名古屋高等裁判所 昭和25年(う)180号 判決 1950年6月12日
被告人
白井純明
主文
原判決を破棄する。
被告人を無期懲役に処する。
領置にかかる薪割用斧一挺(証第一号)は之を沒收する。
訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
弁護人志貴三示の提出した控訴の趣意は後記の通りで之に対し検察官は本件控訴は理由のないものとしてその棄却を求めた。
て案ずるに
所論のように、被告人の本件犯行について検察官は諸般の情状を斟酌した上被告人に対し無期懲役刑を科するのを相当とする旨の論告をなし、之に対し原審は被告人を死刑に処する旨の判決の宣告をなしたことが明かであるところ、原審並び当審で取調べられた証拠によれば被告人は平生無口でおとなしい人物であつて被告人の本件犯行の動機は、被告人は大工職で妻子と一家三人のあまり豊でない暮しをしているところへ昭和二十四年九月被告人夫婦の伯母で媒酌人でもある白井志ゆん夫婦が豊橋から十万円あまりの退職金と家財道具をもつて世話になりにきたが、伯母の話ではそれらの金品が幾らかあてになりそうであつたので、それによつて被告人等の暮しも少しは楽になるかも知れないという慾も手傳つてその世話を引受けたところ、伯母夫婦は案に相違して、用心をして財布の紐をしめ思うように金を出してくれないばかりでなく、伯母は我儘でヒステリーの傾向もあり、被告人の家政にもやかましく嘴を入れたり被告人夫婦のやりかたがまづいといつてうるさく罵つたりなどするに至つたので被告人の妻は我慢ができなくなり、怒つて実家へ逃げ帰つたようなこともあつて、ごたごたした挙句同年十一月十四、十五日遂に伯母達と別れることになつたが、かようにして被告人は伯母達の世話をしても予期したように生活は楽にならなかつたばかりでなく却つてその生活をかき紊された上、別れるに当つては伯母達から引越その他に金を無駄遣させられて馬鹿をみたなど散々愚痴をならべられたり罵られたりして、果は被告人等にその家を出ていつて伯母達に明渡せと迄いわれ、廂を貸して母屋をとられるような風向になつたので被告人はおもわくの違つた腹立も手伝つて日頃抑えて抑えてきた堪念袋の緖がきれ、カツとなつて本件兇行に出で、先ず一番憎い伯母を有合せた斧で毆りつけ、血を見て逆上し遂に伯母夫婦及び妻子を手にかけてしまつたものと見るのが妥当であつて本件は被害者伯母達の身勝手な性質態度にもその責任の一半があり被告人はそのために最愛の妻子までもその手にかけ自らは囹圄の人となつたもので、その罪は甚だ憎むべきものがあるがその間被告人が伯母達の世話をみ、その財物に心をひかれた点に現時の生活の困難な世情や人情に鑑み一概に之を非難することはできないものがあり、以上の諸事情に照らしてみて被告人に同情すべき点もあるので、所論のように被告人が本件犯行当時心神喪失乃至心神耗弱の状態にあつたものと認めるべき証拠はないが、犯行直後その責任をとるために自首した事実その他論旨の諸事情をも合せて斟酌してみるに、被告人の外形的所為のみに重きをおいて之に極刑を科するのは妥当とは認められないから原審が記録上明らかなように被告人のために調べを盡くすことなく之にのぞむに検察官の求刑を超えた極刑をもつてした原判決の量刑は不当であるとの論旨は理由があるので、原判決は刑事訴訟法第三百八十一条第三百九十七条によつて之を破棄し、且つ本件は直に当審において判決をすることができるものと認められるので刑事訴訟法第四百条但書によつて次のように判決をする。
(事実)
被告人は大工職で三重県度会郡小俣町字明野五千五百九十七番地五百七十八の中村宗作の借家に従弟にあたる妻キヨ子(当時数え年二十九歳)と長男明夫(当時数え年三歳)の一家三人であまり豊でない暮しをしていたところ、昭和二十四年九月十八日頃被告人夫婦の伯母で媒酌人でもある白井志ゆん(当時数え年六十三歳)がその内縁の夫金子秋太郞(当時数え年六十八歳)と共に豊橋市から秋太郞が火葬人夫をやめて貰つた十万円あまりの退職金と家財道具とを持つて世話になりにきたが、伯母の話ではそれらの金品を或る程度当にしてもよさそうであつたのでそれによつて被告人一家の暮しもいくらか潤うかも知れないという慾も手伝つて伯母夫婦を引取つてその世話をみることにしたところ、伯母夫婦は案に相違して用心して財布の紐をしめて思うように金を出してくれないばかりでなく、伯母は我儘でヒステリーの傾向もあつて被告人の家政にもやかましく嘴を入れたり、被告人夫婦のやりかたがまづいなどとうるさく罵るようになつたので、被告人の妻は我慢ができなくなつて実家へ逃げ帰つたようなこともあつてその間伯母夫婦も右の退職金をめぐつていさかいをするなどごたごたした経緯のあつた挙句、同年十一月十四日頃遂に伯母夫婦もその所持金に対する懸念もあつて被告人等の世話になつている気がしなくなり別れることになつたが、かくして被告人は伯母達を引取つて世話をしても、予期したようにその生活が楽にならなかつたばかりでなく却つて家庭の平和を紊された上今別れる際になつて伯母達から当日並びに翌十五日も早朝から、今迄に引越その他に無駄な費用が沢山かかつて馬鹿をみたというて散々愚痴をならべられたり罵られたりした上、果は行先がないから被告人等にその家を立退いて明渡してくれと迄いわれ逆に追出される話になつてきたのでおもわくの違つた腹立も手伝い、被告人はもうこれ以上堪えることができなくなつて激昂し、ここに志ゆんを殺してしまおうと決意し、同日午前九時頃自宅勝手場から薪割用斧一挺(証第一号)を携えて来て伯母達の居間にあてられていた同家八疊の間に座つていた伯母志ゆんの頭部を右斧の背部で強打し、志ゆんが朱に染つてその場に昏倒するや被告人は血を見て逆上し、更に殺意をもつてその斧を振い斧の背部でその場に居合せた妻キヨ子、長男明夫、秋太郞の各頭部を順次強打し、因つて秋太郞をして即時同所で頭蓋骨々折による脳実質損傷に基く呼吸麻痺により、明夫をして同日午後三時四十分頃度会郡御園村大字高向山田赤十字病院で頭腔内出血に基く呼吸麻痺により志ゆんをして翌十六日午後六時二十分頃同病院で頭蓋打撲裂創に由来する硬脳膜下及び蜘蛛膜下出血並びに脳実質挫傷に基く呼吸中枢の麻痺により各窒息死に至らしめ、夫々その殺害の目的を遂げたがキヨ子に対しては頭部挫創並びに頭蓋骨々折及び頭腔内出血等全治に約二ヵ月を要する傷害を負わしめたのに止りその殺害の目的を遂げなかつたものである。
(証拠法令の適用省略)