名古屋高等裁判所 昭和41年(ネ)816号 判決 1967年9月14日
主文
本件控訴を棄却する。
訴訟の総費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は主文同旨の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用および書証の認否は、左記のほか原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
一、控訴代理人は次のとおり陳述した。
(一) 被控訴人の主張事実中被控訴人主張の農地売買契約が成立したこと、および控訴人が手付金二〇万円を受領したことは、いずれも認める。
(二) かりに右売買契約が県知事の不許可により失効した旨の控訴人の主張が理由がないとしても、被控訴人は控訴人に対し昭和三六年六月五日頃右契約を合意解除したい旨申入れて来たので、控訴人はこれを承諾したから、右契約は合意解除されたものである。
(三) かりに以上の主張が理由がないとしても、本件契約においては売主は手付金の倍額を買主に支払つて同契約を解除しうる旨の特約が存するところ、控訴人は被控訴人に対し、(イ)昭和三六年六月五日頃、安城農業協同組合振出にかかる額面金二〇万円の小切手一通を提供したが被控訴人がその受領を拒絶したので、これを昭和三七年四月二三日弁済のため供託し、(ロ)更に昭和四一年九月二六日金二〇万円を送金し、被控訴人はその頃これを受領した。したがつて本件売買契約は右特約により解除されたものである。
二、被控訴代理人は次のとおり述べた。
(一) 控訴人主張の合意解除の事実は、これを否認する。
(二) 本件売買契約中に控訴人主張の手付倍戻による契約解除の特約の存すること、および控訴人が被控訴人に対し金二〇万円を送金したことは認めるが、すでに愛知県知事に対し本件売買契約に基く農地法第五条による許可の申請がなされた現段階においては、控訴人は右特約上の解除権を行使しえないものであるから、被控訴人は控訴人に対し右金二〇万円を送り返したが、控訴人がこれを受領しないため、右金員を供託した。
三、証拠(省略)
理由
控訴人と被控訴人の間に昭和三六年一月一三日控訴人は被控訴人に対し農地法第五条に基く愛知県知事の許可を条件として原判決別紙目録記載の農地を売渡す旨の売買契約が成立したこと、控訴人は被控訴人と連署の上右契約に基き愛知県知事に対し右農地につき農地法第五条による所有権移転許可申請書を提出したところ、これが返戻されたこと、および右売買契約上売買代金は三・三平方メートル(一坪)当り金八、五〇〇円と定められ、被控訴人は契約と同時に控訴人に対し手付として金二〇〇、〇〇〇円を支払い、残代金は右知事による許可があり次第右土地の所有権移転登記手続と引換えに支払う約であつたことは、いずれも当事者間に争いがない。
そこで以下控訴人の抗弁につき判断する。
控訴人は先ず愛知県知事による前記許可申請書の返戻は不許可処分と同視すべきである旨主張するので按ずるに、成立に争いのない乙第一号証、原審証人加藤錫太郎、同岡田英光の各証言、原審および当審における証人神谷鉄市の証言ならびに原審における控訴人本人尋問の結果を総合すれば、前記申請書が控訴人に返戻されたのは控訴人の夫登一が賃借中の耕作地を地主に返還するか、あるいは本件農地の売却につき地主の承諾を得るかのいずれかの措置をとり、もし右いずれの措置をもとりえないときはその理由を明らかにした上で、右申請書を再提出することを控訴人に促すためであつたこと、右登一は右小作地を手離す意思を有しないこと、ならびに控訴人は右地主が本件農地の売却を承諾する筈がないと称して、同人に右承諾を求めず、かつ本件農地を被控訴人に売る意思がなくなつたと称して、右申請書の再提出を拒否していることを認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
ところで農地を農地以外の土地に転用する目的のもとに売買契約を結んだ売主は、買主と協力して農地法第五条所定の知事に対する許可申請手続をなし権利移転の許可を受け、売買契約を効力あらしめるよう、信義則上要求されるところに従つて努力すべき義務を当然に負うものであつて、この義務は、右許可を得るか、売主として当然になすべき叙上の努力をしても如何ともなしえない事由に基く不許可処分があるまでは、売主においてこれを免れることができないと解すべきである。これを本件についてみると、前記返戻は、小作地と地主との関係の調整を試みることなく直ちに許可を与えることは実際上相当でないとの配慮に基く便宜的な事実行為であるにとどまり、その調整がつかない限り将来においても許可しない旨の確定的な判断を示したものでないことが明らかである。したがつて控訴人は小作地の返還をなしえないとしても本件農地の売買につき小作地の地主から承諾を得るよう努力すべきであり、右の努力が徒労に帰したときは、返戻の趣旨にそつた調整をなしえない事情を具してあらためて申請手続をとり、知事の実質的判断に基く正式な許否の処分を求める義務があるといわなければならない。したがつて、前記申請書の返戻によつて本件農地の売買について条件の不成就が確定した旨の控訴人の抗弁は理由がない。
次に控訴人は本件農地売買契約は合意解除された旨主張するが、当審証人中田登一の証言中右主張に副う部分は、原審および当審における証人神谷鉄市の証言ならびに原審における控訴人本人尋問の結果に比して措信し難く、他に右主張事実を認めるに足る証拠はないから、右の主張もまた理由がない。
最後に控訴人は、本件売買契約は手付倍戻しによる解除権の行使により解除された旨抗争するので按ずるに、売買契約における売主は買主が契約の履行に着手しない間に限り手付倍戻しによる解除権を行使しうるものであるところ、控訴人の主張する手付倍額の償還時期は昭和三六年六月以後であり、被控訴人が控訴人と連署の上前記許可申請書を愛知県知事宛に提出したのは同年一月三〇日であることは控訴人の自認するところである。そして農地の売買契約に基き売買両当事者が連署の上農地法第五条に基く許可申請書を知事宛に提出したときは、各当事者が右売買契約の履行に着手したものと解すべきであるから、控訴人主張の右解除権の行使は被控訴人が本件売買契約に着手した後のことに属し、何ら効力を生じないものといわなければならない。したがつて控訴人の右の主張もまた理由がない。
してみると、控訴人は被控訴人に対し本件農地売買契約に基き被控訴人と連署の上愛知県知事に対して本件農地の転用を目的とする所有権移転につき許可を求める申請書を再提出すべき義務を免れず、また右申請に対する許可がなされたときは直ちに残代金と引換えに被控訴人に対し右土地の所有権移転登記手続をなす義務を負うところ、控訴人はあらかじめこれを拒否する態度を示していることが明らかであるから、控訴人に対し右の現在および将来の各義務の履行を求める被控訴人の本訴請求はいずれも正当であり、これを認容すべきである。
したがつて、右と同一結論に出た原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないから、これを棄却すべきである。
よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条後段、第八九条に従い、主文のとおり判決する。