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名古屋高等裁判所 昭和28年(う)763号 判決 1953年10月07日

控訴人 被告人 玉鐘錫

弁護人 梅山実明

検察官 神野嘉直

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役参年に処する。

理由

本件の控訴の趣意は弁護人梅山実明名義の控訴趣意書に記載されている通りであるからこれを引用する。

控訴趣意第一点について

告訴権は刑事訴訟法上被害者に認められた権利であつて本件の如き所謂親告罪にあつては告訴の存在は公訴提起の必要的条件をなし、その法律関係は国家と被害者との間に存する公法上の関係であつて同法に告訴の取消に関する規定があるに拘らず、これが抛棄について何等の規定を設けなかつた点より観察すれば告訴前にその権利を抛棄することは法の認めない精神であると解するを相当とする、然らば即ち仮りに論旨主張の如く被害者より警察官に提出した上申書中告訴権抛棄の意思を含むものであることを認め得るとしても、これに因り法律上何等告訴権消滅の効果を生ずるに由なきものと謂はざるを得ない、論旨はその理由がない。

同第二点について

原判決の事実摘示を観るに被告人は暴行脅迫により既に抵抗不能に陥つている同女を強いて姦淫しと判示していることは所論の通り相違ないところであるが右に所謂抵抗不能とは即ち被害者が精神的に抵抗の気力を失つている状態を指摘しているに過ぎないものであること原判決挙示の各証拠を綜合して容易にこれを肯認し得るところであつて刑法第百七十八条に所謂抗拒不能とは身体上も全く反抗不能の状態にあるを謂うものであるから未だこのような状態に至つていない精神的な気力喪失の状態にあるに過ぎない婦女を強いて姦淫した場合は明らかに刑法第百七十七条前段に該当するものと謂うべく原判決が原判示の事実に対し同法条を適用したのは相当であつて所論の如き法令適用の過誤はない、論旨はその理由がない。

同第三点について

原判決挙示の各証拠の内容を検討し彼此綜合すれば優に原判示第一の(1) の強姦の事実を認定するに足るべく、記録を精査するも右認定に重大なる過誤ありと認むべき事情はないから論旨もその理由がない。

第四点について

原審において取調べた総ての証拠により認め得る被告人の前科、経歴、家庭の状況、資産状態、本件犯行の動機、態様、共犯者との量刑上の均衡、被害者に対する慰藉料の支払その他諸般の情状に照せば原判決が被告人に対し懲役三年六月の刑を科したのはその量刑やや重きに過ぎるものと認むるを相当とすべく、原判決はこの点において破棄を免れない。論旨は結局理由がある。

よつて刑事訴訟法第三百九十七条に則り原判決を破棄し且つ原審竝に当審において取調べた証拠により直ちに判決をなし得るものと認め同法第四百条但書により更に本被告事件につき次の通り判決する。

当裁判所において認定した罪となるべき事実、前科及その証拠は原判決に摘示するところと同一であるから茲にこれを引用する。

法律に照すと被告人の所為中強姦の点は刑法第百七十七条前段第六十条に、窃盗の点は各同法第二百三十五条第六十条に、外国人登録法違反の点は同法第十八条第一項第七号第十三条第一項に各該当し外国人登録法違反の罪については所定刑中有期懲役刑を選択するが、前科があるから各罪の刑に刑法第五十七条第五十六条第一項を適用し強姦の罪については同法第十四条の制限内においてそれぞれ累犯の加重をなし、以上は同法第四十五条前段の併合罪であるから同法第四十七条第十条第十四条に従い最も重い強姦の刑に法定の加重をした刑期範囲内において被告人を懲役三年に処すべきものとする。

よつて主文の通り判決する。

(裁判長判事 羽田秀雄 判事 鷲見勇平 判事 小林登一)

弁護人梅山実明の控訴趣意

第一点、原判決には訴訟手続に違背があり該違背は判決に影響を及ぼすこと明らかである。原審は、弁護人の本件被害者中村明子は一旦告訴の意思無き旨警察官に対して明示したのであるから右意思を変更してその後告訴の意思を表示してもそれは無効であるから本件強姦の起訴は公訴棄却の御判決あつて然るべきであるとの主張を採用されていないのであるが、斯る原審の判示は法令の解釈を誤り延いては訴訟手続を誤つたものであると思料する。即ち、記録を精査するに、被害者中村明子は被害に罹つた当日(四月二十二日)警察に於て上申書(二三丁)を提出して居り、それをみると右明子は同人が被告人等に強姦された事は自己にも落度があるから加害者を告訴して処罰を求める意思の無い事を明示しているのである。而して斯る場合に、以後意思を変更して告訴することが出来るかに就ては直接明文は見当らないが、告訴の取消の規定の趣旨から判断すると斯る場合には以後告訴出来ないと解するのが妥当である。即ち、刑事訴訟法第二三七条には「告訴の取消をした者は更に告訴をすることが出来ない」旨規定されているのであるが、茲に所謂告訴の取消をした者の意味するところを勘案するに、結局これは告訴をしない旨を官に明示した者を指すと考えられる。何故ならば、告訴の意思無き者が最初から告訴の意思無き事をわざわざ告げる為に官に赴く事は訴訟法の豫想しないところであり斯る場合の明文を設けないのは了解するに苦しくないところである。而して、告訴をしない意思が実際問題として表現せられるのは、それが一旦告訴され事件として取上げられた後取下げという形によつて一般に判明すると謂はねばならない。最初から告訴の意思無き者は多くは被害を申告しないからそれは事件として取上げられる機会は殆ど少く斯る場合には告訴の意思の問題も起らずに終つてしまうと看られ此の場合には訴訟法以前の問題であり訴訟法として告訴の意思無き旨の申告と云う事は告訴の取下という形態でしか現はれて来ないと云はねばならない。従つて訴訟法としては告訴の意思無き旨を申告した者という言葉を使はずに告訴の取消をした者という外面的形式を捉えた言葉を使用しているものと考えられる。一旦告訴の意思無き旨表示した者が後になつて告訴出来ると解すれば告訴の取消をした者は尚更後になつて又告訴出来るとしなければ甚だ趣旨が一貫しないと謂はなければならない。実際問題としても誤つて告訴の意思無き旨を申告するというが如き事は殆ど考えられず、斯る場合に後に告訴出来ないと規定しても何等実害は無いと思料されるのであるが一方、告訴の取消の場合は往々欺されるとか脅かされるとかして取消をする場合が推測せられるのであり斯る場合に再び告訴出来ないと規定する事の方がより危険であると謂うべきである。本件具体的場合に於ても、告訴の意思無いと看るのが記録全体から得られる心証であり後に告訴出来るとの見解からの捜査官の取扱いによつて被害者は反つて迷惑をしたと認められるのである。大要以上の理由に依り、一旦告訴の意思無き旨を明示してある以上は後になつての告訴は無効と解するのが妥当であり本件は公訴棄却の判決こそ強姦の起訴事実に対しては正当な判断であつたと謂はねばならず、原審は此点違法があり破棄を免れぬものと信ずる。

第二点、原判決には法令の適用に誤りがありこれが判決に影響を及ぼすこと明かであると信ずる。原審は被告人に対する強姦の事実として「○○○次で被告人玉鐘錫は山田と交替して同所で前記暴行脅迫により既に抵抗不能に陥つている同女を強いて姦淫し」と判示し、刑法第一七七条を適用されているのであるが、右判示自体から看れば寧ろ第一七八条が適用されて然るべきであると考えられる。此の点、原審には法令の適用に誤りあるものと思料する。

第三点、原判決には事実誤認があり右誤認は判決に影響を及ぼすこと明かである。原審は、被告人の犯罪事実第一の(一)として、「被告人両名が山田某と共に意思を通じて中村明子を強姦しようと企て」とか、「抵抗不能に陥つている同女を強いて姦淫し」等の如き事実を認定して居られるが、斯る強姦に就ての共謀の事実並に強いて姦淫した事実は本件記録上からは到底これを認めることが出来ない。即ち、被告人両名の供述は勿論であるが証人山北憲一(二八二丁以下)の証言に依るも被告人両名が山田某と中村明子に対して意思相通じて強姦を企てたと認めることは到底出来ないところである。山北は証言に於て、山田某が女の方から帰つて来てナイフなど見せたりする迄は被告人等三名を夜警の人だと思つて居たと(二八二丁)述べて居り、同人と女とを別々にして一人宛訊問しているのだと考えていたと証言しているが、斯る証言によつてみても被告人等の態度が最初から強姦を企てての態度でないという事が推量出来、山田某が中村明子を姦淫するに至つたのは結局は最初は只アベツクの二人連に対して揶揄う積りであつたのが女が黙つていて返事をしない等の態度から誘発されたものとみられるのである。被告人の如きは最初から終りに至る迄一度も脅迫めいた言動のなかつたことは右山北証人の明言(二八四丁)するところで只、山北の名前を聞いて「聞いた事のある様な名だなあ」と云つたきりで被告人田島と山北の話を聞いていたにすぎないのである。而して、被告人は、強姦の事実に就ては、「中村明子を姦淫した事は認めるが無理にしたのではない」(二九二丁)と述べているがこの事は中村明子自身の供述並に被告人の警察の自供からみて十分推認出来るところであると謂はねばならない。即ち、中村明子なる女は、当時毛網工場の女工をして居たのであるが山北憲一と関係を結ぶ以前にも他の男と関係していた(二七七丁山北証言)ことが認められ、当時十八才の女性として極めて貞操観念の薄い女性であつたと謂はざるを得ない、而も事件当夜山北と関係した直後であり尚其上山田某にも姦淫された後であるから右明子としてはそれ程自己が姦淫される事を苦にしていなかつたのではないかと推測せられ、被告人が無理にしたのではないの供述は事実の真相を物語つて居るものと判断されるのである。此の点に就ては、今一度中村明子を証人として御訊問願えば被告人の供述が十分裏付け得られるものと信ずる次第である。敍上の次第にて、原判決には重大なる事実誤認あるものと謂はねばならずその判決に影響を及ぼすこと明かである。

第四点、原審の量刑は不当である。原審は被告人に対する強姦窃盗、外国人登録令違反の各事実を認め被告人に対し懲役三年六月の刑を科せられたのであるが(一)本件強姦の事実に就ては被害者が最初から自己の落度をも認めて告訴の真意を欠いて居り一審判決後告訴の取下げまでして告人との間に示談成立した事。(二)外国人登録令違反についても、登録証明書の交付は受けていたのであるが偶々質屋に預けて居て所持していなかつたというのであり犯情としても十分憫諒に値すると思料される事。等考慮して戴けば右一審判決の量刑は重きに過ぎたものであると御認定賜つて然るべきものと信ずる。

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