名古屋高等裁判所 昭和46年(う)64号 判決 1971年9月21日
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役二年に処する。
原審における未決勾留日数中二四〇日を右本刑に算入する。
原審における訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
本件各控訴の趣意は、名古屋地方検察庁検察官検事中嶋友司、弁護人小栗孝夫、同佐藤典子各名義の控訴趣意書記載のとおりであり、検察官の控訴趣意に対する答弁は、弁護人佐藤典子名義の答弁書記載のとおりであるから、ここに、これらを引用する。
弁護人小栗孝夫の控訴趣意第一点について。
所論の要旨は、爆発物取締罰則(以下「罰則」という。)は、現行憲法の下で法律としての効力を有しないのに、原判決が法律としての効力を有するものとし、これを適用したのは、法令の適用を誤ったものである、というのである。
しかし、「罰則」は、その制定の形式にかかわらず、現行憲法の下にあっても、法律としての効力を有するものと解するのが相当である(最高裁判所昭和二四年四月六日大法廷判決、同昭和三四年七月三日第二小法廷判決参照)。論旨は採るを得ない。
同第二点について。
所論の要旨は、「罰則」は、その内容において、全体として憲法を頂点とする現行法秩序との間に適合性を有せず、治安維持を至上目的とし、不明確な構成要件のもとに、厳罰を科することによって、憲法の保障する自由と人権とを不当に制限する違憲の存在であるのに、原判決がこれを合憲として適用したのは、法令の適用を誤ったものである、というのである。
しかし、「罰則」の構成要件が、罪刑法定主義に反するなど不明確に過ぎるものとはいえないこと及び「罰則」の各所定刑が厳罰であることをもって、直ちに憲法の保障する自由と人権とを不当に制限する違憲の法令であると断ずることもできないことは、いずれも原判決の説示するとおりであり、その他、所論にかんがみ、「罰則」の内容を仔細に検討してみても、それが全体として憲法を頂点とする現行法秩序との間に、所論のように適合性を有しないものと考えることもできない。論旨は採るを得ない。
検察官の控訴趣意第一の一について。
所論の要旨は、原判決は、本件「罰則」三条違反の訴因に対し、爆発物所持の外形的事実については、これを認めながらも、被告人が同条所定の加害目的をもって、これを所持したと認定するに足る的確な証拠がなく、反面、被告人においても、右加害目的の不存在につき立証を遂げていないので、本件は、「罰則」六条違反の事実を構成するにとどまる旨判示しているが、被告人が右加害目的をもって、本件爆発物を所持していた事実は、本件証拠により、明白に認定することができるから、この点において、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というのである。
所論にかんがみ、本件記録を仔細に調査し、当審における事実調べの結果をも参酌のうえ、検討するに、後記証拠の標目欄掲記の各証拠によると、次の諸事実を認定することができる。すなわち、
一、被告人は、京浜安保共闘組織を指導する日本共産党革命左派神奈川県委員会の有力な構成員であって、右共闘組織を構成する京浜労働者反戦団にも所属している者であること。
二、右組織は、マルクス・レーニン主義及び毛沢東の思想を信奉し、自派の希求する人民民主主義共和国の樹立を図るため、「反米愛国」の名のもとに、在日米軍基地、自衛隊基地、外国公館、その他治安関係諸機関等を攻撃目標とする暴力闘争をも敢えて辞さないとする過激派集団であり、その構成員らは、昭和四四年九月から同年一一月ごろにかけて、相ついで米軍施設等を目標とする火焔瓶、ダイナマイト等による襲撃事件を惹起していること。
三、本件当時、被告人は、殊更に氏名及び経歴を偽って、ひそかに名古屋市内に居住していたこと。
四、被告人は、名古屋市転入の前後を通じ、前記二記載の襲撃事犯を敢行した組織構成員らと緊密な接触を続けていたこと。
五、被告人の下宿先から、時限爆弾、火焔瓶等の性能、製造法、使用法等を記載した小冊子「栄養分析表」、日本共産党革命左派神奈川県委員会等の機関紙類、京浜労働者反戦団等京浜安保共闘組織傘下集団の構成員らによる米、ソ大使館火焔瓶襲撃事件等の報道を記載した新聞記事の切り抜き、京浜安保共闘組織特有のスローガンである「反米愛国」と白字で記入したヘルメットなど、被告人が右組織の構成員であることを推測する資料となすに足りる多数の証拠物が発見押収されていること。
六、本件爆発物は、京浜安保共闘組織の構成員らの手を経て、被告人に渡ったものであるのに、被告人は、これが交付を受けた相手の氏名等を明らかにしようとせず、かつ、被告人の右爆発物所持の態様は、発覚を恐れ、駅の貸しロッカーに隠匿所持するといったものであること。
以上の諸事実を認定することができる。
以下右の各事実について、より詳細に分説する。
一、被告人の所属する組織関係について。
≪証拠省略≫によると、被告人は横浜国立大学在学中、同大学学芸部中央委員長等として、相当活発な学生運動に従事していたこと及び毛沢東思想研究会の例会に出席したり、毛沢東思想を信奉し、暴力革命を目指す日本共産党革命左派神奈川県委員会の招請に応じて、同委員会の主催にかかるいわゆる活動者会議に出席したりしていたことを認めることができる。
そこで、検察官所論の京浜安保共闘組織と被告人との結びつきについて、同組織に関係を有すると思料される者らの供述ないし証言につき、逐次検討を加えるに、先ず、自己が同組織傘下の京浜労働者反戦団の構成員であることを自認する佐藤保は、同人の検察官に対する昭和四四年一一月一五日付供述調書(原審に提出されたものは、その謄本)において、森某こと、岡野耕司こと川島豪の組織関係につき、同人は、京浜労働者反戦団の上部組織である日本共産党革命左派神奈川県委員会(以下単に革命左派という。)に所属していると聞いている旨述べており、同じく同労働者反戦団の構成員であったことを自認する東条孝市も原審において、被告人とは、同反戦団で一緒だった旨証言しており、これらの供述ないし証言のみをもってしても、被告人が京浜安保共闘組織を構成する京浜労働者反戦団に所属しているものではないかとの疑いは、相当濃厚であるということができる。
ところで、川島豪自身は、自己の所属する組織関係について、原審において、一応表面的には否定する態度をとっているが、反面、自己がマルクス・レーニン主義並びに毛沢東思想を信奉し、自派の希求する人民民主主義共和国の樹立を図るため、在日米軍基地、政府治安機関等を攻撃目標とする暴力闘争を辞さないものである旨公言してはばからず、同一の目的、闘争方針をもつ京浜安保共闘組織の一員であることを実質上自認したと同様の発言をしており、さらに、被告人との関係について、被告人は、自己と主義、主張が非常によく合う友人である旨証言しており、当審においても、同様自己の組織関係について表面的には否定しながらも、右の暴力革命方針を一層強調し、攻撃目標として米軍基地、在日外国施設、政府機関、とくに、警察、検察庁及び裁判所等を挙げ、これに使用する武器は、ゲバ棒、火焔瓶からダイナマイト、さらには銃器と情勢に即応してエスカレートしていると述べ、また、被告人との関係につき、同人とは反米愛国の点で一致すると思う旨証言していることが明らかであり、さらに、右川島豪は、別件公判において、革命左派が京浜安保共闘組織の中に入って指導している旨及び自己が革命左派の同志である旨を明確に供述していることが認められるのである(横浜地方裁判所昭和四四年(わ)第一、三六九号事件第八回公判――昭和四六年二月二二日)。
次に、京浜安保共闘組織傘下の学生戦闘団の構成員であった村井こと田代隆は、革命左派及びその指導下にある組織並びに構成員等につき、当審証人として、大要次のように証言している。
「学生戦闘団の上部組織は、青年共産同盟であり、さらにその上部の組織は、革命左派であって、革命左派は、組織の最高首脳部である。革命左派は、日本共産党の脱党者、毛派のグループ、社学同・MLの分裂グループ等が一緒になって構成されたもので、最高指導者は川島豪である。革命左派のメンバーとして自分が名前を知っているのは、石井勝、石井功子、中村寛三、永田洋子、坂口弘、中島衡平、柴野春彦、新井功(本件被告人)、河北三男、川島陽子(川島豪の妻)、津ヶ谷輝康らである。
新井功は、昭和四四年八月ごろ、当時自分が同志の渡辺正則(同人は、自分と同様青年共産同盟及び学生戦闘団の構成員である。)と一緒に住んでいたカミオカのアパートへ訪ねてきたことがあるが、そこは、組織のカッティング(ガリ切り)をしたりする秘密の場所であったから、組織の構成員でもない普通の人が来るわけがなく、そういう点からも、新井が組織のメンバーであると判断した。なお、渡辺や同じく同志である寺岡から、新井功は、名古屋のオルグ隊として派遣されていたと聞いたが、同人は、当時活動家であり、活動家が遊びには行かないだろうから、オルグのため中京地区へ行ったものと理解した。
自分は、一〇・二一の横田基地を襲撃する前ごろ、革命左派のメンバーである前記中村寛三に連れられて、当時新井の住んでいた名古屋の米野という所へ行き、新井及び加藤能敬に会ったことがあるが、そこは公然とした所ではなく、特定の人しか知らなかったと思う。」
以上、佐藤保、東条孝市、川島豪及び田代隆の各供述ないし証言を総合考察すると、被告人が京浜安保共闘組織傘下の京浜労働者反戦団及び右共闘組織を指導する革命左派ときわめて密接なつながりを有するものであることは、ほとんど疑問を容れる余地がないものというべきであり、これに、本項の冒頭において認定した被告人の活動歴、後記四項において判示する被告人と川島豪ら組織構成員らとの緊密な接触状況及び同第五項において認定する証拠物の存在並びに記載内容を併せて判断するときは、被告人は、革命左派の有力な構成員であるとともに、京浜労働者反戦団の一員でもあることを優に認定することができるものというべきである。
しかるに、原判決は、被告人が組織に加入していたことを認めるに足りる的確な証拠がないとの判断を示しているが、これは、原審において、検察官が、被告人は、京浜安保共闘組織の学生戦闘団の構成員であると釈明したのに惑わされ、右学生戦闘団の一員である勝原陽児が被告人を知らない旨の証言をしたのを必要以上に重視した結果、その余の重要な証拠につき慎重な検討を加えなかったためと推測され、検察官にも一半の責任はあるけれども、もとより原判決の重大な事実誤認であるといわざるを得ない。
二、被告人の所属する組織の目的、活動状況等について。
(一) 組織の目的、方針について。
≪証拠省略≫によると、被告人が所属すると認められる革命左派及びその指導下にある京浜安保共闘組織傘下の京浜労働者反戦団(被告人がその構成員であることは前述のとおり)、学生戦闘団等の主義、主張は、マルクス・レーニン主義及び毛沢東思想を信奉し、人民民主主義共和国の樹立を図るため、「反米愛国」の旗印しのもとに、同志を糾合し、在日米軍基地、自衛隊基地、外国公館、日本政府治安関係諸機関等を攻撃目標として暴力闘争を行ない、もって暴力による日本革命を達成するというものであることが明らかである。
(二) 組織構成員らにより敢行された一連の過激事犯について。
革命左派及び京浜安保共闘組織傘下の京浜労働者反戦団並びに学生戦闘団等の過激派集団の構成員らは、前記組織の方針に沿い、昭和四四年九月ごろから同年一一月ごろにかけて、相次いで米軍施設等を目標として、火焔瓶、ダイナマイト等による襲撃事犯を惹起していることは、本件証拠上明白である。いま、その主なるものを摘記すると、およそ次のとおりである。
(1) 九月三日アメリカ大使館火焔瓶襲撃事件(兇器準備集合、公務執行妨害、傷害、放火未遂、建造物侵入被告事件――被告人勝原陽児、同渡辺道夫)
(2) 前同日ソ連大使館火焔瓶襲撃事件(兇器準備集合、放火予備被告事件――被告人寺岡恒一、共犯中森こと東条孝市)
(3) 九月四日羽田空港火焔瓶襲撃(愛知外相訪米阻止)事件(兇器準備集合被告事件――被告人渡辺正則、航空法違反、威力業務妨害被告事件――被告人坂井俊則、同伊波正美)
(4) 一〇月二一日米軍横田基地火焔瓶襲撃事件(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法違反、暴力行為等処罰に関する法律違反被告事件――被告人佐藤保、同石井勝、同中村寛三、同田代隆)
(5) 一一月五日米軍厚木基地ダイナマイト爆破未遂事件(前同刑事特別法違反、爆発物取締罰則違反被告事件――被告人川島豪、同石井勝、同佐藤保)
(6) 一一月一七日横浜アメリカ領事館ダイナマイト爆破未遂事件(爆発物取締罰則違反――被告人田代隆、同石井勝、同佐藤保、同川島豪)
(三) 本件当時の組織の活動状況等について。
被告人が本件犯行に及んだ昭和四四年一二月中、下旬ごろには、前記組織の構成員らのうち、相当数の者が逮捕されるに至っており、組織の行動力が若干低下していたであろうことは、推察するに難くないところである。
しかしながら、前記(1)ないし(6)記載の一連の事犯後にも、同年一一月下旬から一二月上旬にかけて、本件組織の構成員らは、引き続き火焔瓶、ダイナマイト等を使用して、米軍施設、弾薬輸送列車等を襲撃、爆破しようとして、過激な行動に出ていること、及び被告人逮捕後間もなく発行された革命左派の機関紙「解放の旗」昭和四四年一二月三〇日号掲載の記事等に徴すると、本件犯行当時においても、組織本来の目的、行動方針等にはいささかの変更もなく、組織の行動力も、なお十分に温存されており、その構成員らは、火焔瓶ダイナマイト等を使用して過激な破壊行動に出る機会を窺っていた状況にあったことが明白である。
三、被告人が名古屋に転入した状況について。
≪証拠省略≫を考え合わせると、被告人は、横浜国立大学在学中、留年を繰り返しながら、いわゆる活動家として、最初は学生運動に次いで労働運動に従事中、昭和四四年七月二五日ごろ、同大学に在籍したまま、急に神奈川県から名古屋市に移住し、同市中村区○○町○丁目××番地甲野太郎方二階六畳の間に、和光大学学生加藤能敬と二人で下宿し、同月末から同市南区江戸町三丁目三五番地所在白木金属工業株式会社に工員として就職し、同年一二月二二日本件犯行により逮捕されるまでの間、同工場に勤務していたが、右のように事実上大学を退学し、名古屋市に赴いて工員として働くようになったにもかかわらず、その事実を一切家族らに告げなかったばかりでなく、右甲野方に下宿するに際しては、殊更に「藤田信二」なる偽名を使用しており、白木金属工業に就職の際には、高校卒業後、郷里で農業に従事していた旨内容虚偽の履歴書等を提出しており、右甲野方下宿先から同工場に通勤するに際しては、新名古屋、豊田本町間の被告人名義の定期乗車券以外に、名古屋、米野間の「中原澄夫」なる偽名の定期乗車券をも併せて使用していたことが認められる。これらの点に関し、被告人は、原審において種々弁解しているけれども、その内容を本件証拠に照らして仔細に調査検討すれば、右被告人の弁解の採るを得ないことは明白である。
そして、前段認定の一見不可解に思われる被告人の行動については、前記第一項において認定した、その所属する組織関係を除外しては到底解明し得ないものというべく、前掲証人田代隆の「被告人はオルグとして中京地区へ行ったものと理解した」旨の証言をここに想起すべきであろう。
四、組織構成員らとの接触状況について。
被告人が、名古屋転入前後を通じて、前記第二項摘示の過激事犯を敢行した組織構成員らと緊密な接触を保っていたことは、証拠上明らかであるが、いまこれを名古屋転入前と転入後に分けて考察すると、次のとおりである。
(1) 転入前の状況について。
≪証拠省略≫によると、被告人は、昭和四三年六、七月当時、すでに石井勝、柴野春彦らと単に同じ大学の学友としてではなく、主義、主張を同じくする活動家仲間として交際があり、そのころから革命左派の招請により、右柴野らと共に、革命左派の主催する活動者会議に参加しており、革命左派の最高指導者と目される川島豪、前記羽田空港襲撃事件の実行者渡辺正則らとも、神奈川県在住当時から親密な交際を続けており、また、革命左派及びその指導下にある京浜安保共闘組織傘下の京浜労働者反戦団、学生戦闘団等に所属するその他の構成員ら多数とも、各種会合等において、顔を合わせていたことを認めることができる。
(2) 転入後の状況について。
≪証拠省略≫を総合して判断すると、川島豪は、昭和四四年九月中に二回ぐらいと同年一一月六日ごろの合計三回ぐらいにわたり、被告人が家族にも内緒で、しかも偽名を使ってひそかに居住していた前記甲野方に被告人を訪ねていること、佐藤保も柴野春彦に伴われて、右被告人の名古屋転入後の住居に赴き、同所で二泊した後、前記米軍厚木基地爆破に向っていること、及び同年九月初旬ごろ、右川島、柴野らが組織のアジト設定のため、岡崎市○○町字○○××番地の乙山一の経営するアパート「○荘」に入居するに際し、被告人は、同人らに対し、前記加藤能敬になりすまして、賃貸借契約を締結するよう提案し、右加藤の履歴書を与えるなど、一方ならぬ便宜を供与していることなどの諸事実を認定することができる。また、≪証拠省略≫によると、被告人は、昭和四四年八月ごろ、田代隆、渡辺正則らのアジトに来訪しており、右田代は、同年一〇月中旬ごろ、中村寛三に連れられて、前記甲野方の被告人の下宿先に赴いていることが認められる。
そして、以上認定の諸事実から考察すると、被告人は、名古屋市転入後も、転入前と同様、前記組織の構成員らとの間に、緊密な連絡、接触を保っていたものである事実を容易に推認し得るものというべきである。
五、被告人の下宿先から押収された証拠物について。
≪証拠省略≫によると、昭和四四年一二月一三日警察のなした押収捜索の際、名古屋における被告人の最初の下宿先である前記甲野方二階の被告人の居室から、京浜労働者反戦団等京浜安保共闘組織傘下集団の構成員らによる米、ソ大使館火焔瓶襲撃事件等の報道を掲載した新聞記事の切り抜き二枚、「当面の戦術問題について」、「栄養分析表」、「黙秘」と題する小冊子三部、「解放の旗」等と題する革命左派、青年共産同盟、京浜労働者反戦団、学生戦闘団等の機関紙合計一三部等の証拠物が発見押収されたことを認めることができる。また、≪証拠省略≫によると、同年一二月三〇日の押収捜索の際、被告人の逮捕時の下宿先である名古屋市中区○○町○丁目×番地の丙川花子方階下四畳半の被告人の居室から、「反米愛国」と白書した赤色ヘルメット三個が発見押収されたことを認めることができる。
そして、右証拠物のうち「栄養分析表」及び「解放の旗」五部は、被告人が自己の物であることを認めており、ヘルメットについては、丙川方の被告人の居室において、自己が保管していたことを認めているところ、右「栄養分析表」は、時限爆弾、火焔手榴弾(キューリー爆弾)等の性能、構造、製法、使用法等を解説した文書であって、本件組織の構成員らのごとき過激な実力行動を計画、実行しようとする者らにとっては有用な文書と認められるのに反し、一般の市民にとっては全然無用であるばかりでなく、そもそもこれを入手することさえも決して容易でないことが認められる。被告人は、右文書の記載内容については、読んでいないから知らない旨弁解しているけれども、前項までに認定した諸事実に徴しても、右弁解の措信し得ないことは明白である。
次に、「解放の旗」五部につき検討するに、該書類は、京浜安保共闘組織を指導し、同組織の最高首脳部ともいうべき革命左派の機関紙と認められるが、その発行日付は、被告人の名古屋市転入の前後にわたっており、その存在並びに記載内容からして、同組織の構成員である被告人が、組織と接触を保ちながら、その行動方針、行動状況等の把握につとめていた証左となすに足りるものということができる。
また、前記ヘルメットに記入されている「反米愛国」という文字は、前述のとおり、京浜安保共闘組織特有のスローガンであって、これが逮捕時の被告人の居室から発見されている事実もまた、被告人と右組織とのつながりを示す一資料となすを妨げないものというべきである。
六、本件爆発物の入手経路等について。
原判決の証拠の標目欄掲記の各証拠によると、本件爆発物であるダイナマイト及び電気雷管は、被告人が昭和四四年一二月一六日の夕刻、東京都内上野駅付近において、知人某から交付を受け、同夜名古屋に持ち帰ったうえ、翌一七日名古屋駅構内の貸ロッカーに預け入れ、同所に隠匿保管していたものであること及び被告人は、同月二二日になって、右貸ロッカーの預け入れ期間更新のため、同所に赴いたところを張り込み中の警察官に発見逮捕されたものであることをそれぞれ認定することができ、右事実は、おおむね被告人、弁護人らにおいても、認めて争わないところである。
ところで、≪証拠省略≫によると、被告人の本件爆発物入手の経緯に関する弁解の要旨は、「自分は、知人某から『十何日かに、いっせいにガサ入れをくらったから、一時預ってくれ』と頼まれたので、やむなく預かったのであって、自分自身に本件ダイナマイト等を使用する目的はなかったことは勿論、右知人某に使用目的を確かめもしなかった。知人某の名前は知っているが、その人に迷惑がかかるから言えない。」というのである。
しかしながら、≪証拠省略≫によれば、被告人がダイナマイトと共に交付を受けた電気雷管在中の紙箱からは、京浜安保共闘組織の構成員で、前記のようにダイナマイトを使用して米軍厚木基地を襲撃し、これを爆破しようとして未遂に終った事件の実行行為に加わったと認められる石井勝の左拇指紋が検出されているのみならず、同じく同組織の構成員で、前述のように被告人と緊密に接触していたと認められる柴野春彦の左示指紋も検出されていることを明認することができる。
そして、このことから判断すると、本件爆発物が、右石井、柴野らの手を経て、同じ組織の構成員である被告人の手に渡ったものであることは、疑いを容れる余地がなく、被告人に使用目的がなかったなどという前記被告人の弁解が、採用に値いしないものであることは、明白であって、あえて多言を要しないところである。
以上一ないし六項にわたり、いささか詳細に認定したもろもろの事実を総合考察し、なお、本件ダイナマイト、雷管のごとき強烈な爆発力を持ち、危険度のきわめて高い爆発物は、特殊な業者等を除いては、一般人が正当な理由に基づいてこれを所持するようなことは、通常あり得ないところである点をも参酌のうえ、合理的に判断すると、被告人は、前記組織の構成員として、前述のごとき組織の過激な闘争方針に従い、近い将来、機を見て、在日米軍基地、外国公館、治安関係機関等、組織の指向する攻撃目標に対し、攻撃を加えてこれを爆破することにより、治安を妨げるとともに、右基地等の施設に勤務または在住する者らを殺傷する目的をもって、換言すると、治安を妨げ、かつ、人の身体財産を害する目的をもって、本件爆発物を所持していたものであることを十分に認定することができるものというべきである。
そうすると、被告人が加害目的をもって本件爆発物を所持したと認定するに足りる的確な証拠はないが、さりとて右加害目的の不存在について、被告人側の証明も十分でないとした原判決の判断は、右加害目的をもって右爆発物を所持したと認定するに足りる証拠があるのに、これをないとした点において、証拠の採否を誤り、ひいて事実を誤認したものというのほかなく、この誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、論旨は理由があり、この点において、原判決は到底破棄を免れない。
よって、検察官及び弁護人小栗孝夫の各爾余の論旨並びに弁護人佐藤典子の論旨に対する判断は、いずれもこれを省略したうえ、刑訴法三九七条一項、三八二条に則り、原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い、被告事件について更に判決する。
(罪となるべき事実)
被告人は、治安を妨げ、かつ、人の身体、財産を害する目的をもって、昭和四四年一二月一七日ころから同月二二日午前零時三〇分ころまでの間、名古屋市中村区笹島町一丁目一八番地国鉄名古屋駅構内南口(近鉄口)通路に設置されている財団法人鉄道弘済会名古屋営業所所有の貸ロッカー(〇二〇五号)内に、電気雷管三五個と共に三号桐ダイナマイト二五本を入れて所持し、もって爆発物を所持したものである。
(証拠の標目)≪省略≫
(法令の適用)
被告人の判示所為は、爆発物取締罰則三条に該当するので、所定刑中懲役刑を選択し、情状により、刑法六六条、七一条、六八条三号を適用して酌量減軽した刑期範囲内で、被告人を懲役二年に処し、同法二一条に則り、原審における未決勾留日数中二四〇日を右本刑に算入し、原審における訴訟費用については、刑訴法一八一条一項本文により、被告人にこれを負担させることとする。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 野村忠治 裁判官 村上悦雄 小沢博)