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名古屋高等裁判所 昭和42年(ラ)179号 決定 1968年1月30日

抗告人 笹原敏子(仮名)

相手方 笹原道子(仮名) 外二名

主文

原審判を取消す。

本件を岐阜家庭裁判所に差し戻す。

理由

抗告人は「原審判を取消す。本件遺産分割の申立は理由がある」旨の裁判を求め、抗告理由として、申立外笹原菊夫の相続分の放棄は同人が強迫、欺罔などにより精神に異常を来してなしたもので、同人の自由な意思でなく真意に出たものでないのに、これを有効と認定して抗告人の遺産分割の審判申立を却下した原審判は取消さるべきであると述べた。

一  抗告理由に対する当裁判所の判断

原審判は相手方らの提出した乙第一号証(承諾書)により、申立外笹原菊夫が昭和一七年九月二五日○○○大学卒業の日に父の財産分与をうけないと誓約した事実を認定し、これを一資料として原審判挙示の各証拠により乙第三、第四号証が右菊夫の真意に出たものであり、有効に相続分の放棄がなされた旨を認定しているのである。

しかしながら、原審判の相続分放棄の事実認定の一資料とされている乙第一号証の成立についてはその文体、内容、仮名使い、インクの色、紙質等からみて多大の疑問なきを得ないのであるが、その用紙裏面下欄左端には「コクヨ255」の品番が左より片仮名と算用数字で表示されており、表面及び裏面にローマ字で「コクヨボンド」のすかしが入つているほか、中央折り目部分の上、下に見切り点が印刷されているので、当審証人久保田開太郎(コクヨ株式会社企画室長)に証言をもとめてみると、コクヨ株式会社における右様式の用紙は昭和三〇年七月二三日以降において始めて印刷されたものであることがきわめて明瞭である。

してみれば、右乙第一号証はその作成日付たる昭和一七年九月二五日に作成されたものでないこと明らかであつて、同日菊夫が乙第一号証の誓約をなした旨の原審判の事実認定は事実誤認といわねばならない。

そして、差戻前の原審における笹原菊夫審問並びに尋問の結果、相手方道子及び抗告人審問の結果、第一次抗告審における抗告人審尋の結果、差戻後の原審における相手方道子同輝夫審問の結果、証人笹原菊夫の証言、当審における抗告人及び相手方三名審尋の結果と抗告人の提出にかかる甲号各証相手方の提出にかかる乙号各証並びに本件記録にあらわれた全趣旨を綜合して考察すればつぎの事実が認められる。

(一)  申立外笹原菊夫はもと教員で、昭和二一年二月八日当時同じ女学校で教鞭をとつていた抗告人と挙式の上同棲するにいたつたが、爾来一〇数年にわたつて抗告人の入籍を拒みつづけ、たびたび家出して実家の方へ立戻ることをくりかえしていた。しかるに昭和三六年一一月下旬抗告人より岐阜家庭裁判所に入籍並びに同居請求の調停申立がなされるや、昭和三七年八月一六日に至つて、ようやく婚姻届出に及んだこと。

(二)  被相続人寅一は昭和三五年一二月八日死亡し、その相続人は相手方三名のほか申立外菊夫で、いずれも法定期間内に相続放棄の申述をしていないこと。

(三)  菊夫は昭和三六年五月三一日岐阜家庭裁判所に遺産分割の調停申立をしたが、調停委員の説得により相手方道子生存中は遺産分割をしない旨を申し合せ、その旨の誓約書(乙第二号証)を作成して調停申立を取下げたこと。

(四)  乙第三、第四号証の共有持分放棄書は抗告人より菊夫に対して前記入籍ならびに同居請求の申立がなされた後である昭和三六年一一月三〇日付で作成され、菊夫の署名があるのみで、立会人ないし共同相続人の署名押印を欠いていること。

(五)  菊夫は昭和三七年一二月抗告人に対し岐阜家庭裁判所に離婚調停の申立をしたが、調停委員の説得で同月六日抗告人に対し「遺産分割の申立を早急になし菊夫の所有になつた分の二分の一を抗告人に贈与する」旨の覚書を作成交付したのに、その直後一旦申立てた遺産分割審判申立も昭和三八年二月に至り取下げていること。

(六)  菊夫は差戻前の第一回審問をのぞいて相手方の主張に照応する供述をなし、差戻前の第一審審理中たる昭和四一年六月二七日前記贈与の覚書を取消す旨の通告を抗告人に対して発しながら、その後抗告人に対して昭和四二年五月八日付書簡で抗告人の主張が正当であつて相続分の放棄は相手方の策謀である旨の弁明書を郵送していること。

以上の各事実を綜合しことに叙上のごとく菊夫の言動の変転きわまりなき事実を参酌すれば、菊夫は抗告人より入籍請求の申立をうけるや被相続人寅一の遺産をあくまで抗告人に分与することを潔しとしない相手方らと相諮り前記のごとく作成日付を遡及して乙第一号証の誓約書を作成とともに抗告人に示しその要求をしりぞけるだけの目的で乙第三第四号証の相続分放棄書を作成したものなることを推認するにかたくない。

してみると、申立外菊夫の右相続分放棄は同人の真意にもとづかないいわゆる通謀虚偽表示というべく、これを真意にもとづくものとし有効と認定した原審判は事実を誤認したものといわざるを得ない。

従つてこの点において本件抗告は理由があるものといわねばならない。

二  なお本件遺産分割申立の適否につき附言する。

(一)  およそ遺産分割の審判は共同相続人のほか包括受遺者、相続分譲受人より申立てうることはいうまでもないが、抗告人は前記のごとく遺産分割をした上菊夫の所有となつた分の二分の一の贈与をうけるものであるから固有の遺産分割請求権を有しないものといわねばならない。

しかしながら、抗告人は菊夫に対する贈与契約上の債権者として相続人たる菊夫の遺産分割請求権を代位行使しうると解するのが相当である。けだし債権者代位権は債権保全のために債権者に認められた権利であつて債務者の一身専属権をのぞいては広く代位権行使が許されることよりみれば、行使上帰属上の一身専属権とはみられない遺産分割請求権につき債権者の代位権行使は許さるべきものと解されるからである。従つて申立外菊夫において遺産分割の申立をしない以上、贈与契約上の債権の保全をなし得ない抗告人は、菊夫に代位して遺産分割の申立をなし、菊夫の取得分の二分の一の分与をうけうるものと解するのが相当である。

(二)  本件相続人間において前記のごとく道子生前中に遺産分割をしない旨の協議(乙第二号証)がなされているけれども、遺産分割禁止の協議も五年を限度として有効というべく、右の限度を超えた禁止の特約は無効と解される。

けだし遺言による分割禁止(民法第九〇八条)、通常の共有物の不分割契約(同法第二五六条第一項)が五年を超えることを許さないとしていることとの権衡上より考え、分割禁止の協議も五年以上は許されないものと解するのが相当であるからである。従つて、乙第二号証の分割禁止の協議の日より五年以上を経過している現在においては遺産分割の支障となるとは解せられない。

(三)  抗告人の提出にかかる登記簿謄本によれば、本件遺産たる不動産につき相手方三名の共有に保存登記がなされ、菊夫を含む四名の共有登記のなされた分についても菊夫の共有持分が相手方三名に贈与されたことを原因とする所有権移転登記がなされており、一部はすでに第三者に売買を原因とする所有権移転登記がなされていることが認められ、右各共有登記、持分贈与登記は昭和三八年二月一二日付承認書及び同年三月三〇日付承認書にもとづきなされたことは、乙第五号証の一ないし四により明らかである。しかしながら、右承認書は前段認定のごとき菊夫作成にかかる乙第一、第三、第四号証と同様の目的で相手方らが菊夫と通謀してなした虚偽の意思表示によつて作成されたものと推認されるから叙上のごとき行為はすべて無効と解すべきである。

その他遺産分割の実行に障害となるべき事情の記録上窺えない本件においては、抗告人の遺産分割審判の申立は適法というべきである。

よつて、抗告人の本件抗告は理由があり、原審判は取消を免れないのであるが、本件記録によれば、相続人たる笹原菊夫を本件に参加せしめる必要があるのみならず、相続財産の確定、評価、相続人らの特別受益の有無その他具体的な分割に当つて斟酌さるべき事情などにつき審理がつくされていないので、原審に差戻し更に審理をつくさせるのを相当と認め、家事審判規則第一九条第一項に従い主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 成田薫 裁判官 布谷憲治 裁判官 黒木美朝)

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