名古屋高等裁判所 昭和28年(う)1110号 判決 1953年12月28日
控訴人 被告人 早川重子
弁護人 飯野豊治
検察官 竹内吉平
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は弁護人飯野豊治名義の控訴趣意書に記載されている通りであるからこれを引用するがこれに対する当裁判所の判断は次の通りである。
控訴趣意第一点について
原判決の挙示する各証拠を綜合すれば被告人はその女中として雇入れた初美事木村はつみが満十八歳に満たない児童であることを認識し同女が被告人方居室を使用し売淫するに因つて得た利益の一部を利得したい意図から情を知りながらはつみが原判示の期間に亘り自宅二階六疊間において数名の客に売淫をなすに際りこれが承認を与へ且つはつみが蒲団代等の名目で得た右売淫の対価を折半取得していた事実を認定するに足るべく従てこの事実に照せば被告人の所為は将にはつみに対し右の如き淫行をさせたものと認むるを相当とするが故に被告人にこれが犯意なかりしものであると主張する論旨は採用し難い。
同趣意第二点について
凡そ児童が第二の国民として健全に生育されることは国家社会の発展進歩を期するための重要な要請であつてその目的が達成されるか否かは将に国家社会の将来の運命を決する重要な事柄であると謂うべく児童福祉法第一条においてすべて国民は児童が心身共に健かに生れ且つ育成されるように努めなければならないすべて児童はひとしくその生活を保障され愛護されなければならないと規定して国民に児童の育成愛護の責任を負はしめるに止まらずその第二条において国及び地方公共団体は児童の保護者と共に児童を心身ともに健かに育成する責任を負うと規定して国民個人のほか強力な行政力を持つ国及び地方公共団体の法律的責任に帰せしめ以てその所期の目的を達成せしめんことを念願するのもこの故である、従つて国民は児童の生育に悪影響のあることは積極的にこれを防止或は排除するに努むべき事は当然の事であつて同法第三十四条第一項各号に掲げる行為は何れも児童の生育に悪影響を与へるものとしてこれが禁止を罰則により強制しているのも畢竟その遵守を確保せんとするの趣意に出たものにほかならない、然らば同法条第一項各号に掲げる行為は必ずしも所論の如く暴行又は脅迫等の不正な手段が随伴する場合にのみ局限すべき理由なく、本件の如く斯かる手段の伴はない場合であつても斯様な淫行の機会と場所を与えたと認むべき事情がある限り該法条第一項第六号に触れるものと解するを相当とするが故に毫も所論の如く罪刑法定主義(憲法第三十一条及び第三十九条)の原理に反するものではない、論旨も亦理由がない。
同趣意第三点量刑不当の主張について
記録を調査し原審において顕はれた証拠の内容を検討するに被告人の経歴、家庭の事情、資産状態、本件犯行の動機、態様その他諸般の情状に鑑み、所論の事情を斟酌しても原判決が被告人に対し罰金一万円の刑を科したのは相当であつて更にこれ以上軽減するの必要を見ない、論旨も採用し難い。
原判決には他に破棄すべき事由なく、本件控訴はその理由がないから刑事訴訟法第三百九十六条に則りこれを棄却すべきものとする。
よつて主文の通り判決する。
(裁判長判事 羽田秀雄 判事 鷲見勇平 判事 小林登一)
弁護人飯野豊治の控訴趣意
第一、原判決は事実の認定を誤まり犯意なき行為を有罪と認定した違法があり破棄せらるべきである。原判決によると「被告人は昭和二十八年二月始頃木村はつみをして自宅二階六疊の間に於て氏名不詳年齢二十五、六歳位の商人風の客に売淫せしめた」と認定し「前略使用の児童が売淫によつて得た対価を如何なる名義にもせよ折半して取得するのは売淫の便宜を図ることによつて児童に淫行させる行為に該当し云々」と云つて居るがはつみの検察官に対する供述調書によると(記録三三丁)当日は、はつみが客を二階の自己の部屋に泊めることにつき被告人の許しを得た事実があるだけで被告人とはつみとの間には同女の売淫によつて得た対価を両人が折半するなどの約束はまだ成立していなかつたが漸く同月末になつて被告人がはつみから預つてあつた金を返還する際に始めて折半して貰うことに話が成立したものである。して見ると判示の理論から云つてもはつみが右の売淫をする頃には被告人には児童に淫行させる犯意なかりしものと云わねばならない。原判決は被告人の犯意なき行為を有罪に認定した違法をまぬがれない。
第二、原判決は法律の解釈を誤り憲法第三十一条及び三十九条に違反しているから破棄せらるべきである。児童福祉法第三十四条には何人も左の各号に掲げる行為をしてはならないとして、その第六号に児童に淫行をさせる行為を掲げて居るがこれは児童が淫行をすることを禁止すべき義務を総べての人に負わしめたものではない。例えば児童を直接相手として性交することはその行為自体は不都合であるにしても本法が直接に刑罰を以て禁止している行為ではない。又純粋に児童自らの意思に基いて淫行した場合も本号に該当しないと考うべきである。(評論社コンメンタール社会保障法中児童福祉法第三十四條解説参照)児童を一定の場所に泊めておいて逃げようとすれば暴力又は脅迫により前貸金等をかさにして逃げることができないようにし客が来れば客を取らねばならない様な情勢を有形無形に造り上げていることが客観的に認められるときは本法により当然罰せられるべきであるが、本被告事件に於ては児童を暴力又は脅迫により逃げない様にしたのでもなく、又客が来れば客を取らねばならない様な情勢を有形無形に造り上げていたと云うこともなく木村はつみと云う不品行な児童が全く自発的に二十五、六歳の商人風の男及び今一名の男と云う特定せる男と性交を営み、その相手の男等から貰つた金の一部を被告人が貰つたに過ぎない。このことははつみの検察官に対する供述調書からも明瞭な事実であつて、被告人の行為は何等処罰に値しない行為である。原判決は「前略、之に反する論議は現下の実情に即しない」と簡単に弁護人の主張を退けているけれども斯くの如き説は裁判官のほしいままなる独断であると云わねばならない。児童福祉法第三十四条第六号が児童に外部より圧力を加えて児童に淫行させる行為を禁止している法意を不当に拡張して解釈し刑事責任なきものにまで之を負わしめるのは罪刑法定主義(憲法第三十一条及び三十九条)に反するものと云わねばならない。刑罰法規が或る無理なる解釈をしなければ現下の実情に即しないと云う点があつても新に立法せられるまではやむを得ないと云わねばならないと思う。
第三、原判決は量刑不当であるから破棄をまぬがれない。原判決は検察官の求刑懲役五月に対し罰金一万円を科した。本被告事件を仮りに有罪としても先ず懲役五月の求刑は出鱈目も甚だしいことで論議に値しないが罰金一万円も多きに過ぎると信ずる。東京高裁の昭和二六年(う)第五三五九号昭和二七年八月十二日第八刑事部判決によると本件よりも犯情甚だしく悪質(特殊飲食店街で数人の児童を抱え所謂売淫せしめていた)であるにも拘らず罰金一萬円であつたのに比べ本件の罰金一萬円は重きに過ぎ均衡が取れない。諸般の事情に照らし原判決は著しく刑が重いと信ずる。