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名古屋高等裁判所 平成8年(行コ)30号 判決 1998年10月22日

控訴人

関労働基準監督署長

杉山弘昭

右指定代理人

渡邉元尋

外六名

被控訴人

森下民子

右訴訟代理人弁護士

市川博久

水野幹男

佐久間信司

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一  控訴の趣旨

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

第二  事案の概要

一  事案の概要は、原判決の事実及び理由欄「第二 事案の概要」の摘示を引用するほか、後記二の「当審における当事者の主張」のとおりである。

二  当審における当事者の主張

(控訴人)

1 仮に、六男がクモ膜下出血の発症直前に水槽からの鶏の移し替え作業をしていたとしても、この発症と移し替え作業は無関係である。

2 脳動脈瘤の破裂によるクモ膜下出血においては、約半数の症例において、動脈瘤からの微少出血による何らかの警告症状が出ている。右微少出血は、脳動脈瘤部分の内壁の脆弱性が限界に達した段階で生じることから、近い将来における大出血、すなわち脳動脈瘤の破裂によるクモ膜下出血の発症に必然的に結びつくものである。右警告症状としては、悪心、頸背部痛等があり、風邪の症状に似ている。

六男においても、昭和六一年三月二日の段階で、被控訴人に対し、「どうも風邪を引いたみたいだ。」と話しており、食欲もなかったし、発症当日である同年三月四日の朝、中島弘子に対して、「今日は体がえらい。」とか、両耳の後部が痛い旨を話しており、右警告症状が現れていたといえる。特に、両耳の後部の痛みを訴えていたことは警告出血場所として極めて自然である。したがって、六男の脳動脈瘤の破裂によるクモ膜下出血は、近い将来に必然的に発症する状態になっていたのであって、発症直前に鶏の移し替え作業が存在したとしても、これが最後の引き金になったものではない。

(被控訴人)

1 控訴人は、原処分段階、審査請求、再審査請求の段階、原審の途中まで、六男は鶏の移し替え作業中にクモ膜下出血を発症したと主張していたのに、原審の途中で鶏の移し替え作業はなかったと主張を変更し、当審で新たに右主張をしてきたのは、これまでの矛盾に満ちた主張を覆い隠すために考え出されたものである。

2 控訴人が六男の警告症状として主張しているものを警告症状と決めつけるのは早計であり、これらは同人が蓄積疲労により精神的身体的に疲労困憊状態にあったことを示すものである。確かに、首の痛みはクモ膜下出血の予兆の一つとしてあげられているが、これが何でもない一般的なものもさらに多いといわれているところである。また、仮に、六男の発症が三月二日あるいは三月四日の午前九時ころであるとしても、これは過重な労働負荷により発症したもので業務起因性は明らかである。

第三  当裁判所の判断

一  当裁判所も、被控訴人の本訴請求は、正当としてこれを認容すべきものと判断するが、その理由は、次のとおり加除・訂正のうえ、原判決の事実及び理由欄「第四 争点に対する判断」の説示を引用するほか、後記二の「当審における控訴人の主張に対する判断」のとおりである。

1  原判決四八頁五行目の「二一、」の次に「二二、」を、同六行目の末尾に「当審で取り調べた乙五一号証及び証人山田邦博の証言も、推測に基づく部分が多く、この認定を左右するには足りない。」をそれぞれ加える。

2  同五〇頁三行目の「前処理作業については、」から同九行目末尾までを次のとおり改める。

「訴外会社では、入荷した鶏は当日の間に処理することを基本としてきたが、一日の入荷羽数は、昭和六〇年一二月当時で一万一〇〇〇羽から一万七〇〇〇羽程度、昭和六一年二月から三月初め当時は六〇〇〇羽から一万三〇〇〇羽程度であった。前処理作業は二人一組で四工程に分かれて行うが、入荷羽数が最も多いときは、実働八時間とすれば、一時間に約二〇〇〇羽の鶏を処理することを求められることになり、これは各工程において一人が3.5秒程度で一羽を処理する計算になる。もっとも、前処理作業の時間は入荷羽数によって変動するものであり、その日の間に全て処理できないときは、残った鶏を冷凍保存することもあったため、常に右のような速度で作業がなされていたわけではない。」

3  同五三頁三行目の「されないと、」の次に「第一工程のスプレイスコルダーに湯が供給できず、解体作業に従事する従業員が刃物の油落としに使用する湯も供給できないことになり、」を、同六行目の「こともあった」の次に「(乙三二号証の供述記載もこの事実を窺わせるものである。)」をそれぞれ加える。

4  同六二頁三行目の「右証拠は、」の次に「甲二六号証、」を加え、同四行目の「仮に」から同五行目の「あったとしても、」までを「確かに乙三〇号証中の供述記載や六男が自らの残業時間を長期にわたり丹念にメモしていたこと(甲三七ないし三九号証)は、同人が残業代金に強い魅力をもっていたことを窺わせるが、だからといって、」と改める。

5  同六四頁五行目の「六男が発症直前の」から同六六頁一一行目末尾までを次のとおり改める。

「以下の事実が認められる。

訴外会社の従業員である河江は、午前九時三〇分ころ、近隣の肉屋に出荷する当日の屠体の数を聞くため、第一工程から現場事務所に行こうとして第二工程入口近くを通った際、第一スピンチラーのオートドロッパー付近において、六男が移動式水槽(外側で横一一〇センチメートル、縦77.3センチメートル、高さ八〇センチメートル)の側に立って、片手を右水槽の縁に置いているのを目撃し、横の台の上に置かれたかご(外側で横六七センチメートル、縦46.7センチメートル、高さ一六センチメートル)には、鶏が相当数入っていたため、前日未処理のまま水槽に氷をかけて保管されていた鶏をかごに移し替えているものと推測し、そうであれば水槽の栓を抜いてから鶏を取り出すものの、氷で冷やされた鶏が冷たいことから、六男に対し、『冷たいね。』と声をかけたところ、六男から『入れ物が欲しいのか。』と尋ねられた。河江は、出荷用の屠体を入れるための入れ物を探し歩くことが多いため、六男が右のように尋ねたものと理解したが、そのときは入れ物がすぐに必要なわけではなかったので、そのまま現場事務所に向かい、現場事務所から戻る途中で、第一スピンチラーの横にある研磨室入口の柱の角にもたれかかっている六男を発見した。もっとも、河江は、六男が水槽からかごに鶏を移し替えているところを見たわけではないし、水槽の中も見てはいなかった。

右河江証言等は、その主要部分が終始一貫しており、明確に記憶している事実、記憶上曖昧な事実及び推測した事実を区別して述べていることに加えて、河江にはことさら被控訴人に有利な情況を証言しなければならないような事情もないから、十分信用することができるというべきである。そうすると、六男は、移動式水槽に保管されていた中抜きの鶏(鶏自体は冷たい状態)を、片手を水槽の縁に置き、他方の片手で鶏を掴んでかごに移し替えていたとみるのが自然であり、右事実を推認することができる。」

6  同六八頁四行目の「甲二六号」を「甲二六号証」と改め、同六行目の「中抜きの存在」の次に「の可能性」を、同六九頁二行目の「ていた」の次に「こともある」をそれぞれ加える。

7  同七六頁八行目冒頭に次のとおり加える。

「脳動脈瘤は経過とともに大きさを増し、壁の弾力が低下して破綻しやすくなり、安静時、運動時の別なく突然破綻出血するが、身体的ないし精神的負担が契機となって破綻することもある。また、時には強度の外的要因が加わらなければ一生破裂しないで経過することもある。しかるところ、」

8  同八一頁七行目の次に行を改めて次のとおり加える。

「(四) 大熊晟夫医師の意見(乙五〇、五三)

高血圧は脳動脈瘤の発生には関与しないが、脳動脈瘤の増大を促進する因子ではある。また、過労は直接的には脳動脈瘤の増大、破裂には結びつかないが、高血圧や動脈硬化を助長し、間接的に関与することはあり得る。しかし、六男の境界域高血圧は、動脈瘤の増大には大きな関与はしていなかったとみるのが妥当である。むしろ、六男の場合、業務による過労、ストレスは大きくなかったと考えられることから、加齢に伴う血管壁の変性、長年月のヘモダイナミックストレス(血行力学的負荷)が脳動脈瘤の増大の主因となっていた。すなわち、一〇年以上の長年月の自然経過の中で脳動脈瘤が形成され、増大、破裂したものである。

9  同八二頁六行目から同七行目にかけての「(最高裁昭和五一年一一月一二日第二小法廷判決・集民一一九号一八九頁参照。)」を削り、同八三頁一行目末尾に「また、労働者に先天的要因等の基礎疾患があり、右基礎疾患の悪化によって発症している場合には、業務による過度の精神的、肉体的負担によって右基礎疾患が自然の経過を超えて急激に悪化したといえる場合に、相当因果関係があるというべきである。」を加える。

10  同八五頁一行目の「証人宮尾」の次に「、当審証人大熊」を、同八六頁一行目の「有していること」の次に「、したがって高血圧もその促進因子であること」をそれぞれ加える。

11  同九二頁六行目冒頭から同九行目末尾までを、「しかも立ち続けての作業であるため、肉体的及び精神的な疲労が少ないとはいえず、ストレスの生じ易い作業内容である。」と改め、同九三頁七行目末尾に「しかも、証拠(甲二〇、三四)によれば、岐阜県美濃地方における冬季の最低気温は、氷点下であることが認められるから、早出の作業は低温下での作業になる。」を加える。

12  同九五頁五行目の「ことは、」の次に「作業内容からくるストレスとは別に、高齢の六男には大きな肉体的精神的負荷となったものである。さらに、」を加える。

13  同九六頁七行目の「しかし」から同一一行目末尾までを「しかし、原審における被控訴人本人尋問の結果に照らせば、右各証拠によっても、六男が休日のたびに岐阜県和良村において農作業に従事していたとまでは認められない。もっとも、右各証拠によれば、六男は、昭和六〇年一一月ころまでは、休日を利用して、岐阜県和良村において農作業のアルバイトをしていたことがあると認められるが、右農作業の程度・内容は不明であり、休日の一部を利用して他のアルバイトをしていたとしても、訴外会社の業務によって相当程度の疲労を蓄積させたとの推認を妨げるものではない。」と改め、同九七頁一行目冒頭から同五行目末尾までを削る。

14  同一〇〇頁六行目の「退勤しているが、」の次に、「原審における被控訴人本人尋問の結果から認められる右当日の自宅における六男の情況からすると、」を、同九行目の「六男は、」の次に「午前六時一六分に出勤し、」をそれぞれ加える。

15  同一〇三頁五行目冒頭から同八行目の「ること」までを、「中に手を浸すことなく、体を前屈しつつ冷えた中抜きの鶏を持ち上げてかごに移し替えるものであったとしても、右行為中の血圧上昇は右被験者ほどではないとしても、相当程度みられると推認されること」と改める。

16  同一〇三頁一一行目末尾に行を改めて次のとおり加える。

「(三) 六男の居住環境等によるストレスについて

六男は、訴外会社の敷地内にある寮に単身で居住し、訴外会社の食堂において三食を提供されていたから、通勤による疲労はなく、かつ食事の準備をする必要もなかった。しかし、証拠(原審における検証の結果及び被控訴人本人)によれば、寮は二段ベッドの二人部屋であり、娯楽設備は乏しく、六男は休日に自宅に帰宅すると、『久しぶりに畳に大の字になって寝られる。』等と言って長時間寝ていることが多かったことが認められるから、寮での単身生活は、精神的に落ち着かない部分があって、疲労回復という面では自宅からの通勤よりマイナス面もあるということができ、六男の居住環境は、特に疲労の蓄積を防止できるものであったとはいえない。」

17  同一〇四頁一行目冒頭から同一〇六頁三行目末尾までを次のとおり改める。

「3 前記判断(原判決引用)のとおり、疲労の蓄積あるいはストレスは、脳動脈瘤の増大及び破裂の危険因子となるところ、高血圧自体も脳動脈瘤破裂の危険因子であるから、境界域高血圧の労働者にとっては、そうでない労働者と比較して、疲労の蓄積あるいはストレスはより危険因子になりやすいといえる。

前記認定(原判決引用)のとおり、六男は、発症前七か月間にわたる慢性的に続いたともいえる著しく長い労働時間(ただし、発症前一か月間は若干軽減した)と作業環境により、発症一週間前の段階では相当な疲労が蓄積し、比較的軽度の刺激によっても血圧が上昇しやすい状態になっており、六男が発症直前に行っていた作業は、六男の血圧を相当程度上昇させるに足りるものであった。その一方、六男の血圧が境界域高血圧の限度で止まっており、前記認定(原判決引用)の脳動脈瘤の破裂率を考慮すると、六男の年齢を考慮しても、六男の脳動脈瘤が右のような要因を受けることなく自然的に経過したときにも、破裂を発症させる状態であったとは直ちにはいえないところである。また、発症前七か月間において、六男の業務外の生活において、疲労の蓄積あるいはストレスの増大をもたらし、あるいは血圧の上昇をもたらす事由の存在は認められない。

そうすると、六男の脳動脈瘤破裂は、業務による過度の精神的、肉体的負担によって、先天的要因と境界城高血圧という基礎疾患が自然の経過を超えて急激に悪化したために発症したものと認められ、業務との間に相当因果関係があると認めるのが相当である。」

二  当審における控訴人の主張に対する判断

1  当審において証人大熊晟夫は、次のように証言し、乙五〇、五三号証(大熊晟夫の意見書及び聴取書)にも同様の記載がある。

脳動脈瘤の発生は、先天的な素因に後天的な素因が関与しているものであるが、その破裂によるクモ膜下出血においては、約半数の症例において、動脈瘤からの微少出血による何らかの警告症状が出ている。右微少出血は、脳動脈瘤部分の内壁の脆弱性が限界に達した段階で生じることから、近い将来(数時間から数か月)における大出血、すなわち脳動脈瘤の破裂によるクモ膜下出血の発症に必然的に結びつくものである。右警告症状としては、全般性頭痛、悪心、頸背部痛等があり、風邪の症状に似ているため、その時点ではさほど重大とは思われないことが多い。六男においても、昭和六一年三月二日の段階で、被控訴人に対し、「どうも風邪を引いたみたいだ。」と話しており、食欲もなかったし、発症当日である同年三月四日の朝、同僚の中島弘子に対して、「今日は体がえらい。」とか、両耳の後部が痛い旨を話しており、右警告症状が現れていたといえる。したがって、六男の脳動脈瘤の破裂によるクモ膜下出血は、近い将来に必然的に発症する状態になっていたのであって、業務作業が引き金になったものではない。

また、発症当日の中濃病院における六男の血液検査結果で、中性脂肪が一デシリットル当たり一〇八〇ミリグラムという異常な高値になっていること(正常範囲は四〇から一六〇ミリグラム)から、六男は、高脂血症であったと考えられ、これが脳動脈瘤の破裂に関与した可能性がある。

2  しかし、証拠(乙四七、四八、原審における被控訴人本人)によれば、六男が、被控訴人及び中島弘子に対して訴えていた症状のうち、両耳の後部が痛いというのは警告症状に合致するものの、その他の風邪を引いたとか、食欲がない、疲れたというものは、右警告症状に合致するかどうか不明確であり、全般性頭痛もみられない。そもそも、証拠(乙五二)によれば、脳動脈瘤破裂の警告症状は、論者によって異なるものの、症例の二七から六〇パーセントにみられるにすぎず、警告症状のみられない症例も多数あることが認められる。そうすると、六男に、脳動脈瘤破裂の警告症状がみられたと認定するには不十分であるというべきである。

また、六男の中性脂肪値が異常に高い点についても、証拠(甲二三、当審における証人大熊晟夫)によれば、六男は、中濃病院に搬送された後、緊急措置として脳圧下降剤であるグリセオールを大量に投与されているため、右投与後に血液検査をした場合には、グリセオールの影響により中性脂肪値が異常に高くなることが認められる。証拠(甲二三)によれば、中濃病院のカルテの記載からは、グリセオールの投与と血液検査の前後は不明確であるから、右血液検査の結果だけから、六男が高脂血症であったということはできない。

3  したがって、乙五〇、五三号証及び当審における証人大熊晟夫の証言を本件にそのままあてはめることはできない。なお、当審において証人大熊晟夫は、六男の血圧のデータをみても高血圧が悪化していないから、高血圧を重症化させるようなストレス、過労はなかったとみるべきである旨証言する。しかし、本件における六男の血圧のデータは、昭和六〇年一〇月一一日に検査されたものが最後であるのに対し、六男の労働時間が著しく長くなったのは同年一〇月後半以後、特に同年一二月であるから、右血圧のデータだけから、六男に高血圧を重症化させるようなストレス、過労がなかったということはできないはずであり、右証言部分は十分な根拠があるとはいえず、採用できない。

4  翻って、三月二日の段階で右警告症状が現われていたとしても、六男の死亡と業務との間に起因性を肯定する結論が変わるものでもない。

即ち、これまでに認定したとおり、六男は慢性的に長時間勤務に従事し、この間に相当の精神的肉体的負荷を受け、このため相当の疲労を蓄積して、これを解消しきれないでいたのであるが、これが脳動脈瘤の増大、破裂への進行における積極因子の一つとなってきたものである。そして、前記三月二日の症状が警告症状であるならば、この破裂が間近い段階に至った一過程として右症状が現われたというべきところ、乙五〇号証によれば、警告症状が出てからクモ膜下出血に至る期間は、数時間から数か月と大きな幅のあることが認められる。しかるところ、六男は、警告症状が現われる段階にまで至りながら、三月四日早朝から勤務に就いて作業を継続中、勤務開始から約三時間後に発症し、同日死亡したものである。このような経過からすると、警告症状の有無に拘わらず、六男の脳動脈瘤は、同人の従事した業務により自然の経過を超えて増大し、急激に悪化したものというべく、業務とその死亡との間に相当因果関係を認めるべきものである。

5  そうすると、当審における控訴人の主張は、採用できない。

三  よって、これと同旨の原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官宮本増 裁判官野田弘明 裁判官永野圧彦)

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