名古屋高等裁判所 昭和45年(行コ)21号 判決 1971年9月29日
名古屋市港区港陽町六八三番地
控訴人
田中満雄
右訴訟代理人弁護士
竹下重人
名古屋市中川区西古渡町六丁目八番地
被控訴人
中川税務署長
高橋務
右指定代理人
服部勝彦
同
西村金義
同
井原光雄
石田征夫
右当事者間の所得税決定処分等取消請求控訴事件について、当裁判所は、次のとおり判決する。
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人が控訴人に対し昭和四二年三月四日付でした昭和三六年分所得税の決定処分および昭和四二年三月六日付でした再評価額等の決定処分は、いずれもこれを取り消す。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張および証拠の提出、援用、認否は、次のとおり付加するほか原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
(控訴人の陳述)
一、本件土地の売買の経緯に照らせば、いずれは本件土地を瀬口に買い取つてもらうつもりで寸借を重ねていた控訴人が、その累積した借入金を返済してゆく見通しがないからどうしてもこれを買い取つてもらいたい、瀬口において買い受ける見通しが立たないなら他にも希望者があるのでそちらに売つてしまう、と申し入れたのに対し、瀬口としては、本件土地上に同業者(パチンコ店)が進出することを防止するために、控訴人の言い値で買い取る。ただし代金は分割払いとすることとし、その旨の契約が成立したのが昭和三五年三月であることは明らかである。
控訴人としては、本件土地および地上建物を売却した以上他に土地、建物を取得して転居しなければならないので、その土地、建物の取得に必要な限度で代金の内払いを受ければよいと考えており、昭和三五年三月二三日ごろ、同年八月二五日ごろ、同年一一月三〇日ごろに各金一〇〇万円ずつの支払いを受けた。これは、従前は一〇万ないし三〇万円程度の寸借であつたのと異なり、多額の金員を一時に支払つているのであつて、売買契約成立を認めるに足りる事情の一つである。
控訴人が右の内払いによつて得た資金で転居先の土地を取得したのは昭和三五年一〇月中であり、右事実は名古屋国税局長も認めているところである。さらに、控訴人が右内払金によつて転居先としての家屋の建築に着手したのも昭和三五年中であつた。
二、昭和三五、六年当時、譲渡所得に関する取扱いにおいて、譲渡所得の基因となる資産の譲渡の時期は、所有権移転の時によるのであるが、所有権移転の時が明らかでない場合には契約成立の時によるとされていた(旧所得税法基本通達二〇二項)。
本件土地の売買契約において所有権移転の時期について特約はなかつたのであるから、民法の原則に従い、本件土地の所有権は昭和三五年三月二三日の売買契約成立と同時に瀬口に移転したものというべきであつて、それは物件明渡しの時期とは関係がないものである。右は、契約成立後本件土地および地上建物についての権利証が瀬口に交付され、契約後の固定資産税は瀬口の負担において納付されていることによつても明らかに認め得るところである。
三、以上のとおり、本件土地の所有権移転の時期は契約が成立した昭和三五年三月ごろであり、その譲渡による譲渡所得についての申告期限である昭和三六年三月一五日から五年以上経過した後にされた本件各処分は、違法であつて取り消されるべきである。
(証拠関係)
控訴代理人は、甲第三、四、五号証を提出し、当審における控訴人本人尋問の結果を援用し、被控訴代理人は、甲第三号証の成立は認めるが、甲第四、五号証の成立はいずれも不知と述べた。
理由
一、控訴人がその所有の名古屋市港区港本町五丁目一〇番の三宅地二六九・七一平方メートルおよび一〇番の五宅地一六九・六八平方メートルの各土地(以下本件土地という。)を訴外瀬口菊五郎に金一五〇〇万円で譲渡したこと、被控訴人が、これを昭和三六年に譲渡したものであるとして、控訴人に対し、控訴人主張のとおりの日時、内容の所得税ならびに無申告加算税および個人資産再評価税ならびに無申告加算税の各決定処分をしたこと、これに対して控訴人かその主張のとおりの経過をもつて異議申立ておよび審査請求の各手続を経たことは、いずれも当事者間に争いがない。
二、控訴人は、本件土地を譲渡したのは昭和三五年中であると主張するので、この点について判断する。
1 弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第一号証の二ないし七、原審における控訴人本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第一号証の八、当審における控訴人本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第四、五号証、成立に争いのない乙第一ないし第四号証、第五号証の一ないし一四、第六号証に原審における証人瀬口菊五郎の証言、原審ならびに当審における控訴人本人尋問の結果を総合すると、次の事実が認められる。
控訴人は、本件土地およびその地上建物(店舗付居宅、工場、倉庫)を所有してクリーニング業合資会社山一商店を経営していた(この点は当事者間に争いがない。)が、かねて懇意にしていた前記瀬口から事業資金等として金員を借り受けることがあり、当初はこれをその都度返済していたものの、昭和三二年ごろからはその金額もかさむようになつたため、控訴人としては、いずれは他に転居して本件土地を右瀬口に買い取つてもらい、その代金をもつて右債務を清算したいと考えるようになり、その旨同人に申し入れて断わられたこともあつたが、なおその考えを変えず、その後は借り受けた金員を返済しないまま、融資を受ける回数も次第にふえ、その金額も一回につきおおむね四、五〇万円を下らないものが常となり、昭和三四年八月ごろには総計五四五万円の債務を負うに至つた。そして昭和三四年九月末に伊勢湾台風が来襲した後は、控訴人はもはや本件土地上で営業を続ける気持を失い、他に転居する意向を固め、訴外朝日浅次郎を介して、瀬口に対し重ねて土地を買い受けてもらいたい旨申し入れ、同人の決意を促すために同業者(パチンコ店)からの買受方の申し入れもある旨告げたりしたので、瀬口はようやくこれを買い受ける決心をし、昭和三五年三月ごろ、瀬口が控訴人から本件土地をその地上建物とともに金一五〇〇万円で買い受けること、代金の支払いについては、前記の債務金五四五万円と対等額で相殺し、残額は控訴人からの請求がある都度これを分割して支払うこと、代金が完済されればこれと引き換えに所有権移転登記をすることを内容とする売買契約が成立した。そして瀬口は昭和三五年三月二日に金一〇〇万円を支払い、さらに同年八月二五日、一一月三〇日に各金一〇〇万円を支払つた(昭和三五年中に合計金三〇〇万円の支払いがあつたことは当事者間に争いがない。)。
一方控訴人は、瀬口から代金の支払いがあればこれをもつて土地を購入し建物を建てて転居するつもりでいたところ、右のように瀬口から遂次代金が支払われたので、訴外大矢一義から名古屋市港区港陽町六八三番の一四三の土地を買い、同年一〇月ごろにはその代金の支払いを了し(同年一〇月ごろ同訴外人から右土地を購入したことは当事者間に争いがない。)、同年一一月ごろには訴外建部弘に請け負わせて家屋の建築に着手し、本件土地から右港陽町の土地へ移転する準備を始め、クリーニング業に用いていた設備、機械、材料、得意先等を含めて、その営業権を使用人の訴外井沢に譲り、同年一二月限り右営業を廃止することとした。そして年が明けてから新居に引越すのは方角が悪いと言われたので、これを避けるため、控訴人夫妻だけが同年暮より夜間のみ、右建築中の新居に寝泊りし、当時未だ電気・ガス・水道等の設備は整つていなかつたので、隣家から電気を借り、工事用の水道を使い、食事はたまに外から取り寄せるほか、主として本件土地上の建物でとつていた。翌三六年二月ごろには新築建物が完成して引き渡されたので、残りの家族(控訴人の母親と子ども二人)も転居し(昭和三六年二月ごろ控訴人の家族全員が新居に移転したことは当事者間に争いがない。)、本件土地上の建物には瀬口方の従業員が入居し、なお前記井沢のみは瀬口の了承のもとに移転先の家が完成するまでの間同居していた。その間瀬口は昭和三六年二月に金五〇万円を支払い、その後井沢も右建物から過去し、なおその間隣地所有者との間に土地の境界について争いがあつたためその解決に手間どり、所有権移転登記を経ないまま、代金五五五万円が分割して順次支払われたが、昭和三八年二月に至り右紛争は決着し、同月八日残代金五〇万円が支払われるとともに、翌二月九日付をもつて瀬口のために所有権移転登記が経由された(なお資金の都合上、訴外加藤常明との共有名義になつている。)。
2 右にみたように、本件土地の売買契約が成立したのは、昭和三五年三月ごろと認められるのであつて(上述認定のように、昭和三五年三月二三日はじめて従前の一回当たりの融資額をはるかに上回る金一〇〇万円が瀬口から控訴人に交付されていることは、そのころ右売買契約が成立したことの十分な証左となるものということができる。)、前額乙第二号証の一部には、本件土地の売買契約が成立したのは伊勢湾台風の少し前である旨の記載があるが、右認定事実に対比してたやすく措信することができない。
3 ところで、土地、建物の売買においては、目的物の所有権は、特約のない限り、契約成立と同時に買主に移転するものであるが、被控訴人は、本件売買契約には、引渡しの時をもつて所有権移転の時期とする旨の特約があつたと主張するので、右特約の有無について検討する。
(一) 控訴人が、本件土地について、昭和三五年四月四日債務者を合資会社山一商店とし、債権額を金三〇万円、期限を昭和三八年五月三〇日とする抵当権を設定し、その登記が昭和三六年三月九日に抹消されていることは、当事者間に争いがない。そして、もし本件土地の所有者が、昭和三五年三月ごろ売買契約成立と同時に買主である瀬口に移転したものであれば、その後は控訴人がもはや本件土地につきいかなる処分行為もなしうる地位にないことはきわめて当然の理といわなければならないが、右のように、売買契約の後において控訴人が本件土地を他に担保に供したことは、右契約成立後もなお本件土地の所有権が控訴人のもとにあつたことを推認させるものである。もつともこの点については、成立に争いのない甲第二号証の一、二、原審における証人木全末三郎の証言、原審における控訴人本人尋問の結果によると、控訴人は、以前愛知県クリーニング環境衛生同業組合に対し融資の申込みをし(この点は当事者間に争いがない。)これが留保されたままになつていたところ、伊勢湾台風の災害復興資金の貸出しが認められるようになつたため、これに切り替えて融資を受け得ることとなり、昭和三五年三月三一日右山一商店において現実に金三〇万円の融資を受けたことが認められる。その現実に融資を受けた理由として、右木全証人および控訴本人は、そのころには控訴人は既にクリーニング業を廃止することとなつていたためその必要はなかつたものの、その時点で融資を辞退することにより再度複雑な手続をふくむことを嫌つた右組合からの申し出に基づき、一応融資を受けることとし、本件土地に前記抵当権を設定したものであるが、控訴人としては本来必要のないものであつたので、これを他に流用し、結局貸出期限のはるか以前である昭和三六年三月四日にはこれを返済したものであると供述する。しかしながら、融資を受けることを辞退するのにさほどの複雑な手続をふむことを要するものとは思われないのみならず、複雑な手続といつても具体的にいかなる複雑な手続を要するのは明らかでないから、右供述はたやすく措信しがたい。そのうえに、仮に右のような事情から一応融資を受けざるを得ないとするならば、既に契約とともに所有権が瀬口に移転しているときは、事前に抵当権設定につき瀬口の承諾を求むべきであることは当然であるにもかかわらず、その承諾を得たことを認むべき証拠はない。しかのみならず、単に手続上の理由により一応融資を受けたにすぎないとするならば、その後短期間内に返済してしかるべきであるにかかわらず、本件において返済したのは借受金を自己の用途に使用したうえ一年を経過した後のことである。右のごとく、控訴人が瀬口の承諾を得ないで抵当権を設定したこと、短期間内に借受金の返済をしなかつたことは控訴人において未だ所有権を保有していたことの根拠となるものというべく、単に手続上一応融資を受けたにすぎないという理由によつてこれをくつがえすに足りないというべきである。
(二) また本件土地の売買契約が成立した昭和三五年三月ごろから、控訴人夫妻が新築家屋に寝泊りするようになつた時点(前述のとおり昭和三五年暮と認められる。)までは約一〇か月前後、また控訴人の家族が転居した時点(昭和三六年二月ごろであることにつき。当事者者間に争いがない。)までは一年近くをそれぞれ経過しているのに、その間控訴人と瀬口との間で、控訴人が本件土地およびその地上建物を使用するについての対価に関しなんらかの約定がなされた事跡のうかがわれないことからしても、売買契約成立と同時にその所有権が瀬口に移転したものでないことが推認される。
(三) そして、前記認定の事実によれば、控訴人は、本件土地の代金が支払われればこれをもつて他の土地を買い入れて転居先の建物を建築するつもりであつたため、これが完成するまでは本件土地およびその地上建物に居住する必要があつたことは明らかであり、この点と前記(一)、(二)に述べたところを総合すると、結局本件土地の売買契約においては、控訴人がこれを瀬口に引き渡した時点において所有権が移転する旨の特約があつたとみるのが相当である。
なお、成立に争いのない乙第三号証添付の和解調書の記載は、右売買契約が所有権移転の時期につきなんらの特約なく成立したことをうかがわせるものであるが、原審における証人早瀬磯雄の証言によると、右は本件課税処分に対する不服申立ての段階において、控訴人の申立てによりいわゆる即決和解として成立したものであることが認められるから、特約の成立の有無についての前記判断を左右するものではない。
4 そこで進んで、本件土地につき、右特約に基づき、いつ所有権の移転があつたかを検討することにする。
前記のとおり、控訴人夫妻は、既に昭和三五年中には、転居先の港陽町の土地上に建築中の建物に寝泊りしていたことが認められるのであるが、控訴人らが、右のようにいまだ完成に至らない建物にあえて急いで転住することになつたのは、専ら方位に関する控訴人らの所信に基づくものであること、右建物には電気、ガス、水道等の設備が整わないため、隣家等からこれを借り、食事も外から取り寄せるなどして生活していたこと、しかもそれは夜間に限られていたことなどを考慮すると、控訴人ら夫妻の右港陽町の建物における生活は、全く方位に関する理由のみから、形式的にもせよ引越した外形を作出しなければならないとの要請から出たものにすぎず、仮の生活ともいうべきもので、控訴人の生活の本拠は、なおその母親や子どもらの住んでいた本件土地上の建物にあつたものと解するのが相当であり、控訴人夫妻が引越したことのみをもつて、控訴人が本件土地を瀬口に引き渡したものとみるのは困難である。
そして、転居先の港陽町の土地上の建物は昭和三六年二月に完成を見、控訴人の残りの家族もそのころ引越しをしていること、その後も控訴人方の従業員であつた井沢のみは本件土地上の建物に居住していたが、それは瀬口の了承を得てのことであり、既に瀬口方の従業員が右建物に居住するようになつていたことなどを合わせ考えると、本件土地につき控訴人が既に居住の必要がないものとしてこれを確定的に瀬口に引き渡したのは、昭和三六年二月ごろと解するのが相当である。そうすると、前記特約に基づき、本件土地の所有権もそのころ瀬口に移転したものというべきである。
なお、権利証の帰属および固定資産税の負担者の点について付言すると、まず権利証については、前記のとおり、本件土地およびその地上建物についての売買契約が成立した後も控訴人が右土地建物について抵当権を設定し、昭和三六年三月九日にその登記が抹消されている経緯に照らせば、そのころまでは権利証もいまだ瀬口に手交されず控訴人の手もとにあつたものと認めるのが相当である。この点につき、原審における証人瀬口菊五郎の証言および控訴人本人の供述中には、権利証は契約書作成後直ちに手交されたとか、昭和三五年中に手交されたなどとしている部分があり、また原審における控訴人本人尋問の結果中には、抵当権を抹消するときは権利証を瀬口から借りて来たとの部分があるが、いずれも措信するに足らない。つぎに本件土地の固定資産税については、原審における証人瀬口菊五郎の証言および控訴人本人尋問の結果によれば、昭和三八年二月に本件土地につき瀬口のために所有権移転登記が経由される以前から、瀬口において継続して右固定資産税を負担していた事実が認められるが、それが前記認定の引渡しによる所有権移転の時期である昭和三六年二月ごろにより前から引き続いて行なわれていたことを認めるに足りる証拠はない。
三、以上説示のとおり、本件土地は昭和三六年中に譲渡されたものと認められるから、これを前提としてした被控訴人の前記各処分には控訴人主張のような違法はなんら存せず、そのほか右処分を取り消すべき瑕疵も認められない。したがつて、控訴人の請求を棄却した原判決は正当であり、本件控訴費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 伊藤淳吉 裁判官 宮本聖司 裁判官 新村正人)