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名古屋高等裁判所 昭和33年(う)574号 判決 1959年4月06日

被告人 橋上忠則 外二名

主文

原判決中、被告人らに対し、業務上過失致死の点について、各禁錮刑に処した部分を破棄し、被告人橋上忠則、同山下晃男の各道路交通取締法違反の点についての各控訴は、いずれもこれを棄却する。

被告人橋上忠則、同中塚惣一を右各業務上過失致死の点について、各禁錮二月に処する。

但し、被告人橋上忠則に対しては、本裁判確定の日から二年間右禁錮刑の執行を猶予する。

被告人山下晃男に対する業務上過失致死の点について、同被告人は無罪。

原審並びに当審における訴訟費用中、原審証人名張与四郎、田中忠衛、及び今村嵩に支給した分は、被告人橋上忠則の負担とし、当審証人福沢秀雄、尾下清吉に支給した分は、被告人中塚惣一の負担とし、その余の分は原審及び当審を通じ被告人橋上忠則、同中塚惣一の連帯負担とする。

理由

被告人橋上忠則の弁護人土川修三の控訴趣意第一点事実誤認の主張について、

所論は、本件被害者において、従前の進行方向どおり運転を続けていたならば、被告人橋上の運転する貨物自動車は、同人の予期したごとく、被害者の運転する自転車の右側をすれ違い、無事通過することができたはずであるのに、被害者が、被告人橋上の車の直前において、にわかに左側に移行しようとして、同被告人の進路前方に飛び出してきたために、本件の事故が生じたものであつて、このような被害者の無謀な態度こそ責められるべきであり、被告人橋上にとつては、本件事故は、不可抗力のできごとというべく、過失の責任を帰せられるべきものではない。そしてまた、原判決は、被告人が警笛を吹鳴しなかつたことをもつて、注意義務に違反するものとしているが、本件のごとく、夜間かつ、直線道路において、自動車を運転する場合には前照燈を点ずることにより、よく相手方に対する警告の目的を達することができるものであるから、被告人橋上において、前照灯を点じていたものである以上、同被告人としては、原判決にいうがごとき注意義務違背のかどはなかつたものというべきである、というに帰する。

そこで、本件記録につき原判決引用の被告人橋上関係の各証拠その他原裁判所並びに当裁判所において取調べた各証拠(特に、当裁判所のした検証調書)を検討してみると、なるほど、本件被害者清水新郎が、被告人橋上の運転する自動車に衝突し、死の結果をみるにいたつたことは、同人が所論のごとく、被告人橋上の運転する自動車に約五米位接近したところで、急にその進路を左に転じ、同被告人の車の前面に出てきたことが、直接の原因であつたことは否定できない。しかし、本件被害者の側において、右のごとく道路交通取締規則違反あるいは、無謀操縦の事実があつたからといつて、それだけで、直ちに、本件における被告人橋上の過失責任を全面的に否定するわけにはいかない。すなわち、前示同被告人関係の各証拠によれば、同被告人は、原判示名張与四郎方住宅手前にさしかかつた際、進路前方四〇ないし五〇米のところを、本件被害者清水新郎(当時五三年)が、第一種原動機付自転車を運転してくるのを認めたものであり、しかも、同人はその進行方向の国道右側寄りを、また被告人橋上は、その進行方向の国道左側寄りを、それぞれ進行し、両者は道路の同一側を対向する関係において進行し、互に接近しつつあつたものであり、右附近の国道は、幅員六・六米を有し、前後数百米の間は一直線となつていて、被告人橋上の自動車と被害者の自転車以外に当時附近の国道上を通行していたものはなく、時刻は、午後八時三〇分頃で、空には月がなくて、いわゆる暗夜であり、附近に街燈の設備はもとより、人家からもれてくる電燈の明りもなかつたことが認められる。ところで、右のような暗い道路上を自転車を運転してきた者が、急に前方からくる自動車の明るい前照灯の光にさらされると、これに眩(げん)惑されて、自己の運転操作を誤り、ふらふらと自動車の進路上に進出するようなことは往々にしてありがちなものであるから、自動車の運転者としては、このような場合に備え、たとえ、相手方が道路交通規則に違反して、道路右側を通行していたとしても、まず自己の運転する自動車の前照灯を適宜減光するとともに、たえず相手方の行動を注視し、もし相手方において適当な機会に左側通行に転移せず、依然として規則違反の右側通行を続けるような場合には、当時附近の国道上には、前認定のごとく被害者の自転車以外に他に進行するものはなかつたのであるから、臨機の措置として、自己の進路を道路の中央ないし右側に転じ、できるだけ相手の自転車との間隔をとつて進行すべきであつて、もし以上の措置を講じないで運転を継続する場合には、往々にして右自転車と衝突するなどの事故の発生を見がちなものであることは、自動車運転の業務に従事する者として、すべからくこれを予見すべき業務上の注意義務があつたのにかかわらず、同被告人は右の注意義務を怠り、そのまま進行しても、前記清水新郎の運転する自転車の右側方を無事通過することができるものと軽信し、不注意にも右自転車との衝突等による事故の発生を予見せず、前照灯を減光しなかつたのはもちろん、減速することもせず、それまで進行してきた時速四〇粁の速度で、漫然、道路左側上の進行を続けたため、前記名張与四郎方住宅前の、被告人橋上の運転する自動車の約五米に接近して清水新郎が被告人の自動車の前照灯の明りに眩(げん)惑されたためか、にわかに、その進路を左に転じ、同被告人の自動車の進路上に進出してきたので、同被告人は驚いて、直にハンドルを右にきつて、これを避けようとしたが及ばず、自動車の車体左側を清水新郎に衝突させて、同人を同所路上に転倒させ、引き続き左後車輪で同人の身体を轢圧し、同被告人の自動車の後方を追従して運転してきた被告人山下晃男の自動車及びそれより数分おくれて同所を通りかかつた被告人中塚惣一の運転する自動車による各轢圧行為と相まつて、清水新郎をして、原判示のごとく死に致らせた事実を認定することができるのである。原判決の認定するところも、ひつきよう右と同旨に帰するものであるから、原判決の事実の認定に誤認のかどはない。よつて、この点の論旨は理由がない。

被告人中塚惣一の弁護人高井吉兵衛の論旨第一点について、

所論は、被告人中塚の過失は、被告人橋上の誘発により生じたもの、すなわち、同被告人が、本件被害者清水新郎を路上に転倒させた後、現場附近に停車していたのに、右の事実を被告人中塚に告げなかつたばかりか、かえつて通過オーライの合図をしたので、これに信頼した同被告人は、運転を継続したため、当時路上に転倒していた被害者を轢圧するにいたつたものであり、更に、被告人中塚は、同橋上、同山下両名の行為により致命傷を受けていた被害者を轢き、その死期を数分早めたに過ぎないものであるから、清水の死の結果についての責任を負うべきものではない。というのである。

しかし、原判決引用の被告人中塚関係の証拠、その他原裁判所並びに当裁判所において取り調べた各証拠、特に、同被告人の司法警察員に対する供述調書(昭和三二年一一月三〇日附のもの)岩田茂雄の同右供述調書によれば、原判決認定の事実は優にこれを認定できるのであつて、たとえ、所論のごとく停車中の被告人橋上の自動車が自己の犯した事故を被告人中塚に告げず、通過オーライの合図をしたとしても、そのことにより、同被告人が自ら進路前方の交通の安全を確認したうえ、同所を通過すべき注意義務が解除されるわけのものではない。そして又、前示清水新郎が、被告人中塚の自動車によつて轢圧される前、被告人橋上、同山下らの行為によつて傷害をうけ、すでに頻死の状態にあつたことは、証拠上明らかなところであるが、他面被告人中塚の行為が橋上、山下両被告人の行為と相まつて被害者清水の死の結果をもたらしたものであることも、証拠上疑のないところであるから、被告人中塚の行為が、単に被害者の死期を早めたに過ぎないものであつたからといつて、その死の結果について、同被告人が責任を免れることのできないことも言をまたい。要するに、所論の各事情は、いずれも単なる情状の範囲を出でず従つて、原判決が被告人中塚に対し業務上過失致死の責任を認めたことは、相当であつて、所論のごとき事実誤認あるいは、法令違反のかどは少しも存せず、論旨は理由がない。

つぎに、職権をもつて、被告人山下晃男に対する原判示業務上過失致死の責任の有無について検討することとする。

同被告人が、原判示の日時に、飲酒酩酊のうえ、小型四輪貨物自動車を運転し、原判示岐阜県吉城郡古川町大字上町地内の富山、岐阜間国道上を、古川町方面から、同郡国府村広瀬町方面に向け、被告人橋上の運転する自動車と約八米の間隔をおき、時速四〇粁位でこれに追従して進行中、原判示名張与四郎方住宅前において、被告人橋上の運転する自動車に衝突して傷害を受け、道路上に転倒していた清水新郎を、その手前約二米位に接近して初めて発見し、急停車の措置を講ずると同時に、ハンドルを右に切つて、これを避けようとしたが遂に及ばず、同所において自己の運転する自動車で同人を轢圧するにいたつた事実は、原判決の引用する同被告人関係の証拠により明認できるところである。そこで、進んで、被告人山下が、前記清水新郎を轢圧したことについて、同被告人に過失の罪責を認めることができるか、どうかについて、考えてみる。

原判決は、同被告人が飲酒酩酊して、自動車を運転した事実をあげたうえ、「自動車運転者は、事故発生防止のために酩酊その他正常な運転ができないような場合には、自動車を運転してはならない」のに、「被告人山下は、当時飲酒酩酊し正常な運転ができない虞れがあつたのに、あえて運転した」事実をあげ、この事実をもつて同被告人の本件事故に対する過失を認める一つの理由とし、更に、同被告人が、被告人橋上の運転する自動車に追従して運転進行していた事実に基き、「先行車があるときは、事故発生防止のために先行車に対し安全確実な距離および速度を保つて運転せねばならぬ業務上の注意義務があるのに拘らず」「先行車に対し距離八米位に接近して時速四〇粁米位の高速度で運転した」ことをとらえて、同被告人の過失を肯定する他の理由としているわけである。

しかしながら、(一)、被告人山下が、当日午後五時ころから、その友人、四、五名と共に相当多量の飲酒をし、本件小型自動四輪車の運転を開始した当時、酩酊のため「身体がエライ(たいぎの意味)」と自覚するほどの状態にあつたことは、同被告人の自ら認めているところであるが(同被告人の昭和三二年一一月二九日附司法警察員に対する供述調書参照)、同被告人が右のように酩酊していたために、注意力に障害をきたし、その結果本件の事故を発生させたというような事実は、これを確認するに足りる証拠はない。従つて、同被告人が、飲酒酩酊して自動車を運転したからといつて、そのことを理由として、本件事故に対する同被告人の過失を認めることはできない。

(二)、つぎに、被告人山下が、同橋上の運転する自動車の後方を追従するについて、同自動車と僅か八米位の間隔をおいただけであり、しかも、減速することのなかつた点は、どうであろうか。車馬が先行する他の車馬に追従するときは、交通の安全を確保するために必要な距離を保たなければならないことはもちろんであり(道路交通取締法施行令二二条参照)、ことに、本件において、被告人山下が、被告人橋上の運転する自動車に追従した当時は、夜間であつて、前方の見透しは困難であり、加えて、自己の運転する自動車の直後を追従する車馬等のなかつたことは、原判決引用の同被告人関係の証拠に徴し明らかであるから、同被告人が被告人橋上の運転する自動車の後方をこれと僅か八米の間隔をおいただけで運転進行したことは、前車との関係において交通の安全を確保するについて、妥当を欠くところがあつたとの非難は免れないであろう。

さて、それでは、被告人山下が、右のごとく、同橋上の運転する自動車に追従するについて、交通の安全を確保するため相当な間隔を保たなかつたことが、直ちに、本件事故に対する被告人山下の過失を認める根拠とするに足りるものであろうか。なるほど、同被告人が一〇数米ないし二〇米以上の間隔をおいて被告人橋上の自動車に追従していたならば、本件事故はあるいは起らなかつたかもしれない。しかし、本件において、まず考慮すべきことは、被告人山下が清水新郎を轢圧するにいたつたのは、先行する被告人橋上が、その過失により自己の運転する自動車を清水新郎に衝突させて、同人を被告人山下の自動車の進路前方の道路上に転倒させ、引き続き左後車輪で同人の身体を轢圧し、これを、自己の自動車とこれに追従する被告人山下の運転する自動車との間に放置したまま、停車あるいは、なんら危険の合図もせず、そのまま通り過ぎたことによるものであり、被告人山下としては、先行する被告人橋上の運転する貨物自動車に視界をさえぎられ、橋上の車の前方道路の状態を見透すことが不可能な状況にあり、従つて、被告人山下としては、橋上の運転する自動車が清水新郎と衝突する以前において、同人が反対方向から進行してくるのを発見することのできなかつたのはもちろん、その衝突の事実を覚知することも又不可能であつたわけで、清水が橋上の自動車に衝突して道路上に転倒し、同所を通過した橋上の自動車の車体左側下部から出現した後、漸くこれを発見できる状況にあつたことである。(右の事実は、当裁判所のした検証調書により明らかである。)されば、被告人山下において、橋上の自動車が清水新郎に衝突して同人を道路上に転倒させた当時までは、その進路前方に対する注視義務に関する限り、もつぱら、被告人橋上の自動車の運転に信頼して運転していても、なんら責められるべきところは、なかつたものというべきである。そこで、つぎに、被告人橋上の自動車が清水新郎に衝突した後において、被告人山下に注意義務の違背があつたかどうかの点について考えてみるのに、本件のごとく、自動車の運転者が自己に先行する自動車に追従する場合、先行の自動車が急に停車するような場合には、これに追突する危険があり、また、道路を横断しようとするものが、先行する自動車の通り過ぎたのに安心し、追従する自動車の進行してくるのに注意を怠り突然側方から、その進路前面の路上に現れ、そのため追従する自動車がこれと衝突するようなことも往々あることであるから、先行する自動車との間に相当な間隔を保たないで、これに追従する自動車の運転者は、このような危険の発生を予見すべき注意義務のあることは、もちろんである。車馬が他の車馬に追従するとき、交通の安全を確保するために必要な距離を保つべきものと規定した前示道路交通取締法施行令二二条の規定もまた、かかる危険を予防するために設けられた趣旨と解すべきものである。

しかしながら、先行する自動車が通行人に衝突し、これを路上に転倒させて轢圧し、そのまま同所を通過したため、転倒した人が追従する自動車の進路前面路上ににわかに出現し、その結果、同自動車がこれと衝突したり、または、これを轢圧するというようなことは、全く稀有の事態に属するものであるから、追従自動車の運転者に対し、かかる事態の発生することまでもこれを予見すべき注意義務があるものと解し、これを回避するために先行する自動車との間に特段の間隔の保持を要求するがごときことは、この種の運転者に対して、いたずらに、過大な注意義務を課すものというべく、相当でない。従つて、先行自動車に追従して自動車を運転する者が、右の稀有の事態の発生を予見せず、そのため先行車との間に必要な間隔を保つて運転しなかつたとしても、注意義務の懈怠があつたのということはできない。

ところで、被告人山下が、その運転する自動車で、清水新郎を轢圧した本件の事故は、同被告人の運転する自動車が被告人橋上の運転する自動車に追突したため、あるいは、同被告人の運転する自動車の通過後、被告人山下の運転する自動車の進路前面の道路側方から右清水がとび出してきたために生じたものではなくて、すでに認定したとおり、被告人橋上の自動車が清水に衝突し、同人を道路上に転倒させこれを轢圧して通り過ぎたために、転倒した清水が橋上の車の車体下側部からにわかに出現するにいたつたという全く稀有の事情によるものであるから、同人がこのような事態の発生を予見せず、従つて、このような事態に備えて被告人橋上の運転する自動車との間に前示八米の間隔をおいただけで、それ以上相当な間隔を保つて追従しなかつたことを理由として、被告人山下が清水新郎を轢圧して死に致らせた行為をもつて、同被告人の業務上の過失責任に帰せしめることは、相当でない。更にまた、原判決の指摘する被告人山下の運転する自動車の速度の点について判断すれば、同被告人の運転速度が時速四〇粁米位であつたことは前認定のとおりであるが、それは、本件現場における自動車の制限速度内のものであつたことは、本件記録に徴し明らかであるから、同被告人が、右の速度で運転したことが、同被告人の本件業務上過失責任を認める理由たりうるかどうかは、もつぱら先行する被告人橋上の自動車に追従する関係において、適当な速度であつたかどうかの観点からこれを判断すべきであり、被告人橋上の運転する自動車が、当時前示のごとく時速四〇粁米で進行していたものである以上、これと同一速度であつた被告人山下の運転速度が高速度に過ぎたものであるということは、いえないであろうし、同被告人が、さきに認定したとおり、道路上に転倒していた清水新郎を、その手前二米位に接近して初めて発見した本件において、同人を轢圧するにいたつたことが、被告山下の運転速度が高速度に過ぎたことによるものであると認めることのできないことも、また明らかである。

そして、前示(一)(二)の点を除いて、他に被告人山下の過失を認定するに足りる証拠は存しないから、右(一)(二)の点を根拠として、同被告人の有罪を認定した原判決は、事実を誤認したか、あるいは、法令の適用を誤つたものというべく、原判決は、この点において、右業務上過失致死の事実に関し、とうてい破棄を免れない。

被告人橋上、同中塚の当該弁護人の論旨各第二点量刑不当(同被告人らの業務上過失致死の各事実に関するもの)の主張について、

各弁護人の所論に従つて、記録を精査し、当該各被告人に対する関係各証拠の内容を検討してみるのに、被告人橋上が本件被害者清水新郎を轢圧し、同人を死に致らしめたのは、同人が飲酒のうえ、原判示原動機付自転車を運転し、かつ道路交通取締規則に違反する行為があつたことがその一因をなしていることは否定できないところであるし、しかも、同被告人の轢圧行為だけであつたなら、清水新郎に対する致死の結果の発生は免れえたものであつたかもしれないのに、すでに見たとおり、同被告人の轢圧後、被告人山下及び同中塚の轢圧行為が競合した結果、右致死の結果の発生をみるにいたつたものであること、被告人中塚については、同被告人が清水新郎を轢圧し死に致したのは、同人の前示道路交通取締規則違反の所為と相まつて、被告人橋上、同山下らの轢圧行為によつて、すでに道路上に転倒していた清水を更に轢圧したという稀有な事態によるものであつたこと、そして、もし被告人橋上が自己の過失で清水を轢いてこれを負傷させ、事故現場の道路上に倒れていることを、同所にさしかかつた被告人中塚に告げていれば、重ねて同被告人の自動車によつてこれを轢圧するというような事態は起らなかつたこと、なお、清水は、被告人中塚の自動車で轢かれる前すでに、被告人橋上、同山下の各轢圧行為により重傷を負い頻死の状態にあつたもので、中塚の行為は、右清水新郎の死期を早めたにすぎなかつたものであること、その他被告人橋上、同中塚に対するすべての情状を考慮すれば、原判決の右被告人両名に対する各業務上過失致死罪に対する科刑は、いずれも重きに過ぎ不当というべく、この点に関する論旨は、いずれも理由があり、原判決は、この部分に関し、とうてい破棄を免れない。(なお、被告人山下晃男の弁護人朽名幸雄の量刑不当の論旨については、すでに同被告人の業務上過失致死の事実について、前示のごとく原判決を破棄すべき場合であるから、判断の限りでない。)

ところで、原判決は、被告人橋上忠則、同山下晃男に対する原判示各業務上過失致死の事実と、各道路交通取締法違反の事実とを刑法四五条前段の併合罪の関係にあるものとして処断しているのであるが、原判決は、右被告人らに対し、前者については、各禁錮を刑、後者については、各罰金刑を、それぞれ選択して、同法四八条一項により禁錮及び罰金を各併科して処断しているものであることは、原判決に徴し明らかなところであつて、両者はいずれも可分なものであるところ、被告人橋上忠則、同山下晃男の本件各控訴は、原判決の全部、すなわち、右各業務上過失致死の部分、及び右各道路交通取締法違反の部分の両者に対し、なされたものと解すべく、原判決中被告人ら三名に対する各業務上過失致死の部分については、被告人橋上、同中塚に関し各量刑不当を理由とし刑訴法三九七条、三八一条により同中塚に関し事実誤認を理由とし右三九七条、三八二条によりいずれもこれを破棄すべきであるが、その余の部分、すなわち、各道路交通取締法違反の部分に対する被告人橋上忠則、同山下晃男の本件各控訴は、同法三九六条に則りいずれもこれを棄却し、なお、右各破棄にかかる部分については本件は、いずれも原裁判所及び当裁判所において取り調べた証拠により直ちに判決することができる場合であるから、同法四〇〇条但し書に従い、更に判決する。

被告人橋上忠則、同中塚惣一に対する各罪となるべき事実及び証拠の標目は、いずれも原判決と同一であるから、これを引用する。

(法令の適用)右被告人らの判示各業務上過失致死の所為はいずれも刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法二条一項三条一項一号に該当するので、所定刑中いずれも禁錮刑を選択し、その刑期範囲内で右被告人らを各禁錮二月に処し、なお、いろいろの事情を考え、被告人橋上忠則に対しては、本裁判確定の日から二年間右禁錮刑の執行を猶予し、原審並びに当審における訴訟費用は、刑訴法一八一条一項本文、一八二条を各適用し原審証人名張与四郎、田中忠衛、今村嵩に支給した分は、被告人橋上忠則の負担とし、当審証人福沢秀雄、尾下清吉に支給した分は、被告人中塚惣一の負担とし、その余の分は原審及び当審を通じ右被告人らの連帯負担とする。

本件公訴事実中、被告人山下晃男に対する業務上過失致死の事実は、本件起訴状に記載するとおりであるが、この事実については、すでに説明したとおり、犯罪の証明がないので、同法三三六条に従い、同被告人に対し無罪の言渡をすべきものとする。

よつて、主文のとおり判決した。

(裁判官 滝川重郎 渡辺門偉男 谷口正孝)

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