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名古屋高等裁判所 昭和26年(ネ)276号 判決 1952年5月24日

控訴人(原告) 倉田のぶ

被控訴人(被告) 国

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は原判決を取消す、被控訴人は控訴人に対し金十七万四千九百九十五円四十銭及び之に対する訴状送達の翌日以降完済迄年五分の金員を支払え、訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とするとの判決を求め被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は控訴代理人に於て控訴人の審査請求を保険審査官が却下する旨通告して来たのは昭和二十五年九月二十日であると陳述した外、原判決事実摘示と同一であるから之を引用する。

理由

労働者災害補償保険法は業務上の事由による労働者の負傷、疾病、癈疾又は死亡に対して迅速且公正な保護をするため災害補償を行うを目的とし、其の補償保険は政府自ら之を管掌し、一定の事業を強制適用事業として右事業に付き政府との間に保険関係を成立せしめ、其の保険事務は一般に労働基準局長をして之に当らしめている。そして同法施行規則第一条によれば保険給付に関する事務は事業場の所在地を管轄する労働基準監督署長が之を掌るのであつて適用事業労働者の業務上の死亡等の保険事故が発生した時は其の遺族等保険給付を請求する者は同法施行規則第十条に従い一定の様式の請求書を所轄労働基準監督署長に提出し、右監督署長は右請求書を受けたときは同法施行規則第十三条により七日内に支給に関する通知書を請求者に発送しなければならないのである。そして同法第三十五条によれば、前記監督署長の保険給付に関する決定に異議のある者は保険審査官の審査を請求し、其の決定に不服のある者は労働者災害補償保険審査会に審査を請求し、其の決定に不服のある者は裁判所に訴訟を提起することが出来る旨を定めている。従つて労働者災害補償保険の機構並前記法令の規定より見るに業務上の死亡、癈疾、疾病、負傷等同法所定の保険事故が発生したときは同法所定の保険給付請求者の為に単に抽象的な保険給付請求権が発生するだけであつて、前記行政機関の手続を経て始めて給付すべき金額又は金銭支給に代る療養の直接給付等が定まり、茲に給付請求権者は具体的な給付請求権を取得するに至るものと謂はなければならぬ。若し行政機関の保険給付を排斥する決定に不服あるときは裁判所に訴訟を提起し得ることは前記の通りであるが、此の場合も裁判所は前記法令の解釈上給付請求権ありと認めたときは行政機関の決定を取消す判決をするのであつて、其の判決が確定すれば行政機関は其の事件に付て裁判所の給付請求権ありとの判断に拘束されて給付の決定を為すに至るわけで、如何なる場合も行政機関の決定を待たなければ具体的な保険給付請求権を取得するものではない。即ち保険給付請求権を抽象より具体への実現は行政機関の手続のみによりて之を為し得るのであるから、行政機関の手続を不要なりとして直接国を相手として裁判所に訴を提起して之と同一の効果を収めることは同法の許さざるところであると謂はなければならぬ、従つて保険給付請求権者(抽象的)は行政機関の決定を待つことなく直接裁判所に国を相手として一定の保険金給付(具体的)を求める請求権を有せざるものであるから斯様な請求は失当であつて棄却を免れざるところである。そして控訴人の本訴請求は要するに控訴人の夫訴外倉田勇は労働者災害補償保険法第三条に該当する事業会社なる訴外正木土建株式会社に日雇人夫として雇はれ同会社の事業に従事していたところ、昭和二十三年十二月二十七日同会社の整地工事場に於て土砂運搬の仕事をしていた際心臟麻痺を起して死亡したから、控訴人は其の夫の右事業上の死亡により同法所定の保険金(遺族補償費及葬祭料十七万四千九百九十五円四十銭)の給付を被控訴人国に請求するものであつて、控訴人は一面所轄岡崎労働基準監督署長に右給付請求書を提出し、同署長の右請求を排斥した決定に対し、保険審査官に審査の請求を為し其の却下決定に対し、更に労働者災害補償保険審査会に審査の請求を為す等同法所定の手続を実行してはいるものの飜つて考えた結果、右審査等の手続を経ないでも控訴人は保険事故の発生と同時に民事上の保険金給付請求権を取得したものであるから、直に裁判所に出訴して其の履行を求めることが出来るものと信ずるに至り、本訴を提起し被控訴人国に対して前記金額の支払を求めるのであると謂ふに在る。従つて控訴人の本訴請求は行政機関の為した保険給付請求を認容して決定の履行を求めるのでもなく、又行政機関の為した保険給付請求を排斥した決定の取消を求めるのでもなく、行政機間の手続を不要なりとして直接裁判所に国を相手として一定の保険金の給付を請求するものであつて前説示の如く控訴人は斯る請求権を有せざるものであるから控訴人の本訴請求は失当であつて之を棄却すべきものである。

原判決は主文に於て控訴人の本訴を却下すると判決しているが、其の理由の説明によれば、当裁判所の判断と同様控訴人は行政機関の決定を得ていないから、未だ具体的な保険給付請求権を取得していないのであり、そして控訴人は行政機関の決定を待つことなく、直接国を相手として一定の保険金の支払を求める請求権を有しないものであることを判断し、この判断に基いて控訴人の本訴を不適法として却下すべきものとしているのである。即ち其の用語の如何に拘らず訴の提起そのものを不適法として本案の審理を拒否したのではなく、本案に入りて控訴人が請求権を有せざることを判断して之を排斥しているのであるから、原判決は本案判決であると解すべきである。

仍て原判決は相当であるから民事訴訟法第三百八十三条第一項に従い本件控訴を棄却すべく控訴費用の負担に付き同法第九十五条第八十九条を適用し主文の如く判決する。

(裁判官 中島奨 白木伸 県宏)

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