名古屋高等裁判所 昭和26年(う)1294号 判決 1951年12月06日
控訴人 被告人 丹羽文助
弁護人 長尾文次郎 江口三五
検察官 浜田善次郎関与
主文
本件控訴を棄却する。
当審における訴訟費用(国選弁護人長尾文次郎に支給した分)は被告人の負担とする。
理由
国選弁護人長尾文次郎、私選弁護人江口三五、被告人の控訴趣意は、本件記録添附の各控訴趣意書を引用する。その趣旨を要約すると、
(一)本件板硝子は豊田自動車工業株式会社が岐阜紡績株式会社に貸与した工場建物の従物ではない。別個独立の物である。右工場建物は、戦時補償特別措置法第六十条により、元の所有者である豊田自動車工業株式会社に返還譲渡せられたものとするも、右譲渡の中に本件板硝子は包含せられていないから、右工場敷地に埋蔵せられていても、所有者不明の物と謂うことができる。従つて正式の埋蔵物発見届をした被告人の所有に帰属したものである。
(二)仮りに本件板硝子が国の所有で、豊田自動車工業株式会社に譲渡せられたものとするも、被告人はこれを知らず、所有者不明の埋蔵物であると信じていたから、横領の犯意なく、且つ不法領得の意思はない。然るに原判決は、事実を誤認して、被告人を有罪とした違法があると謂うにある。
よつて案ずるに、原判決挙示の証拠によれば、原判決認定事実が認められ、原審が取り調べた総ての証拠を綜合するも、原判決には、判決に影響を及ぼすこと明らかな事実誤認はない。
即ち、藤本悦治、日比英男、神谷乙平の司法警察員及び検察事務官に対する各供述調書、高田秀穗の検察事務官に対する供述調書、普通財産譲渡契約書謄本、原審証人高田秀穗、同神谷乙平、同日比英男、同藤本悦治に対する各証人尋問調書、原審検証調書を綜合すれば、岐阜県羽島郡柳津村三八八三番地所在岐阜紡績株式会社工場建物及びその敷地は、昭和十四年内海紡績株式会社岐阜工場として建設せられ、その後転々して、昭和十八年十一月豊田自動車工業株式会社の岐阜工場となつたが、昭和十九年八月国に買収せられて、名古屋陸車造兵廠柳沢製造所となつたもので、終戦と同時に国有財産として、名古屋財務局管理となり、昭和二十一年一月二十一日賠償工場に指定せられたものであつたところ、昭和二十二年十二月十六日岐阜政軍部から解放許可となり、昭和二十三年二月二十六日前所有者である豊田自動車工業株式会社の第二会社として設立準備中の岐阜紡績株式会社が使用することが認可せられ、紡績工場として、復活すべく準備が開始せられ、同会社は、同年四月五日設立せられ、同年九月二十日には、右工場の返還を受けることになつていた豊田自動車工業株式会社から、正式に右工場を借り受けたもので、その後昭和二十四年四月五日、右工場の建物、敷地その他附属施設は、国から豊田自動車工業株式会社に譲渡せられ、茲に右工場の建物や敷地等の所有者が確定したものであつて、本件板硝子は、紡績工場当時、温湿度保持及び採光のため、天窓硝子に使用せられていたものであるが、造兵廠の工場になつてからは、温度の上昇を防ぐため、昭和二十年三月天窓硝子を一枚おきに取り外した後、空襲で破損することを虞れ、当時の工場管理者の指揮により、右工場の女子寄宿舎附近の工場敷地内に埋蔵しておいたものであることが認められる。かかる天窓の硝子は、工場建物の一部であると解することはできないが、建物の従物と解すべきである。主物と従物とは互に独立したものであるけれども、所有者が同一で、主物の常用に供するため附属せしめられたものが従物であるが、一時的に主物から離れていても従物たる性質を失うものでなく、紡績工場から軍需工場に切りかえられた間、一時的に取り外し、空襲による破損をさけるため、主物である建物から離れた場所に保管するため、地中に埋めた場合は、戦時中空襲の危険をさけ、畳建具等を疎開した場合と同じく、物の性質に変動を生ずるものでなく、依然として、従物としての性質を持続しているものと解すべきである。従つて、本件板硝子は、国から豊田工業株式会社に工場の建物敷地等が譲渡せられたとき、これ等と共にその所有権が移転したものと解すべきである。而して右工場の女子寄宿舎は、引揚同胞援護会の事業として、引揚者戦災者の住宅に利用せられ、右板硝子の埋蔵してある敷地の部分は、昭和二十一年春頃から、被告人が麦作のため耕作していたもので、右板硝子を占有し、埋蔵せられていることを発見しても、前記のように、右板硝子の所有者は、終戦後は国、昭和二十四年四月から豊田自動車工業株式会社で同会社のため岐阜紡績株式会社が管理する権限があつたことがはつきりしているから、民法第二百四十一条に所謂所有者不明の埋蔵物と解することはできない。従つて、被告人が昭和二十四年六月二十四日羽島地区警察署に埋蔵物発見届を出し、その後六ケ月を経過しても、被告人が所有権を取得することはなく、被告人が耕作している畑の中に本件板硝子があつたのであるから、被告人がこれを占有していたもので、所有者又はその代理人にこれが返還を拒否して領得すれば、横領罪が成立することは、疑の余地がない。
次に被告人が右板硝子に所有者があることを知りながら、これを自己に領得しようとしたかどうかについて判断するに、被告人自らも認める通り、埋蔵物発見届を出すまでは、占領軍が接収したもので、国が管理しているものと思つていたこともあつたことや日比英男、藤本悦治、橋本憲一、長野専一の司法警察員及び検察事務官に対する各供述調書、原審証人子安光雄、同日比英男、同浅野英三、同橋本惣一、同藤本悦治に対する各証人尋問調書、丹羽清人に対する調査書によれば、被告人は、本件板硝子は、終戦後接収物件として国が管理していたものであるが、昭和二十三年五月二十一日以後は、岐阜紡績株式会社が管理するようになつたものでその所有者は、国か右会社かどちらかであると感付いていたことが十分に認められる。即ち昭和二十三年五月二十一日頃岐阜紡績株式会社の日比英男から、右板硝子は、工場建物の整理用として使用することを許可されたから掘り出すことを承諾されたいと申し込まれ、その後再三同様の請求を受けたことがあり、被告人の長男清人が右工場敷地内に埋めてあつた板硝子を窃んで検挙せられ起訴猶予になつたことがあり、被告人は、右日比英男と交渉中右岐阜紡績株式会社が右板硝子について正当な権限があることを証明する文書を示せと要求して、右板硝子の発掘を拒否したり、発掘するために被告人が蒙る損害の賠償について話合があつたことや岐阜経済調査庁から調査に来たとき、被告人も立会い、右板硝子の所有者は不明であると決つたのでなく、隠退蔵物資か又は他に所有者があるのか法規を調査する必要があると言われ、その後間もなく右調査庁も右板硝子の所有者は、豊田自動車工業株式会社と確認したことが認められるから、被告人も、法律上明確に所有者を確定することはできなかつたにしても、国所有かさもなくば工場主である岐阜紡績株式会社の権限に属するものと認め、全く所有者不明のものとは思つて居なかつたことが明らかに認められる。而して、前記の如く客観的に所有者は確定して居り、主観的にも所有者があることを知りながら右板硝子を取得するため、所有者不明の板硝子を発見したと虚偽の埋蔵物発見届を出し、その際警察官に右板硝子については、岐阜紡績株式会社との間に発掘について争があることなど全く秘し、右板硝子について権限のあることを主張して居る者が全く存在せず、真正に埋蔵物を発見したかの如く装つてその手続をして原判示の通り板硝子を領得したのであるから、被告人に不法領得の意思即ち横領の犯意があつたことは明らかである。以上の認定と比べるとき、原判決は措辞妥当を欠いたり又は判決に影響を及ぼすこと明らかでない枝葉末節の点に属する事実誤認はあるが、犯罪事実の点においては、前記説明と全く同趣旨の認定及び解釈をしているから、原判決には、結局判決に影響を及ぼす程度の事実誤認はなく、又法令の解釈適用にも誤りはなく、論旨は理由がないことになる。
よつて刑事訴訟法第三百九十六条により、本件控訴を棄却し、同法第百八十一条により、当審における訴訟費用は、被告人の負担とする。
(裁判長判事 高城運七 判事 長尾信 判事 赤間鎭雄)
弁護人長尾文次郎の控訴趣意
原判決は事実の誤認があつてその誤認が判決に影響を及ぶす事明らかなるを以て破棄を免れないものと信ずる。即ち第一審判決に依れば被告人丹羽文助の所為を有罪と認定し刑法第二百五十二条の横領罪を以つて擬律し右認定の証拠中に被告人に対する司法警察員の第一、二回各供述調書、被告人に対する検察事務官及検察官の各供述調書を掲げて居るのであるが右いづれの供述調書に於ても被告人は本件物件の板硝子が何人の所有に属するかを確認しなかつた事実を終始一貫主張して居り換言すれば所有権者不明の当該物件が事実上被告人の耕作しつつあつた畑に埋蔵されている為盗難を慮つて羽島地区警察署に対し正当な埋蔵物発見届をなし、その法定期間の経過の結果、自己に右物件の所有権が帰属したるを以てこれを発掘の上自己の所持に移したのである。従つてそこに何ら不法領得の意思の無いことが明白に看取し得られる。而して右判決に掲げる爾余の証拠に依つては当時第三者的立場に在つた被告人に該物件の所有権者が何人であるかを確知せしめる程度の手段方法を尽したものと認め得べき何物をも発見することが出来ないのである。にも不拘判決挙示の証拠を以て恰も「被告人が当該物件の所有権者を知悉していたものと認定し左様な認識の下に被告人が自己耕作中の畑に右物件が埋蔵されて居るのを奇貨とし、不法領得の意思を以つて不正なる埋蔵物発見届によりその所有権を自己に移し以てこれを横領したもの」と認定したことは明らかに判決に影響を及ぼすべき事実の誤認があるものと謂わざるを得ない。
よつて原判決はこれを破棄し適当な判決を希望する次第であります。
弁護人江口三五の控訴趣意
原判決は罪とならない事実を有罪と認定した違法がある。
第一、今日から見て本件板ガラスの所有権はどのように動いたか。客観的にもその所有関係は明かではなかつた。
一、建物の所有権の移動 本件板ガラスは、もと建物の天窓にはまつていたものだから建物の所有権の移動との関係において、それをながめる必要がある。本件板ガラスがはまつていた建物は、昭和十四年七月当時は内海紡績、昭和十七年二月からは、中央紡績、昭和十八年十月からは、千代田自動車、同年十一月からは、トヨダ自動車という風に所有者が変動した。トヨダ自動車の所有になつてから戦争中の昭和十九年八月右建物はその敷地とともに日本軍に買収されて、造ヘイ廠(正確には名古屋陸軍造ヘイ廠柳津兵器製造所)となつた。昭和二十年八月終戦直後右土地、建物及機械設備等全部が米軍に接収せられ、昭和二十一年二月中旬バイセウ指定をうけて、それら全部が日本財務局管理となつた。昭和二十二年十二月十六日付(又は昭和二十三年三月八日付――この点証拠上どちらもあつて、はつきりしないが)右土地、建物が日本政府に返還された。昭和二十四年三月三十一日付譲渡証によつて戦時補償特別措置法六〇条により元の所有者トヨダ自動車に返還になつた。
二、建物と板ガラスとの関係 (1) 本件板ガラスは右建物が前記の如く軍に買収されてから後、昭和十九年八、九月頃とりはづされたものである。本件板ガラスは従前天窓に使用されていたものであるが、紡績工場であつたため、保温の必要上二重ハメコミになつていた。それが、兵器製造に適しないから、とりはづされたのである。とりはづしたものの、非常に沢山の量であつたため置き場に困つて、地下に埋めたものということに今日ではなつている。
(2) 建物の従物として前記昭和二十四年三月三十一日付譲渡の際本件板ガラスの所有権が国からトヨダ自動車へ移転したと原判決は認定しているが、これは誤りである。そもそも、「従物」であるがためには、(イ)主物の常用に供せられるもの、(ロ)特定の主物に附属すると認められる程度の場所的関係にあること、が必要である。
しかるに、本件においては、そのような関係にはなかつた。即ち、前記の如く従前二重張りであつたのをとりはづして後はヨロイ戸に改造されたのであるから、はづされて埋められたときに建物の従物としての性質を失つたのである。
(3)戦時補償特別措置法第六〇条第一項によれば、「現状ニ於テ譲渡シナケレバナラナイ」とある。「現状」とは現在の状態であり、それは埋没された本件板ガラスを含まない状態であること云うまでもない。又、「土地又は建物(土地又ハ建物ニ定著スルモノヲ含ム)」と規定されているが、本件板ガラスが定著していないことは勿論である。
(4) 本件板ガラスが前記の如く建物の従物又は定著物でないとするならば、昭和二十四年三月三十一日付トヨダへの譲渡の際において特にその譲渡契約の目的物として板ガラスを含ませなければ、トヨダへ譲渡される筈はない。しかるに、本件譲渡証には本件板ガラスは含まれていないし、特にガラスのことは言はなかつたと浅野証人も証言している。要するに本件板ガラスは右譲渡契約の内容とされなかつたものである。
(5) 原判決は、本件土地及び板ガラスを「国の所有」と認定しているが、起訴状は、それをいずれもトヨダ自動車工業株式会社と認定しているのであり、しかも一件記録によればいずれもが誤りで前記の通りであるということだけからもわかるように所有関係は客観的にも分明ではないのである。
第二、主観的には本件板ガラスの所有関係は全く不明であつた。
一、被告人が昭和二十一年三月頃から岐阜県第四厚生寮に居住し始めたことは相違ない。しかし原判決の昭和二十一年三月頃「岐阜紡績株式会社構内……に居住し」とあるのは誤りで、その頃に岐阜紡績株式会社は存在しない。同会社は昭和二十三年九月設立されたものである。被告人が居住していた第四厚生寮は米軍接収後、財務局管理当時岐阜県が引揚者、戦災者のために借りうけていたものである。
二、又原判決は「国所有の空地を借受、耕作……」とあるが、前記の如く、当時は米軍接収、財務局管理中の土地であり、国所有の土地ではなかつた。(起訴状ではトヨダ自動車工業株式会社所有の土地ということになつている。このことからみても、所有関係の不明がわかる。)
三、又原判決は「昭和二十二年春頃板硝子が埋設せられて居ることを発見」とあるが、それは誤りで、昭和二十一年五、六月頃である。
四、「埋設せられていることを発見した当時その板ガラスが国の所有であることを知つていた云々」とあるが、当時は米軍接収、財務局管理当時であつて、国の所有ではなかつた。(起訴状では、この点がトヨダ自動車工業株式会社所有ということになつている。この点からも、所有関係の不明なことがわかる。)(1) 昭和二十一年五六月頃の発見当時は、被告人は本件板ガラスは米軍の接収物件だろうとぼんやり考えていた。(2) しかるに昭和二十二年十二月二十五日頃財務局管理員山下儀平外二名がガラスのことで本件寮へ来たときには、接収物件でない、接収物件として登録がしてないから、失くなつても自分たちは知らん、責任外だ、といつた。次に当時、本件以外の場所(少し南方)の埋没ガラスは殆ど盗み去られていたのに管理員は、そのことを知りながら、登録外だから接収物件でないから自分たちは知らん、というた。それで被告人は接収物件ではないのかと思つた。(3) 昭和二十三年五月設立準備中の岐阜紡績の日比英男が「マッカーサーの許可を得たから本件板ガラスを掘らせてくれ」と云うて来た。マッカーサーの許可があれば掘れるだろうと思つていたのに掘らなかつた。(4) そこで昭和二十三年七月頃二回と昭和二十四年三、四月頃被告人は設立準備中及び設立後の岐阜紡績の社長宛に、「アンタの方で掘る権限があるならばその権限を明かにして早く掘つてくれ、いつ迄も放つておくならば私(丹羽文助)の方で警察へ埋蔵物と思うから届出る。そうすると報労金の問題がおきて面倒だから何とか早く処置してくれ」と書面で云うた。(日比、藤本の供述参照)それにもかかわらず何の返事もなく、又掘りもしなかつた。(5) 昭和二十四年六月二十四日物価庁から子安調査官が本件板ガラスをイントク物資として調査に来た。子安調査官は、私の気持としては軍所有の隠退蔵物資であろうという考えで調査に来た。国家のものであるか然らされば会社のものであると考えましたが会社と云うことばを出したかどうか判然記憶しません、もとは国家のものだつたが今は誰の所有か法規を研究せねばわからん、というた。(藤本、子安の供述参照)それでその日に被告人は本件埋蔵物発見の届出をした。以上の如く、要するに被告人の主観においては(被告人ばかりではない、子安調査官、山下管理官などの専門家でも同様であつたのだが)本件板ガラスの所有関係はたしかに分明ではなかつたのである。
第三、被告人には不法領得の意思はなかつた。
一、被告人は昭和二十四年六月二十四日埋蔵物届出をする前においては、(イ)前記の如く岐阜紡績の社長宛に書面を出して、掘る権限があるなら、それを明かにして掘つてくれとの書面を出しているし、(ロ)又、寮の役員中口に対し、「自分は本件板ガラスが何人の所有であるかはつきりするように法律上の手続をとりたいと思うが、どうだろうと相談を持ちかけた。」ところ、中口は、「その方がよかろう」と云つた。(中口の供述参照)
二、届出当日には前記の如く子安調査官が、「研究せねば誰のものかわからん」というたので、被告人はとりあえず、その日に柳津の所轄駐在所の小栗巡査のところへ事情を話して相談に行つた。そしたら本署(羽島地区警察署)へ行つてくれとのことだつたので、行つた。本署ではケイム主任に一切の事情を話したところ、その方面の係りのハシモト事務官をよんで種々検討した結果、埋蔵物として扱うべきものとの見解に達し、その手続をしてくれた。このようにして本件埋蔵物発見の届出はなされたのである。(以上、上申書参照)
三、公告後六ケ月間何の話もなかつた。昭和二十五年一月十一日警察が、「法定期間をけいかしたから掘つてもいい、」と云うたにもとづいて掘りかかつたところ、小栗巡査がとめに来た。それで羽島地区署へ行つたところ、埋蔵物係りでは、「掘つていい」と云うたので、原判決認定の約二百五十枚を掘り出したところ、又とめに来たので、やめたのである。
四、被告人にもし不法領得の意思があるならば埋蔵物発見の届出というような稀有のまわりくどい方法、手段をとる必要は毫末もない。被告人が本件板ガラスを発見したのは昭和二十一年五、六月のことである。それから右届出をした昭和二十四年六月二十四日迄マル三年間、ほつておかなくてもいくらでも、勝手に持ち出すことができる。現に本件の少し南方の埋没ガラスは殆ど全部他人に持ち去られてしまつているのである。
五、被告人の人物 被告人が横領を企てるが如きロウ劣な人間でないことは中口の供述や被告人の上申書にあらわれた被告人の人物、性行、経歴によつて十二分にうかがい知ることができる。
六、正規の手続をとつたことが横領になるならば、まさに正直者が馬鹿をみたことになる。埋蔵物発見の届出という方法が横領の手段であるというようなことはわれわれの経験則からいつて通常あり得ない。特段の事情がなければそのような認定がかるがるしくなさるべきでないことは云う迄もないところ本件においては、何等特段の事情は存しない。要するに被告人には不法領得の意思は、全くなかつたのである。
第四、本件板ガラスは埋蔵物発見により、被告人の所有に帰している。
本件板ガラスは前述の如く、客観的にも主観的にもその所有者を容易に識別し得なかつたものであり、その後所定の手続と期間の経過によつて所有権が被告人のものとなつたものである。埋蔵物発見は法律によつて定められた所有権の原始取得の原因であるから、かりに、それが国のものであろうと、トヨダのものであろうといずれにせよ、容易にそれを識別し得なければ、埋蔵物発見の対象となり、被告人の所有物となることにかわりない。
以上を要するに本件は横領にはならないのであつて、原判決は罪とならない事実を有罪と認定した違法がある(尚こまかい点で沢山事実の誤認があることも前記の通り)から当然破棄さるべきである。
被告人丹羽文助の控訴趣意
第一本件に対し前判決は事実の認定を誤つた違法がある。
1、判決に被告は国の所有(戦時補償特別措置法によりトヨダ自動車工業株式会社へ返還譲渡するもの)であることを知り乍らとあるは誤りである
本件以前同様埋蔵されてあつた多量の板硝子は持去り(財務局員は昼夜巡回看視して居る所長浅野英三以下之等の者の行為と思料す)被告は看視人に対し昭和二十二年十二月下旬頃多量の硝子は如何にしてあるやと質したら曰くあれは接収物件でもなく又其の登録もない失くなつて了つたが我々は責任もなくどうなつたか知らんと云う当時被告以外数名の居る所で此の話をしたので寮内の者も皆其れを信じて居る勿論被告も当然信じて居る其の証拠として実際の埋蔵した数量五千七百枚位現在掘出した数量被告の発見した分千六百枚位其れ以前掘出した分約六百枚(藤本悦二が)計二千二百枚位其の差は持去つた分及其の際不良品放置せる分(約百枚現在も破損し放置してある)で多量失くなつて了つたのである
然るに此の多量失くなつた事実を国の所有或は接収物件なれば当局(財務局)は何等かの措置を講ずる筈であるのに今日まで何等の処置をさせない之に依つても被告は勿論接収物件でもなく国の所有でもないと信じて居る本件証人調べの際被告は右の事実を明にすべく且つ国の所有でないと信ぜしめた財務局看視人及当時之を立会の席上共に話した者を証人として国選弁護人を通じ申請したが採用されなかつたもので事実の認定を誤る原因と思料す
之に対し検察官は被告人の子供が硝子(右紛失の場所にあつた)を窃取し起訴猶予となつて居る事実を看視として知つて居る筈だと述べたが被告は子供の持出した板硝子は本事件以前多量失くなつた後其の土地は寮内居住船戸なる者の耕作地として割り当てられ転住の為め被告が耕作する事になり其の土地に不良品の放置しありたる分を持出した為起訴猶予となつたとは思わぬ即ち子の起訴猶予は寮内引揚者中吉田久三なるものありて同人の母は精神病者祖母は老耄悲惨な生活を営みつつあり彼が窃取した自転車を売つてやつた為め吉田は所在不明被告の子供が一人で罪を着て窃盗罪にとわれ起訴猶予となつたものであり本事実は調書により明瞭である検察官が単に板硝子を窃取し起訴猶予となつて居る之を親として知らぬ筈はないと云うのは被告を故意に不利にせんが為めの論告である証拠として当時の調書に明記してある
管財浅野英三が被告の子供の窃取した板硝子に対し盗難届を羽島地区警察署へ提出したとの事を本事件証人調べの際知つたが之は多量の板硝子を失くした為め(自分等で)其の事実を隠蔽せんが為の行為か或は警察署で其の板硝子の処分上の手段として為さしめたものである即ち多量の失くなつた分は(自分等が為したため)何等の措置を講ぜず自分の耕作地に不良品不要の為め放置して僅か二三十枚(浅野は二三十枚と述べて居る)を盗難届を出した点は何人たりとも之が肯定し得る
証人調べに当り浅野英三は多量の失くなつた分は知らぬと述べて居るが責任回避の為めの陳述である事実上に於て埋蔵せる分と発掘せる分との数量に大差があるのみで立派に立証して居るし持去る際の不良品は現在も放置しある本件板硝子が接収物件として洩れて居たと仮定せば接収物件及び国有物件の洩れた分は其の後再三に亘り再登録する様に指示を受けて居る事は警察署で聞いて居る然るに登録は遂にしていない以上に依るも被告は国の所有である硝子とは思つていなかつた事が立証出来る
2、前判決板硝子は戦時補償特別措置法第六十条に依りトヨダ自動車工業株式会社に返還譲渡されるものであるとあるも、被告は建物の天窓であつた事は知らない単に軍当時のストックせる板硝子を終戦直後何人かの手に移り運搬等の都合で埋蔵して置いたものと思つて居た(最初は接収物件と思つたが接収物件でないと知つた後)終戦直後軍の物件多数は有償無償で民間人へ払下げられた事実は知つて居たからである。
岐阜紡績会社も被告に対し建物の天窓を取外したと話した事もない被告は本事件後知つた其の理由は埋蔵板硝子は六千枚近くあり会社側は天窓を取外した分を六八七枚又は六七八枚と思つて居り数量に大差ある為である即ち昭和二十三年六月八日附岐阜紡績代表藤本悦二は名古屋経済安定局長宛の歎願書には六八七枚とあり昭和二十四年六月二十四日物価庁子安調査官に対しては六七八枚と申して居り証人調べの際は調査拙漏の為め六八七枚と思つて居たと述べて居り隨つて被告に対しても大量の板硝子を天窓と思つて居ない為め天窓又は建物の附属の様に言い得なかつたのである軍が工場の天窓は換気の都合等で改造した際取外した板硝子を埋蔵したと本事件後知つたが之がトヨタ自動車工業株式会社へ定着物として返還譲渡されるとは現在も思われぬ結局現在も所有者は被告には判らぬ噂は当時軍関係者がもらつたものとの事なるも何人か不明
3、前判決には不法に領得を企てとあるも誤りである
被告は最も正当な途を選んで警察に相談をして検討を加えたのであつて不法領得の意思は全くない
被告は発見当時より軍の接収物件と思料して一枚だに手を触れなかつた其後接収物件でないと知つてからも多量物件故何れは何等から形式で帰属する所が明らかになると思つて居たその際岐阜紡績日比英男の来訪でマッカーサーの許可を得たと云うので之を信じ一応承諾して発掘する事にしたが寮長の長野専一初め接収物件でないから許可のある筈ない後日に至り問題が起る虞れもあるとの事で友人知人何れも異口同音に忠告するので被告は日比英男に対し掘取る権限を明示する様に通告したら日比はマッカーサーは口頭で許可した書類等はないと称するので掘取る権限に不審を抱いた日比は再三に亘り掘取り方を迫り三千円、六千円、一万二千円の三階段に別けて被告に謝礼を出す旨申出た被告は金の問題でない正当な方法を選ぶが為めに再三に亘り板硝子発掘の権限明示方を迫つたが之を為さないので遂に昭和二十四年三月頃岐阜紡績社長宛文書を以て掘取り権限を納得させて置き掘取る様然らざれば所有者不明だから警察へ埋蔵物として届出る届出後所有者判明せば報労金の問題となり煩しい故権限あればよく掘取る様通知をしたそれでも何とも其の権限を明らかにせぬ数ケ月待つた昭和二十四年六月二十四日経済調査庁から岐阜紡績の庶務主任日比英男同伴隠匿物資として調査に来た調査官は被告に対し之は国家の所有であつたが今は不明と云う日比英男は従来権限を有する様に被告に迫つて居たが「実際ガラスはあるのだな」等と称して居り会社側の従来権限あるとの事は全く嘘言である事之は国の所有であつたが登録になつていないし調査官も所有者が不明と云うので所有者不明の確信を得たのである
調査官等は板硝子の埋蔵個所も示したので此儘放置すれば会社のチンピラ共は必ず掘取つて了い所有者不明の埋蔵物を熟知する被告は責任を問われる虞もあり直に此の板硝子に関する事実を所轄巡査に申出て盗難の防止を図るべく訪れた巡査は此の板硝子は民事事件であるから会社と話合にしたらどうか(即ち金をもらつて会社へ渡す事)被告は所有者が不明だから此の旨警察に申出るべきと思うが如何と云うと巡査は自分は板硝子の事は知つて居るから本署に行つて詳細話すようにとの事であつた
寮内知人等にも会社は掘らせてくれと云うが私(被告)は金の問題ではなく権利を明にしてくれれば掘取つても良いのだが所有者が判らぬで困つている警察へ申出ようと思うがどうだろうと相談をしたら中口能次郎は会社は権利がないから今日迄ぐずぐずして居るのだし誰も板硝子の所有を知つている者はないし警察へ届出るが最も正当な途だと賛成をした被告は更に此儘にして置くと又チンピラ共が掘取つて了うと問題になるからと話合つた何人も警察へ届出ることに賛成者のみであつた以上により警察署へ申出るべく決意して本署に署長を二回に亘り面会を求めたが来客のためとて面会出来ず止むなく代理(署長の)と思われる警務主任の席に行き板硝子発見から調査庁から来た事等を事実の通り申述べた相当時間研討した上警務主任席の人は会計係の橋本惣一を呼んで来て三人で警務主任の机を囲んで研討した結果埋蔵物として取扱うべきであると決定し橋本惣一は被告を案内して会計室に行き埋蔵物届の手続を了した埋蔵物届は予め用意して居たので発見年月日は被告の云う昭和二十一年五、六月頃でなく最近発見した様に橋本惣一は記入して便宜上こうして置くと云うた(墨が違つて居るから此点明かである)
米軍の接収物件管理は最初は警察でして居て財務局に移つたことも被告は聞いている
判決の如く不法領得の意思があつたら会社へ埋蔵物と思料して届け出るとか熟知せる巡査(板硝子を)に埋蔵物届の相談をしたり他人に相談をしたり本署に署長を訪れたり警務主任に相談したりする事が出来る筈なし不法領得の意思なかつた事最も正当の途を選んで為した証拠である
証人調べの際橋本惣一は被告が警察を欺罔した様な口振りであつたので被告は之に対し最初警察に申出た事と現在被告の云うことと事実は総べて合致しているが欺罔した様に思うなら何れの点が違つているかと反問したら証人は黙して何も云い得ず裁判官はその当時の事は忘れて了つたのだよく判つたから此の位でよいでないか(証人調べを打ち切れとの事)と申され裁判官において判ればよいと思つて打切つた、然るに調書には之を登載せず被告は裁判官が判れば登載しなくても構はぬと思つていた以上に依り被告は板ガラス所有者は全く不明であつた
会社に買収されて被告の悪口を警察や検察庁で述べたと認められる長野専一すら丹羽は所有者不明と云つて会社の掘取りを肯ぜなかつたと述べて居り証人中口能次郎も之を立証している
警察で最初取調べを完了して悪意はなかつたと称し会社から金を取つてやるが何万円もらつたら硝子を譲つてやるか等と称したるも犯人として取調べを受けた被告は立腹して居たので返事はせぬと拒んだ署長等も皆話合にすませと迫つた証人調べも略々完了した際裁判官は調停裁判でないから云うのもおかしいが話合にしてすませてはどうかと申され会社は自己の金を出すのでないから惜しくない話合にしてくれと岐阜紡績会社藤本及び日比は申す国選弁護人は無罪にしてもらい会社からはとれる丈の金をとつてやるから話合にしてはどうかと云う被告は之に対し自身何等やましい点はないので公平な裁判を仰ぐべく之を拒絶した以上申述べた事により被告は前判決の如く国の所有と知り乍ら不法領得を企てたのでない事が立証し得る
第二、板硝子は正当に所有権が被告に移つたものである
被告が届出た事は駐在巡査は勿論会社側も熟知している事は容易に判断し得る会社のチンピラ共は板硝子は貴下(被告)の所有になるから仲間入りにしてくれ等と申し込んだ者も二、三名居るが被告は所有者が何れ判明すると思つていたので之を肯ぜなかつた会社日比は被告の届出を知り申出たと称し警察は申出がなかつたと称し会社側は知り乍ら所有権の申出を為し得なかつたものである
板硝子埋蔵届は被告が正当になしたと認めて居た証拠である警察署より被告に板硝子の所有権が出来たから掘出して数量をもう一度正確に知らせてくれと云われ帰宅して此の事情を所轄駐在巡査にも話したら巡査は「良いものが沢山あれば良いね」等と云い、会社も勿論此の事実を知つていたが何れも正当に所有権を得たことを認めて居た証拠である
第三、被告が罪を犯す意思なく且つ犯し得ぬ点
1、被告が不法行為を敢えてする意思ないが為め財務局柳津出張所員等が接収物件でないとて多量の硝子を処分して多額金を得た(推察想像)にも不拘今日迄一枚として勝手に処分せず保管し得たのは不法行為を為す意思なく正当な道を選んだ為めである
2、被告は当地で三十一才迄警察に奉職し退職後東亜商工株式会社を創設終戦迄社長として経営し引揚げ日本国民の道義心の地に落ちたことを最も痛切に感じられ日本再建は次代を負う子供に在りと貧困生活を顧みず子供を学校に入れ蔬食水を飲み教育に専念して来たので長女は本籍中学校教官二女は本年度岐阜大学を卒え学校に奉職三男は目下東京大学に在学、四男は岐商通学中である此の子供に対し親として如何で罪を犯すことが出来るでしようか御推察を仰ぎたいと思う
叔父は東京国際自動車株式会社社長親族等も村内での有力者達である僅か乍らも被告は恩給を受けて居る如何で大それた罪を犯し得るでしようか
第四、本事件に対する参考事項
一、会社は板硝子を被告が昭和二十四年十二月所有権獲得した事は熟知し乍ら翌年一月十一日掘取作業にかかる迄何とも云わなかつた之れは前述の通り被告が正当に獲得した為めである
二、被告が板硝子掘取り作業を為し居るを知るや羽島地区警察署に泣き付き板硝子の所有権を得るためには百万円位を出すとか云つたとの噂である刑事事件で被告に非ざる会社が多額の金を出すと云うのは金によつて警察を左右せんとする卑劣な言動と思う事実調査にも其の一端が述べてある
三、板硝子は終戦後軍関係者がもらい受けたるも同年十一月には厚生寮が出来硝子は統制品のため何んとも為し得なかつたものとの噂もある(果して何人なるかは不明)
四、被告に寮より退出する様迫つたのは板硝子も寮に被告が居らなくなれば何んとかなると思つての事である
五、埋蔵板硝子は国の所有でもなく柳津出張所(管財)浅野英三と会社側と話合いの上浅野が個人として甘汁をすう予定であるとの噂も聞いて居た
以上の通り公平なる裁判を仰ぐべく控訴したものであります尚被告人の申立てに不審不当の点あれば何時でも詳細申述べ明かに致します依つて前判決破棄相成りたし