名古屋高等裁判所 昭和41年(ネ)278号 判決 1967年1月27日
控訴人 加藤孜 外二名
被控訴人 板倉[金小]市 外七四名
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実
控訴代理人は、「原判決中控訴人らに関する部分を取り消す。被控訴人らの控訴人らに対する請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は主文同旨の判決を求めた。
当事者双方の事実上の陳述及び証拠関係は、左記のほかは、原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する。
(控訴代理人の陳述)
仮りに、本件各土地が被控訴人らを含むもと大字御立の区民中の各世帯主の総有に属するものであつたとしても、控訴人らは通謀虚偽表示によりその名義人となつた者から善意で権利を取得した者であるから、民法第九四条第二項によりその権利を主張し得る(仮に同項の適用がないとしてもこれを類推すべきである)。
一、明治四一年一月六日当時の総有者らは訴外亡塚本文八同塚本万五郎同塚本勘次郎に対し通謀して右土地の所有権を移転する旨の売買契約をなし同年二月七日その旨の所有権移転登記をしたが、右売買は仮装であつて無効であるところ、右仮装売買の結果、外見上訴外亡塚本文八はその全所有権の三分の一の共有持分権者となり、ついで、塚本文男は相続によりその地位を承継して相続登記を得たうえ、控訴人らに対し本件売買ないしは抵当権の設定をなし、その旨の登記を経由した。
二、そして、控訴人らは、右売買ないしは抵当権の設定を受けるに際し、塚本文男が登記簿上に権利者として表示されていることを確認し、かつ、これを不審に思う特段の事情もなかつたので塚本文男を正当な権利者であると信じ善意で契約を締結した。
したがつて、控訴人らの権利取得につき、被控訴人らその他の総有権者(虚偽表示行為者もしくはその一般承継人である)は、前記訴外人ら三名に対する売買による所有権移転が無効であることを対抗し得ず、換言すれば、控訴人らは正当にその権利を取得したものといわねばならない。
(被控訴代理人の陳述)
本件土地は御立区民の総有であり、これを総有権者たる前記三名の名義としたことは便宜の問題であり、その間通謀虚偽的な要素は全く存しない。のみならず、控訴人らが善意であつたとはとうてい認め難い。
(証拠)<省略>
理由
当裁判所も、被控訴人らの控訴人らに対する各請求は、いずれも正当として認容すべきものと判断し、その理由は、次のとおり補足し、かつ、控訴人の当審主張事実に判断を附加するほかは、原判決理由に説示するとおりであるからこれを引用する。
いずれも控訴人佐藤との関係においては成立に争なく、控訴人加藤同孔との関係においては公文書であるから真正に成立したと推定すべき甲第三号証から第八号証、第一三号証と原審証人塚本正蔵の証言及び原審における被控訴人板倉[金小]市の本人尋問の結果を総合すると、次の如き事実を認めることができる。
一、原判決別紙(甲)ないし(丁)目録記載の原野五筆、雑種地六筆は明治以前より大字御立部落の所有に属するものであるが、右原野五筆は同所内に秋葉神社があるところから通称「秋葉山」なる呼称があり、右雑種地六筆は山裾と個人所有の田地との間に介在する一帯の土地で「稲場」と称されていること(以下、それぞれ、「秋葉山」、「稲場」という)。
二、「秋葉山」及び「稲場」には、古くから、その土地利用につき次の如き慣習が存した。すなわち、「秋葉山」は部落において別名「分け山」と呼ばれることからも推知し得る如く、その拝殿、境内地及び参道を除くその余の土地は、明治初年頃右部落民に配分されたが、右の分轄は、各部落民の利用区域を劃する意味であり、したがつて、各部落民はその割当土地につき独占的に植樹、伐木、雑木の採取その他の使用収益権を行使し得るものの、部落民の資格を喪失するときは三年後に該土地部分を部落に返納する定めであつた(尤も、終戦後の食糧難当時、自己の割当土地を開墾して畑とした一部落民のなかには、農地法の関係で該土地部分につき自己名義で所有権保存登記を経由したものもあつたが、この場合でも、右の部落民は部落に対し前記の定めを遵守する旨の誓約書を差し入れていることが窺われ、その所有利用関係には本質的な変化なきものと認められる)。次に、「稲葉」は、部落の稲作の育成保護の見地から空地にしておいた土地であつて、部落民であれば何人も自由に右土地に立ち入り、草刈り、藁積み等部落民の共同利用に任されている。そして、これら両土地とも、新しく部落に入つた住民には何らの権利もなく、また、その公租公課は前記個人名義となつた部分を除き、すべて部落の区費で賄われ、或は「秋葉山」から産出する松葺はすべてこれを部落の所有とし、一括入札に付したうえその売得金を区費に操り入れることとなつていたこと
三、右両土法は、もと、部落名義で保存登記がなされていたが、右部落名義では登記権利者たるの資格を欠除するに至り、当時の高橋村の所有名義にするか或は、部落民全員の名義にするかの岐路に立たされ、部落民協議の結果、明治四一年二月七日、当時の部落の区長ないしは区長代理をして信望の厚かつた原審被告塚本文男の先代亡塚本文八、訴外亡塚本万五郎、同塚本勘次郎ら三名の代表者名義で所有権移転登記がなされたが(登記の事実は当事者間に争がない)、当時においても、右部落には、前記とほゞ同一内容の慣習が行われていたこと(むしろ、当時においては、部落による団体的統制はより厳格であつたものと推認することができる)。
上記認定事実によれば、本件各土地には前記の地方慣習を内容とする入会権が存在することが肯認され、その地盤たる本件土地は、一応、部落民全員の総有に属するものと認めるのが相当である。尤も、右にみた如く、本件入会権も、時代の変遷に伴い入会部落による団体的統制はある程度弛緩し、漸次その解体的過程を辿り、各部落民は本件各土地につき共有に近接した利用権能を有するに至つたことは否定すべからざるところであるとはいえ、なお、「稲場」の使用収益については部落による直接の統制下にあるものと認められ、また、「秋葉山」についてもその「分け地」としての利用形態は終局的には部落の伝来的な統制に服し、右土地に対する各部落民の協同体的権利義務は未だ残存しているものと認められるから、本件各土地の入会的性格は依然、存続しているものとなさねばならない。
しかるところ、控訴人らは、いずれも善意の第三者であるとして民法第九四条第二項に基き塚本文男から控訴人らに対する本件土地所有権持分の移転ないしは抵当権の設定を被控訴人らに対抗し得る旨主張する。しかしながら、本件土地は前説示の如く所謂村持入会地として大字御立の部落民全員に総有的に帰属し、各部落民は共有におけるが如き独立の持分権を有するものではないから、登記簿上は前記三名の所謂名目的個人持名義となつているとはいえ、同人らは本件各土地につき何らの持分をも有しないのである。したがつて、また、本件各土地は、ことの性質上その持分を移転するというようなことは有り得ないところであつて、そこには、旧来の慣習ないしは部落規範に基く部落民としての協同体的利用が存するのみである。換言すれば、個々の部落民が本件土地に対する権利の得喪、変更は、専ら部落の住民としての資格の取得、喪失にかゝるものというべく、部落民としての資格を得れば当然原始的にこれを取得し、その資格を失えば当然これを喪失するのであり、その間、何人と雖も、その権利を承継的に取得するすべなきものである。かくの如きである以上、本件においては、塚本文男ないしは控訴人加藤同孔らが取得したとする本件土地の持分なるものは存在せず、また、同人らは、いかなる意味合においても本件土地の持分を取得するに由なきところであるから、民法第九四条第二項の適用または準用の余地なきものと解される。したがつて、控訴人らのこの主張は採用できない。
よつて、原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないからこれを棄却すべく、民訴法第三八四条、第九五条、第八九条、第九三条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 県宏 越川純吉 可知鴻平)