名古屋高等裁判所 昭和28年(う)546号 判決 1953年7月28日
控訴人 被告人 長塚まき
弁護人 小野久七
検察官 浜田善次郎
主文
原判決を破棄する。
本件を名古屋地方裁判所に差戻す。
理由
本件控訴申立の理由は弁護人提出の控訴趣意書記載の通りであるから右の記載を引用する。
職権を以て原審判決と記録を調査するに、(一)被告人には昭和二十五年十一月二十五日名古屋地方裁判所言渡(同年十二月十日確定)賍物寄蔵同収受罪懲役一年(但三年間執行猶予)及罰金一万円の確定判決がある。従つて原審認定の各公訴事実は前記確定判決の日を以て二分され刑法併合罪の規定に従つて判決確定前の事実と判決確定後の事実に付て夫々刑の言渡がなされなければならない。原審検察官も論告求刑に於て其趣旨の意見を述べている。然るに原判決は之に対して刑法第四十五条前段の併合罪として懲役一年二月罰金一万五千円の量刑をしている。或は原審は前記確定判決の存在を看過したのでなく前記確定判決は恩赦減軽による執行猶予期間の短縮により原判決当時刑法第二十七条により刑の言渡は其効力を失い確定判決が其存在を喪つたものとして右の如き結論に出たものとも考えられるが前記判決に於ては体刑に付てのみ執行猶予の言渡がなされているのみならず元来刑法第二十七条に所謂刑の言渡は其効力を失うとあるのは具体的な刑言渡の効力を将来に向つて消滅させるだけで有罪の確定判決のあつたと言う事実自体を抹殺する趣旨ではない。従つて執行猶予期間満了後と雖も刑法第四十五条後段の適用上確定裁判ありたるときと言うを妨げない。従つて前記確定判決の存在を考えない立場の下に為された原判決は失当である。
(二)次に原判決第三の覚せい剤取締法違反の事実に付て昭和二十七年四月十六日付起訴状に於ては被告人が昭和二十六年九月十日から同年十二月二十日までの間十回に亘つて水野みね子より覚せい剤を譲り受けたる事実を其都度の日時場所数量代金額を特記して訴因を記載している。これに対して原判決は「昭和二十六年九月十日頃より同年十二月二十日頃までの間前後十回に亘り名古屋市中区英町三丁目三番地の自宅外一ケ所に於て水野みね子より覚せい剤であるネオバンプロレ注射液一cc入千四百八十本位を代金一万千二百円位にて譲受け」と概括的に表示している。覚せい剤取締法第十七条第三項違反の犯罪は常習賭博犯や私医業犯の如く営業犯又は慣行犯と言われるべきものでなく個々の譲渡又は譲受が犯罪を構成するのであるから数個の取引があれば起訴状の訴因に於ても判決の事実摘示に於ても取引の個数に応じて個々の取引を出来得る限リの明確さを以て個別的に表示し個別的に法令適用がなさるべきものである。而して原判決の前掲記の表示を見ると本件一群の取引を単一の犯意に基く単一の行為と認めたものとは到底考えられない。又引用の証拠によれば起訴状記載の事実のあつた日時の間には起訴状に表示されていない同種の他の取引のあることも窺えるのである。之では刑事訴訟法第三百三十五条の犯罪事実の具体的摘示として完全なものとは言い得ない。
(三)更に原審第十四回公判廷(昭和二十八年一月三十日)に於て検察官は原判決第三の事実の被告人の認否に引続きその立証として被告人(自白)及水野みね子の各検察官供述調書謄本の取調を請求し被告人に於て刑事訴訟法第三百二十六条の同意をなし原審は之を採用して被告人供述調書(自白)水野みね子供述調書の順序に取調をしている。証拠調請求の順序の当否は暫く措きこの順序による取調は刑事訴訟法第三百一条の規定に反する違法な手続であること明白である。右の認否以前の第十三回昭和二十七年十二月十二日公判廷に於て被告人の前科調書起訴猶予調書身許調書の証拠調がなされていることは右の結論に影響がない。
(四)尚又原審が若し原判決第三の事実を起訴状記載の内容の通りに個々の十回の独立した行為として認定したものとすれば判決に於て引用した証拠は前記供述調書謄本二通のみであり被告人の自白調書は起訴状の訴因に照応する十回の取引の供述となつているが、之の補強証拠である水野かね子の供述調書では九回の取引で昭和二十六年十月七日頃の二百本の取引に関する供述記載はないので此部分に付ては刑事訴訟法第三百十九条第二項に違背して補強証拠の裏付けなき被告人の自白又は自白調書のみで犯罪事実を認定したことになる原判決には如上掲記の如き法令違背訴訟手続違背があり右は判決に影響を及ぼすこと明かであるから控訴趣意書記載の量刑不当の論点に判断を為さず原判決は之を破棄すべきものとし刑事訴訟法第四百条により原判決を破棄し事件を原裁判所に差戻すべきものとして主文の如く判決する。
(裁判長判事 高城運七 判事 柳沢節夫 判事 赤間鎮雄)
弁護人小野久七の控訴趣意
被告人に対する原審の判決は刑の量定に於て不当である。本件各公訴事実は被告人の認むるところであるが被告人が本犯を為すに至つたのは窃盗犯である加藤実こと田端博と知り合つて同人を自宅に住込ませるようになつて同人と醜交さえするようになり又被告人方が古物商を営んでいたが之を廃業して菓子屋を営み僅に生計を立てていたが内縁の夫中野久松は十二年前から骨膜を病み全然働くことができず外に孫もあつたりして夫の医者の支払や生活に苦しんでいた矢先前記田端博が出入していたので話しをしたところ田端は被告人のため金を提供したり犯行を重ねて之を助けたので被告人はついに田端との醜関係生じ之を止めることが出来なかつたもので被告人の前科の事実が既に斯る事情から犯されたものであつて今回の犯行は其の延長に過ぎないことは原審が証拠とした証人田端博に対する裁判官の証人尋問詞書、同人の上申書、被告人に対する司法警察員、検察官の各供述調書に依つて明白である。
被告人は義務教育さえ受けず僅八歳のときから芸者屋にやられ尓来人生の辛苦を嘗め成人している者であるが田端博と関係を生ずるまでは犯罪に関係したことはなかつた者である。被告人が女性として経済的自立の力に乏しく殊に夫は永い間の病気で生活力を欠き加うるに子供を擁していては生活苦の為田端との関係を精算し切れずに透引されたは已むを得ないと思われる。
被告人は今回の犯行について原審公判廷は勿論当初捜査官に対しても一切を自供確認し「私は此の度の事は早く自首しようと思つて居たがゆう子や伊藤節子や勝野や北山の鬼頭の関係があり今迄伸び々々になつて居りました誠に申誠なかつたと思います」(第一回供述調書記録七〇丁参照)と述べていることで明白の如く犯行を深く悔悟し改悛している者である。
原審は斯る被告人に対し懲役一年二月及び罰金壱万五千円に処したのであるが被告人には昭和二十五年十月前科の事実があつで懲役一年、三年間の執行猶予罰金壱万円に処せられていて今回の犯行は前刑の執行猶予中の犯行であつて若し今回実刑を科せられるとなると前刑は取消となり前刑と併科せられることとなり相当苛酷となるけれども改悛した被告人はその責任上その処刑に甘んずるとしても被告人には前述の如く生活力を失つた夫や子供を養護する責任があるのであつて被告人が右処刑を併せ受くるとなると延いては被告人の一家は寔に悲惨の運命に蓬著することは明瞭であるので原判決を破棄し更に軽い処刑を求むる為に茲に控訴の申立をする次第である。