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名古屋高等裁判所 昭和44年(ネ)312号 判決 1971年9月20日

控訴人(第一審参加原告) 有限会社豊物産

控訴人兼被控訴人(第一審被告兼参加被告) 渡辺輝光

被控訴人(第一審原告兼参加被告) 谷口重太郎

被控訴人(第一審参加被告) 谷口年明

主文

原判決を取消す。

第一審参加原告と第一審参加被告ら三名との間で別紙<省略>目録記載の船舶が第一審参加原告の所有であることを確認する。

第一審参加被告谷口重太郎、同谷口年明は第一審参加原告に対し右船舶を引渡せ。

第一審参加被告谷口重太郎の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じ、本訴において生じた部分は第一審原告谷口重太郎の負担とし、参加によつて生じた訴訟費用は第一審参加被告ら三名の負担とする。

事実

控訴人(第一審被告)訴訟代理人は「原判決中控訴人敗訴部分を取消す。被控訴人谷口重太郎の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人谷口重太郎の負担とする。」との判決を求め、控訴人(第一審参加原告)訴訟代理人は主文第一ないし第三項および第五項同旨の判決を求め、被控訴人ら訴訟代理人は「控訴人らの本件各控訴を棄却する。控訴費用は控訴人らの負担とする。」との判決を求めた。

各当事者の事実上の主張ならびに証拠関係は左に訂正附加するほか原判決事実摘示欄記載のとおりであるからここにその記載を引用する。

控訴人(第一審参加原告)訴訟代理人は、次のように述べた。「控訴会社は、昭和四一年五月二三日、控訴人渡辺輝光に対し一二〇万円を貸付け、その担保として本件船舶を譲りうけ、同日その引渡をうけた。右引渡はいわゆる占有の改定によるものであり、控訴会社は引きつづき本件船舶を控訴人輝光に保管使用を許した。同人は約定弁済期の昭和四一年八月一五日に至つてもその弁済ができず、同年九月一五日まで控訴会社は弁済を猶予したが同人はなお弁済ができなかつたので、控訴人輝光は同日本件船舶をその検査証やエンジン鍵と共に控訴会社に引き渡すから重ねて九月二二日まで延期されたいと懇請した。そこで控訴会社代表者中井金男は控訴人輝光から船舶検査証、鍵を受取ると共に、本件船舶につき当時停泊中の賢島の小林真珠漁場においてその現実の引渡をうけ、「所有者(有)豊物産」なる表示紙を船舶内部数十ケ所に貼付した。しかし九月二二日に至つても、なお弁済されないので同年一〇月一三日頃控訴会社は右船舶を前記小林真珠漁場から和具間崎の知人岩城一男の下に引航し、同人にその保管をさせた。すなわち控訴会社は平穏かつ公然に善意無過失で本件船舶の占有を取得したものであるから即時取得によりその所有権は控訴会社に帰属したのである。控訴会社の本件船舶に対する占有は当初占有の改定によるものであつたが、右のとおり現実の占有を始めた後七ケ月も経つた昭和四二年五月二〇日頃被控訴人谷口重太郎の命をうけた同谷口年明が前記間崎に来て本件船舶を窃取し、自己ならびに被控訴人重太郎の下へ引航したもので、右被控訴人らは何等有効な取引関係にたつて占有を取得したものでなく、かかる被控訴人らに対し控訴人は即時取得により本件船舶の所有権を取得したことを対抗しうるものである。」

被控訴人谷口重太郎、同年明訴訟代理人は、次のように述べた。「被控訴人重太郎、年明が本件船舶を占有していることは認める。しかし、本件船舶は被控訴人重太郎が、山清真珠株式会社からこれを買うけたものであり、同被控訴人が経営する遊覧船事業に使用し、控訴人輝光を船長として乗こませていたが、昭和四一年五月頃以降同年八月頃まで本件船舶はすでに運行をやめ、殆んど連日賢島港に繋留されていたのであつて、その管理責任者たる浜田銀蔵は他船との接触損傷が生ずるのをおそれて、その移動を被控訴人重太郎に申出たこともあり被控訴人重太郎は谷口清治に命じて、小林真珠の漁場に回航させ、その管理を川口清蔵に依頼しておいたものである。すなわち、昭和四一年五月から九月下旬にかけて右船舶を占有していたのは被控訴人重太郎であつて、控訴人輝光ではない。そのエンジン鍵も被控訴人重太郎が保管していたのであつて、控訴会社がその引渡を受けたことはない。控訴会社は右のとおり被控訴人重太郎が本件船舶を所有占有中であることを知りながら、昭和四一年一〇月一三日控訴人輝光、被控訴人重太郎にかくれてひそかに本件船舶を奪取したものであり、少くともその主張する譲渡担保契約に基づき引渡を受けたとき、所有者が被控訴人重太郎であることを知つていたか、知つていなかつたら、調査を怠つた過失があつたのであるから控訴会社が即時取得するいわれがない。」

証拠関係<省略>

理由

一、原審証人谷口清治の証言(第一回)により真正に成立したものと認める甲第一、二、三号証、原審での控訴人渡辺輝光本人尋問の結果により真正に成立したものと認める甲第七ないし第一二号証、成立に争のない丙第八号証の一ないし四、第一七、一八号証、第一九号証の一、二、第二〇、二一号証、甲第一六号証の一、二、原審証人山本旌哉の証言、原審、当審での証人谷口清治の証言の一部、当審証人渡辺幸子の証言、原審での被控訴人重太郎、控訴人輝光(第一回)各本人尋問の結果、当審における同控訴人本人尋問の結果(以上各本人尋問の結果は各一部)を総合すると次のように認められる。

1. すなわち、昭和三〇年四月、被控訴人重太郎と伊藤惣平とは、惣平が許可を受けた航路事業権と被控訴人重太郎が買得した木造旅客船とを共同で使用して英虞湾内周遊船事業を損益は平等負担分配の約で共同経営すると約し、爾后事業を続けていたが、昭和三六年三月惣平は死亡した。

右の惣平と被控訴人重太郎との間の合意は組合契約の締結に外ならないが、各人は右船舶ないし航路権自体を出資の対象、従つて両名の共有とするものではなく、各その利用、使用権を出資したものと見られる。そして組合員である惣平の死亡により民法の定めるとおり同人は組合を脱退すべきものであるところ、残存組合員は被控訴人重太郎一人であるから、右組合は惣平の死亡により解散するに至つたわけである。

2. 控訴人輝光は惣平の子で右契約前から同人と同居していたが、右周遊船事業が始まると、船長として船に乗り、これを運航し、運賃の収受、経費の支出、船の修理、さらに収支の記帳など右事業の日常業務の遂行に当つていた。その状況は惣平の死亡後も何ら変りなく、被控訴人重太郎においても、惣平の死亡時における組合収支の決算など事業の清算をしたこともなく、爾后は自己の単独事業になつたものとして何らかの指示を控訴人輝光に改めて与えたこともなかつたし、惣平名義の許可の承継、変更の手続もとられなかつた。そのようにして、遊覧船事業は継続されていたが、昭和三六年一〇月使用中の前記船舶が焼失した後、惣平の妻で、控訴人輝光の母である渡辺ハツヱの世話で愛知観光船株式会社から同控訴人が亡惣平名義で船(さくら丸)を傭船し、前記事業に使用した。以上のように、被控訴人重太郎と惣平との間の組合事業は惣平の死亡により終了解散するに至つたのであるが、事実上はその後右遊覧船事業は被控訴人重太郎と控訴人輝光との共同事業として行なわれ、両者間には暗黙のうちに従来と同様内容の組合契約が成立し、控訴人輝光がその日常業務執行に当つていた。

3. その後、控訴人輝光は山清真珠株式会社の所有作業船で不要になつているのがあることを知り、さくら丸の傭船料がかさむので、右作業船を買つて前記遊覧船事業に使用するべく、被控訴人重太郎と相談の上右会社と交渉したところ、同会社もこれを控訴人輝光に代金五〇万円で売渡すことを承諾し、昭和三七年三月控訴人輝光は他から借りた金で二〇万円の頭金を支払い、右船舶、すなわち別紙目録記載船舶を買取り、これに遊覧船として所要の改装を加えた上、前記遊覧船事業に使用するようになつた。右買受代金、改装代金等一〇〇万円ほどについては控訴人輝光、被控訴人重太郎の話合いで、前記事業収益金から支出、充当することとされており、昭和三八年末までの間逐次分割支払われた。

4. 以上のように認められるのであり、右事実によれば、右船舶は控訴人輝光、被控訴人重太郎の両名の共有とする合意のもとに控訴人輝光が山清真珠株式会社と売買契約をしたものであり、同会社から買受けるとともに右両名の所有に帰するに至つたものというべきである。証人谷口清治の証言、控訴人輝光、被控訴人重太郎各本人尋問の結果中右認定に反する部分は採用しがたく、甲第五号証記載中右認定に反するものは、控訴人輝光本人尋問の結果(原審第一回)によれば真実に反する記載と認められ、甲第四号証も当審証人谷口清治証言によれば右船舶代金と関係のない小切手の支払証明であることが認められるので、前認定を動かすものではなく、その他前認定をくつがえすにたりる証拠はない。

二、控訴会社は控訴人輝光から右船舶を譲受け、その所有権を取得したと主張するので以下この点について判断する。

成立に争いのない丙第一号証、控訴人輝光本人尋問(原審第一回)により真正に成立したものと認める丙第二ないし同第四号証に原審証人岩城楠幸、同岩城豊司、同浜田銀蔵、当審証人岩城秀男、同岩城一男の各証言に原審ならびに当審における控訴人渡辺輝光本人、同控訴会社代表者各尋問の結果を総合すると、次の事実を認めることができる。すなわち、控訴人輝光は、昭和四〇年頃から本件船舶の船長としてこれを航行するかたわら真珠のブローカーを始めたが、その資金をうるため、前述のように船長として運行占有中の本件船舶およびその航路権を担保に他から融資をうけようと考え、友人である岩城楠幸の紹介により昭和四一年二月頃控訴会社代表者中井に会い、一二〇万円の借用を申入れた。控訴会社代表者は控訴人輝光に会うのは始めてであつたが、担保物件たる本件船舶につき渡辺惣平名義の船舶許可証、運航許可証等を控訴人輝光が所持しているのを見せられ惣平は既に昭和三六年三月死亡し、控訴人輝光が相続人であるから間違いないし、右船舶は控訴人輝光が買受け、同人の所有であるとの岩城楠幸や控訴人輝光の説明をきき、また控訴会社代表者中井自らも本件船舶の停泊先である賢島港に赴き、真珠養殖業者である岩城秀男より本件船舶の所有者は控訴人輝光であり、同人が本件船舶を運航して遊覧船事業を営んでいるとの説明もあつたので、控訴会社代表者中井は控訴人輝光が本件船舶を所有するものであると信じ、昭和四一年五月二三日、同人に対し一二〇万円を弁済期日同年八月一五日の約で貸与し、同人より本件船舶を担保として譲渡をうけ、引きつづきこれを同人に無償で使用させることにしてその保管をさせた。ところが控訴人輝光は右弁済期日に弁済ができず控訴会社は九月一五日まで期限を猶予した。そして同日になり控訴人輝光は本件船舶も船舶検査証も引き渡すから更に九月二二日まで期日を延期してほしい旨控訴会社に懇請したので、控訴会社は、そのころ台風を避けて賢島の元小林真珠漁場に繋留してあつた本件船舶に臨み、控訴人輝光より本件船舶の引渡をうけ、期の返済ができないときは他日に貸金に処分して弁済に充当することを約して右弁済期日を九月二二日まで延期した。ところが控訴人輝光は右期日が来ても弁済しなかつたので、控訴会社は一〇月一三日に至り岩城楠幸、岩城豊司らをして本件船舶を右小林漁場から志摩町和具間崎所在岩城一男真珠養殖作業場に引航繋留して右一男にその保管を依頼し、控訴人輝光に対し右引航の事実とともに本件船舶を処分する旨通知し、同人もそのことを了承した。控訴会社は昭和四一年一一月末頃始めて本件船舶について控訴人輝光と被控訴人重太郎の間に紛争があることを知つたのであるが、一方被控訴人重太郎、その子谷口清治らは同年一一月頃控訴人輝光が本件船舶を控訴会社に提供したことを知り、何とか本件船舶を控訴会社より取戻そうとして控訴会社代表者中井とも折衝したが、右中井は本件貸金につきその元利金を弁済すれば本件船舶を引き渡すというばかりで仲々交渉もまとまらず、ついに昭和四二年五月に至り被控訴人重太郎は同年明に命じて前記間崎の岩城真珠養殖作業場から本件船舶を無断で引航して同人らの占有に移した。以上の事実を認めることができる。右認定事実に反する原審証人川口清蔵、同谷口清治(第二回)および当審における証人谷口清治の各証言は措信できず、また検甲第一号証は検丙第一号証と同一のエンジンキーであることが認められるので検甲第一号証が被控訴人重太郎の手中にあるからといつて、本件船舶を被控訴人重太郎が占有していたものということができない。その他右認定事実を覆えす証拠はない。

右認定事実からみると、控訴会社は本件船舶の控訴人輝光所有持分を同控訴人から譲受け取得するに至つたものであるし、これを所有するものは控訴人輝光のみであると信じて疑わず、またそのように信ずるにつき別段過失がなかつたものと認められるのであるから、控訴会社は譲渡担保として本件船舶の譲渡をうけた際、即時取得により被控訴人重太郎持分についても所有権を取得したものということができる。蓋し、即時取得は占有の有する公信力を保護せんとするものであるところ、控訴会社が本件船舶の占有を取得したのは当初占有改定によるものであつて、外観上占有状態には何ら変更がないけれども、その譲渡をうけた控訴会社が後日現実の占有を取得した場合には即時取得の成立を認めても別段取引の安全を害するものでなく、却つてこの場合に従前の権利者の追及権を顧みることは不相当であるというべきだからである。

三、以上のように、控訴会社は本件船舶の所有権を取得したものというべきであるから、控訴人輝光、被控訴人重太郎、年明に対し本件船舶の所有権確認を求めるとともに、右所有権に基づき、本件船舶を占有することにつき当事者間に争いのない被控訴人らにその引渡を求める控訴会社の本訴請求は正当であり、これと異る原判決は取消を免れ難い。控訴会社および控訴人輝光の本件控訴は理由がある。

よつて、訴訟費用の負担について民事訴訟法九六条、八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 西川正世 丸山武夫 山田義光)

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