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名古屋高等裁判所 昭和28年(う)1215号 判決 1954年6月24日

控訴人 被告人 市川尚志

弁護人 長屋潤

検察官 香川幸

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は、被告人の負担とする。

理由

本件控訴の理由は、弁護人長屋潤の控訴趣意書を引用する。

事実誤認の論旨について、

よつて案ずるに、本件工事現場の地形及び土質は、原審鑑定人松沢勲の鑑定書、原審証人松沢勲、同寺倉小蔵、野久一夫の各証言並に原審検証調書及び当審鑑定人越賀正隆の鑑定書によれば、高さ四、五メートル、長さ六十メートルの丘陵を切り取り幅二十五メートルの道路を開通する工事であつて、その土質は、上部に約一、五メートルの粘土質細砂層、その下部に砂質粘土層が殆んど水平に層を為して重なり、膠結度が低く、地盤としては、ぜい弱であるため、掘さく工事を為すに際しては、崩壊の危険があることが明らかに認められる。従つてかかる工事を為すに際しては、労働安全衛生規則第百十六条第一号に規定してある通り、作業個所の上部を切り落し、安全なこう配を保持し、又は適当な土留を設けると災害の危険を防止し得るが、切り取り個所にこう配を設けることなく、垂直の断面の下部の一部をくりぬいて土砂を崩壊させる方法によるときは、切り取り個所において工事に従事している労働者は、土砂の崩壊により、身体又は生命に危害を受ける危険のあることは、明らかである。前記規則第二号において、前記第一号のような安全な工事方法によることができないときは、看視人を置き、作業を監視させることを要する旨を規定しているが、前記の第一号によることができない場合とは、地形の性質上、上部から安全なこう配を保持して土砂を落すことのできない場合か又はかかる工事が可能であるとしても、緊急やむを得ない事情があつて、かかる安全な工事方式によることができない場合を指すものと解すべきである。而して緊急やむを得ない事情とは工事の完成が時間的に切迫して居り、若しこれに遅れるときは、他人の生命、身体、自由若しくは財産に重大な危難を及ぼす場合で、工事の危険より他にそれより高度の危険又は財産上の損害がある場合で、かかる事情がない限り、前記第一号の安全な方式による工事をしなければならないものである。単に第二号の方式によれば、工事の能率が上り、工事の時間が短縮せられるとか、又は工事の費用が少くてすむとか或は土砂運搬を請負つている人夫が短時間に多くの土砂の運搬ができて、土砂運搬の請負代金が多く取得できるという事由があるだけでは、前記の第一号により難い事由があるということにはならない。

本件について、これを見るに、被告人は、株式会社姫野組に雇われ、本件工事の現場監督主任として、経理及び労務管理その他工事施行に関する一切の権限を委任されていたもので、本件工事は、名古屋市瑞穂区東郊通りの直線道路約一キロ四〇〇メートルの一部であつて、請負契約締結日は、昭和二十五年一月三十日、竣工期限は、同年三月三十一日、工費七百万円で、右道路は、同年十月同市瑞穂グランドで開催された国民体育大会に必要なものとされていたものである。而して、工事に要する日時は、約二箇月であつて、若しこれに寸刻でも遅れると工事の目的に反するものであつたことは認め難いから、工事の完成が時間的に切迫していたものとは解することができない。本件記録を精査するも、右の二箇月に完成するには、前記規則第二号の方式によらねば、他に方法がなかつたとは到底認められない。却つて原審証人姫野勘治郎、同寺倉小蔵、同野久一夫、同伊藤清一の各証言を綜合すれば、本件工事において、被告人が自ら計画的に前記第二号の方法による工事を採用したのでなく、人夫が土砂運搬するのに、トロッコ一杯を単位として賃金を取得する約定になつていたので、こう配を作つて切り崩して行く方法では、能率が上らず、従つて賃金も少いため、第二号の方法を採用したものであつて、被告人その他の工事監督人が監督に当つて、一応は、これを制止しようとしたが、被告人等としても工事の完成を急いでいたため、これが制止について適切妥当な方法を執らなかつたことが認められる。第二号の方法によらねば、予定通り工事が完成しないとか又は姫野組又は名古屋市に重大な損害を与える虞れがあつた事情を認めるに足る適切な証拠はない。又前記第二号の方式によらねば、姫野組が本件工事によつて損失を受ける虞れがあつたとしても工事に従事する人夫の危険をおかしてまで右方式を採用することはできないものと解すべきであるから、第一号方式によることができない場合であつたと認むべきではない。

従つて、以上のような事情の下においては、前記第一号所定の方式による工事方式を採用すべきであつて、これを採用しなかつた被告人には過失の責任がある。更に前記第二号所定の工事方式によるとしても、看視人をつけ、適切妥当な監視をなさしめなければならないのに、原審証人橋本京治、同友山俊雄、同鏡淵鯉都雄、同和泉秀夫、同出川鉦敏、同寺倉小蔵、同野久一夫の各証言を綜合すれば、現場に看視人を置いてはいたが、専心監視に従事することなく、他の仕事をしながら監視したり又は、人夫が危険な方法で掘さくをし土砂を運搬しようとしているのを見て、これを制止するに適当な方法を採らなかつたことが認められる。又トロッコの線路と切り崩しをしている個所との距離も十分でなかつたことは、原判決挙示の証拠で認められる。従つて、本件工事について、前記第一号の方式を採用することができないので、第二号の方式によつたとしても、十分の注意義務を尽したものとは認められない。以上の通り原判決が被告人に対し過失ありと認定した事実に誤認はなく、論旨は、理由がない。

業務過失傷害致死罪が成立しないとの論旨について、

労働安全衛生規則第百十六条第百十七条の義務を怠り、労働基準法第四十二条第百十九条第百十九条第一号に触れる本件行為は、刑法第二百十一条の業務上の過失罪に触れる行為と認めることができるものであつて、前者は後者の特別法関係に立つものでなく、刑法第五十四条第一項前段の一所為数法に触れる行為と認めるのが正当である。本件のような工事を為す使用者は、前記の労働基準法及び労働安全衛生規則に定むる注意義務に従う業務上の義務があるから、これを怠れば、前記の労働基準法によつて処罰されると同時に刑法第二百十一条の業務上の過失罪に該当するのは当然である。而して被告人に前記業務上の過失があつたことは、前記説明の通りであるから、原判決が労働基準法違反の罪と業務上過失致死及び傷害の罪とを認めたのは正当で、論旨は、理由がない。

被告人に責任能力がないとの論旨について、

労働基準法第四十二条第百十九条の使用者とは、企業の軽営者ばかりでなく、被告人のように、経営者から委任されて、工事の現場監管主任となり、工事の経理、労務管理その他工事施行に関する一切の権限を有するものも指称するものであることは、労働基準法第十条によつて明らかである。原審が取り調べた証拠によれば、被告人は、本件工事の施行につき、株式会社姫野組の代表者から委任を受け、自己の自由裁量により、本件工事の施行を監督していたことが明らかであつて、右代表者の指揮命令によつて働いていたものではない。右代表者は、被告人を監督していたに過ぎないのである。果して然らば、右会社の代表者に本件刑事責任があるなしに拘らず、被告人に労働基準法違反の責任があることは疑を納れる余地がない。又被告人は、本件工事の監督主任として、工事の施行に関し、前記説明の通り、業務上の注意義務があつて、これを怠つていたから、被告人は行為者として業務上過失致死傷罪の責任を負担すべきである。前記会社の代表者と連帯又は連座して責任を負担するものではない。論旨は、理由がない。

よつて刑事訴訟法第三百九十六条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用は、同法第百八十一条により、被告人に負担させる。

(裁判長判事 高城運七 判事 柳沢節夫 判事 赤間鎮雄)

弁護人長屋潤の控訴趣意

一、原審には事実の誤認がある。先づ本災害事件に限定して、労働基準法関係の点から検討すると、同法が要求して居るところは(1)  総則的に、第四十二条に、「使用者は………設備………等による危害を防止する為めに必要な措置を講ぜよ」といひ、その(2)  具体方法としては労働安全衛生規則第百十六条に、崩壊の危険がある地盤の下で労働者を作業させる場合には、「一、適時安全な方法によつて作業個所の上部を切り落し、安全なこう配を保持し、又は適当な土留を設けること。二、前号により難いときは、看視人を置き作業を監視させること。」そして同法第百十七条に「土石の崩壊又は落下の危険がある堀さく個所と、その下方における積込、その他の作業個所との間には安全な間隔を置かなければならない。但し作業場が狭くやむを得ない場合に、看視人を置き作業を監視させるときは、この限りでない。」とあつて、本件土木工事を施工するに当つて施工者に対して法律が要求して居る命令事項は別記の条項以外何にもない。乃ち、本件に於いて被告人が労働基準法の責任を負はねばならぬとすると、右列記の条項に違反したか、どうかというに在る。

二、そこで、労働安全規則第百十六条の要求してる安全装置は無論第一次的には第一号であつて、なるべくはこの方法によることを建前として居ることは判つて居るが、事実問題として第一号に、よることが出来ない場合もあるから、そこに「ユトリ」を置いて第二号の方法によることを許して居る。即ち法は第一号によることが出来ない場合もあることを容認して居るが故に第二号に便宜方法を認めたのであるから第二号の方法によることを許される場合は第一号の方法によることが出来ない場合に限られるもので、第一号の方法によることが出来るにも拘らず第二号の方法によることを許されたものでは無論ない。然し第一号の方法によることが出来ない場合に第二号の方法によることは、その判断に誤りがなければ、その選択は施工者=被告人に任された自由才量の範囲に属する。別段、主務官庁の許可を必要とせぬのである。問題は第一号の方法によることが出来たかどうかと云う点から始まる。

三、そこで第一号の方法により難いとは如何なる場合を云うのであるか。無論施工者の得手勝手な、主観的判断は許されない。客観的に定めらるべき問題ではあるが、その客観的判断の基準となるものは、「現場の地形」だけに局限さるべきものでない。広く抽象的物理的の場合も当然含まれねばならぬ。何故なれば、「より難い」とは如何なる場合を云うのか、法律は別にその範囲を限定もして居らず、又示唆もして居ないから。その解釈は一つに法律的立場から決定さるべきである。

四、此の意味から本件は、第一号に、より難き場合に該当する。乃ち本件は地形的には第一号により難き場合では決してないが、抽象的物理的には本号に「より難い」場合に該当する。と云うのは、本件工事は昭和二十五年十月に全国から集まる国民体育大会事業の一貫作業として、西は市電堀田線牛巻より東は国民体育大会の催される会場の瑞穂区瑞穂グラウンドに通ずる副員二五米、延長一、四五〇米の名古屋市一等大路第三類第三線街路豊岡通新設築造工事で、昭和二十五年二月一日より同年三月三十一日迄の僅々二ケ月の間に完成せねばならぬ所謂突貫工事である。但し附近住家の移転電柱の除去、支品(マンホール等)が遅延した場合は、施工者の責任ではないから未完成の部分については一ケ月猶予すると云うことで、金七百五十万円で、請負つたものである。

五、そこでこう云う期間に制限され、工事費に、制限せられた事情の下に、工事を進めて行く上に、第一号の方法による工事が出来るか、どうか、と云へばそれは出来ない。第一、日時の点に於いて、第二、経費の点に於いて、第一、第二、孰れの点に於いても第一号の方法によるときは、倍以上の経費と、日時を要する。これ第一号の方法によることが出来ない場合に該当するものではあるまいか。或る者説をなして曰く、完成日時の点、経費の点で第一号によることが出来なかつたならば、工事を請負はずに置けばよかつたではないか。と云う趣旨は、本件は第一号により難き場合に該当させぬというのである。こう云う論理は形式論理に捉はれ、法の活きたる方面の活用を識らざる人の無責任な議論としては可なり。法と人間生活調整の為めその地位に在る人ならば、そう云う暴見は抱かれぬであろう。乃ち、第一号による時は経費及び日時に倍以上を要するに、名古屋市の要求するプランでは、神力を以つてしても、第一号により難き場合で、これは現に第一回昭和二十五年二月十八日の災害事件の後のことである同年三月二十五日、愛知県労働基準局、愛知県建設業協会、東海土建衛生研究会「災害疾病予防強調週間実施に関する説明会」に於いて基準局の迫課長も、本件は第一号により難き場合であることを業者の難誥に答えて認めて居る。監督官である労働基準局が、既に第一号により難き場合であると認めて居る以上裁判所が、「さにあらず」と云うは強いて法に「マッチ」させん為めの解釈である。原審判決は「地層としてはぜい弱であるため、之れを切り取るときには土砂が崩壊する危険の地盤である。従つて被告人は右丘陵の切り取り工事に際しては、その上部から順次切り落し、安全なこう配を保ち又は適当な土留を設けるなど適時安全な方法を講じて土砂の崩壊を防止すると共に、切り取つた土砂を積み込み運搬するトロッコのレールは丘陵の脚部より十分離して、土砂崩壊の場合の逃避の障がいにならぬような措置を講じなければならない義務がある」と、その理由中、(第二丁表)に説明して居る。即ち原判決は第一号によるべきであるという建前の下に、現実を無視してトロッコのレールは崩壊土砂が災害を防止する程度に離れて居らなかつたから不可い、と云うに在るが、弁護人の主張は労働基準局も認めて居る通り第一号にはより難き場合である。それを原審は第一号によるべきであると断定したのは事実の認識を誤り、独自の見解に基き、第一号によるべきものとしたもので、これは基準局も認め、且つ事実出来ないものであつたものを強いて原審が此の第一号によることを要求したもので、これを前提として被告人を基準法違反に問うたのである。

六、しかし、それは原審の独断であつて、第一号により難きは事実問題として明らかで基準局の立場よりも認めて居るところである。要は第二号によつたかどうかの問題が次に来たる。第二号の要求するところは「看視人を置き作業を監視させること」とある。被告人の責任はこれを無視したか否かに因つて決まることである。無論形式的に看視人を置いた、とか、作業を監視させたとか御役目的な、形式さへ整へばよいとの趣旨では無論あるべきではなく、その狙う所に重点を置くべき趣旨であるが、被告人は単に形式的に法の条件を充たしたものでない。即ち、一、第一回の昭和二十五年二月十八日の災害の時も常置監視人二人を置いて居るし、これは法には人数を要求して居ないから一人でも二人でも良いのであるが-。又掘さく個所とトロッコ軌道との間隔は一米八置いてある。二、次に第二回同年三月二十五日の災害の時には常置監視人二人の外に巡察看視人たる人都合五人を置き掘さく個所とトロッコの間隔も二米に拡げた。掘さく用の鍬は前後共柄の長さ一間のものを用ひ、遠方から土をかきとらせて居た。そしてこれ等の事は能率に影響するけれども、それを忍んだ乃ち、被告人は法を形式的に護ればよいというのでなく、真に法の精神に副う様努めたが故に第二号の方法を満たすのみならず第一号の方法も取り入れ上部を切落し、安全なこう配を保持し、土留を設くることに務めたのである。ところが、上部は比較的硬質な土質なのに下部掘さく個所は軟弱であるのと、土工は一車金十五円の請負制度である関係上、施工者が労働安全衛生規則に定める工事方法を命令しても兎角軽視する傾があり、現に昭和二十五年三月二十五日の災害にしても、時適々昼食時であり、直に積取り作業を止むべき旨命令したるにも不拘、前述の通り一車にても余計に積込まんとの職業的意慾に駈られ、監視者の注意に耳を藉さず、災害の犠牲になつたものである。(現に命令に従つたものは災害を受けて居らない)斯る事情の下にては、被害の責任は寧ろ被害者に在ると云わねばならぬ。かの踏切りの遮断機を越えて列車に轢かれ、人の手を払つて水に溺るるものの責任の否が孰れの側にありやを決すると異ならない。原審は結果から見て、結果が発生したからその責任ありとの見解において見うるが、これは本末を誤つた推論であつて、結果は第二次的である。第一次的には被告人が、法が要求するところに違背したか否かが責任の帰趨を決するもので、法に違背したから、結果に対する責任が生ずるので、結果があつたから法に違背したと決するは非である。結果から判断すれば、万事責任ありと牽強附会し得る。昨秋、宮城に発生した天井の落下、その以前に発生した稲沢の公民館の日研式天井の落下これは何れも科学的立場より安全を保障されて居乍ら、発生したる事故であるが、この程度に至れば工事施工者の責任範囲外に属する、所謂不可抗力に属する。本件につきても、仔細に記録を点検せらるるときは、被告人は法に要求する以上良心的に災害の予防につくして居る。それをして被告人に責任ありとするは、結果のみを見て、強いて、被告人に責任を問はんとするものである。世事結果のみ見れば総べて悪である。被告人には、労働基準法違反はない。

七、次に業務上過失傷害致死の問題であるが、これは特別法の関係に在りとも云える労働基準法及び労働安全衛生規則に吸収さるべき性質のものであると思うのであるが、二個の法令に触るるとしても、業務上過失致死傷の点についても、矢張り被告人に責任はない。如何となれば、本犯罪成立要件としては「業務上必要なる注意」を欠いて居ることである。既に続述した通り、被告人は業務上必要なる注意をして居たもので、決して業務上必要なる注意を、粗略にしたり、放漫にしては居なかつた。果して然らば犯罪成立要件を欠いて居る。本件災害事故は、被告人の業務上必要なる注意を離れた、不可抗力である。不可抗力に対しては如何なる結果が生じようとも、それは、被告人の責任ではない筈である。結果から帰納して、被告に責任ありとするの非なることは前項に於いて既に述べた通りである。

八、次に、被告人の責任能力である。原審は被告人は右工事の現場監督主任として、経理労務管理その他工事施行に関する一切の権限を会社より委任され現場に臨んで工長労務者を指揮監督していた」と被告人一人のみに責任を負わし、実際の権力を持つ社長を不問に附したが、これは片手落ちである。社長に責任がなければ、被告人にも責任なく、被告人に責任があれば、社長にも責任がなければならない。寧ろ、事情としては、被告人は「工事施工に関する一切の権限」と云うも、被告人が自由に振舞へる筈のものでなく、一つに社長の指命に従わねばならぬ立場にあるから法が連座式処罰方法を採つて居るならば格別、然らざる限り、其権限、権力を持つて居ないものに、責任を負わせることは、彼の赤子に法を強ゆると少しも異ならない。乃ち、此点でも被告人に責任ありとするは非である。

九、以上の理由なるにより被告人は孰れの点よりも無罪というべく従つて原審は破毀せらるべきものと信ず。

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