名古屋高等裁判所 昭和27年(う)844号 判決 1953年1月21日
控訴人 検察官 羽中田金一
被告人 中島善市 外一名 弁護人 大池龍夫 外五名
検察官 竹内吉平
主文
原判決を破棄する。
本件を原裁判所に差戻す。
理由
本件各控訴の趣意は検察官羽中田金一名義、被告人中島善市弁護人大池龍夫、同大道寺和雄、同宮崎巖雄三名連名及被告人小野田吉寿弁護人青木紹実、同相沢登喜男、同伊東富士丸各名義の各控訴趣意と題する書面記載の通りだからここに之を引用する
右検察官の論旨第一点及被告人中島善市弁護人等の論旨第六点について
記録中の検察官の昭和二十五年十二月二十一日附被告人中島善市、同小野田吉寿両名に対する本件起訴状と原判決とを対比調査すると同起訴状は右被告人両名の共謀による恐喝を本位的訴因とし、同人等の共謀による横領を予備的訴因とするものであるところ、原裁判所は右予備的訴因たる横領の点につき被告人中島善市を無罪とし、被告人小野田吉寿につき之を其の単独犯行と認定判示しただけで、前記本位的訴因たる恐喝の点については右被告人等のいずれについても明示的には何等判断を示さなかつたものであることが明白である
ところで後段説明の通り当裁判所は右起訴状記載の恐喝と横領とは其の間に所謂事実の単一性を欠く結果、本来右の如き予備的起訴を為し得ないものと解するも、ここに暫く右の如き予備的起訴が許される場合であるとする各論旨の立場に立つて考えるに、斯る場合、予備的訴因につき有罪認定が為されている限り、予備的起訴の性質上本位的訴因については黙示的に犯罪の不成立の判断が下されたものと解し得られるから、前記の通り横領の訴因につき有罪認定を受けた被告人小野田吉寿については同被告人に対する右本位的訴因たる恐喝の点につき原裁判所は犯罪の成立を否定したものと解し得られないわけではない、然し予備的起訴の場合に於ける一方の訴因の否定は前段に説明の其の肯定の場合と異り、到底当然に他の訴因の否定まで意味するものといえないから、被告人中島善市に対する予備的訴因たる横領の点についてのみ無罪を言渡し、其の本位的訴因たる恐喝の点につき何等判断を示さなかつた原裁判所は同被告人に対し同恐喝の点につき審判の請求を受けた事件につき判決を遺脱するという違法を犯したものというべく此点に於て同被告人に対する原判決は破棄を免れないところで論旨はいずれも理由がある
ところで職権を以て調査するに前記起訴状の本位的訴因たる恐喝は前記被告人両名が昭和二十三年三月中頃荒川[金圭]より同人外一名の共有に係る建物の売却方を依頼されたところから共謀して其頃同建物の所在地である名古屋市中区南呉服町一ノ八番地で古橋友三外数名に対し威嚇的態度言辞を用いて之を畏怖させ、因て右買取の意思なき同人等をして其の数日後代金四十八万円で買受け方承諾させた上前同所で内金三十万円を交付させて喝取したというに在り、其の予備的訴因は右三十万円を受取り前記建物所有者の為保管中間もなく前記被告人等両名共謀の上で名古屋市中村区則武町所在の被告人小野田吉寿方で内金二十二万円を着服して横領したというのであるが、予備的起訴の許されるのは其の訴因間に基本的事実を同じくする関係のある場合に限るものと解すべきものであるところ前記恐喝と横領とは其の目的とせられた金員に共通部分があるに止つて、犯行の日時、場所、被害者、被害法益、犯罪の手段等すべて異つて居るので右起訴状の恐喝と横領とは其の基本的事実を異にするものというの外なく斯る別個の事実の間では予備的な訴因の記載は許されないものといわねばならない。而して右の如く許されない予備的訴因を附加した起訴状の提出せられた場合其の本位的訴因についての起訴の効力まで滅却するものと解すべき理由は考えられないと共に予備的訴因の記載を以て併合罪の起訴とみることも其の予備的訴因なる語の示す如くそれが本位的訴因の成立を認められぬ場合に始めて判断を求めるとの起訴官の独自の権限内の処置を示すものであることを考えるとこれを併合罪の起訴とみることも許されないものと解するので結局本件起訴状にみえる横領の予備的訴因は適法に原審に係属しなかつたものといわねばならぬ。果して然らば前段の説明中にみえる通り被告人小野田吉寿に対し斯る予備的訴因についてのみ判示し、本位的訴因たる恐喝につき判断を明示せぬ原判決は被告人中島善市についてと同じく被告人小野田吉寿に対しても審判の請求を受けた事件につき判決をしない違法を犯したものというべく結局被告人小野田吉寿に関する部分も亦到底破棄を免れないところで検察官及被告人小野田吉寿の弁護人等の論旨は結局理由がある。以上説明の通りであるから検察官及被告人両名の弁護人等の他の論旨に対する判断を省略し刑事訴訟法第三百七十八条第三号、第三百九十七条、第四百条本文に則り主文の通り判決する
(裁判長裁判官 羽田秀雄 裁判官 小林登一 裁判官 山口正章)
検察官羽中田金一の控訴趣意
第一点原審は審判の請求を受けた事件について判決を為さざる違法がある。
即ち検察官は昭和二十五年十二月二十一日附起訴状を以て、公訴事実の第一として「被告人等が昭和二十三年三月頃サカエ・マーケット所有者荒川[金圭]より同マーケットの売却方を依頼され其の頃共謀して同マーケット出店者組合代表者古橋友三外数名を脅迫し之を金四十八万円で買取らしめ代金名下に金員を喝取した」との恐喝の事実を掲げ、次に公訴事実の第二において予備的訴因として「被告人等は右受領に係る売却代金を右荒川[金圭]に渡さず共謀して之を着服した」との横領の事実を記載して審判を請求したのに対し原審は昭和二十七年二月二十九日言渡した判決に於て、その主文には「被告人中島善市に対する横領の点は無罪」と為し、その理由には被告人小野田吉寿についての右の予備的訴因として審判を求めた横領の事実を有罪と認め、被告人中島善市に関しては本来的訴因たる恐喝の事実については主文においても将又理由においても一言も触れずその予備的訴因たる横領の点について被告人中島が被告人小野田と共謀して右売買代金を着服横領したと認めるべき証拠が無いと判示しているにすぎない。
貴裁判所刑事第三部において嘗て「数個の訴因の中孰れか一つに付いて有罪の判決の言渡を為した以上、夫れは其の反面に於て、爾余の訴因を排斥した趣旨も表明して居るものと解し得られるが故に、此の点に関し改めて判決理由中に其の旨を説明するの要は毫もない」との判決を言渡したことがある(高等裁判所刑事判決特報第三号第六一頁参照)が此の判決の趣旨は予備的訴因又は択一的訴因について、一方の訴因を肯定すれば、当然他方を否定したことになることが一見明白な場合に限られるものと解すべきであり、一方の訴因を否定したにすぎない場合は更に他方の訴因が肯定されるや否やの判断を説明すべきは当然である。然らば本件の場合本来的訴因である恐喝も予備的訴因である横領も何れも被告人両名の共謀によるものとして審判を請求しているのであるから被告人小野田の単独横領を肯定したのみでは被告人小野田の恐喝を否定していることは明白であつても、被告人中島の恐喝について迄も否定したことにはならないのである。
然るにも拘らず原審は被告人中島について予備的訴因たる横領について否定したるに止まり被告人中島に対する本来的訴因たる恐喝については何等の判断も理由も示して居らないのであつて畢竟するに原審は被告人中島に対する右恐喝の訴因につき検察官より審判の請求を受け乍ら判決をなさなかつたものであるから原判決は破棄を免かれないものと信ずる。
第二点原判決には事実の誤認があつてその誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである。
原判決は右第一点で述べたように昭和二十五年十二月二十一日附起訴状記載の訴因中被告人小野田について予備的訴因たる横領を同被告人の単独犯として有罪の認定をしているが、左記証拠により本来的訴因たる被告人小野田、同中島両名共謀による恐喝事実を優に肯認することができるから、之は事実を誤認したものである。
(一)被告人両名の共謀の下に行われた犯行であることは、被告人小野田検察官に対する供述調書中、被告人小野田が志水清よりサカエ・マーケツトの売却方依頼を受けた後「中島と私は兄弟分でありまして同人は大須広小路附近に縄張りを持つていましたので何れにしろサカエ・マーケツトは善作の縄張りの中にあるのだから如何に兄弟分とは言え何の挨拶もせんではいかんし、あいつには二十一万円貸金があるからこれを貰つて一つ俺が荒川に話して見よう。若し何なら善作にも一口乗らせても良いと思つてその日か、その二、三日後位に松坂屋前の善作の家を尋ねて行きました」(記録九一九丁裏七行目より九二〇丁表三行目迄)「私はこの時に善作に実はサカエ・マーケツトが売りに出ているが俺に売つてくれと言うが俺はあまりそう言う事に詳しくないで何ならお前も一緒にやろうじやないか儲けは半分づつ分ければ良いからと言いますと善作はそれは良い話しだから一緒にやろうと言う事になりすぐ自動車で志水の家に行き志水に案内させて荒川の家え行きました」(記録二九〇丁表末行より裏八行目迄)「昭和二十三年三、四月頃豊橋の久保田文一の博奕場で……賭博をした際……名古屋の連中が金がなくなつて賭金を借りる際先方に対しては私が借主になつて借り受けこれをその場で……中島には合計二十一万円貸したのであります」(記録九二八丁表末行より九二九丁表二行目迄)「始めマーケツト売買について中島の家で中島に売買の相談をした時に中島は私に対してお前も豊橋の借金を払うのがえらいので今度の売買の儲けでそれを支払える様に骨折つてやろうと言つた」(記録九三〇丁表十行目より裏一行目迄)。「私が中島の家え行きまして今日これからマーケツトえ交渉に行こうと思うがお前の都合はどうかと申しました処、中島は俺は都合が良いと申した上どう言う風に交渉するのかと申しましたので私は前に志水が交渉したが売れなかつたのだから尋常な手段ではいかないから相手に買取れと言つてきかない時は荒川の借金を返して俺達のものにすると言つておどせばあいつ等は俺達の手にマーケツトが這入つたら困るで買取るだろうと言いますと中島はうんそれは良い手だからやろうお前金を持つているかと言いますので私は丁度そう言う予定で現金十三万円を持つて来ていましたので俺は十三万円だけは持つて来ているが十八万円には五万円足らんでお前何んとか五万円だけ都合して来て呉れと申しますと、中島はそれでは今手持がないで都合して来るからお前先に行つてうまくやつていてくれすぐ行くからと申しましたので私は中島より一足先にマーケツトえ行つたのであります。私と中島との間では前述の話一つでどう言う風に交渉するか決つていたのであります。……一人が相手に因縁をつけている時などに他の一人がその伸に這入つて納める様なフリをして相手から何か出させるとか又は何か奢らせると言うのは一つの商法とでも言いますか脅迫恐喝手段となるのであります。私と中島との間でもこの手を用いて私が相手方をおどす中島がまあまあと両方の仲へ這入つて納めるふりをして予定の所え持つて行くと言う風に話しがついたのであります。」(記録九〇六丁裏六行目より九〇八丁表七行目迄)「私と中島は五分五分の兄弟分てありますので中島をカバつてやりたいのでありますが事実は事実でありましてカトリツク教徒であります私にとつてはうそを申す事は出来ません又私が一人でやつているのなら兄弟分迄引ずり込んだり貴方達に御手数をかけたりせず私一人でやつたと申します」(記録九一四丁表十一行より裏四行目迄)との供述記載がある外利得の分配についても被告人小野田は被告人中島えの分配金は同人の承諾の下に前記の賭博の際の同人の借金の一部に充当相殺した旨検察官に供述して居り(記録九二九丁表末行より裏末行迄)被告人中島も検察官に対し豊橋での博奕で借金ができその内八万円を小野田を通じて払つた旨の供述をして居り両名の供述が符合して居る。これらの供述記載によつて被告人両名の間に共謀の事実のあつたことが明らかてあるが更に外形事実について見ても被告人両名が共謀していたことが明らかに察知出来るのである。即ち、マーケットの出店者代表の一人である古橋友三は検察官に対し「中島善作が私方やマーケット内の他の店舗へ来まして再三こんどこのマーケットは小野田が買うことになつたと言いふらしていました」と述べ、(記録五〇一丁裏十二行目より五〇二丁表一行目迄)原審証人出店者吉田五郎は「その以前に中島さんが私の処に来た際にそのマーケット売買の件に関し私にスムースに遣つてくれと云う様な話をしたことがありますので……マーケットの売買に……関係があると思つていました」と供述し(記録六六四丁裏八行目より六六五丁表二行目迄)ている。
原審証人志水清は被告人中島同小野田と共にマーケットの共有者荒川[金圭]方に行つたとき小野田が「俺と善作(中島)の二人で体を張つてやれば出来ない事はないと自信満々の様な事を云つておりました」と供述しその場には中島も居たことは明らかである(記録一九一丁裏十二行目より一九二丁裏五行目迄)。又マーケットの共有者荒川[金圭]は検察官に対し「志水が小野田と言う人と中島善作と二人を案内して私方へ来ました……小野田と中島は色々とマーケットの設立当時からの事情を聞きましたので私は赤字になつている事迄全部話しました処小野田はそんなマーケットなら大変だ君等の手では到底売れんで俺等に任かせにや売れんなあ俺等なら普通の人の出来ん事でもやつてやるから心配はいらんと言いました」との供述記載(記録四五五丁裏二行目より四四六丁表四行目迄)がある。被告人中島と被告人小野田が永年の間所謂ヤクザ仲間の兄弟分であることは被告人両名が自認している(記録八八二丁裏三項、九一一丁裏三行目以下)尤も矢納一家は昭和十九年に戦争がはげしく若い者は兵隊や徴用で居なくなつたので解散したと云うが戦時中に応召されていた者等が復員して来たので終戦後矢納睦会が設立され中島がその会長になつたと原審証人伊藤太市(矢納一家三代目親分)は証言している(記録六七〇丁表二行目より末行まで、六七一丁裏九行目より六七一丁表四行目迄)がこの証言と被告人中島自身が検察官に対し矢納一家が解散せずに「伊藤太市の跡目をとるとすれば当然私が四代目になる事になつていましたので世間では私を矢納一家四代目と言つています」と云つている(記録八八二丁表十一行目より末行迄)のを綜合して考えると矢納睦会なるものはただその名称をやや近代化したに過ぎず矢納一家の復活にすぎないものであることが容易に判るのである。被告人中島と同小野田が本件の当時ヤクザ仲間として交際していたことはその頃連れ立つて豊橋の久保田文一の賭場に行き博奕で負け数十万円の借金をしていることによつても明らかである(記録九一八丁表十行以下、八八九丁表九丁以下)。
以上述べたところによつて本件の恐喝が被告人両名共謀の犯行であること明白であるが尚被告人両名が所謂ヤクザの仲間であつて市民より蛇喝視されている徒輩の頭株であることが本件恐喝の重要な要素をなしていることを看過してはならないのである。
(二)次ぎに被告人両名がマーケットの出店者代表と同マーケット買取りの交渉を為すにあたり予ねての打合せ通り被告人小野田が相手方を嚇し被告人中島がこれをなだめる様に装つて相協力して相手方より金員を交付せしめたことは被告人小野田の検察官に対する供述調書中の「私としましては中島と約束してある様に始めから五十万円でこの店を買取れと強硬に談判しましたが相手方は買わない買わなくとも十八万円荒川に貸してあるので五月の末頃になれば当然私達のものになると申しましたのでそうかそれならその十八万円は荒川に代つて俺達が払つてやろうと言つている処へ中島が這入つて来まして小野田金を作つて来たぞと言つて先刻約束しておいた五万円を私に渡しましたので……私が持つていた十三万円と合せて十八万円をポイと代表者の前に出し中島も来たし話しも予定通り相手が荒川に対する十八万円を言い出して来た所であるので私は心の中でシメタと思いさあ十八万円は此処にあるから受取れ、そうすればあとは俺達の自由でお前達には何の義理もないから此処からお前達に出て行つて貰う……それがいやなら買取れと強硬に談判しました。中島は前の話合の通り小野田まあそう強い事を言うな、又代表者の人達もそうだが出来れば皆と相談していくらか安くして貰つて買つた方がどうですか……小野田もそうだがお前が買つたところで自分で経営出来るものではない……いくらか譲つてやつてくれなんて今から思えば良くあんなうまい事が言えたと笑えてくる様な事を申していました。……申し落していましたが買取方交渉の際私は柔道なんかなんだパチンコ(拳銃)にはかなわんだろうと言つてポケットに手を突込んだ所中島がマアマアととめた事実があります」(記録九〇八丁表八行目より九一二丁表末行迄)との供述記載。原審証人古橋友三(出店者)の「小野田が十八万円出せば俺のものになる証書を出せと言つて来た私と小野田と二人で話していると中島が来て十万円程の金を石でも投げる様にしてぼつとほうり出し之で買えと言つていた。小野田は私にお前いくら柔道が強くてもピストルにはかなわないだろうと言つて手をポケットに入れてピストルを出す様な態度をしました。……小野田は浜松の朝鮮人事件にピストルを持つて応援に行つたと話をしていた、結局心理的に圧迫を受けたことは間違いありません」との旨の供述(記録二一〇丁表末行以下二一三丁表二行目迄)。右古橋友三の検察官に対する供述調書中「中島善作が先触れをしている内に小野田が来て組合の代表者と逢いたいと言うので……組合の委員が面談した。小野田は金さえ払えば誰に売ろうが俺の自由だから金を返すと言うのでゴタゴタ互に言い争つているところに中島善作が這入つて来ておい小野田金は持つて来たぞと言つてポイと金を小野田の前え出しました……中島は小野田金が出来たでこの金を相手に受取つて貰おうじやないかそうすれば誰に遠慮する事もなく処分出来るなあと言い……小野田は柔道が出来ようがどうしようが拳銃で殺してでも追出して見せると談口を切つた。私はあとで皆でこの事は中島と小野田とグルでやつているのだと話合つた」旨の供述記載(記録五〇〇丁以下)。原審証人藤川米蔵(出店者)は小野田が十八万円出せばマーケットは俺の物だとか古橋に柔道はいくら強くてもピストルには勝てないだろう等と言い、ズボンのボケットに手を入れていかにもここにあると言つた様子を見せた旨の供述を為し(記録二一四丁以下)、尚、右藤川米蔵の検察官に対する供述調書中には「小野田は若し貰うのがいやなら俺達がこの店を買う……あとは追出そうがどうしようが俺の勝手だからと言つている時に中島善作が這入つて来て新聞紙に包んだ高さ五、六寸位の百円札様のものを小野田におい小野田十万円持つて来たぞと言つてポイと渡しました……この日は小野田は相当物凄い勢で買え買わねば俺が買うからあとはどうしようと俺の勝手だなどと啖呵を切りポケットの中え手を入れて俺は拳銃を常に持つているなどといつていた」旨の供述記載(記録四八三丁裏七行目より四八四丁裏六行目迄)。原審証人吉田吾郎の「拳銃は見ませんでしたが、私といたしましても持つているのでないかと思いました」旨の供述(記録六六七丁裏九行目)。金員を交付するに至つた出店者の心裡状況については、原審証人藤川米蔵は「皆はおそれていた」との供述(記録二一七丁表三行目)。同人の検察官に対する「出店者の総会を開いて相談し結局そんなヤクザに来られてゴタゴタされたり又そんな人の手にこのマーケットが移つては困るから買取ろうと言う事になつた」との供述記載(記録四三四丁裏十一行目から四三五丁表四行迄)。原審証人杉本文三郎は「金を出したのはおそろしいので仕方なかつた」と供述し(記録二九七丁表七行目)又右杉本は検察官に対しては「泣ね入りで承諾したわけであります。」と語り(記録五〇九丁九行目)、原審証人古橋友三は前掲の通り「心理的に圧迫を受けたことは間違いない」と述べた外検察官に対しては「ボスの手に入つては困る」と考えたと言い(記録五〇五丁表一行目以下)、原審証人小島秀一は「後がうるさいから買うことにした」と証言し(記録二〇五丁表九行以下裏七行目迄)検察官に対しては「相手がヤクザの親分であつて話がゴテたら何時迄も解決がつかず反つて不利益だ」と考えた旨供述し(記録四九三丁表三行以下)、箕浦力雄は検察官に対し「役員会や常会などで相談し、何しろ相手がうるさい連中で申出を拒絶すればあとがうるさいから申出に応じてマーケットを買取る事にしようと決つた」旨供述し(記録四九九丁表二行目以下)、原審証人吉田吾郎は「犠牲者を出しては困るからと言うような関係からです」と証言している(記録六六八丁裏一行目)によつて夫々明らかである。
以上に挙示したところの証拠によつて被告人両名が共謀して恐喝を為したものであることを認定するに充分であると信ずるが、尚他にも以上に掲げた証拠に符合する証言や供述記載が本件記録の随所に見受けられるのであつて、被告人両名共謀の上、敢行された犯行であることは何よりも本件被害者がこれを察知して居る。事件の当事者である被害者等が小野田に対する謝礼以外に被告人中島えの分として金一万円の謝礼金を包んで出したのは何故であるか、両名が共謀の上で持込んで来た無理無題であると信ずべき根拠があつたが故に両名に対し、それぞれ後難をおもんばかつたすえ差し出したものなのである。この事実こそ最も雄弁に本件事案の真相を物語つている。
以上の通りであるから原審は本来的訴因である被告人両名の共謀による恐喝の事実を有罪と認定すべきであつたに拘わらず僅かに予備的訴因たる横領につき被告人小野田の単独犯行であると認定したことは事実の誤認も甚だしいと謂うべきである。仮りに百歩を譲り原審認定のように本件は恐喝ではなく横領であるとしても前掲(一)の各証拠により明らかな通り本件事犯はその頭初において予め被告人中島と同小野田の両名共謀の下に敢行されたものであるから、予備的訴因たる横領についても両名の共謀によるものと認定を為すべきに拘わらず被告人中島に対し「被告人小野田吉寿と共謀して右売買代金の中二十二万円を保管中に擅に着服横領したりとの事実は之を認むるに足りる証明が十分でない」として無罪の言渡をしたことは事実の誤認がある。
第三点原判決は刑の量定が失当である。
原審検察官の被告人中島に懲役三年六月、被告人小野田に懲役二年六月の求刑に対し、原審が被告人小野田につき同人に対する公訴事実を有罪と認定し乍ら懲役一年六月に処し、被告人中島に対しては上述の通り公訴事実の内一部を無罪と認定して懲役一年六月に処したのは量刑軽きに失するものである。
即ち、民主々義社会建設途上にある現下我国に於ては封建的残滓であり、社会悪の温床となる親分、子分の関係によつて結ばれるものを一掃して明朗なる社会を建設することが当面の急務である。而して被告人両名は永年の間ヤクザ仲間の兄弟分で(記録八八二丁裏三項)且何れも多数の輩下を擁する親分であり(記録九一一丁裏十二行目から九一二丁表六行目迄)殊に被告人中島は矢納一家の復活とも云うべき矢納睦会の会長として矢納の四代目親分と目されている人物であるのみならず(記録六七〇丁裏二行目以下、八八二丁表十一行目以下)被告人小野田は詐欺、恐喝、脅迫、傷害等の前歴を有し、浜松の朝鮮人事件に際しては拳銃を持つて参加し(記録二一二丁裏十一行目)或は鎧通しで脇腹を突きさしたり(記録四六八丁裏七行目以下)事毎に暴力を振う者であり、他方被告人中島も賭博、賭場開帳図利、常習賭博等の前歴を有するものであつてかかる者に対しては一罰百戒の為断乎厳罰を以つて臨むべきであり、原審の量刑を以つてしては到底刑政の目的を達し得ないものと信ずる。仍て原判決を破棄して検察官求刑通りの量刑が相当である。
以上何れの理由によるも原判決は破毀されるべきである。
弁護人大池龍夫外二名の控訴趣意
第一点原判決は明かに判決に影響を及ぼすべき重大なる事実の誤認がある。即ち原判決は判示第二ノ(一)の事実認定の証拠として検察官作成の山田茂、丸井銀市、吉田重一に対する各供述調書証人堀内修一郎の当公廷の供述を夫々引用して居るのであるが前記山田茂の供述調書の供述記載に依れば同人は昭和二十三年八月盆踊の頃岩田から中島善作、丸井銀市両名が復興委員会の資金七万円を借出して行つた事を聞き吉田重一に尋ねた処確かに七万円は出したけれどもそれは山田茂の諒解を得たものと思つて出したと云う事であつたと陳述して居るのであつて(記録五八九丁以下)被告人が判示事実摘示の如き詐言を弄して金員を騙取したと云うが如き事情は当時吉田重一より全然聞いて居らなかつたと云うのである右の事実は山田茂の原審に於ける証言中に於ても明白となつて居る所であるが当時山田茂は復興委員会の組合長であり吉田重一は其の会計係を勤めて居た関係上若し被告人にして判示事実摘示の如き趣旨の申出を為したとすれば吉田重一は責任上当然組合長たる山田茂に其の旨を告げなければならない筈であるのに拘らず山田茂が全然之を聞いて居らないとの事実は以て被告人に本件所為のなかりし事実を明白に裏書するものと云わなければならないのである。
尚原判決が証拠に引用せる丸井銀市の検察官に対する供述調書の供述記載に依つても被告人は吉田重一に対し七万円丈けでよいから直ぐ返すで一寸貸してくれと申出でたと云うのであつて被告人は復興資金の使途に関して吉田重一に質問はして居るけれども右質問以外に判示摘示の如き虚偽の申出を為したものでない事を認めて居るのであつて(記録五九三丁以下)丸井銀市は原審公判廷に於ても同趣旨の証言を為して居るのであり右供述及び前記山田茂の供述を綜合すれば寧ろ被告人が本件詐欺行為を為したものに非らざる事実を明白に推知するに難からざるものと云うべきであつて従て原判決が判示事実認定に際し吉田重一の検察官に対する供述調書の内容と全然矛盾する前記両名の供述調書を併せて証拠に引用し以て断罪の資料に供したのは明らかに判決に影響を及ぼすべき重大なる事実の誤認あるを疑うに足るべきものがあると云わざるを得ないのであつて原判決は此の点に於て到底破毀を免れないものと信ずる。
第二点原判決には明らかに判決に影響を及ぼすべき訴訟手続上の法令違反があると信ずる。即ち原判決は判示第二の(一)の事実認定の証拠として証人堀内修一郎の原審に於ける供述を証拠に引用して居るけれども右堀内修一郎を証人として採用した決定の有無に関し原審第六回公判調書の記載に依れば検察官は昭和二十六年二月十三日附追起訴状記載の公訴事実に関し証拠申請を為す旨を述べ別紙証拠申請書に基いて証拠申請を為し裁判官は右検察官の申請に係る証拠は何れも之を採用し逐次取調を為す旨決定を宣したと記載されて居るのであるが記録に添附せられて居る証拠申請書(名古屋地方検察庁平塚検事提出)の作成日附は昭和二十六年三月七日附であり第六回公判は昭和二十六年三月五日開廷せられて居る関係上第六回公判調書記載の所謂別紙証拠申請書は前記証拠申請書でない事は極めて明白であり従つて第六回公判に於て堀内修一郎を証人に採用する旨の決定があつたとは云い難く以後の公判に於ても同人を証人に採用する決定の存せざる事も一件記録上明白であるから原判決が前記判示事実認定の証拠として引用した証人堀内修一郎の供述に関しては原審に於て適法な証拠調が為されたとは云い得ないのであつて従つて原判決には採証の違法があり明かに判決に影響を及ぼすべき訴訟手続上の法令違反があると云うべきであつて原判決は此の点に於て破毀を免れないと信ずる。
第三点原判決中中島善市に対する判示第二の(二)(三)の罪となるべき事実は事実誤認であり明らかに判決に重大なる影響を及ぼすものである。
(一)即ち原判決中、中島善市に対する判示第二の(二)の事実の記載によれば「被告人は昭和二十三年六月頃名古屋市中区矢場町三丁目地内に所有する建物(事務所)一軒を三浦重雄に金六万円で売却した、伊藤捨吉を肩書自宅に呼出し「自分に挨拶せずに何故他に売つたか自分の顔をつぶした事に対して何等かの挨拶をせよ」と暗に金員を要求した……云々とあるが伊藤捨吉が被告人に対して一万円交付した動機並びに右金員の性質について論及するならば第一に佐々木武治の証言にもある通り「何んでも中島さんが伊藤さんに大工小屋を売つて呉れと云われたのを伊藤さんが引受け、それを中島さんに売らずに三浦さんに売つて仕舞つたその時礼金と云う様な意味で出したであります」とある通りであり恐喝されて財物を交付したものではなく更に詳言するならば伊藤捨吉が初め大工小屋を被告人に売る約束をしながら此れを三浦に売却したと言う点に事件の端緒が存するのであつて、伊藤捨吉のかかる二重売却行為は必然的に被告人に対して背任又は債務不履行となりその為伊藤捨吉を自宅に呼び出しその点を追及したものであるその際起訴状並びに原判決中記載の様な「自分に挨拶をせずに何故他に売つたか……云々」の言辞を吐いた事はない。そうした意味で佐々木武治と伊藤捨吉が共に五千円ずつ合計一万円の金員を礼金として出した旨の供述は損害の金若しくは債務不履行の場合屡々お詫びの意味で交付するもので広く世間で礼金として行われているところのものである。更に伊藤捨吉の供述調書によれば金一万円を被告人に送つた動機は以上の他に相当の挨拶をせよと云われたものと思推し、且つ三浦の思惑も手伝つて薄気味悪く怖しいので挨拶と言う事で金を持つていつた旨記載されている点からも思推が生んだ被害妄想の結果であり自己にも債務不履行の責任がある関係上そうせしめたものであつて恐喝の事実は否定されるべきである。検察官の冒頭陳述の如く伊藤捨吉は被告人に対し何等金員を送る原因がないのに一万円を送つたと主張するのであるが、此の点明らかに被告人に対し法律上損害賠償請求権を有するものでありその結果の行使を恐喝罪との関係として学説判例上問題されている事案に該当するものである。即ち正当な権利の行使か又は犯罪として処断されるものか此の限界を如何なる点に求めるか少くとも本件の如き場合に於ては裁判所としては更に深く立入つて釈明すべきであつたその為被告人の正当の権利の行使を恐喝罪と認定するに至つた事は釈明不十分の為事実誤認に導く結果となつたもので原判決は此の点からも破棄を免れないものと思考する。
(二)次に判示第二の(三)の事実によれば昭和二十四年十二月下旬中区栄町三ノ四で遊技場ビンゴゲームを開店した山田正典方に於いて店員及客などの前で「俺に挨拶せずに開店するとは怪しからん」と怒鳴り更にその頃武藤暁三を通じて同趣旨の言辞を山田正典に伝えしめ金一万円と日本酒二本を交付せしめたと云うのであるが土井国光の供述調書によればその様な事を被告人が述べたかどうか詳細な事はわからない旨述べており吉田幸治の供述調書によれば昨年の十二月十八日市の公安委員会の許可を得て営業しているのだから被告人からつべこべ言われる理由はなく結局親分でありどんな方法で妨害されるか知らないので挨拶に行つた方が良いと考えそれに初対面であるから何か手土産を持つて行こうと云う事に話が決定し、あり合せのウイスキー一本(四合瓶)を持つて行つた」とある通り、ウイスキーを被告人宅に持参した事は事実であるが然し挨拶に行く為又初対面の人であるから礼を失わない程度で右ウイスキーを持参したもので、恐喝として財物を交付した関係に立つものでないこと被害者自身否定しているのであり、刑法上恐喝の成立に必要な程度の畏怖を感じていない事も右供述からも明確である。而して若し被告人が恐喝の意思(故意)をもつていたとしてもウイスキーを交付したのに対してその様な品物を貰う理由はないと拒絶している事実からしてもその様な故意を有しない事も明白である。それに反し被害者は右拒絶を誤解しウイスキーでは不足なりと感じ次に金一万円と清酒二本を持参したのであるが正にかかる提供は任意なもので贈与とみられるものである。その理由は前述の如く被害者等がウイスキーを持参した時にその様な品物を貰う理由がないと返却した時に我々は恐喝されたものでないと一般人であれば認識する筈であり従つてそれ以後の金一万円、酒二本の交付は吉田幸治の供述の如く被告人と近ずき即ち接触する意味で手土産を持参したと述べた事実と相俟つて初めから好意の品物であることを如実に示すものであると云わなければならない。加えるに武藤暁三の証言にもある通り中島さんが来て(右一万円及清酒二本は)受取れないものであるからと言うので私は折角持つて行つたものであるから受取つておいて貰つて下さい」と言う通り被告人はかかる義理行為に対して苦にしている事を示すものであり、その為遊技場に対して大入の額(価額数千円のもの)を返礼として差出している事実からも本件につき被告人に恐喝の事実はないものと断定出来るのである、原判決は事実誤認も甚しいもので土井国光、吉田幸治、山田正典の供述調書からも恐喝罪を認定するに足る事実関係は明白でない。公判の証言は寧ろ無罪を裏書している。
(三)要するに原判決中中島善市に対する(二)(三)の事実は被告人の親分的気質が世間一般の誤解を招いた事に由来するものであり被告人の一言一句がすべて何か意味あるものの如く感じ時にはそれが恐喝の言辞に解され一般人がそれに対し自ら何等かの反応を指す為生じる間の出来事で本件の如きは正に思惑不必要な恐怖心が手伝つてなされたもので、被告人にとつては迷惑此れに過ぎるものはないである。
更に本件恐喝に関しては検察官の小野田吉寿と被告人との共謀にかかる恐喝事件を補強する必要から附随的に公訴提起がなされたもので元来は構成要件に該当しない事実を曲解して恐喝罪として提起した事は遺憾とする処である。
第四点原判決は判決に影響を及ぼすべき訴訟手続の違背がある。原判決は判示第二の(二)の事実を認定するに当り其の証拠として司法警察官、検察官作成の伊藤捨吉に対する各供述調書を採用した。然れども右伊藤捨吉は検察官が昭和二十六年三月五日第六回公判期日に証人として申請し同日裁判所に於て採用せられ次回公判廷で換問せらるること決定し(記録一四〇丁一六〇丁裏)裁判所は右決定に基いて次回である同年四月六日の公判期日に出頭方呼出状を発した(記録三二九丁)。然る処右呼出状は転居先不明との理由で返戻せられ従て同人は同年四月六日の第十回公判期日に出頭しなかつた(記録三三七丁)。因て同公判に於て更に次回同年四月九日の公判期日に呼出換問する事に決定した(記録三六四丁裏)。然るに裁判所は右決定を為し乍ら呼出状を発せざりし為同年四月九日の第十一回公判期日に同人は出廷を為さなかつた(記録三九七丁裏)。次いで同日の公判に於て更に次回の公判に関係人に出頭を命じたが(記録三九四丁)右証人を呼出す事なく従つて次回公判期日である同年四月十三日第十二回公判期日にも出廷せず同日の公判に於ても前日同様次回公判に関係人に出頭を命じ(記録四一七丁裏)たが之れ亦同証人を呼出さなかつたから第十三回公判期日である同年四月二十五日第十三回公判期日にも出廷しなかつたので同公判期日に次回を同年五月十四日午前十時と指定し不出頭の伊藤捨吉を再換問することに決定し(記録四四二丁)たが尚右期日に呼出をなさず同年五月十四日第十四回公判期日に於て検察官は「証拠調請求を為す旨を述べ曩に取調を請求を為し採用となつた証人伊藤捨吉の所在不明であるから刑事訴訟法第三百二十一条に基き伊藤捨吉の検察官に対する供述調書一通右同人の司法警察官に対する供述調書一通の取調を請求した(記録五一八丁)。之れが採用せられたが伊藤捨吉の住所は「名古屋市中村区広小路西通二丁目二十七番地」であつて(記録五二四丁、五二七丁)検察官の証拠申請書は「名古屋市中村区広小路西通二ノ一七」(記録一六〇丁裏)」となつていて真実の住所にあらざる処を表示せられていてこの申請書に基き呼出状が発せられたのであるから送達不能となつたに過ぎない。従つて証人伊藤捨吉は所在不明ではない。住所に非らざるところに呼出状を送達して之れが返戻せられたといえ所在不明とはいえない。然れば検察官が同証人の所在不明との理由を以て同人の検察官並に警察官に対する供述調書を刑事訴訟法第三百二十一条第二号に基き証拠調を請求して之れを採用して断罪の証拠に供したのは訴訟手続が誤つたもので適法の証拠とは云えない。仮令夫れが弁護人、被告人が証拠とすることに同意したとしても夫れは同証人が所在不明と云うことを前提として同意したに過ぎないものであるから所在は明瞭であるに拘らず住所に非らざる処に呼出状を発し之れが到着しなかつたとしても元より所在不明になる筋合のものでないから刑事訴訟法第三百二十一条により証拠に供し得ないものと信ずる。斯る証拠を持つて断罪の資料に供した原判決は失当と思料する。
第五点原判決は判示第二の(二)事実に付き証人佐々木武治の公判廷の証言を証拠として判示事実を決定したが右証人の証言を以てしては何等被告人が伊藤捨吉を被告人肩書自宅に呼出し「自分に挨拶をせずに何故他に売つたか、自分の顔をつぶした事に対し何等かの挨拶をせよ」と暗に金員を要求し之に応じないときは危害を加うべき気勢を示して脅迫したと云う如き判示事実を認定することは出来ない。結局虚無の証拠を以て判示事実を認定した違法がある。同証人の要旨は「なんでも中島さんが伊藤に大工小屋を売つて呉れと云つて来られたのを伊藤は引受けこれを中島さんに諮らず三浦に売つて仕舞いその謝礼金と云う様な意味で出したのであります」と云い(記録三五二丁以下)其金員提出の原因は伊藤捨吉が一旦被告人中島善市との約束違背の陳謝代法律的に云えば損害賠償の意味を以て金員を提供したに過ぎないことに帰し其の間毫も不正の金員提供乃至要求の所為なかりしこと極めて明瞭であつて、更に同証人が其の謝礼金の具体的説明に付き「伊藤が中島に何故俺に売れなかつたと云つておどかせたから出したのですと釈明的供述をしているが其のおどかされたと云う具体的恐迫の行為に付きては供述してない。従つて同人の証言は本件判示の犯罪を証明するに足る証拠とは成り得ないのみならず同証人が直接被告人中島善市の判示行為を触目したものでもなく単なる伝聞と自己の想像的供述でしかない。況んや同証人の更に「本件当時は伊藤を信用して居りましたが今では私は中島さんとPTA等の仕事を一緒にしている関係から中島善市を信用している」旨の供述とを併せ考覈すれば佐々木武治の公判廷の証言は以て判示第二の(二)の事実を証明するに足りない。然れば本件は虚無の証拠に因つて事実を認定したか或は同証人の証言を誤解し事実誤認をしたものと云わざるを得ない。
第六点原判決は起訴に係る事実に付き審判を為さざりし違法がある。本件被告人中島善市に係る起訴状(昭和二十五年十二月十一日付)によれば「被告人等は昭和二十三年三月中頃名古屋市中村区笹島町三丁目四番地荒川[金圭]から同人及松井三郎が共同所有する名古屋市中区南呉服町一ノ八番地内サカエ・マーケット(別名松竹街)の建物を志水清を介して売却方依頼せられたので相共謀の上其の頃同マーケット出店者組合の代表者古橋友三、藤川米蔵、杉本文三郎、小島修一、箕浦力雄等と同マーケット一店舗に会して売買の交渉するに際し当時出店者組合では右荒川に対し金十八万円を貸与し居り同年五月二十二日迄に右返済なきときは建物の権利は当然出店者組合に帰属することと為つて居たもので建物の買取方要求に応じない態度に出たのに対してこれを五十万円位で買取るか、いやなら右十八万円を返した上マーケットから追ひ出すと強硬に買取方を要求した。右代表者古橋友三に対しては「お前が柔道が強くともこちらには拳銃がある」などと脅し被告人等が互に兄弟分でいづれも所謂ヤクザの社会に居り高嶋三治一家に属し居ることを知つている同人等をして若し拒絶するに於ては種々不利益を蒙るものと畏怖せしめ因つて其の数日後金四十八万円で買取る旨承諾せしめ前記場所に於て前記十八万円を差引いた金三十万円を代金名義で交付せしめたものである」と云う犯罪事実を摘示し右は刑法第二百四十九条恐喝罪に該当するものとし起訴せられ右予備的訴因として「被告人等は昭和二十三年三月中頃名古屋市中村区笹島町三丁目四番地荒川[金圭]より同人及松井三郎が共同所有する名古屋市中区南呉服町一丁目八番地内サカエ・マーケットの建物を志水清を介して金四十万円以上に売れたら其の分は礼金にすると言はれて売却方依頼せられ其の頃同マーケット出店者組合代表者古橋友三外数名に対し之れを代金四十八万円で売り同組合が右荒川に対して待つていた貸金債権十八万円を差引き金三十万円を受取り之れを右両名の為保管中その頃相共謀して名古屋市中村区則武町六ノ二二被告人小野田吉寿方に於て之を着服し以て内金二十二万円を横領したものである」とし之れを刑法第二百五十二条の横領罪に該当するものとし併せ起訴せられた。然るところ原判決を見るに被告人中島善市は右予備的訴因である横領の事実に付き犯罪の事実は証明不十分として無罪の言渡ありたるが訴因第一の前示恐喝の事実に付きては何等の判断を為して居ない。或は一にあらざれば二と云う択一的の起訴に於て其の内一を判決に於て事実理由の表示をせば当然に其の余の部分は判断したことになるから其の部分に対しては特に判決文上言及するの必要なしと云ふ議論もないではないが本件の如く第一の訴因は恐喝として起訴し予備的に第一の訴因が成立しないときは当該事実は他面横領罪を構成すると云ふ起訴の場合に於ては第一の訴因に付き法律上犯罪を構成せざる理由を摘示し更に進んで第二訴因の横領の事実も亦証明不十分なる場合は之れ亦無罪の言渡を為すべきものと思料する。
本判決の如く第一訴因に付いては一言も言及せず単に被告人に対し予備的訴因である横領の点のみを証明不十分として無罪の言渡を為したのは起訴の事実に付き審判を為さなかつたものと云はざるを得ない。此の点に於て原判決は失当と思料する。
第七点原判決は刑の量定甚しく苛酷で不相当であると信ずる。原判決の認定した犯罪事実は(一)大衆マーケット復興委員会会計係吉田重一を欺き地主との交渉名下に昭和二十三年十一月五日金七万円を騙取した事実 (二)伊藤捨吉を恐喝して同年六月頃現金一万円を喝取した事実 (三)同二十四年十二月下旬山田正典及吉田幸吉両人から金一万円及日本酒二本を喝取した事実である。以上の犯罪事実は何れも被告人の否認するところであるが仮りに百歩を譲り判示認定の犯罪事実があつたとするも左記事由に依り原審が右判示事実に対し懲役一年六月を言渡したのは刑の量定甚だしく不相当と云わねばならぬ。
右判示事実は何れも昭和二十三年又は同二十四年のことに属し且つ其被害金額は九万円余に過ぎないので而も右(一)の被告人が騙取したと云わるる金七万円に付きては被告人は当該金七万円を其儘手を付けず之れを株式会社野村銀行栄町支店に預金し其の預金通帳自体を本件起訴前に大衆マーケット復興委員会に交付したもので不正に利得した事実もなく且つ毫も被害はなく爾余の(二)(三)の事実の如き何れも被告人が積極的に金員物品を強要した事実がない。検事は其冒頭陳述書(昭和二十六年二月九日付名古屋地方検察庁検事寺沢真人作成名古屋地方裁判所裁判官宛)第二に於て「被告人等が脅迫手段で本件マーケットを売渡す交渉をするについて共謀関係及交渉状況の関係事実について」と題する項目に「被告人中島善作は香具師の団体である矢野一家の親分で昭和二十三年一月中に大須の八千久で先代伊藤太一(之れは相当の人物として評価されていた)の跡目相続(四代目)の仮披露のあつたばかりで其の縄張りは大体大須広小路に亘つて居り勢力盛な時であつたと云い被告人が恰もヤクザの頭領で平素騙りや恐喝を常習とする無頼の徒でこれなるが故に判示第二の(一)(二)(三)の如き詐欺恐喝を平気でなす人物なりと印象せしむるが如き主張をせられているが事実は全くこれと異なり矢野一家は既に昭和二十二年秋頃解散し被告人が矢野一家の四代目を相続した親分でないことは証人伊藤太一の証言で極めて明瞭なるのみならず昭和二十三年当時に於ては市内数ケ所に雑貨、飲食、菓子、煙草等の連鎖店を開設し居り(証人山田義正の証言参照)立派な商業人として活躍し居たもので爾後或は名古屋市中栄消防団参与、愛知県街商業協議会委員、愛知県商業振興対策委員会、愛知県商店街連盟監事、名古屋社会教育協力委員等に委嘱せられ(押収に係る委嘱状参照)社会的公共事業等に力を致し更に司法保護事業少年保護事業行刑教化事業等に尽瘁し其の功績を認められ(押収に係る感謝状参照)真に模範的人物として生活し来つたものであつて其の識見の如き押収に係る東海経済新聞、中央商業案内新報移動店舗等の新聞紙上に被告人が執筆した「脱皮する露店商、PTAに就いて、スポーツに就て随想」等の見識を見ても其の人物性行の一端を証して余りあるものがある。或は往年一時露商の仲間に身を置いた過去には批難すべき行跡絶無とは云えなかつたにせよ(前科調書参照)本件起訴に係る犯罪当時は前述の如く真に立派な経済人であつて決して検事が指摘するが如きヤクザの親分で大須広小路を縄張とする無頼の徒ではない。而も被告人は当時に於ては将来市政に参劃し市民の為に努力せんと心組みしものであるから一意衆望の帰することこそ祈念すれ、騙り恐喝の如き所為に出でることは夢想だにせざるところである。
斯る人物に対し而も相当の年月を経た事案で且つ其の金額も寡少なものに対し被告人に対し懲役一年六ケ月の有罪の宣告をなすが如きは刑の量定甚しく不相当と云わねばならぬ。刑事訴訟法第二百四十八条に於ては「犯人の性格、年令及び境遇、犯罪の軽重及び情状並に犯罪後の情況により訴追を必要としないときは公訴を提起しないことができる」と規定せられて居る、斯る条件の存在に因り検事は仮令現に犯罪ありとするも公訴の提起をなさざることが出来る。刑法も亦情状に因り刑の執行を猶予し得る旨規定して居る。蓋し刑法の所謂「情状に因り」とは右刑事訴訟法の列挙した条件を考料して其の宣告刑を猶予し得ると謂わねばならぬ。本件被告人に就きては正に右両法の精神に全く一致するものと云うことを得るべく本件が仮りに原審が認定したとおりとするも被告人に対し相当期間の刑の猶予を為さざりしは失当の甚しきもの此の点に於ても原判決は破毀を免れないものと信ず。
弁護人青木紹実の控訴趣意
第一点原判決は第一次起訴の恐喝の点を見逃し予備的起訴の横領罪を以て二十二万円を着服したものと認めているが証拠上疑わしいと謂うべきである。即ち二十二万円中十三万円(三万、五万、五万)を飯尾稔を通して荒川[金圭]に渡したことは飯尾稔(検事調書二五、十二、十六日付)及荒川[金圭]の原審に於ける供述によつて明かである。この点に関し検事は証第十二号(飯尾様勘定書)を提出して飯尾稔夫妻の供述の証明力を争つているが十三万円の授受のあつたことは掩うべくもなし。従つて原審認定の二十二万円中より十三万円を控除すべきは当然である。然るに原審が事茲に出てず漫然二十二万円全額の横領を認めたのは重大な事実の誤認と謂うべきである。
第二点被告人は松竹マーケットを四十万円ではなく三十五万円で自分が仕切つた(荒川より買つて売る)と主張し居りこのことは検事に対する被告の第一回供述調書に述べているところで原審公判に於ても強調しているのであるが仕切の点に付ては、1、証人小島秀一は売渡人は小野田さんになつていた様に思う」と述べ、2、同箕浦同売主は小野田で荒川は保証人であつた証書は取引後金と引換えに作つた」と供述し居りて被告人と荒川[金圭]間に仕切られたことを認めらる。然らば松竹マーケット売代金は被告人のものとなり。これを自己に費消したればとて横領罪となるべき筋合ではない。又三十五万円の点に付ては(イ)証人箕浦は荒川なら三十五万円でよかつた。(ロ)荒川[金圭]もマーケットを売渡しますと署名したが白紙で金額も書いてなかつたと云つているし(ハ)前に志水清が持ち歩き四十万円では売れなかつたことから荒川との間は三十五万円であつたとも見られる。この三十五万円より立替金十八万円と十三万円計三十一万円を差引き残り四万円は被告は荒川の飲食店への立替に一万円と荒川の妻に三万円を渡していると主張している。果して然らば原審が漠然着服横領を以て臨んだのは判決に影響を及ぼすべき事実の誤認がある。
第三点原判決には刑の量定不当の失当がある。本件第一次起訴の恐喝の点に付て弁護人等は極力無罪を主張し原審の認容するところであるが洵に当然なことである。
ついで予備的起訴の横領に付ては前掲第一、二点に於て証拠上の難点につき縷説せる通りである。原判決は之を着服横領として臨んでいるが着服の前提として費消行為がなければならぬことは明白であるが被告が無断に費消したとの証拠は少しもない。果して然らば着服横領を認むべき余地なしと云うべく其他金十三万円支払済の点従つて横領金額の少きことよりして前科ありとしても懲役一年六月の科刑は酷に失するものと謂うべきである。
弁護人相沢登記夫の控訴趣意
第一点原審の証拠決定手続は憲法に違反する違法あり。
一、憲法第三十七条第二項に依り刑事被告人はすべての証人に対して審問する機会を充分に与えられ又公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有するを以て原審弁護人は第五回公判期日に於て証人山田千代以下十一名の証人申請を為したるがその内証人中島善市(共犯者)のみ却下の決定あり其の余は総べて採用せられたるも弁護人申請に係る証人十一名中却下となりたる右中島善市は被告人と共犯にて起訴せられ居り重用なる証人なるを以て他の証人に優先して取調べの必要があるにも不拘此の証人のみ簡単に却下したる措置は右憲法の趣旨に反するものと信ず。
二、検察官は「……同人は本件の共同被告人であるから反対尋問の機会を与えればそれで足りると言う法律的見地よりその取調は必要ないものと認め却下の裁判ありたい」旨陳述せるも反対尋問の形式は刑事訴訟法第二百九十一条第二項に依り被告人は終始沈黙し又は個々の質問に対し陳述を拒むことが出来るも証人の形式に依れば同法第百四十六条に依り自己が刑事訴追を受け又は有罪判決を受ける虞のある場合を除いては証言義務を生じ且つ又虚偽の証言をせば偽証罪の制裁を蒙るものなれば同じ陳述も「反対尋問」なすや「証人」なりや孰れの形式を採るやは重大なる結果を生ずるを以て検察官の主張は法律解釈を誤りたるものと言うべく此の答弁を容易く採用し却下の決定を為したる原裁判所の処置は明らかに違法なる手続と信ず。
三、之に反し第二十四回公判期日に於ては検察官は被告人中島善市の起訴事実に対し相被告人たる小野田吉寿を証人申請なし裁判所は直ちに採用の上取調べを為し居る取扱いよりするも弁護人よりの被告人小野田の申請のみ却下するに至りたる趣旨の判断に苦しむ。成程証拠申請に対するその採否は裁判所の専権に属することは争いなきも本件の起訴内容並に被申請人たる中島善市の本件に於ける重大性等よりせば採用せざるべからざる証人と信ず。
第二点原審判決は採証に違法あり。
一、原審判決証拠欄を検するに松井三郎外四名の検察官に対する供述調書を証拠に引用し居るも右五名は夫々原審に於て証人として取調べられたるに対し検察官は刑事訴訟法第三百二十一条第一項第二号に依り各供述調書を申請し原審裁判所は簡単に採用の上原判決証拠に引用せるも本条項に依る証拠能力は「……前の供述と相反するか若しくは実質的に異つた供述をした」ときに限定せられ且つ公判期日における供述よりも前の供述を信用すべき特別の情況の存在が条件となり居るに不拘此等「特別の情況」が何等認められない。本件に於てはその証拠能力もないものと信ず。
二、右「特別事情の存在」の認定資料に就ては法文上何等の制限規定なきを以て裁判所に於て適宜判断し得ると雖も本条文の趣旨よりせば自から採用の限度は制約せらるべきものと言うべきを以て少くとも一件記録上その判断の資料は窺い知り得べき状況に在るを要するものと解釈せられるも僅か荒川[金圭]、杉本文三郎両証人の証言中売買代金が金四十八万円に非ずして金四十万円と記憶する旨の供述の喰い違い以外は殆んど検察官の面前に於ける供述と同趣旨にしてその余の些細の点に就ては立会検察官の証人に対する尋問の徹底を欠くことに原因する以外相反する供述或は実質違反の供述の資料発見に苦しむ。本件に於ては採証の法則を誤りたる違法が存ずると言うべし。
弁護人伊東富士丸の控訴趣意
第一点原判決ハ事実誤認ノ違法ガアル。
(一)判示第一事実記載ノ名古屋市中区南呉服町一丁目八番地内サカエマーケット(別名松竹商店街)ノ建物ハ証第九号ノ荒川[金圭]作成名義ノ「契約証」ト題スル書面(殊ニ該書面中第一項及第三項)及証人荒川[金圭]ノ証言ヲ綜合スレバ本件建物ノ所有権ハ昭和二十一年十二月二十八日右荒川[金圭]ヨリソノ土地ノ所有者タル田中秀穂ニ譲渡セラレタモノデアル。ソノ後証第三号「不動産売買契約公正証書正本」ト題スル書面及証第四号「証」ト題スル書面ニ依レバ本件建物ノ所有権ハ同二十二年十二月二十三日前記荒川ヨリ松竹商店街発展会(代表者藤川米蔵)へ金拾八万円也ノ金員消費貸借ノ担保ニ充テルタメ買戻約款付ニテ譲渡セラレタモノデアル。
然ルニ原判決ハ1、検察官作成ノ松井三郎、荒川[金圭]、志水清、小島秀一、杉本文三郎ニ対スル供述調書 2、検察官作成ノ昭和二十五年十二月十五日附小野田吉寿ニ対スル供述調書ノ証拠ノミニ依拠シテ証明力十分ナル証第九号同第三号第四号ノ各書面ヲ本件ノ事実認定ノ資料ニ供セズ漫然判示第一事実記載ノ通リ同二十三年三月当時本件建物ノ所有権ハ荒川[金圭]及松井三郎ノ共有でアツタト認定シタノハ事実ノ認定ヲ誤ツタモノト謂フ可キデアル。
(二)而モ叙上ノ如キ事実ノ誤認ハ判決ニ影響ヲ及ボスモノデアル。ソノ理由ハ前記(一)ニ於テ明ラカニセラレタ如ク前記荒川[金圭]ハ田中秀穂所有ニ係ル本件建物ノ所有権ヲ擅ニ自己ノ借財ノ担保ニ供スル目的ヲ以テ松竹商店街発展会ニ対シ買戻約款付ニテ譲渡シ以テ之ヲ入質横領シタ外更ニソノ情ヲ知悉シナイ被告人小野田ヲシテ松竹商店街発展会ヨリ右建物ヲ買戻サシメルト同時ニ之ヲ右発展会(松竹マーケット出店者等)ニ対シ価格金四拾八万円ニテ譲渡セシメタモノデアツテ前記荒川ノ叙上ノ所有ハ自己ノ占有スル田中秀穂所有ノ建物ヲ擅ニ売却横領シタモノデアツテ判示第一事実記載ノ売得金タル三拾万円ノ金員ハ賍物デアル。尤モ被告人小野田ノ供述調書同尋問調書ノ供述証言並ニ証人山岡ちよノ証言ヲ綜合スレバ本件建物ハ前記荒川[金圭]ヨリ買受ケタモノデアルガ(右ノ認定ガ妥当カ否カニ付テハ後段ニ於テ陳述スルトシテ)判示第一事実記載ノ如ク仮ニ被告人小野田ガ前記荒川ヨリ志水ヲ介シ本件建物ノ売却方ノ依頼ヲ受ケ之ヲ売却シソノ売得金中ニ拾二万円ノ金員ヲ着服横領シタトシテモ之ハ賍物ヲ着服横領シタモノデアツテ本件建物ノ横領ノ本犯デアル荒川[金圭]ハ何等起訴処罰セラレズ原判決ガ独リ被告人小野田ニ対シ懲役一年六月ノ刑ヲ科シタノハ刑ノ均衡ヲ失スルモノデアル。叙上ノ理由ニヨリ原判決ガ本件建物ノ所有権ノ帰属ニ付テソノ認定ヲ誤ツタノハ判決ノ主文ニ影響ヲ及ボス処ノ誤認デアルト謂フノ外ナク刑事訴訟法第三百八十二条ニ則リ破毀ヲ脱レナイモノト思料スル。
第二点判示第一事実ノ着服横領ニ付テハソノ証明ガ十分デナイ。
(一)判示第一事実ニ依レバ原判決ハ被告人小野田ハ「其ノ頃」即チ昭和二十三年三月中頃当時ノ自宅ニ於テ建物ノ売得金ノ中二拾二万ノ金員ヲ着服横領シタモノト判示シテ居ルガ原判決摘示ノ証拠ノミヲ以テシテハ右金員ノ着服横領ノ証明ハ十分デナイ。
抑々横領罪ガ成立スルタメニハ「自己ノ占有スル他人ノ物」ヲ不法ニ「領得」スルコトヲ要スルノデアツテ、コノ領得ハ他人ヲ排除シテソノ所有物ニ対シテ恰モ自己ノ所有物ニ対スルガ如ク所有権ノ内容タル権利ノ行使ヲ為スコトデアリ換言スレバ自己ノ占有スル他人ノ物ヲ「自己ノ所有物ト同一ナル支配状態」ニ置クコトデアルカラ、従テ少クトモ不法ニ領得ノ意思ヲ表現スル行為ヲ必要トスルノデアル。例ヘバ自己ノ所有物ナリトシテ民事訴訟ニテ抗争シタリ(昭和八年十月十九日大判)目的物ヲ抑留シタリ(明治四十四年五月二十二日大判)隠匿シタリ(大正十年十月十四日大判)預金トシテ保管中ノモノヲ払戻シタリ又ハ占有ヲ変改シタリ(昭和八年五月十八日大判)目的物ヲ費消シタリスル等ノ所為ニヨリ不法ニ領得ノ意思ヲ表現スルコトヲ要スルノデアル。
(二)仍テ判示第一事実ニ付テ被告人小野田ガ判示ノ如ク昭和二十三年三月中頃擅ニ二拾二万円ノ金員ヲ着服横領シタカ否カニ付テ原判決摘示ノ証拠ニ拠リ検討スルニ検察官作成ノ荒川[金圭]ニ対スル供述調書ニ依レバ本件建物ノ売買当日「小野田ハ私達ニ『モウ直グ金ヲ貰フ事ニナツテ居ルデ今夜俺ノ家ヘ取リニ来テ呉レ』ト云ヒマシタ……中略……ソノ晩志水ト共ニ小野田ノ家ヘ行キマシタ処家ノ前ニ自動車ガ停ツテ居リ……中略……私達ハ中ノ間ニ上ツテ店ノ間ニ行キマシタ処小野田ハゴツイ男ノ前デ着物ヲ脱イデ服ヲ着テ居リマシタ私達ガ挨拶ヲシマスト小野田ハ今カラ東京ヘ行カンナランデ二三日待ツテクレ帰ツテ来タラキチントスルデト云フノデ私達ハ小野田ヲ信用シテ帰ツテ来マシタ」旨ノ供述(同供述調書第三、四項)及「ソノ後志水ト共ニ三四回小野田ノ処ヘ行キマシタガ留守ノ事ガ多カツタト思ヒマス」旨ノ供述(同供述調書第五項)、「ソノ時小野田ハ『上前津ノ飯尾ノ処ヘ金ヲ預ケテアル』ト云ツタト云フ事ヲ聞キマシタノデ上前津ノ飯尾ナラ私ノ友達でアレニハ十五六万円ノ借金ガアリマシタノデ数日後ニ飯尾ノ処ヘ行キマシタ処同人ハ『小野田ガ三万円持ツテ来テ預カツテ呉レト云ツテ置イテ行ツタガ二百円足ランゾ』ト云ヒマシタノデ私ハ右ノ事情ヲ話シマスト飯尾ハ『ソレデハコノ金ハドウシヨウ』ト云ヒマスノデ『ソレハ小野田ガ預ケテ行ツタノデ私トシテハ四拾万円全額揃ハント受取レン』ト云ツテ帰リマシタ」旨ノ供述(同供述調書第五項)ヨリシテモ(松井三郎、志水清ニ対スル各供述調書モ日時ノ食違ヒアルモ略同趣旨)被告人小野田ハ前記売得金中二拾二万円ノ金員ヲ荒川[金圭]ニ支払フ意思ガナイモノトハ認定シ得ナイノデアル。
加之検察官作成ノ飯尾稔ニ対スル供述調書ニ於ケル飯尾ノ供述及証人飯尾はつよ同荒川[金圭]ノ各証言証第十三号「飯尾様勘定」ト題スル書面等ヲ綜合スレバ被告人小野田ハ本件建物ヲ売却後飯尾稔ニ対シソノ売却代金中合計十三万円ノ金員ヲ荒川[金圭]ヘ支払方ヲ依頼シテ右飯尾稔ニ右相当額ノ金員ヲ託シタコトハ明白デアツテ、コノ点カラモ判示ノ如ク被告人小野田ガ二拾二万円ノ金員ヲ不法ニ領得セントスル意思ヲ表現シタモノト推断スルコトハ出来ナイノデアル。
(三)判決例ヤ学者ノ見解ニ依レバ凡ソ裁判所ガ公訴事実ヲ認定スルニハ「確実且具体的ナ証明」トカ「飽ク迄合理的疑イノ余地ノナイ」程度ノ心証形成ガ必要デアツテ本件ノ如ク保管中ノ売得金ノ支払ニ付テ特定ノ期日期限等ノ特約ナク且右ノ売得金ノ一部ヲ費消横領シタトカソノ他不法領得ノ意思ノ表現ト確認セラル可キ所為ノナイ本件ニ於テ原判決ガ判示第一事実ノ如ク被告人小野田ガ売得金中擅ニ二拾二万円ノ金員ヲ着服横領シタモノト認定シタノハ畢竟理由不備若クハ審理不尽ノ違法ガアルモノト謂ハネバナラナイ。
加之被告人小野田ノ供述調書、同尋問調書ノ供述、証言、(尤モ証人松岡教修ノ証言ニ依レバ被告人小野田ハ本件取調当時記憶ハ常人ノ様デナク不確実ナモノデアルガ)証人山岡ちよノ証言ヲ綜合スレバ被告人小野田ハ本件建物ヲ荒川[金圭]ヨリ買受ケタモノデアツテ、従テ右荒川トハ単ナル債権債務ノ関係ニアルニ過ギズ且本件建物ニ付テ前述ノ如ク荒川[金圭]ノタメ買戻ヲナシタノミナラズ、右荒川及ソノ妻ニ対シ約定額以上ノ金員タル合計金拾六万五千円ヲ支払ツタ外同人ノタメ飲食費一万円ノ立替払ヲナシタノデアル。叙上ノ理由ニヨリ原判決ハ判示第一事実ニ付テ理由不備若クハ審理不尽ノ違法ガアリ刑事訴訟法第三百七十八条ニ則リ破毀ヲ脱レナイモノト思料スル。
第三点原判決ハ訴訟手続ニ法令違反ガアル。
本件記録中第五回公判調書ニ依レバ岡崎主任弁護人ヨリ本件建物ノ価格ニ付鑑定ノ申請ガアリ、之ニ対シ原裁判所ハ、ソノ採否ノ決定ヲ留保シタノデアル。而シテソノ後第一審終結ニ至ル迄一件記録中ニ於テ右ノ証拠ノ申請ニ対シ何等ノ決定ヲナシタル事跡ナク右ノ訴訟手続ノ違背ハ一件記録ニ徴シ判決ニ影響ヲ及ボスモノデアツテ刑事訴訟法第三百七十九条ニ則リ破毀ヲ脱レナイモノト思料スル。