名古屋高等裁判所 昭和41年(う)736号 判決 1967年4月20日
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役三年六月に処する。
原審における未決勾留日数中三〇日を、右本刑に算入する。
押収にかかる中古黒ビニール製ハンドバツク一個(証第一号)およびハンドバツクさげひも付属の環一個(証第二号)は、これを原判示の被害者今枝ゆき江に還付する。
理由
<前略>被告人の所論は要するに、「被告人は本件犯行につき、始めから強盗などする意志がなく、つい出来心からいつの間にか原判示被害者のハンドバツクを握つていた。その際右被害者に原判示のごとき暴行を加えた事実はなく、その身体には指一本触れていない。同被害者は、足場が悪かつたため自ら転倒して受傷したに過ぎないから、原判決の事実認定は誤認である」、といい、弁護人の所論は要するに、本件犯行につき、被告人が原判示被害者に対し、その反抗を抑圧するに足る程度の暴行をした事実がないから、原判決が被告人を強盗傷人罪に問擬したのは、法令の適用を誤つたものであり、また原判決には審理不尽の違法がある、というのである。
しかしながら、原判決挙示の各証拠を総合すれば、原判示の罪となるべき事実は、所論の強盗の犯意はもちろん、被告人が原判示被害者に対し、原判示のごとき暴行を加え、その反抗を抑圧したうえ、同女から原判示のごとき金品を強取し、その際右暴行により、同女に対し原判示のごとき傷害を負わせた点に至るまで、すべてこれを認めるに十分である。所論は被告人に強盗の犯意がなかつたとか、被告人において原判示被害者に対し、その反抗を抑圧する程度の暴行を加えた事実がない旨かれこれ主張するので案ずるに、前記証拠によれば、被告人は原判示認定のとおり、夜間人通りの少ない路上において、折から勤め先から帰宅途中の原判示被害者が、右腕のひじに黒ビニール製ハンドバツクをかけて歩いて行くのを認め、咄嗟に同女から右ハンドバツクを奪取しようと決意し、同女のあとを追尾し、右ハンドバツクを奪取する機会を窺ううち、同女が道路わきの同女方玄関前に至るや、矢庭に同女の背後から右ハンドバツクに手をかけ、これを引き取ろうとしたところ、同女が「泥棒、泥棒」と叫んで右腕をかたく折り曲げ、ハンドバツクを離さなかつたため、無理矢理奪い取ろうとして、これを強く後へ引つ張つて同女をその場に転倒させ、なおも「泥棒、助けて」と叫ぶ同女を右ハンドバツク諸共数米にわたり路上を引きずり廻す等の暴行を加えたうえ、同女から右ハンドバツクを奪い取つたことが認められるので、被告人の右暴行は、社会通念上一般に被害者の反抗を抑圧するに足る程度の暴行に当るものというべきである。従つて被告人が右被害者のハンドバツクに手をかけて引つ張り、これを奪い取ろうとしたときすでに強盗の犯意があつたものと認めるのが相当であり、同女が被告人にハンドバツクを引つ張られたため路上に転倒したにも拘らず、被告人はなおも前記のごとき暴行を同女に加え、執拗にハンドバツクを強取しようとし、その結果同女が原判示のごとき傷害を負つたことが明らかであるから、原判決が本件を強盗致傷罪に問擬したのは洵に相当であり、原判決に所論のごとき法令適用の誤はもちろん、審理不尽の違法はいささかも存しない。所論は畢竟独自の見解に立つて原審が適法になした証拠の取捨判断を非難し、ひいて事実誤認ないしは法令の解釈適用の誤もしくは審理不尽の違法を主張するものであつて、到底採用できない。論旨はいずれも理由がない。
被告人の控訴趣意中、量刑不当の論旨および弁護人の控訴趣意四について。
右各論旨は要するに、原審の量刑が重過ぎて不当である、というのである。
所論にかんがみ、記録を精査し、これに現われた被告人の性行、経歴、非行歴を初め、本件犯行の動機、態様、その罪質、特に被告人が少年時の昭和三七年七月二三日宮崎家庭裁判所都城支部において、強姦致傷、窃盗により保護観察処分に付され、更に昭和四〇年七月五日名古屋家庭裁判所において、本件と同種の強盗致傷の非行により中等少年院に送致されたこと、本件犯行は、被告人が中等少年院を仮退院した日から僅か二箇月余りで敢行した強盗致傷罪の案件であり、その手段、方法が極めて悪辣であると認められるなどを考慮すれば、原審が特に酌量減軽をしたうえ、被告人を懲役五年に処し、被告人に強い反省を求めようとした意図も十分首肯し得るが、一方観点を異にして被告人の年令、家庭環境、その他犯行後の事情、特に被告人が未だ若年僅か二一才余の青年であること、本件犯行直後、被告人が本件被害者方の近隣の者に逮捕され、被害金品のうち原判示のハンドバツクを除きその余の物件がすべて右被害者の手許に返されたこと、また右被害者が被告人の原判示暴行により蒙つた傷害も全治まで約一〇日間を要する程度の比較的軽微なものであつたことなどを併せ考えれば、原審の前記量刑はいささか苛酷の感を免れず、これが重きに失し不当であると認められるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。<後略>(坂本収二 藤本忠雄 三浦伊佐雄)