名古屋高等裁判所 昭和46年(う)354号 判決 1971年12月08日
被告人 大澤忍こと(旧瀉元)大澤加寿代
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役三年に処する。
本裁判確定の日から五年間、右刑の執行を猶予する。
理由
本件控訴の趣意は、名古屋地方検察庁、検察官検事渡辺次郎作成名義の控訴趣意書に記載されているとおりであり、これに対する弁護人の答弁は、弁護人辻巻淑子作成名義の答弁書に記載されているとおりであるから、いずれもこれらをここに引用する。
検察官の控訴の趣意(事実誤認ならびに法令の解釈適用の誤りの論旨)について。
右控訴の趣意は、要するに、原判決は、本判決書末尾添付の別紙記載の本件公訴事実に対し、同公訴事実に含まれる事実に関しては、その外形事実をすべて認めながら、結局、「被告人の本件所為は、末釜の生命身体に対する急迫不正の侵害に対し、これを防衛するためやむを得ずなした相当の行為であつて、刑法第三六条第一項の正当防衛に該当し、罪とならない」旨を判示して、被告人に対し無罪の言い渡しをしている。しかし、本件証拠上、被告人の本件犯行時及びその直前に、原判示末釜賢三は原判示司に居らず、同人のその当時における下宿先に帰つていたこと(しかるに、原判決は、同人が未だ原判示司にいたと認定)、原判示源氏から原判示司までの距離が約一二〇メートルあり(しかるに、原判決は、この距離を約七〇メートルと認定)、同源氏から原判示末釜賢三の右下宿先までの距離が四三〇メートルあること、原判示吉村富夫が病弱で、本件当時飲酒酩酊していて運動能力などが減退しており、しかも小柄な体躯であつたのに対し、被告人は飲酒もしておらず、体格もかなりよいこと、また被告人の本件犯行当時、右吉村富夫には前記末釜賢三を真実殺害する意思がなかつたことが、それぞれ認められ、これらの事情からみて、本件に際しての右吉村富夫の所為は未だ右末釜賢三の生命身体に対する急迫不正の侵害ということを得ず、さらには、本件証拠上、被告人の右吉村富夫に対する本件殺害行為につき、被告人には全く防衛の意思が認められず、積極的に右吉村富夫を殺害する意思のみでなした所為であることが明白であるばかりでなく、本件事案の経過を見れば、被告人が原判示吉村富夫の原判示末釜賢三に対する侵害行為を阻止するについては、右吉村富夫を殺害しなくてもその他に採るべき適切な方法を容易に、発見し得たと考えられ、従つて、被告人の本件行為がいわゆる「已むを得ざるに出た行為」とはいえず、その行為の相当性も認められないところであり、これをこの種事案に関する従来の判例の趣旨に照らしても、被告人の本件行為が、刑法第三六条第一項に該当するものとは到底認められない。従つて、前記のように、被告人の本件行為が、結局、正当防衛行為である旨を認定した原判決には、右各指摘の点において、事実を誤認し、ひいては、刑法第三六条第一項の解釈適用を誤つた違法があり、その各誤りはいずれも判決に影響を及ぼすものである、というのであり、該控訴の趣意に対する右弁護人の答弁の要旨は、結局、原判決には所論のような違法な点が存しない、というにある。
所論にかんがみ、審按するに、原判決書中、二の項に掲記されている各証拠によれば、同二項の1、ないし7記載の各事実を認めることができ、とくにこれらの認定をくつがえすに足る証拠はない。
そこで、さらに進んで、右認定の各事実に基づき、被告人の本件所為が、刑法第三六条第一項にいわゆる正当防衛行為に該当するかどうかに関し、左記のごとき各項に分け、それぞれについて、検討を加えることとする。
一、原判示吉村富夫の本件における行動がいわゆる急迫不正の侵害にあたるかどうかの点について。
先ず、被告人と、原判示末釜賢三および右吉村富夫との関係につき、査するに、被告人と原判示末釜賢三、および鈴木信往の三名が昭和四六年三月五日午前〇時ごろ、原判示司で飲食をしようとしていた際、たまたま同所に右吉村富夫が来合わせ、いきなり、被告人の頭部を手拳で殴打したうえ、被告人に対し、「帰れ」と怒鳴つたので、被告人としては原判示源氏二階の居室に戻つたところ、右吉村富夫が直ちに、被告人を追いかけ、前同源氏二階の居室に侵入して、同所に居合わせた被告人と二、三問答の末、原判示柳刃庖丁を取り出し、被告人に対し、「これから右末釜を殺して来てお前も殺す」旨を申し向け、右居室を出て、その出口の上り階段を上つて外へ出ようとした前後における詳細な状況に関してはさきに認定したとおりであり、(証拠略)によれば、右吉村富夫は、かねていわゆる暴力団瀬戸一家に所属し、常日頃粗暴な振る舞いが多く、とくに、被告人と肉体関係を結んだ以後、被告人を自己の情婦であるように仕做して、被告人や前記源氏方に来合わせた同源氏方の酒客などに対しても屡々乱暴な所業に及んでいたことが認められ、これに加え、(証拠略)によれば、右吉村富夫は、被告人の本件犯行当時、相当飲酒酩酊していたことが明白であり、以上の各認定事実を彼此考え併せると、前記認定のごとく柳刃庖丁を手にして、前同階段を上り、外へ出ようとした際およびその直前における右吉村富夫の言動につき、これを客観的にみて、何人といえども、右吉村富夫が激昂のあまり、真実、原判示末釜賢三を殺害しようとの意図のもとに、該行動に及んだものと判断せざるを得ないものと思料される。なるほど、右末釜賢三の司法警察員に対する供述調書謄本中、同人の供述記載によれば、所論の如く、右の末釜賢三と吉村富夫の両名が、昭和四六年三月四日午後九時ごろ、原判示源氏の二階において飲酒した際、右吉村富夫が前同末釜賢三に対し、被告人とつき合うなという趣旨を申し向けたけれども、その当時右吉村富夫が前同末釜賢三に対し、別段危害を加えるような態度を示していなかつた事実を認めることができるが、該事実が存するからとて、これだけに依拠して、被告人の本件犯行当時における前認定のごとき、右吉村富夫の前同末釜賢三に対する殺害の意図の存在を、たやすく否定するに由なく、却つて、さきに認定したごとき経過から、右吉村富夫が酒の酔いにかられ、次第に激昂し、遂に前同末釜賢三を殺害しようとの意図を抱くに至つた顛末は必ずしも所論の如く不合理でなく、只単に、殺すと公言する者に真実の殺害の意思が存しないとか、右吉村富夫が死亡の際「うーわかつた」と言つたということを捉え、同人に殺意が存しなかつた証左だとの所論は、いずれも、確たる証拠に基づかない推測にとどまり、首肯するに値しないものであり、採用の限りでない。
そして、当審証人吉野義正の供述によれば、前記の源氏と司との距離が約一二〇メートルであることが認められ、また、右吉村富夫が前記柳刃庖丁を持ち、被告人ともみ合つていた当時、右吉村富夫においても、将又、被告人においても、前同末釜賢三がなお右司にいるものと考えていたことは、本件各証拠上、推認するに足り、原判決が右の源氏と司との距離を約七〇メートルと認定したことは必ずしも正確でなく、(証拠略)によれば、右吉村富夫と被告人が前認定のようにもみ合つていた当時、前同末釜賢三は、すでに、前記司を立ち去り、同人の下宿先に向つていたことが認められることは所論のとおりであるけれども、これらの事実は、ここにいわゆる急迫性の有無を判断するに際し、該判断を左右するほど重要な意義を有するものとまで解する理由に乏しく、この点に関する所論も当らないというのほかない。
そこで、以上において認定説示した各事情を総合考察すると、右吉村富夫が前認定のごとき情況の下に、前記柳刃庖丁を取り出して、右源氏方階段を上りかけた際、同吉村富夫の該行動により、被告人において、前同末釜賢三の生命、身体に対する侵害が急迫していると判断したことは、これを客観的に観察して、相当と認めることができる。そして、かかる急迫性の存否につき、必ずしも、被害の現在性を要しないものであることは、原判決の説示するとおりであり、原判決引用の最高裁判所判決(原判決書に刑集三巻一四号六五頁とあるものは刑集三巻九号一四六五頁の誤記と認める)の内容は、所論のように、もとより、その対象たる事案が本件と異るけれども、その判旨に関しては、必ずしも、所論のごとく本件に適切でないとまで断じ難く、本件の判断に際しても、十分参考とするに値するものと思料される。
なお、被告人は、さきに認定したごとく、右吉村富夫が前記柳刃庖丁を持つて、原判示階段を上ろうとした際、同人の右斜め後方から、同人に組みつき、同人ともみ合い、同人から右柳刃庖丁を奪い取つたのであるが、その直後の状況に関し、原判決が、その理由中において、「吉村としては右庖丁を奪い返すべく全力をあげ、次の瞬間には再び吉村が優位な立場にたつこと云々」の旨を説示している部分は、本件各証拠に照らして、措辞稍々妥当を欠くの譏りを免れ難いけれども、(証拠略)によれば、被告人が右吉村富夫から前記柳刃庖丁を取り上げようとしたとき、同吉村富夫は、右柳刃庖丁をはなすまいとし、さきに認定したごとく被告人が前同柳刃庖丁で右吉村富夫の右胸部を突き刺すところにおいてさえも、前同柳刃庖丁から未だ完全に手をはなしていなかつた事情が認められ、この状況からすれば、右吉村富夫において、前同柳刃庖丁を被告人から取られまいとし、さらに、これを被告人に奪われた後も、なお、これを被告人から取り返えそうとする意図を有していたものと認められ、これに、被告人が右吉村富夫から前同柳刃庖丁を取り上げたうえ、同柳刃庖丁をもつて、同人の右胸部を突き刺すまでの間が、瞬時に過ぎないと推認されることを併せ考察すれば、被告人が右吉村富夫から前同柳刃庖丁を取り上げた瞬間に、右吉村富夫の前叙のような侵害行為の急迫性が消滅してしまつたものとは、認めることができない。
上来説明のごとくであるので、右吉村富夫の前叙のような侵害行為は、前記末釜賢三の生命、身体に対する急迫不正の侵害にあたるということができる。しかしながら、右吉村富夫の前同侵害行為は、その当時同吉村富夫が居合わせた個所から約一二〇メートル隔てた地点にいた前記末釜賢三に対し危害を加えようとしたものであり、右吉村富夫が、前認定のごとく被告人に対し、「これから右末釜を殺して来てお前も殺す」旨を申し向けたとはいえ、本件証拠上、少くとも、右吉村富夫は、前同柳刃庖丁を取り出して、前記階段を上りかけた後に、被告人自身に対し危害を加えるような意図に基づく行動に出た形跡が全くないこと、前認定のごとく被告人が右吉村富夫から、同人が持ち合せていた前同柳刃庖丁を奪い取つていること、前掲の鑑定人古田莞爾作成の鑑定書二通の記載に明らかなように、右吉村富夫は、体躯が比較的小柄で、被告人の本件犯行当時、相当程度飲酒していて、運動能力もかなり減弱していた(従つて、同人は、その持ち合せていた前同柳刃庖丁を、比較的容易に被告人に奪いとられたのである)こと、などを考慮すれば、右吉村富夫の前同侵害行為につき、前記末釜賢三に対する侵害の急迫性の程度は、それほど高度のものでなかつたと認めることができる。
二、本件において、被告人に防衛の意思が存したかどうかの点について。
この点に関し、被告人の司法警察員に対する昭和四六年三月一八日付供述調書中、被告人の供述として、「相手(吉村)も庖丁を離すまいとして必死になつていたが、余りの悪い男だから、このままでは、どうせ瀬戸一家の極道で何されるかわからんと突差に考え、いつそのこと殺してしまう決心をし、両手で庖丁刃の方がどつちであつたかよく覚えていません夢中で体の力を使つて、吉村の右側の胸辺りを一突きしてやりました」旨の記載、被告人の司法警察員に対する昭和四六年三月一六日付供述調書中、被告人の供述として、右と同趣旨に帰着する旨の記載、被告人の検察官に対する同年三月一九日付供述調書中、被告人の供述として、「こうして庖丁を奪い合つているとき、私は吉村が必死になつて庖丁をはなすまいとしており、また吉村がやくざであることから、あとで何をされるかわからないと、とつさに考え、いつそのこと、吉村を殺してしまおうと考えてしまいました。私は吉村から奪い取つた庖丁を右手に持ち、左手を添えて、体ごと吉村にぶつかるような格好で吉村の右の胸のあたりを一つきにしてしまいました」旨の記載によれば、被告人が前同柳刃庖丁をもつて、右吉村富夫の右胸部を突き刺す際、右吉村富夫の前記末釜賢三に対する侵害を防衛する意図でなく、その際、専ら右吉村富夫を殺害し、将来の不安を除こうとの意図に基づき行動したもののごとくであるが、右掲記の被告人の各供述記載を仔細に検討するに、同各供述記載内容は、なるほど、一応、合理的であるごとく理解されるけれども、さきに認定したごとく右吉村富夫が、前同柳刃庖丁を取り出して、原判示源氏から出ようとし、被告人において、これを阻止しようとした際における緊迫した状況を考慮に容れると、被告人が、かような緊迫した状況下におけるとつさの間に、右吉村富夫の従来における素行に想到し、同人により蒙るべき将来の不安を予想して、これを除くため、右吉村富夫を殺害しようと決意し、単に該意図だけに基づき行動したと観察することは、やや不自然と思料され、また、原審で取調べた柳刃庖丁(当裁判所昭和四六年押第一〇〇号の証第一号)の形状、性能、および鑑定人古田莞爾作成の昭和四六年三月一一日付鑑定書によつて認められる右吉村富夫が蒙つた傷害の部位、程度に徴し、被告人は、前同柳刃庖丁をもつて、右吉村富夫の右胸部を突き刺した際、これによつて、同吉村富夫を死に到らしめるであろうことにつき認識を有していたと推認されるとはいえ、前叙認定のような状況の下であることに鑑み、やはり、被告人は、前同柳刃庖丁をもつて、右吉村富夫を突き刺した際、同吉村富夫の前記末釜賢三に対する侵害行為を阻止し、同末釜賢三の生命、身体に対する危険を防衛するの意思を有していたと認めることが、最も事理の自然に合するものと思料される。なおこの点に関し、原審第一回および第三回の各公判調書中被告人の供述として、被告人には右吉村富夫を前同柳刃庖丁をもつて、突き刺そうという意思がなく、被告人の不知の間に、前同柳刃庖丁が右吉村富夫の胸部に刺つていた趣旨に帰着する旨の各記載が存するけれども、該各供述記載は、前記認定のごとき本件事犯の経緯、右吉村富夫が本件の際蒙つた傷害の部位、程度を仔細に検討して、たやすく措信できない。
三、被告人の本件所為が已むことを得ざるに出たものであるかどうかの点について。
以上において、順次に認定したごとく、被告人の本件所為は、右吉村富夫の前記末釜賢三に対する急迫、不正の侵害に対し、これを阻止するためになされた防衛行為に該ると解されるので、更に進んで、被告人の本件所為につき、そのいわゆる相当性の有無を考えなければならない。原判決は、この点に関し、被告人が、本件所為に先立ち、前同柳刃庖丁を窓から戸外へ投げ棄てる余裕があつたとは到底考えられず、また、大声をあげて隣人の助けを求めたり、もしくは電話で他に連絡して救いを求める等の措置をとることも不可能であり、その他、本件のような場合に、被告人に理性的な行動を要求することが困難である等の理由を挙げて、被告人の本件所為が相当性を有する旨の判断を示しているが、そもそも、この相当性の判断に際しては、当該行為が、一般通常人の客観的判断により、該当侵害に対する防衛行為として、適正かつ妥当なものとして認容されるものであるかどうか、ひいては当該侵害者の行為の急迫性の程度、その侵害の強度に対比し、これに対する防衛行為の方法ならびにその程度が、通常容認し得る程度に均衡を保つているかどうかによつて、決せられなければならぬと解する。
ところで、右吉村富夫の前記行為に関する急迫性の程度については、前記一につき、なした判断の末尾に示したとおり、その攻撃の目標が原判示源氏から約一二〇メートル離れた原判示司にいたと思料される前記末釜賢三に対するものであり、少くとも、右吉村富夫が、前同柳刃庖丁を持つて、前記階段を上りかけたころ以降においては、右吉村富夫から被告人自身を殺傷する意図の下に攻撃がなされた形跡はなく、しかも、被告人は、本件犯行に先立ち、右吉村富夫から前同柳刃庖丁を奪い取つているのであり、加うるに右吉村富夫は、その当時、体躯が比較的小柄で、しかも、飲酒していて、運動能力も相当減弱していた関係上、同人の前記侵害行為に関する急迫性はそれほど強度のものと認めるに由なく、この点に関し、原判決説示のごとく右吉村富夫において、全力をあげて、被告人から前同柳刃庖丁を奪い返して、再び優位な立場にたつとか、今度は被告人自身への殺傷行為に及びかねないとかというごとき極めて切迫した事情は、本件証拠上、これを明確にし得ないところであつて、これらの事情からみると、被告人が、右吉村富夫から奪い取つた前同柳刃庖丁をもつて、同人の右胸部を突き刺し、よつて、同人を殺害した所為は、右吉村富夫の前記攻撃を阻止するための防衛行為に該ると認め得るけれども、その防衛行為として、必要な限度を超えたものといわざるを得ない。なおまた前叙のような情況を念頭に置いて考えれば、本件事態を収拾するため、被告人として採るべき手段は、必ずしも、原判決が想定判断した方法のみに限られないと考えられる。
そうとすれば、被告人の本件行為は、正当防衛行為としての要件を欠き、結局いわゆる過剰防衛行為に該当するものと解され、従つて、被告人の本件行為を、刑法第三六条第一項の正当防衛行為に該当するとして、被告人に対し無罪の言い渡しをした原判決は、右説示の点において、事実を誤認し、ひいて、刑法第三六条第一項の解釈適用を誤つたもので、これらの誤りは、いずれも判決に影響を及ぼすことが明らかであるといわねばならない。論旨は、結局、その理由があることに帰着する。
よつて、本件控訴は、その理由があるので、刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八〇条、第三八二条に則り、原判決を破棄したうえ、同法第四〇〇条但書を適用して、当裁判所において、本被告事件につき、さらに判決をする。
(罪となるべき事実)
被告人は、昭和四五年九月ごろから、瀬戸市深川町一四番地飲食店源氏こと水野伝右衛門方二階の一室に住み込み、同店女給として働いていたものであるが、昭和四六年一月一〇日ごろ、いわゆる暴力団瀬戸一家の組員である吉村富夫(当時二八年)から強いて情交関係を結ばせられ、爾来、同人から、同人の情婦であるかのごとく振る舞われ、これが応待方につき困惑していたものの、事を荒立てないように、同人を避ける態度をとつていた折柄、同年二月はじめごろから、右源氏方にアルバイトとして、働きに来ていた愛知工業大学学生末釜賢三と親密の度を加え、遂に同人と情交関係を結ぶに至つた挙句、将来結婚することを約束をするまでの間柄となつたところ、同年三月五日午前零時ごろ、右末釜賢三および前同源氏方の酒客鈴木信往とともに、瀬戸市末広町一丁目一一番地飲食店司方において、飲食物を注文し、飲食しようとしていた際、かねがね、被告人と右末釜賢三との関係を聞知して快からず思つていた右吉村富夫が、たまたま前同司方に来合わすに及び、同人から、右末釜賢三と同席していることを目撃されて嫉妬された末、手拳で頭部を殴打されたうえ、直ちに源氏に帰れと申し向けられ、やむなく、右源氏方における住み込み中の居室に戻つた直後、その後を追い、右居室内に来合わせた右吉村富夫と、同居室内において、前記末釜賢三との関係につき、二、三口論中、これに激昂した右吉村富夫から、同日午前零時三〇分ごろ、柳刃庖丁一丁(当裁判所昭和四六年押第一〇〇号の証第一号)を見せつけられると同時に、「これから末(右末釜のこと)を殺してきて、お前も殺す」旨を申し向けられ、同人がそのまま前記居室を出て、出口に通ずる階段を登りかけた途端、前記末釜賢三の身体、生命に対する危険を感じた余り、即時該危険を回避しようと思い立ち、右吉村富夫の右斜め後方から、同人に組みつき、同人ともみ合い中、同人からその所携の右柳刃庖丁を奪い取つた際、同人が最早や何らの兇器を所持していなかつたのにかかわらず、同人の前記態度に憤怒の末、右柳刃庖丁をもつて、同人の胸部を突き刺せば、同人を死に至らしめるかもしれないと認識しながら、前記末釜賢三の生命、身体を防衛するため、その必要な程度を超え、敢えて前同柳刃庖丁をもつて、右吉村富夫の右胸部付近を一回突き刺し、よつて、同人に対し、長さ五センチメートル、深さ約二六センチメートルに及び、同人の右肺、心臓、胃および脾を刺切し、右胸部後壁に達する右胸部刺切創を負わせた結果、即時、同所において、同人をして右心臓刺切に基づく失血により死亡させて、殺害したものである。
(証拠の標目)(略)
(法律の適用)
法律に照すと、被告人の判示所為は刑法第一九九条に該当するところ、その所定刑中有期懲役刑を選択し、その所定刑期範囲内において、被告人を懲役三年に処することとし、なお、諸般の情状にかんがみ、その刑の執行を猶予するのを相当と認め、同法第二五条第一項を適用して、本裁判確定の日から五年間、右刑の執行を猶予し、原審ならびに当審における訴訟費用については、被告人が貧困のためこれを納付することのできないことが明らかである場合に該ると認め、刑事訴訟法第一八一条第一項但書を適用して、これを全部被告人に負担させないことにする。
以上の理由によつて、主文のとおり判決する。