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名古屋高等裁判所 昭和39年(う)87号 判決 1964年4月27日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

<前略>

第三点 原判決の法令の解釈適用の誤を主張する論旨について(その二)

論旨は、要するに、「食糧緊急措置令第一一条の罪が成立するためには、せん動の相手方は、生産した米穀の所有権の帰属者すなわち生産した米穀の供出義務者であることを要する。しかるに本件演説の聴衆は、右の供出義務者ではなかつた」というにある。

しかしながら、食糧緊措置令第一一条の罪が成立するためには、せん動の相手方は、必しも米穀の供出義務者(本件において昭和二六年産米についてみれば、近い将来に割当を受けて具体的に供出義務を負担すべき者)自身であることを要せず、米穀の供出義務者に対し、その義務の履行を阻害するにつき相当の影響を及ぼし得る地位にある者であれば足りる、と解するのが相当である(供出義務者自身ではないけれども、諸種の事情により、供出義務者から現実に供出義務履行の事務の委任を受けている者、当然にその委任を受けることあるべき地位にある者等が右のせん動の相手方たる要件を具備しているとみることができることは疑のないところであろう。なお、食糧管理法第三七条等参照)。

そこで右の点に関する本件の事実関係を調査するに、原判決引用のすべての証拠を総合すれば、

一、原判示の堀津村青年団は、同村に居位する一七歳位から二五歳位までの男女青年によつて組織され、その団員の大部分は、米穀の生産に従事する農民であつた。そして昭和二六年当時において毎月四回位夜同村小学校にて同団主催の青年学級が開催され、団員数十名がこれに出席して講師より国語、珠算等の諸科目の講義指導を受けていた。

一、しかるところ、被告人の再三にわたる交渉懇請により、同年一二月一八日夜の青年学級の講義指導等の終了後、これに出席していた団員六十数名(男子約四十名、女子約二三名)のうち、橋本不二雄、橋本邦弘、加藤春彦、長繩重利、加藤博夫(叙上の五名は、いずれも農民)、太田美智子(同村事務吏員。同女方は、農家でなかつた)等合計約六〇名の有志が居残つて原判示の被告人の演説を聴いたのであつた。

一、右のように被告人の演説を聴いた約六〇名の団員のうち、その約八割は、米穀の生産に従事する農民であつた。そして右の約六〇名の約八割にあたる農民の家庭における農業の概況は、左記のとおりであつた。

一、右の橋本不二雄(当時二三歳位)は、父母と共に米穀の生産に従事しており、生産した米穀は父の所有に帰属し、したがつてその供出義務者は父であつた。しかしながら、諸種の事情により、実質上は、右不二雄が米穀生産業の主催者たる立場にあつて、むしろ父母がその助力者たる立場にあるという実情であつた。したがつて生産した米穀の供出事務等は、もつぱら不二雄が実行していた。一、次に右の橋本邦弘(当時二一歳位)は、父と共に米穀の生産に従事しており、前同様生産した米穀の供出義務者は父であつた。しかしながら、父が老令のため、右の邦弘一名が中心となつて米穀の生産に従事し、生産した米穀の供出義務等は、邦弘の実権に属していた(右の父は昭和三〇年に死亡した。母はすでに昭和一三年に死亡していた)。

一、長繩重利、加藤春彦、加藤博夫等の四十数名の者は、父母兄弟姉妹等のうちの一名または数名と共に米穀の生産に従事していた。

という事実を肯認することができる。

被告人の本件演説の聴衆中に米穀の供出義務者自身が一名または数名いたに相違ないと推測することができないわけではない。しかしこの点については確実な証拠がないから、その事実は証明なきに帰するというのほかはない。

しかしながら、右認定によつて明かであるように、右の橋本不二雄および橋本邦弘の両名が供出義務者たる父の供出義務の履行を阻害するにつき相当の影響を及ぼし得る地位にある者であつたことは、疑問の余地がない(右の両名は、本件せん動の相手方としては、むしろ供出義務者自身と同視してよいであろう)。そして上記認定の事実関係と本件のすべての証拠とを総合して更に熟考すると、右演説の聴衆たる農民の中には他にも家庭内において、供出義務者の供出義務の履行等につき右の橋本不二雄または橋本邦弘と同様の地位にある者がおり、その他にも供出義務者の供出義務の履行を阻害するにつき相当の影響を及ぼし得る地位にある者が相当多数にいたことを推知することができる。

右ととおりであつて、被告人の本件演説の聴衆中には、叙上のような地位にある農民が多数いたのであるから。本件においては、被告人につき同令第一一条の罪が成立したといわなければならない。

そして右の聴衆に対し被告人が本件演説をしたことによつて、ただちに右の罪が成立し既遂となつたというべきである。故に所論のように団員たる農民が帰宅して供出義務者たる父等に演説の内容を告知したときに右の罪が成立すると解する見解は、とうてい採用することができない。

なお、本件演説当時においては、昭和二六年産米につき、所論のように各米穀生産者自身に対する供出割当がまだしてなかつたことは、前記認定のとおりである。しかし、そのことは、本件犯罪の成否に影響を及ぼさない。

これを要するに、本件犯罪が成立するためのせん動の相手方の要件については、原判決の見解は、当裁判所の見解と趣を異にするけれども、本件の演説の聴衆中に右の相手方の要件を具備する者が多数いたとみる点において、その両者は見解を同じくするから、原判決に、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の解釈適用の誤、事実の誤認等はないというのほかはない。

右のとおりであるから、論旨はすべて理由なきに帰する。

第四点 原判決の法令の解釈適用の誤を主張する論旨について(その三)

論旨は、要するに、「本件においては、被告人の演説によつて、米穀の供出を阻害する明白かつ具体的危険が全然発生しなかつた。例えば、その演説の聴衆であつた長繩重利、橋本邦弘等は、被告人の演説に対して無関心ないし反対意見であつたのである。したがつて被告人につき本件の犯罪は成立しなかつた。けだし、憲法の解釈上、言論の自由を制限し得るのは、右の具体的危険が発生する場合に限定しなければならないからである」というにある。

しかしながら、食糧緊急措置令第一一条の罪が成立するためには、所論のような米穀の供出を阻害する明白かつ現在の具体的危険が発生したことを必要としないと解するのが相当である。同条も、犯罪の構成要件として、そのような具体的危険の発生したことを要件としていない。同条の罪は、前記説示のような相手方に対し同条所定のせん動行為があつたときに、それだけでただちに成立する。

そもそも米穀の供出をしないことをせん動するがごときは、その行為自体が憲法第一二条後段所定の公共の福祉を害するものであつて同法二一条第一項の保障する言論の自由の限界を逸脱するものである。したがつて食糧緊急措置令第一一条は、憲法第二一条第一項に違反せず、原判決もまた、これに違反しない。

右の点に関して、原判決に破棄の原因となるべき事由は存在せず、論旨は理由がない。<以下省略>(裁判長裁判官影山正雄 裁判官吉田彰 村上悦雄)

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