名古屋高等裁判所 昭和26年(ツ)2号 判決 1954年6月07日
上告人 控訴人・被告 浅田馨 外一名
訴訟代理人 真田幸雄
被上告人 被控訴人・原告 中田さだ子
訴訟代理人 大橋茹
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人等の負担とする。
理由
上告代理人の上告理由は別紙の通りである。
上告理由第一点及第三点について、
原判決事実摘示によれば上告人等は「原判決添付目録記載の地上権は上告人馨の亡父訴外浅田兵吉が明治三十五年四月十七日、当時原判決添付目録記載の土地の所有者であつた訴外先々代小泉惣治郎との間の契約によつて設定を受けたもので両者懇親の間柄であつた関係から一応形式的に存続期間を明治四十年四月十六日迄の五ケ年と定めたが其の期間満了の際右兵吉と惣治郎は合意の上存続期間の定のない地上権に変更し尓後そのまま存続して来たところ昭和十六年三月十日借地法が右土地にも適用されることになり同法第十七条、第十八条により右地上権の存続期間は明治三十五年四月十七日から起算して二十年毎に契約を更新したものと看做され現在右地上権は昭和三十七年四月十六日迄存続するものとなつたのである、存続期間の定のない地上権に変更した明治四十年四月十七日から起算すると昭和四十二年四月十六日迄存続することになる、契約を以て存続期間を変更しても地上権自体の同一性については変更がないのである」と主張しているのであつて其の主張の要旨は明治三十五年四月十七日に設定された地上権は同一性を維持して現存し将来も昭和三十七年四月十六日迄(又は昭和四十二年四月十六日迄)存続するという趣旨であることは明かである、右の主張中「一応形式的に存続期間を定めた」との主張は本件地上権は設定当初から存続期間の定なき地上権であつたとの主張と解すべく、「其の期間満了の際兵吉と惣治郎は合意の上存続期間の定のない地上権に変更した」との主張は若し裁判所の審理の結果本件地上権は設定当初から存続期間の定のなかつた地上権ではなく設定当初は五ケ年の存続期間を定めた地上権であつたことが発見せられるならば其の約定期間満了の際当事者の合意によつて存続期間の定のない地上権に変更したとの主張と解せられる、そして此の点に関する被上告人の主張は「右地上権の存続期間は其の設定契約によつて明治三十五年四月十七日から明治四十年四月十六日迄と定められていたものであるから既に期間経過のもので地上権としてはもはや存続しないものである、右地上権が明治四十年四月十七日以降存続期間の定のない地上権に変更せられて存続したということは否認する」と陳述している、従つて(一)本件地上権は設定当初存続期間を定めた地上権であつたのかどうかの点及(二)設定当初存続期間を定めた地上権であつたならば其の存続期間の満了によつて消滅したかどうか即ち被上告人の主張するように期間満了によつて消滅したのではなく上告人等の主張するように期間満了の際当事者の合意によつて存続期間の定のない地上権に変更されて存続せしめられたかどうかが争点になつているものと謂はなければならない、原判決理由の説明が此の争点について「上告人等は右地上権の存続期間を明治三十五年四月十七日から明治四十年四月十六日迄としたのは設定契約者であつた訴外先々代惣治郎と訴外浅田兵吉とが懇親の間柄であつたため一応形式的に定めたに過ぎないものであると主張するが上告人等の全立証によるもこのような事実を認めることができない」と判示したのは即ち(一)の争点について本件地上権は設定当時設定契約によつて存続期間を明治四十年四月十六日迄と定めた存続期間の定のあつた地上権であると認定したものと解せられる、そこで(二)の争点即ち然らば本件地上権は右存続期間の満了によつて消滅したかどうかの点については原判決理由の全文を精読するも之については何等の判断を下していない、原判決理由は「仮に上告人等主張(期間満了の際存続期間の定のない地上権に変更せられそれが現存しているという主張)のように其の事実があり変更前の地上権と変更後の地上権とが同一性を有するとしても」と説明して右事実上の争点即ち約定期間の満了によつて消滅したのか或は期間満了当時合意上存続期間の定のない地上権に変更して存続せしめたかどうかの判断を省略しているのである、原判決の理由に「昭和二十三年二月二十五日本件土地の所有者となつた被上告人に対する関係において同地上の原判決添付目録記載の地上権は存続期限である明治四十年四月十六日の経過と共に消滅したと謂うの外なく、従つて右消滅した地上権につき為された本件各登記は孰れも存続を許さないものであり且被上告人としては自己に対抗出来ない右地上権の登記の抹消を求めるに付利益を有すること自明であるから」被上告人は本件各登記の抹消請求権を有するとの結論が示されている、然し右は「被上告人に対する関係において」と説明し又理由の其の他の部分で「変更前の地上権についての登記を以てそのまま変更後の地上権の登記として有効とすることはできないものと断ずるから」と説明し或は「建物保護に関する法律に依り地上権の対抗力があるとしても其の対抗力を以て本件登記の対抗力とすることは出来ない」と説明している点から見て原判決の結論の要旨は仮に上告人等の主張するように明治四十年四月十六日迄の期間満了の際当事者の合意によつて存続期間の定のない地上権に変更せられ其の同一の地上権が現存しているとしてもそのような変更の登記はないのであるから第三者たる被上告人に対する関係において登記せられている明治四十年四月十六日迄なる存続期間の経過により本件地上権は消滅したものと謂はざるを得ないという民法第百七十七条の解釈説明を為しているのであつて果して上告人等の主張するような存続期間の合意上の変更があつて存続しているのか或はそのような合意上の変更はなくて約定通り期間の満了によつて消滅したのかの事実上の争点に対する判断を省略していることは明かである。
そこで果して原判決の謂う如く若し上告人等の主張するように本件地上権は其の存続期間の満了の際当事者の合意によつて存続期間の定のない地上権に変更せられそれが同一性を有して現存しているとしても被上告人は本件地上権設定登記及相続、贈与による取得登記の凡てを抹消すべき請求権があるかどうかを考えて見よう。
本件地上権は上告人等主張の事実の存在及地上権の同一を前提とするならば存続期間の変更の登記がしてないからといつて「登記簿に登記されている存続期間である明治四十年四月十六日の経過と共に登記簿上消滅する」とか或は「本件地上権は登記されている存続期間の満了により明治四十年四月十六日に被上告人に対する関係において消滅する」とかいうことはあり得ない、即ち上告人等主張の事実及権利の同一を前提とすれば存続期間の変更の登記はしていなくても本件土地につき本件地上権と相容れない権利の取得者が現実に現れない限り本件地上権は当事者間でも第三者関係でも消滅しないのである、第三者たる被上告人が本件土地につき本件地上権と相容れない権利を取得したときに本件地上権は消滅するのである、然るに被上告人は明治四十年四月十六日当時本件土地につき何等の権利を取得していないから右同日に被上告人に対する関係において本件地上権が消滅するということはあり得ない、被上告人は昭和二十三年二月二十五日売買によりて本件土地の所有権を取得し且同月二十七日所有権取得の登記を経由したことは原判決事実摘示によれば当事者間には争がない、然しこの被上告人の本件土地の所有権の取得は本件土地につき少しも本件地上権と相容れない権利を取得したのではない、即ち上告人等の主張通り上告人栄一が本件地上権のある地上に登記した建物を所有するのであれば建物保護に関する法律により本件土地の所有権を取得した被上告人は存続期間を変更したことの登記がなくても本件地上権の設定者が拘束されていた法律関係の承継人として法律上取扱はれるのであるから被上告人は何等本件地上権と相容れない権利を取得したのではないのである、従つて上告人等主張の事実の存在及権利の同一を前提とすれば本件地上権は原判決の謂う如く「被控訴人に対する関係において消滅した」ということは未だかつてないのである、又原判決は「建物保護に関する法律に依り地上権の対抗力であるとしても其の対抗力を以て本件登記の対抗力とすることは出来ない」とか或は「被上告人としては自己に対抗出来ない本件登記の抹消を求めるに付き利益を有する」とかの説明をしているが本件登記の抹消は本件地上権が実体的に消滅したことの証明がない限り之を求め得べきではない、之を要するに上告人等主張の事実の存在及同一の地上権の現存を前提とすれば建物保護に関する法律により存続期間の変更の登記はしてなくても被上告人は本件地上権の現存を否認し得ないものであるから其の設定登記、相続、贈与による取得登記の抹消登記請求権を有するものではない、それのみか地上権は賃借権とは異り物権であるから権利者は法律上当然に物権の実体的変動の態様に符合するよう変更登記請求権を有するものであり従つて若し上告人等の主張事実及地上権の同一を前提すれば上告人栄一は期間の変更登記請求権を有するのであり且被上告人は建物保護に関する法律上地上権設定者の法律上の地位の承継人として取扱はれるのであるから右の変更登記請求に協力する義務を有するのであつて本件登記の抹消請求権を有するが如きことは到底あり得ないのである。
以上の如く原判決が上告人等の主張事実及地上権の同一を前提しながら被上告人の本訴請求を認容したのは民法第百七十七条、建物保護に関する法律の解釈適用を誤つた違法があるので原判決を破毀して上告人等主張の事実の有無の審理の為め本件を原裁判所に差戻すべきかどうかを考える。
第一段に説明したように原判決は存続期間の合意上の変更があつたのかどうか、約定期間の満了によつて消滅したのかどうか、或は其の他の何時かの日に消滅したのかどうかという事実上の判断を省略しているのであるから此の点については原判決に確定した事実はないのであるから上告裁判所が覊束されるものはないのである。
そこで上告人等の同一の地上権が現存しているとの主張を検討する、上告人等は本件地上権は借地法第十七条第十八条により更新されて現在右地上権は昭和三十七年四月十六日迄(又は昭和四十二年四月十六日迄)存続しそれは同一の地上権であると主張する、此の借地法による更新の前後を通じて同一の地上権であるとの主張は上告人等の法律判断の主張であつて事実の主張ではないから当裁判所が法律の解釈を示してそれが同一であるか別異であるかを判断し得るわけである、そこで借地法によつて更新される地上権が前後同一であるかどうかを考えるに昭和十六年三月十日本件地上権も借地法の適用を受けることになり当事者間の契約の如何に拘らず地上権の最短期間が法定されることになつた、其の第十七条は建物の所有を目的とする地上権につき存続期間の定なき場合において借地法施行前二十年以上を経過しているものは当事者が二十年毎に契約を更新したものと看做し借地法施行後の残存期間を算定すべきものとしている、従つて上告人等の主張するように存続期間の定のあつたものを存続期間の定のないものに変更して存続せしめて来たものであれば本件地上権は当初設定された明治三十五年四月十七日から二十年を経過した大正十一年四月十七日に更新され更に其の後二十年間存続するものとされるから其の満了日は昭和十七年四月十六日である、即ち借地法が本件地上権に施行された結果其の施行日なる昭和十六年三月十日以降は本件地上権は一年一ケ月余の存続に過ぎないのである、右の如く借地法施行により存続期間の定のなかつた地上権が同法施行後の残存期間を法定されたことになつた結果その地上権は浅田兵吉に当初に設定された地上権と同一のものであるかどうかというに前記の如く一度更新されるから更新前の地上権と更新後の地上権は同一ではないようにも思える、然し借地法第十七条が「二十年毎に更新したものと看做し」というのは借地法施行前から存続する地上権であつて存続期間の定のないものについて借地法施行後の最短の残存期間を法定する為めの算定方法を示したのに過ぎないのであつて既に当事者が同一の地上権として存続せしめる意思で継続していたものを二十年毎に別個の地上権になつたものとするという趣旨ではないから同一の地上権の存続と見るのが相当である、従つて上告人等が主張するように浅田兵吉が明治三十五年四月十七日設定を受けた地上権は其の存続期間の満了する明治四十年四月十六日当時当事者の合意によつて存続期間の定なき地上権に変更し其のまま継続してきたのであれば其の主張事実自体から右設定された地上権は借地法の施行の結果同法施行後の残存最短期間を法定され昭和十七年四月十六日期間満了により消滅したと謂はざるを得ない、既に本件地上権の消滅が上告人等の主張事実自体により明かである以上被上告人が本件地上権の凡ての登記を抹消すべきことを請求するのは理由あるに帰し之を認容しなければならぬ、従つて本件は之を原審に差戻して上告人等の主張事実の存否を審理する必要はなく原判決は法令の解釈適用を誤つた違法はあるが結局被上告人の請求を認容したのは正当であつて前記の違法は判決に影響あるものではないから本件上告は之を棄却すべきである。
上告人等は同一の地上権が借地法第十七条第十八条により更新されて昭和三十七年四月十六日迄(又は昭和四十二年四月十六日迄)存続すると主張する、此の主張は昭和十七年四月十七日(又は昭和二十二年四月十七日)更新されて昭和三十七年四月十六日迄(又は昭和四十二年四月十六日迄)存続するという主張に外ならない、そして昭和十七年四月十七日(又は昭和二十二年四月十七日)の更新は既に借地法施行後の更新であるから其の更新は同法第十七条に謂う更新ではなくて同法第十八条第四条第五条による更新を主張するものであることは明かである、上告人等が同法第十八条を引用しているのは右の趣旨に解される、同法第四条第五条による更新は地上権者の更新請求という意思表示により設定者の意思如何を問はず形式的に設定せられる新たなる地上権、若くは当事者の合意により新たに設定せられる地上権であるから同法第四条第五条による更新前の地上権と更新後の地上権は同一ではない、借地法第六条により更に設定したものと看做される地上権も亦従前の地上権とは同一ではなく法律上新たな地上権が設定されるのである、要するに従前の地上権の期間が延長されて存続するのではなくて従前の地上権は期間満了によりて消滅し新たに別個の地上権が設定されるのである、即ち上告人等が現存していると主張する地上権は明治三十五年四月十七日に設定された地上権ではないから明治三十五年四月十七日に設定された地上権についての登記の抹消を求むる被上告人の本訴請求を拒否し得ないのである。
上告論旨第二点について、
論旨は要するに借地法の規定によつて定まる存続期間に関する限りその借地権に関する基本的設定登記が存する以上借地法の適用に伴う存続期間の変更はその登記がなくても之を以て第三者に対抗することが出来るのであつて本件登記が抹消さるべき理由がないと謂うに在るけれども、上告人等が借地法の適用によつて昭和三十七年四月十六日(若くは昭和四十二年四月十六日)迄存続すると主張する現存の借地権は上告論旨第一、第三点について説明したように上告人等の主張事実自体から明治三十五年四月十六日に設定された本件地上権とは別個の地上権であることが明かであり明治三十五年四月十六日に設定された地上権は上告人等の主張事実自体から借地法の施行により昭和十七年四月十六日期間満了により消滅したことが明かであるからそれにつき為されている設定登記、取得登記は抹消さるべきであり上告論旨は理由がない、上告人栄一は昭和十七年四月十七日新たに設定され現に之を有している地上権の設定登記を請求すればよいのである。
上告論旨第四点について、
論旨は原審の専権に属する事実の認定を非難するもので上告適法の理由とならない、原審が経験則を無視し採証の原則を誤つたとは上告人等独自の見解で採用し難い。
上告論旨第五点について、
上告論旨第一、第三点について説明したように原判決理由の説明によれば原判決は法令の適用解釈を誤つた違法があるけれども此の違法は原判決に影響はなく、明治三十五年四月十七日に設定された地上権は上告人等の主張事実自体から既に期間満了により消滅していることが明かであるから其の設定登記及取得登記の凡ては抹消せらるべきであり論旨は理由がない。
其の他原判決を破毀すべき瑕疵はない。
以上の如く本件上告は理由がないから之を棄却すべく民事訴訟法第三百九十六条、第三百八十四条、第九十五条、第八十九条、第九十三条に従い主文の如く判決する。
(裁判長裁判官 中島奨 裁判官 石谷三郎 裁判官 県宏)
上告理由
第一点本件は地上権設定登記の抹消登記手続を請求した訴訟事件ではあるが、事実は上告人栄一が本件係争宅地に対し現在被上告人に有効に対抗し得る地上権を有するや否が当事者間に於て最関心を持つ根本的な争点に外ならない。このことは原判決の事実摘示に記載ある如く、上告人が「控訴人馨の亡父訴外浅田兵吉が明治三十五年四月十七日当時別紙目録記載の土地の所有者であつた訴外先々代小泉惣治郎との間の契約によつて設定をうけたもので、両者懇親の間柄であつた関係から一応形式的に存続期間を明治四十年四月十六日迄の五ケ年と定めたが、その期間満了の際、右兵吉と惣治郎は合意の上存続期間の定のない地上権と変更し、尓後そのまま存続して来た(中略)右のように前記地上権は先々代惣治郎から設定をうけて以来、消滅したことがないものである」「現に存続する控訴人栄一の期間の定のない地上権の公示方法として、之と同一性ある本件登記を有効とすべきで、更に又、前記のように右地上権は建物の所有を目的とするものであり、その地上に登記した建物を有するのであるから、控訴人等は建物保護に関する法律によつて、右地上権を被控訴人に対抗し得るものである」と主張するに対し、被上告人は「右地上権が明治四十年四月十七日以降存続期間の定のない地上権と変更されて存続したといふことは否認する。右地上権は同年同月十六日消滅し、借地法が前記土地に適用されるようになつた昭和十六年三月十日当時には存在しなかつたものであるから、控訴人等の主張するように同法の適用されるといふことは生じない。仮りに控訴人等の主張のように当事者間の契約により右地上権が更新されたとしても、更新された地上権については登記がないから、之を以て被控訴人に対抗することはできない」と争つていることより見ても明かである。即ち上告人等は第一審以来、「本件地上権は上告人馨の亡父浅田兵吉が明治三十五年四月十七日先々代小泉惣治郎との間の契約に因り設定を受けたもので、懇親の間柄であつたので一応形式的に存続期間を明治四十年四月十六日迄の五ケ年と定めたものに過ぎない。従つて其の期間経過後も双方異議なく合意の上期限を定めることなく地上権を存続せしめ来つたのである。而して右小泉惣治郎は大正九年十二月十日死亡、先代惣治郎は昭和九年六月十三日死亡に因り現主小泉惣治郎に於て、又右浅田兵吉は昭和六年十二月十七日死亡し上告人馨に於て夫々家督相続を為したが、互に右地上権設定契約を承継し、被上告人が本件土地を取得するに至る迄地上権の存続については其の間何等異議の無かつたものである(第一審提出の答弁書記載)「本件に於ては登記簿上には地上権設定登記が厳に存在し、実際には上告人栄一の祖父兵吉に於て本件土地上に登記ある家屋を所有して現実に同土地を使用し来つているのであつて、被上告人は登記面を信用して之を基礎に権利を取得した所謂保護を必要とする第三者に該当しないことは至極明白であるから、上告人は本件地上権を以て立派に被上告人に対抗し得る」(第一審提出昭和二四、一一、一〇附準備書面記載)之を要するに「本件地上権は明治三十五年四月十七日の契約により設定せられたものが、期間延長せられたもので、法律上同一の権利であり、その権利は本件地上権設定登記に拠り且建物保護法第一条に拠り被上告人に対抗し得るものである」(第一審提出第二準備書面記載)と繰返し主張し来つているのであるから、当然原裁判所は上告人主張の如く本件宅地上に果して上告人栄一が現在借地権を有するや否、且有するとするならばその借地権が被上告人に対抗し得るものであるかどうかを判断して、その上で本件地上権設定登記(その後に於ける相続及び譲渡の各登記を含む)が理論的に存在を許さないものかどうか或は登記として存続せしめる必要がないかどうかを判定さるべきものである。
然るに原判決は「控訴人等は第一に、右地上権はその存続期間満了の際、前記先々代惣治郎及び兵吉間の合意で存続期間の定のないものに変更され、尓後そのまま存続して来たが(中略)右変更前の地上権と変更後のそれとは同一性を有するものであるから、存続期間変更前の前記各登記は、そのまま変更後の存続期間の定のない地上権の登記として有効であると主張し抗争するので、先づこの点について考えて見よう。控訴人等主張の右変更の事実の有無についての認定は姑く措いて、仮りに控訴人等主張のようにその事実が在り、変更前の地上権と変更後のそれとが同一性を有するものとしても、次の理由によつて、控訴人等主張の変更前の地上権についての登記を以て、そのまま変更後の地上権の登記として有効とすることはできないものと断ずるから、右主張は採用できない」となし、又「第二に、(中略)控訴人等の本件土地に対する地上権は建物保護に関する法律によつて被控訴人に対抗できるから(中略)控訴人等が本件土地につき被控訴人に対抗できる地上権を有する以上(中略)云々と主張し抗争するので、この点について考へて見ると、控訴人等の右主張は、同人等の右主張の事実の認定を俟つ迄もなくそれ自体理由のないものである」と判示して、上告人の主張する本件宅地に対する地上権現存の事実に対しては何等の判断をも与へず、而も結論として、何等の説明もなく直ちに「然らば昭和二十三年二月二十五日本件土地の所有者となつた被控訴人に対する関係において、同地上の別紙目録記載の地上権は、存続期限である明治四十年四月十六日の経過と共に消滅したと謂ふの外なく」との断定を下したことは、重要な争点に対する判断を遺脱したものであり、理由不備の違法あるものとして破毀を免れない。
第二点原判決に依れば、「浅田兵吉及び先々代小泉惣治郎間に締結せられた地上権設定契約に定める存続期間満了の際その合意を以て存続期間の定めのないものに変更せられ、爾後そのまま存続して来たが、昭和十六年三月十日本件土地に借地法が適用された結果、同法によつて昭和三十七年(又は昭和四十二年)四月十六日迄存続するものであり、右変更前の地上権と変更後のそれとは同一性を有するものであるから、存続期間変更前の登記はそのまま変更後の存続期間の定のない地上権の登記として有効である」との上告人の主張に対し、「民法第百七十七条は、不動産に関する物権の得喪及び変更は登記法の定める所に従つてその登記を為すのでなければ、之を以て第三者に対抗することを得ない旨定めて居り、地上権の存続期間の変更が同条に謂ふ物権の変更に該当することは不動産登記法第一条第五十六条第百十一条によつて明らかであるから、仮令存続期間の変更によつて地上権そのものの同一性を変更しない場合であつても、存続期間の変更ある限り、その変更について登記を経なければ、これを以て第三者に対抗することが出来ないものと謂はなければならない」と判示せられた。
然し乍ら借地法は借地権者の利益の保護を主旨として制定せられたものであり、従つて借地権の存続期間につき同法の定めるところより借地権者に不利な存続期間の定は之を定めなかつたものと看做されるのであるから、借地法の規定によつて定まる存続期間に関する限り、その借地権に関する基本的設定登記が存する以上、借地法の適用に伴う存続期間の変更はその登記なくとも之を以て第三者に対抗することが出来るものと謂はなければならない。このことは建物保護法に依り借地権の登記なくとも借地権(この場合、借地法の規定による存続期間の対抗を特に指す)を以て第三者に対抗し得る場合との振合より考えてもかく肯定せざるを得ない。
然らば右の論旨は借地法の適用なき場合の議論であつて、この論旨に立ち「控訴人等主張の変更前の地上権についての登記を以て、そのまま変更後の地上権の登記として有効とすることはできない」と断じたのは、法律の解釈適用を誤つたものであつて、この点に於て原判決は破毀を免れない。
第三点仮に原判決の論旨の如く、上告人等主張の「変更前の地上権についての登記を以て、そのまま変更後の地上権の登記として有効とすることはできないもの」としても、現行不動産登記法上登記は第三者に対し物権変更を主張し得べき対抗要件であつて、物権変動の発生及び存続要件ではないから、本件の場合、登記面の存続期限である明治四十年四月十六日の経過と共に地上権が当然消滅するものと断定し得るものでない。上告人は第一審以来終始明治三十五年四月十七日設定の地上権が現在も存続して居り、建物保護法に拠り被上告人に対抗し得ることを主張しているのである。従つて若し右の事実が認められるに於ては、本件の地上権設定登記は被上告人に対抗し得る地上権を表章するものに外ならないから、決して「存続を許さないもの」である筈がないのみならず、被上告人にとつて「抹消を求めるに付利益を有する」ものでもない訳である。然るに原判決は右の上告人主張の事実につき何等の考慮を払ふことなく、「登記簿上その存続期間の経過に依り消滅したから地上権者から被控訴人に対する関係に於てはこの地上権を公示する前記各登記は対抗の出来ない無用のものとして抹消さるべきである」との被上告人の主張を排斥するためには「控訴人等が右各登記を以て第三者である被控訴人に控訴人等主張の現在の地上権を対抗し得ることの主張の外に無い」と断定し、本件「地上権は存続期限である明治四十年四月十六日の経過と共に消滅したと謂うの外なく、従つて右消滅した土地権につき為された前記各登記は孰れも存続を許さないものであり、且被控訴人として自己に対抗出来ない右地上権の登記の抹消を求めるに付利益を有すること自明である」と判示したのは、理由不備と謂ふの外なく、原判決は破毀を免れざるものと信ずる。
第四点原判決は上告人の主張する「地上権の存続期間を明治三十五年四月十七日から明治四十年四月十六日迄の五ケ年としたのは、設定契約者であつた訴外先々代小泉惣治郎と浅田兵吉とが懇親の間柄であつたため、一応形式的に定めたに過ぎないものである」との点に対し、「控訴人等の全立証によるもこのような事実を認めることができない」と判示した。然し乍ら事実は明治三十五年四月十七日浅田兵吉は本件地上権の設定を受けると共に、自己所有地なる同字八十七番の土地に跨つて、旅館業の主たる建物を築造したのであるから、五ケ年の短期間を以て地上権を消滅せしめる如き意思の無かつたであろうことは常識上疑を容れないところであり、現に爾来被上告人が本件宅地の所有権の取得登記を為した昭和二十三年二月二十七日迄約五十ケ年近くもの長年月被上告人の前所有者小泉惣治郎との間に地上権の存否につき何らの紛争もなく円満に過して来たのであつて、このことは上告人提出の乙号各証並びに証人小泉惣治郎、同浅田三寿蔵の各証言に充分認め得られるところであり、被上告人に於ても何ら反証を提出しないのである。然らば、仮令地上権設定契約者が何れも死亡し、その意思を確かめることは不可能であるとは云へ、右に述べた事情から推量すれば、存続期間五ケ年と云うのは形式的に定めたもので、契約当事者の意思はその期間の経過によつて消滅せしめる意図は全然無かつたことが十分推認し得べきである。然るに原判決が右の如き事情につき何ら考慮することなく、慢然立証なしとして上告人の主張を排斥したのは吾人の経験則を無視し、採証の原則を誤つたものであつて、理由不備として破毀の原因あるものと信ずる。
第五点原判決に依れば、「消滅した地上権につき為された本件各登記は孰れも存続を許さないものであり、且被控訴人として自己に対抗出来ない右地上権の登記の抹消を求めるに付利益を有すること自明であるから」との理由の下に、上告人両名は右地上権の設定登記の抹消登記を為すべき義務あるものと判示したのである。
然し乍ら本件地上権登記が存続を許さないものと仮定しても、何故上告人両名が共にその抹消登記を為す義務があるのであるか、その理由については、原判決は何らの説明をも加へて居らない。上告人馨は本件地上権登記については付記登記を以て上告人栄一に譲渡の登記を為しているのであるから、本件地上権登記自体に対しては現在何ら利害関係を有していない。従つて上告人馨は不動産登記法上本件地上権登記の抹消登記を為す義務を負うものではない。若し上告人栄一に対する譲渡登記が無効であるとの見解の下に、地上権登記の抹消を為す義務を負担するものとするならば、上告人栄一が本件地上権登記の抹消義務を負担する理由が説明し得ないことになるのである。然らば原判決が、その点につき何ら説明を加へることなく慢然上告人両名に対し本件地上権設定登記の抹消登記を為すべき義務あることを判示したのは、不動産登記法の解釈適用を誤つた違法あるものとして、破毀を免れないと確信する。