名古屋高等裁判所 昭和31年(う)812号 判決 1956年9月24日
被告人 提順造 外一名
原判決が被告人両名に対して無罪の言渡をしたのは、右両名がF子の年齢を確知しなかつたことにつき、過失の責むべきものがないからというのであるから、その当否について案ずるに、本件記録並びに証拠によれば、被告人両名が右F子を使用するに際り、その年齢につき調査を為し、又は知り得た事実は次の通りである。即ち、同人はK子と称し、生年月日は昭和十一年一月十三日、本籍は秋田県○○○郡○○村と答え、時には女学校を出て居り、二十二歳といい、米兵と同棲し、又は姙娠したようなこともいつて居り、その容姿も右年齢位に見えたので、被告人等は一度昭和二十九年十月頃、右○○村役場に右K子名義で、戸籍抄本の交付を求めたところ、同役場より同地には本籍がなく樺太であるため右抄本の請求に応じることができないという回答をして来たので、一時はソ連領事館に照会しようかと思つたが、国交関係もあるので思い止まり、本人の言を信じて雇うことになり、結局右F子をして淫行を為さしめたことを認めることはできるが、被告人両名がそれ以上の観察又は調査を為すなど、年齢確認の措置を執つたことを認めることができない。被告人両名はその答弁において、F子の親Gに対して、米穀通帳並びに移動証明書の提出を求めたが、その返答がなかつたと論ずるが、右は当審に至つて初めて主張したことであり、且何等の証拠もないので之を認めることはできない。
児童福祉法第六十条第三項には、児童を使用する者は児童の年齢を知らないことを理由として、前二項の規定による処罰を免れることができない。但し過失のないときはこの限りでない。と規定しているので、同条項の法意から考察すると、被告人等が為した前記調査その他の年齢確認の程度では、未だF子の年齢確認について社会通念上通常採り得べき十分な措置を採つたものということはできない。蓋し、若し右F子の戸籍抄本の交付を受けることができなかつたとすれば、更に同人の住民登録、米穀受給、移動証明の点などにつき、詳細且慎重な調査を為す必要があり、右調査をしていたとすれば、必ずや同人の年齢を確認することができたと思料せられるのである。この点は、当審において検察官の提出した秋田県○○○郡○○町(旧○○村)長認証の住民票抄本によれば、右F子(抄本にはFとある)の生年月日は昭和十二年八月六日であることが確認できるのであるから、被告人等も前記調査をしていたとすれば、案外容易に右年齢を確認できたと思われるので、被告人等としては前記程度の調査を為すべきであつたものといわなければならないにも拘らず、同人等が戸籍抄本の取寄せができなかつた事を以て、他に格段の措置を講じた事迹もなく、右F子の外観的発育の程度と同人の言のみを過信して、漫然同人を雇入れ之に淫行を為さしめたことは、年齢確認の点において被告人等に過失の責なしとして、無罪の言渡を為したことは、前記法条に規定する過失の有無についての法律的判断を誤つたものであり、その誤は明らかに原判決に影響を及ぼすべきものである。検察官の本論旨は結局その理由がある。
尚被告人両名の答弁趣旨中、本件小料理店は被告人提たま江の名義であり、同人のみの経営であるから、本件犯行も被告人両名の共謀でないという点については、本件記録中の各証拠殊に被告人両名の司法警察員及び検察官に対する各供述調書によれば、該小料理店は被告人たま江の名義ではあるが、両名の共同経営に係り、又本件F子の雇入れについても、両名はよく協議を為した上、之を決行したことが認められるので、共謀の犯行と認めるのが相当である
よつて、刑事訴訟法第三百九十七条第三百八十条に依り、原判決を破棄し、同法第四百条但書に依り次の通り判決する。
当裁判所において認定した被告人等の犯罪事実は、
被告人両名は共同して、岐阜市神田町七丁目十四番地において、小料理店「たつみ」を経営している者であるが、共謀の上、昭和三十年三月一日頃から同年五月五日頃迄の間、右料理店において、昭和十二年八月六日生の児童であるK子ことF子をして、氏名不詳者六十五名位に対して売淫させ、以つて児童に淫行させたものである。
(裁判長判事 高橋嘉平 判事 伊藤淳吉 判事 梶村謙吾)
別紙(原審の児童福祉法違反被告事件の判決)
本籍 岐阜県本巣郡穂積町馬場八八〇
住居 岐阜市神田町七丁目一四番地共栄街内
小料理店営業(「たつみ」) 堤順造 大正三年五月二十二日生
本籍 岐阜県本巣郡穂積町馬場八八〇
住居 岐阜市加納大黒町二丁目
小料理店営業(「たつみ」) 堤たま江 大正九年六月五日生
主文
被告人両名は無罪
理由
本件公訴事実は
「被告人両名は、共同して岐阜市神田町七丁目十四番地において小料理店を経営している者であるが、共謀の上、昭和三十年三月一日頃から同年五日五日頃迄の間、右営業所において児童であるF子(昭和十二年五月六日生)をして氏名不詳者六十五名位に対し売淫させ以て児童に淫行させたものである」
と謂うにある。
按ずるに児童福祉法第六十条第三項には「児童を使用する者は、児童の年齢を知らないことを理由として前二項の規定による処罰を免れることができない。但し過失のないときは、この限りでない」と規定している。而して本件記録によるとF子が前記の日時頃岐阜市神田町七丁目十四番地共栄街内の被告人等経営の小料理店「たつみ」方にて売淫行為をしていたこと、被告人等がF子をして、右店舗設備を利用せしめ、F子から約定の利得を得ていたことは認め得るところであるが、しかしまた本件記録によるとF子は昭和二十九年春頃外人兵と知合になつてこれと同棲し外人兵と共に被告人順造が外二名の者等と共同経営している岐阜市神田町七丁目松屋洋品店二階にあるカフエにも屡々出入したことがあつて順造とも顔みしりであつたが、昭和二十九年十月頃右外人兵が本国に帰還するに及んでF子は下宿代、食費の支払に窮したのみならず自殺の意志も生ずる有様であつたので生活の方法をたてるため被告人等の経営する「たつみ」に雇われることを順造に頼んだこともあつた。それで順造はF子に年齢等をきいたところ、F子は名はK子といい、昭和十一年一月十一日生れで、本籍は秋田県○○○郡○○村であると語つた。被告人順造はK子事F子の本籍を調査せんとしたところ秋田県の右役場からはF子の本籍は樺太にあるのでF子の戸籍抄本は送れない旨の回答があつた。それで順造はソ連領事館宛照会せんと考えたが国交関係もあるのでそれをやめ、本人F子の言を信用して雇うに至つた事情を看取することができる。
左様なわけで、被告人順造等がF子を雇入れた当時F子は満十七年十ヶ月ぐらいに達していて十八才には僅かに二ヶ月不足していたのではあるが、F子が外人兵に棄てられ生活上困つて雇われることを依頼したこと普通人としては外人兵と同棲しているような女が十八才未満の児童であろうとは考えにくいこと、F子の本籍が樺太にあつたためF子の戸籍抄本も容易に入手し難い状態にあつたためF子の戸籍上の年齢を確知し得なかつたものであることを考えると被告人等としては、F子の年齢につき錯誤に陥つたとしても何等過失の責むべきものがないものと謂はねばならぬ(F子の年齢については昭和十二年五月六日生れが正しいと思料されるが、F子は当法廷においては昭和十二年八月六日生れといつているようなあいまいな状態である点からしても、F子の年齢を絶対的に正確に探究しなければならぬというのは被告人等に難きを要求するものである。)
以上のような次第であるから本件は児童の年齢の点に関する錯誤につき過失の責むべきものがないから、犯意を阻却するものと謂うことを得べく、従つて刑事訴訟法第三百三十六条により被告人等に対し無罪の言渡をなすべきものとする。
仍て主文のとおり判決する。
(昭和三十一年六月二十七日岐阜家庭裁判所 裁判官 武田雄一)