名古屋高等裁判所 昭和24年(ネ)22号 判決 1950年6月10日
控訴人(原告) 伊藤佐市郎
被控訴人(被告) 三重県農地委員会
一、主 文
本件控訴はこれを棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
二、控訴の趣旨
原判決を取消す。被控訴委員会が控訴人の訴願に対し昭和二十三年七月一日付第一九五号を以てした裁決を取消し、三重縣員弁郡山郷村大字北中津原字中垣内五百三十五番地、田五畝十八歩は買收計画から除外する。
訴訟費用は第一、二審共被控訴委員会の負担とする。
三、事 実
控訴代理人は本訴請求原因として左のとおり述べた。
三重縣員弁郡山郷村農地委員会(以下單に村の委員会という)は控訴の趣旨中に記載の田五畝十八歩について訴外伊藤文一の請求によりこれを自作農創設特別措置法(以下自創法という)第六條の二、第三條第一項第二号に該当する小作地として昭和二十三年四月いわゆる遡及買收計画を定めた。しかし右買收計画は次の理由によつて違法である。
(一) 右農地は控訴人の所有に属し、つとに右文一において控訴人から賃借してこれを小作していたところ同人は昭和十七年から同十九年まで三年度分の小作料の一部を納めないので控訴人は昭和十九年十二月中旬右延滯小作料を同月二十一日までに支拂うべき旨催告した。しかるに右文一はこれに應じなかつたのでやむなく同月末頃控訴人は右文一に対し、口頭を以て本件農地の賃貸借を解除する旨の意思表示をした。よつて右賃貸借は消滅したのであるが、唯その引渡だけは右文一の願を容れてしばらくこれを猶予してやつたが翌昭和二十年十月中ついにその引渡をもうけた。しかしさらに右文一の懇願により一般の慣習に從つて翌昭和二十一年度第一期作(同年六月から十一月までの稻作)を離作料として同人に耕作することを許したがこれは契約の更新でもなく又再契約でもない。從つて控訴人と右文一間の本件農地の賃貸借は前記のとおり昭和二十年十一月二十三日以前に終了しそれからは本件農地は控訴人の自作地となつたもので決して小作地ではない。從つて右文一はこれにつき耕作の業務を営む小作農とはいえないのであるから右文一は本件農地について遡及買收を請求することはできない。
(二) かりにそうでないとするも本件農地は控訴人の自作地であつて自創法第三條第一項第二号に該当する小作地ではないから本件農地につき遡及買收計画を定めることはできないといわねばならない。
(三) 以上の主張が理由なく本件農地が遡及買收の対象となるとするも
(1) 昭和二十一年九月十日頃控訴人は右文一との間において本件農地の賃貸借を合意の上で解除し任意にその引渡を受けそれ以來自作しているのである。この点に関し右文一はその不知の間に控訴人がゲンゲを播種したと主張するが本件農地は右文一の住家の直ぐ前に位するのであるから同人において控訴人がゲンゲを播種することを知らなかつた筈は絶対にない。殊に鬪爭性の強い右文一がこれを知つて何等異議を述べなかつたことこそ、とりもなおさずこれより先に同人が本件農地を控訴人に任意返還した事実を物語るものである。このように適法かつ正当な解除のあつた農地は自創法第六條の二第二項第一号に該当する小作地として買收すべきことを定めることはできない。
(2) 又遡及買收請求者たる右文一は炭鉱労務をもなす兼業農家で、農を專業とする者でないこと、同人は控訴人の元小作人の中では自作農地面積の多い方に属する者であること、本件農地に対する控訴人の需要の程度は他の土地に比し、歴史的地理的にみて最も高く從つてこれを買收されることは控訴人に無用の苦痛を與えるものであること、自創法の精神は地主にこのような苦痛を與えてまで買收することを本旨とするものではないことなどからみて右文一が遡及買收の請求をすることは信義に反するものといわねばならないから本件農地は自創法第六條の二第二項第二号に該当する小作地として買收すべきことを定めることはできない。
尤も右第一号及び第二号所定の認定権はそれぞれ都道府縣農地委員会、市町村農地委員会に属するようにみうけられるけれどもその認定はあくまで眞実に基いて公正かつ、合理的になされなければならないこともちろんであるからその実状が前掲のとおりである以上右第一号第二号所定の認定がなさるべきものであると信ずる。從つて本件農地を右第一号又は第二号に該当する小作地と主張するゆえんである。
しかるに村の委員会はこれを無視して本件農地について買收計画を定めたのであるからその違法であるこというまでもない。
控訴人は本件買收計画の違法を主張して、さきに村の委員会及び被控訴委員会に異議申立、訴願をしたのであるが右両委員会は相次いでこれを却下した。しかし本件買收計画が以上のとおり違法であるかぎりこれを維持する被控訴委員会の右裁決も違法であるからその取消を求めるため本訴に及ぶ次第である。
なお昭和二十年十一月二十三日現在において控訴人が所有していた小作地が本件係爭農地を含めれば一町三反五畝七歩となること及び在村地主の保有しうる小作地の面積が三重縣においては七反と定められたことは爭はない。
被控訴代理人は当審において本件農地の買收計画は自創法第六條の二第三條第一項第二号に則りこれを定めたものであると訂正しかつ左のように答弁を補足した外はその事実上の主張は原判決事実摘示中被控訴委員会の答弁として記載してあるとおりであるからこれを引用する。
訴外伊藤文一及び同人と同部落の小作人二十数名は、同部落における小作料が收獲高に比して高率であることを理由としていわゆる適正小作料に相当する小作料の内納をすることを相談してそのとおりにしたのであり、控訴人等地主においてもこれを承諾したのであるからこれは債務不履行とはいえない。のみならず、控訴人から昭和十九年十二月末頃本件農地の賃貸借解除の意思表示をうけたことは絶対にない。從つて本件賃貸借は決して終了していないのであるから伊藤文一においてその引渡の猶予を懇請したことはなく、控訴人主張の頃まで離作料として特に耕作することを許されたこともない。
昭和二十一年九月末頃控訴人は右文一が本件農地の上に作つていた稻の立毛の間に同人に無断でゲンゲを播種したのであるが本件農地のような僅少な部分にはきわめて短時間に蒔き終るものであるから右農地が右文一の住家の前に近接していても同人がこのことを知らなかつたことは少しも怪しむに足らない。同人は稻の刈取の際これを発見したのであるが地主たる控訴人の威勢に押されてそれから以後は本件農地に立入ることができなかつた次第で、同人は本件農地を控訴人に対し任意引渡した事実は絶対にない。
次に三重縣においては自創法第三條第一項第二号所定の在村地主の小作地保有反別は七反歩と定められている。しかるに控訴人が遡及時点たる昭和二十年十一月二十三日現在において所有していた小作地は本件係爭農地を含めて一町三反五畝七歩であるから右七反歩を超ゆる部分すなわち六反五畝七歩だけは買收されなければならないものであること同号の規定からして当然のことに属する。そして土地の地積の関係上一歩だけ超過して六反五畝八歩(本件農地を含む)を買收したのであるがこれは昭和二十一年四月十日農林省告示第四十二号によつて許されていることである。
本件農地の賃貸借が解除せられたものでなく控訴人はこれを右文一から強制的に取上げているものであること前記のとおりである以上控訴人の(三)の(1)(2)の主張が理由のないものであること多言をまたない。ことに控訴人は昭和二十二年九月十三日、右文一に対し本件農地を同年第二期作から賃貸することを約しておきながらこれを履行しなかつた位であるからなおさら右文一のした遡及買收の請求が信義に反するものとはいえないのである。(立証省略)
四、理 由
三重縣員弁郡山郷村農地委員会(以下單に村の委員会という)は自作農創設特別措置法(以下自創法という)第六條の二第一項第三條第一項第二号に則り本件農地を遡及時点たる昭和二十年十一月二十三日現在における控訴人所有の小作地として訴外伊藤文一の請求によりいわゆる遡及買收計画を定めたこと控訴人がこれに対し異議の申立及び訴願をしたところ村の委員会及び被控訴委員会は相次いでこれを却下したこと並に本件農地を右文一が所有者たる控訴人から賃借して久しく小作していたものであることはいずれも当事者間に爭のないところである。
控訴人は前記遡及時点においては右農地の賃貸借は右文一の小作料不拂によりこれを解除し終了していたものであつて本件農地は小作地ではなく、控訴人の自作地であるから右文一はこれについての小作農ではない。從つて同人は右農地の遡及買收を請求することはできないし又村の委員会も買收計画を定めることもできないと主張するからまずこの点について考察する。
原審及び当審証人伊藤文一の証言によると訴外伊藤文一は控訴人に対し本件農地を含む小作地につき適正小作料設定要求の目的で居住部落の小作人等の申合せにより昭和十七年度から同十九年度までの約定小作料につきその六割位を内納めしただけでその余の部分は納めていないことが認められるのであるが、このことが当時施行の農地調整法(昭和十三年四月二日公布法律第六十七号)第九條にいわゆる「賃借人が宥恕すべき事情なきにかゝわらず小作料を滯納した」といいうるかどうか。この判断はしばらくおいて、かりに右不拂がそれに該当するとしても、右賃貸借が終了するためには、控訴人において、これを理由として催告をなした上契約解除の意思表示をすることを必要とするこというまでもない。ところで控訴人は昭和十九年十二月中旬右文一に対し滯納小作料の支拂を催告し次いで同月末頃その不拂を理由として本件賃貸借解除の意思表示をしたと主張するのであるが、これと同旨の当審における控訴本人伊藤佐市郎、原審及び当審証人水谷善一郎の各訊問の結果は当審及び原審証人伊藤文一当審証人百々政次郎の証言に対比してたやすく信用するわけにはいかないし他にこのことを認めるに足りる証拠はない。してみると本件農地の賃貸借契約は控訴人主張の当時終了したものとは認めがたい。從つて遡及時点において本件農地は依然として小作地であり、右文一はその小作地について耕作の業務を営む小作農であるといわねばならない。よつて控訴人の前記主張は孰れもその理由がない。
ところが小作人たる右文一は遡及時点以後において、本件小作地につき事実上耕作の業務を営むことを控訴人のために妨げられたことは後に詳しく説明するとおりであるから右文一は本件農地につき未だ賃借権を失つてはいないけれども、なお自創法第六條の二にいわゆる「小作地に就いての耕作の業務をやめたもの」と解するを相当とする。
そして遡及時点において控訴人がその住所の在る居村の区域内において所有していた小作地は本件の田五畝十八歩を含めて一町三反五畝七歩であつたこと及び自創法第三條第一項第二号にいわゆる在村地主の保有小作地が三重縣においては七反歩であることはいずれも当事者間に爭のないところであるから右両者の差たる六反五畝七歩は政府において当然これを買收することができることも亦同條項同号の規定に照らしてきわめて明白である。とすると村の委員会が小作農たる右文一の請求により本件農地(田五畝十八歩)を同号に該当する小作地の一部として買收計画を定めたことは特段の事由のないかぎり適法正当であることは同号及び同法第六條の二の規定によつて明白である。(尤も村の委員会は成立に爭のない乙第二号証により明なように控訴人に対し六反五畝八歩を買收して右制規の買收反別に一歩だけ超過して買收しているけれども、これは昭和二十一年四月十日農林省告示第四十二号によつて、市町村農地委員会が買收する農地を決定するに当つて分筆を避けるため必要があると認めるとき許されていることがらであつて反証のない限り右の必要から生じたものと見るべきである。)
さて前記のとおり遡及時点において本件小作地につき耕作の業務を営んでいた右文一がその以後においてどうしてこれに就いて耕作の業務をやめたか。それは次のような事情に基くものである。すなわち原審及び当審証人伊藤文一、同中村敏太郎並に当審証人伊藤春一の各証言を合せ考えると、控訴人は農地改革によつてその所有農地を失うことを恐れて、昭和二十一年五、六月頃から右文一に対し、しきりに本件小作地の返還を要求していたが右文一がこれに應じなかつたため、同年九月末頃右文一が本件小作地に作つていた稻の立毛のあるまゝのところえ、同人に無断で同人の知らない中にゲンゲの種を蒔いてしまつた。(五畝余の田には三十分位で蒔いてしまうことができる。)右文一においてこのことを知つたのは稻刈取の少し前であるが、同人は地主たる控訴人の威勢を憚つて稻刈取の後は本件農地に立入ることをさしひかえ、その後は控訴人においてこれを耕作し続けていることが認められる。右認定に反する当審における控訴本人伊藤佐市郎、原審証人西脇末松、原審及び当審証人水谷善一郎の各訊問の結果は信用できないし控訴人援用の他のすべての証拠によるも右認定をくつがえすには足りない。
以上の事実からすると控訴人と右文一間の本件小作地の賃貸借は終了していないこと勿論であるばかりでなく右文一がこれを控訴人に任意返還したことは絶対にないといわねばならない。控訴人は特に甲第四号証を以て本件賃貸借が合意を以て解除せられたことの証左とするけれども本件農地をめぐつて控訴人、文一、及び村の農地委員会との間に同号証に記載しているようないきさつのあつたことは却て本件農地を文一において任意返還したものでないことを裏書するものとみなければならない。ひつきよう控訴人は本件小作地にゲンゲを播種することによつて右文一の占有を妨害しその後同人の立入を排して自らこれを耕作するに至つて同人の占有を不法に侵奪したものと認めなければならないのである。
したがつて控訴人と右文一間の賃貸借が遡及時点以後において合意の上解除せられたという控訴人の主張は失当であつてこれを前提とする自創法第六條の二第二項第一号の規定を本件の場合に適用する余地がない。よつて控訴人の(三)の(1)の主張は排斥せざるをえない。
又控訴人は右文一のした本件農地の遡及買收の請求は信義に反すると主張し数箇の理由を掲げている。
その中文一が農業を專業とするものでなく農閑期には炭鉱労働に從事しているということ、竝に同人が自作農地二反二畝余を有することは当審における同証人及び証人中村敏太郎の証言によつて明らかであるが、これのみを以て本件買收申請が信義に反するものとなすを得ない。また原審証人西脇末松は本件土地は控訴人にとつて、その祖先からの由緒の深い土地であるというような証言をしているがそれだけの理由ではこれまた自創法第六條の二第二項第二号にいわゆる請求が信義に反するとは云いがたいであらう。
けだし農村における農地の所有者がその土地に対して愛着の念を禁じ得ないのは人情でありその中には祖先ゆかりの土地もあり、また居宅に近い便利な地もあつて、これ等を手放すのは一人忍びがたいと感ずるのは当然であるが自作農創設特別措置法はその目的を達成させるためには、そういう個人的な感情は或る程度犧牲にしても己むを得ないとしたものと解すべきである。
もとより買收申請をする小作農が一方に廣い自作農地を有し、また他に職業をもつていて農業に精進する意思もその見込もなく、ただ農地の所有者に苦痛を與えることのみを目的として遡及買收の申請がなされたような場合には前記法條に該当して買收すべからざるものと云い得られようが本件においてそういう事実を認めるに足る証拠がない。よつて控訴人の右主張もこれを採用しがたい。
これを要するに村の委員会が本件農地を右文一の請求により自創法第六條の二第一項第三條第一項第二号に該当する小作地として買收計画を定めたことは適法であつて少しも違法の点はない。
そうだとすれば右買收計画を違法としてその取消並に本件裁決の取消を求める本訴請求は失当であること勿論であるからこれを棄却した原判決はまことに相当である。
よつて本件控訴はこれを棄却すべく民事訴訟法第三百八十四條第九十五條第八十九條を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 中島奬 茶谷勇吉 白木伸)
原審判決の主文および事実
主文
原告の請求はこれを棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告は「被告が昭和二十三年七月一日になした第一九五條の裁決を取消し、三重縣員弁郡山郷村大字北中津原字中垣内五百三十五番地一、田五畝十八歩の土地は買收してはならない」旨の判決を求め、その請求の原因として、右農地は原告の所有するもので、もと訴外伊藤文一に賃貸し同人が小作していたのであるが、同人は昭和十七年より同十九年まで三年度分の小作料を完納しないので屡々その支拂を請求したが、これに應じてくれないので、更に昭和十九年十二月中旬に同月二十一日までに右延滯小作料を支拂うべき旨を催告したがそれでも支拂をしないのでその頃右賃貸借契約を解除する旨口頭にて通告した。ところが伊藤文一は右農地の引渡を終戰まで猶予せられたき旨懇請したのでその要求を容れ同人に小作さしていたのであるが、同人は終戰となつても右農地の返還をしてくれないで、種々折衝した結果、昭和二十年十月下旬になつて同人と原告との間に右賃貸借契約解除の合意が成立したのである。しかしながらその際伊藤文一より昭和二十一年第一期作(同年六月まで)まで是非耕作さしてくれとのことであつたので原告は己むなくこれを承諾し右合意解除による土地の返還のみを右時期まで延期してやり、同年第二期作からは伊藤文一よりこれが返還を受け爾來該農地を自作していたのである。しかるに山郷村農地委員会は右農地につき自作農創設特別措置法第六條の二による買收計画を定めるべき旨の伊藤文一よりの請求に應じ該農地に対し買收計画を樹てたので原告はこれに対し異議の申立をしたが却下せられ、更に、昭和二十三年四月二十五日被告に対し右却下決定に対する訴願をしたがこれ亦同年七月一日第一九五号をもつて右訴願は相立たない旨の裁決を受け該裁決書が同年八月十三日原告に送達せられたのである。しかしながら昭和二十年十一月二十三日現在伊藤文一の右農地に対する賃借権は前述の如く前叙賃貸借契約の合意解除により既に消滅していたのであるから同條による右村農地委員会の該農地における買收計画及びこれに対する異議却下の決定は不当のものであり、從つてこれに対する原告の訴願を採用しなかつた被告の裁決も亦不当であるから原告は被告に対し右裁決の取消と、右農地の買收をしてはならない旨の判決を求めるため本訴に及んだと陳述した。(立証省略)
被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、答弁として、原告主張の事実中原告主張の農地が原告の所有であること及び三重縣員弁郡山郷村農地委員会が右農地に対し、該農地は昭和二十年十一月二十三日現在において訴外伊藤文一に賃貸せられていたとの理由で自作農地創設特別措置法第三條第一項第三号、第六條の二によつてこれが買收計画を樹てたところ、原告からこれに対し異議の申立があり、同委員会が右申立却下の決定をしたので昭和二十三年四月二十五日原告から被告に対し右決定に対する訴願をなし、同年七月一日被告において右訴願却下の裁決をなし、該裁決書が同年八月十三日原告に送達せられたことはいずれもこれを認めるがその余の事実は否認する。右農地に対する約定小作料は年玄米九斗四升五合でこれを反当にすると実に一石六斗八升八合という高率であるのに昭和十七乃至十九年度は旱害に見舞はれるという事情にあつたところ隣村においてその頃適正小作料制度が実施され旧來の小作料が軽減されたところから、伊藤文一等居村の小作人等もその小作料の約七割に相当する額を各地主等に納付したのである。然るに伊藤文一はその頃原告からこれに対して一度も賃貸借契約解約の申入を受けたことはなく、その後同二十一年六月と八月頃になつて、初めて右農地の返還請求を受けたが伊藤文一は右要求に應じなかつたところ同年九月末頃原告は無断で該農地に紫雲英を播種し、伊藤文一の同年度の稻作收獲後今日まで原告が右農地を占有耕作しているような次第であつて、伊藤文一は原告とその主張の如き賃貸借契約解除の合意などしたことはないのである。よつて山郷村農地委員会が右農地が昭和二十年十一月二十三日現在において伊藤文一に賃貸せられていたものとして買收計画を樹てたことは正当であり從つてこれに対する原告の異議申立を却下した同委員会の決定及び該決定に対する訴願を却下した被告の裁決も亦正当であると述べた。(立証省略)