有状態は空間的だけではなく時間的なものでもある。つまり、これらは同一世代間の者の間だけでなく次世代の者との間でも共有の権利である。個々の権利主体は、共有財(価値あるもの)の保存行為として、単独で、環境や安全状態の侵害に対して、その予防や排除をなし得る。それは自己のためだけではなく、他者、将来世代の者のためでもある。
3 事業の公共性=公共の利益の存在
(一) 公共の利益
権利侵害となる行為であっても、正当性があれば、権利侵害が許される場合がある。
公共事業に正当性が認められるためには、国や国の計画による事業であるということだけでは不十分であり、公共の利益が存しなければならない。
公共事業は、利益(プラス面)のみでなく不利益(マイナス面)をもたらす。また、事業の実施には費用を必要とし、不利益の防止等の対策が必要とされるときにはその費用も必要である。原判決は、差止請求者の損害の程度が公共事業による公共の利益を上回る場合に差止請求が認容される旨判示しているが、この「公共の利益」は「純」のものでなければならず、ある公共事業の「純」の公共の利益は公共の利益から公共の不利益や費用を差し引いたものとなる。事業による公共の不利益(その一表現が費用である。)については、差止請求者の被害とは別に差し引かなければならない。
公共事業の公共の利益は、事業目的によって規定され、限界づけられている。
(二) 最適案
公共事業は合理的なものでなければならない。公共事業は単に、国や国の計画に基づく公団の事業ではなく、「公共的な目的を有する事業」である。公共事業が公共的な目的を持つには、事業が合理的であることが必要である。
公共事業の合理性は、複数の事業案について、相対的に比較していずれが最も優れているかを判定すること(複数事業案からの最適案の選択)により達成され、あるいは評価される。逆に、ある事業案よりも優れた事業案があるとき、劣った事業案を選択することは不合理である。
各事業案の中で最も優れている、すなわち、最適案は、各案の利益/不利益、利益/費用の比や純利益を比較して、その値等が最も大きいものである。そして、最適案の選択にあたっては、複数の事業案についての利益/費用比等を求め、それらを相互に比較して最も数値の良い最適なものを選択する方法を用いるべきであり、このような利益と不利益・費用の検討によって、複数事業案の中で最も優れている事業の選択が可能となる。
以上のように、公共事業の決定に合理性があると言い得るには、複数代替案から純利益の最も大きい最適案が選択されていることが必要なのである。
(三) 立証責任
公共事業の公共性、すなわち、その事業が公共の利益をもたらし合理的なものであるということは、その事業の正当性の主張であるから、事業者が主張、立証すべきことである。したがって、公共事業の差止請求訴訟においては、当該公共事業が代替案の中で最適案であることを事業者において主張、立証し、裁判所はそうであるかどうかを判断するのである。
4 被害防止対策
(一) 件各請求の対象となる公共事業の種類
控訴人らが本件各請求の対象とする公共事業は、浚渫による塩害防止のための河口堰建設事業や河口堰建設による地盤漏水防止のための漏水対策事業であり、被害防止・回復事業(他の公共事業による被害の防止や回復を目的とする事業)である。
(二) 限界
前記3(一)で述べたように公共事業における「公共の利益」は「純」のものであり、それは利益から費用を始めとする不利益を差し引いたものである。この「純」の公共の利益は正のものでなければならない。これは事業の合理性から当然のことであり、費用等の不利益が、得ようとする利益を上回るのは不合理である。被害防止・回復事業の利益は、他の公共事業によって発生する被害の防止・回復であり、その大きさは、防止・回復しようとする被害額等の被害内容で評価される。したがって、被害防止・回復事業においては、防止・回復しようとする被害内容を費用等の被害防止・回復事業の不利益の内容と比較し(例えば、防止しようとする被害額と防止費用を比較する。)、前者が後者を上回り、「純」の公共の利益が正にならなければならない。これがその事業実施の限界である。
(三) 補償性
被害防止・回復事業は、他の公共事業による被害防止を目的とする事業で、他事業の補償である点に特徴がある。この補償性から、次のことが導きだされる。
第一に、被害防止・回復事業の費用は、その被害を起こす他の公共事業の費用となる。
第二に、被害防止・回復事業の内容、機能の有効性、純利益の大きさ、最適案であること等事業についての立証責任は被害を発生させた事業者にある。
(四) 立証責任の内容
第一は、当該被害防止・回復事業の内容である。
第二は、当該事業の被害防止・回復機能の有効性である。まず、設計条件の妥当性が明らかにされる必要性がある。そこでは、設計外力が妥当なものか、機能は有効に働き予定された目的は達成されるのかなど明らかにされなければならない。
第三は、当該被害防止・回復事業の利益、つまり他の公共事業による被害項目と被害額などの被害内容、当該事業費用などの不利益の内容、両者を比較した純利益の大きさや内容である。
第四は、当該被害防止・回復事業が最適案であることである。
5 受忍限度論について
公共事業の差し止めの要件の考え方として、受忍限度論がある。この点、被控訴人は、「本件事業が控訴人らに対し受忍限度を超える被害を及ぼすか否かを端的に判断すれば足りる」と主張する。
受忍限度論は論理的に未熟である。受忍限度論は、それがどのような判断、思考過程をするのかの論理の枠組みを示すことができない。したがって、実際になされた判断過程の追試、検証ができない。結局、被控訴人のように「端的」というニュアンスでしか意味の分らない情緒的な思考過程しか示せないのである。
受忍限度論において、差止請求者の被害のみから、受忍限度を超えているか否かの判断がなされるのではない。「受忍限度」とは権利侵害を公共事業の公共の利益と対比することによって、権利侵害による差し止めを制約するものである。「受忍限度を超える被害」というものを差止要件に持ち出す以上、侵害行為である公共事業における公共の利益についての判断を欠くことはできない。このような公共事業における公共の利益を含めた判断は、結局、前記4までに述べた判断である。受忍限度論は、必要な判断を論理立ててきちんとしてゆくと、前記4までに述べた判断過程に収れんされる。
二 被控訴人の主張
1 主位的請求(本件堰建設の差止請求)について
(一) 被控訴人は、本件堰、本件堰管理のための管理所とこれに附帯する施設、水位及び水質観測設備、通信連絡設備等のすべての工事を平成七年三月二七日をもって完了し、同月三〇日、建設大臣から完成合格書の交付を受け、同月三一日、本件堰新築工事が完了した旨の公告を官報に公示したものである。
(二) したがって、被控訴人は、平成七年三月三一日までに本件堰の建設に関する工事及び手続の一切を完了し、本件堰建設について何らかの行為をなす余地は全くなくなったものであるから、控訴人らが求める差止請求は、その目的を失い、対象を欠き、あらかじめその請求をなす必要性をも有しないものとなったので、主位的請求は却下を免れない。
2 差止請求の根拠及び要件
(一) 環境権及び控訴人らのいう安全権
環境権は差止請求権の根拠となり得ない。また、本件堰は平成七年七月六日運用開始後既に三年近くを経過しているが、ゲート操作は円滑に行われており(平成九年上半期に限ってみても出水時には八回の全開操作を円滑に行った。乙三二九の2・二―八頁)、右運用開始後何人からも控訴人らのいう安全権について権利侵害があったとの訴えを聞いていないし、そのおそれがあるという客観的事実もない。
控訴人らのいう環境権、安全権なるものの前記一2の主張が何を言おうとしているのか必ずしも明らかではないが、当該控訴人らが、他者に対する権利侵害またはその可能性に対しても、差止請求ないし収去請求ができると考えているとすれば、それは現行の民事訴訟制度を全く無視したものとしかいいようがない。
(二) 差止請求の要件
差止請求が許容されるためには、権利侵害またはそのおそれのみでは足りず、少なくとも、控訴人らの被害の程度が受忍限度を超えるものであることが必要である。
そして、本件差止請求について、本件事業の差止めを求める控訴人らの本件請求が認容されるためには、控訴人らにおいて、①控訴人らが被害を受ける高度のがい然性があること、②本件事業と右被害との間に相当因果関係があること、③右被害の程度が受忍限度を超えるものであることを主張立証する必要があり、かつそれをもって十分であるというべきである。しかも、本件堰は既に完成し、本格運用に入っているのであるから、本件堰の収去を求め、あるいは本件堰のゲートの閉鎖の差止めを求める控訴人らの各予備的請求においては、右控訴人らは①につき一層高度ながい然性があることを主張立証する必要がある。
(三) 差止請求の要件についての控訴人らの主張立証
(1) 控訴人らは右(二)の要件に該当する事実の主張、立証を全く行っていない。右①の要件について、控訴人らは、一般的、抽象的、感情的主張にとどまり、具体的にいかなる権利侵害を、いかなる理由により、いかなる程度受けることになるのかについて全く主張立証するところがない。本件堰は既に運用段階に移っているのであるから、控訴人らはそれにより各自がどのように回復し難い明白かつ重大な損害が生じるかを具体的に明らかにしなくてはならないのであるが、全く明らかにされていない。これを論点ごとにみると、次項以下のとおりである。
(2) まず、板取ダムの建設による被害を理由とする別紙第三、第四控訴人目録記載の控訴人らの請求は、主張自体失当である。すなわち、控訴人らは、板取村が長良川上流ダムの設置場所の候補地として挙げられているとしているが、長良川上流部のダムについては、その具体的計画は未定であって、そのようにいまだ具体的計画の決定されていないダム建設による被害を理由として救済を求めるのは主張自体失当である。また、長良川上流ダムの建設事業は、本件事業とは別事業として実施されるものであるから、本件事業の差止めによって右上流ダム建設事業が差し止められるものではなく、上流ダム建設の被害を主張して本件事業の差止めを求めることができないことは当然である。
(3) 別紙第四控訴人目録記載の控訴人らの河床浚渫による河床変動を理由とする権利侵害の主張については、主張に具体性がないのみならず、全く科学的根拠を欠くものであり、また、何らの立証もなされていない。かえって被控訴人において控訴人らが危惧するようなことが全くないことを立証している。
別紙第三、第四控訴人目録の控訴人らは、本件事業及び建設省が行う本件浚渫の影響を全く受けない者であり、また、その居住環境も全く変るところがない者である。このことは、控訴人らの主要メンバーの一人である控訴人村瀬惣一が、原審における本人尋問において、被控訴代理人から本件事業及び浚渫により同控訴人本人がどのような影響を受けるかと尋ねられたとき、これに全く答えられなかったことが明白に物語っている(村瀬本人原審第三五回口頭弁論調書速記録二二頁ないし二六頁)。
(4) 控訴人らの、長良川の流域住民としての良好な自然環境を破壊されたとの主張については、本来、環境権が差止請求権の根拠たり得ないとした確立した判例に照らし失当である。また、控訴人らの環境破壊の主張は、控訴人らの生命、身体の安全に関する利益が侵害されるというものでもないから、主張自体失当というほかない。
(5) 別紙第一控訴人目録記載の控訴人らは、堤内地の湿潤化及び長良川堤防決壊の危険の増大により被害が生じる旨主張する。
しかし、長良川からの堤内地への浸透水は大江川によって遮断されるものであるから、大江川より西の揖斐川寄りに居住する別紙第一控訴人目録の控訴人らは本件堰上流の水位変動による影響を一切受けないのであって、右主張は全く失当である。
また、別紙第一控訴人目録の控訴人らは、堤内地地下水圧の上昇によるガマ(自噴水)の増、激化、堤体の力学的強度の低下により洪水時に長良川堤防が決壊する危険があり、右控訴人らの生命身体財産が侵害されるおそれがある旨主張している。控訴人らの主張は、原状に比べて漏水対策工をしない場合、あるいはブランケット工のみを施工した場合に、地下水圧が二倍以上になることを論拠とするものであるが、被控訴人は、右控訴人らが居住する高須輪中では、漏水対策工として堤外地にブランケット、堤内地に堤脚水路、第一線承水路、排水路、暗渠排水管および湧水処理工からなる平面排水対策工を実施しているところ、右漏水対策工は本件事業の包含されるものであるから、原状と漏水対策工なしの場合や、ブランケットのみの場合の地下水圧を比較しても無意味である。第一控訴人目録の控訴人らは、右漏水対策工が実施されても、なお、地下水圧が原状より上昇し、ガマが増・激化し、堤体の力学的強度が低下することを具体的に主張立証しなければならないのであるが、そのような主張立証はなされていない。
控訴人らは、右対策工事が機能しない場合の危険性について主張するが、右対策工は機能を充分発揮し得るよう設計されているところ、機能の保全は十分なし得るものであり、仮に万一将来において局部的に機能不全が生じることがあったとしても、その改修は十分可能であり、控訴人らの生命、身体、財産が侵害されるおそれはない。
(6) 別紙第一、第二控訴人目録記載の控訴人らは、本件堰が設置されると、高潮、津波等の揖斐川の負担が過大になり、揖斐川堤防が溢水高波等で決壊すると主張している。
しかし、第一控訴人目録の控訴人らは、本件堰地点から約十数キロメートル上流に居住するものであるから、高潮津波時の揖斐川堤防決壊の被害とは全く無関係であることは明らかである。
また、高潮津波時における本件堰の影響についての控訴人らの主張は失当であるが、そもそも、揖斐川の幅員は約五〇〇メートルもあるから、本件堰による影響は揖斐川右岸堤防の位置では非常に小さくなることが予想され(乙二七・六頁)、さらにその影響が第二控訴人目録の控訴人らが居住している本件堰の約二km下流の揖斐川対岸にまで及ぶとはおよそ考えられないことである。それでもなお控訴人らが被害が及ぶというのであれば、根拠を示して具体的に主張立証しなければならないところ、それが全く欠落している。
(四) 以上述べたところから明らかなように、控訴人らの被害主張は、主張自体被害が発生するとは到底認められないものや具体性を欠くものばかりであって、本件事業によって控訴人らが被害を受けるがい然性については何ら主張立証するところがないのである。
したがって、本件堰の目的とか、長良川河道の流下能力の問題とか、塩水遡上と塩害の問題とか、代替案の問題とか、利水の問題とか、財政負担の問題などは、控訴人らが被害を受ける高度のがい然性があることを立証した後、右被害の程度が受忍限度を超えるものであるか否かが判断される際に、初めて斟酌される事柄にすぎないから、現段階においては審理の対象として取り上げる必要もない事柄である。
3 事業の公共性=公共の利益の存在
控訴人らが「公共の利益」や「最適案」で述べるところは、控訴人らの独自の見解である。本件事業の差止めの要件としては、右2に述べたところで必要かつ十分であって、仮に本件事業によってもたらされる不利益があったとしても、それが控訴人らの受ける被害と無関係であれば、これに触れる必要はない。本件においては、控訴人らに対し受忍限度を超える被害を及ぼすか否かが端的に判断されれば足りることであり、本件事業が最適のものであるとか、必要性があるか否かなどという問題は、控訴人らにおいて本件事業により控訴人らが被害を受ける高度のがい然性があることの主張立証が尽くされたのち、右被害が受忍限度を超えるか否かを判断する際のしんしゃく事由の一つにされるにすぎないのである。また、代替案との比較検討の問題についても、右同様被害の蓋然性の主張立証のない本件では、必ず立ち入らなければならないものでもない(名高裁平成元年(ネ)第七二九号(紀宝バイパス道路建設工事等差止請求控訴事件)平成七年六月二六日言渡判決参照)。さらに、本件事業は既に完成しているのであるから、代替案とか最適案とかいってみても詮無いことである。
したがって、本件では、控訴人らが被害を受ける高度のがい然性があることの立証がないから、本件堰の目的とか、長良川河道の流下能力の問題とか、潮水遡上と塩害の問題とか、代替案の問題とか、利水の問題とか、費用負担、財政負担の問題などは、これに立ち入る必要もない事柄である。
4 被害防止対策
控訴人らは、本件堰は浚渫による塩害防止等を目的とする被害防止・回復事業であるとする。しかし、本件事業の目的は右にとどまらず、本件堰の設置によって、河道浚渫を可能ならしめ、もって計画高水流量七五〇〇m3/秒を安全に流下せしめるとともに、河川の正常な機能を維持し、公利の増進と公害の除去をはかるとともに、濃尾及び北伊勢地域の都市用水として22.5m3/秒の供給を可能ならしめることを目的とするものである。それ故「限界」とか「補償性」とか「立証責任の内容」とかを論じても無意味である。
5 受忍限度論について
差止請求が認められるためには、権利侵害による被害を受けたか又は権利侵害による被害を受けるおそれがあって、その被害の程度が受忍限度を超えるものであることが必要であり、公共の利益の有無も受忍限度を斟酌する一要素にすぎない。
第五 証拠
証拠関係は、原審及び当審記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
第一 本件各請求の法的根拠の有無
一 はじめに
控訴人らは、当審において、本件各請求の根拠として、環境権及び安全権なる権利を主張する。そこで、これらの権利をもって、民事訴訟における建設差止請求、建造物の収去請求、その運用差止請求の法的根拠とし得るか否か等、本件における各差止請求権ないし収去請求権についての法律上の根拠の有無につき検討する。
二 集団的権利としての環境権、安全権
1 自然環境を良好に保つ利益は、社会生活上保護されるべき重要な利益であるところ、控訴人らは、右利益に関する権利を、地域住民らによって共有される集団的な(さらには世代的な)権利としての環境権であると構成して主張する。
しかし、このような集団的権利は、権利者の範囲が明確ではなく、権利の客体である環境の内容が多様で、その侵害が権利主体たる各個人に及ぼす不利益の内容や程度も極めて多様であるので、通常民事訴訟において、そのような集団的権利を主張する場合、当事者が、自己に帰属する共有持分を越えて当事者以外の者に帰属する権利利益までも主張する点については、当該当事者の当事者適格を肯定するのに困難を生じるなど、通常民事訴訟を主観訴訟とみる伝統的な考え方やこれを前提とする実体私法の法解釈と必ずしも適合しないといった問題が生じる。そして、現状において、そのような問題点が未だ十分に解決されているとはいえず、このような集団的権利をもって、直ちに民事上の請求の具体的な根拠となる権利であると解することはできない。
2 また、控訴人らは、住民共有の集団的な(さらには世代的な)権利である安全権なる権利を主張するが、右1と同様、このような集団的権利を民事上の請求の具体的な根拠となる権利であると解することはできない。
三 民事差止等の請求と良好な自然環境の享受を目的とする環境権
1 民事上の請求として、直接の契約関係にない他人に対し、その故意過失を問わずに、建造物の建設差止、収去ないしその運用の差止等を求めるといった、物権的請求権類似の妨害排除ないし妨害予防請求権を行使するには、自己の不可侵性のある権利(絶対権)が受忍限度を越えて侵害され又は侵害されるおそれがあることを根拠とすべきであると解される。
2 ところで、控訴人らの環境権に関する主張は、長良川の自然環境の保護を訴え、控訴人らを含む地域住民らの、良好な自然環境を享受する利益が本件堰の建設により侵害されることを問題とするものであるから、その主張する環境権の権利内容(目的)は、良好な自然環境の享受にあるとみられる。
しかし、自然環境については、一般的にはこれを保護することに価値があるといい得るにしても、具体的な場面において、個人個人の自然環境に関する考え方や利害の内容、程度は多種多様であり、自然環境の保全の必要性、保護の程度、保護の態様等を決するには、関係する多数の者の利害や意見の調節を要するものであり、ある個人が最も望ましいと考える自然環境を他の者は必ずしも最適とは考えず、また、ある自然環境の保護行為が、利害関係人の財産権、活動の自由、開発利益の享受等を制約する、といった事態が生じ得るものであって、自然環境に対する侵害の問題は、人格権侵害と比較する場合はもちろん、個人の居住環境に対する侵害の場合に比しても、一段と、利害や意見の調整が広範で複雑なものとなるといえる。それゆえ、ある個人の自然環境を享受する利益が他の者の利害や意見と合致しない場合に、一般的に自然環境を享受する利益を主張する者が優先し、他の者に対しその利益を侵害しないことを求めるべき法的地位を有するということはできない。
3 そうすると、個人個人の自然環境を享受する利益を含めて環境権という権利を構成し得たとしても、そのような権利につき、立法的手当もなしに無限定に不可侵性、絶対性を付与することはできないこととなる。したがって、良好な自然環境の享受を目的とする環境権は、絶対的な権利に基づく民事差止等の請求の法的根拠としては十分とはいえない、と解さざるをえない。
四 本件各請求の法的根拠
1 以上のように控訴人らの主張する環境権、安全権は、それ自体としては民事差止等の請求の法的根拠とはならないと解される。もっとも、本件堰の事故時における危険や本件堰周辺の自然環境の劣悪化等が、ひいては、物権、人格権(個人の生命、身体、健康、自由、生業、生活利益等に関する権利)など、他の絶対権の侵害に結びつく場合には、その絶対権に対する法的保護を通じて、個人個人の安全な生活を営む利益や良好な自然環境を享受する利益も事実上保護され得ると解される。
2 ところで、本件における控訴人らの環境権、安全権に関する主張事実の内容は、控訴人らの個々の生命、身体、健康等が侵害され、又は、侵害される危険があることを包含するとみられ、その意味で人格権侵害に関する主張がなされていると解される。そうすると、控訴人らの本件各請求は、環境権ないし安全権に基づく請求としてではなく、本件堰による人格権の侵害を予防ないし排除する趣旨の請求(人格権に基づく差止請求、妨害排除請求ないし原状回復請求等)として、その法的根拠を肯定し得ることとなる。
そこで、右の点を踏まえて、以下において、本件各請求の当否につき検討する。
第二 前提となる事実関係(当事者、本件事業の概要等、本件堰の構造とゲート操作)
判断の前提となる事実関係(当事者、本件事業の概要等及び本件堰の構造とゲート操作)に関する当裁判所の認定事実は、以下に付加、訂正するほか、原判決理由欄第二(一六七丁表四行目冒頭から同一一行目末尾まで)、同第四(一七一丁裏三行目冒頭から一八七丁表一一行目末尾まで)及び同第七(二二〇丁表六行目冒頭から二二六丁裏三行目末尾まで)の記載と同一であるから、これを引用する。
一 右引用部分の「原告目録」はいずれも「控訴人目録」と改める。
二 原判決一七一丁裏五行目「甲第六一号証、」の次に「第九二号証の2」を加え、一七五丁表八行目「ことから、」の次に「長良川下流部(河口から約30.4粁地点から下流)においては」を加え、一七六丁表八行目「おり、抜本的な治水対策が最重要かつ緊急の課題となって」を削除し、同丁裏四行目「与え」の次に「ることを主たる目的とし」を加え、同五行目「そして」の次に「同企画室は、」を加え、同六行目「大災害が」とあるのを「大災害を考慮し、右構想により工業用水の十分な供給を図ることが」と、同七行目「低くなっていたことを起因するものであったことから、」とあるのを「低くなるのを防ぐことになり、災害の未然防止につながると考え、」と、同八行目「目的をも加え」とあるのを「ことが可能となる旨を急遽書き加え」と、同九行目「された」とあるのを「した」とそれぞれ改める。
三 原判決二二三丁裏一行目「乙第一八三号証及び」の次に「乙第二八〇号証の1、2並びに」を加え、同七行目「決定される」とあるのを「決定された」と改め、二二四丁表四行目「以上とする」の次に「が、堰の上流と下流の水位の差が小さくなるよう努めるものとする」を加え、同一一行目末尾に「また、堰下流水位が今後TP2.1mを超えると予測される場合には、全閉とせず、アンダーフローの状態とし、全開操作に備える。」を加える。
第三 本件堰の建設差止請求(第一次請求)の当否
一 被控訴人は本件堰建設工事完了の事実を主張するところ(前記事実欄第四の二1(一))、控訴人らはこれに対する認否をしないが、証拠(乙二六二、二六三、二九一の1、弁論の全趣旨)によれば、本件堰本体の建設工事は平成五年一二月完了し、本件堰の付属施設等の建設工事、本件堰完成に伴う完成検査、公示の手続を含め、本件堰の建設に関する工事及び手続は、平成七年三月三一日までに完了し、同年七月六日から本件堰の全ゲート扉の閉鎖を伴う操作が継続されるようになり、堰湛水域が生じ、本件堰が本格的に運用されるようになったことが認められる。
二 被控訴人は、右工事等の完了により、本件堰の建設差止請求が目的を失い不適法になった旨主張する。しかし、右建設差止請求は被控訴人に対する不作為を求める給付請求であるところ、不作為の給付請求権は、これに反する作為がなされたため給付の目的を失った場合には、例えば物の給付を求める請求についてその物が滅失した場合と同様に、履行不能により実体法上その権利が消滅する(他の権利に転化する場合を含む。)ことになるのであって、実体法上の権利の消滅と無関係に民事訴訟の審理対象としての適格を欠くに至るものとは解されない。そして、実体法上の権利が消滅したのであれば、これに対する判断は、本案の判断の問題となるのであって、訴訟要件の判断の問題ではないというべきである。
また、被控訴人は、右工事等の完了により、本件堰の建設差止請求が「あらかじめその請求をなす必要性」を有しないものとなったとも主張する。この点、履行期日の限定されていない建設差止請求訴訟は、現在から将来にわたり建設行為をしないという継続的な不作為を請求する訴訟であって、事実審の口頭弁論終結時点における右継続的不作為請求権の存否を審理の対象としているとみるべきであるから、これを直ちに将来給付の訴えと解することはできず、したがって訴訟要件として当然に「あらかじめその請求をする必要」(民事訴訟法一三五条)という要件が必要であるとは解されない。むしろ、人格権に基づく建設差止請求権については、今後なされる作為(建設行為)により人格権が侵害されるおそれのあることが実体法上の要件となると解されるところ(民法二〇一条二項参照)、被控訴人の右主張は、本件堰の完工の結果、今後なされる建設行為が存しないことを理由に、今後なされる建設行為により人格権が侵害されるおそれもまた存しない旨主張するものであるから、実質的には、「権利侵害のおそれ」という実体的要件の欠缺を指摘する主張ということができる。
したがって、訴訟要件を欠く旨の被控訴人の右主張は採用できない。
三 被控訴人の主張する本件堰建設工事完了の事実は、控訴人らの主張する不作為義務が履行不能により実体法上消滅したことを基礎づける事実であって、建設工事差止請求権の権利消滅原因事実にあたると解される。
四 そうすると、控訴人らの本件堰の建設差止請求権の存否に立ち入るまでもなく、右一の認定事実によれば請求権自体が消滅したことになるから、本件堰の建設差止請求は棄却を免れないこととなる。
第四 本件堰の収去請求(第二次請求)の当否
一 前記(第三の一)のとおり、本件堰はすでに完成し、被控訴人による運用が継続しているところ、本件堰の収去請求は右の運用継続を不可能にする内容の請求であるから、まず、その民事訴訟における審理対象としての適格が問題となる。しかし、この請求を認容する実体判断は、本件堰の管理・利用についての行政的施策に影響を与えるものではあるものの、本件堰の管理・利用が国の河川に関する行政全般にわたる政策的判断を不可欠の前提とするとはみられず、また、本件堰の管理・利用の制限がそのような国の全般的な行政上の政策的判断に深く係わるものともみられないから、この請求が民事訴訟における審理対象としての適格を欠くということはできず、これに対する実体判断をすべきものと解される。
二 ところで、ある建造物の存在自体が他人の絶対権を侵害しまたは侵害するおそれがあるとして、その収去を求める場合、その請求の相手方は、当該建造物の処分権を有し当該建造物を収去し得べき法的地位を有する者でなければならないと解すべきである。したがって、通常民事訴訟において、絶対権の侵害を理由に建造物の収去を請求する者は、請求の相手方が当該建造物の収去権限を有する者であることを主張立証する必要があると解される。
三 ところが、本件においては、この点についての主張立証はなされておらず、かえって、関係法令等に照らし、被控訴人は、本件堰(水資源開発公団法における水資源開発施設)について、本来の河川管理者である建設大臣の権限を代行して法定の管理行為等を行う者まで、水資源開発施設の新築又は改築といった重要な業務については、建設大臣が水資源開発基本計画に基づいて定めた事業実施方針により、建設大臣の指示を受けてこれを遂行すべき地位にあるものにすぎない(河川法九条、水資源開発公団法一八条一項、三項、一九条、二三条、五五条二号、同法施行令九条)。また、仮に本件堰の所有権が帰属せず被控訴人に帰属すると解する余地があるとしても、本件堰は河川法三条二項の河川管理施設とされ(水資源開発公団法二三条一項)、その所有権には関係法令等による公用制限が課されるものであるところ、法令上、被控訴人に対し、独自の判断で本件堰を収去する権限を認める規定は存せず、むしろ、右のような関係法令における被控訴人の地位に照らし、法は、公共の用に供される本件堰について、被控訴人に対し、被控訴人独自の判断で収去する権限を認めない趣旨であると解されるから、およそ被控訴人が本件堰につき独自の判断でこれを収去し得べき法的地位を有するということはできない。
四 そうすると、控訴人らの本件堰の収去請求は、その請求原因となるべき主要事実の主張立証を一部欠くことになるから、本件訴訟における多数の論点を検討するまでもなく、棄却を免れないこととなる。
第五 本件堰ゲート扉の閉鎖禁止請求(第三次請求)の当否
一 はじめに
1 第三次請求が許容されるための一般的要件
第三次請求も本件堰の運用を不可能にする内容の請求であるが、右第四の一と同様の理由で、その実体判断をすべきである。
そして、第三次請求は、将来人格権侵害が生じることを理由に、しかも侵害者の故意過失を問題とせずに、金銭賠償ではなく、積極的に、運用中の本件堰の運用差止を求めるものであるということになるから、右請求が認容される要件としては、本件堰ゲート扉の閉鎖により、控訴人らの個人個人の人格権が受忍限度を越えて侵害される具体的な危険があることが必要であると解される。
2 立証責任
本件堰ゲート扉の閉鎖による人格権侵害の具体的危険の存在に関する立証責任は、民事訴訟の一般原則に従い、控訴人らに帰属するものと解すべきである。
ただ、本件で一部争点となっている災害時の危険に関しては、控訴人らにおいて、本件堰の安全性に合理的疑いがあること及びそれにより控訴人らの人格権侵害の結果が生じることを立証する必要があり、右の合理的疑いの立証に対しては、本件堰を建設、運用する被控訴人において、科学的、専門技術的な調査に基づき、具体的根拠を示して安全性に欠ける点がないことを立証する必要があると解される。
3 判断すべき争点の範囲
控訴人らは、本件堰につき、地震、洪水、高潮、津波の際に危険であること、地盤漏水、河床浚渫、板取ダム建設、環境破壊などの問題があることを主張する。これらの主張は、本件堰による控訴人ら個人個人の人格権侵害の危険に係わるので、以下に判断を加える。
二 地震及び洪水に対する安全性
1 原判決の引用
当裁判所も、地震及び洪水に対する本件堰の安全性はいずれも肯定できると判断する。その理由は、次に付加するほか、原判決理由欄第八の一及び二(二二六丁裏四行目冒頭から二三八丁表六行目末尾まで)の記載と同一であるから、これを引用する。
(一) 原判決二三一丁表八行目末尾の次に行を改め、次のとおり付加する。
「(五) 平成六年度調査報告書(乙二六四の1・三―一一一頁ないし一二一頁)によると、被控訴人は、右(二)のとおり設計震度を0.3とした平成四年四月技術報告公表後、堰の上部構造の設計を変更し、上屋重量を変更前に比べ約二八%軽量化して本件堰を建設したものであり、これを踏まえて、本件堰の地震に対する安全性を右(二)の震度法の手法を用いて再度検討すると、本件堰の堰柱の応力度は、震度0.42に対して許容応力度内に収まるものであり、この値は、平成七年一月の阪神・淡路大震災において、RC橋脚に被害がほとんど出なかった阪神高速道路湾岸線の設計震度0.30や、昭和四九年の伊豆半島沖地震で断層からの距離が約一kmにあった天狗橋及び伊鈴橋の設計震度0.415及び0.345より大きいと認められる。」
(二) 原判決二三一丁裏二行目末尾の次に行を改め、次のとおり付加する。
「また、当審証人加藤良雄は、本件堰の運用によって堤防下の地下水位が高くなり、地震時に液状化によって堤防が崩れるのが心配である旨証言するが、後記四(地盤漏水)のとおり、本件堰本格運用開始後の平常時の状態における堰湛水域堤防下の地下水位は、ブランケット(高水敷)工、承水路、堤脚水路等の漏水対策工の施工により、右施工前の水位と同程度又はそれ以下となっているのであって、技術報告(乙一八三・五―二九頁)によれば、過去最大級の濃尾地震を想定しても、堤防基部の安全性は損なわれず、いずれの検討箇所でも地震時に無被害と予測され、堤防は安定したものであると認められ、また、平成六年度調査報告書(乙二六四の1・三―九九頁)によれば、直下型地震により検討対象地震動によって堤防が被災を受けて沈下したとしても、依然として、堤防、ブランケットの標高は、堰上流において、平常時の上限水位(TP1.30m)を上回っていると予測できることから、平常時の河川水が堤防を溢水するようなことはなく、堤防の溢水防止機能は保持されているものと認められるので、右証言のような破堤の事態が生じる具体的な危険は認められない。
さらに、同証人は、地震による堤防被災に洪水が重なったり、あるいは高潮がきた場合、簡単に溢水が生じ非常に危険である旨証言するが、本件堰上流域の堤防が被災するような強度の直下型地震が発生すること自体相当可能性が低いこととみられ、まして堤防被災箇所において同時に洪水や高潮が重なるということは、およそあり得ないというものではないにしても、極めて可能性の低い事態であるというべきであるから、このような可能性の低い事態を想定して、本件堰の運用により、地震時における具体的危険が存すると認めることはできない。なお、地震の際には津波が発生する場合があるが、平成六年度調査報告書(乙二六四の1・三―一五六頁、一六二頁等)によれば、伊勢湾内の伊勢湾断層でマグニチュード七程度の直下型地震が発生したと想定して計算される津波の高さは二〇㎝程度(本件河口堰地点下部の最高水位はTP1.5m)であり、仮に右想定地震により堤防沈下の被害が生じたとしても、右想定地震により発生した津波が堤防を乗り越える事態は生じないものと認められる。」
(三) 原判決二三八丁表六行目末尾の次に行を改め、次のとおり付加する。
「5 平成六年度調査報告書(乙二六四の1・三―三一頁ないし三八頁)によれば、実測に基づく堰柱の堰上げの程度は、本件堰上流の忠節橋において戦後七番目の水量であった平成六年台風二六号の洪水時(同年九月三〇日、最大流量約三六〇〇m3/秒)で約三cm、大潮の引潮時(同年六月二三日、最大流量約一八〇〇m3/秒)で約一cmであり、その堰上げ量は、概ね計算値より少なく、堰柱の依存が洪水の流下に対して支障となる状況は存しなかったこと、また、右洪水の際、多くの流下物が観察されたが、これらが堰柱にかかり、洪水の流下に支障となる事態は存しなかったことが認められる。」
2 まとめ
そうすると、地震及び洪水に対する関係で、本件堰は、安全性に欠ける点はなく、控訴人らの生命、身体等を侵害する具体的な危険を有するものとは認められない。
三 高潮及び津波に対する安全性
1 控訴人らの主張
(一) 高潮時の危険性に関する控訴人らの主張を、控訴人らの権利侵害の観点に立って要約すると、伊勢湾台風後に名古屋港高潮防波堤が設置されたことにより、高潮時の木曽三川河口部の潮位は著しく上昇するので、高潮の危険が増大し、伊勢湾台風時の高潮の波高は少なくともTP六mないし八mはあり、これと同程度の高潮が発生した場合、ゲート操作が間に合わず高潮がゲートにぶつかり、あるいはゲートが全開となっていたとしてもゲートに波が打ち付けられて跳ね返ることにより、高潮時の揖斐川の負担が重くなり、揖斐川堤防が溢水、決壊する危険が増大し、揖斐川沿いの地域に居住する別紙第一及び第二控訴人目録記載の控訴人らの生命、身体、財産等が危険にさらされる、というものである。
(二) また、津波時の危険性に関する控訴人らの主張を、同様の観点に立って要約すると、過去の記録にある熱田の津波高からみて、想定される津波の段波津波高四mを採用すべきであり、その場合、本件堰があることにより、理想段波の標高が1.17m上昇し、その結果津波が堤防を越えることとなり、また、計画堤防天端高を約五m上回る波(波状段波)が堤防に打ち上がり、津波時の揖斐川の負担が過大になり、揖斐川堤防が溢水高波等で決壊する危険が増大し、揖斐川沿いの地域に居住する別紙第一及び第二控訴人目録記載の控訴人らの生命、身体、財産が危険にさらされる、というものである。
2 原判決の引用
当裁判所も、高潮及び津波に対する本件堰の安全性は肯定できると判断する。その理由は、次に付加訂正するほか、原判決理由欄第八の三及び四(二三八丁表七行目冒頭から二五八丁裏二行目末尾まで)の記載と同一であるから、これを引用する。当審証人加藤良雄の証言は、右認定を左右しない。
原判決二四一丁裏四行目「行っている」とあるのを「行い、その後長良川河口堰に関する施設管理規定七条二項一号に右検討の趣旨に沿う規定がおかれた(乙二八〇の1)」と改め、同六行目冒頭から同七行目末尾までを削除し、二四七丁裏六行目「乙第二七号証」の次に「及び第二七七号証」を加え、同一〇行目末尾に「また、細井教授の検討書(乙二七)の表―2のRpの値の算出過程に不相当な点はなく(乙二九〇、弁論の全趣旨)、その数値の精度が低いと認めることはできない。」を加え、二四九丁裏四行目「矛盾すること」の次に「、最大偏差については「二八六」という数値を前提にして、乙第二〇〇号証付図4Model3に照らし、時間ピッチで潮位の変化をみると、J10―11・I16―17の潮位は、二〇時三〇分までは付近の他の格子と同水準で上昇しながら、二〇時五〇分のところで付近の他の格子の潮位変化と大きく異なり、突出して上昇することになって不自然であること(乙二七六)」を加え、二五四丁表八行目「高くなる」の次に「傾向がある」を加える。
3 高潮について
(一) 高潮については、平成六年度調査報告書(乙二六四の1・三―三九頁ないし四三頁)によれば、本件堰の本体部分が完成した後である平成六年九月二九日、同年台風二六号接近の際には、名古屋港では戦後三番目の高さの最高潮位(TP2.23m)を観測し、本件堰下流の最高水位もTP2.49mとなる高潮を観測したが、その際のゲート操作状況をみると、本件堰下流の水位がTP2.10mに達する約一時間二〇分前に全開状態とする操作を完了したことが認められる。右事実によると、右の名古屋港及び本件堰下流の高潮の潮位に照らし、高潮時の木曽三川河口部の潮位が名古屋港の潮位に比して著しく上昇するとは認め難いし、高潮時の潮位の上昇にゲート操作が間に合わなくなるといった事態も想定し難い。
(二) 当審証人加藤良雄は、伊勢湾台風の際、三重県長島町松ケ島の住民大橋勝利が、伊勢大橋の方に逃げた際、長良川河道の波が伊勢大橋のトラスに跳ね返されて長良川左岸堤防に押し寄せ、堤防を越えて、堤防を破壊したのを目撃した旨証言する。しかし、同旨のパンフレット「NAGARA」四〇号(乙三二五)の記載に照らし、大橋が伊勢大橋に逃げたのは、同地域に出水があった後、すなわち堤防決壊後であるともみられ、同人が堤防決壊当初の状況を目撃したという点には疑問が残るところであって、右証言をたやすく信用することはできない。
そして、前記認定(原判決理由欄第七及び右2の引用部分の認定事実)及び平成六年度調査報告書によると、本件堰設置地点の計画堤防天端高はTP5.8mであり、ゲートを全開状態とした場合のゲートの下端高はTP5.8m以上となるものであり、長良川河口部における潮位がTP4.5m以下の高潮の場合、水理模擬実験及び数値シュミレーションの計算結果上、本件堰地点の高潮の波の高さ(潮位に波のうちあげ高を加えたもの)がTP5.8mを越える事態は生じないところ(乙二七、一八三)、戦後最高であった昭和三四年九月二六日の伊勢湾台風時の名古屋港における潮位はTP3.89mであったから、その高潮の波の高さもTP5.8m以下であったと推認され、この点は、右(一)の平成六年台風二六号の高潮観測結果からみても相当性がある。
そうすると、控訴人ら主張のように伊勢湾台風時の高潮の波の高さがTP六mないし八mあったとは到底認められず、むしろ、本件堰付近における高潮の波の高さがTP5.8m以上となる事態は希有の事態であると認められるのであり、このような希有の事態を想定して本件堰の安全性に疑いがあるとするのは合理的でないというべきである。
4 津波について
津波については、平成六年度調査報告書(乙二六四の1・三―一三六頁ないし三―一六七頁)によれば、現在の伊勢湾の海岸地形データ等をもとに数値シュミレーションにより、東南海地震、安政東海地震、チリ地震、伊勢湾断層による想定地震における各地震津波を計算すると、長良川河口沖における最大津波高は、安政東海地震(一八五四年一二月二三日、マグニチュード8.4)における約2.3mであることが認められ、これと右2の認定事実(特に、古い地震の津波の記録に記載された値は、沖合の津波の高さより高くなる傾向があること)、控訴人らの主張に関係する宝永地震(一七〇七年)当時の熱田は、現在の名古屋とは地形的事情を異にすること(乙二七九)を併せ考慮すると、長良川河口沖の段波津波高が四mとなることは希有の事態であると認められ、このような希有の事態を想定して本件堰の安全性に疑いがあるとするのは合理的でないというべきである。
そして、右平成六年度調査報告書によれば、長良川河口沖における最大津波高を安政東海地震と同じ2.3mと想定し、その津波が満潮時に長良川を遡上するとして数値シュミレーションにより計算した結果によると、本件堰地点下部の最高水位はTP3.7mとなり、本件堰の存在を考慮しても、津波が堤防を乗り越える事態は生じないと認められる。
5 高潮、津波と控訴人らの被害との因果関係
ところで、右3(二)の加藤証言にある伊勢湾台風当時の決壊箇所は伊勢大橋東詰から南側約二〇〇mの長良川左岸堤防であるが、証拠(乙一三九)によれば、伊勢湾台風当時、伊勢大橋西詰から南側の揖斐川右岸堤防は約二Km以上にわたり決壊が存しなかったこと(伊勢大橋から数百メートル上流の揖斐川右岸堤防には決壊箇所が存する。)、また、前記(原判決)のとおり、本件堰の上下流域を含む7.2粁地点より南側の長良川、揖斐川の堤防は、伊勢湾台風当時と異なり、コンクリートで被覆された三面張構造の高潮堤防とされ、波浪の越波があっても破堤しない構造となるものであること(三面張とする補強工事は既にかなりの部分が完成している。乙三三三及び弁論の全趣旨)からみて、仮に、控訴人ら主張のような高水位の高潮ないし段波津波高が生じ、その際、波が、堤防天端高より高い位置にある本件堰のゲートにぶつかり、あるいは打ち付けられて跳ね返ったとしても、これを原因として本件堰から約五〇〇m西側の揖斐川右岸高潮堤防の溢水や堤防決壊を来すといったことは容易には想定し難く、また、仮に、跳ね返った波により本件堰付近の揖斐川右岸高潮堤防で溢水が生じたとしても、これが本件堰から約二Km下流の揖斐川右岸沿いに住む別紙第二控訴人目録記載の控訴人らの被害の発生に影響することや、さらに、本件堰に起因して、本件堰から約八Km上流の海津町付近揖斐川左岸堤防の溢水や決壊が生じるとか、本件堰から約一七Km上流の海津町内に住む別紙第一控訴人目録記載の控訴人らに被害が発生するといったことも想定し難い。結局、本件において、高潮ないし津波時に、本件堰に起因して右各控訴人らに被害が生じるという因果関係を認定することは全くできないというべきである。
6 まとめ
以上によると、高潮ないし津波の際、本件堰が、揖斐川沿いに住む前記控訴人らの生命、身体等に具体的な危険を及ぼすものと認定することはできない。
四 地盤漏水
1 控訴人らの主張
地盤漏水の問題に関する控訴人らの主張を、控訴人らの権利侵害の観点に立って要約すると、本件堰の堰上流水位をTP1.3mからTP0.8mの間に保つように管理することにより、長島輪中及び高須輪中の堤脚部の地下水圧が2.2倍以上高くなるが、被控訴人が施工する平面排水対策工は地下水圧低下の十分な効果を上げないため、ガマ(自噴水)の増加による堤体の力学的強度の低下及び堤脚基部での土粒子の移動により堤防の安全性が低下し、堤防が洪水により決壊する危険が高くなり、高須輪中に居住する別紙第一控訴人目録記載の控訴人らの生命、身体、財産が危険にさらされ、また、長良川から堤地内への浸透水の増加により、内水排除が一層困難となり、右控訴人らに重い負担を負わせ続ける、というものである。
2 原判決の引用
当裁判所も、漏水対策工の構造、機能に大きな問題はなく、第一線承水路が地下水圧低下の機能を有し、暗渠排水管の目詰まりにより堤防の安全性を害することはなく、乙第九五号証の解析のために採用された前提条件が妥当性を有し、これを前提に検討すれば、本件堰の運用開始後、いわゆるパイピング現象が発生するおそれがあるとはいえず、これらと異なる控訴人らの主張は採用できないと判断する。その理由は、次に訂正するほか、原判決理由欄第九の一ないし三3(三)(二五八丁裏四行目冒頭から二九六丁裏一行目末尾まで)の記載と同一であるから、これを引用する。
原判決二五八丁裏七行目「現状よりも」を削除し、同九行目から同一〇行目にかけての「現在」とあるのを「本件堰運用開始前の」と改め、二六一丁裏二行目「現状」とあるのを「ブランケット工施工前」と改め、二七六丁表七行目から同一〇行目までを削除し、二八一丁裏二行目「現在」並びに二九一丁表五行目、同六行目、同九行目、二九四丁裏四行目、二九五丁表三行目及び同丁裏三行目の各「現状」とあるのをいずれも「本件堰運用開始前」と改め、右各「現状」を除き右引用部分におけるその余の各「現状」とあるのをいずれも「漏水対策工施工前」と改める。
3 新たな数値解析
証拠(乙一八三、一九一、三〇二、三〇三の2、三〇四、三〇五、三〇七)によれば、被控訴人は、乙第九五号証とは別に、改めて、解析断面として9.8粁付近及び一六粁付近を選定し、本件堰建設後の河川水位をTP1.3mとし、地質、地形等に関し乙第九五号証より詳細かつ正確な資料、モデルに基づき、基本式を改め、計算精度を高めるための工夫等をし、実際の観測結果と整合する適切な定数の値を用いた上で、有限要素法を用いて浸透流の数値解析を行っているが、その解析結果からみると、堤外地にブランケット工を施工し、堤内地に堤脚水路、承水路、排水路等を整備するとともに、排水ポンプを整備して運転し、承水路、排水路等の水位を適切に管理することにより、堤防基部の地下水面を十分安全に保持でき、パイピング現象発生のおそれはなく、堤防の安全性が損なわれないことが認められる。
4 本件堰運用開始後の状況
(一) 証拠(甲二九、乙九五、二六四の1、二七五の1、2、二九一の1、三一五の1、三二九の1)によると次の事実が認められる。
(1) 河口から一六粁地点の長良川右岸高須輪中内堤防西端直下(堤内法先から三m地点)に設けられた観測井金廻No.1における地下水圧(地表面に対する地下水圧)は、漏水対策工施工前(長良川水位TP0.3m)においてプラス0.54mであったものが、本件堰完成後堰上流水位をTP1.3mに保って調査をした平成六年一〇月二一日の実測値をもとに計算すると、マイナス0.2mとなった。同様に堤内法先から八七m地点に設けられた観測井金廻No.2における地下水圧は、漏水対策工施工前(長良川水位右同)においてプラス0.37mであったものが、右同日マイナス0.6mとなった。
(2) 右両観測井における浅層地下水位は、ブランケット工施工前の昭和四八年一一月には概ねTPプラス0.3mからTPマイナス0.2mの範囲で変動していたが、本件堰の本格運用開始時(平成七年七月六日)前後においてTPマイナス0.5m以下で推移し、ゲートの降下による顕著な変化はなく、その後平成九年九月三〇日までの間、降雨や水路位置の変動による影響以外に、継続的な上昇傾向や特異な変動は存しない。
(3) 高須輪中における表層地下水位は、平成七年四月一日から平成九年九月三〇日までの間、本件堰の運用開始による水位上昇があったものの、その後、降雨や水路位置の変動による影響以外に、継続的な上昇傾向や特異な変動は存しない。また、堤体内の表層地下水位は、堤防の安全の直接関係すると考えられるが、右期間中、右と同様、本件堰の運用開始による水位上昇があったものの、その後、降雨や水路位置の変動による影響以外に、継続的な上昇傾向や特異な変動は存せず、特に、高須輪中の15.8粁付近の堤体内表層地下水位については、右水位上昇後、微増微減を繰り返すものの、概ねTPプラス0.1mないし同0.4mの範囲で推移しており、漏水対策工完成前の一六粁付近の平均的な堤防基部地下水位(乙一八三図6・5―3)と大きく異ならない水準である。
(4) 平成六年度から平成九年度前半までの間、被控訴人の職員らにより本件堰の上流及び下流の長良川流域を対象に行われたパトロールによる目視視察によると、すべての調査日において堤防法面からの漏水は認められなかった。
また、右同期間中、被控訴人が委嘱した住民モニターによる目視視察により、高須輪中における堤防からの漏水又は湿潤化の指摘が合計六件(平成六年度二件、平成七年度二件、平成八年度一件、平成九年度前半一件)あったが、いずれも降雨が堤体に浸透した後ゆっくりと浸出してきているもので、晴天が続くと徐々に解消されていくものであった。
さらに、右同期間中、同モニターらによる高須輪中堤地内の湿潤化の指摘が合計八件、高須輪中堤地内の水路へのしみだし・浸透水等の指摘が合計一九件あったが、対策を講じた結果あるいは経過観察によるも、いずれの指摘についても、その後問題点が継続的に上昇又は増加するような状況にはない。
(二) 右事実によると、本件堰の運用開始後において、漏水対策工は円滑に機能しており、高須輪中の堤脚部の地下水圧が二倍以上高くなるといった事態は生じておらず、堤脚基部での土粒子の移動の増加は生じていないと推認され、長良川から高須輪中堤地内への浸透水の増加や地下水圧増加に基づくガマの増加も生じていないと認められる。
5 控訴人らの主張に対する判断
控訴人らは、右4において堤内地下水位を下げているのは、主として平面対策工(特に、暗渠排水管の排水機能の寄与が大きい。)によるものであるとし、その排水管理の責任は高須輪中土地改良区連合に移転するところ、将来数年から数十年後、さらには百年後以降に、各所で暗渠排水管等の目詰まりが生じて大規模改修が必要になった際、土地改良区の財政能力を超える事態が生じることは確実であり、また、目詰まりにより地下に水道(みずみち)が生じ、これが気づかれなければ、堤体の安全性からは最も危険なものの一つとなる旨主張する。
しかし、証拠(右4の各証拠、乙二七四、弁論の全趣旨)によれば、高須輪中内の地下水位観測及び前記モニターらによる堤地内の目視監視は今後とも継続される予定であること、平面排水対策工等の漏水対策工の機能に異常が生じた場合は、まず地下水の挙動に変化が生じる筈であること、前記のとおり(原判決二六八丁裏及び二六九丁表)、暗渠排水管は、地表面近くに埋設されており、目詰まりを起こせば周辺の地表面が湿潤化するので発見は可能であるとみられることが認められ、逆に、本件において、隠れたる水道が生じてこれが堤体の安全性を損なうに至るまで長年気づかれずに経過することや今後高須輪中内の各所で平面対策工につき同時に大規模改修が必要な事態が生じることを予測させる具体的、客観的証拠は存しない。また、右各証拠によれば、平面対策工等の漏水対策工の機能に異常が生じ、土地改良区で対応できないような場合には、行政機関や関係者らで構成される輪中地域連絡協議会を開催し対策を検討する態勢が整えられており、さらに、建設省や被控訴人において、堤防管理の面から対策を講じることもできると認められる。そうすると、平面排水対策工の機能に異常があるのに、これが発見されず、あるいは対策が講じられず、そのため洪水などで堤防が決壊する、あるいは別紙第一控訴人目録記載の控訴人らにとり内水排除の重い負担が継続するといった事態が生じると予測することはできない。(なお、控訴人らは、単に一時的に堤内地下水圧を現状程度に下げられることの立証では、被控訴人の立証は不十分であり、その水圧の低下が、本件堰の湛水が続く半永久的な期間維持できるということを合理的疑いを容れないまでに立証すべきである旨主張するが、地盤漏水の問題は災害時の危険の問題ではなく、人格権が侵害される具体的危険の存在についての客観的証明責任は、別紙第一控訴人目録記載の控訴人らにあるのであって、右のようにモニタリングや協議会など、水圧異常の発見やその対策のための態勢が存することについて立証がなされている本件においては、本件堰の湛水が続く半永久的な期間、水圧の低下を維持できないことを裏付ける具体的事実が存するならば、これを右控訴人らにおいて合理的疑いを容れないまでに立証する必要があると解されるから、右主張は採用できない。)
6 まとめ
以上によると、右4のとおり、本件堰の運用開始後現在までの間、地下水圧の増大に起因する前記控訴人らの生命、身体等への危険及び内水排除の負担の増加に関し、何ら実証的事実は存せず、このことと右2、3、5の認定を併せ考慮すると、本件堰の運用に起因する地盤漏水により、別紙第一控訴人目録記載の控訴人らにつき、将来、生命、身体等への危険や受忍限度を越える生活負担増が生じるという事実は認定することができない。
五 河床浚渫による河床変動、板取ダム問題
控訴人らは、長良川河口から30.2粁地点までの河床浚渫により、浚渫上流端部より上流の堤防の破堤、橋破壊の危険が生じること、渇水期に本件堰から22.5m3/秒の取水を可能にするため、貯水用ダムとして長良川上流に建設される板取ダムにより、岐阜市内又はその近接上流部の長良川が決壊する危険が生じること、右各危険により、別紙第四控訴人目録記載の控訴人らの生命、身体、財産が危殆に瀕すること、板取ダムの建設により、別紙第三控訴人目録記載の控訴人の平穏な日常生活及び財産権が侵害されることを主張する。しかし、このような危険の発生ないし権利侵害は、仮にそれが生じるとしても、河床浚渫又は板取ダム建設を原因とするものであって、本件堰を原因とするものとは認められないから、右主張はそれ自体理由がない。
六 環境問題
1 はじめに
(一) 環境問題に関する控訴人らの主張を、控訴人らの権利侵害の観点をふまえて要約すると、本件堰により、汽水域の破壊、水質の悪化、死水域の形成が生じ、魚類、野鳥、昆虫などの生態に影響を与え、汽水域の魚貝類、特にヤマトシジミが激減し、アユなどの回遊性魚類の遡上がなくなり、その量が著しく減少し、ユスリカの大量発生による医学的環境の悪化、アレルギー被害などが生じ、控訴人らがこれまでに享受してきた環境質が享受できなくなる、というものである。
(二) 被控訴人は、控訴人らの右環境破壊の主張は、控訴人らの生命、身体の安全に関する利益が侵害されるというものではなく、主張自体失当であると主張するが、控訴人らの主張中には、健康被害など、人格権侵害に結びつくとみられる部分があるから、これを直ちに主張自体失当ということはできず、控訴人らの主張するような著しい環境破壊と人格権侵害の危険の有無についての判断は必要であるというべきである。
2 本件堰完成後の状況
証拠(乙二六四の2、3、二九一の1、2、二九三、三一五の1、2、三二九の2、3)によれば、次の事実が認められる。
(一) 被控訴人は、長良川の水質を継続的に調査しており、その主要な項目は原判決別表一四に記載のDO(溶存酸素量)、BOD(生物化学的酸素要求量)、総窒素、総リンなどのほか、クロロフィルa、塩化物イオン、COD(化学的酸素要求量)、TOC(総有機炭素)などを加えたものであるところ、本件堰建設後の平成六年初めから平成九年一〇月までの間の水質調査結果によると、長良川の水質の実測数値が、右期間中、本件堰に起因して、継続的に悪化しているものではない。
また、被控訴人は、長良川河床の底質を継続的に調査しており、その主要な項目は、粒度組成、強熱減量、硫化物、酸化還元電位、フェオ色素、クロロフィル、総窒素、総炭素、重金属等であるところ、平成六年度から平成九年一〇月までの間の底質調査結果によると、長良川の底質が本件堰ゲートの閉鎖に起因して、継続的に悪化しているものではない。
(二) 河床の標高は、堆積物の堆積状況を知る上での重要な資料となるが、これについては、長良川流域に設置された各水質自動監視装置観測塔付近及び本件堰直下において、若干上昇傾向の認められる地点もあるが、総じて安定しており、平成六年一〇月から平成九年一〇月までの間、本件堰上流約一Km(河口から6.4粁)地点の観測塔「イセくん」付近の標高には大きな変化がみられず、本件堰下流約2.5Km(河口から三粁)地点の観測塔「イーナちゃん」付近の標高は「深掘れ」による低下がある。
(三) 被控訴人は藻類の大量発生や集積現象が生じないようにする目的で一定の対策を実施しているところ、水面監視パトロールの際、平成七年八月二九日には、本件堰上流水域の水のよどみ部で最大0.2haの範囲内で数日間藻類の集積(アオコ)の発生がみられ、平成八年八月に吹き溜まり部において緑色の物質がごく一時的に集って浮遊することがあり、平成九年には、夏期に水面が緑褐色を呈したり、水中、水面においてアオコの原因となる藻類が確認された日もあったが、アオコの発生自体は見られなかった。
(四) 魚類の遡上状況については、本件堰に設けられた魚道(本件堰両岸の呼び水式魚道及び本件堰右岸側のせせらぎ魚道)における稚アユの遡上数(目視計測実数)は、平成七年は三六日間(同年四月二日から五月二〇日までの間のうち)で三二万尾余りであったが、平成八年は六三日間(同年四月二日から同年六月三〇日までの間のうち)で一八一万尾余り、平成九年は六二日間(同年四月二日から同年六月三〇日までの間のうち)で二二六万尾余り(調査者の休息時間等を考慮した上で推定される遡上数は四五二万尾)となっている。本件堰上流(河口から51.2Km付近)におけるアユの推定遡上数(遡上期間中に推定される遡上数)は、本件堰完成前の平成五年は七〇〇万尾程度であり、本件堰運用開始後の平成七年には二〇〇万尾程度であったが、平成八年は五五〇万尾程度、平成九年は六〇〇万尾程度となっている。
本件堰上流(河口から三八Km付近)におけるサツキマスの漁獲数は、平成六年(漁獲期間同年五月一日から同月三一日まで)は八九五尾、平成七年(漁獲期間同年五月五日から同年六月五日まで)は三八五尾、平成八年(漁獲期間同年五月五日から同年六月一八日まで)は九五〇尾、平成九年(漁獲期間同年四月二五日から同年六月一九日まで)は八六三尾となっており、長良川産サツキマスの岐阜市場への入荷量の増減も右と同様の傾向を示している。
以上のアユの遡上数、サツキマスの漁獲量は、いずれも、年により増減はあるが、一方的に減少しているわけではない。
なお、平成七年は、アユの遡上数、サツキマスの漁獲量とも減少しているが、同年のアユの遡上数の減少は、木曽川や揖斐川、さらにアユの漁獲量の減少は天竜川、大井川などでもみられ、また、同年のサツキマスの漁獲量の減少は揖斐川でもみられた。
(五) 本件堰の運用開始後、本件堰上流水域においては、魚類、底生動物、藻類、動物プランクトンなどで、汽水性の種が減少し淡水性の種が増加しているが、植物相に顕著な変化はなく、ヨシ等の植物群落の減少が著しいが、野鳥、昆虫の激減といった事態は生じていない。
(六) 平成七年九月から平成九年九月までの間の本件堰上流域におけるユスリカの発生状況は、調査時期及び調査地点によって増減まちまちであるが、本件堰上流域でユスリカが地域住民の健康に脅威となるほど大規模、大量に発生したといった事態は生じていない。
3 控訴人らの主張に対する判断
(一) 本件堰下流域におけるヘドロの堆積について
(1) 控訴人らは、超音波による河床調査の結果、本件堰直下流(河口から5.2粁地点から下流0.5Km程度の範囲)で、平成六年一月二二日の河床と平成九年六月三〇日の河床とを比較すると、最大1.2mの河床上昇があり、これが本件堰の運用の結果堆積したヘドロ(シルト以下の粒度が優占する植物プランクトンの遺骸を含んだ黒色の嫌気性の悪臭を発する軟泥)である旨主張し、これに沿う証拠を提出する(甲二八〇、二八一)。
しかし、右は、いずれも揖斐長良大橋中央部と本件堰中央部とを結ぶ線上を船で探査し、各調査時点における河口から2.6粁地点(揖斐長良大橋付近)の河床の水深をそろえた上で、その余の地点の河床の水深を比較したものであるとみられるところ、平成六年の調査と平成九年の調査とで、右2.6粁地点の河床の標高が同一であったかどうかは明確ではなく(ちなみに、前記のとおり、河口から三粁地点の長良川右岸に設置された水質自動監視装置観測塔「イーナちゃん」周辺の河床の標高が、平成六年七月に約マイナス、七mであったのが平成八年一〇月には約マイナス八mとなっており(乙三二九の2・2―九三頁)、装置設置直後の「深掘れ」により約一m低下したとみられるところであって、2.6粁地点における河川中央部の河床の標高も、平成六年から平成九年までの間に河床浚渫などの影響で低下した可能性も当然には否定できない。)、また、右探索調査地域の長良川の川幅と湾曲を考慮した場合、右両年の調査船の航行ルートが同一であったかどうかも明確ではなく、さらに、水深をもとに河床の変化を比較するにあたり平成六年と平成九年とで水面の標高を正確に求めた上で比較するという方法を用いていない点で、その分析結果には問題があり、直ちにこれを信用することはできない。
(2) 控訴人らは、本件堰下流において、平成六年度調査報告書では長良川の河床表層は礫混じりの砂質ないし砂質とされていたところ、本件堰運用開始後の平成八年九月ないし一一月ころ、ヘドロの堆積があった旨主張するが、平成六年三月から平成九年一〇月までの間の本件堰直下を含む堰上下流地域の底質、堆積厚等の調査結果(乙二六四の2・四―三四五頁、四―三八三頁、四―三九一頁、二九一の1・二―一八四頁、二―一九〇頁、三一五の1・二―二一六頁、二―二三六頁、三二九の2・二―九三頁以下等)によれば、本件堰運用開始前において、シルト・粘土質の河床堆積物は(これをヘドロというかどうかはともかくとして)、河岸寄りの浅い所に分布が多かったものであり、また、本件堰運用開始時点で河床に存していた河床堆積物の厚さは、本件堰運用開始直後の平成七年八月から平成九年一〇月までの間、季節の変化により増減し、あるいは、台風などにより一時的に増加することなどはあるが、極端に増加する傾向があるわけではないことが認められ、これによると、控訴人らのいうヘドロの堆積量が、本件堰の運用開始後において、顕著に増加しているものと認めることはできない。
(3) また、控訴人らは、本件堰運用開始後、本件堰直下から下流(河口から五粁ないし三粁の間)の長良川の底生動物の生息個数が少ないことをあげて、右区域にヘドロが堆積して貧酸素状態にあると主張するが、証拠(乙三二九の4・図―4―3―2(1)、(2))によると、生貝がほとんど見られないのは本件堰下流の河床浚渫区域内であると認められるから、底生動物の生息個数が少ないとの事態は河床浚渫の影響によるものであるとみられ、底生動物の生息個数が少ないことをもって、直ちに、本件堰を原因として控訴人ら主張のヘドロの堆積が大幅に進行したことの証左となると認めることはできない。
(4) 控訴人らは、本件堰下流の流向につき、本件堰ゲート閉鎖後は、下層における持続的逆流が生じており、これが低層の溶存酸素量の低下やヘドロの堆積を生じさせる旨主張するが、証拠(乙二六四の2、三二九の2)によると、流心における下層の流向は、平成六年一〇月、一一月、本件堰下流の四粁、4.4粁、五粁地点でなされた調査において、本件堰ゲート閉鎖時に必ずしも逆流ばかりというものではなく、また本件堰ゲート解放時に順流ばかりというものでもなく、さらに、平成九年八月及び九月に、本件堰下流0.8粁ないし5.2粁の間の六地点でなされた調査においても(ゲート操作状況はアンダーフロー)、低層の流向は逆流もあるが順流もあり、しかも逆流が発生する地点が一定しているわけでもないのであって、要するにその流向は複雑であり、明確に持続的逆流が存すると認めることはできない。
(5) もっとも、証拠(甲二八一・一〇頁、一一頁、乙三二九の2・二―二二頁)によれば、本件堰下流域において、夏期を中心に低層DOの値が三mg/l以下に低下することがしばしばあり、その結果、底質の底泥において還元による黒色化が進行し易くなり、控訴人ら主張のヘドロの増加に結びつく可能性があると認められる。しかし、このことが控訴人ら主張のような大量のヘドロの堆積を来すものとはみられず、また、今後、ゲート操作の工夫などにより底質の悪化を防ぐための対策がとれないものともみられないから、右の低層DO値の低下から、将来、大幅な環境破壊が生じると認めることはできない。
(6) 以上によると、本件堰の運用開始後、本件堰下流域において、本件堰の運用に起因して大量のヘドロが堆積したとの事実は、これを認定することができない。
(二) アユ等の遡上について
控訴人らは、アユの平成七年の漁獲量などをもとに、河口堰ゲート閉鎖後の天然アユの遡上がほとんどないと主張するが、右2(四)のとおり、その後の平成八年及び平成九年の調査結果によると、本件堰を通過して遡上する稚アユも相当数みられるから、その主張に沿う事実は容易に認定できない。また、平成七年の長良川におけるアユの遡上数及びサツキマスの漁獲量の減少は、右2(四)のとおり、同年中、他の河川でも認められたものであるから、これが、本件河口堰の運用に起因するものと断定することはできない。なお、サツキマスに関し、控訴人らは、本件堰の運用開始後三八Km地点の業者が右地点から下流の漁獲を独占しており、岐阜市場の入荷量について、その業者からの入荷分を除外すれば、入荷量は減少している旨主張するところ、その事実によって、直ちに長良川全体の漁獲量が大幅に減少したことや、本件堰の運用に起因してサツキマスの遡上数が大幅に減少したことを推認し得るとはみられず、むしろ、同市場の入荷量の動向(乙三二九の3・三―五八頁)からみて、本件堰の運用がサツキマスの岐阜市場への入荷量の総数について大きな影響を与えていないことは明らかであり、本件堰の運用に起因してサツキマスの遡上数が大幅に減少してはいないことが裏付けられるというべきである。
4 今後の監視態勢
(一) 自然環境の問題は、種々の要因を総合的に判断しなければ解明しない問題であり、自然環境に対する侵害作用が、ある時点ではさほど激しくないものであっても、これが長期間にわたり徐々に進行し、結果として大きな自然環境の破壊をもたらす場合があり得るので、本件堰のように完成後運用を継続している施設の場合には、将来の自然環境破壊に基づく人格権侵害の危険を判断するにあたって、本件堰運用による自然環境破壊を監視して自然環境を保全するための適切な態勢がとられているか否かといった点も考慮する必要があるものと解される。
(二) 証拠(前記2掲記の各証拠、乙二八五、弁論の全趣旨)によれば、本件堰本体完成後の平成六年度に学識経験者からなる長良川河口堰調査委員会が設置され、建設省及び被控訴人は、その指導、助言を受けて環境等の調査を実施し、平成七年度に、本件堰の運用開始に伴い、改めて、学識経験者からなる長良川河口堰モニタリング委員会が設置され、その後現在まで、その指導、助言を受けて環境等の調査を実施し、以上の調査結果は、平成六年度調査報告書、その後の各年度のモニタリング年報として外部に公表し、それぞれの原資料を閲覧できるようにし、右各委員会の議事内容及び配付資料も公表し、平成九年度からはモニタリング委員会を公開で実施しており、今後もこのような態勢を継続していく予定であること、調査の方法、内容は、主要なものをみても、水質について、長良川河川沿いの六カ所に設置された水質自動監視装置による二四時間の連続観察、成分分析を行うほか、定期的に採水調査をし、水面監視パトロールなどをし、底質について、定期的に数カ所から採泥し、成分分析をし、堆積厚観測、水中ビデオ撮影をし、本件堰における魚類等の遡上・下降状況について、目視観測、採捕調査、ビデオ撮影などによる実態の調査をし、上流におけるアユの遡上状況やサツキマスの漁獲量の調査を行い、動植物や魚貝類の生息状況につき、観測地区を設定して継続的にモニタリングを行うとともに、流域数カ所でヨシの生育成長状況調査(地盤高、被度、高さ、密度等の調査)やユスリカ調査(個体数、湿重量、種の調査)などの特定項目についての調査を行う等のもので、専門的、科学的見地から相当詳細な調査がなされているとみられること、被控訴人は、調査結果に基づき、環境の悪化が少なくなるようにゲート操作の方法を工夫したり、ヨシ原の植生をするなどの対策を講じていること、今後もこのような態勢による調査が継続する予定であることが認められる。
(三) 右事実によると、本件堰前後の長良川流域の自然環境については、建設省及び被控訴人において、一定の監視の態勢を確立し、専門的、科学的見地から相当詳細な調査がなされ、調査結果を公開して一般からの批判ができるようにし、調査結果をもとに自然環境保全のための対策がある程度とられており、今後ともその態勢による調査等が継続する予定であると認められる。
5 まとめ
右2の事実によると、本件堰完成後、特にその運用開始後、大幅な水質の悪化、ヘドロの大量堆積による控訴人ら主張の死水域の大幅な拡大、魚類の遡上の極端な減少、ヨシ等の植物群落、野鳥、昆虫などの激減、ユスリカの異常な大量発生などの事態が生じているとは認められない。また、右2、3、4の事実を総合すると、本件堰の運用により、将来、右のような著しい自然環境破壊の結果が生じることを具体的に予見することはできない。
そうすると、環境問題の関係で、本件堰ゲート扉の閉鎖に起因して、控訴人らへの生活妨害等の事態が現に生じ、又は、今後生じる具体的危険があるとは認定できない。
七 まとめ
1 以上のとおり、本件においては、本件堰ゲート扉の閉鎖により、地震、洪水、高潮、津波などの災害の際に、控訴人ら個人個人の人格権が侵害される具体的な危険が存することや、本件堰のゲート扉閉鎖を伴う運用を継続することによる地盤漏水、環境破壊等により、控訴人ら個人個人の人格権が侵害される具体的な危険が存することは認定することはできない。また、河床浚渫による河床変動、板取ダム問題により生じ得る被害は、仮にそれが存するとしても、本件堰を原因とするものとは認められない。
2 控訴人らは、本件堰が公共性を持たないとして、原審及び当審において縷々主張するが、右のとおり、控訴人ら個人個人の人格権が侵害される具体的な危険が存することを認定することができないのであるから、すすんで公共性に関する主張について判断をする必要は存しない。
3 よって、本件堰ゲート扉の閉鎖禁止請求は、当事者のその余の主張について判断をするまでもなく、理由がない。
第六 結論
以上のとおり、控訴人らの各請求はいずれも理由がないので、主位的請求を棄却した原判決は相当であり、控訴人らの本件各控訴は理由がないからこれらをいずれも棄却し、控訴人らが当審において追加した各予備的請求をいずれも棄却することとし、控訴費用の負担について民事訴訟法六七条一項本文、六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官丹羽日出夫 裁判官戸田久 裁判長裁判官水野祐一は、退官のため、署名押印することができない。裁判官丹羽日出夫)
別紙物件目録<省略>